唐宋変革期
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中国の社会は8世紀から11世紀にかけて,王朝でいえば唐から宋の間に大きく変動したので,この時期は唐・宋変革期とよばれている。
その変化の一つは,支配階級の交代である。… 宋代のヨーロッパに時計も旋盤もないし、そもそも需要が無い
王様も文字読めず官僚組織もなく経済は自然経済で農奴からの現物貢納で暮らしていたのだから必要ない >>435
紙や羅針盤だけじゃ機械文明にはならないのが中国が証明してるよな 違う時代同士を比較しても意味ない
近世ヨーロッパと大日本帝国比較してすごいすごいしても何の意味もない
比べるなら同時代 五代十国初期で固定
江西省南部にあったカンという山岳の国がスイスポジションで時計を極める >>421
ソ連と対照的なのは中国
雑貨みたいのから積み上げることで今日のような経済大国に だから最初にいった通りだろ
宋代は工業がダメだから近代化できなかった 思えば携帯電話も性能が一定に達するまでは一般人からは縁遠いものだった >>436
オマエって無知なくせに願望に基づいてデマを事実かの如く断言するよな
貿易船に積んでた起重機も機械だし高炉や窯に用いる水力式の鞴も機械、跳ね橋や竜骨車や石臼も機械 >>440
スイスの機械時計はすでに確立した伝統工芸だからこそ価値があるんで
今からそれは無理だろう
今更機械時計なんか作ってもただの時代錯誤
今からブラウン管TVの生産を始めるようなものだ 中国では、技術は開発するものではなく、先進国から導入するものだという意識が根づいている
だから、人件費が上がるにつれて製造業がダメになり、ますます不動産バブルに依存する国になってきた >大日本帝国は中世か?まぁあんな失敗国家、古代と呼ぶことすらおこがましいレベルだが
遠からず、中華人民共和国もそう言われることになるな 「宋までは近代ヨーロッパに匹敵する超先進国だったが、モンゴル人の侵略で国土を荒廃させられたアル」
って、ウリナラ史観の中国版だな
さすがに「大朝鮮」と言われるだけあって、朝鮮人と傾向が似ている 宋の都・開封は、洪水の多い黄河にあるおかげで、土砂に埋もれて跡形もない
その後、北京で現在の中国の基礎を築き上げたのは、明らかにモンゴル帝国
現在の中国は、モンゴル帝国の後継国家 そしてその工業力が高い明代ですら近代化がかなわなかったのに
宋代とか笑わせるわ 薊、燕京から大都に看板架け替えしただけの都市が元代北京
三千年前から殆ど動いて無い
>>456
人間は時代が下るに連れ常に技術を発達させて来たんだよね
平安時代→鎌倉時代や宋→元みたいな粗野未開な政権への交代を除いて かつては、長安からラクダを引いた隊商がシルクロードを往復していたが、
モンゴル帝国の出現により、北京から馬でモンゴル高原に抜けるルートが主流になった。
北京が世界的な商業ネットワークの中心になったのは、そのおかげ。
それまでは単なる辺境で、防衛上の拠点という意味合いが大きかった。 モンゴル帝国が築いた紫禁城が、明清に受け継がれ、中華人民共和国でも人民支配の拠点となっている。
天安門広場の大虐殺は記憶に新しい。 今の中国が始まったのは、モンゴル帝国のとき。
明清や中華人民共和国は、モンゴル帝国を継承した後継国家。 >>458
中華民国から中華人民共和国への交代こそ、最も野蛮な後退だった。 >>459
元代も主力は貿易船に由る南海交易、遊牧民の需要を満たす為の陸上ルート
遼、金、元の様な塞外に本拠を持った王朝にとって何時の時代も北京は重要
オルドスや燕山山脈の南側が乾燥化して以降は特に >>460
天安門広場で死亡者なぞ出て無いにも拘らずデマを垂れ流す無知蒙昧 >>464
もはや、信仰の域に達しとるな
中共にも、まだ支持者はいるんだねえ >>463
確かにそうなんだけど、金や元の頃の北京の商都としての大繁栄ぶりは、後の時代までの語り草 >>465-466
上2枚が何の関係も無い写真だと判明してるし
現地入りしてた取材班もそう証言してるのに
訂正も謝罪もせず捏造ゴリ押しのまま放置なんだよな >>464
中国共産党の公式発表では、「事件による死者は319人」となっている >>469
反逆者が鎮圧されたのわ、天安門広場じゃ無く
米国商務省の金で只飯食ってた連中が暴徒化して
略奪を始めた商店街が主な >>455
プロデュース():モンゴル人
設計:漢民族
製作:漢民族
デザイン:漢民族
資材調達:漢民族
労働者:漢民族
ってとこかね? >>449
いや国境が五代十国の最初らへんで固定さるてたら、っていう話 「天安門大虐殺は無かった」なんて奴が、いまだにいたのかよ
アフォもここまで来ると稀少価値が出てくる >>382
毎度お馴染みの武経総要だった。10巻11巻 結局宋代はローテクな第一産品中心社会だったってことで結論がでたな
天安門の虐殺がなかったとか言ってる中国人の過剰評価がうざすぎ >>477
主な輸出品は工芸品の陶磁器、鉄鋼製品、紡績品や織物
一方の欧州は薬用植物、香料、ワイン、白人奴隷 いつもは互いに戦い、北方民族に対しては会盟で対抗が理想 一次産品の主体のゴミだと世界経済史にのっちゃってるね
中国人さんよ〜 明以下の技術力で近世欧州と比較しようなんてほんとに中国人はずうずうしいな ソース元の名大の出してる世界経済の歴史によると
>>中国の製鉄技術が先進的でヨーロッパより1000年以上前から鉄の鋳造を行いながら、鉄が記念碑などに用いられ、
>>産業向けに鉄が使われることは少なく、ヨーロッパのような鉄の文化は中国では根付かなかった
>>それとは別に貨幣や手形が急速に発達し、銅銭や紙幣が使われた。
>>取扱い商品の中心は、工業品ではなく、農業、林業、水産業などの第一次産品で、
>>農業内部では地租納入向けの生産から市場向け生産への大きな転換がみられた
>>宋では商業活動を支える都市と都市近郊型農業が発達した >>483
日本の大学って低レベルで不誠実だからね
数々の隠蔽、改竄、捏造事件で明らかな様に >>485
そろそろ、スッこんで祖国に帰れよ
煤煙にまみれた大陸の空がお前を待ってるぞ >>483
結局のところ、人口が多いから食料のニーズが多い。
内陸の奥地にまで塩の供給が必要。
・・・というような理由で商業ネットワークが発達し、貨幣経済が進展した。
それだけの話。近代工業など、中国から出てくるはずもなかった。 >>486
実際問題、冗談かと思うような改竄紛いの引用や作文が溢れてる日本の史学 、内藤湖南という人物
1866−1934 ・教師・ジャーナリスト・学者
二十年ごとに一区分
雄大かつ独創的な東洋史の体系を作り上げた:
中国史四部作 (『支那上古史』、『中国中古の文化』、『中国近世史』、『清朝 史通論』)
時局論:『支那論』(1914年)、『新支那論』(1924)など
世界的にも有力な時代区分:「唐宋変革、宋代近世」説
議論の大きな特徴:歴史論と時局論の融合 基本認識:清朝の崩壊と共和制の成立を必然の趨勢と見なし、 宋以後の平民台頭の趨勢の上に革命後の共和制を位置づけ、 その共和制は伝統的な地方自治団体「郷団組織」によって担わ れるべきだ。
いくつかの根拠
@中央に対する地方の関係の特徴
「求心力」(兵力、財政経済、思想)の崩壊
「遠心力」(民衆の力量の伸張、地方自治組織の発 達 )の発展
➡共和制中国の建設の基礎 は「郷団自治」の力 A「地方分権」と「政治上の徳義」
中国時局に対する期待:「共和政治」の実現と、「中央集権」 への反対。
清朝の弱さの原因は、国家の危機に対して官僚が無責任、 民衆が無関心であることにあり、それらはいずれも君主への 権力集権化の必然的所産。
B「聯邦制」論
当時の輿論・・・積極干渉論、仲裁講和論、南北対立論・・・ 湖南:武力統一反対、不干渉静観論を唱える
革命の大勢として中央集権的共和国に決着が付くが、 理想像としては、中国社会の単位としての小さな「郷団」を国 家体制の基盤に配置し、
「郷団自治」を中核とする共同体組 織を生かした上での「一種の変形した聯邦制度」を」提唱。 三、「近世」への視座ーー辛亥革命に つながる「唐宋変革」論
「上古―中世―近世」の時代区分の図式:
第一期 開闢より後漢の中頃まで……上古 第一過渡期 後漢の後半より西晋まで
第二期 五胡十六国より唐の中世まで……中世 第二過渡期 唐末より五代まで
第三期 宋元時代……近世前期
第四期 明清時代……近世後期 内藤の東洋史観に着目し、彼の歴史認識に焦点を当ててみると、2つの主張を展開していることが分かる。ひとつは「文化中心移動説」、ひとつは時代区分論を展開する「唐宋変革説」である。
前者は、ある時代、ある地域に形成される文化・文明は当時の時代の趨勢や土地の高低、山・川の配置により育まれていくものであるが、それは永遠に不変のものではなく、発展・変遷し、進化するものであるという説である。
たとえば、中国文明は全土を九等分して九州と呼んだ時代の冀州、豫州に起源し、そこから洛陽を中心とする初期文明が形成された。
しかしながら、戦国末になると、洛陽はその活力が衰え、前漢の後は長安文明がこれに代わって栄え、中国史における有名な長安の繁栄を迎えるのである。
だが、長続きはしない。唐朝の衰えとともに長安の地の風格や気品も影を潜め、中国文明の中心は燕京(北京)に移っていく。
ただ、燕京は、これまでの文化の中心地洛陽、長安とは少し様相を異にしていた。
燕京は東北の地の利を生かし形成された政治の中心地であり、
文化の中心は、長安(西安)が衰退後は徐々に六大古都のひとつである南京を中心とする長江の南岸地域、江南に移っていったのである。
江南は宋以降、中国の文化・文明の先進地となり、政治の中心は北、文化の中心は南という2つの勢力が確立された。
内藤はこう予言している。「東洋の文化の発展においては、時にその民族や国境を越え、ひとつの“東洋文化圏”を形成する。
今後、中国文化の中心は日本に移り、日本が中国文化の復興を実現するだろう。これこそ近代日本国家の使命である」と。 内藤湖南の「唐宋変革論」は中国史を時代区分の考え方で論じる説であり、この説は日中双方の中国史の研究に深い影響を与えた。
彼が導き出した答えは“宋代”であった。宋代以降の近世は誤った考え方が横行しており、中国が未来に前進するためには、貴族の支配下から解放され、
これまでの形式重視から自由な発想を重んじる文化へ移行しなければいけないと気付いたのである。
だからこそ、この宋代近世説の考え方は、同時期の世界各地に比べはるかに先進的で、高度に発達した輝かしい文明を有していたのである。
これは今から一千年近く前の中国であり、まさにこの早熟すぎた文明のために、現在の政治腐敗、経済的貧弱を誘発し、出口を求めて奔走する中国、これこそが今の中国なのである。 宋代社会については宮崎市定の見解が最もしっくり来る
もちろん内藤湖南が師だから内藤説をふまえてる 「International Industrialization Levels from 1750 to 1980」
世界各国の工業生産比の推移
1750年 1800年 1830年 1860年 1880年 1900年 1913年
アメリカ 0.1% 0.8% 2.4% 7.2% 14.7% 23.6% 32.0%
ロシア 5.0% 5.6% 5.6% 7.0% 7.6% 8.8% 8.2%
イギリス 1.9% 4.3% 9.5% 19.9% 22.9% 18.5% 13.6%
フランス 4.0% 4.2% 5.2% 7.9% 7.8% 6.8% 6.1%
ドイツ 2.9% 3.5% 3.5% 4.9% 8.5% 13.2% 14.8%
イタリア 2.4% 2.5% 2.3% 2.5% 2.5% 2.5% 2.4%
日本 3.8% 3.5% 2.8% 2.6% 2.4% 2.4% 2.7%
中国 32.8% 33.3% 29.8% 19.7% 12.5% 6.2% 3.6%
日本が低いのは想像通りなのだけどフランスとイタリアも想像以上に低いな
中国はやはり太平天国の乱と八か国連合軍による植民地化のダメージがデカいっぽい そういや明の時代は日本と中国は文明度に大分差があったとおもうけど、
それは江戸時代に逆転したという理解でいいの >>496
読めないぞ
手抜きせずにちゃんと整形しろよ
1750年 1800年 1830年 1860年 1880年 1900年 1913年
アメリカ 0.1% 0.8% 2.4% 7.2% 14.7% 23.6% 32.0%
ロシア 5.0% 5.6% 5.6% 7.0% 7.6% 8.8% 8.2%
イギリス 1.9% 4.3% 9.5% 19.9% 22.9% 18.5% 13.6%
フランス 4.0% 4.2% 5.2% 7.9% 7.8% 6.8% 6.1%
ドイツ 2.9% 3.5% 3.5% 4.9% 8.5% 13.2% 14.8%
イタリア 2.4% 2.5% 2.3% 2.5% 2.5% 2.5% 2.4%
日本 3.8% 3.5% 2.8% 2.6% 2.4% 2.4% 2.7%
中国 32.8% 33.3% 29.8% 19.7% 12.5% 6.2% 3.6% インド 1750 24.5
前近代だと単なる人口の指標にしかなってない 人口が増えたのも関わらず明治は江戸時代以下の水準に落ち込んでいるので
明治維新は過大評価だな 中国の人口 1750年 25900万 インド 18100万 UK 930万 フランス 2470万 日本2900万
日本は1820年の推計だとGDPでも一人当たりで中国抜いてる それにこの指標みても技術格差はわからん
1人当たり生産性が中国より高かった1750年のインドはすでにイギリス・フランスに太刀打ちできなくなってる 18世紀のムガール帝国とかアウラングゼーブ以後はニザーム、アワド、ベンガルが独立
マラーター同盟に首都が包囲されたり、イランやアフガンまで侵入してくる始末で
イギリス、フランスと戦ってる余裕はないが 18世紀だと、清はまだ雍正・乾隆の極盛期
オスマン帝国は、だいぶ衰退してはいたが健在
ムガール帝国は、一足お先に崩壊していた >>505
そういう基準でいうとヨーロッパは常に分裂内戦中になるし、まありあてにならない いや戦ってるだろ
ベンガル軍40000対イギリス人1000インド傭兵7000で負けてる >>500
それ、単に願望だよね
>>496の図表は相当疑問有るけど
>>503
18世紀中葉のムガル帝国は既に幕末や晩唐末みたいな有様 >>506
ヨーロッパなんて国なぞ無い
願望と現実の区別を付けろよ どっちにしても中国18世紀だと一人当たりだとインド以下だな >>507
それインドVSインド&イギリスの戦いであってインドVSイギリスじゃないよね >>510
数字的にわ人口爆発で急激に零細農民増えたからね、あと
大清帝国は色々時代逆行してるのと
明も糞みたいな財政制度が祟って中期以降金が無く非民生分野が停滞してたから >>511
イギリス人の資本で雇ったイギリス式軍隊のイギリス軍だろ
だからベンガルはイギリス領になるんだよ
ちなみに同時期清はビルマ遠征大失敗だな >>514
解説してやったのに言い訳乙とか意味不明過ぎだろ フライング・タイガースも中国資本で動いてるんだから中国軍な
よって中国空軍>>>>>>>>>>日本帝国の空軍 まあ実際はやってみないと分からんよ
日本はロシアと清とイギリス艦隊に勝ってアメリカに負けて、中華民国中華人民共和国ソ連には負けたと思って無いもの 普通に王朝崩壊後の内戦で弱体化してた中国に負けたんだけどな大日本帝国は
兵士と兵器の損失を重ね開戦数年で兵士の4割が傷病死で戦闘不能
兵器の6割が毀損、補充も乏しく更に無理を重ねるハメに アメリカには負けたけど他には負けてないとか思ってるうちは完全な完敗だよな。
外交が下手くそだと何をどうやっても負け組になってしまう典型だよ。 燕が河北を統一できたらこの状態をもっと長く続けれたんじゃないかと >>522
海岸に並ぶ沿海部の諸省 (河北省・山東省・江蘇省・浙江省・福建省・広東省)が、
すべて別の国に分かれているというのが最大の特徴だろう。
後は、内陸部の大国・四川省と湖北省が独立。 沿海部には、経済の発達した有力な省がズラリと並んでおり、どの省も独立国として十分にやっていける実力がある。
内陸部は、天府と称される四川盆地に位置する四川省を別格とすれば、十把ひとからげ。 福建省は、ほかの沿海部の諸省と比べたら小国だけど、それでも韓国程度の国力は十分にある。
他は、どれが独立したとしても、中国と日本に次ぐ東アジアで三番目の大国になるだろう(笑)。 隋唐の時代にも、江南の経済力の台頭は明らかだったが、まだ華北を圧倒するには至っていなかった。
いよいよ本格的に南が伸びてくるのは、五代の分裂がキッカケとも考えられている。
独立して初めて、これらの国々は真価を発揮した。 経済が発達してるからというより
山脈と河川だらけで分断されてるからでしょ江南と嶺南は、日本の分立傾向と同じ 日本・インド・中東・欧州とも、中世は地方の諸侯が分立するバラバラな状況になっていくんだけど、
中国は宋が再統一したおかげで、その流れが一応は食い止められた。
再統一といっても、「史上最弱の統一王朝」だったが。 宋よりも、普段対立してる国が会盟で北方民族と戦うほうがよい
「東洋と西洋を含めて20本の指に入る強国の内の10国が同盟を結んだんじゃからの。 しかもライバル同士が手を組んだんじゃ。そりゃ最強に決まっとるわい」 >>520
朝鮮戦争のときのアメリカ軍の関係者が、中国と長いこと戦ってきた日本軍の関係者を呼んで意見を聴取したところ、
彼らが一様に中国をバカにしきっており、「中国軍はまるで無力だ。敵ではない」と異口同音に語ったと証言している。 >宋よりも、普段対立してる国が会盟で北方民族と戦うほうがよい
ていうか、五代も宋も、みんな北方民族だよ。
古代の春秋の世とは時代が違う。 >>531
当に馬鹿だな、無能の極み。兵卒しか務まら無いレベルの 日中戦争の頃の中国は、統制不能でバラバラな無政府状態の国だった。
本当に、極めて無力だった。
でも朝鮮戦争の頃には、毛沢東の独裁権力が絶頂で、まったく状況が変わっていた。
このため、アメリカ軍は、「日本軍の意見を聞いたおかげで、中国軍の戦闘力を過少評価してしまった」
と悔やんだと言われている。 やはり、中国には強力な中央権力が不可欠ということか 態々敵の築いた要塞や防衛施設を設けた都市を強攻して無駄に兵士と兵器を失うとかゲームやってんじゃ無いんだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています