アメリカ独立戦争 [無断転載禁止]©2ch.net
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アメリカ独立戦争(アメリカどくりつせんそう、英: American War of Independence)は、1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争である。
現在のアメリカではアメリカ独立革命(英: American Revolution)もしくは革命戦争(英: Revolutionary War)と呼ばれ、主にイギリスではアメリカ独立戦争と呼ばれている。
なお、日本の歴史教科書では、「アメリカ独立戦争」と表記することもあれば、単に「独立戦争」と表記することもある。
この戦争によって、植民地住民はイギリスの支配を拒否しアメリカを政治的独立に導くことに成功した。1775年、革命派は13植民地政府の全てを掌握すると共に、主に政治と立法を担当する第二次大陸会議と軍事を担当する大陸軍を発足させた。
翌年、アメリカ独立宣言を発して、正式にアメリカ合衆国という国家を形作った。戦争の全期間を通して、イギリスは優勢な海軍力によってアメリカ東海岸沿海を制し、海岸に近い幾つかの都市を占領したが、陸軍の兵数は比較的少なく、支配地域は限定的であった。
アメリカ大陸軍がサラトガの戦いで勝利して間もない1778年、フランスがアメリカ側に付いて参戦した。スペインやネーデルラント連邦共和国(オランダ)もその後の2年以内にアメリカ側に付いた。
1781年にフランス海軍がチェサピーク湾の海戦で勝利したことをきっかけに、アメリカ大陸軍はヨークタウンの戦いでイギリス軍を降伏させ、実質的な戦闘は終了した。1783年のパリ条約で戦争は終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めた。 ボストン茶会事件で白人がインディアンの変装してもすぐにバレると思う 白人である事がばれないではなくて、誰であるかがばれなければ問題ないのだよ お前らってどんな話題でもまず「どう差別的な話につなげるか」から考えるのな >>4
当然だろう、欧米を叩くための手段の一つだ。
そんなことも分からないのか。 ふーん
お前らとこの板によくいる白人崇拝はお似合いのレベルだから
仲良く戦ってろよ ラ・ファイエット、フランス革命ではロベスピエールに負けたじゃん 米国では、フランス革命での功績で評価されているわけじゃなし アメリカ先住民は革命軍についた人たちもいたようだが多くの部族はイギリス側についた
フレンチ・インディアン戦争のときみたいに真っ二つではなかったようだ
ニューヨーク州にいたモホーク族は伝統的にイギリスから銃を買って開拓者の侵略から土地を守っていたので
当然ここでも王党派に付いたが(革命軍についた者もいた)敗軍の将「怪物ブラント」こと
ジョセフ・ブラントは仲間とともにカナダに移った
https://en.wikipedia.org/wiki/American_Revolutionary_War#Native_Americans そりゃまあ開拓者の肩を持つと、インディアンは自身の首を絞めることになるからね。 戦略的かつ大局的に言えば、フランスが参戦した時点でイギリスの敗北と
アメリカ独立は決定していた。 フランスはブルジョアジーの義勇軍じゃなくて
絶対王政の正規軍を援軍によこしたんだな
イギリスとの利益争いという点ではその後の米仏同盟含め
その選択でフランスにとって利益になったろうけど
それまで空想的な遊戯だった啓蒙主義思想が
アメリカで新しい政体という形を持ち自信をつけて
フランス王政に牙をむく結果になった事を思えば
自分の首を絞めたも同然だろう
フランスはこの戦いが全く新しい「イデオロギーの戦争」としての
側面を持っていたことに気付かなかったのだろうか ルイ16世は理解していたと思う。そしてあえてそれをやった。 サン・シモンはラ・ファイエットとコシューシコに比べて影が薄い >>22
その3人の中では、サン・シモンがいちばん後世に影響を与えている。
というか土俵が違うだろどういう比較だ。 公爵のサン・シモンは単に記録しただけで画家のダヴィッドのような役回り
その遠縁の空想的社会主義のサン・シモンと間違えないようにw >>24が思っているのはこいつのことか?
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_de_Rouvroy,_duc_de_Saint-Simon
言っておくがアメリカ独立戦争と関係ないぞ。
間違えているのは>>24じゃね。
社会主義思想家のアンリ・ド・サン=シモンこそ
アメリカ独立戦争に参加しラファイエットの元で戦ったその人。
ちなみに参戦時はラファイエット19歳、サン=シモン16歳という
どこの青春漫画かと思うようなハイティーンの貴族子弟だった。 いやスレタイはそうだけど仏革命で影が薄い人物っていう話題に移ってたからさ サン=シモンの影が薄いとかどういう寝言だ。
彼に比べればマルクスもレーニンもゴミだ。 アメリカを助けて得をしたことがあったのか。
いつものフランスらしからぬぞ。お人好しだな。 フランスは別にお人好しじゃあない。
ルイ15世時代の七年戦争でフランスは海外植民地をごっそりイギリスに取られてしまった。
そのパワーバランスを回復する手段として、アメリカ独立の援助はコストパフォーマンス最高だった。 ラ=ファイエットは現在ではフランスでよりアメリカでのほうが人気がある そりゃ、動機が名誉心であれ革命の理想であれ、
19歳が大海を渡って独立軍の助太刀に参じるとか、
そんな真似できるかい君たち。 英語とか勉強していったんかな。
お受験勉強とは次元が違う動機だな。 初期のミニットマンの司令部・病院・基地となったのはタバーン(居酒屋兼宿屋)
レキシントン・コンコートの戦いでは、ミニットマンはバックマン・タバーンに、英軍はマンロー・タバーンを使用した。 ラファイエットが有名だけどロシャンボー伯も活躍している。
1780年に7000名を引き連れて米国に上陸。
英語ができないので通訳を介してワシントンと会談している。 アメリカは独立支援に奔走してくれたカロン・ド・ボーマルシェも顕彰すべきだね。
フランス政府に参戦するように働きかけ、独立軍に大量の物資を送ってくれた。 アメリカにはラファイエット通りとラファイエット公園というのがある アメリカ海軍のミサイル駆逐艦にもグラース侯爵号というのがあった
この人のおかげで独立できたわけだからね 人権に対する思想はフランスよりアメリカのほうが早い 人権に対する思想はアメリカよりイギリスのほうが早い ロックもルソーもモンテスキューも、欧州より、日米で評価が高い人物 政治経済学部出身の俺はジョン・ロックは大学の時勉強した。今は全く忘れた。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
KQJIV >>49
>>ジョン・ロック
「自然状態の人間は平等で自由だった」なんていう
およそありそうもない絵空事の上に建てられた理論です。
忘れて正解です。 オランダの貢献
シント・ユースタティウス島で武器弾薬を販売 戦争を始め(独立宣言を起草)、戦局を有利に導き(フランスを説得して参戦させる)、独立を勝ち取り講和をまとめる(パリ条約)。
これら全てを手掛けたフランクリンがすごすぎる。 王党派がニュー・ブランズウィックに逃げ込んだので
フランス系住民(アカディア人)が追い出されるという被害を受ける 植民者に評判が悪い税を撤回すれば
アメリカが独立することはなかったのか
逆にいえばその税を課したイギリス人は
アメリカ独立の大恩人 王党派がフロリダに逃げて、さらにカリブ海の島々に渡ったでので
ちょっぴりカリブ海の島々は文明度が上がった。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
O8S >>39
逆に考えれば、独立軍が使える、ある程度の広さがある建物といえば
当時は居酒屋ぐらいしかなかったということだな。 独立前の,大陸会議って組織は
司法権と立法権はあるに,行政権が無いという
特殊な機関だったんですよね 植民じゃないと人が死ぬなら、植民地にされても人は死ぬでしょう。
下からでも上からでも無理ならば。 悪い人達が来て みんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱い人達が居たから
女たちは犯され 老人と子供は燃やされた
若者は奴隷に 歯向かう者は皮を剥がされた
悪い人達はその土地に家を建てて子供を生んだ
そして街が出来鉄道が走り
悪い人達は増え続けた
山は削られ 川は死に 求められたのは発明家と娼婦
荒んだ 独立といってもウチワのもめ殺しになるから、現代的にいえば
戦争という手法を取る必要がない時代が来てほしい。 スペイン軍も手伝ったのです
忘れないでください・・・ 見方を変えれば、8年間の独立戦争を経たからこそ、
アメリカの植民地群はひとつの国家としてまとまったと言える。
イギリスが最初から独立を認めて独立戦争がなけれな
13植民地バラバラの小国群になったのではなかろうか。 国家としてはまとまっていない。
旧英国米植民地連合、協同にすぎない。
13個の自衛隊の司令官の上に統合作戦本部のような組織
外交代表
連合会議で連邦国家としてまとまりはじめた。 >>58
教会があるけど、日曜日の旅にスペースを空ける手間がある
裁判所があるけど、裁判の度に空ける手間がある。
>>59
対外部との団体交渉権と各植民地の共同歩調の枠組み形成ぐらいしかない。
だから大陸議会ではなく大陸会議と訳しているんじゃないか。 実習生が逃げたら罰を与えて欲しい。投資が無駄になる! 南北に別れろってことか・・・
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181119-00010000-withnews-int&p=4
彼女の農家でこれまで受け入れた30人の実習生のうち、5人が失踪し、1人が逃亡未遂。隣の花農家では、約15年間で受け入れた約100人のうち10人以上が逃げたという。
日本全国で25万人の実習生がいて、昨年1年で約6000人、今年は半年で4278人が逃げたという統計がある。この島ではそれが実感できる。
農家の男性は
「だからこそ、新しい制度では逃亡をもっと厳しい罰則にしてほしい。実習生も、逃げ通せば、稼げるんだよね? それでまた、逃げた実習生を働かせて、もうけている人がいるんでしょ。
これじゃ、永良部は日本への入り口ってことで利用されてるだけだ」
この農家の男性は、1人の実習生を入れるために、渡航費や初期研修費など数十万を払っている。3年間、働いてもらう予定で作業計画をたてているのに、失踪されるとその「投資」は無駄になる上、
一定期間、次の研修生を入れることができない。
私は、実習生問題を取材してきた中で、「実習生には職場を変わる自由は当然にあるべきだ」と思っていた。それだけに「移動の自由」という権利を制限してほしいと望まざるをえない農家に何人か会ううち、
彼らの言い訳に衝撃を受けつつ、考え込んでしまった。
別の農家の男性は 「そりゃあの子たちも、お金のいいところに行きたいだろう」と、外国から来た若者たちへの同情を示しつつ、「時給を上げれば人が来るかって? 時給千円にしたら経営が成り立たないし、
そんな仕事があれば自分が雇われたい」と言った。 (略 トマス・ペインの『コモン・センス』って何が常識なのですか? 自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランスから贈呈された ( ジョージ ブッシュ )
元・大統領の,国葬を行うために
わざわざ
株式市場を,休場する必要が有るんですか ? 『常識』で世に知られたわりに
筆者のペイン自身は周りからかなり浮いた人物だったのだ ナポレオンに「ペインさん、もう結構です」と言わせた。
いついかなる時も空気を読まない男それがトマス・ペイン。かっこいい。 トマス・ペインが『コモン・センス』を出さなければアメリカは独立しなかったのですか? 植民地を独立させただけでは飽き足らず、イギリスでも革命を起こそうとする
イギリスからみると超迷惑な人物。 >>81
なら、Wikipedia日本語版のラファイエットの項目を書き直してやってくれ。
いまの文章じゃ、ラファイエットの良さが1ミリも伝わってこない。 >>79
1776年は、「アメリカ独立宣言」、「アダム・スミスの国富論」、「ジェームズ・ワットの蒸気機関」と、
英米の近代を象徴するものが3つもいっぺんに登場した印象的な年
自然と記憶に残るので、語呂合わせするまでもない サン・シモンってアメリカ独立戦争で何やったのですか? 自由の女神はこの戦争を助けたフランスにより贈られた ウィキペディア「ジョン・ポール・ジョーンズ (軍人)」の記事が酷い。
「ネルソン、東郷平八郎と共に世界三大提督の一人」と持ち上げたあとで、
一番肝心なアメリカ独立戦争の軍歴については一行も書いていない。
東郷平八郎の記事で日本海海戦の記述が無いようなものじゃないか。
執筆者はどういうつもりなのか。 >>87
書き掛け記事とか?
まだ記事を書き始めていない 義勇兵はドイツのシュトイベンとメキシコのミランダのことも忘れないでください >>73
フランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに100年記念のお祝いのプレゼント
ベンジャミン、フランクリンがフリーメイソンの人脈でフランス説得したから 米国が独立した理由にはインドが関わっているのではないかと考えています。
その前提となる小仮説は、英東インド会社及び、その初代総裁を務めた者が
やはり重職を務めたところの、北米英領植民地のヴァージニア会社といった
株式会社の皮切り群は、英国政府が、欧州諸国の植民地統治同様のキリスト教
による原住民の愚民化と相俟った原住民収奪という形の植民地統治を、イギリス
(英国)政府が直接的に手を汚さずに行うための手段であった、というものです。
さて、東インド会社同様、ヴァージニア会社も原住民から収奪の限りを尽くした
ところ、東インド会社よりも遅れて1606年に設立されたにもかかわらず、1624年
には、余りにもひどいというので、英国政府の監督下に入れられるどころか解散
させられ、ヴァージニア王室領植民地という英国政府の直轄地になってしまいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BC%9A%E7%A4%BE
もとより、その理由は、ヴァージニア会社が原住民収奪の限りを尽くしたこと
それ自体にあったのではなく、原住民の反撃(※)もあり、会社の収益が低下を
きたし、ひいては本国に損失をもたらしたからです。
https://en.wikipedia.org/wiki/London_Company
(※)1622年3月22日に生起。バージニアのジェームズタウンの住民の4分の1に
あたる347人が襲撃してきたインディアンによって殺された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Indian_massacre_of_1622
しかし、その後も収奪の気風は維持され、ヴァージニア会社の勅許領域であった
英領北米植民地の南部では、インディアン収奪を黒人奴隷収奪に切り替えた形で、
大農場が発展していくことになります。 さて、1775年に米独立戦争が起こった背景として、1773年に東インド会社が
英国政府の監督下に入れられ、インド(ベンガル)に総督が派遣されたことが
影響を与えたのではないか、というのが私の仮説なのです。
米国の大統領を、初代から第5代まで並べてみると、ワシントン、アダムズ、
ジェファーソン、マディソン、モンローとなりますが、この内アダムズ(マサチュー
セッツ出身)を除き全員がヴァージニア出身※であり、米独立革命の首謀者達
の大部分が、英領北米植民地中の原住民収奪地域の中心地出身であった
ことは偶然ではありえないはずです。
※「当時奴隷人口が多かったヴァージニア州は、憲法に盛り込まれた
<黒人1人を> 5分の3 <人とみなして議員数を決めるという考え方>により、
下院でも最大の議員団を誇った。ヴァージニア州出身の大統領が続いたことで、
ヴァージニア王朝とも呼ばれ、国内でその重要性を維持した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E
以前から私は、米独立革命は、奴隷制維持を目的とする英国からの予防的
分離独立であった、としてきたところですが、インド亜大陸を視野に入れることで、
この解釈の説得力が一層強まった思いがしています。 インドでの植民地政策の変化が、アメリカ独立にどう影響を与えたのか良く分からん
アメリカもインドみたいにイギリス本国からの締め付けが強くなるんじゃないかと恐れたからってこと?
それなら、インド関係なく実際にイギリスが締め付けを強くしていった現実があるんだから当然なんじゃない? 独立戦争がおこらないまま13植民地が統合された場合,
かつて各植民地だった州はStateではなくProvince、
州知事はGovernerではなくPremier
と呼ばれてたりしてw あと連邦総督がいて各州担当の連邦副総督がいてって感じで.
それはそうとオーストラリアの場合,カナダの各州担当連邦副総督に
相当する役職は州総督なんだっけ >>95
オーストラリアやカナダのは州総督って呼ばれてるな
独立戦争が仮に起こってなかったら、アメリカもオーストラリアやカナダのような英連邦の構成国になってた可能性はあるのかもな
大統領制ではなくイギリスのような議院内閣制が敷かれていたかもしれない 独立戦争がおこらずにイギリス連邦内の一国となってたら
カラーTVの放映形式はイギリス本国と同じくPALだったかも。 独立戦争がおこらず一つに統合された後の13植民地,
オセアニアで豪・NZ、アフリカ南部でローデシア・南アと
分かれてるみたく現在のカナダにあたる地域とは別々に
統治されてたんやろか。
そういえばローデシアはイギリス南アフリカ会社による
管理期限が過ぎた後、南アが併合しようとしたけど入植者の
猛反対でイギリス本国が管理したんだっけか。 同じ独立戦争でもフランス革命よりはるかに人気ないよね >>100
アメリカ国内ですらあまり人気ない時代
向こうの映画とかを見ると、南北戦争のほうがはるかに人気だ
なんでなんだろうな? 日本国内でもアメリカ独立戦争に関する本は数が少ないな。 アメリカ史に関する本は日本国内でもめちゃくちゃ多いが、20世紀以降の歴史に重点が置かれてるものが多いしな
アメリカ独立戦争って日本でも人気ないのかもな 第二次独立戦争とも言われる米英戦争に至っては・・・
「大海賊」なんて日本でもヒットした映画が有るけど、それ以外は日本では無名に近いし
せいぜいアメリカ国歌の由来で触れられる位かな? >>105
1812年の米英戦争は、結局長引いた割にはほぼ引き分けみたいな終わり方だからなあ
ドラマとして映えるのはニューオーリンズでのアンドリュー・ジャクソンの活躍ぐらいだし >>106
映画「大海賊」のクライマックスがニューオーリンズの戦いでしたよ
アンドリュー・ジャクソンも登場するし
結構似ている役者さんでした
武勲を上げた主人公がお尋ね者の海賊だと知りつつも逃がしてやる男気も見せて、結構良い扱いでした
まぁ、悪くは扱えませんよねw >>107
日本だとそんなに知名度ないけど、アメリカではアンドリュー・ジャクソンは紙幣の顔になってるぐらいには有名だし人気だからな
映画でも良い扱いを受けるのは妥当だな ボストン茶会事件
どうも「貴婦人がお茶会の席で痴話げんか」なんてイメージがあるな アメリカは朝鮮人が発見した
アメリカは朝鮮の領土
アメリカは早急に朝鮮に領土返還すべき ボストン茶会事件の3年前には、
暴動を起こした市民が駐留イギリス軍に撃たれる
ボストン虐殺事件が起きているが
虐殺というわりに死者は5人 ベンジャミン・フランクリンは外交官としてフランスで暗躍した アメリカ合衆国建国の父たちをファウンディング・ファーザーズと言います 1/26
[FT]米英豪を「英語圏」とくくるな 価値観に違い
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB246E90U2A120C2000000/
英国やその他の国が、米国が英語を共通言語とする国の中でも特異な存在だと知る機会を得たのはコロナ禍の過去2年間での不幸中の幸いかもしれない。
フランスのマクロン大統領は17年に米国のIT(情報技術) 大手らによる課税逃れ問題に関連して「アングロサクソン系の企業はゲームのルールを尊重しない」と主張したが、米国はアングロサクソンの国ではない。政治的な文化も制度も英連邦の白人国家と異なる。
第一に、米国はオーストラリアやカナダ、ニュージーランドよりはるかに早い段階で英国の植民地支配から決別した。しかもオーストラリアなど3国はエリザベス英女王を国家元首としており、共和制国家ではない。
第二に、米国はあまりにも多種多様な移民を多く受け入れてきたため、他のどの国ともタイプが異なる国家となった。
1776年の米国独立を巡る一連の出来事が「革命」に相当するかは別として(米国人作家のゴア・ヴィダルは国内社会の秩序が転覆したわけではないので「分離」という表現を好んだ)、それらにより米国民には市民を束縛する国家への不信感が根付いた。その影響は良くも悪くも、今なお残っている。
1952年、当時住宅・地方政府相でその後英首相を務めたハロルド・マクミランは、すでに米国を「ラテン系とスラブ系の混合」だと評していた。
英米の民族性が共通しているとかたくなに信じていても、米国と他の英語圏の国の世界観が一致していると決め込むのは無理がある。さらに、そのように決め込んで自国経済の未来を託すのは愚行にほかならない。
ただ、米国は英語圏の人口とGDPの双方で最大の割合を占めるだけに、米国を除外して英語圏と定義しても意味がない。
米国は次のような二面性がある点で特異だ。まず、個人主義を重視するため厳格な感染防止措置はほぼ導入しなかった。...
一方で、米国の新型コロナによる死者数は今では南北戦争の犠牲者数を大幅に上回る。いずれにせよ、英語圏の存在を信じたい人たちにとっては受け入れ難いかもしれないが、米国は異質な存在なのだ。米国は肥大化した英国ではない。そして、そんな米国に最もすり寄ろうとしている英国が米国を一番理解できていない。 大統領になると何かと大変だから誰もやりたがらなかった。だから「コイツでいいや」って感じで。 南北戦争時の人口3144万人 70万人死亡 2%
2021年3億3190万人 2%は660万人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています