毛沢東こそ世界史上最強の戦略家 [無断転載禁止]©2ch.net
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大事なのは勝つことではなくて負けないことだ。
これを地で行き生涯無敗を達成した世界史では最強の戦略家こそ毛沢東。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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BUZ <野田毅議員いわく、>今ではとても考えられない日中蜜月時代は、
89年6月の天安門事件で幕を閉じ、以降反転の道を歩むことになる。
特に江沢民時代に関係悪化のタネがまかれることになる。それが愛国主義教育だった。
「愛国主義教育というと、さしあたって抗日の歴史と反日になる。
米国とも朝鮮戦争で戦ったし、ソ連とも国境をめぐる紛争があった。
だが、わかりやすかったのが<反日だった。>」…
http://mainichi.jp/sunday/articles/20160906/org/00m/070/001000d
それで気付いた。
天安門事件後、天皇訪中までして中共を救ったのは日本。
反日はその日本を道連れにしないための配慮でもあったんだわ。 野田毅は、「1980年代は、中国共産党内にも日本のようになるのが一番いい、という議論があった。
貧富の差がない。言論の自由もある。国民の目も輝いている。中国も早くそうなりたいと。
トウ小平の改革開放路線の軸になってやってきた人たちだ。胡耀邦、胡錦濤(きんとう)といった
中国共産主義青年団(共青団)系人脈がそうだ・・・共産党という名前を変更してもいい、
というような局面もあった。国民党にするわけにはいかない。日本みたいに自民党がいいかもしれんぞ、
というような会話をしていた時期もあった。地方で部分的に自由選挙を導入する動きもあった」
と証言している(上掲)。
存命中の毛沢東やケ小平時代の中共当局が、日本の政治家達に対してだけは本音で
語っていたものを、現在は、公然と中共人民(と日本人一般)にも語るようになっただけで、
中共当局の日本に対する超親日姿勢は一貫して変わってないってこと。
この間、変わったのは日支関係に係る歴史認識のみ。
しかしこれは単に、戦前・戦中における中共の建前としての歴史認識に復帰しただけであって、
戦前・戦中のそれは、日本との共倒れを避けるための欺騙だったことを思い起こせば、
天安門事件以降のそれだって全く同じ、欺騙であることは明白。
ところで、「一握りとは言っていたが、<靖国神社公式参拝に関して>中国側が問題視したのは、
実はA級戦犯全員ではなく、東条英機一人だった。(分祀工作を)中曽根さんの時にやった。
だが、東条さんの家族だけが反対してできなかった」、との野田発言(上掲)は、一見客観的発言だが、
野田を含む、当時の、そしてそれ以来の、自民党議員達の退嬰的にして矮小な発想に対して、
改めて強い怒りを禁じえない。 日本の新しい天皇が、自ら交通法規を守るお手本を示した!・・・中国メディア・東方網・・・
http://news.searchina.net/id/1679453?page=1
とりあえずは習近平が、その後は、日本の天皇が日中両国の元首に? >毛沢東こそ世界史上最強の戦略家
わかったからお前自身が素晴らしい毛主席に奉仕して粛清されてろ ・・・盧溝橋事件をめぐり、日本の政府と軍部が混乱の極みにあったことはすでに書いた。
一方、中国側はどうだったか。意外にも、中国共産党は事件勃発後、敏速かつ計画的に
動いたようだ。日中両軍が衝突した翌日の1937(昭和12)年7月8日、毛沢東は蒋介石に打電した。
「蒋委員長の高覧を仰ぐ。日本侵略者は盧溝橋を進攻し、その武力による華北奪取という
既定の段取りを実行に移した。(中略)願わくば全国総動員を実行して、北平(北京)・天津を防衛し、
華北を防衛して失地を回復されんことを。紅軍将兵全員が委員長の指導のもとで、国家のために
生命を捧げ、敵に対抗して、国土と国家を防衛する目的を達成せんことを希望している」
即時開戦を呼びかける内容だ。中国共産党は同日、中国全土の新聞社、各団体、各軍隊に
向けても打電した。
「全国の同胞諸君! 北平・天津危うし、華北危うし、中華民族危うし、全国民族が抗戦を
実行してのみ、われわれの活路がある! われわれに攻撃してくる日本軍に対しただちに
断固たる反撃を加えるよう要求するとともに、新たな大事変に即応する準備をただちに
すすめるよう要求する。(中略)全国の同胞・政府・軍隊は団結して民族統一戦線の堅固な
長城を築きあげ日本侵略者の侵略に抵抗しよう! 国共(国民党と共産党)両党は親密に合作し、
日本侵略者の新たな攻撃に抵抗し、日本侵略者を中国から追い出そう!」
繰り返すが、これら激烈な打電の日付は7月8日である。盧溝橋で最初の発砲があったのは
7月7日午後10時半ごろ、日中両軍が戦闘に突入したのは翌8日午前5時ごろ、そのわずか
数時間〜十数時間後に中国全土へ向けて抗日戦線結成を呼びかけたのだから、まるで
盧溝橋事件が起きるのを予期していたかのような手回しのよさだ・・・。
https://special.sankei.com/f/society/article/20190629/0001.html
だっからー、帝国陸軍と中国共産党は示し合わせて、
中国国民党政権に日支戦争を始めたって言ってるんだよ。 下のリンク先によると
毛沢東は秋収蜂起で国民党に敗れたとき、
自身も国民党に捕まったが、賄賂をつかませて逃亡に成功したという。
本当だろうか。
もしこのとき毛を捕まえた国民党の兵士が賄賂を取らない真面目人間だったら
毛沢東の一生は1927年9月9日で幕を閉じたのだろうか。
京大上海センターニュースレター 第 277 号 京都大学経済学研究科上海センター
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/84564/1/277.pdf 良い事を教えてあげよう
以下は俺の妄想だが、
電車内痴漢は、いきなり生マン触りにいくのが、実は一番安全なんだよな
急に、下着に手を入れられアソコを触られて、冷静に対処できる女なんて居ない
戦争で言えば、先制攻撃で東京に核ミサイル打ちこまれるようなもの
逆にどさくさに紛れて手の甲で尻タッチするようなビビリ痴漢は、リスクに見合わない
軽く触っただけでも、騒ぎだす女なんて山ほど居る
こういうのは、やるなら徹底的にやった方が得なんだよ
まぁ、あくまで俺の妄想だけどね 当時の世界でも一番の弱兵に等しい
中国兵を率いてしかも国内の一部勢力から始めて天下を取って来たのだから
軍事手腕は確かなものだろうな。
特にヒトラーや山本五十六とは異なり
戦車機甲師団や空母機動部隊を率いずに
天下を取るのだから最強の司令官だな。 兵隊としては毛沢東の下で戦いたくないな。
人海戦術のコマとして終える一生なんて(´;ω;`)ウッ… 国民党が一般民衆から嫌われ自滅したから毛が支那をとれた
ラッキー毛 ネガキャンの能力があった
少ない資金・人材では、派手にはやれない
対日、対蒋で、これが成功し天下を取る 毛沢東と天皇は満州族(朝鮮族)
だから日本は中国に百万の兵を送って国民党を倒した
共産党は満州族(朝鮮族)だったのだ 中国の農民は大躍進の為に喜んで餓死していったのか? 毛主席の悪口を言うなんざとんでもねえ資本主義の豚だな
お前らみんな総括した上で農村で再教育な。きっちり修正されてこい >>946
当時の中国民衆が蒋介石の国民党より毛沢東の共産党を圧倒的に支持してたからこそ
国共内戦で毛沢東は勝利できたわけだが? 支持されたのではく、抵抗されなかっただけじゃね?蒋介石の為に命を懸けようというものは居なかった。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。