台湾の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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確かに。私も夜仕事から帰ってきてからでも語りたいかも。 タイユワンは、中国華北地方、山西省の省都である。
春秋時代に晋の国都、戦国時代に趙の国都が置かれた
明・清代に山西省の省都となった 台湾は、明の時代あたりから、自国の体制に反発する漢人たちが住み着き、原住民から土地を奪い開墾し
事業、生活を営むようになった。
ちょうど、自国の体制に反発するアングロサクソンたちがアメリカに住み着き、原住民から土地を奪い、
事業、生活を営むようになったのと同じだ。
どちらも、本国に対して反旗を翻し独立を宣言している。
とはいえ、自分たちの祖国に対し刃を向けて熾烈な戦争を戦い抜き、独立を勝ち取った
当時のイギリス反体制側とは違い、台湾は、まだ本国と真っ向から戦い勝利をおさめる
という経験がないため、1971年に国連から追放されて以来、今に至るまで国際社会(国連)
から国家とは認められていない。 つまり、国連は、台湾を国家と認めてないということだな。
国連によれば、台湾は国家ではなく、中華人民共和国の一地域。中華人民共和国政府の主張と同じだ。
台湾が国連から追放されたとき、
昭和天皇は、時の首相に「蒋介石君をしっかり守ってくれ」と頼み、
そして日本は国連で、最後の最後まで台湾追放に反対した。けど多数決で台湾は追放された。 18世紀頃までの台湾は、中国本土の支配を受けた他、
オランダやスペインの植民地であったりもしました。
以前より、中国大陸から漢人が入植していましたが、
清の時代になると、政府の政策もあり中国本土からの移住が一段と進みました。
もともと台湾に居住していた先住民族(台湾では原住民と呼びます)は10民族あまりですが、
いずれも少数民族であるため、人口の大半は漢人が占めるようになりました。
台湾に渡った漢人の出身地は福建省が多く、福建地方の言葉が、現在は台湾語と呼ばれ、広く使われています。
また、北方からの漂流民である客家人も台湾に移住してきましたが、客家語を話します。
清の時代には、台湾にもその支配が及びましたが、
大陸政権は中華思想の政権であり、中央との距離は遠いほど文明度が低くなるという思想により、
台湾は小さな僻地の島に過ぎず、十分な統治を行いませんでした。
そのため、近世以前の台湾は、混沌とした状態が長く続きました。 19世紀末、日本は日清戦争に勝利し、台湾の統治権を得ました。
これ以後約50年間、台湾は日本の植民地となりました。
日本の統治に対して、当初は台湾住民の抵抗が強く、
約5年間続いた紛争では、1万人以上の台湾人が戦死したり虐殺されるなどしました。
台湾に対する日本の植民地政策は、植民地経営での欧米との対抗意識や、
南進政策もあり、道路、鉄道、港湾、上下水道、電気、通信などの
インフラの整備や、教育の普及、治安の維持に注力するもので、
そのレベルは当時の日本本土を上回るものでした。
台湾人は二等国民とされ、日本人や朝鮮人らと差別されましたが、
こうした植民地政策により、台湾の公共インフラや教育水準はこの時期に飛躍的に向上し、
経済的にも発展しました。
日本統治時代は、台湾人の日本同化政策により、台湾での学校教育は日本語で行われたため、
この時代に学校教育を受けた世代は、日本語を話すことができます。 中国大陸では1911年に、現在の台湾のルーツとなる中華民国が成立ました。
現在の台湾でも、この1911年を元年とする中華民国暦が用いられています。
太平洋戦争で敗戦した日本は、台湾の領有権を放棄し、
戦勝国である中国(中華民国)がその領有権を得て、中華民国の台湾統治が始まりました。
当時の中華民国は蒋介石が率いる国民党が代表政権でしたが、
毛沢東率いる共産党との内戦に疲弊しており、
台湾に進駐してきた国民党軍も統治意識が低く、略奪や粗暴行為が頻発しました。
台湾人は、統治が日本から中国に移ったことを喜びましたが、
進駐してきた国民党軍のこのような振る舞いを見て「イヌのかわりにブタが来た」などと揶揄しました。
日本の旧植民地でありながら、現在、日本に対する国民感情が比較的良いのは、
ここに起因すると言われることもあります。
国民党進駐前から台湾にいた漢人を「本省人」といい、
これ以後大陸から渡来した漢人を「外省人」といいます 半万年の歴史を誇る韓国とは異なり、台湾の歴史は新しい。
だいたい、明朝くらいから考えればOK。
それ以前のことは、「土人が住んでいた」というくらいのことしかわからない。 南の熱帯のほうの人に共通する傾向として、あまり歴史を記録に残さない。
でも、実際には東西の海洋貿易によって、古代から繁栄していた地域が多い。
台湾の場合は、中国本土からかなり離れていることと、
周辺の海域が荒いおかげで、絶海の孤島として放置されてきたようだ。 とはいえ反日感情をあからさまに顔に出すのは、国民党支持者よりも民進党支持の本省人が多い。
彼らは明の時代から、支那族の傲慢さをもって台湾に侵入し、原住民から土地を奪いとった
荒くれものたちの子孫であり、腕力、体力、生命力では誰にも負けない真の覇者であると
いう民族的自負がある。
職業的には、漁民、商売人、肉体労働や貿易商が多い。
尖閣諸島で、日本の船を襲ったり、乱獲や環境破壊を繰り返したのはまさに本省人たちだった。
蓮舫の気の強さも本省人特有。
国民党は、なんだかんだ言って特権階級のセレブが多く、紳士気取りのおとなしい人たちが多い。
とはいえ、その紳士気取りの人たちも、屈強な本省人ボディーガードをたくさん雇っているから、とても怖い。 台湾では、漢人たちと原住民たちとの混血が進んで、今では人口の8割以上が原住民との
混血だと言い張る人が非常に多い。
だが、実態はと言うと、がんらい、満州族による清建国にあらがって台湾に渡ってきた
誇り高い漢人たちは、漢人同士で婚姻関係を結ぶのが普通であって、原住民との結婚な
どよっぽどな恥知らずしかできない蛮行だった。
台湾を統治していた清国政府も、台湾に住む漢人たちのみを臣民として扱い、原住民は
「化外(けがい)の民」(「皇帝の支配する民ではない」、「中華文明に属さない民」
の意)として無視した。
今でも、台湾原住民たちはそれぞれの土地に暮らし、それぞれの言語を持ち、台湾の
国語を使わない。 ただ、蔡英文政権ならではという目新しい政策も見せている。それは8月1日に行った原住民(先住民)への謝罪だ。
台湾では人口2%の原住民が生活している。彼らは、長年、清朝時代、日本時代、戦後の国民党統治から一貫してマイノリティとして多くの制約を受け、
言語や氏名の変更を強要され、長年伝統的に使ってきた土地も取り上げられるなど、苦渋を舐め続けてきた。
蔡英文総統はそれらの歴史に対して概括的な謝罪を行うことで、歴史的な負の遺産に決着をつけ、多元的な社会を目指す自らの政策を推進しようとしたのである。
これは台湾では「移行期の正義」と呼ばれる問題であり、過去の権威主義体制のなかで用いられてきた多くの不当な措置や政策に「和解」をもたらせようという考え方である。 民進党政権は、尖閣諸島を勝手に自分の領土として土地登記した過去がある。
さらに去年も、民進党政権は、ハーグ判決に抗議すると喚きたてて、軍艦まで派遣した。
民進党を支持している本省人たちは、戦後も尖閣諸島で乱獲を続けてきたし、日本の漁船
を攻撃して日本人漁民たちを殺したこともある。
数年前に、日本の海上保安庁に衝突してきた中国人船長も、台湾政府がおかれている福建省
の人間で、釈放されたとき、台湾人たちに囲まれて「また攻撃してやる」と言って笑っていた。
民進党は何をしでかすかわからない荒くれもの集団が支持する政党。
本省人はまるでバイキング。腕力自慢のずるがしこい商売人だから、彼らのヘコヘコした態度、
笑顔、握手を信じたら大変なことになる。 台湾の本省人たちが食事の時、大げさに口の中をみせながら、くっちゃくっちゃと音を立てて
見せるのは漢人文化を誇るためでしょ?
ガーッペッ!って大きな音を出してあちこちでタンを吐くのも。
基本的に傲岸不遜なのに、商売や取引となると不必要にへらへらして媚びへつらったりする。
王侯将相寧んぞ種あらんや。節度のない下剋上の漢人的手法なんだろうけど。 新華社、「中華民国」表記禁止 「台湾は非独立国」徹底
毎日新聞 2017年7月22日 東京朝刊
【台北・共同】中国国営通信の新華社がこのほど報道禁止用語集の改訂版を作成し、
台湾については正式名称の「中華民国」のほか「総統」などを使ってはならないと改めて報道関係者に指示した。
台湾メディアが21日、伝えた。
「台湾は中国の一部」との立場に基づき、独立国家と受け取れる表現は認めない姿勢を徹底している。 台湾に翻る中国の「五星紅旗」 日台の火種に
2017/7/20
日中戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件から80年。台北の路上で遭遇した光景に目を疑った。
日本の対台湾窓口機関、「日本台湾交流協会」の事務所前で日本への抗議デモを繰り広げていた中台統一を唱えるグループの数人が、いきなり中国の国旗「五星紅旗」を高々と掲げたからだ。
台湾は国号として「中華民国」を名乗る。中華人民共和国ではない。最大野党である国民党の洪秀柱・前主席のように統一論を唱える人はいるが「中華民国による統一」が大前提だ。
なぜ、デモ隊は中華民国が「国旗」と位置付ける「青天白日旗」でなく、中華人民共和国の旗を持ち出したのか。事情を探ってみた。 中華民国による統一(共産党撲滅)は、1949年から半世紀以上も、国民党の党是だった。
民進党は、当初から台湾独立派と統一派が拮抗していたが、1995年以後は統一派が勝利
している。
だが、民進党の統一派が求めるのは、中華民国による統一ではなく、現在の中華人民共和
国との統一。
民進党の統一派にとって、国民党は、無謀にも共産党を攻撃したために、中国を二つに
引き裂いた憎い敵である。
民進党は1991年には一度「独立」を目指す方針を発表するが、中国の経済発展をともに
支え、恩恵を受けるべきだとする声も根強く、
1995年には、民進党政権下では台湾独立を行う必要はないと宣言し、
1999年には、「台湾はすでに独立国であり、中国との統一のためには住民投票を行わな
ければならない」とする「台湾前途決議文」を出した。
それ以後、民進党は、台湾はすでに独立国なのだから独立を目指す必要はないという姿勢
を貫いている。 台湾が注目されるようになったのは16世紀の明朝時代になってからのこと。
台湾は倭寇の根拠地として発展し、やがて日中日中からの移住者が定着した。
この時代は大航海時代。
オランダやスペインが台湾を東アジアの拠点とするようになっていった。 海洋貿易の拠点として争奪のマトになった歴史は、マラッカ海峡を思わせる 実際、日本に行くにも中国に行くにも、これほど便利な拠点は他にない 20世紀前半、マルクスレーニン主義を掲げた共産党と、血で血を洗う熾烈な戦いを
繰り広げたのが国民党。
蒋介石誘拐事件と、日本の近衛内閣の「東亜新秩序」で、いったん休戦状態になる
ものの、大東亜戦争終了後、途方もなく影響力を増していく共産党を抑えるため、
アメリカの助けを借りて、国民党はさらに激しい戦闘を繰り返すことになった。
結局共産党に敗北し、未来の共産党撲滅を胸に近いながら台湾に撤退してきた国民党は、
台湾に社会主義が入ることを徹底的に防ぐため、厳しい弾圧を始めた。
時は世界中の若者やインテリがマルクス主義に傾倒した20世紀。日本においても
社会主義者たちは中国共産党と協力関係を深めながら団結して日教組など左翼系労働
組合を結成し、学生たちもマルクス主義グループを結成していくなか、日本社会党も
誕生していた。
油断すれば、台湾にも社会主義ブームが起きるのは目に見えていた。
将来中国共産党を撲滅して帝国を復権させるために、まずはこの地に落ち着き、
国家の力を回復させる必要があった。
蒋介石の、中国本土時代を含めて40年にも及ぶ政権運営が、あれほど容赦のない
社会主義者弾圧と独裁政治になってしまったのは、仕方のない事情もあったのだ。 国民党だって孫文時代は左翼の革命党だったんだけどな
もっと左の共産党と争ってるうちに国民党は右翼化してしまったんだ >>29
ドストエフスキー、西部邁、徹底的な反マルクス主義の保守って、
元は左翼だったという過去が結構ありがちですね。 >>30
辛亥革命は、左翼の革命ではなく国家主義(保守)の革命。
10代の頃から日本で学び始め、日本陸軍に勤務し、大日本帝国から、国家のあるべき道を学んだ。
1971年、国連から中華民国が追放されるというとき、
天皇陛下が「蒋介石君を守ってくれ」と首相に頼み、国連で日本は反対票をいれましたが、
蒋介石が優秀な人間だったからでしょう。
左翼上がりだったら天皇陛下も支持するはずがない。 >>30
元・新興宗教の信者が、脱会して熱烈なアンチになるのと一緒
過去に騙されたことのある人でなければ、それだけの思い入れはない ニーチェも、大人になって「アンチ・クリスト」の哲学者となったが、
子供の頃は教会が好きで「ちびっこ牧師」と呼ばれてた 最近は、熱烈な韓流オバサンだった人が、大の嫌韓流に変身した例が多数報告されている 国連の第100回理事会で中華民国は日本の侵略を訴え、経済制裁を求めた。
それにより、国連理事会は日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとしたが経済制裁は決まらなかった。
蒋介石は、1938年「日本国民に告ぐ」として、日本軍の略奪、暴行、殺人を非難した。
一方で、中華人民共和国では戦後、事件についてほとんど触れられることはなかった。
中共中央文献研究室編纂の『毛沢東年譜』1937年12月13日欄には「南京失陥」(南京陥落)とあるのみ。
『中学歴史教師指導要領』には「日本軍が南京を占領し、国民政府が重慶に遷都した」と
あるのみで、60年版でも1975年版の教科書『新編中国史』の「歴史年表」にも虐殺について記載がない。 台湾人は親日のふりをしているが、ことあるごとに「リューチューは我々の島」と言う姿を見たら、親日演出はウソだとわかる。
尖閣での台湾の横暴の例。(もちろん他にも数々ある。)
1955年、中華民国の活動家に襲撃を受け、第三清徳丸の船員9名中2名が射殺され4名が行方不明となる。
1968年、環境調査で台湾漁民による乱獲で海鳥が激減していたことが判明。
1969年、中華民国当局は付近海域の石油採掘権をアメリカのガルフ社に与えると共に、「青天白日旗」を尖閣諸島に掲揚し、世界中の通信社に配信した。
1970年 台湾籍船をはじめとした外国人の不法上陸や密漁に悩まされていた琉球政府は、米軍の支援を受けて違反事件の調査を行った。
1971年、中華民国(台湾)がアメリカ合衆国政府に対し、同日付の国務省宛て文書の中で、尖閣諸島を日本への沖縄返還から除外し、中華民国(台湾)の主権下に置くことを要求
1990年尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2隻が、魚釣島周囲の領海を侵犯。
1996年、台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海侵犯。4人が魚釣島に不法上陸。
1997年、5月、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海侵犯。 7月、1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海侵犯。日本の海上保安庁により領海外へ退去させられる。
2004年、1月、台湾当局が魚釣島を土地登記 (4月に判明)
2005年、台湾の巡視船が2回にわたり、尖閣諸島から12海里以内の海域に入り、海上保安庁の巡視船と対峙した。
2008年、領海侵犯した台湾の遊漁船「聯合号」に海上保安庁の巡視船「こしき」が衝突し、聯合号が沈没する聯合号事件が発生。数日後に台湾の巡視船など4隻が尖閣諸島沖の領海を侵犯 東南アジア系は、エリートに愛されることなく最後まで慰安婦でみじめな仕事をさせられた人がおおかっただろうね。 >>37
どの国にも、いろんな人がいる。
日本の国内にさえ反日左翼の日本人がいるくらいなんだから、他国にいても不思議はない。 >>40
こらこら!その当時馬英九はまだ生まれてもいないでしょ!
その当時は蒋介石政権だよ。 >>39
政府がやってんだけど…
これ↓は、台湾政府がやったこと。
1969年、中華民国当局は付近海域の石油採掘権をアメリカのガルフ社に与えると共に、「青天白日旗」を尖閣諸島に掲揚し、世界中の通信社に配信した。
1971年、中華民国(台湾)がアメリカ合衆国政府に対し、同日付の国務省宛て文書の中で、尖閣諸島を日本への沖縄返還から除外し、中華民国(台湾)の主権下に置くことを要求
2004年、1月、台湾当局が魚釣島を土地登記 (4月に判明)
これ↓は国民党の特権階級エリートではなく、民進党支持の荒くれものたち(漁民や農民、商売人など)のしわざ。ちなみに彼らは台湾人口比率からみたら圧倒的多数派。
1955年、中華民国の活動家に襲撃を受け、第三清徳丸の船員9名中2名が射殺され4名が行方不明となる。
1968年、環境調査で台湾漁民による乱獲で海鳥が激減していたことが判明。
1970年 台湾籍船をはじめとした外国人の不法上陸や密漁に悩まされていた琉球政府は、米軍の支援を受けて違反事件の調査を行った。
1990年尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2隻が、魚釣島周囲の領海を侵犯。
1996年、台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海侵犯。4人が魚釣島に不法上陸。
1997年、5月、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海侵犯。 7月、1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海侵犯。日本の海上保安庁により領海外へ退去させられる。 お金をもらって鼻の下を伸ばしてると痛い目見るよ。
>馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り[1]、
要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させた[2]。中華民国外交部は11日、
大地震に遭った日本政府に30万台湾ドルの義援金を送ることを表明[3]。翌12日には、
1億台湾ドル(約2億8000万円)に増額した[4]。13日には被害の拡大により、被災地に
援助隊を派遣することを表明。
台湾の救助隊28人は3月14日午前に台北市内の松山空港を出発。同救助隊は日本に到着の後、
自力で被災地に入り、救助活動に当たる計画を立てた[6]。
台湾は11日に派遣の用意を表明していたが、日本側の待機要請により、各国の救助隊が
日本入りする中、丸2日間の待機を余儀なくされた。
>各テレビ局の垣根を越えて作られたこのチャリティー番組では、台湾の総統馬英九や台北市長や台南市長などの政治家も芸能人と一緒に電話オペレーターとして寄付の電話を受け付けました。
腰が悪い馬英九夫人も4時間半休まずに募金電話の受付対応をし続けていた。
番組自体は、そんなに面白いというわけでもないですが、昨日は4時間で約21億円余りの義援金が寄せられ、おとといの寄付金を合わせて、二日で約25億円の義援金が集まり、 馬英九やその奥さんが身体を張って、マスコミに登場して、東日本大震災への支援を
呼びかけて、結果として驚くほどの支援金義援金が集まったわけだけど、
それがそのまま親日の照明家と言ったら怪しい。
台湾の過去の行動を忘れて、無邪気に喜ぶのは危険だ。 馬英九の呼びかけで、台湾は東日本大震災に250億円の義援金を送った。
福岡の地震でも、蔡英文の命令で200万円の義援金がおくられた。
まあ桁は違うけど、どっちにしても台湾政府の意向だし、親日をアピールするため。
これまでさんざん日本をバカにしてきた台湾が、ここ10年以上、やたらと親日をアピールするのはなぜなのか。
2004年1月には、卑劣にも、内緒で尖閣諸島を自国の領土として土地登記している。
台湾の本質はあれだということを忘れてはならない。 >>44
まあ、中華民国がどうのこうのというのは、理念の問題だから。
現実は、それとは異なる。 >>42
日本にさえ、「尖閣は日本が中国から奪った領土だ」という鳩山由紀夫政権ができたくらいだ。
日本人でありながら、沖縄で反日闘争してる変な連中もいる。
それだけ、どこの国にもいろんな人がいるということ。
「尖閣は我が領土」と主張する政権が台湾にできたって不思議はあるまい。 >>48
自国の領土を外国の領土だと言うような以上政権(この戦後80年誓いの歴史でたった半年しか
続かなかった)の話じゃなくて、
隣国の領土を勝手に土地登記したり、アメリカの業者に採掘権を売り渡したりした
中華民国政府、60年以上にわたって断続的に尖閣で乱暴狼藉を続けてきた中華民国漁民たちの
話ですよ。
たまに変なのがいる、じゃなくて、中華民国がそういう体質だということです。
馬英九の政策で、東日本大震災に250億円の義援金を送った。
福岡の地震でも、蔡英文の命令で200万円の義援金がおくられた。
そんなことに騙されてたら痛い目見るよってこと。 「韓国は実は親日だ」というのも、「台湾は実は反日だ」というのも、同じ穴のムジナ
「韓国=反日」、「台湾=親日」という図式化がそもそも単純すぎるだけ 伝統的に、緩衝地帯にある島国はその時時の景気がいい勢力に日和る傾向がある。
沖縄だって支那帝国と日本との両属だったし、台湾だけじゃない。というか、日本列島自体もアメリカの植民地でありながら中共と取引を始めてるしね。台湾は大陸系の連中と元々いた人たちが争っていると聞くがどうなのだろう。 >>52
韓国は、アメリカにつくべきか、中国につくべきかという議論でいつもモメている。
日本では、「中国と組むべき」という主張が、マトモな人からはまず出てこないので、そういう議論は起きない。 パイワン族つおい
日本軍 戦死6人、負傷30人
パイワン族 戦死30人 >>53
国内に167箇所もアメリカマンの基地があってどうやって寝返るの?日本を独立主権だと
考えてるのは日本人だけだよ。
世界的にはアメリカのオプションとして、国際的な場での日本の意見など誰もきかないし、
そもそも日本の話なんか聞いていないのだよ。アメリカが決めるわけだから最終的に。
韓国は自国にアメリカ軍基地があるのを承知で中共側に寝返っている。彼らからしたら
アメリカは韓国に
お仕置きができない(日本のえひめ丸事件みたいに事故と称して見せしめで民間人を沈めるとか)
と踏んでいるのでしょう。緩衝地帯の「どっちが弱っているか」という
嗅覚は結構優れていると思うけどな。 >世界的にはアメリカのオプションとして、国際的な場での日本の意見など誰もきかないし
そもそも日本の話なんか聞いていないのだよ。
それは昔の話
安倍晋三政権になってから大きく変わった >>52
台湾で原住民は、人口のわずか2%。
あとは漢人(大陸系)です。 台湾民主国(たいわんみんしゅこく)は、1895年の下関条約調印後、
列強の干渉を拡大させて日本への台湾割譲を阻止しようとする
清国側の外交的動きの中で生まれた一時的政権の名称である。 清国が干渉を期待していたロシア、ドイツ、フランス、イギリスが三国干渉に満足して台湾民主国を承認しなかったため、
台湾民主国軍は国際的承認のないまま台湾に上陸した日本の近衛師団に攻撃を開始。
しかし台湾民主国首脳陣の逃亡が相次ぎ、北洋大臣李鴻章も戦争の再発を恐れて早々に日本側の要求を受け入れ、樺山資紀台湾総督との間に台湾授受手続きを終了させたため、
台湾自立による割譲阻止策は失敗し、台湾民主国は約5カ月で崩壊した。
台湾総督府による全島平定宣言に至るまでの戦闘を台湾平定、台湾鎮定あるいは台湾征討と呼ぶ。 日清戦争に敗北した清国は、下関条約により台湾および澎湖諸島を日本に割譲した。
これは台湾在住者に全く知らされずに締結され、下関条約によって台湾在住者は日本人となることが決定した。
しかし日本が台湾領有後さらに南清に侵攻することを恐れた清国湖広(ここう)総督張之洞らの策動もあり、
その中で清国人であった当時の官僚と一部住民が協力し1895年5月23日に台湾民主国独立宣言を発表、24日には各国語に翻訳し駐台湾の各国領事館に通知している。
そして25日独立式典を実施し台湾民主国の成立を宣言した。 中国から自立し、日本に併合されるまでの短期間の独立。
韓国の場合は大韓帝国で、台湾のそれは台湾民主国だった。 >台湾総督府による全島平定宣言に至るまでの戦闘を台湾平定、台湾鎮定あるいは台湾征討と呼ぶ。
全島平定宣言って初めて聞いた。
台湾総督府による、というのは、大日本帝国による、ってこと? >>62
大韓帝国皇帝からの申し出により平和的に合邦できた韓国とは異なり、
台湾では現地人が抵抗して激しい戦闘が起きた。
全島を制圧するのは、当時の日本軍にとって容易なことじゃなかった。 なんで韓国と台湾を比べるの?
台湾はずっと清国の一部だったし、
今なお国際社会(国連)は、台湾を中国の一部とみなしている。 台湾には、当時すでに人口の8割を超える漢人(中国人)が住んでいたからね。
原住民だけなら大喜びで日本を受け入れたかもだけど、中国人が日本を受け入れるはずがない。 >>64
台湾は中共と戦争して勝ったけど、
下チョンは中共と戦争して勝てなかった >>66
台湾は中共と戦争して負けたから政府をそこに移したんだよ。 >>64
それは表面的な問題
韓国と台湾の近代史は、驚くほど似た歩みをしてきている
こんなに似てる2国も珍しい >>65
いや、それは誤解
朝鮮人と同じで、大陸系も「強いほうになびく」という意識が強い
台湾の原住民は無骨なため、強烈な武装闘争を始めた 朝鮮人や大陸系は、「我々は日本帝国主義と戦ったニダ」というウソの歴史を後から捏造したが、
台湾の原住民は、ほんとに戦ったにもかかわらず特に何も言ってない 日本統治を経験し、戦後の戦争(内戦)による分断国家という「民族的痛み」を共有し、
反共産主義という国是を共通して有する立場から、台湾と韓国は冷戦時代、疑似同盟とも
解される蜜月関係にあった。両国は互いを「血盟」・「友邦」・「兄弟の国」と呼び合った。
韓国は親しみを込めて台湾を「自由中国」と呼んだ。蒋介石、蒋経国、李承晩、朴正熙は
お互いの国を何度も相互に行き来する「盟友」と呼ぶにふさわしい信頼関係にあった。
現在、台湾には日本をはるかに凌ぐ「怨讐」とも言える反韓感情が渦巻いている。
親友から仇敵へ。戦後、台湾と韓国の間に何が起こったのか。
(古谷経衡 『知られざる台湾の反韓』より) でも、台湾の人口の98%が支那人であり、今では原住民も支那文明にどっぷりつかってるのは事実。
最近でも、ことあるごとに台湾の支那人や原住民が、日本人や日本を攻撃してきた。
これら↓は台湾人の日本に対する攻撃の実例の一部。
1955年、中華民国の活動家に襲撃を受け、第三清徳丸の船員9名中2名が射殺され4名が行方不明となる。
1968年、環境調査で台湾漁民による乱獲で海鳥が激減していたことが判明。
1969年、中華民国当局は付近海域の石油採掘権をアメリカのガルフ社に与えると共に、「青天白日旗」を尖閣諸島に掲揚し、世界中の通信社に配信した。
1970年 台湾籍船をはじめとした外国人の不法上陸や密漁に悩まされていた琉球政府は、米軍の支援を受けて違反事件の調査を行った。
1971年、中華民国(台湾)がアメリカ合衆国政府に対し、同日付の国務省宛て文書の中で、尖閣諸島を日本への沖縄返還から除外し、中華民国(台湾)の主権下に置くことを要求
1990年尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2隻が、魚釣島周囲の領海を侵犯。
1996年、台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海侵犯。4人が魚釣島に不法上陸。
1997年、5月、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海侵犯。 7月、1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海侵犯。日本の海上保安庁により領海外へ退去させられる。
2004年、1月、台湾当局が魚釣島を土地登記 (4月に判明)
2005年、台湾の巡視船が2回にわたり、尖閣諸島から12海里以内の海域に入り、海上保安庁の巡視船と対峙した。
2008年、領海侵犯した台湾の遊漁船「聯合号」に海上保安庁の巡視船「こしき」が衝突し、聯合号が沈没する聯合号事件が発生。数日後に台湾の巡視船など4隻が尖閣諸島沖の領海を侵犯 >>70
ガチで戦うと「強敵(とも)よ」と心が通じ合うんじゃね? 台湾が注目されるようになったのは16世紀の明朝時代になってからである。
倭寇の活動が活発化するにつれて、台湾は倭寇の根拠地の一つとして使用されるようになった。
また、大航海時代にあったヨーロッパ各国から多くの人々が来航するようになった。
日本への鉄砲やザビエルによるキリスト教伝来も、おそらくは台湾を経由してきたのだと思われる。 1971年に中華民国(台湾)との国交断絶を宣言して以来、日本政府は台湾(中華民国)を国家とは認めていない。
もちろん欧米各国も同じだ。
中華民国はあくまで中国の一地域。そうでなければ国際社会のメンバーではない、非国家。 >>80
ところどころ、賛成できないな。
高句麗はどっちかっていったら満州の王朝で、今でいう朝鮮の前身ではない。
それに、「倭国」は別に蔑称ではなく、「日本」と改名する前には倭人も普通に使っていた。
「倭国が大唐帝国に果敢に立ち向かう姿を見て新羅が発奮した」という話に至っては・・・どうなんだろ?(笑) >>79
建前としてはその通りなんだが、現実には日本もアメリカも、台湾との関係構築に動いている >>82
国家としてではなく、貿易相手としてでしょうね。 台湾人は、最近カネで親日演出しようとしすぎ。
しかも、政権変わってからはその金額もケチりすぎだし。
250億から200万円に減らすって、どういうこと?
馬英九の政策で、東日本大震災に250億円の義援金を送った。
福岡の地震でも、蔡英文の命令で200万円の義援金がおくられた。 >>81未だに倭(やまと)を蔑称だとするやつがいるのか
ネトウヨの教養なんてその程度なんだな 台湾人の圧倒的多数が道教と言う宗教を信仰しているという。香港でも、道教は仏教とならんで主要な宗教だという。
中国本土では共産党に徹底的に弾圧されて、寺院数も信者数も限られたものらしいが、
台湾や香港の主要宗教であり、世界中に散らばる華僑たちの多くが信仰しているという
「道教」とはいったいどういう宗教なのか。
台湾の宗教人口(内政統計年報2009年)
宗教名 信徒数 宗教施設数
道教 792,664 9,249
基督教 384,576 2,539
天主教 177,641 746
仏教 168,331 2,308 ヨーロッパなんてのは、それこそ千年以上騎馬民族やイスラムと戦ってきたんだから
世の中が綺麗事じゃないことぐらい分かってんだよ
そして、それと同じくらい綺麗事の大事さも分かっているそれがキリスト教
中国はアヘン戦争と植民地化で目覚めた
世の中はやる前にやらなければ負けることに
共産党の動きはこれで分かる
朝鮮半島も隣に中国、モンゴル、ロシアがいたから綺麗事じゃないことくらい分かっている
日本の場合、地政学的な幸運と何とかなってしまった歴史のため一番分かっていない ヨーロッパって騎馬民族と戦ってたことあったか?
中世の初めごろにフンやアヴァ―ルが入ってきたことがちょこっとあったぐらいだな
そもそもキリスト教は中東の宗教で西洋土着の宗教は全滅してるし そんなこと言ったら日本もモンゴルの襲来受けてるし
その程度で1000年以上騎馬民族と戦ってきたとか大げさすぎるわ
まぁ時の覇権国の庇護下のもと、何百年にわたって礼儀に適ってるか下らない名文論ばかりの朝鮮の両班より
国盗り合戦や謀略繰り返してた戦国大名のほうがよっぽど外交の冷酷さを理解してと思うがな
大韓帝国時代も外交のイロハも理解できず動脈ともいえる採掘権や鉄道敷設を外国に売り渡したあげく
後発の日本にやり込められまくってるし
これは大清帝国にしても同じだけど古くから西洋と折衝してるわりに何であそこまで外交下手だったのか不思議 台湾は中国人の国になるか非文明地域として放置されるか、
二択しかなかったのだろうか
独力で中国文明を吸収とかはむりだったのだろうか 最初のきっかけは福建省とかの国家の亡命政権ができるとか、
王子に領土として与えられたとかでいいと思う
ビン越ってあったからあれの亡命政府だな >>92
東南アジアや南インドもそうだけど、ああいう南の国々というのは、
古来から海洋貿易の拠点で、見た目より繁栄してきた >>95
台湾は全くはってんしてないだろ
少なくとも先住民は >>97
やはり、日本との貿易の拠点としてオランダ人に注目されたのが、台湾にとっての実質的なスタート 台湾の宗教人口(内政統計年報2009年)
宗教名 信徒数 宗教施設数
道教 792,664 9,249
基督教 384,576 2,539
天主教 177,641 746
仏教 168,331 2,308
台湾に仏教がこんなに少ないとはショックだ。
中国本土でもイスラム教徒がすごく多いと聞いた。
仏教国と言えるのは日本と韓国だけなのか? >>99
>仏教国と言えるのは日本と韓国だけなのか?
タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、チベット、蒙古、ブータン、スリランカ >>99
韓国は仏教国とはいえない
李朝500年の弾圧で衰退し、山寺がチラホラ残っているという程度 >>101
だが仏教徒は1000万以上居る
儒教徒は居ない 儒教徒より仏教徒のほうが遥かに多いのは確かだろう
儒教徒数なんて宗教統計にも載ってない
つまり統計取れないほど微々たる数ということだ >>106
「私は儒教の信者です」と申告する人がいないだけの話
韓国は、儒教社会そのもの >>107
なら儒者は何万人居るのかね?
もちろん仏僧より多いんだろうな >>109
なぜ、数字にこだわる?
「私は儒者です」とか、「私は儒教の信者です」と申告する人は少ないし、
そもそも、自分が儒教の徒であることを自覚すらしていない人が多い。
でも、人々の思考や生活に深く根を張り、縛っている。
それが、儒教という宗教の特徴。 台湾にも孔子廟があり、儒教の影響はもちろんある。
でも、その影響の度合いは、韓国と比べれば大幅に低い。 >>108
仏教に葬式はないが、ついでに言うと先祖供養も霊魂という概念もない
つまり日本人が崇拝している仏教は仏教の姿を借りた儒教と言うこと 仏壇も位牌もどう見てもインド風のデザインでは無くなく中華風のデザインだしな 日本の仏教は先祖供養ばっかりだな
先祖供養が儒教だということすら忘れ去られている 中国・台湾では、儒・仏・道の三教がフクザツに混ざりあっており、
宗教の分類に詳しくない世間の一般人は、どれがどれだか
マトモに区別がついていない。
日本の場合は、これに神道が加わる。 「日蓮大聖人の本を配ってます」という人が家に来た。
「日蓮大聖人こそ、久遠元初のご本仏である」と書いてあった。
釈迦にはまったく興味が無さそうな人たちだった。 「釈迦より日蓮のほうが偉い」というのは、「モーセやイエスよりマホメットのほうが偉い」というのと同じようなものだ。
もはや、仏教ではなく、別の宗教と呼ぶべきであろう。 >>118
釈迦より上の存在の日蓮をも、さらに上回るお方 台湾の宗教人口(内政統計年報2009年)
宗教名 信徒数 宗教施設数 聖職者数
道教 792,664 9,249 -
基督教(プロテスタント) 384,576 2,539 4,362
天主教(カトリック) 177,641 746 1,785
仏教 168,331 2,308 -
一貫道 17,634 201 -
イスラム教 5,952 5 21
バハーイー教 2,265 2 12
天理教 1,659 22 80
サイエントロジー 1,000 1 30
儒教 790 14 -
軒轅教 314 8 -
弥勒大道 267 2 -
天徳教 242 5 -
理教 212 6 -
真光教 100 1 1
黄中 39 1 -
天帝教 33 1 -
その他 957 ≧ 6 ≧ 15 道教は漢民族の伝統宗教であり、西晋末から明代にかけて中国大陸全土に広まり南方の正一教(天師教)と北方の全真教の二大流派が形成された。
台湾の道教は南方系の正一教であり、護符や呪文の宗教儀式を重視した内容となっている。 なんだかんだで高砂族も、領有直後から昭和初期まで武装反乱繰り返してて反日だけどな。 むりやり天皇家中心で同化させようとするから反発したんじゃないの?
蝦夷にやったように、蝦夷系の神を別に神社に祀ったように穏やかに自主的に進めていけば良かったんだよ。
出雲大社みたいな扱いは無理にしても… >>124
というより、朝鮮・台湾・南洋諸島の中で、マトモに武装反乱したのは台湾の原住民だけだった。
朝鮮人なんか、後から「義兵闘争」とかいうウソの歴史をデッチ上げただけで、実際には従順もいいとこ。 台湾のオランダ統治時代は、オランダの東インド会社が台湾島南部を制圧した1624年から、
鄭成功の攻撃によってオランダ東インド会社が台湾から完全撤退した1662年までの37年間を指す。
日本が鎖国するちょっと前から、ちょっと後まで、短い間だけど、台湾も西洋列強の傘下に入った。
朝鮮人がよくいう「日帝36年」と、なぜか年数が似ている。 1622年、オランダ東インド会社(The Dutch East India Company)はまず明の支配下にあった澎湖を占拠し、東アジアに於ける貿易拠点を築いた。
その後1624年には明軍と8ヶ月に渡る戦火を交えた。
両国の間で和議が成立し、明は澎湖の要塞と砲台を破棄し、オランダ人が台湾に移ることを認めた。
このようにして台湾を占拠することとなったオランダ人は、一鯤鯓'(現在の台南市安平区)に熱蘭遮城(Zeelandia)を築城し、台湾統治の中心とした。 スペインが統治に乗り出すまでは歴史らしい歴史がほとんどなかったフィリピンと同様、
台湾の歴史も、オランダが統治し始めたことが事実上のスタートラインとなった。
それまでにも日本人や中国人が移民していたが、これといった歴史がとくにない。 安平古堡(あんぴん こほう)は旧称を奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)、熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城、台湾城ともいう、1624年に建設された台湾で最も古い城堡。
建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていた。
現在は台湾城残蹟の名称で国家一級古蹟に指定され、一般にも開放されている。
なお現存する赤レンガは当時インドネシアから運ばれてきたものである。
住所は、台南市安平区国勝路82号 台南といえば、担仔麺が有名だ
ちっちゃくて、わんこそばに似ている 長い台湾の歴史から見たら、日帝統治もオランダ統治と変わらない。
日帝時代は、いわば瞬間風速みたいなもの。 でも清の統治も日本の支配と変わらんと
思うけどな。
清は女真族の国だし
台湾の中の人も異民族の支配から
異民族の支配に変わっただけと
認識していた人も少なからず居たんじゃ
ないの?
大体、台湾を領有した国って
清と日本だけなんだよな。 台湾が清に制服されるまで鄭氏は明の皇族を担いでいたわけ? 鄭成功は、日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川マツの間に生まれた。
鄭成功の父、鄭芝龍は福建省泉州府の人で、平戸老一官と称し、平戸藩主松浦隆信の寵をうけて川内浦(現在の長崎県平戸市川内町字川内浦)に住んで田川マツを娶り鄭成功が産まれた。
たまたま、マツが千里ヶ浜に貝拾いにいき、俄に産気づき家に帰る暇もなく、浜の木陰の岩にもたれて鄭成功を出産したという逸話があり、この千里ヶ浜の南の端にはこの逸話にちなむ誕生石がある。
幼名を福松(ふくまつ)と言い、幼い頃は平戸で過ごすが、7歳のときに父の故郷福建に移る。 1644年、李自成が北京を陥落させて崇禎帝が自縊すると、明は滅んで順が立った。
すると都を逃れた旧明の皇族たちは各地で亡命政権を作った。
鄭芝龍らは唐王朱聿鍵を擁立したが、この時元号を隆武と定めたので、朱聿鍵は隆武帝と呼ばれる。
李自成の軍は、精悍な清の軍勢の入関によってあっけなく滅ぼされた。
隆武帝の軍勢は北伐を敢行したが大失敗に終わり、隆武帝は殺され、父鄭芝龍は抵抗運動に将来無しと見て清に降った。
父が投降するのを鄭成功は泣いて止めたが、鄭芝龍は翻意することなく、父子は今生の別れを告げる。 その後、鄭成功は広西にいた万暦帝の孫である朱由榔が永暦帝を名乗り、各地を転々としながら清と戦っていたのでこれを明の正統と奉じて、抵抗運動を続ける。
そのためにまず厦門島を奇襲し、従兄弟達を殺す事で鄭一族の武力を完全に掌握した。
1658年(明永暦十二年、清順治十五年)、鄭成功は北伐軍を興す。
北伐軍は南京を目指し、途中の城を簡単に落としながら進むが、南京では大敗してしまった。 鄭成功は勢力を立て直すために台湾を占領し拠点にしようと試みた。
当時の台湾はオランダ東インド会社が統治していたが、鄭成功は1661年に澎湖諸島を占領し、
翌1662年2月21日に台南のゼーランディア城を落としてオランダ人を一掃し鄭氏政権を樹立した。
しかし、その年の6月、熱病にかかり同6月23日に死去した。その後の抵抗運動は息子の鄭経に引き継がれた。 明から清への王朝交代という東アジアの激動の中、オランダに統治されていた台湾は、独特のポジションにいた。
オランダの統治は大昔から続いていたわけではなく、「たまたま、そうなっていた」という程度の偶然に近い状況。
ここに目をつけた鄭成功は、オランダ人を追い出して、ここに反清復明の抵抗拠点を築いた。 オランダ東インド会社と鄭成功のおかげで、東アジアの歴史に「台湾」が登場した。 明代から福建人が殖民してたから文明と全く無縁だったわけではないが
当時は全く歴史に登場しないね で、清による征服までずっと明の皇族はいたのかそれとも鄭氏に禅譲したのか 明も一応、澎湖諸島については領土という意識があったし、ここを取りに来たオランダ東インド会社と交戦したりもしてるんだが。
そのわりに、台湾の存在感は皆無。 鄭氏政権(ていしせいけん、1662年 - 1683年)は、17世紀の台湾に存在した政権。清朝への抵抗拠点を確保するために、鄭成功が台湾を制圧することで成立した。
台湾で初めて漢民族政権による統治が行われたが、清朝の攻撃によって政権は20年強の短命に終わった。 オランダ統治が37年間で終わったのと同様、その後の鄭氏政権も、たったの20年間で終わった。
名高いわりに、たいした長さでない。 鄭氏政権は、地方に割拠した一政権であるが、名目的には明朝暦法を奉じ、「回帰大陸」を究極の目的とし、政策立案や教育に関してもこの原則に従って実施されており、事実上の亡命政権であった。
それまで琉求、夷州等さまざまな名称で史料に登場し名前が定まっていなかった台湾地区が、「台湾」と認識されるようになった。 >>148
明の皇族は、「南明」と呼ばれる残党勢力になり、華南を転々として、それこそ難民みたいになっていた。
最後は、ミャンマーにまで逃げ込んだが、そこにも清の手が回っていた。
南明の皇帝は、ミャンマー王に裏切られて、清に引き渡されてしまった。
台湾には行ってない。 そもそも、鄭成功だって、台湾にいた時期はほんのわずか。
台湾を拠点にしてすぐ、熱病にかかって死んでしまった。 オランダ統治も鄭成功も日帝支配も瞬間風速みたいなものにすぎない。 >>157
日帝支配は、他の2つを合わせたくらい長い >>148
皇族は擁してない
それが鄭氏政権の弱点だった
反清復明の旗印も担ぐ神輿が居なければ虚しいだけ チベットは清時代は清の一部であって中国の一部とはいいがたかったと思うが、
(満州も末期までは)
台湾はずいぶん早くから中国人の地域になってたんだよな >>161
日本の国内でさえ、反日左翼勢力があるくらいなんだぞ。
「サンデーモーニング」を見ればわかるだろ(笑)
韓国にも台湾にも中国にも、反日勢力もあれば親日勢力もある。
どの国にもいろんな人がいるんで、どの角度から見るかにかかっている。
「韓国は実は親日なのだ」とか、「台湾は実は反日なのだ」とか、そういう議論は無意味。
台湾に到着して1年ほど経った1662年5月、明王朝の再興は成し遂げられぬまま、鄭成功は39歳の若さでこの世を去った。
その死を知った厦門(アモイ)の長男鄭経はすぐに台湾に向かい、後継体制を整え、すぐに厦門(アモイ)に戻るが、
1664年、清軍に攻められ、台湾へ逃れる事になった。明王朝再興はこれで諦めざるを得ない状況になった。
しかし、鄭経も父鄭成功と同じ39歳で死去するまでの19年間、中国大陸の明王朝再興の事ばかりを考えていたため、
台湾経営の政務には関心も無く、鄭成功以来の重臣である陳永華がその任に当たっていた。
陳永華の功績は大きく、土地制度、戸籍、行政機関を整備し、鄭氏政権の基礎を築いた。 鄭経が台湾に移った後、清はすぐに台湾を封鎖する政策を取った。
東南沿海5省の住民に対し、沿岸から約17キロの内陸へ移させ、さらにその間の土地での居住、農耕のほか、
立ち入りさえも禁じた。また、漁船商船の出入港も禁じた。
しかし、これは清にとって反対の結果となり、密貿易が盛となり、封鎖政策に困窮した住民がどんどんと台湾へ移住して行った。
住民が増えた台湾では、開拓が進み、耕地面積も飛躍的に増加した。
開拓の一方で、鄭経の政権は、財源確保のため、オランダ以上の過酷な徴税を行っており、次第に住民の抵抗は最高潮に達していた。
中国からの移民の増加により、原住民は漢民族の支配を受けるようになり、少数民族へと移行していった。 1681年2月の鄭経の死後、後継者争いの内紛が生じ、清打倒明再興派と台湾経営重視派に別れた。
台湾経営重視派の陳永華が破れたため、清打倒明再興派が擁立した鄭克ソウ(土へんに「爽」)が後継者となった。
清は福建省に、鄭氏を裏切り清に寝返る投降者を奨励する役所を設け、寝返る者を優遇する作戦に出た。
この作戦は大当たりし、鄭氏を裏切るものが後を絶たなかったという。 オランダ統治と鄭成功で始まった台湾の歴史
その後、200年に及ぶ清の時代となる
しかし、清の朝廷は台湾にあまり関心がなかった
もともと、反乱分子の鄭成功を征伐するために仕方なく台湾を攻めたんで、
反乱拠点にさえならなければ、台湾など正直どうでもよかった 台湾は先進国だから、同性婚を合法化するぞ。
かつて台湾で普通に行われていた男性同士の結婚を禁止したのは、
明治時代の日本人総督だったし。
とすると、かつて男色・衆道があれだけ盛行していた我が国は、
明治維新以降とことん哀れな欧米猿真似国家に成り下がったのか!
これも関東なんぞの僻地へ天皇が下ってしまったからだナッ!!! アメリカンを火炎放射器で焼き殺せ!
彫りが深いマレーシア人に
アメリカンを近づかせない
為に
アダルトビデオの撮影で
アダルトビデオの収録現場で
アメリカンのポルノアクトレスを
火炎放射器で焼き殺せ! 台湾の清朝統治時代(しんちょうとうちじだい)とは、清朝(当時の中国)が鄭氏政権を倒して台湾を編入した1683年(康熙22年、永暦37年)から、
日清戦争の敗戦に伴って清朝が大日本帝国(当時の日本)に割譲した1895年(光緒21年、明治28年)4月17日までの時代である。 清朝は台湾についてほとんど投資を行わなかったために発展は遅れたが、清朝が台湾を領有した当初から、米穀が豊富にとれたために、福建・広東の穀倉と称された。
さらに19世紀には茶・砂糖黍・樟脳・鉱業の生産地として発達し、出荷地として都市化も進み、帝国主義時代には台湾民主国が成立する背景となった。 清朝は、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で福建省の統治下に編入した。
ただし、台湾を「化外の地」としてさほど重要視していなかった為に、統治には永らく消極的であり続けた。
土牛溝によって番界という台湾原住民の生活域と漢人の生活域をわけ、台湾原住民を化外の野蕃として放置し続けてきた。 清は、反乱勢力の鄭成功を討伐するために台湾を攻めた。
台湾には関心なかったが、また反乱の拠点になるのを恐れて、一応、福建省の傘下に入れた。
化外の地として放置されていた台湾だが、停滞していたわけではなかった。
そんな台湾が本格的に発展するのは、19世紀に入ってからのこと。
移民で人口が増え、貿易の拠点として繁栄し始めた。
>>177
反清復明の旗を降ろして、清の朝貢国になる道もあったと思われる >>178
長く続いていれば、それも考えた可能性がある
だが、薩摩藩は強敵だ 日本乞師のとき取次してくれたのが琉球と薩摩なのに
そいつらに刃向けるとかさすがにできないだろ 清の朝貢国の中では、琉球王国の格が高くて、朝鮮王国よりも上だった 福建省か広東省で新興宗教みたいの流行れば、台湾先住民に文明を広めにいくやつも出たかも知れん >>183
また、台湾用の文字とかも作り出すかもしれん
キリル文字みたいに 台湾ドラマを見ると、若者が中国語を話し、年寄が台湾語を話していることが多い。
中国語といっても、台湾の発音は独特で、聞けばすぐ台湾人とわかるんだが。 清国の台湾領有は212年にわたるが、1874年日本軍の台湾出兵までの190年間は消極的な態度で台湾経営を行っていた。
ただ清は台湾が無法者の巣窟となることを防ぐことに重点を置いていた。
そのため、台湾への渡航は開放されたが、大変厳しく制限された。治安対策のためだ。
しかし、このように政府が消極的であっても、福建省や広東省の移民は増える一方で、農業開発はゆっくりだが着実に進歩していった。
1700年代の後半に入ると、移民の開発はこれまで未開だった東海岸にまで及び、東北部には役所までが設置されるようになった。
民間の活力に押されて、政府が急遽対応した形になる。 台湾経営が消極的で治安維持に重点を置いていたのも、清の領有212年の間に大小100件の武力蜂起が発生したこと、マラリア等の風土病が蔓延し、清の官吏が台湾赴任を嫌がっていたことに理由がある。
こうした武力蜂起は移住民によるもので、台湾に赴任した清の官吏の不公正、汚職に対する不満が主な原因となっていた。
台湾に赴任する官吏には優秀な者は少なく、給料も低かったため、汚職や賄賂は日常的だったようだ。
こういう悪習は中国官吏の伝統かもしれないが、台湾の場合は、官吏の腐敗は極めて深刻だった。
大きかった事件では、1721年朱一貴の役、1786-7年林爽文の役、1862-4年戴潮春の役があり、「三大反乱」と呼ばれている。
これらの事件の鎮圧には、台湾駐屯の部隊では間に合わず、中国本土からの精鋭部隊の援護を必要とした。 台湾には客家も多いが(李登輝など)
客家語も使うのだろうか 「台湾のシリコンバレー」と呼ばれる新竹には客家人が多いらしい オランダ→清→日本
原住民の歴史は知らないが
首狩り族の話は知ってるよ
自らを犠牲にして首刈りをやめさせた役人の話なら >>183
風前の灯だったマニ教が
福建から新天地台湾に布教されて息を吹き返す、とかなw >>195
やっぱ大陸でマイナーな宗教が広まったほうがおもしろい 台湾から中国に輸入の食品、「中国台湾地区」と書かなければ廃棄―台湾メディア
http://www.recordchina.co.jp/b520888-s0-c20.html
→質のいい台湾製より質の悪い中国製が好きなのかw 本来はそうだろうな。
日本でも原産国:台湾
の表記が、中国人観光客により中国側にそのうちばれるだろう。 日本の出版物とかもそのうち中国人観光客によりばれるだろう。 機器猫ティントン(漢字は忘れた)がパッちもんのタイトルだったはずだけど、正規品と同じ音訳のタイトルのパッちもんまであるとは恐れ入った
まさかしんちゃんみたいに先にパッちもんが権利をとってるとかないよな >>185 漢語の「方言」に対する独自の文字としては、湖南省の「女書」があるから、台湾語でも可能性はあったかも 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
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