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モンゴル帝国画期論
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0001世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:26:19.110
人類の歴史は、「モンゴル時代」の以前と以後でまったく様相が異なる。

かの高名なる内藤湖南の「唐宋変革論」に続き、「日本発信の世界史像」として内外に広まりつつある。


関連スレ 唐宋変革期 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1509629606/
0002世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:27:31.260
興亡の世界史 モンゴル帝国と長いその後

作者名 :杉山正明

13世紀初頭にチンギス・カンが興した「大モンゴル国」は、ユーラシア全域をゆるやかに統合して、東西の大交流をもたらした。
この大帝国は、従来は「元朝」と呼ばれ、中国史やアジア史の枠でのみ語られがちだったが、
近年は、この「モンゴル時代」を、世界史の重大な画期とみなす考え方が、「日本発信の世界史像」として、内外に広まりつつある。

壮大な歴史観と筆力で多くのファンを持つ著者が、新たな世界史の地平を描き出す。
0003世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:28:45.280
大モンゴル国すなわち「モンゴル帝国」の解体後も、「モンゴルの残影」は20世紀にいたるまで各地に息づいていた。
ロシアのイヴァン雷帝も、後のムガル帝国へと続くティムール帝国も、また、大清帝国も、「チンギス家の婿どの」の地位を得ることで、その権威と権力を固めてきたのだ。
そして今なお混迷のなかにあるアフガニスタンを、「遊牧民とユーラシア国家」の歴史を通してみると、何が見えてくるのか? 
0004世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:33:35.320
岡田英弘の研究

歴史を理論として確立しているのはヘロドトスに始まるヨーロッパ史と司馬遷らに始まる中国史だけであり、
両者の歴史観はまったく原理を異にしていること、そしてその他の地域の歴史は両者いずれかの歴史観による
焼き直しであることを主張した。

この観点から、両者を単に融合して世界史を記述するのではなく、両者を止揚・昇華させた新たな原理による
世界史を構築する必要性を説き、世界史の始まりをモンゴル帝国によるヨーロッパ文明・中国文明の接触に求めている。
0005世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:35:07.020
岡田英弘氏が死去 歴史学者

2017/5/30 20:15

岡田 英弘氏(おかだ・ひでひろ=歴史学者)25日、心不全のため死去、86歳。
連絡先は藤原書店。告別式は近親者で行った。喪主は妻で歴史学者の宮脇淳子さん。

1957年、日本学士院賞を受賞。中国史をはじめ、世界史を幅広く研究した。
著書に「歴史とはなにか」など。
0006世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:46:21.590
>>1
>「日本発信の世界史像」として内外に広まりつつある。
これ誤りじゃないかね

欧米では、岡田以前に、ジャネット・アブー=ルゴドのヨーロッパ覇権以前で
モンゴル以前と以後論が広まっていたと思うが
岡田は中国あたりでは知られているが、欧米ではほとんど知られていない
0007世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:48:13.580
>>4
焼き直しとは?
中東には中東、インドにはインド、中米には中米、ブラックアフリカにはブラックアフリカ独自の歴史観はあるだろうから欧州や中国の理論が通じるかどうかは疑問だわな
0008世界@名無史さん
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2017/11/15(水) 22:59:39.550
岡田は聖書の歴史観についてはどういってんの?
聖書も独自理論があり欧米と中東では絶大な影響を与えたんだが
0009世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 08:45:43.170
■モンゴル時代とは――「世界史」と「世界地図」が生まれた時代だった!

かつて学校では、――15・16世紀のヨーロッパによる「地理上の発見=大航海時代」から、
世界はひとつになり、「世界史」が始まった――こんなふうに教わりませんでしたか?

しかし、それに先立つ13・14世紀のモンゴル帝国下で、人類最初の「世界史」と「世界地図」が描かれていました。
確実な史料と最新研究をもとに、近代ヨーロッパが覇権を握る以前の「世界の実像」を明らかにします。
0010世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 08:47:25.910
つまり、杉山正明氏のモンゴル史観というのは、「モンゴル帝国の世界進出を、
近代ヨーロッパの世界進出に先立つグローバル化」と位置付ける壮大なものだ。

モンゴルの世界進出を、スペインやポルトガルの大航海時代に匹敵するインパクトがあったとする。
0011世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 08:59:12.710
ちなみに、岡田英弘氏と杉山正明氏は、盗作疑惑を巡って対立していた


彼の著書では、宮脇の著作を利用していることが明らかであっても、一度として宮脇の名前を挙げたことはありません。
それどころか、彼のほとんどすべての著書の枠組みの基となった、岡田英弘著『世界史の誕生』ですら、知らん顔をしてまったく言及しません。
 
今回のエッセイで杉山氏を取り上げることにしたのは、つい最近も、宮脇が知人のモンゴル学者から、彼の著書の評価を求められたからです。
これまでも、内情を知らないマスコミから、岡田がたまに書評を求められることがあったのですが、その都度お断りしてきました。
 
その理由は、もしコメントするとなると、ほめることができず、学界の内輪話をさらけ出す、まことにみっともない、どろどろとした文章になるに違いなかったからです。
 
それにもかかわらず、とうとう書くことにしたのは、若手の研究者のためです。
 
岡田と宮脇は、それぞれ若い頃に日本の東洋史学界の中で派手な論争をおこない、後味の悪い思いをしましたので、もうこりごりだ、同じようなことは二度としたくないと考えていました。
 
それに、論争をした結果でもありますが、日本の東洋史学界からはとっくに追い出され
て、学界とは無関係に研究を続けておりますので、学界内部の秩序について何の関心も持てません。
 
だから、勝手なことを言ったり書いたりしていても、大学や学界関係者の間で処
理してくれればいい、と思っておりました。
 
しかしながら、われわれのそういう態度をよいことに、杉山氏は、私たちの研究成果を盗んで言及もせず、しかも最高位の賞を受賞して、ますます平然と暴言を吐くようにな
っています。これを見過ごしたのでは、真理の追究に生涯を捧げてきた私たち自身の責を問われることになる、と思うようになりました。
 
仕方がないので、やむを得ず、ここで一生に一度だけの文章を綴って、責任
を全うしたいと考えます。
0012世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 13:58:25.350
この間の九三年秋、岡田が珍しく京都大学の歴史研究会から招かれて講演に行った時のことです。東洋史の学生が岡田に「杉山先生がいつも授業で岡田先生のことを褒めていて、自分がどんなに仲が いいかを自慢している」と言いました。

 岡田は「杉山氏とは会ったこともなく、どんな顔をしているのかもついぞ知らない」と答えたので、学生は絶句しました。

東京のことに疎い閉鎖的な京都で、岡田と仲がいいということを杉山氏は喧伝し続けて、その地位を得たのではと、私たちは疑っています。

彼がチャンスを最大限に利用して京都大学教授になったことに文句を言うつもりはありません。
問題は、学問や世間に対して不真面目だといことにあります。
他人の研究を黙って使っていることをごまかすためしょうか、文章をもとの三倍ほどにふくらませて、余計なことを言うので、結果的に、それはないだろう、いうほど言い過ぎて、学問上まったくのでたらめになるのです。

私たちは、自分たちの本が使われた箇所でのみ、それがわかるのですが、おそらく他の学者たちも同じ思いを味っていることでしょう。
0013世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 13:59:11.630
・・・というわけで、ちょっと怪しい人物ではあるけれど、とりあえず杉山正明氏のモンゴル画期論。
0014世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 14:00:48.080
モンゴル史研究者の杉山正明さんが著書「遊牧民から見た世界史」で、こう振り返っている。
かつて遊牧民といえば、洋の東西を問わず「野蛮」な存在として否定的に語られるのが普通だった。
一般人も歴史家も同じ。教科書で「悪役」に描かれた影響も大きいと見る。

実は全くのぬれぎぬだと杉山さんは解き明かす。戦わずして味方を増やし版図を広げ
西欧人による大航海に先駆け東洋と西洋を結び、モノや情報の流通を担った。
近年はこうした認識が欧米で広がり、日本でも最近の大学生は「遊牧民」に悪い印象はないという。
杉山さんが昔の扱われ方を話すと、逆に驚かれるそうだ。
0015世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 14:07:59.680
【中華敵視】杉山正明【遊牧民マンセー】
1 名前: 02/08/11 02:06
中華を異常なまでに敵視し 遊牧民を賞賛する杉山正明氏について語ろう
2 名前: 世界@名無史さん 02/08/11 02:36
耶律楚材とその時代
楚材への攻撃ぶりは異常。 業績と実質的地位の論評はいいとして 人格まで徹底的に否定、容貌まで槍玉に挙げている。
読んでいて著者が心配になってきたよ。
3 名前: 世界@名無史さん 02/08/11 02:37
田中みたいに、遊牧民を嫌いまくっているのも問題だが、 この人もちょっと行き過ぎだ。
4 名前:   02/08/11 03:06
休講が多すぎるが面白い人だった。 受講してる学生が目を白黒させるのを見るのが楽しみだった。 もっとチョンやチャンコロを叩いて欲しい。
5 名前: 世界@名無史さん 02/08/11 05:17
岡田英弘もついでに叩いていいですか?
7 名前: 世界@名無史さん 02/08/20 23:29
岡田英弘と杉山正明ってスゲー仲悪いよね。 素人からすればほとんど似たようなこといってるんだけど。 っていっても杉山さんが意識しすぎで、岡田さんは全然相手にしてないって感じであるが。
8 名前: 世界@名無史さん 02/08/20 23:45
異常なまでに中国嫌ってるよね。 拓跋国家とかいう言葉使うのが好きみたいだけど 隋や唐を鮮卑族の国家みたいに言うのはなんかね。 学生のころに読んだのだからあまり憶えてないけど。
0016世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 14:09:55.280
隋唐を鮮卑族の遊牧帝国とみなすのは、岡田英弘や杉山正明の特徴
0017世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 14:15:23.800
(杉山正明氏による朱元璋評) 

農民から身をおこして支配者となったという類似からだろうか、これまでしばしば、朱元璋と豊臣秀吉を見くらべて論じられている。
しかし、事実は、ぜんぜんちがう。おなじようにおもうのは、おもいこみである。

現実の朱元璋は、悪のかたまりといってもいい根暗な人物であった。のしあがる過程でも、いくらでも人を裏切り、平気で旧主や朋友を殺した。
政権を樹立したのちは、苦労時代の功臣ごと、なんと五度にもわたって、政府官吏を家族ぐるみで、しかもそのつど万単位で虐殺した。

かれは、知識人を憎悪していたのだろう。自分の治下から、本気で文化や知識をになう人間を一掃しようとしたのでは、とさえおもえるほどである。
すべての人間は、自分に唯々諾々と従う羊のような存在であればいいと考えたのではないか。
それは、白蓮教のメシア思想が、かれのなかで、まだ生きていて、自分をこそ衆生を救うために下生した弥勒なのだと、おもっていたためかもしれない。

その結果、明代のはじめ100年あまりは、まったく文化不毛となった。社会の暗黒さと、文化や著述の限りない乏しさは、中国史上で突出している。
モンゴル治下における中国社会・経済・文化の繁栄・活発ぶりとは、両極端である。
むしろ、中国文化の良さの多くは、明代のはじめ100年いじょうの空白で、いったん断絶したといってもいい。
野蛮なモンゴルを追いはらって、中華文明が蘇ったなどというのは、誤解もはなはだしい。

朱元璋が、中華の主人となったのは、ひとえに幸運であっただけである。
かれの「天下」は、モンゴルが勝手にこけてくれたおかげにすぎないことは、明代末期の学者たちでさえ、率直に明言している。
幸運だけで「殺人鬼」が天下人となるというのは、おそろしいことだが、それは客観の事実である。
0018世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 15:21:30.760
史料ガン無視した学者って凄いな
社会の暗黒さと、文化や著述の限りない乏しさから見れば元朝治下が断トツなのに
人口が文字通り半減し生産性も半減し奴隷制が復活し過重な重税と労役負担
何の史料見たら繁栄してた様に見えるのだろう
本人は本職のモンゴル研究でも中世モンゴル語読めずペルシャ語も読めぬのに
0020世界@名無史さん
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2017/11/18(土) 18:44:49.960
──先生はモンゴル時代史を研究されていますが、著書「遊牧民から見た世界史」を読みまして、目から鱗が落ちたといいますか、驚きました。
というのは、私たちが中学や高校で習った世界史は、エジプトをはじめインダス、メソポタミア、黄河などの文明が、広大なユーラシア大陸の大河の河口に点在し、それが段々にじむように広がっていって、世界の文明がつくられ今日に至ったということだったんです。
しかし先生は、そうではなく、ちょうどその時代の地図で国の名前が記されていない空白の部分、ユーラシアの真ん中が、歴史を動かした原動力だった。また、その人たちがある意味、主役だったと。

杉山 もちろん、エジプトなど一般的に教科書で教わるそれら文明は、事実すばらしいものを生み出しました。しかし、それら「文明圏」の人達にとってユーラシアの真ん中にいた人々こそが、実は大変重要な存在だったのです。
彼らは遊牧民といって、あの広大な大地を移動しながら生活していました。そして彼らのおかげで、点在していた文明圏は各々孤立することをまぬがれ、広がりを可能にしたといえます。
彼らがいたからこそ、文明が世界に広がっていった。どの時代でも遊牧民は、歴史に大きく関わっていたんです。後に、驚異的な勢力拡大を見せ、ユーラシア一帯を手中に収めもしました。
世界史の教科書に登場するチンギス・カンは、それをやってのけ、巨大な「モンゴル帝国」をつくったのです。
0021世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/18(土) 18:46:06.730
──しかし、それほどまでの歴史を持っている彼らについて、なぜそれまで世界史上では空白だったのでしょう。

杉山 一般的に教え込まれている歴史像は、ヨーロッパ人が19世紀末から20世紀の初めにつくったものなんです。彼らは、「ヨーロッパ以外は文明じゃない」と思っていましたから、自分たち中心の「歴史」をつくり出してしまったんです。

──モンゴルの歴史には野蛮、残酷といったような負のイメージがありますが、これも彼らが植え付けたのでしょうか。

杉山 それもあります。しかし、実際の被征服民よりも、その子孫とされる後世の人達によって、つくり上げられてしまったと思われます。
彼らは「近代文明社会」の優位を無条件に信じたいあまり、無意識にモンゴルの過去を見下してしまったんでしょう。
やっと最近、モンゴルとその時代について、東西一通りの文献が眺められるようになりました。
0022世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/18(土) 18:48:02.570
──日本とモンゴルの最初の出会いは、鎌倉時代の「元寇」ですね。あの時、日本は天候などが味方について、運良く逃れることができましたが、本当は強大な軍事力を持っていたんですね。

杉山 軍事だけでなく、すでに日本とは比べものにならないくらい経済活動が進んでいたすごい国だったんです。特にチンギスの孫、クビライの統治以降、経済を重視した政策がとられました。
当初は、ムスリム、ウイグルという2つの国際商業組織が、モンゴル帝国に資金や物資の調達をしていたんですが、商業や貿易が活発化するにつれ、仲間、組合という意味の「オルトク」と呼ばれる企業・会社組織の形に発展していったんです。
0023世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/18(土) 18:48:42.010
──今でいうところの企業グループのようなものですか。
杉山 そうです。
また、帝国の財政運営は、専売と通商の商業利潤でほとんどまかなわれる重商主義でした。
専売とは、その頃非常に貴重だったため、専売品とされていた塩の引換券「塩引(えんいん)」を発行し、通貨である銀と交換して収入を得るというものです。
これは塩そのものを転売するのではなく、塩とリンクさせたいわば有価証券のようなもので、紙幣としても使用されていたんです。
0024世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/18(土) 18:50:03.980
──この頃すでに紙のお金があったんですか。それはすごいですね。

杉山 この頃の通貨は銀でしたが、帝国の拡大に応じきれるほどの銀が産出できなかったため、それを補う意味もあったんです。
そして、もう一つの収入源の方は、商取引から徴収する「商税」です。
クビライは、都市、港湾、関門などを通る人々から徴収していた通過税を撤廃し、最終売却地で売却代金の約3%を商税として、1回だけ払えば良いことにしたんです。
これにより、遠距離貿易の活発化につながり、流通量が増え、結果的には商税収入も増大しました。
その上、民衆の税金負担額も低く抑えることができたわけです。
これは、いわゆる間接税ですが、消費者が直接納税しない点で、内税方式の消費税ともいえます。
歴史的に見てもかなり先進的な政策です。
0025世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/18(土) 21:29:34.650
>>23>>24の政策って南宋と金の政策を丸々継承しただけなのに
中華文明の大嫌いな杉山がそれを絶賛するとかコントの域だわ
0026世界@名無史さん
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2017/11/19(日) 21:59:33.110
中国最大の歴史的矛盾はモンゴル、金などの遊牧帝国の存在を暗に隠してること

中国が漢王国が進歩してたのに、歴史がすすむほど荒廃して遅れてきたのは
漢王国の頃から遊牧に度々侵略されるようになり、所詮後継国家魏、西普は遊牧の侵略で滅んだ。
なんとか唐までは持ち直せたが、北宋以降明確に遊牧王と隷属中国国の図式が明確化していって
中国は宋は遊牧金帝国の属国、明は北元帝国の属国、清は遊牧帝国で満州王+モンゴル貴族の権威で成立した遊牧帝国だった

でこの遊牧支配と帝国で中国は荒廃していった歴史なんだけど、中国史的にはこの愚かな敗北臣従の歴史を隠してる

逆にモンゴル、遊牧帝国は実質漢王国の頃から中国を脅かし、中国を侵略植民化して領土と人口を増やした
そして金帝国以後1000年近く中華貴族として中国に君臨して支配してきた

実は中国ではこの致命的な敗北と荒廃の原因の歴史が消去されてきてる
0027世界@名無史さん
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2017/11/19(日) 22:08:27.400
中国なんかは20世紀までは遊牧の植民地で
そもそも清朝末期に、反清朝派は「植民支配者満州人を倒せ」ってスローガンを明白に主張してるくらいなんだよね

一般的に知られてないだけで、嘘つきを除外すれば、識者的に中国は金以降遊牧属国ってのは明確なのよ

そして遊牧史的には、古来から洋の東西の交易、文化交流手段=遊牧民であり
古来の例では日本や中国に鉄器を伝来させたのは実は遊牧民なんだよね。

そして遊牧民が世界を支配できたのは、西欧では遊牧部族は農耕文化に敗北したが
中国に於いては、農耕文化の中国を恒久的に支配して、拉致、奴隷略奪を生計手段として、経済を回して人口を拡大して
世界帝国を作れるくらいの量規模に発達する。

中国は遊牧の隷属で
中国が未発達なのは遊牧侵略が答え
遊牧が世界帝国になったのは、元や金以前から実質恒久的に略奪しててそれで力と人口を蓄えたから

世界の遊牧民は農耕文化に負けた少数弱者部族だったが、モンゴル、満州、ウイグルなどは中国侵略が成功して、遊牧にしては異例の大規模勢力にまで拡大できて
これで世界を侵略できた。

中国未開の答え=モンゴルで、モンゴルとは裏中華であり、実は領域、領土的にも、現在の中国領土+主張領土の2/3は実はモンゴル領土で中華を長く支配してたのが正しい歴史
0028世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/19(日) 22:34:45.940
抑々女真は遊牧なんかして無かったからね、農耕が主産業の定住民
祖先の粛真の時代なら馬すら存在して無い
0029世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/19(日) 23:05:28.360
>>27
そのせいか中国共産党は農耕系少数民族には寛大、
遊牧系少数民族には今までの恨みを晴らすが如く残忍に当たっている感じだ
南方の少数民族の生存は許すが、匈奴・突厥・蒙古・吐藩の子孫は殲滅したいような
0030世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/19(日) 23:46:50.920
>>29

それは露骨にやっている。とくに満州人については、毛沢東が虐殺や強制移住で民族消滅を図った。

「元も清もシナ人の王朝だった」ということにしたいんだな。そうすれば、異民族に支配された暗黒の歴史ではなくなるから(笑)
0031世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/19(日) 23:51:28.970
隋唐も「漢化された鮮卑」ということで、漢人そのもののような扱いをしているが、実際にはどうだったか。

おそらく、隋や唐の支配者は、騎馬民族としての特質を濃厚に残し、農耕民を見下していたと思われる。

本気で漢化しようとした隋の煬帝や、金の海陵庶人は、抹殺されて稀代の大悪党にされてしまった。
0034世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/20(月) 07:04:39.630
たいてい騎馬民族ってのは活動的だから、鈍重な農耕民を見下してるのが普通だ。これは洋の東西を問わない。

唐でも元でも、「労働は下層の者がやること」という、騎馬民族の価値観が徹底していた。

唐は、漢化した面がやたら強調されてるけど、実際には、騎馬民族としての誇りというか、民族意識がかなりあったはず。 
シナの歴史はウソに塗れている。
0037世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/20(月) 19:20:16.910
>>36

人口が激減して、漢人が姿を消した華北では、耕作放棄された土地が大量に余っていた。

鮮卑人は、この余った土地を漢人に平等に分配して使役することにより、生産力の増強を図った。
0038世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/20(月) 20:03:52.600
中国や韓国では、「労働はシモジモの者たちがやること」という価値観が伝統的に根づいている。

これはやはり、モンゴル人や満州人が、シモジモの漢人たちをコキ使うという、長年の社会構造から生まれた発想だ。

日本にはそういう価値観がない。
だから、技術力が違う。
0040世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/20(月) 20:43:07.110
>>38
江戸時代の諸西欧人「武士や幕府の官僚、厄人は無能で非常に横柄
何も仕事をせず庶民に異常な重税を課しながら何時も金が無いと言ってる」
0042世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:17:40.270
中国の歴史など、モンゴル帝国から始めれば十分

それ以前のことは「前史」という位置づけでいい
0043世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:31:52.840
杉山正明「モンゴルが世界史を覆す」(日経ビジネス文庫)

13世紀のモンゴルこそ世界帝国。
ジンギスカンとその子供たちの世界帝国が、東西の交流を活発化したのは良く知られているが、
世界史の中でのモンゴル帝国が果たした役割の重要性が、これまで以上に認識されるようになってきたとのこと。
0044世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:32:35.420
今まで知っていた世界史の知識と大きく違い、目を開かされたう点をいくつか列挙してみる。

モンゴルの軍隊は必ずしも強くはなく、強い相手とは戦わないという戦略が多い。
残虐行為や都市の破壊などは一部であり、交渉による無血開城が多い。
世界帝国として各地の文化を尊重する姿勢であり、中国元朝も一般に言われているような文化不毛の時期ではなく、中国伝統文化に寄与する事柄も多い。
中東のコバルトと中国の磁器が結びついた青花磁器は、モンゴル帝国により盛んに流通するようになった。
鎌倉時代の蒙古襲来についても、被害者としての日本の研究が多く、蒙古側の研究がすくなく、原典史料に基づくこれからの研究が必要である。少なくとも最初のクビライからの国書は侵略とは違った目的とのこと。
当時の遊牧民の国家は人の集合であり、地域の概念はない。
モンゴル帝国は多民族国家であり、海軍が弱いわけではない。
マルコ・ポーロが実在の人物かどうかは怪しく、その見聞録も寄せ集めの史料からできている可能性がある。

などなど多数。
0045世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:35:58.130
杉山正明氏の書物は、新しい世界史の進路を考える上でも示唆を与えてくれる。
モンゴルといえば、ありとあらゆる非難や悪罵をこれまでも浴びせられてきた。
中国史プロパーの研究者には、今でも偏見にとりつかれている者が少なくない。

しかし、1276年に滅ぼされた南宋の首都杭州では、住民からほとんど犠牲者を出さなかった。
それどころか、杉山氏はモンゴル支配下でこそ杭州が空前絶後の繁栄を続けた事実を明らかにする。
0046世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:37:17.510
また、杉山氏は、モンゴル繁栄の秘密がそのコスモポリタンな性格、民族的偏見をもたぬ能力第一主義などによることを説き明かす。
たとえば、クビライの兄、大ハーンのモンケは数カ国語を自由に操り、ユークリッド幾何学をはじめ、古今東西の諸学に広く通じる抜群の知識人だったことがペルシア語史料から確認されるという。

クビライも聡明きわまりなく、手ずからウイグル文字で文書を認めたらしい。
周辺のブレインも、さまざまな民族の出身者であったが、モンゴル語を理解したのである。
0047世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/23(木) 23:38:40.680
北京はもちろん、杭州も、飛躍的に発展したのはモンゴル帝国の時代だった。
0049世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/25(土) 12:52:47.100
アリクブケがモンゴル至上主義だったのに対しクビライは漢文化を尊重して漢人勢力を味方につけたことで
権力闘争を優位に進めたと杉山は言ってるけどな
0050世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 12:59:33.480
>>48
コイツは中国に対してコンプレックスを持っててその反動でモンゴルを持ち上げてるだけだよ
同じ話を何度も繰り返すアスペ的傾向があるからすぐわかる

イル・ハン朝で中国人が登用されたり逆に元でロシア人やジンバブエ人が官僚や兵士として近侍したり
元朝は自己完結的なほかの王朝と比べて明らかに異質なのに前史とかないわー
0051世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 18:54:17.250
モンゴル帝国

歴史上最大の世界帝国を創り上げたと言われるモンゴル帝国。
最盛期の領土面積は約3300万km2で、地球上の陸地の約25%を支配してたらしいです。
0052世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/25(土) 18:54:17.420
モンゴル帝国

歴史上最大の世界帝国を創り上げたと言われるモンゴル帝国。
最盛期の領土面積は約3300万km2で、地球上の陸地の約25%を支配してたらしいです。
0053世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 18:56:38.710
・多分ランキングつけるとこうなる↓

1位 イギリス帝国--3360万km
2位 モンゴル帝国--3320万km
3位 ロシア帝国--2240万km (アラスカを含む)
4位 スペイン帝国--2000万km
5位 大清帝国--1300万km

ちなみに陸続きでと言う事ならモンゴルが1位になる。イギリスは世界中に飛び飛びでだから。

ちなみにソースはこれね↓
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_largest_empires

(↑ちなみにこのリンク元だと全盛期の大日本帝国は14位--約740万kmとなってました。)
0054世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 18:59:26.010
[参考] 月の表面積は約3796万平方km

さすがの大英帝国やモンゴル帝国も、月面を統一するよりは狭かった
0055世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 19:01:30.320
>>50
チョンと違って日本人はチャンコロに対してコンプレックスを持ってないもんな
0056世界@名無史さん
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2017/11/25(土) 19:38:00.980
>イル・ハン朝で中国人が登用されたり逆に元でロシア人やジンバブエ人が官僚や兵士として近侍したり
>元朝は自己完結的なほかの王朝と比べて明らかに異質なのに前史とかないわー


元朝は本当にコスモポリタン的な世界帝国だな。

他のローカルな王朝とは違う。

やはり、元朝こそが、「中国」の最盛期。
中国が飛躍的に発展したのは元代だ。
0057世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/25(土) 19:42:55.700
元朝のあと、その反動で、明朝という内向きな暗黒時代が到来した。

明朝は、暗愚で無能な皇帝が続出し、粛清に次ぐ粛清、宦官による恐怖政治が続いた大暗黒時代。

元朝が築いた遺産のおかげで、なんとか300年近くも持続したが。
0058世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/25(土) 22:01:13.580
>>44
そこに書いてあること全部学説でも何でも無いじゃん。
杉山みたいに「モンゴル帝国史はやらなくちゃいけないことが多くていちいち史料を呈示した
論証なんかやってられないから結論だけ述べる」みたいなの認めちゃったら近代歴史学じゃない。
0059世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 00:20:33.330
>>44-47
モンゴル本軍は概ね野戦じゃ敵無し
各地で大虐殺犯してるし、中国は金南宋→元で数千万人死亡
元朝は生産と経済と科学と文化の衰退が著しい

杭州は元から人口100万を超える超大都市
モンゴル帝国は縁故主義で家門血統コネが先ず優先

というより杉山みたいな小説家の話を持って来るなよ
0060世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 01:23:41.370
>>59
お前は、小説家というより妄想家だけどな
0062世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 02:29:47.630
杉山がモンゴル以外のことでハッタリかます度にその分野の専門家は苦々しく思ってるんだよな。
「本気でそう主張するならまずは学術的に検証可能な論文書けよ」って。
0063世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 12:34:01.110
>>62
杉山も、モンゴルに関しては、お前らのことをそう思ってるだろうよ
0064世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 21:35:42.450
杉山正明氏によると、「遼の国都の方が 宋の国都よりも 市場の品揃えも充実していただろう」だそうな。
0065世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 21:40:59.800
「集史」とは、イル=ハン国のガザン・ハンが、宰相のラシード・ウッディーンに編纂させたモンゴル帝国の歴史である。

ガザン=ハンの次のオルジェイトゥの時、1310〜11年に完成した。
ペルシア語で書かれているが、モンゴル人の歴史を中心に世界の諸民族の歴史も集めたものであるので『集史』といわれる。
モンゴル帝国の正史として第一級の史料であるとともに、モンゴル語、トルコ語、中国語の資料、伝承も採り入れて14世紀までを叙述した、最初の「世界史」でもある。
また、イル=ハン国時代のイラン=イスラーム文明の遺産としても貴重である。
0066世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 21:42:29.760
モンゴル帝国による「集史」の編纂をもって、「世界史の誕生」と見る人は多い。

少なくとも3人いる。岡田英弘、宮脇淳子、杉山正明。
0069世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 22:53:52.850
モンゴルの軍事行動に残酷なところがあったのは事実だが、
モンゴル帝国に支配された地域が衰微したのはモンゴルのせいではなく、
そもそもモンゴル帝国に支配されるほど弱い地域だったと考えるのが妥当だろう。
0070世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/26(日) 23:16:45.230
イギリス以前と以後の方がモンゴルの10倍インパクトある
0071世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 00:53:11.690
杉山がドイツ騎士団の動員力とかを根拠に「ワールシュタットの戦いは無かったか、
あったとしてもささやかな戦いだった」って書いたら欧州史の研究者から
「ワールシュタットの戦いの主力はポーランド軍だと分かってねーな」って
完全にトンデモ扱いされたらしいな。
0072世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 04:33:28.850
中国の荒廃は王朝貴族社会が荒廃して、かわりに官僚商人社会が出来上がったこと

これで、遊牧に民族的、ナショナル的、一元的対抗ができなくなり、営利と保身のにモンゴル臣従で国家が荒廃する

中国にとって王族王家が成立してたのは、秦ー西普まで、西普もすでに旧王家や貴族は崩壊してたけどな
で遊牧の南進と内ゲバで秦漢貴族、おうぞくは完全に絶滅して
以後官僚=傀儡王家という官僚さえあれば下賤でも王政が機能する失敗国家になり

相対的に、遊牧だけに貴族、王族が残って機能して、彼らは王侯部族を成立させて対中で強い力を持つ。
中国の唐、北宋は王族として機能が崩壊して、漢にかわる王族たり得なかった

で金王朝→元王朝→遊牧貴族王侯→清朝と、清の時代は中国の王侯貴族=遊牧民となり
王侯貴族は外国人で、中国人は商人と官僚って支配体制になる
これで中国はゴタゴタでおくれんだ。

中国社会は金帝国以後、遊牧主観の政治感で世界が動くが、この時代は中国官僚によって
中国の支配に歪曲され続け、清や遊牧貴族はその歴史改ざんを支配都合で許容してた
0073世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 04:38:01.580
中国がインド、イスラム、日本、EUと比較してもっともバカバかしいのは、中国において歴史上数百年でも続いた家などどこにもないことだ

中国において、支配貴族は遊牧人種の中のみにおいて存在する
これが中国のみ開花、崩壊化を作る

はっきりいって、中国において北宋、南宋、明、清ってのは従属植民国で
当時の中国の覇者、支配者は金帝国、元帝国、北元、清であり、中国朝ってのはただの中国植民提督省庁に過ぎず
政治の機能として対遊牧朝貢をするためと腐敗のために存在した機構

中国史において、当時を封建腐敗というが、そもそもあの時代は封建制ですらない
中国の封建朝は実質西普ないし、唐までだろう

宋以降はただの朝貢隷属州と州提督がいるだけで、その植民状態で利権のための官僚競争だけがある

独裁支配者の遊牧民のために、独裁をしてるのが中国朝何だよな
0074世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 18:53:46.780
相変わらず壊れたラジカセのように戯言を繰り返すなお前は
本来支配層の鮮卑族が冷遇されて、漢人貴族層ばかり優遇されたから六鎮の乱で北魏は崩壊していたのだろうが

その理屈だと日本は大和朝廷から室町時代にいたるまで中国や李氏朝鮮に朝貢してたのだから、日本は中韓植民地ということになるよね
こうやって論破されるとまた悔し紛れに似たようなスレ立てて戯言を繰り返すだろうがそのたびに論破してやるから覚悟して置け
0075世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 19:17:51.250
>>74
バカな奴だな(笑)

お前のことなど、本当は誰も相手にしていないよ
0076世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 19:19:34.300
>>74
宗教板にいる新興宗教の信者と変わらんな
0077世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 19:22:21.190
>その理屈だと日本は大和朝廷から室町時代にいたるまで中国や李氏朝鮮に朝貢してたのだから、日本は中韓植民地ということになるよね

新羅や百済は、日本に従属していた。

朝鮮は、明清に従属していたが、日本にも定期的に朝貢使節を送ってきていた。
0079世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/27(月) 20:44:43.290
頽廃し衰微していたシナ文明は、モンゴル帝国によって再活性化された。
0080世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/28(火) 01:30:04.870
元朝以降の中国は文化発信力が低下した印象があるが、三国志演義や西遊記は明代の文学作品。
遊牧民国家の方針や技術革新の影響で文化の中心が大衆寄りになったのかね。
龍の紋章を皇帝以外の人々も使うようになったし。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/28(火) 02:40:33.880
>>80
宋までの文化は日本人にとっては日本文化の一部分になっていて外国文化という意識は無い

漢字や四書五経
漢の史記
唐の唐詩、天台宗、華厳宗、浄土宗
宋の朱子学、水墨画、禅宗

それぞれ日本文化の一部分になってる

元以後の文化は日本人にとってはあくまでも外国文化だ
三国志演義や西遊記がいかに日本で人気があろうとも
ほとんどの日本人はそれを外国のものと意識してるだろう
0082世界@名無史さん
垢版 |
2017/11/28(火) 07:56:39.190
>>80
日本の奈良時代や平安時代と同じで、中国も隋唐の頃は貴族社会だった。

唐から宋にかけて、貴族が没落した。
日本と異なり、貴族階級は抹殺された。

明あたりは、政治的な中心でない江南が文化の中心となり、
町人文化が全盛期を迎えた。
0083世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 00:53:35.760
モンゴル帝国の時代こそ、中国の最盛期。

明清の頃は、すでに盛りをすぎていた。
0084世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 00:54:42.310
陸運も海運も、モンゴル帝国期が最も活発になった。

商業ネットワークの中心になった北京はもちろん、江南でさえ、他のどの時代よりも繁栄を謳歌している。
0085世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 04:15:26.130
モンゴル時代に東部ユーラシアから富の流出が起きた可能性は?
0086世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 09:45:40.490
モンゴル帝国の大ハーン所領の属地で、
金や西夏から獲ったところは契丹州、住民は漢人
宋から獲ったところは蛮州・蛮子としていたけれど、
高麗人はどっちの区分?
金の攻略とほぼ同時に服属てるから漢人?
宋に協力して抵抗していたので蛮子の区分?
0087世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 21:31:43.160
>>84
広州、杭州、明州、泉州
何処も人口も商税額も外国船舶数も減ってる
0088世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 22:49:56.640
>>86
高麗人は蛮人だけど、王族はモンゴル人

もちろん王建の子孫ではあるのだが、モンゴル人の妃が生んだ子が国王になるという
のを繰り返した結果、何代かを経るうちにモンゴル人そのものと化した。

子供のころは北京で育てられたので、「故郷に帰りたい」といって北京に行ってしまった
高麗国王もいたほどだ。
0089世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 22:51:40.340
>>85
東部ユーラシアには、イスラム圏から先進文化が流入した。
0090世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 23:24:17.420
>>86
区分としては漢人
漢八種とよばれる契丹人、女真人、渤海人らの中でも筆頭部族として挙げられ
その王族は本来はモンゴル人以外はなることができないキュレゲンの地位を代々世襲し金印紫授の誉を受けた
なぜここまで優遇されたかは謎が多い
0091世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/01(金) 23:28:50.650
そりゃあ両班は中華系だから
0093世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 07:54:19.360
>>86
高麗の服属は金攻略前の1218年。
その後の抵抗とか一切無かったことにして高麗自身が元にそう主張してる。
0094世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 08:35:37.900
高麗棒子だろ。
朝鮮族売春婦の私生児が棒のようにやせ細っている様から名づけられた由緒あるあだ名だ。
0095世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 10:05:08.740
>高麗棒子

大日本帝国の軍人だった頃の朝鮮人が、シナで威張り散らして、シナ人をいつも棒で殴っていたからだという説が有力だが
0096世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 10:06:37.300
日本では韓国人を「朝鮮人」と呼ぶことが蔑称とされ、中国では朝鮮人を「高麗人」と呼ぶことが蔑称になっている。

昔の名前で呼ぶのが、差別することになるのだろうか?
0097世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 10:19:52.320
>>95
高麗棒子は、大昔からある蔑称だよ。
近代以降であれば、高麗棒子などという古い名前ではなく「朝鮮」棒子となるでしょ。
いかに古くから朝鮮族による性的商売が中国で盛んであったかを察することができるね。
0098世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 10:40:09.660
五族協和の機運の高まりが高麗棒子の語源捏造の背景にあると思う。善意によるものだろう。
なにより、いくら朝鮮族のことを蔑んでいたとしても、
自分の子に「お父さん、高麗棒子ってどういう意味?」と聞かれて >>94 のような回答できないだろ?
0099世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 15:54:59.020
>>96
現代では「朝鮮人」だと北になるだろ
韓国人を朝鮮人と呼んだらそういうことになる
0100世界@名無史さん
垢版 |
2017/12/02(土) 15:59:45.760
現代は、朝鮮棒子という表現もある。そもそも高麗という語に蔑称の意味は含まれない。
朝鮮半島が高麗王朝だった時代から、性産業に従事する朝鮮女性が多くいたことが命名の背景。
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