唐宋変革期 2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
唐宋変革期において安史の乱はどんな役割を果たしたの? 黄巣は兎も角、安史の乱だと遠過ぎじゃね
まあ藩鎮の乱造と封建化からの五代分立は宋の誕生に一役買っただろうけど 日本では律令制が立ちゆかなくって、荘園制になったけど
唐では律令制崩壊から両税法体制を経て藩鎮分立か ■「唐末五代期における城郭の大規模化 : 華中・華南の場合」(愛宕元)1992年
唐末から五代は、中国において最も激しい変革期です。
この時代、華北には五代と呼ばれる王朝が代わる代わる登場し、華中・華南においては十国と呼ばれる地方政権が分立します。
筆者は、この時期に華中・華南にある城郭(中国の場合、都市そのもの)が大規模化しているという傾向を見出し、
これに対して地域性、拡張増築の時期、構造上の特徴などを検討する、という趣旨の論文です。
導き出される推論・結論は、取り立てて非凡なものではないのですが、各種史料より該当記事を抽出して作成した一覧表が労作であると思います。 中国史における唐末五代は、日本史における「戦国時代」とよく似た位置にある。
国内は群雄割拠の大混乱だったが、分立した各国がそれぞれに開発を進めて発展し、全体としては大きく飛躍した。 「中国史は、唐と宋の間で断絶している」とし、唐宋変革論の提唱者となった内藤湖南。
その内藤湖南は、「日本史は応仁の乱の前と後とで断絶している」とも主張した。
つまり、唐末五代は、日本でいえば戦国時代に匹敵する分水嶺。
戦国時代の日本といえば、中国の毛利、四国の長曾我部、九州の島津といった各地の大名が、
それぞれの地域を統合して国内の開発を進めた。
それを、織田・豊臣・徳川がさらに全国統一したおかげで、天下泰平の江戸幕府が実現。
バラバラなだった日本は、ようやく統一国家らしくなった。
日本は、まるきり別の国に変身した。
それと同じような変革が、唐と宋の間にもあったということになる。 内藤湖南が指摘するまでは、唐と宋の間にそんな断絶があるとは思われていなかった。
むしろ、「唐宋八大家」という言葉にもみられるとおり、一続きの時代として扱われる
ほうが普通だった。
でも、考えてみれば確かに、極めて変化が大きい。
唐と宋というのは、そういう時代。 日本の場合は、平安時代の京都の貴族社会と、鎌倉時代の東国の武家社会では、別の国みたいに違うということを誰もが知っている。
中央権力不在に近い室町時代の日本と、江戸時代の幕藩体制の日本だって、内藤湖南に指摘されるまでもなく、あまりにも違いが大きい。
欧州の場合も、古代ギリシャ・ローマの時代と、フランク王国の時代、中世ヨーロッパ
、そして国民国家の形成が進んだ近世と、同じ地域とはいえ、時代ごとにほとんど別モノに近い
イメージが定着している。
それに対して中国の場合は、「継承されてきた王朝の正統性」を強く主張する建前からか、「歴史の一貫性」にこだわり、変化の話を好まない傾向にある。
しかし実際には、日本や欧州よりも、中国のほうがずっと民族移動が激しく、地理的な中心地の移動も大きく、王朝ごとに断絶がある。人口の大激減だって、何度も経験してきた。
漢と唐など、アステカ帝国とメキシコ合衆国くらい違う。
同じ長安でも、テノチティトランとメキシコシティーくらい違う。
地域が同じというだけであって、実際には異民族。 人口激減の一例として、1645年の屠蜀(四川大虐殺)があります。
四川人のほとんどが殺された事件で、300万人以上が虐殺されています。
これはイエズス会のマガリャンイスの報告書、1578年と1685年の人口調査、四川方言の消失などから死者300万人と言う数字はほぼ間違いないそうです。
同じ1645年に起こった揚州大虐殺など、明末清初には大きな虐殺事件が各地で発生しており、他の王朝末期も似たようなものだったと思われます。
漢末や唐末の人口激減もその後の人口の伸びなどから判断すると隠れていた者の数はたかが知れていたと思われ、人口が激減したのは間違いありません。 また、黄文雄先生の書籍から紹介しましょう。
「戦場において敵兵を捉えて食すか、敵兵の屍肉を割いて食すことは、二種類の積極的意義がある」と、黄先生は続けます。
一つには軍糧を節約し、欠糧の危機を解決できること、もう一つには「肉を食してその皮に寝る」という敵愾心をあおることができる、という事らしいです。
敵愾心をあおるための食人とは文明人らしからぬ仕業ですが、それもシナの特性をそなえた文明の形でしょうか。 食人しながら転戦した例としてとくに有名なのが「黄巣の乱」(875年~884年)の黄巣軍です。
「黄巣の乱」は唐を滅亡に到らせた大きな叛乱でした。
それは流民や飢民を吸収し五十万の規模に膨れ上がり、各地を転戦しながら、880年ついには都・長安を占領します。
以下は『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)からの引用です。
「この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置した。」
「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は人々を捕らえて食用に供した。
一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な臼数百基を備えている。人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)
「黄巣らの反乱軍は、西は関門、東は青州、斉州、南は江、淮、北は衛州、滑州にいたるまで荒らしまわった。」
「人影は絶え、イバラが野をおおいつくした。反乱軍は食糧が欠乏していたので、食用人間を貯蔵していた。兵士が四方に出て人々を捕獲し、『塩屍』をつくり、関東の郡県はことごとく攻略された。」(『唐書』秦宗権伝)
『塩屍』とは人間の塩漬のことだそうです。
前回の明末の張献忠の仕業に勝る、シナ史上最大の食人匪賊集団であった黄巣軍は、まるでイナゴの大軍のようにその至る所、殺し喰いまくったもののようです。 黄巣の乱のおかげで、唐の人口は激減した。
朱全忠と「独眼竜」李克用による戦乱がそれに続き、さらに、それからも五代の混乱期が続いた。
華北では大殺戮と大飢饉が起こり、生き残った人間も逃げてしまった。 唐末はそんなに減って無いよ
漢末が1/3減、十分減り過ぎでわあるけど
金南宋→元の半減が一番酷い >>12
>漢と唐など、アステカ帝国とメキシコ合衆国くらい違う。
これは全然違うだろ
むしろ大日本帝国人と現代の日本人のほうが断然性は大きい 全然変わって無いわ〜、恐ろしく無能な姦僚と牢固な姦僚主義、暴走する低知能
有史以降で一番大きい断絶は西日本と東日本の支配民族交代、天皇家と北条家の王朝交代かと >恐ろしく無能な姦僚と牢固な姦僚主義、暴走する低知能
シナのことか? 北京と長安なんて、ロンドンとローマくらい違うだろ。
軍事力で強引に併合しただけで、基本的に異国だ。 いまでこそ、言語統一もだいぶ進んできちゃったけどな。 唐の皇帝の墳墓から出てくる副葬品は、ラクダに乗ったオジサンの像とか、そういうのが多い。
時代劇も、唐を舞台にしたものは、敦煌の壁画をお手本にしている。
唐は、鮮卑人が建てた西域のシルクロード帝国。
いまの「中国」とは、あまりにも異質な存在だ。 辺境民は戦乱で絶滅したんじゃ無いの?
あの国土で方言少ないのは中央からの征服によるのでしょう >>24
四川省は、とくにそうだと言われているね
明末清初の大虐殺で先住民が激減したところに、華北から移民が入って今の四川省ができた >>21
福岡と大阪程度の違いだよ、京都と東京程の違いわ無い >>24
要は地理的要因、山脈と河川で隔離されてる江南嶺南は方言がっつり残ってるしね >>23
大唐皇帝の陵墓わ基本的に生前の宮廷を模した物だよw
時代劇も宋代以降の舞台演劇からの流れ
李氏わ関隴集団の出、鮮卑わ大興安嶺周辺の満州とモンゴル東部の出
あんまり思い付きで出鱈目ばかり書くなよ >>26
いや、天安門事件のとき、学生を大虐殺した山西省の兵隊たちは、
北京人とはまったく意志疎通できず、同胞意識が皆無だった。 >>9
中世と近世の境界ということで確かに唐宋変革と日本の戦国は同じ >>11
国としては唐も宋も連続してる
北魏から唐を経て宋まで王朝の交替はあったが一つの国だ
その前の漢から南朝陳までやその後の元は別の国 >>30
漢族か鮮卑族かどちらかと云えば漢族だよ、残念ながらね
>>29
オマエの願望に基づく妄想は自分のブログでやっててな >>34
そういえば、天安門事件を否定するバカがここにはいるんだったな >>34
唐の皇帝は、初代から三代つづけて皇后が鮮卑なんだぜ?
「どちらかといえば漢族に近い」わけないだろ。
むしろ、純粋な鮮卑だ。 楊氏も李氏も家柄のある漢族の末裔という設定だけど妃は鮮卑だし貰った鮮卑姓は本名じゃ無いかって言われてるね
仕えてた北周がそもそも鮮卑だし
ヌルハチホンタイジから順治帝になる所が中国王朝の面白い所だね >>36
3代の皇后自体がとうに血統的文化的に漢化してる >>39
現代の在日朝鮮人だって異民族意識を濃厚に残してるってのに
ましてや古代人がそう簡単に変わるわけないだろ は?
日本語話者且つ日本文化の中で育ってるのに異民族も糞も無いだろw いや、朝鮮学校で変な文化を刷り込まれている
いまでも三国人 >>23
>時代劇も、唐を舞台にしたものは、敦煌の壁画をお手本にしている。
いやさぁあれは墓主たちの生前長安で営んでいたときの様子を描いたものだから別におかしくないんだよ
むしろ、その壁画の様式を丸々ぱくって太極殿とか復元してる日本のほうが大丈夫かと思う
日本独自の建築様式もあったはずだからな 人口の大激減が起きたのは、主に2回
漢末と、元初だ
この2回が中国史における最も大きな断層 唐宋変革がこれだけ重視されるのも、宋の時代に「中国」の基礎が確立されたという認識が背景にあると思われる。 日本でも、室町時代まではバラバラな封建諸侯の割拠状態だった。
戦国時代を通じて、中国の毛利、四国の長曾我部、九州の島津といった国々が各地を統合し、開発を進めて大幅に発展した。
長曾我部元親を例にとれば、四国を統一するのに20年かけているが、その前半はほぼ土佐一国の統一に費やされた。
せっかく四国を統一したのに、織田信長と豊臣秀吉があっという間にその成果を取り上げてしまった。 かつては、唐と宋は「唐宋八大家」という言葉に見られるように、連続した時代と扱われていた。
内藤湖南が「唐宋変革論」を唱えて以来、この2つの間には大きな断絶があるという認識が広まった。
それと同じように、日本史においても、かつては応仁の乱の重要性がそれほど認識されていなかったという。
同じ室町幕府の世だし、群雄割拠状態は応仁の乱から始まったわけではなく、それ以前から
日本は実質的にバラバラだったのだから、本当は、違いはいまひとつ分かりにくい。
いまや、日本史における戦国時代の重要性は、歴史ファンに限らず、ゲームヲタクにまで完全に浸透している。
ここでも、内藤湖南が唱えた歴史観の影響が大きい。 日本の戦国時代と同じようなことが、五代十国で起きたのではないかと言われている。
十国に分かれて、各国がそれぞれに国内の開発を進めた。
そのおかげで、かつては歴史のワキ役だった、中国の南部が大きく発展した。
次の宋の時代からは、江南が名実ともに経済の中心となり、貿易は広東省や福建省の海港が中心となる。
古代から続く、黄河文明が優位の時代は、ここに終わりを告げた。
内藤湖南たちは、そこに「中国史における最大の節目」を見たんじゃなかろうか。 >>36
>>39
唐の初代皇帝李淵の皇后で李世民の母は匈奴系 書籍:図説中国文明史F 宋
− 成熟する文明 −
P3〜6
国家や王朝の品格は、版図の大きさや軍事力の強大さにいよって決まるものではないにもかかわらず、後の時代からは、北の異民
族政権に屈したひ弱な時代であったとみなされ、侮蔑的な扱いを受けることが多い。
内向の時代であったが故に、文明としての精神性の深化が図られたともいえよう。
思弁的な理学の成立や唯心論的な禅宗の流行などは、そのもっとも典型的な例であろうし、それに帯同して生まれた文化現象にもその精神の反映を見て取ることができる。
もし、中国の文明が文治主義的であるという理解があるとすれば、それはまさにこの時代において育まれ、定着した観念である。
すなわち、宋代の文明には、中国において古来そうあるべきだとして説かれてきた文明の成熟した姿を見ることができる。
この文明を支えたのが、士大夫と呼ばれる儒教的な教養を身につけた知識人であった。 経世済民は、もはや皇帝とそれに連なる貴族階層の役割ではなく、新たなる士大夫階層の責務となった。
宋1代、3世紀余の長きにわたる期間、絶対的な権力を振るうことで名君といわれるようになる皇帝が現れなかったのも、このことと関わる。
今に残る宋の皇帝陵の質実さは、その権力がどれほど控えめなものであったかを如実に伝えている。
ここには意識の大きな変革があった。
それを促したのは、江南に基盤を置いた経済の飛躍的な発展とそれに連動した社会の成熟であり、さらにそれに伴う実用次元でも技術の革新があった。
南宋の後半ともなると、経済の疲弊とともに、文明を支えた士大夫たちの自由な言論も、議論のための議論が多くなり、現実から遊離した観念だけの充足に終始してしまうこととなる。
ここに、かつてないほど端正で成熟した文明を築き、拡張主義的な対外政策を取らなかった「文弱」の宋王朝は瓦解への道を突き進んでゆくことになる。
内向することによって昇華された文明は、一定の融点に達することによって自壊作用が進んだということであろう。
新しい時代の社会には、また新しい理念と新たなシステムが必要とされるようになったのである。
しかし、宋王朝の築かんとした文明が、<文>に徹することの価値を掲げたことの意義は、同時代から、また後の時代から、いかに「文弱」だとのそしりを受けようが、今日の文明史的観点から見て、十分に高く評価できるものであろう。 早い話が、宋代というのは、文化史的に極めて高く評価されている。
文官優位の文治体制が確立された。
陶磁器や文人画は、東洋の美の神髄といえる高雅な境地に達した。
朱子学や禅宗といった、内面を重視する精神性の高い思想が流行した。 五代王朝は大別して朱全忠の河南軍閥による政権である後梁と、李克用の興した沙陀軍閥による後唐〜後周に分けられます。
五代と総称しつつ、後唐は後梁を外から武力で打倒して入れ替わっており、ここで断絶がある。
ところが後唐からあとは同じ沙陀軍閥内の持ち回りに過ぎず、国の外枠はいちおう連続しています。
そしてこの沙陀国家が直接次の宋につながるゆえに、唐を滅ぼした後梁一代と、それに置き換わった沙陀の四代を合わせて正統とされる。
あとは単純に、沙陀の中枢を掌握した支配者たちが、順に4つの王朝を称しただけです。
後漢は確かに短期間で後周の郭威に簒奪されますが、一度契丹に征服されかけた沙陀国家を建て直して次にバトンタッチした重要な存在なので、宋の立場上これを外すわけにはいきません。
宋代初期には、むしろ沙陀の系譜につながらない後梁のほうが、正統王朝に数えるべきか議論になっています。 議論といえば、後唐の明宗以前と以後との断絶にもある。
明宗李嗣源が登位するにあたって国号をどうするか検討されたくらいだし。 朱全忠と李克用のは革命だが、あとは自民党内の政権交代みたいなもの 王朝交代のたびに、歴史にものすごい断層が生じる
それが中国史の特徴
なんでかっていったら、それはやっぱり、別の国による支配だから >>56
禅譲簒奪って長年独裁してきた権力党が政権交代した様なもんでしょ
日本のジミン党→民主党とかミャンマーの軍政→スーチー王朝とか南韓の軍事政権終焉とか >>58
おまえら低脳はデタラメなたとえ話をしたがるよね 燕雲十六州(えんうんじゅうろくしゅう)は、10世紀に遼が後晋から割譲されて支配した16の州のこと。具体的には、朔州・寰州・応州・雲州・蔚州・新州・武州・儒州・媯州・檀州・順州・幽州・薊州・涿州・瀛州・莫州の計16州を指す。
燕は燕京(幽州、現在の北京)を中心とする河北北部、雲は雲州(現在の大同)を中心とする山西北部のことで、燕雲とはこの2州を中心として万里の長城周辺に位置する漢人の定住農耕地帯にあたる。燕雲十六州の名が使われ始めたのは北宋徽宗の時代からである。 936年に、後唐を滅ぼして後晋を立てた石敬瑭が、このときに遼(当時の国号は契丹)から受けた援助の見返りとして割譲した。
遼は、この地域の統治を中華王朝と同様の制度でもって行い、従来から支配してきた遊牧民の社会とは別の制度で統治した。
従来も遊牧民系統の支配者層が中華世界を統治する王朝を打ち立てたことは数多くあった。
しかし、北アジア遊牧社会固有の統治制度を取る王朝が、遊牧民による遊牧経済が営まれる北方の版図と遊牧国家の統治制度を維持しつつ、
片や都市と定住農耕経済からなる中華世界を中華王朝の制度を維持したまま支配する形態は、遼の燕雲十六州獲得に始まる。
このような形態の王朝は征服王朝と呼ばれることもあり、対してそれ以前の遊牧民系統の支配者層を戴く王朝は浸透王朝や胡族国家と呼ばれる。 遼の燕雲十六州獲得から、華北の歴史に新しい局面が生じた。
それまでに中国を征服した遊牧民たちは、漢化政策をとってきた。
しかし、このときから、漢化しない征服者が登場した。
征服王朝の時代だ。 契丹人は、燕雲十六州で、中国統治のトレーニングを積んだ。
それは女真人や蒙古人にも受け継がれた。 なんといっても、これにより、北京を首都とする体制が固まったのが大きかった。
五代の諸王朝のように、開封を首都としていたのでは、いずれ漢化して浸透王朝になってしまうのは避けられなかっただろう。
北京に首都があるからこそ、征服王朝のままでいられた。 日本人が中国を支配していたら、神道王朝になっていた さすがに大陸には、讃州や長州や甲州に相州まではないか 女子高生が中国を支配していたら、制服王朝になっていたかもしれない >>71
長州は北魏の時に一時設置
湘州は湖南省 <--これが日本の湘南のルーツ >>69
それわ有るよな、ちょうど出入口に在って大都市の北京とか絶好 でわその理屈でいうと、サンクト・ペテルブルクとモスクワわどうなの? モスクワは伝統的なロシアの都
ピョートル大帝はモスクワでロシアの伝統文化に取り囲まれていては近代化は難しいと考えて
西洋風の新しい都としてペテルブルグを建都した
そしてソ連が首都をモスクワに戻したのは
西洋的ブルジョワ文化との決別のため >ピョートル大帝はモスクワでロシアの伝統文化に取り囲まれていては近代化は難しいと考えて 西洋風の新しい都としてペテルブルグを建都した
それもあるが、ピョートル大帝は、いまの中国と同じで海洋進出を目指していた。
だから、バルト海に面したペテルブルクに遷都した。
遷都は、ものすごい難事業だった。
あまりにも過酷な工事で脱走する労働者が続出し、脱走がバレたら鼻削ぎの刑にあった。
当然、貴族からも不満が噴出した。
史上最強クラスの暴君だからこそ成しえた、無理な遷都だった。 >>77
先進国に地理的に近づくためといえば福原みたいなもんな 北欧や西欧に近づきたいというのは、もちろんあったと思うんだが、オランダでの造船技術への執着ぶり、
海軍創設への異様な情熱などから察するに、やはり内陸国から海洋覇権国への脱皮が最大の目的だったと見るのが妥当だろう。
今の中国とよく似ている。 モスクワは、交通不便な内陸都市。海洋に出られるようなところではない。
実際、ピョートル大帝が遷都したときの苦労話のエピソードには、モスクワからバルト海沿岸まで
移動するのが当時、どれだけ大変な難路だったかをしのばせるものがある。 モスカウは殷周時代の華北中原みたいなもんよな
どちらも元々わ海へ出る意義の無かった土地 株式板より記念甜菜
761 名前:山師さん@トレード中[] 投稿日:2017/11/09(木) 21:28:17.73 ID:d9JWUUnl0 [5/5]
北宋が滅びたときもこんな感じだったんだろうな 中共がそう簡単に分裂するかな?
なんというか、この日本が育てたのだから、その芽を摘んで引導を渡してやるのも日本だと言われているような気がする。 キエフはオルドスみたいなもんじゃん?
緩衝地帯だけどどっちかってーと遊牧民の領域 >>89
ピョートル大帝は、黒海にも進出しようと必死だった。
当時、バルト海にはスウェーデン、黒海にはオスマン帝国という巨大な敵が立ちはだかっていた。
ピョートル大帝は、そのどちらとも長く争った。
でも、ウクライナは広い。キエフも、モスクワとの比較はともかく、それ自体として黒海に近いとは言えない、まったくの内陸都市。
中共の太子党は、現代の門閥貴族
シナは大唐帝国に似てきたな 都の貴族が没落して、地方から出てきた新興地主の子弟が中心になったおかげで、宋の文化には華やかさが欠けている。
でも、ワビサビを好む日本人には、そこがウケる要素。
宋代の美術工芸品は地味な存在だが、日本での評価が高い。 キエフから黒海まで420km
太原、長春、ダラス、アトランタと同程度の内陸都市 沙陀族(さだぞく、さたぞく)は、8世紀から10世紀頃まで、
華北からオルドスから山西近辺の地域で繁栄した
テュルク系民族の開いた突厥を構成した一部族。
突厥の崩壊後、吐蕃につき後に唐に帰服して中原北部に定着、軍閥化して次第に漢化していった。 いわゆる五代十国の華北を支配した五代王朝のうち後唐、後晋、後漢の三つは沙陀人の君主が沙陀系軍閥の軍事力を背景に建国しており、
漢人系とされる孟知祥の地方政権である後蜀をはじめ、
郭威、柴栄といった君主を戴く後周ですら、彼ら王朝創始者たちは沙陀族の劉知遠に見出されて沙陀系軍閥の一員として台頭し、
やはりこの軍閥の軍事力を背景に建国している。
その後全中華を統一した趙匡胤の宋朝もこの後周の国軍から台頭しており、
沙陀系軍閥の系譜を濃厚に継承している。 唐を滅ぼした朱全忠に、独眼竜・李克用は押されっぱなしだった。
しかし、李克用の次の世代からは沙陀軍閥の優位が確立され、それが宋までつなかった。
五代で王朝がコロコロ変わったといっても、みんな沙陀族とその関係者ばかり。 平氏とか源氏みたいなもので
最終的に皇帝、天皇家が権力回収出来たか出来無かったかの差 >>92-93
太子党は日本の世襲ゴミと比べ遥かにまとも
地方軍区に財政権は無い >>101
安倍晋三は協調的な調整型リーダーだが、習近平はヒトラー並みの独裁者になった あの知能障害の有る63才児に調整能力なんぞ有る筈も無し
胡錦涛が代わり習近平に成ってから報道管制の酷さが日本並みに成ったのわ感じるね 後唐、後晋、後漢も突厥臭が微塵もないのだけど完全に漢化していたのかな
鎌倉幕府のほうがまだ突厥や女真の国政によく似ている 草原で滅びた国の部族が中原に入って王朝を打ち立てることが多い
三國時代以降の匈奴、南北朝時代の鮮卑、で唐後期の突厥か >>97
突厥は漢民族よりも高度な文明を築くことが出来たのに、
沙陀族が創った北宋は軟弱で契丹女真の奴隷国家だった >>105
>後唐、後晋、後漢も突厥臭が微塵もないのだけど完全に漢化していたのかな
後唐の開祖・独眼竜の李克用は、野性味あふれる遊牧民。
後晋の石敬塘は、契丹軍に後唐を討ってもらう代わりに燕雲十六州を献上した。
それくらい、シナに対する愛国心はゼロな人。
そもそも、隋唐も宋も漢人王朝じゃないから、同じようなものだし。 >>108
契丹には高度な文化が栄えた。
シナよりも進んだ文化を持つペルシャと直結していたから。 遼は、燕雲十六州、今でいう北京や大同を、契丹式に統治した。
それまで遊牧民には中原を統治するノウハウがなく、漢人官僚を登用して中国式の統治機構を採用せざるを得なかった。
遼は、燕雲十六州の統治を通じて、征服王朝としてのノウハウを磨くことができた。
それが、のちの金やモンゴル帝国につながった。
中国史をマクロの視点で眺めれば、唐宋変革よりむしろ、こちらの方が後世への影響が大きかったかもしれない。 野性味あふれるとかそういう主観的な話じゃなくて国政や軍制についてだよ
大体、「愛国心」なんて近代以前にあるわけないし
突厥は基本的には武家政権や大和朝廷と同じ豪族の寄り合い世帯で、カガンもヤグブたちもそれぞれが自身の家産官僚や私有民をもっていたが
後唐、後晋、後漢は中国的な中央集権制国家で軍隊は皇帝が一元管理し、将軍たちは任命を受けて兵を領することになっている
家臣は基本全て皇帝の官吏で世襲の土地、兵士、職権を持たせない構造になっている 『護雅夫著『古代トルコ民族史研究』(1967・山川出版社) ▽護雅夫著『古代遊牧帝国』(中公新書)』
突厥の国家はイルilとよばれ、ハガンの下に小ハガン、ヤクブ、シャドなどの諸侯がいて、各地に一種の封建領をもち、領内の諸部族の統治にあたった。
これらはベグと総称され、支配階級を構成した。
一般民衆はブドゥンとよばれ、また主としてベグたちは家内奴隷を所有していた。
原始的なシャーマニズムが一般に信ぜられていたが、仏教が一時、ハガンを中心とする上層階級で行われた。 http://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/heisei/godai1.htm
五代十国は唐末の藩鎮の割拠による産物です。五代の各王朝の皇帝はすべて軍隊のなかからあらわれ、皇帝の地位の取得と強化は、
どれも手中の軍隊に依存していて世襲ではなく、朱全忠、李存勗、石敬塘、劉知遠、郭威そして彼らの後継者はこのようでないことはありませんでした。
これにより、各代の統治者はすべて軍権をきわめて重んじ、およそ軍事上の重要な作戦の策定は、すべて皇帝によって行われ、軍隊を統率する将軍は皇帝によって選任され、
出兵して戦争するのは皇帝の勅命によるのと同時に、みずから軍隊を掌握し、作戦を指揮しました。
およそ戦時には、中央はと言うと臨時に武将を任命し、招討使、都統、都部署、行営都指揮使などにあて、別々に勅命に従って軍隊を出して戦い、戦争が終われば解任されました。 >>111
北魏から唐、後唐から宋がひとまとまりになるように、
契丹から清もひとまとまりになるな >>106
鮮卑が漢土へ入った時わ別に弱って無いよ
>>107
毎年恒例の中国崩壊かな?
>>108
突厥もゴ多分に漏れず軍事と政治に偏った軍事国家、独自の高度な文明わ取り立てて無いよ
>>109
隋唐宋は漢人王朝
>>110
唐宋時代のペルシャも同時代中国程じゃ無いよ
>>111
南面の統治わ中国式、北面の統治迄中国式にせず古制を保った点に北朝との違いが有る 遼は文化も統治も基本的には漢人の南面官に丸投げで自分たちは何も生み出せてないが
中国をまねて都市を作ってみた者の経済規模はショボく現物経済の域を出ることはなかった
大体ペルシャと直結とか何寝語といってるんだ?最初から最後までコイツら中国から貢納品頼みのクズだぞ
10世紀のアッバースとか中国で言うと五胡十六国時代で没落著しく中国に匹敵するほどの力は素手にない >>117
そんなら渤海が存続したほうがよかったな
王建軍の精鋭が渤海に合流すれば勝てるかも >>115
そう、マクロな視点で中国史を見れば、隋唐から宋へという流れと、契丹から金元を通じて明清へという流れがある。
現代の中華人民共和国は、契丹からの流れを受け継いでいる。 馮道、これを「ひょうどう」と読む人が時々いる。
学者でさえも。
そのたび、ちーがーうーだーろー、と言いたくなる。 憑と勘違いしてんのか知らんがヒョウの要素無えだろw
>>119
金と元は全く別物、明と清は真似てる点も多いけど(悪い意味で)
元は歴代王朝中明らかに異質且つ有害だった
世界史板は、無駄なスレ重複スレ限定的なスレタイが多く分散しすぎて
スレの勢いが伸びていないスレが多すぎる
そういうなかで、このスレ(タイトル)はなかなかの良スレだと思う
調子に乗って、以下のようなスレを立てても
同じくらいに延びてくれるかどうか
元明清期
秦漢帝国
夏殷周期
三国晋五胡十六国
近代・アヘン戦争以後の中国史スレ >>119
明の時代は、南京時代は評価が別れそう
でも永楽帝時代からは完全に「漢民族による征服王朝」だな >>122
朝鮮ほどじゃないが、中国の話も荒れやすいからな 馮道是誰 一生歷五朝八姓十一帝的馮道是奸臣還是忠臣
馮道在五代史上是一個異類,他應該算是中國歷史上最為成功的官僚,因為他的一生都在做官,
並且侍奉了五朝八姓十一帝,最難能可貴的是一直位列宰輔,雖生處亂世,時局動亂,
他都能力挽狂瀾於既倒之時,使自己永遠立於高位不敗。
生前輔佐了一個個帝王,閱盡繁華與滄桑,死時葬禮達到萬人空巷,後周世宗柴榮罷朝三日,以寄哀思。
最後被柴榮追封為瀛文懿王。有人說他精通為官之道,一本《榮枯鑒》耗盡畢生心血,
也有人諷刺其氣節喪盡,到底馮道是個忠臣還是奸臣? 五代十国時代には皇帝・王朝が激しく入れ替わったが、その中で馮道は後梁を除いた五代王朝の全て(後唐・後晋・後漢・後周)と、
後晋を滅ぼして一時的に中原を支配した契丹族王朝の遼に仕え、常に高位にあった。
馮道は仕えた主君を「五朝八姓十一君」と称している。
五朝 後唐・後晋・遼・後漢・後周の5つの王朝。
八姓 後唐の李存勗、その養子の李嗣源(本姓不詳)、そのまた養子の李従珂(本姓王氏)の3つの李氏、後晋の石氏、遼の耶律氏、後漢の劉氏、後周の郭威とその養子の柴栄の2氏の合計8つの姓。
十一君 後唐4代、後晋2代、遼1代、後漢2代、後周2代の合計11人の皇帝。 遼も金も元も明も清も全然、別物だが
ロクな知識も持たず先づ結論ありきで持ってこうとするからそんな頓珍漢なことを書いてしまう 遼 北面官による遊牧民統治と南面官による漢人や渤海人統治の二重体制。最高機関も両者別々に置かれた。
金 征服王朝とされているが、その実態は隋唐同様、浸透王朝である。伝統的な部族制度を温存するも故地に残った者は漢化を免れたが世宗の代には固有の言語や文字、習慣をほとんど失った。
元 構造的には大和朝廷の部品制やカースト制度に近い。匠戸、儒戸、兵戸とあらゆる階層の人間が職業ごとにクラス分けされ代々職業を世襲するようになった。
明 世襲戸は軍戸を除いて廃止。宋制を模倣しているが宰相が置かれずすべての官庁が皇帝に直結し専制政治をより進めた点に特徴がある。 >>128
こうしてみると、元の統治が非常に合理的だな やはり、いまの中国が中国らしくなったのは、元の時代と言えるだろう 鮮卑が漢化したんじゃなくて、シナが鮮卑化したんだろ どっちにしても、次の時代のシナ人は鮮卑の子孫だけどな 鮮卑人とか人口比からすると10分の1にみたないんだが つまり、後世に及ぼした影響は、先住民よりも鮮卑のほうが大きい そんなに鮮卑が強固に文化を残すことに邁進してくれていれば
言語学者は苦労しなかったのだが
嗄仙洞の碑文ですら完璧な漢文で書かれているし >>139
鮮卑族のほとんどが東魏のほうに行っちゃったから
宇文泰は関中の漢人豪族集めて府兵集団をつくらざる得なかったんだが なんかここ1年くらいで助詞の「は」を「わ」と書く人が物凄く増えたな >>144
そいつらも漢人ではない
漢が滅んで民族大移動が始まってから、何百年たってると思ってるの 歴代皇后の出自
北周の武帝 阿史那皇后(突厥)
隋の文帝 独狐皇后(匈奴)
隋の煬帝 蕭皇后(漢族)
唐の高祖 竇皇后(匈奴)
唐の太宗 長孫皇后(鮮卑) 挨拶されようとわざと立ち止まるキモイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>146
https://kotobank.jp/word/%E5%BA%9C%E5%85%B5%E5%88%B6-620185
>西魏の宇文泰(505?‐556)は,漢人徴募兵を直属させて六柱国・十二大将軍・二十四開府儀同が統率する二十四軍に編成
>漢が滅んで民族大移動が始まってから、何百年たってると思ってるの
全然基本的なことが理解できてないから教えてやろう
五胡の移動は、漢が滅んでからではなく後漢末の魏の曹操の北方遊牧民の武力制圧の結果による強制移住によるもの。
5世頃には北魏の華北を統一するが、道武帝は漠北に鮮卑人を放置したまま、自身は洛陽に遷都、漢人層を取り込むため胡服鮮卑語を禁じ同じ鮮卑人を弾圧した。
これがのちの六鎮の乱の遠因となり北魏は滅んだわけ。 >>149
だから、その北魏を滅ぼして漢化政策を終わらせた連中が、次の時代を創ったんだろ。 鮮卑人は、絶滅したんじゃなくて、彼らが新しいシナ人になったんだよ。
古代の黄河文明を築いた先住民に代わってな。 >>147
下4名見れば漢族の血が5割処か7割超えてるっていうね
文化的にも漢人だしな
>>152
北魏の支配層ですら移住制限する前で胡漢半々 どうしてネトウヨはこんなに物覚えが悪いの?
鮮卑人は遊牧民なのに北魏に存在していた数千の都市や寺院仏閣は誰が作ったと思ってるの?勝手に生えて来たんですか? 鮮卑は元遊牧民
定住したら遊牧民じゃなくなるからな モンゴル族はトルコ族と違って大抵農耕も少しやってたから
割とすんなり定住するしね >>154
そもそも、その仏教信仰を西域から持ち込んだのが遊牧民なんだよ。
先住民の大工を使って、仏教建築を建てさせたのは遊牧民。 ってか、古代国家の民族区分を人種的視点で見るのってナンセンスだなあ
遊牧民も農業帝国も、人種より文化なのは洋の東西を問わない 文化も大きく変質してるだろ
インドの宗教やペルシャの音楽が盛んになったのは、遊牧民がシナに持ち込んだグローバル文化 フランク族がラテン語を習得したといっても、古代ローマとの連続性があるとはいえない
そこには断層がある イラン史だって、ペルシャ帝国とパルティア王朝を明確に区別している
これが中国だったら、「パルティア人はペルシャの文化に同化されました」と主張して、一緒くたにするところだ >>157
逆じゃないか。テュルク系の方が
柔軟に遊牧と農耕も選択すると言う
印象だが。 >>161
西ローマ末期と中世初期との間に断層があったのか、という点については、今は「なかった」とする説のが有力なんじゃないか
そもそも、西ローマ滅亡からフランク族の台頭まで、東ゴートを筆頭に、かなりの時間経っているので、
ローマとフランクを比べて断絶があるのはむしろ当然 >>165
だから、漢の滅亡から唐まで、かなり時間が経ってるから、
当然に断絶があるという話をしてるんだが。
普通の国なら、なんてことない通常の歴史談義なんだが、
ここで「中国四千年の歴史にケチをつける気アルカー?」と
バカが騒ぎ出すのが、中国史に特有の厄介な特殊事情。 >>158
アホ?三国時代からすでに入って来てるが
>>166
じゃあ日本も縄文時代と弥生時代、邪馬台国と大和朝廷では断然があるってことでいいんだな?
飛鳥時代の国政を壟断していたのは曾我氏率いる渡来系氏族だし遣隋使や国博士もすべて朝鮮系渡来人が占めていたのだから >>167
勝手にしろ。日本史はとりあえず関係ない。
このバカがいるおかげで、世界史板では中国史関連スレがすぐに盛り下がる(笑)
コイツは、世界史板の癌。 まあ、ネット上で異常な奴が出てくるのは、お約束だけどな(笑) >>167
そんなの当然だろ
部民制は百済、評制は高句麗からだし
高松塚古墳の人物壁画を見てもわかる通り朝廷の女官たちはチマチョゴリ風の朝鮮服を身に着け
都には百済宮や百済大寺が立てられ、朝廷では百済語が話され、国博士や学職頭といった国政の決定や教育者はすべて朝鮮人から選ばれ
ていたことも、しっかり山川の教科書に明記されてる
古代日本で朝鮮人が支配層を構成していたのは常識だし否定しているのネトウヨの中でも頭の悪いごく一部だけだろ 勝手にやってろ。
こっちは、日本史にも朝鮮史にもあんまり興味ないんだよ、悪いけど(笑) 「北史」の「列伝」で鮮卑と漢人系の人名の比率が見ればどれだけ自分がアホなこと言ってるかわかると思うけど
上層部がほとんど朝鮮系で占められていた敏達朝とそれ以前の日本のほうがよっぽど断絶性があるけどね 漢が滅亡して、華北の人口が激減した。
その後、北から西から、異民族の大量流入が400年続いた。
単に大民族移動しただけでなく、異民族の支配が400年続いた。
いくらノンビリした古代のこととはいえ、400年っていったら半端な長さじゃないぜ。
ローマ帝国とフランク王国より断絶が大きいと見るのが当然だろう。 少なくとも、漢は、「滅亡した先住民による、失われた旧文明」と位置付けるべきだろう。
唐も、基本的にはそう位置づけてよい。
ていうか、それ以前の問題として、北京と長安なんかもともと異国だろ。 中国共産党なんか、単なる侵略者だ。
「四千年の歴史」なんか、あるわけがない(笑) >>173
朝鮮てのはモンゴル帝国支配の後だぞ
紀元前の古朝鮮は支那の流民が創った王朝だし 前趙時代で漢人口2000万にたいし胡人は500万ほど
更に冉閔の大虐殺によって胡人と特に羯は大打撃を受けて絶滅
さらに道武帝の頃の漢人至上主義政策によって鮮卑は漢人の都督の支配下に置かれほとんどが奴婢や兵戸に落される
不満もってた連中は六鎮の乱の際に破六韓抜陵と一緒に漠北に逃げちゃったので、一応ここが胡人政権の節目とみていいだろう >>177
何そのネトウヨ史観
まさか朝鮮人はエヴェンキの子孫とか与太話信じてないよね
古朝鮮は燕からの亡命者が造ったのは事実だが、それを推戴した朝鮮国民は漢書の東夷伝にあるとおり朝鮮半島の原住民だし
今の朝鮮人の直接の祖となる弁韓馬韓辰韓があったのはもっと南 >>177
なんだ、左翼の爺さんかと思ったら、朝鮮人なの?
まあ、朝鮮人なら反日でも仕方ないな(笑) >>175
だからさぁ漢人は圧倒的多数派を占めていて鮮卑人は劣勢だったし統治技術も未熟だったので
支配者層はわざわざ自分の部族民をイジメてまで漢人支配層のご機嫌をとらないといけなかったわけ
当時の人口動態については「魏晋南北朝官人身分制研究」という分厚い本にしっかり載せてあるからちゃんと読んでね >>179
馬韓と秦韓は別種族だろボケが
今のチョンの直接の祖先は和人だったり支那人だったりモンゴル人だったり契丹人だったり多種多様なわけ >>180
左翼=爺さんってイメージ持ってるあなたは大方、氷河期かバブル期のオジサンでしょ
自分はゆとりっ子なんで昭和世代のジジイは基本全員右翼でレイシストって印象しかないですね ほんとだ、アンカー間違えてた
>>179 だったよ(笑) >>183
左翼は嘘つきとキチガイしかいないよね
おまえは典型的だ 改めて、
>>179
なんだ、左翼の爺さんかと思ったら朝鮮人なの?
朝鮮人なら仕方ないや、お気の毒な人たちだから(笑) >>182
弁韓から新羅が起こり馬韓から百済が起こり、後に新羅が百済滅ぼして統一して
のちの高麗へとつながっていくんだから何も間違ってないが
>今のチョンの直接の祖先は和人だったり支那人だったりモンゴル人だったり契丹人だったり多種多様なわけ
昭和のおっさんのレイシスト根性はほんと反吐が出るね
大体契丹とかすべて遠征しっぱいして叩きだされてるじゃん
朝鮮から伝わった須恵器が在来土器、駆逐してる事実から考えてもどう見ても半島から日本への人口移動のほうがデカいよね >朝鮮から伝わった須恵器が在来土器、駆逐してる事実から考えてもどう見ても半島から日本への人口移動のほうがデカいよね
何が「昭和のオッサン」だよ(笑)
最近の小中学校の日本史の教科書を知らないってのが、この一言でバレバレ >>188
お前の方がよほどレイシスト根性発揮させてんじゃんよ >>188
おまえイカレてんな
弁韓の地域は加羅と任那だよボケ
秦韓は支那の流民で、新羅は和人の系統なんだよ
契丹からは軍事だけじゃなく流民も半島に入ってるわけ 須恵器なんてものは、たき火で枯葉を焼いてたら自然にできるほど簡単だ
半島から伝わったなんてウソもいいとこ 唐宋時代といふことは普通に用ふる語なるが、歴史特に文化史的に考察すると、實は意味をなさぬ語である。
それは唐代は中世の終末に屬し、而して宋代は近世の發端となりて、其間に唐末より五代に至る過渡期を含むを以て、唐と宋とは文化の性質上著しく異りたる點がある。
但し從来の歴史家は多く朝代によりて時代を區劃したから、唐宋とか元明Cとか一の成語になつて居るが、學術的にはかかる區劃法を改むる必要がある。
但し今は便宜上、普通の歴史區劃に從ひ唐宋時代の名を用ひて、支那の中世より近世に移る間の變化の状態を總括して説いて見ようと思ふ。
(「概括的唐宋時代觀」『歴史と地理』九−五、『東洋文化史研究』所収、『内藤湖南全集』第八巻収録) 支那の近世は何時から始まつたとすべきであるか。
從來は多く朝代によつて時代を區劃する方法が行はれたが、これは便利なやうであるけれども、史學的には必ずしも正確とは謂へない。
史學的に言ふときには、近世には、ただ年數から云つて今の時代に近いといふばかりではなくして、必ず近世を形成する内容がなくてはならぬ。
その内容が何であるかは次に述べるが、さういふ内容をもつた近世は、これを宋以後とすべきである。
而して宋になるまでには、中古より近世への過渡期がある。近世史を明かにするには、この過渡期から考へる必要がある。
(『支那近世史』(『内藤湖南全集』第十巻所収)第一章近世史の意義) その卓越した学説の一つが、いわゆる唐宋変革論です。尤も、「唐宋変革」という言葉を湖 南は使っておりません。「唐宋の変化」など、「変化」という言葉を使っておりますが、
この唐 宋変革という言葉は、戦後の日本の学界で特に若い研究者の間で使われだした言葉で、私たち がまだ大学を出たばかりのころ、この言葉を大いに使っておりましたが、
今やこれは全世界の 学界の共通語になってきました。
台湾に行きましたときに、台湾の学者と大陸の学者とが何か 中国語で話し合っていました。
内容は十分に分からなかったのですが、唐宋変革という言葉を お互いにしきりに使っていまして、唐宋変革で何か両岸同士でシンポジウムをやりたいという 話であったようです。
日本で私たちが若いころに使った言葉が、今、世界共通の学術用語にな っているということを知って、大変感慨深い気持ちでした。 その唐宋変革論はどなたもよくご存じの学説なのですが、唐宋変革というのは、唐宋の間に 大きな社会的、政治的、文化的変化が起ったという考えです。
政治的には、それまでの貴族政治から君主独裁政治へ、経済的には、現物経済の優勢な時代から貨幣経済の発展期へ移ってい く。
そのような状況の変化の中で、民衆も貴族の支配下から解放されて自由になっていく。
文化のいろいろなジャンルにおいても、これまでの形式重視の文化から自由な表現を重んじる文 化へ移っていった。
簡単に言うと、こういう説なのですが、今、私が考えておりますのは、次 のようなことです。
ここに(2)(3)(4)と番号を付して挙げました資料は、唐宋変革の中身 ではなくて、唐宋変革を述べる前の前文に当たるものです。
ここでは、いわゆる時代区分論 を、同じような趣旨で、それぞれ展開しております。時間的には一番早いのが(4)『支那論』 です。
(3)「支那近世史」と(2)「概括的唐宋時代観」がほぼ同じ時期です。
『支那論』とこれ らとの間には確か10年ぐらいの差があったかと思います。 >>194
契丹が滅亡した後に、高麗に渡来した契丹人は100万に達するという記録もある あまりにも有名な、内藤湖南の唐宋変革論。
その一方で、杉山正明史は、モンゴル帝国画期論を唱えて注目される。
いまの中国の始まりを、宋に見るか、元に見るかというスタンスの違い。 特に啓蒙書などの叙述において、モンゴル帝国主体からの視点によって中国史料やヨーロッパにおける叙述の視点の偏り、
それを「鵜呑み」にしてきた旧来の欧米や日本の歴史学界におけるモンゴルへの視座を否定的にとらえ、
モンゴル帝国の残虐性を糾弾する先人を批判し、モンゴル帝国の持っていた先進性を評価する。
また、モンゴル帝国の時代における世界の各地域を、グローバルなモンゴル・中央ユーラシア世界と
内向きな中国・日本・ヨーロッパ等という対立的な見方においてとらえ、本来の研究領域である
東アジア世界の叙述において、南宋・明などのモンゴル帝国に敵対した中国王朝の為政者や、
耶律楚材などのモンゴル帝国に仕えた中国系官僚の役割をモンゴルのグローバルな視点から
読み直す叙述を盛んに行っている。 >>193
新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。
領地は高句麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。 どこにそんな記録があるんだよ
渤海人と間違ってるんじゃね?
ちなみに韓国人はこれを根拠に旧渤海も歴史的領土だという根拠にしているんだが
もしそんな記録があるのなら連中の領土的野心から言って旧遼帝国内も自国領だと主張しているだろうよ >>203-204
ウィキにある
渤海の話なんてしてない >>205
ソースはウィキか
じゃああてにならんな ソース出せて反論できないのはお前でしょ
高麗史と遼史出してやってんだから探して来いよ
もしかして漢文読めないの?( ̄m ̄〃)ぷぷっ! >>209
高麗史と遼史にウィキはあてにならんて書かれてんのかww ウリナラファンタジ-全開のバカチョンと世界最高民族の無教養ネトウヨが火病ってレスバトルとかさあ
どっちもよく似てるは >>211
わかった、わかった
いちばん偉いのはアンタだ アベちゃんが中国包囲網無かった事にしたし日本人も他国の事言えんけどな >>10
唐の後継は宋ではなくて遼・金・元だから、宋との間はそりゃ断絶して見えるわな >>167
縄文とその後は断絶があるとしてる人が大半だと思う
断絶が緩やかに進行したか一気に進行したかで意見の違いあるけど 弥生人が大陸から持ち込んだ伝染病で純血縄文人は全滅
弥生人との混血組だけ生き残ったという説があるね 全滅するかよ。アメリカのインディアンとか積極的に殺しまくってたのに、血筋は結構残ってるぞ。
純白人のWASPの扱いになってる人にも結構な割合でインディアンの子孫が居る。
大統領になったブッシュ父子もポカホンタスの子孫だぞ。 男系女系で随分違う
メキシコのメスティーソも女系たどれば9割はインディオだが
男系は1割とかそんな感じ
移民はほとんど男なのと政略結婚して結びついた部族以外は全滅した結果だが >>219
無いよ
琉球人、アイヌと本土人に特徴的な抗原とか見つかって無いし
本土内での地理的勾配のあるのとかも見つかって無いから今の所
一応、南九州と琉球に見られる遺伝的なガンは有るけど急性の伝染病じゃ無いし 遺伝性があるガンは子宮頸がん以外はエビテンスがないって講義で聞いたけどな
あとアイヌは日本人と比べて腸チフス、天然痘、結核、梅毒の罹患率が優位に高かったはず 遺伝性の有る癌は幾つも有るけど集団的に確認されてるのわ〜って話でしょ
南九州と琉球に多いガンはウイルス感染が原因、虫歯とかその手のやつ 「支那」やら「チョン」なんていう侮蔑語使っている時点で
そんなレイシスト野郎の戯言は一切聞くに値しないと思っているんだけど
よく皆さん相手にできますね >>227
おまえは支那チョンて言われると発狂しちゃう人種なの? 中国人もレイシストなんだから、別に日本人もレイシストで構わないやろ?
お互い様だ。 近所に支那竹が美味い支那そば屋があるけど
店主がレイシストだとは思わないけどね 売国奴死ね蕎麦を食え蕎麦を
愛国人は蕎麦を食え、って言ってただろ きたああああああああああああああああああああああああああ。
李淵
唐朝の始祖・李淵のY染色体は、ハプログループN(N-M231)である(注1)。
さらに、STRの配列に関しては、安徽省出身の商人・胡雪巌とされている数値とほぼ一致していることも明らかとなった。
唐朝を開いた李氏と、胡氏は父系で何らかの関連があったと考えられている 高麗は唐王朝の血を引いていないし、現代中国人に唐王朝の血を引いている人はほとんどいません。
大成果だ。 ) ソ ,. .' /^^⌒^へ
´) ( )ソ .' ,. / (0\)》)ノ) .' V
).' ) )丶 . ξミ  ̄ ⌒∞\.'´W.' /巛/巛/巛/巛/巛/巛
丿 . ソ( . ' 彳ゞ:》 |\____)..'’: .:┏┓ ┏━━┓ ┏┓巛
(: ')) ,. .': ゞ》ソ/ | ∨VVVV∨ ┏┛┗┓┃┏┓┃ ┃┃ <
( ノ. , 彳》ゞ/ | (`・ω・´) < ┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━┓┃┃ 巛
.'/| .'.) ゞ》ゞ/ \/VVVVV) ┏┛┗┓┃┏┓┃┗━━┛┃┃ <
//.'; : 彳シ \  ̄ ̄ ̄/ ┗┓┏┛┗┛┃┃ ┗┛ 巛
( ' ヽゞゞゞゞソξ \ ⌒\ .| ⌒\ ┃┃ ┃┃ ┏┓ <
ヽ ´⌒⌒ 入( ソ `VVV ノ)`VVV ┗┛ ┗┛ ┗┛巛
).'\ ( ノーー-、_/ーー-、 \巛\巛\巛\巛\巛\巛
`ーー-( (\\\ (\\\
 ̄ ̄ ̄ ̄^⌒^⌒  ̄^⌒⌒ ) ソ ,. .' /^^⌒^へ
´) ( )ソ .' ,. / (0\)》)ノ) .' V
).' ) )丶 . ξミ  ̄ ⌒∞\.'´W.' /巛/巛/巛/巛/巛/巛
丿 . ソ( . ' 彳ゞ:》 |\____)..'’: .:┏┓ ┏━━┓ ┏┓巛
(: ')) ,. .': ゞ》ソ/ | ∨VVVV∨ ┏┛┗┓┃┏┓┃ ┃┃ <
( ノ. , 彳》ゞ/ | (`・ω・´) < ┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━┓┃┃ 巛
.'/| .'.) ゞ》ゞ/ \/VVVVV) ┏┛┗┓┃┏┓┃┗━━┛┃┃ <
//.'; : 彳シ \  ̄ ̄ ̄/ ┗┓┏┛┗┛┃┃ ┗┛ 巛
( ' ヽゞゞゞゞソξ \ ⌒\ .| ⌒\ ┃┃ ┃┃ ┏┓ <
ヽ ´⌒⌒ 入( ソ `VVV ノ)`VVV ┗┛ ┗┛ ┗┛巛
).'\ ( ノーー-、_/ーー-、 \巛\巛\巛\巛\巛\巛
`ーー-( (\\\ (\\\
 ̄ ̄ ̄ ̄^⌒^⌒  ̄^⌒⌒
唐の太宗のY染色体ハプログループついに判明。
李淵
唐朝の始祖・李淵のY染色体は、ハプログループN(N-M231)である(注1)。
さらに、STRの配列に関しては、安徽省出身の商人・胡雪巌とされている数値とほぼ一致していることも明らかとなった。
唐朝を開いた李氏と、胡氏は父系で何らかの関連があったと考えられている。
残る皇帝は、隋のみ。
そして、老子がNである可能性が浮上。
でかいぜ、こいつは。
これで、世界史板で語られていた妄言が大量に整理されることになるぞ。
すごいぞ、ハプロ研究。
朝鮮の高麗は、唐皇帝家の男系子孫ではなく、女系子孫でした。 >>233-236
ハプログループNは、
ネネツ人に97%、ヤクート人に88%、 フィン人に63%、チュクチ人に58%、サーミ人に47%、エストニア人に41%、ユカギール人に31%、ロシア人に20%だよ >>234
Karafetの2005年の論文だと中国人全体で9%とさほど少ないわけでもない >>240
逆だアホ
東アジアから北上していった系統 >>241
シベリア土人の皇帝に支配された支那土人w >>227
シナもチョンも、侮蔑語じゃないだろ
「馬鹿チョン」なら侮蔑語だが、「チョン」は朝鮮人によくある名字に過ぎない
日本人を「ミセス・ワタナベ」と呼ぶのと同じだ 李淵のソース追加。
注3)『明經胡氏宗譜(始祖傳條)』には「大唐第22代皇帝・昭宗は、
唐朝末期に産れた幼皇子(李昌翼)を宮廷の危険から遠ざける為に、
近侍していた股肱の臣・胡三に預けた。
胡三は皇子を御駕に載せて東へ遷り、己の身の危険を顧みず養育したが、
唐朝は朱全忠の圧力に抗し難く昭宗は廃位されて殺害された。
皇子らも、翌年、洛陽苑の宴で謀殺され、ついに天祐4年(907)、哀帝(李昌翼の実兄)は、
朱全忠に帝位を禅譲し唐は滅亡。これを受けて朱全忠は「後梁」を開いた。
その後、李昌翼は、養父の姓を享けて胡氏を名乗った。これが明経胡氏の始祖である」とあり、
従来は一家伝に過ぎないと看做されてきたが、DNA解析の結果、
何らかの史実が反映されているのではないかと指摘されている。
史実としては、天祐2年2月9日(905年3月17日)、洛陽苑内で行われた偽りの宴会の最中に、
朱全忠らによって哀帝の兄弟皇子(男子)17人のうち9人が謀殺され、7人の皇子らが身を隠し行方不明となっている。
紅頂商人・胡雪巌(1823-1885)のY染色体は、ハプログループN(N-M231)である(注1)。
胡雪巌は、安徽省の績渓の出身で、清朝の末期に杭州で起業し官商として巨万の富を得た。 隋がわからないことにはなんともいえないな。
北方民族の流入ってことは、五胡十六国時代がいちばん顕著なんだろ? タラス河畔の戦いに、唐皇帝家の一族は従軍していたの?
なんか、タラス河畔の戦いが、中国対イスラムってだけじゃなく、
北方系民族対中東系民族の戦いって見方もできるようになってきた。
いいかえれば、農耕の発祥の地メソポタミアにとどまった民族と、遠くまで旅に出た民族の合戦って様相を呈してきた。 >>240
東アジアから沿岸伝いに満州→沿海州を抜け北回りで北欧迄拡散した集団
トルコ族よりモンゴル族に多く居る系統 >>247
本物も偶にわ居るんだな
日本へ渡来した氏族にも皇帝の自称子孫とか色々居るけど >>249
全然違う
概説書から学んで来い
元々後漢末とくに魏があちこち北方民族の土地を荒らしまくって、その住民を拉致して
兵力として利用してたのが遠因 >>249
多分北魏時代、胡人も大分増えて今や半々だって発言あるし >>255
北魏とか胡人の大量離反を招いた六鎮の乱があった時代だし
やり直し >>252
秦氏って朝鮮系なのか中国系なのか混合か >>250
唐とサラセン帝国というより、西域の節度使・高仙芝と、「ホラーサーンの虎」こと総督アブー・ムスリムの戦い >>258
流入で一番多いのって支配が確立してから支配民族が入るパターン
当たり前だけど >>244
トルコ系ったって、ロシア人が憶えやすいからヤクート語で交易だのなんだのやってたら、周辺の連中もエベンとかシボとかサルタンとかも
みーんなヤクート語に切り替えてしまった。
そうこうするうちに、極圏の人口が急減して、従前の慣習もロシア人のもってきたものと入れ替わって、200年くらいの間に、そこら一帯
ヤクート語話すヤクート人という意識が生じてきた。 >>261
道武帝の強制的な漢化政策と鮮卑や軍戸の地位低下のはてに六鎮の乱があったんだが
何言ってるのかわからないなら「魏晋南北朝社会の研究」でを読んで基礎的な知識を身に着けてから来てね
アルファベットも読めない人に英文はかけないでしょ? >>264
従前の特権が無くても漢化してでも、移住するだけ
漢土の豊かさと文明わ魅力的だった、という事だよ >>264
ゲルマン人やフランク人が、ラテン語を勉強したのと同じだな。
支配民族が、先住民の旧文明を学んで身につけることはよくある。 >>266
哀れなシナ人から、豊穣の地を奪い取ったんだな。 人間も悪貨が良貨を駆逐する
支那人と雑居してりゃ、下品な支那人のようになってしまうんだな 鮮卑王朝の騎馬民族とか王室直属の奴隷みたいなもんだけどな
鮮卑族は兵戸として軍役についていたのだが、漢族でも犯罪を犯したものがこの兵戸に組み込まれたり
降伏せずに戦死した兵士の家族が兵戸から解放されたりとほとんど奴隷に近い扱い 美の基準はそれぞれである
もし、楊貴妃の写真が残っていたら…
【簡単に説明すると】
・145人の男にプロポーズされた美女が公開される
・どうみてもおっさん
・しかし当時は絶世の美人だった
http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2017/12/001-19.jpg
19世紀のペルシャカザール王朝(1779〜1925)の姫として紹介されてきた「伝説の美女」の写真が公開され話題になっている。
その伝説の美女は生涯に145人の男性にプロポーズされるほどモテモテだったという。
しかし、公開された写真を見ると意外にもそんなに美女では無い。今と19世紀では「美女」の基準が違うのだろうか。ぽっちゃり体型に太い眉毛、そしてヒゲまで描かれているように見える。今では美人に程遠いルックスであるが、当時では最高に美女だったのかもしれない。
この美女はナーセロッディーン・シャー(Naser aI-Din Shah Qajar)王の8番目の娘。
先ほども書いたように145人の男がプロポーズし、更に姫の気を引くために13人の男性は自ら命を絶ったという。
この美女は外見だけで無く内面も美人で男女同権のために常日頃活動していたという。
http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2017/12/002-15.jpg
http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2017/12/003-9.jpg
http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2017/12/004-4.jpg
http://gogotsu.com/archives/35487 >>273
大航海時代の船乗りみたいなものだ。
遠洋航海は王様の勅許が要って船には王侯貴族のスポンサーから出資を受ける。船長ほか船の決定にかかわる人は特恵層。
下級の船員は買われてきた奴隷だったり囚人の払い下げを受けたりだったりする。
騎馬民族も同じようなものだろ。もっと新しい時代の言葉で言うホショとかアイマグとかに相当するものの長は貴族、その下に
騎馬の兵員があって、さらにその下に日本で言うと足軽とか岡っ引のような奴隷がある。 >>274
楊貴妃は「豚」と言われるほど豊満
漢の趙飛燕は柳腰だった
この2人を合わせて、「環肥痩燕」と称する
開封府(かいほうふ)−北宋を包む青い天− チャンネル銀河
北宋時代末期に活躍し、その清廉潔白で公正無私な姿から、
中国史上で最も愛された名裁判官・包拯(ほうじょう)。
現在も人々から尊敬をこめて「包青天」「包公」と呼ばれ、
その人気ぶりはあの諸葛孔明や関羽にも引けをとらない偉大な人物だ。
包拯 - Wikipedia (ほう じょう、999年 - 1062年)
同時代の日本人は 藤原頼通 - Wikipedia (992年 - 1074年)
ほかの国々はどうだったかな 他の国つってもイスラム全盛期じゃね?
わしペルシャ語とかアラビア語解らんし >>122
五胡のすれは以前あったのに今ないね
欲しいな 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
LO331 科挙官僚による全国統治システムが完成する以前には、都の貴族が、地方の武士を抑えておくのは大変だった。
全国に広がる荘園のガードマンとして武士を雇ったのだったが、相手は軍事のプロ。
ケンカになったら勝てないだけに、貴族がコントロールするのは難しい。 安史の大乱で、唐は「国破れて山河在り」という崩壊状態になった。
しばらくは、長安の朝廷はおとなしくしていたが、やがて徳宗の代には、
地方の節度使に対して高圧的な態度をとるようになり、怒った節度使が
反乱を起こして長安を占拠した。 憲宗は、地方の節度使たちに片っ端から戦争を仕掛け、次々に勝利していった。
「唐の足利義満」といったところだろう。
しかし、足利義満と違って、天下を取る目前で、宦官の暗殺に倒れた。 ついには、節度使の朱全忠によって、唐そのものが滅ぼされてしまった。 唐が滅んだあとも、節度使の争いはそのまま続いた。
五代十国時代が50年つづいた。 宋の趙匡胤は、科挙官僚を全国に派遣するという統治機構で、全国を安定支配することに成功した。
江戸幕府の幕藩体制により、戦国時代が完全に終焉したのと同じ。 科挙官僚は、都で皇帝に採用された公務員だから、人事ローテーションで地方を歴任する。
現代の中国人民解放軍と同じで、中央が人事を押さえている限りは軍閥化しない。 唐は迷信深い時代で、加持祈祷がきわめて盛んだった。
そのために、仏教が隆盛した。
宋で、周敦頤や程兄弟たちが儒教ルネッサンスに乗り出したのは、
そういう迷信深さに対する啓蒙運動という側面があった。 >>284
足利義満にも天皇位奪取寸前で暗殺されたという説が唱えられている >>290
仏像なんかに御利益なんて無いから銅や鉄を使うの禁止令出てるしなw
かなり合理主義 旻(みん、生年不詳 - 白雉4年(653年)6月)は、飛鳥時代の学僧。
推古天皇16年(608年)遣隋使小野妹子に従って、高向玄理・南淵請安らとともに隋へ渡り、24年間にわたり同地で仏教のほか易学を学び、舒明天皇4年(632年)8月に日本に帰国。
その後、蘇我入鹿・藤原鎌足らに「周易」を講じた。舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、
舒明天皇11年(639年)に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった。
大化元年(645年)大化の改新ののちに、高向玄理とともに国博士に任じられ、
大化5年(649年)高向玄理と八省百官の制を立案している。
翌大化6年(650年)に白戸国司から白い雉が献上されると、
その祥瑞を説明したことにより、白雉と改元された。
のち病を得て、白雉4年(653年)5月に孝徳天皇の見舞いを受けたが、翌月没した。 僧の日文や空海をはじめ、唐で長いこと修行した連中は、みんな加持祈祷や占星術の専門家になって帰ってくる。
日本で、怪しいご託宣を繰り返している。
唐の社会が、どれほど迷信深かったかがよく分かるというものだ。 歴史の教科書では、「遣唐使は、長安で先進文化を必死で学びました」ということになってるが、
実際には、日本人が最も欲しがったのは、仏教の経典や、易学の占い書などだった。
日本人が来ると、経典を争って買い占めるので、地元では値上がりして困っていた。 平安時代には、「日本は、世界の中心から遠く離れた辺境のハテの国で」
と嘆く日本人がしばしば見られたが、この場合の世界の中心とはどこかというと、
仏教の聖地インドであった。
日本人にとって、昔から聖地といえばインド。
中国は、特別な存在ではなかった。 空海が本当に頭よかったら密教なんぞにうつつは抜かさなかった。
ただし書は天才的だ。 平安時代の日本は公文書はすべて漢文で教養と言えば漢詩
日本書紀には「史記」「漢書」「後漢書」「三国志」「梁書」「隋書」「芸文類聚」「文選」「金光明最勝王経」「淮南子」「芸文類聚」
などの多数の漢籍を引用しているがインドの書物など一つも引用されていない 駅伝制、官道、公地公民制、国府、国分寺、二官八省制これすべて中国の模倣
天皇号も道教から
建築技術では礎石、土壁、瓦葺、枡組もすべて6世紀の飛鳥寺建立のさいに百済の寺大工によってもたらされた南朝の建築技術で
それ以前の日本は竪穴式か伊勢神宮みたいな高床式住居しかなかった
唐代にはイスラム教徒の街が出来て
末期には大虐殺されたりしてるんだけど
日本にイスラム教徒が来ることは無かった
初めて日本に来たイスラム教徒は、元寇の前の使者だった
結果は斬首で終わった その遥か後世になって、湯川遥菜さんと後藤健二さんも斬首された これも何かの因果なのか >>295
刀と建築位であと碌に技術学んで無いんだよな日本人
製鉄や窯業や医学や農業や色々学ぶ事有ったのに 鉄製農具もすべて中国からの伝来だし
磁器も17世紀に朝鮮から伝わるまでずっと輸入頼みだったし
農書も江戸時代はいるまで国産のものはなかったし
医学書なんて明治になるまでずっと中国から輸入してたが >>302
日本にとって唐宋は反面教師だったからな >>303
だから、それらを身に付けさせれば善かったのにそれを為ず
中国人顧問雇ったり輸入為たりで、何だかなあっていう >>303
水銀や鉛を不老長寿の丹薬として服用させる支那医学を輸入したのは、
日本にとって弊害だったね しかし中国以外に学ぶ相手も…独自開発するにも中世の日本では苦しいのでは >>304
反面教師どころか宋学なんてありがたがって江戸時代には国教化されてるが
討幕派のスローガンの尊王攘夷にしても宋学から来た言葉だし体制派も反体制派も中国的な思考回路から抜け出せない点で終わってる
もっといろんな文化圏と接していれば相対的な考え方も出来たんだろうが
ヒンドゥーもイスラムも入ってこなかったしキリスト教も江戸幕府に根絶やしにされてしまったしな >>310
負け犬の宋と違って日本はモンゴルに勝利した
そして江戸時代の外交官は儒官を批判してた 海という大きな防壁があったおかげだよね
南宋はモンゴルに対して40年もの間戦い続けた末に倒れたけど日本は2回っきりだし
しかも中国が戦ったのはモンケ、グユク、スブタイ、郭侃という中東やヨーロッパを席巻したオールスター揃いばかり >>310
キリスト教徒の少なさは江戸時代と現代とでさほど大差ない
ヒンドゥーもイスラムも日本では圧倒少数だし、
ヒンドゥーでもイスラムでもキリスト教でもない圧倒多数の日本人の思考回路と、
中国人の思考回路はまったく異質だ 日本帝国が掲げてた一君万民、教育勅語や八紘一宇のスローガンはもろ中国の焼き直しだけどな >>310
反体制派が、中国的な思考回路するなら易姓革命だろ >>312
>南宋はモンゴルに対して40年もの間戦い続けた
のに国家滅亡しちゃうなんて、
属国として存続できた高麗よりミジメだね >>316
そりゃ、宋ほど人口も生産力も大きい国をそのまま従属国にするとか無理だしなあ >>317
人口も生産力も大きい国のはずなのに、
モンゴルに滅亡させられちゃうなんてミジメだね その前には遼にも金にも虐められてたしな
宋は最弱だよw 文化面では素晴らしかったが モンゴル人や満州人にいじめられて悲憤慷慨した宋の知識人たちの言葉が、江戸時代の日本人に大きな影響を及ぼした。
「このままでは、宋みたいになってしまうぞ」という危機感が、幕末維新の原動力となった。 >>312
モンゴル人にとって、南中国の気候風土はものすごい障壁だぞ
それでも滅ぼされるほど、宋は弱かった >>319
宋が文化面ですばらしかったというのは、ワビサビを好む日本人ならではの評価。
そうでない人々にとっては、なにごとも地味で目立たない時代。
渋みを好む日本人には、それがかえってウケた。 >>310
江戸時代の日本では、全国の藩校で蘭学を教えていた。
とくに医学は、原始的な漢方医学などとは比べものにならなかった。 >>316
高麗わ属国じゃ無く大元帝国の一領土
幕府の中の藩と同じというかそれよりキツく縛られてる >>323
蘭学で有難がってた人体図や植物薬効図鑑は
西欧キリスト教国が宋元明の時代に中華からパクッた物 >>322
えーと
欧州でも磁器で最も高い評価されてるのは宋代なんだけどね、現代に通じる生糸や絹織物も
ヴェトナムを越えて華人が東南アジアに(主に商業的に)進出・定着したのも宋代だし
唐代は、煌びやかな印象あるけど、物産ではとても宋代には敵わない、時代が前だから当然だけど >>319
てか、人口では遼や金や蒙古の何倍もあったのに
あっけなく滅んじゃった宋・・・ >>327
40年粘ったのを、あっけなく、って主観的評価過ぎだな >>323
今でも鍼術灸術や柔道整復として残ってますけど >>321
海のほうがものすごい障壁だが
地続きの大陸で騎馬とまともに戦うのとわけが違う
しかも日本に攻めてきたのは高麗や宋の敗残兵でモンゴル人何てほとんどいないし 宋から日本に伝わらなかったもの
羅針盤、ジャンク船、コークス製鉄法、火薬、木綿の栽培法
とくに上三つが伝わらなかったのはデカい
これがあれば日本にも大航海時代があったし、産業革命もヨーロッパとは別個に起こった可能性がある >>329
柔道整復師は医師だと名乗っちゃいけないんだっけ >>331
宋から日本に伝わらなかったもの
「洗衣院」 >>331
呂宋助左衛門がいただろ。
海外に行きたい奴は、いつの時代にもいる。 WHOは医療技士として認定している柔道整復師
もとは柔術の練習中に起きた応急治療法なのであまり突っ込んだことはできない
源流は楊心流の秋山および大江が長崎で学んだ中国医術という >>334
朱印船貿易の始まりから鎖国まで30年しかない
北宋時代に伝わっていれば600年はあったし、それだけあればいくらでも雄飛できる
平家とか奥州藤原とか海外に逃げたい連中はいくらでもいただろ
そいつらの子孫が今でも海外にいたかもしれないし義経も本当にモンゴルに逃げれたかもしれない 宋の皇太后、皇后、妃嬪、皇女、宗女、女官、宮女、さらに官吏や平民に至るまでの多数の女性が、遠く金に連行された。
一部は現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された。複数の幼い皇女たちも洗衣院で育てられ、成長後に金国人の妻妾、あるいは洗衣院の娼婦となった。 日本だと乱妨取りといって同じ民族同士でそういうことやり合ってた
「義演准后日」
将軍、昨日、伏見城へ御入りと云々、女・童部ども取りて陣衆帰る、あさまし
「三河物語」
悉く女子をば北国、四国、九国、中国、五畿内、関東、出羽、奥州までちりぢりに捕られけり >>338
日本の皇太后、皇后、皇女は女真族王朝に連行されて売春させられたことないけどね だから、それがどうしたの
お前は皇室の女さえ無事でされあれば後はどうなってもいいと思ってるの?
旧日本兵みたいな思考回路支店なお前 >>340
おまえは日本語が下手くそな下等種族なんだね
宋みたいな野蛮国は、日本の反面教師ってことなんだよ なら、そのやばんじんのみんぞくもじである、かんじつかうのやめろよ >>342
宋は突厥民族の子孫だろ
野蛮人の民族文字である突厥文字は使ってないぞ 返しになっていない返しをするあたりが野蛮人の本領発揮だあな 宋より、金が正統な王朝だろう
明らかに金が優位な立場にあった >>331
宋から日本に伝わらなかったもの
人肉食、宦官、纏足
この3つが伝わらなかったのはデカい。
明治維新で近代国家になれたのは、そのおかげ。 >>342
漢字は、古代黄河文明が残した、先住民の文字 >>340
満州や樺太、千島で、我が日本の婦女子に乱暴したソヴィエトを俺は許さぬ。
もちろん、今のロシアもだ。 宋の皇太后は、金に連れていかれた後、子供を2人産まされたぞ >>350
たぶん子供を産めるってことは40より下なんだろうけど、今より平均寿命も短いからどちらにしても当時の感覚だとババアだな
うらやましくねえ! >>351
いえ、すでに御歳47を数えてらっしゃいました<韋皇太后 >>343
宋は漢族王朝
>>346
大日本帝国人は大東亜戦争で人肉喰ってる >>353
なお、容貌も平凡、との記録が残っておられます >>343
むしろ蛮族に成り下がって、先進性を保ってた契丹・女真・党項・蒙古にATM奴隷の扱いされる >>354
「日本人は人肉を食べ、墓を荒らして我々を侮辱した」と中国では主張しているが、それは両方ともシナ人に特有の発想。
日本人には、「相手を侮辱するために肉を喰うとか、墓を荒らす」という発想がない。
日本人にとっては、気持ち悪い上に、死者の祟りが怖い禁忌の行為。 >>359
南方戦線やインパールで日本人は人肉喰ってるのが現実
>>356
大金帝国の野蛮性を強調してるだけだと気付か無いのが
善悪理非曲直の概念が無く
主従関係と力の強弱しか判断の基準が無い日本人らしい >>360は、
金との条約を破った愚かな宋王朝が
惨事の元凶だと理解できない知的障害者らしい >>343
それは趙匡胤の先祖に突厥人がいるってだけだろ
天皇も桓武の母の和氏の先祖は百済人はだがじゃあ日本人は朝鮮人なのかよ
>>347
日本人が弥生人の血をひいてる程度には古代漢族の血を引いてる >>363
朝鮮人じゃなかったら何なんだよ
お前のチョンの血が濃いからって事実をねじ曲げんなよ >>364
百済人は朝鮮人じゃなくて百済人だろ
お前らが馬鹿チョンの血が濃いからって事実をねじ曲げんなよ >>365
朝鮮半島に住んでて朝鮮人の祖先なんだから朝鮮人だろ
禽獣かお前は? >>366
朝鮮人の祖先は支那からの流民だろ
お前らが馬鹿チョンの血が濃いからって事実をねじ曲げんなよ >>368
日本人の祖先は朝鮮からの棄民だろ
お前が特に近畿朝鮮人の血が濃いだけの話だろ >>368
逆だアホ
日本人の祖先が新羅と百済を属国にしたんだよ
お前らが馬鹿チョンの血が濃いからって事実をねじ曲げんなよ >>363
百済人は支配階級が朝鮮族、平民が韓族
>>371
普通に中国江南からの移民だろ >>374
夫余高句麗?貊は満州南部〜半島北中部に居て
?貊人は箕子朝鮮や衛氏朝鮮に属してたから朝鮮族と呼んで善いんじゃね
李氏朝鮮以降の朝鮮族とわ別物だけど 韓国では、満州に興った高句麗を「我が民族の歴史」と熱心に主張し、
中国と論争を繰り広げてきたが、北朝鮮はこのテーマに対して冷淡 この先、中国共産党体制が崩壊して、満州が事実上の独立国になれば、高句麗論争は激化するだろう。 高句麗≒?貊≒古代朝鮮族≠古代韓族だから
高句麗を突つくと満州と半東北中部の一体性って問題が表出て来るしな
明以前の中華王朝なら問題無かったけど清朝以降は面倒臭い事に成るし
況してや北朝鮮は古代韓族系が少なく古代朝鮮族が主たる構成員だから >>375
李氏朝鮮以降の朝鮮族とは別なのなら区別してくれよ >>337
そのとき一緒にエンペラー徽宗も取っ捕まって連行されてるでよ。
抑留中のが元気にお絵描きとお習字に勤しんで、後世に残ってる絵も書も殆どが抑留時代のもの。 >>380
あそこまで絵画と書に優れた皇帝は他にいないよね
皇帝が絵画と書を余技としていたのではなくて、一流の芸術家が皇帝になってしまったのが宋にとっての悲劇 >>380
昭和天皇なんて、生き物調べしか出来ないもんな。
情けない。 宋代を代表する芸術家が皇帝本人だってんだから
生まれてくる家を間違えたとしか思えん<徽宗 >>381
書画に優れた囚人ならいっぱい居るけどね >>382 >>385 >>386
宋の皇帝は日本の天皇に憧れていた 日本の政治家がヒトラーに憧れてたりするように、
憧れられる対象が必ずしも素晴らしいとは限らない
宋の皇帝が憧れてたのは王朝が長い点だし >>389
このレスに対して「宋の皇帝は日本の天皇に憧れていた」と言ってしまうお前が筋違い
382 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2018/02/21(水) 20:26:58.44 0
>>380
昭和天皇なんて、生き物調べしか出来ないもんな。
情けない。 >>391
380に対してスレ違いな糞レスしてる
>>382が馬鹿過ぎる なぜか天皇について事実を言うと底辺が文句言ってくる日本は中世どころか古代だな >>387
暴政布いても反乱一つ起こさ無い治め易い民衆を所持する天皇が羨ましかったんだな >>391
易姓革命が無きゃあ、諸蕃出自の趙氏がエンペラーになれっこなかったものなのにな。 >>396
日本の天皇は契丹女真蒙古に制圧されてないからねえ
宋の負け犬エンペラーと違って >>397
趙匡胤は士卒に担ぎ出されて仕方無くだよ >>398
隋の派遣した廷臣に内裏へ乗り込まれ
懇々と礼儀を説教されて不貞腐れ、遣隋使止めたのが天皇 >>398
大日本帝国を滅ぼされ米軍に媚び諂って命乞いしたのが
日本人総理や政府高官 >>400
隋王朝ってソッコー消滅したね
>>401
日本国は不滅
日本の皇室も断絶せず 周太祖・郭威も同じく士卒に担ぎ出された。
郭威の場合は皇帝が着る黄衣がその場になくて黄色の軍旗で代用。
趙匡胤のときもハプニングのはずなんだが、なぜか黄衣が準備されていたw >>402
倭国滅亡と共に日本列島の覇権を握った平安王朝は
1185年に滅び源氏北条氏の鎌倉王朝が東国を支配した
鎌倉王朝が滅びると天皇王朝と室町王朝の南北朝と成り、後に室町王朝が開かれた
室町王朝が滅びると戦国期と成り、後に江戸王朝が開かれた
江戸王朝が禅譲し貴族共和政体の大日本帝国が建国された
大日本帝国は米軍に因って滅ぼされ日本列島は米軍統治下に置かれた
後に日本国が建国され今に至ってる
中国は秦帝国以来続いてる >>404
秦帝国は大昔に消滅
秦王朝も断絶
日本国は不滅
日本の皇室も断絶せず 中国も日本も地域名でしかないからな
日本の支配王朝はコロコロ代わってる >>394
昭和天皇は生物学研究者かもしれないが、新種が見つかったとか、あんなのただ分類してるだけでしょ?
学術としてどうかということじゃないの?
徽宗が書画に秀でていたのは、紛れもない事実。 >>406
厨房の頃、「王朝名はどうやって決めているのか? 地名に由来があるのか?」って、進研ゼミの答案で赤ペン先生に質問したら、王朝名は王朝名であって地名なんかじゃないって返事来たの覚えてる。 >>407
高度な学術研究してるのは昭和天皇のほうだね
宋の皇帝なんて数字もアルファベットもひらがなも読み書きできないだろ >>407
新種発見や分類作業を軽く見ちゃいかん。
研究対象を隈無く知り尽くしていなければ新種かどうか
見極めることはできない。 結論:どちらも国を滅ぼした
北宋→南宋
大日本帝国→日本国 >>411
南宋も北宋も消滅
だが日本国はずっと不滅
大日本帝国という国名を使用してないだけで 大正天皇は嵯峨天皇もかくやというほどの能筆だったらしいね >>408
中国、中華や日本というのが地域名
秦漢魏晉隋唐等が王朝名、大抵古代の地名から採ってるけどね
魏、晉、後秦、北斉、北周、宋、梁、陳、隋、唐、宋とか >>416
直前の封地じゃない国名つけたのは元(大元)が最初 国が滅んでも家系自体は現代でも続いてる王室は多い
曹魏おこした曹家とか漢代からの名門なので邪馬台国よりもずっと古い >>409
クッソワロタwww
ひらがなとか東方の小国の文字なんて読み書きできたところで何の自慢になるの?
イギリス王室もローマ法王もそんな文字読めないし興味ないよ 昭和天皇の日本人分析
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
>日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。
>日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。
>かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、
>本分と義務について考えていない。
>この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。
>平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。
>日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。
>しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、
>依然として危険な面がある。
>政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。 >>419
クッソワロタwww
イギリスもバチカンも小国なのにw
アルファベットも東方から伝わった文字なんだろ >>408
元以降は王朝名は王朝名だけれど、それまでは、皇帝の本貫から来てるでよ。
秦から宋まで、ぜーんぶ、地名。 イギリスはいまだに英連邦の盟主国だし
カトリックはキリスト最大派閥のトップだし
ここ数十年のぱっと出の日本とは歴史も影響力も違うよ 日本語が公用語、神道が国教の外国が一つでもあるか?いいやない 中国の皇帝が数字読み書きできないとか・・・
今思えが使ってる漢数字は一体どこの国から伝わってきたと思ってるんだよボケ >>424
>日本語が公用語、神道が国教の外国が一つでもあるか?いいやない
韓国語は、日本語を元にして創られた人工言語 プロイセンが全欧州を統一して、「大プロイセン」という国になるようなものだな いや、羽柴筑前守が全国を統一して、国号を「筑前」とするようなものだな 契丹の故地が支那語でいう遼河の遼河の合流点だから、支那風の国号の名前も「遼」 >>424
北京語が公用語で共産党が独裁の野蛮国が一つだけあるよ 「夜這い」は日本の誇るべき文化だ!
徳島とか地方では平成に入っても「嫁かたぎ」が残ってたぐらいだし >>440
領内から砂金を産してそれが重要な交易品であったから >>424
日本語は難しいので、馬鹿な>>426には無理 「娘担ぎ」「種臼切り」「褌祝い」「精進落し」「添臥の儀」「カガイ」は日本の文化
エロ系なら絶対負けない
>>445
それ日本のファッションマッサージの逆輸入だけどな
もともと中国韓国のマッサージは男客には男がつくのが普通で風俗も90年代までは置屋タイプのしかなかった
00年代からかな?出稼ぎ嬢たちが日本の風俗文化持ち帰って凄い多様化した ちなみに中国の性感エステは日本とは違ってヌキは女だけど
マッサージだけは何故か男がやる場合があるww >>437
韓国語をよく見てみろよ
文法・語順なんか、明治時代に整備された近代の日本標準語とまったく同じだぞ? それ以前の韓国語は、今よりもずっと中国語に似ていた トルコ語やウイグル語モンゴル語満州語も語順文法は日本語と一緒なんだが 韓国語は日本語では上代の頃に失われたリエゾンや母音調和が未だに残ってる >>454
いや、その程度の似かたではない
完全な一致といっていいほど同じだ >>456
だから言ってんだよ。
語順や文法が同じで、単語も近代的な用語はほぼ同じ。
発音と日常用語だけが大きく異なる。
近代の国語整備によるもの。 朴正熙政権が漢字を廃止したのは、日本語とあまりにも似ているのを隠すためだった。 >>324
モンゴルに惨敗した南宋と高麗とでミジメさを競い合ってるのは滑稽だよね >>455
学者の文章だな
記憶力抜群だったらしいから、民間に生まれて学者か官僚になれば成功してただろう
無責任なところも含めて官僚向きの人だったらしい >>420
ヒロヒトって日本臣民も自分の趣味の実験生物の延長だと思ってたんだろうな
原爆投下とか内心ワクワクしてたかもね 「珍しい焼死体が見れる」とかって >>459
具体的にどう同じか言ってみ
実際、助詞の活用の仕方はよく似ているのだが、どうせネトウヨはヘイトに使うだろうから教えてやらない
日本人と朝鮮人は共通するハプロが多く>>370もともと同一人種同語族だった頃の名残だろう 朝鮮人のハプロタイプは判らんだろ
国があんな状態だし O1b2が朝鮮人だよ
写真持ってるけどチョン顔ばっかだもん ネトウヨの云う所謂チョン顔って
南韓に多くて北朝鮮だとそれ程多く無いじゃん 1 ストラト ★ 2018/02/23(金) 17:19:25.08 ID:CAP_USER9
小学館の「月刊コロコロコミック」(2018年3月号)に掲載された漫画「やりすぎ!!! イタズラくん」のワンシーンが物議を醸している。
漫画のキャラクターが、モンゴルの英雄チンギス・ハンの肖像に男性器の落書きをする場面があるのだ。
モンゴル出身で大相撲の元横綱・朝青龍氏(37)は18年2月22日、ツイッターで問題の漫画を紹介すると共に「許せない!! 謝れ!! 」などと訴えた。
さらに駐日モンゴル大使館も23日昼、フェイスブック上に抗議文を掲載した。
■朝青龍氏「先祖バカにするお前ら!! 」
15日発売のコロコロコミックに掲載された子供向けギャグマンガ「やりすぎ!!! イタズラくん」(作・吉野あすみ氏)には、作品の主人公がチンギス・ハンの肖像を見てその名前を答える場面があった。
作中に出た問題は「モンゴル国の皇帝 チ( )・( )ン」の空欄を埋める形式で、主人公は「( )」の部分に左から「ン」「チ」と書き込む。
そして、チンギス・ハンの肖像の額の部分には、デフォルメした男性器の落書きをしていた。
子どもが教科書にするような「落書き」を再現したものだと思われるが、チンギス・ハンは現在も紙幣に肖像が使われるなど、モンゴルでは民族的な英雄として知られる。
こうした表現について、対日外交の特別大使も務める朝青龍氏は22日(日本時間)のツイッターで、問題のページの写真を投稿し「よっぼど中国人がましや!! あれ得ない!! 悲し涙!! 大好きな日本人がこんな風に」(原文ママ)とコメント。
その上で、
「先祖バカにするお前ら!! 品格がない日本人!! 許せない!! 謝れ!! 謝れ!! 謝れ!! どこのゴミの会社!? 」
とも訴えた(この投稿は23日朝までに削除された)。
また、モンゴル語でも問題の漫画を紹介。
あわせて、駐日大使館が謝罪を求めるべきだ、などと呟いていた。 朝青龍氏のツイートには、モンゴル人とみられるユーザーも数多く反応し、憤りを露わにしたリプライ(返信)を寄せている。
そのほか、コロコロコミックの公式ツイッターアカウントには、日本のネットユーザーから、
「逆に日本が同じことされたらすごい嫌な気分です。子供たちが見るマンガでこんなことありえない」
「モンゴル人を馬鹿にして、謝らないのですか?日本人として恥ずかしい」
といった批判のリプライが寄せられている。
モンゴル大使館「外務省に抗議の意を示す」
今回のコロコロコミックをめぐる問題について、駐日モンゴル大使館は23日昼に公式フェイスブック上に、公使参事官の署名入りで抗議文を掲載した。
その全文は次の通り。
「月刊コロコロコミック(3月号)で、モンゴル国の歴史と文化だけではなく、日本の政府、国民のモンゴルとの友好関係を強化し続けたいという意志までも見下すような内容の、道徳性の欠如したイラストが掲載されました。
これは単なる非道徳的な行為だけではなく、わいせつ物頒布、児童の権利の保護に関する日本の法律にも違反していると考えています。
したがって、このような非礼な行為を非常に残念に思い日本外務省に抗議の意を示すとともに、この件に関して法律の下での適切な対応をしていただけることを期待しています」(原文はモンゴル語。翻訳・バークレーハウス語学センター)
一方、小学館広報室の担当者は23日昼、J-CASTニュースの取材に対し「現時点では、対応を協議中です」とだけ話した。 ここで話を元に戻すと、なぜ、内藤湖南が唐宋変革論を唱えたかと言えば ちなみに内藤湖南は、応仁の乱から始まる戦国時代についても、「日本史における最大の変革期」と位置付けている。
変革期というより、ここに歴史の断層があって、その前と後とで、日本は別の国になったというほどの感覚だ。
「現代の日本を考える上で、応仁の乱より前の日本史を勉強しても、あまり参考にならない」とまで言っている。
今では考えられないことだが、それ以前には、戦国時代の重要性がそれほど評価されていなかった。 つまり、中国史において、唐末五代の大乱世は、それほどの画期
歴史における断層であり、それ以前と以後とでは、中国は別の国になったというほどの変化 >>480
唐宋八大家とか、ポエムの世界では唐から宋まで一つのカテゴリのようだけれど >>481
内藤湖南の唐宋変革論が出るまでは、連続した時代のように考えられていた ひとつには、内藤湖南たちの時代背景がある。
当時の中華民国は遅れた国で、軍閥割拠でバラバラだった。
「この中国を、いかにして改革し、近代化するか」
というのが、日本の知識人にとっても大きなテーマだった。
そのための模範として登場したのが、唐宋変革だった。 現代日本も高度経済成長前後で全く別の国だしな
今在るヘンテコな謎マナーや謎慣習の数々もこの前後に出来上がった 白馬の禍(はくばのか)とは、中国の唐末期の天祐2年(905年)6月に行なわれた粛清事件である。この事件により、中国の貴族制が完全に崩壊したと見られている。 黄巣の乱の後、群雄との戦いに勝ち抜いて唐王朝の実権を掌握していた朱全忠は、904年8月に当時の皇帝・昭宗を弑逆し、その9男でまだ13歳であった哀帝(昭宣帝)を擁立した。
この少年が朱全忠の傀儡であったことは言うまでもなく、ただ朱全忠が自らの王朝を開くための禅譲の皇帝として擁立されただけだった。
905年2月の九曲池の変で哀帝の兄弟である李裕・李祤・李禊・李禋・李禕・李祕・李祺・李メE李祥・李襜らが朱全忠により皆殺しにされ、哀帝は孤立させられる。
さらに朱全忠は禅譲の邪魔になると考えていた唐の政治家や実力者の貴族らを参謀の李振の進言を容れて抹殺することを決意した。
6月戊子の日、かつて唐の宰相であった裴枢をはじめ、独孤損・崔遠・王溥・趙崇ら30人余が白馬駅で朱全忠の部下によって殺害された。
そしてその遺体は黄河に投げ込まれたという。
こうして唐王朝、ひいては皇帝は完全に機能を麻痺すると同時に、唐の時代に君臨した貴族政治は完全に終止符を打たれることになり、2年後の朱全忠の禅譲につながってゆくことになる。 日本では、鎌倉に幕府ができて武家政権の時代になってからも、京都では天皇と公家が連綿と続き、江戸の幕末まで続いた。
しかし、隋唐が滅んだときは、長安も荒廃し、貴族は皆殺しにされた。
これにより、王朝貴族は、日本のように中途半端に残ることなく、事実上の消滅に至った。 唐末五代を経て、宋の時代となり、太祖・趙匡胤は、科挙官僚を取り立てた。
首都・開封で忠実な科挙官僚を採用し、地方に赴任させることで、全国統治するシステムだ。
文官優位の制度が実現した。
科挙の画期的なところは、「試験に合格しさえすれば、だれでも高級官僚になれる」
というところだった。
現実には、受験勉強に専念できる有閑階級でなければ、まず無理だったとはいうものの、
千年前の世界において、これは驚くべき機会平等の制度といえた。 しかも、宋では貨幣経済が発展し、だれでも努力すれば、商売で成功する道が開けた。
まあ、近現代のそれと単純に比較するのは無理なのだが、千年前の世の中にしては、
近代的な市民社会に限りなく近づいたといえる。
これほど偉大なる社会改革を成し遂げた、唐宋変革。
これを中華民国でなぜできないか・・・と、内藤湖南たちは思った。 ・・・というのが、唐宋変革論。
たしかに、唐と宋では、多くの面で大きく変わった。
唐の前期と後期で変わったところもあるのだが、宋でそれが決定的になった。
やがて、宋は滅び、金・元・明・清の北京王朝の時代が来るが、宋を継承したものが多い。 だいたい文化からして華やかな唐文化と地味な宋文化ではかなり異質や >>489
デロス同盟時期のアテナイは、国政にあたる官職は、市民の籤引で決めてたよ。宋よりも1500年も前。
こっちのが機会平等ではないんかい? 唐に奴隷制度があったどうかは議論のあるところだけど、宋には無かった >>495
宋の国丸ごと、遼・金・夏・元の奴隷だったし 唐は、草原の民が建てたシルクロード帝国
文化的にも、西域・インド・イスラム圏の影響を強く受けていて異質 >>497
何言ってるだか。
問うより前の魏も前趙も遊牧民の国だし、宋と同時代の遼、夏、金、元も遊牧民の国だろ >>492
市民というのわ一等国民、要は支配階級
その下にデロス下民が在りその下に奴隷が有った
抑々能力に由らず功績にも由らぬ宗教政治でしかない >>497
中華文明が根本に有り北魏以来の遊牧民要素も残ったのが唐風
ペルシャや大食やインドの文化わオマケ >>495
農奴工奴わ居たけど所謂奴隷ってのわ基本居無かった >>491
時々言われる地味な宋というのはどこからきてるイメージなのかな?
個人的には多様性のある時代だと思う。 科挙って
いついつどこどこでかくかくしかじかのお役人登用の試験やります
知力気力意欲に自信があったら誰でも受験できます
ってものじゃないんだけれどね。
既に官吏になってる人からの推薦が受験資格で、試験やること自体、その推薦される人にしか知らされない。
役職・等級ごとに推薦できる枠を持っていて、科挙で人を集めること自体が、既に官吏になってる人の利権で、
縁故か、多額の賄賂を常々積んでるかでないと、その存在自体知らされない。
開かれた登用制度とは全く言い難いものだけれどな >>503
色々混ざってるなあ……
科挙の制度は時代によってけっこう違ってて、宋代の頃は推薦は無くなってた
禁止されてたいくつかの職業の関係者(日本のいわゆる被差別民的な芸能関係者とか)以外は建前上は受験できた
しかし、実際には高価な書物と紙をふんだんに用意して、一人の人間を一族総出で支えられる富豪じゃないと
科挙の受験すら出来なかったし、ましてやその後の試験を突破するなど不可能だった
(なお、官吏の科挙への不正働きかけは厳罰だった)
なお、清代に至っては、県学という地方の学校に合格し、その中での複数の試験に合格しないと受験資格が
なかっただけでなく、その後もいくつかの学校に入学し、複数の試験に合格しないと受験資格そのものがなかった >>495
普通にあるが
天聖令にも奴婢の規定があるし
しかし前時代の唐や同時代の日本やヨーロッパと違って奴隷はほとんどおらず
佃戸とよばれる小作人が労働力の主体となっていた >>504
やっぱり奴隷制度か賎民制度かのようなもの、あるんじゃん。 >>504
で、宋の時代に、広く人を募るようなことをしていた証拠って出てきてるの?
たとえば、日本だと、橋や町の入口や城門に「お触書」のような形で告知したよね。
なんだかんだで300年続いて、途中で首府を含む半分を北方民族取られたりしても
なお広大な地域を支配して、そういうお触書の一枚も出て切るのかな?
表立って推薦枠の精度が無くったって、お役人のお声掛かりがこっそり行われていたんじゃあ、
縁故主義と同じだしな。 >>507
奴隷制も賤民も理解出来て無いな
職業選択の自由が無かったのわ塩戸や職人として働く事で刑期を減免された犯罪者
西欧で云う所の農奴、日本で言う所の平民 >>508
お声掛りみたいな縁故主義全開のやり口わ牢固な封建社会に特徴的
日本人は大日本帝国時代に成っても未だやってた。
因みにお触書も毎度のパターンで中華のパクり >>509
奴隷制を理解できてないのはお前じゃね?
金銭で売り買いされ主人の元から脱走すれば鞭で打たれることが法的に定められた奴婢が
奴隷でなくて何になるんだ 職業選択の自由が制度的・社会的に無いのと
選択できる職業が世の中に無いのとは違う話だと思うが? >>511
逃散は鞭打ち処ろじゃ済まぬから
日本の諸王朝は徳川時代迄奴隷制だな
というか自衛官やブラック企業で逃げて凹られる事例が多数あるから未だに奴隷制に成っちゃうのか
そうかそうか また話そらしてるなコイツは
自衛官は奴婢みたいに金銭で売り買いされないし奴隷主の胸先三寸で処刑されたりしないから
年貢さえ払えば去留は自由だと鎌倉時代の御成敗式目にすら定められている
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/#nuhi
>領内の農民が逃亡したからと言って、その妻子をつかまえ家財を奪ってはならない。未納の年貢があるときはその不足分のみを払わせること。また、残った家族がどこに住むかは彼らの自由にまかせること。 >>514
鎌倉時代から徳川時代は後退してんじゃん。
切り捨て御免、領主の胸先三寸で農民は処刑されてしまうし、
五人組制で、戸主の納税義務が家族に及ばないどころか、逆に五戸で一山ナンボの扱いになってる。 >>514
唐は主人が理由無く奴婢を暴行したら罪に問われる社会
身分差に因って減刑わされてたけど
唐代の奴婢は職業の縛りしか無い農奴等であって奴隷じゃあ無い >>516
日本なんて犬猫に膀胱したら罪に問われるんだぞ。
10年ちょい前にそうなった。時代を300年逆行して元禄時代の悪法が復活 >>508
公式に推薦がなくては受験できないというのと、建前は受験に制限がないことは明らかに違うので、
明白な誤りを指摘しただけの話
宋代の縁故主義は、一族総出で科挙に取り組むわけだから、及第したらそりゃ一族を逆に支える必要が
あるわけで、場合によっては郷挙里選より縁故主義が強固になることだってある
試験中の不正は徹底的に防ぐ事に躍起になった科挙だが、いわゆる過去問やら、解き方の技法なんかは
それほど広く出回るものでもない、人づてに伝わってくものだから、ここでも縁故大事 >>518
いや、一緒じゃん。
建前的に制限とかが明示・制度化されてなかろうとも、募集する側から知らされん限り受験しようが無いんだから
むしろ、却って閉鎖的じゃん。 >>519
現代日本はどうでもいいが
郷試が予定されている事実は、「文書が読み書きできる層のなかでは」伝わっていたようだ
郷試の予定やら結果やらで盛り上がってる文書はそこそこ出てきているしな
文書を読み書きできない層は、最初からお呼びでない
なお、科挙が縁故主義を強化した、という命題は、わりと支那学と言われた頃から常識の範疇 >>502
宋は、陶磁器も絵画も単色で地味
陶磁器は海外に輸出されていたが、金ピカ趣味のアラビア人にとっては地味すぎたので、
吸い口に金箔を貼り付けたりしていた >>522
その宋磁こそ、現代につながる陶磁器の祖形であり完成形なんだが?
現代の、とくに欧州の窯は、宋磁と元代の青花(染付)の美をモデルにしてる
マイセンやらロイヤルコペンハーゲンやらが典型
これを、地味とは >>522
陶磁器に関しては唐の場合、副葬品の三彩以外は地味だよ。
一方、宋は鈞窯の天藍紅斑という派手なものは流行した。鈞窯ほど流行らなかったが宋赤絵なんて言うものもある。
金が剥落して残ってるものがあまりないけど、金彩を施した定窯系、吉州窯系のものもある。
あと書だと宋は唐より明らかに派手。
絵画はあまり詳しくないが、色彩豊かな花鳥画とかもあるし一概にいえないんじゃないかと。 明の五彩みたいな赤や青の色を出すのは、唐宋の時代にはまだ無理。 >>525
行政や政治が後退しても技術は進歩するから >>525
赤彩が多用される様に成るのわ元代に流行したからで
技法自体わ南宋時代から有るけどね >>515
中国では、20世紀の終わり近くになっても、首都のど真ん中で数千人を虐殺するなどという暴挙が行われた。
あんなの、日本じゃ無理。
現代はもちろん、江戸時代でも老中が切腹するくらいで済む問題ではない。
「織田信長が伊勢の一向一揆で一万人を虐殺した」というのが、日本では史上最大の暴挙とされ、
天魔王よばわりされているが、中国では珍しくない出来事。 だってチャイナは20世紀に入るか入らないかくらいまで古代だよ。律令制だよ。 いや、人口規模が違うでしょ、世界の中心の一つと世界の周縁部の島嶼では。
八丈島で交通渋滞が起こらないからといって、東京都民である八丈島島民は、本州の東京都民よりも倫理的に優れている、
と言っていいんかいな?いやもちろん劣っているはずもないけど。 >>533
イギリス、アメリカ、チャイナなどどれか分からんが、日本が辺境の地なのは言うまでもない
極右のアベさんでも日本は世界の中心だ!とは言わないでんでん 自他共に認める呼称である中華を「中華」と表記すると事の本質が分かりにくくなるが
“central flower”と表記すれば中国がいくつかある世界の中心の一つであり続けたことの傍証となるわな
ということは中華皇帝は“the Emperor of Central Flower” ちょっとかっこいいな >>530
在りと凡ゆる事で捏造を繰り返すアベ政府じゃ無いんだから
天安門事件の死者数は200人強、これわ中国政府が公式に発表してる
日本でも幕末の各地で起きた民衆蜂起じゃ
幕藩軍の鎮圧で毎度数十数百人が虐殺され都合万人を超える虐殺の犠牲者が出た
抑々日本みたいな恵まれた土地で餓死者続出とか暴政に過ぎた >>536
日本のネトウヨみたいに南京虐殺は無かった!とか言ってるのよりはマトモか
たぶん200人よりは多いのだろうけど死者200人を認めてるだけでもマシだろう >>532
あんなに日本のマネばかりしてる連中が「世界の中心」で、日本が辺境なのか?
中国の都市を見てみろ。まるっきり、日本の劣化コピーだ(笑)。 >>536
今年に入って、内モンゴル自治区と天津市が、相次いで経済統計の捏造を認めた。
でも、「あの中国政府が、ついに正直になったか?」という人は、誰もいない。
「今年の経済成長率があまりにも低くなりそうでヤバいから、前もって去年のGDPを下方修正しておき、今年のスタートラインを低くするためだろう」とみられている。 >>539
アベ政権に成ってから経済統計を改竄捏造してると批判を浴びてる
「経済成長率があまりにも低くそれ所かマイナス成長なので、基準改定のドサクサに紛れ込ませ詳細が隠蔽されたその他の項で数字を捏造してる」と看破されてる
また「嵩増し捏造された速報値を大々的に流して置き、毎回あまりにも低くてヤバい経済成長率を誤魔化す為に前もって改定値でGDPを下方修正しスタートラインを低くしてる」とみられている
而も殆ど報道させ無い
>>538
日本の近現代都市わ世界中の何処にも似て無い、ごちゃごちゃと無秩序で非効率。真似する国なぞ無い >>517
>切り捨て御免、領主の胸先三寸で農民は処刑されてしまうし、
「上意」なくして武士が勝手に刀を抜けば死罪なんだが
>五人組制で、戸主の納税義務が家族に及ばないどころか、逆に五戸で一山ナンボの扱いになってる。
これは中国の隣保制を導入した者なんだが
宋制では五戸を一統、五統が一里で連帯責任を負っていたから一人が逃散すると村全体で責任を負わされた
>>516
奴婢が主人を殴れば唐律では極刑だが逆の罰則はない
理由なく殺すと罪になったが逆に言うと理由さえあれば罪にならない
しかも罰と言っても徒(懲役)一年
>唐代の奴婢は職業の縛りしか無い農奴等であって奴隷じゃあ無い
何で金銭で売り買いされたという都合の悪い面に目を背けるの? GDPや経済統計の捏造とか中国とか日本の比ではないんだが
外貨準備高3、7兆ドルのうち2、5兆ドルが所在不明とかシャレにならないことになってる
国庫は党員の共有財産という毛沢東時代の弊習が未だに続いているから正確な国家予算は誰にもわからない >>543
だから、領主って言ってんじゃん。
大名もしくは知行持ちの旗本な。
そこらの武士だと、農民斬ったら、領主からのお咎めがあるよ。 >>543
奴婢を理由無く暴行したら律令格式で主人は罪に問われたのが唐
未だに野蛮な日本と違って早くから文明社会だからね
村請で逃散処か年貢未納迄負わされたのが足利時代以降の日本
徳川時代も後期に入ると流石の日本平民も超重税と
近世にも成っての餓死者続出に堪えかねて一揆続発、鎮圧で殺され捲り
従軍慰安婦は全員奴隷だったという事だな >>544
中国政府の経済統計わそれなりに正確だよ、90年代とか酷かったけどね
况て今現在、内閣と中央官庁が積極的に統計捏造してるアベ政府と比べたら誠実とすら言える
>>543
それわお上の許可無く武力を用いたら殺す主従関係を規定する法度であって
平民下民は無関係、実際にも切り捨て御免だよ。
武士側の情状が酷ければ処罰される事もあったがどっちもどっちなら免罪
唐代に主人が理由無く奴婢を殺害したら辺境5年送りの重罪 >>547
中国で厚労省みたいな調査ミスをやらかしたら首が飛ぶ(物理的な意味で)
日本は平和だ >>544
日本ではなぜか一般会計と特別会計を分けてるよね
マスコミで話題になるのは一般会計のほう
不思議な国ですなあ >>533
おまえがいま座ってる場所から地下6000kmの所 世界って地球表面に広がってるじゃん?
太陽系の中心なら太陽だし >>547
何を根拠に、「それなりに正確」なんて言ってんだよ(笑)
90年代より、捏造の経済成長を続けてきた現在のほうが、実態とカケ離れてるのは普通に分かるだろ。
現に、今年に入って、内蒙古自治区と天津市が相次いで水増し統計を認め、下方修正を始めた、
遼寧省なんか、下方修正のおかげでマイナス20%成長になった。 共産党の幹部の一族と自民党の議員の一族はどちらも金を貯め込んでそう
自民党の議員には太子党が多いから金持ち 宋の時代だと科挙があるから安倍は宰相になれてないな
でんでんだし 何時の時代だって成れて無えわ
春秋楚でもお仕事無しの冗官貰って只飯食ってるレベル >>552
因みにアベ政府は内閣と中央官庁自らが現在進行形で統計捏造中
批判されても無視、バレても放置 >>553
規模が違いすぎる
中国共産党幹部の蓄財は兆単位 >>554
それを言ったら、習近平も絶対に無理だ
まあ、習近平の場合は、若い頃に僻地に下放されてたおかげで勉強できなかったハンデもあるが 能力主義が基本の中国共産党だったらアベシンゾーは党員にも成れんは
根本的に世襲貴族制の自民党清和会わサウード王朝レベル >>554
科挙がない日本は近代化できて
科挙がある清国に2連勝した >>557
アベの不正蓄財わ10兆円単位だよ
あちこちばら撒いてる >>560
科挙をパクッた西欧の官吏育成登用制度をパクッたのが明治期の大日本帝国 >>562
先進国では、「青竜剣の演武」なんぞしなくても公務員に登用されるんだぞw
支那王朝と違ってな 阿倍仲麻呂はポエマーのコミュで人気者になったから唐の科挙で登官してベトナムの知事にまでなってる。 >>559
日本だったら、チャンコロ共産党なんて立件ミンス党よりも得票率が下だろうよ >>564
旧幕藩の文官が試験すら無くコネで高級官吏に任官されてたの知らんのか
>>563
アベシンゾー総理ハイ論破 >>567
「青竜剣の演武」で任官してないからw
日本は科挙がある清国に連勝不敗だぞ >>559
中国共産党は能力が劣ってるから、台湾に敗北して統一できないんだね >>559
これが左翼の愚かさの見本だな
左翼が日本サゲする理由は、ことごとく中国にも当てはまる
しかも、日本より遥かに深刻で、改善不能なケースがほとんど
だから、左翼の日本サゲ・中国アゲは構造的に矛盾だらけになる >>553
「パナマ文書」で名前が挙がった中国幹部
<現職>
・習近平国家主席
・劉雲山中央政治局常務委員
・張高麗中央政治局常務委員
<元職>
・李鵬元首相
・賈慶林元政治局常務委員
・曽慶紅元副主席
・胡耀邦元中国共産党総書記 >>572
と言いつつ何も指摘出来ず
何時も何か書くと反論食らってるじゃねーかw
>>571
選挙当選して無いから下っ端だよ、毛の3代目 >>576 >>559
ちゃんと国政選挙して当選できた中共の指導者がいるなら言ってみ >>578
「ちゃんとした」国政選挙の意味を理解しとらんなあ
対立する複数候補で投票の秘密がほしょうされて政権交代も可能で任期以内に行われる選挙のことだぞw
中共は今までいつ何年おきに国政選挙やった?
対立政党や対立候補にどれだけの得票差をつけた?
おまえの言ってる中共幹部とやらの得票数をちゃんと出してみ
日本の国政選挙は一桁まで具体的な票数が出て来るんだしな そもそも中国共産党の異様な所は国軍存在しないこと
人民解放軍はそれぞれ戦区ごとに統帥権や軍事費も独立していて国務院の国防部は掌握していない
よって軍事費がどれだけあるのか僧兵力がどれだけか誰も正確にはわからない
中国は国防費を公開していないと非難されるが公開しないのではなくそもそも出来ない
>>549
中国の実態は中央集権国家では到底ないので正確な国家予算自体が把握できない
内訳と全額がすべてわかる特別会計と違いすべてが誰にも見えないブラックボックス
米国格付け会社や経済紙が中国が債務総額やGDPを粉飾と見当違いの批判をしているが、
そもそも誰もわからないのだからすべては推計に過ぎない >>546
>村請で逃散処か年貢未納迄負わされたのが足利時代以降の日本
村請けってのは司法権や徴税権を完全に村側に委任する制度なんだが
基本的に惣村の税金は庇護の見返りとして領主側に渡すものなので強制ではない
たとえば14世紀の塩飽荘は領主側に年貢の納入を拒否して別の有力者に乗り換えている
>>547
>唐代に主人が理由無く奴婢を殺害したら辺境5年送りの重罪 唐律疏議 二十六巻
部曲奴婢を傷つけるも不死ならば不罰。無辜の奴婢を故意に殺すものは徒一年を科す。 >>559 >>578 >>583
国政選挙で当選した中共幹部とやらの
得票数をちゃんと出して説明しろや
そしたら安倍が当選した選挙区の得票数ちゃんと出してやるから >>581
>そもそも中国共産党の異様な所は国軍存在しないこと
武装警察が国軍のようなものなんだが >>585
人民解放軍vs武警とか見てみたい(胸熱) >>582
地下請わ委任する制度じゃ無く権限の一部を分け与える制度
公儀が完全な上位権力、年貢は絶対の義務
平安末期や鎌倉時代室町中期以降に年貢を徴収出来無く成ったのわ
行政の完全な無能力が原因、抑々知識人が足りて無かった
>>579
開票での不正事件が度々バレてるのが日本国、特にアベ政府が出来てからな。
全人代わ5年毎、最近やった >>580
習近平の祖籍地は秦だと、ネットで見た。
祖籍地って初めて聞いたけど、出自の地ということかな。
とうとう中共も終わりだわ。
これを機に国号を秦に改めて欲しい。
後世では、後秦と呼ばれるかと思うと胸熱。 >>580
まあ、毛沢東が明の太祖・朱元璋で、ケ小平が成祖・永楽帝というのは、よく言われるところだけどなあ。
習近平は、万暦帝といったところか。 ほんとに、中共信者は狂ってるな。
安倍晋三が独裁者なら、習近平は何なんだ? 中国共産党は、今でも、田舎の農村では見せしめの公開銃殺刑とか、普通にやってるぞ。
お前はそんな国に住みたいか? >>585
もともと治安維持部隊だから外征能力ももたない国軍と呼べるほどの実力も装備もないよ
>>586
城管局ならしょっちゅう解放軍と衝突してるぞ
国防法だと解放軍の治安維持部隊のはずなのだが指揮系統が曖昧で実質独立組織化してる
ほとんど市当局によって雇われたごろつきによる私兵のため概数もはっきりとしていない >>582
はい捏造
>部曲奴婢を傷つけるも不死ならば不罰。無辜の奴婢を故意に殺すものは徒一年を科す。
なんて条文は無い、有るのわ
労役や辺境防備を監督する役人が病気の奴婢を医者に診せず死なせたら徒一年
という一文。アベ政府と同じく完全な捏造 >>582
盛んに人肉食ってたけれど、どういう人が食われてたの?
それとも、煮て食うのは奴婢を殺す正当な理由なの? >>587
だから全人代の当選者と落選者の得票数を出せよw >>593
http://www.guoxue123.com/shibu/0401/01tlsy/022.htm
322 諸主毆部曲至死者,徒一年。故殺者,加一等。
諸の主が部曲を殴りて死に至らせた者の場合は徒一年。故意に殺したもの一等を加える。
「故殺者,加一等」,謂非因毆打,本心故殺者,加一等,合徒一年半。
「故意に殺したものに一等を加える」とは殴打に因らないと雖も、本心から故意に殺したものには一等を加える。合わせて徒一年半。
http://www.guoxue123.com/shibu/0401/01tlsy/023.htm
337 諸部曲、奴婢詈舊主者,徒二年;毆者,流二千里;傷者,絞;殺者,皆斬
諸の部曲奴婢が主を罵った者の場合は、徒二年、殴った者、流刑二千里、傷を負わせた者、絞殺、殺したもの、みな斬刑 https://kotobank.jp/word/奴婢-111011
これに対し主人は広範な懲戒権をもち,部曲奴婢を殴打しても死に至らなければ罰せられず,罪のない奴婢部曲を殺せば徒一年,罪がある場合は官司に請うて殺すことができ,無断で殺すときは杖一百と定める。 >>596
はい改竄
>唐代に主人が理由無く奴婢を殺害したら辺境5年送りの重罪 唐律疏議 二十六巻
>唐律疏議卷第二十二
漢字読めるか?漢字
26巻じゃ無く巻22な >>596
唐での奴婢を抱えられる貴族や新興地主層の家父長と奴婢の律令格式での扱いが
徳川時代の切り捨て御免な武士全般と百姓のそれに該当してる、という事 >徳川時代の切り捨て御免
だから、それは建前にすぎず、実際には行われてないんだっての。
わかんねえ奴っちゃなあ(笑) 昔は、親中派の左翼っていったら「インテリ青年」というイメージだったんだが。
今は、こんなボケたバカ爺さんしかいない(笑) 日本が独裁国家で、中国は民主国家だと言い張る奴なんか、さすがにシナ人や朝鮮人にもいないぞ。
なんで、こんなどうしようもないバカが住み着いてるんだ? いくらなんでも、日本の左翼は劣化しすぎだ。
欧米でも左翼は衰退しているが、ここまでレベルがドン底に落ちてはいない。
なんで、こうなった? ひたすら中国共産党を称賛するだけの、哀れなキチガイ老人となり果てた。 >>600
切り捨て御免は実際に行われてたし無罪放免にも成ってる
それ以前に唐の様な身分差に因る減刑じゃ無く御免だからな 「日本が先進国で、清が後進国」というポジションが江戸時代に固定して、現在に至る。 室町時代までは、明の技術がだいぶ進んでいたが、戦国時代に追いつき追い越した。 AERA
大豆の自給率が94%から13%にまで落ち込むなど、急速な衰退をみせる中国農業。野菜・果物に関してはすでに輸入量が輸出量を超えた。
世界の穀物生産量の20%以上を占めるとあって、その影響は世界にまで広がる。そんななか、愛知大学国際中国学研究センター所長・
高橋五郎氏は中国・内モンゴル自治区の「チャガンノール湖」を視察。「鳥の楽園」とまで言われた湖は干上がっている惨状。中国農業は大丈夫なのか。 習近平は王朝を作ってもすぐに消えたら歴史に名をほとんど残せないけど、安倍が今の皇室ぶっ潰して新たな王朝を作ったら確実に歴史に名を残せる
すぐに消滅してもね
これだけは断言できる
安倍さん頑張れ!! 安倍は縁戚関係で近衛家の眷属だぞ
摂関家が看板として必要とする天皇家を滅ぼすわけがない
次代の天皇家の構成員たちをカリスマと権力の力無き傀儡に仕立て上げるべく
彼らの準備はちゃくちゃくと進んでいるではないか >>610
そんなのよりも竹田とかを天皇にするとおもうわ >>607
全体見渡して追い付いたのわ徳川時代中期頃
追い越したのわ日清戦争後〜清朝が滅びる辺り >>605
だから奉行所の許可がないと殺すどころか刀抜いただけで切腹だって
ちなみに中国の都督の権能に使持節というのがあるがこれは自由に意のままに二千石以下の地位の者を殺すとが出来る特権である
宋書 39巻
使持節得殺二千石以下;持節殺無官位人,若軍事得與使持節同;假節唯軍事得殺犯軍令者
使持節は二千石以下を殺すことが出来る。持節は無官の人を殺すことが出来る。諸軍事は使持節と同じ。仮節はただ軍事のときに軍令に違反したものを殺すことが出来る。 オマエ阿呆だろ
使持節は征夷大将軍が開府の権利持つのと同じく非常の大権
武士が百姓斬り捨てるのに刀抜いて無罪放免だった事も有るし謹慎食らった事も有る
武家同士が抜刀して刃傷沙汰に及んだら大半は死刑だけど
それわ単に被官同士わ喧嘩両成敗、お上の許可無く武力を用いたらぶっ殺す
という、支配階級内を縛る為の法度に因る アホはお前だろ?
小尾孟夫の「六朝都督制研究」でも読んで基礎知識身に着けて来いよ
後漢以降、将軍が常設化されてからは持節は返還しなくていい
終身に渡って持ち得る特権になってる 使持節持節仮節は普通に返還される物
北朝はより封建的だから終身の使持節が多く居ただけ
倭王武が半島南部の支配権認定して貰う為に求めたみたく冊封とセットの場合わ別物
>>621
将軍号は前漢の途中から常設官
使持節と将軍号は何の関係も無い役職官職 なんかお前らどうでもいいこと、ずっと言ってるな。
ループしてる。はよ解脱しろ。 どっかから引っ張ってきた知識の自慢大会
ハナから議論する気なんかないよ 「は」を「わ」に入れ替える90年代コギャルリバイバルおじさんが常駐してるスレは大体こうなる 後漢末期からの超武断政治と貴族階層の専横を知っておかないと
宋代に徹底した文治主義と中央集権制に移行した理由がわからないよね >>559 >>578 >>583>>587
結局、国政選挙で当選した中共幹部とやらの
得票数をちゃんと出して説明できないのかw
こっちは安倍が当選した選挙区の得票数ちゃんと出してやるって言ってんのにさ 最近は、中国のことになると、すぐ「日本より上か下か」の論争になってしまって、マトモな話が進まないな。
5ch世界史板に限らず、世の中全体がそうだ。
これは、「日本は辺境だ、中国が世界の中心だ」と主張する、中共シンパの左翼が原因。
当の中国人よりも、遥かに熱心だ(笑) 中国では共産党の推薦を受けた人しか立候補できないし
西側諸国の「選挙」に相当するものはない
つうかあんだけ多くの人口多くの民族多くの利権がある国で民主主義を導入すると東洋のバルカンになりかねないし
今のままがベター 民主主義わ原始時代の部族社会から続く利益分配の方法論
徴兵制とセット 中国はずっと徴兵制だったけど民主主義なんて近代入るまでなかったし
ガリア族も男女関係なく兵役あったけど女は民会からは排除されていた 中国は兵員不足がないので実質、志願制だが建前上は徴兵制
男女関係なく徴兵検査を受けるが男子の合格率が女子を下回るというシャレにならないことになっている
http://www.recordchina.co.jp/b5684-s0-c00.html
2006年に行なわれた北京での徴兵身体検査における合格率は男女共に極めて低いことがこのほど分かった。
男性の合格率は37.9%、女性は42.6%。北京市ではこの年に約1万2000人が徴兵検査を受けた。 10年前でこれだから生活水準が上がってもっと惰弱になってる今の若者はさらに合格率低いんじゃねえの >>638
剰りに無知過ぎてどう仕様も無いな
春秋期、魏晉南北朝、元、清前期が身分兵制の時代
後漢、唐後期、宋、明、清後期が募兵制
周、戦国期、秦、前漢、唐前期が徴兵制
女を排除しても民主主義わ民主主義
二等国民を排除しても民主主義わ民主主義
被支配部族を排除しても民主主義わ民主主義 >>639
去年の不合格率が43.1%なんだな
腋臭と扁平足を態々不適格だと強調してるのが謎w >>643
それ全然反論になってないんだが
中国に君主制以外の政体があったのかよ >>637
徴兵制は社会主義体制とセット
唐がその見本のひとつ 唐は、均田制・租庸調制という、社会主義的な経済体制だった
府兵制は、それと表裏一体の関係 で唐の百姓は兵役と引き換えに選挙権を与えられたの?
お前民主主義の意味を辞典で引いて来いよ >>648
唐は門閥貴族の時代で、選挙権などあり得ない
代わりに、納税が免除された >>635
論破したいのなら、
安倍の当選が不正だとする証拠をちゃんと出そうねw
それから、
安倍の当選が無効だとする判例もちゃんと出そうねw
>>559 >>578 >>583>>587
早く得票数を出せよ >>646
何も無知を晒した言い訳に成って無いぞ
民主主義が徴兵制とセットなんであって
徴兵対象に与える恩恵わ社会主義に由る福祉でも何でも善い
時にわ国民国家何ていう詐欺も登場する >>635 >>654
安倍の当選が不正だとする証拠出せなかったねw
それから、
安倍の当選が無効だとする判例も出せなかったねw
>>559 >>578 >>583>>587
早く得票数を出せよ 晋ちゃん唐の政治家かなんかかよ…かれ近衛家の末端だから藤原家の末裔ということで藤原家が白村江の戦いの敗戦に伴い唐から日本へ送り込まれた占領軍司令官だという説に則れば関係なくはないけど >>649
外国人でも属領の知事に任命されたりするでよ 米空母、ベトナム寄港へ 戦争後初、中国対抗鮮明
【ワシントン共同】米原子力空母カール・ビンソンが5日、ベトナム中部ダナンに寄港する。米空母のベトナム寄港は1975年のベトナム戦争終結後初めて。
南シナ海で中国と領有権を争うベトナムとの防衛関係強化を打ち出し、同海域の軍事拠点化を進める中国をけん制する狙いがある。
トランプ大統領は昨年11月のアジア歴訪で「自由で開かれたインド太平洋」を目指す考えを表明。
米国はかつて戦火を交えたベトナムに軍事力の象徴の空母を寄港させることで、新たなアジア戦略を着実に実行に移し、地域での影響力を堅持したい考えだ。 いよいよ、ベトナムも同盟国の仲間入りが近い。
シナ畜どもも終わりだな(笑) >>658
で、その外国人の知事は投票で選ばれたの? >>661
能力で選ばれた
世襲で相続した非効率行政の見返りとしての利権票じゃ無いよ 唐の科挙とか試験官に貴族が推薦文を書く縁故が公然と認められていたし
抜萃の「身」では実務能力とはまったく関係ない美貌やファッションセンスが審査基準になっている
当然、美容にかまけている暇がない一般百姓のほとんどはここで振るい落とされた
唐の科挙は宋とはちがってあくまで貴族層の再生産システムなんだよ 同時代の儲光羲は阿倍仲麻呂のことを「その美しさは計り知れない」と述べている
仲麻呂が醜男だったら科挙を受ける資格すらなかったであろう 再生産というか無能の排除
結果として唐の貴族は没落するの早かった、4代5代わ中々続かず 進士及第した者をもてなす皇帝主催の宴に「探花」といものがあるのだが
それは進士に合格した者の中で一番の美少年が牡丹の花を探す光景を愛でるものだったとか
最早BLゲーの領域www ↓ 習近平は、「憲法を改正して終身独裁官になる」って言ってるぞ
中国 あすから全人代 北京では厳重な警戒態勢
3月4日
中国では5日から全人代=全国人民代表大会が開かれ、憲法を改正して2期10年と定めてきた
国家主席の任期を撤廃し、習近平主席が無期限に主席にとどまることが可能になる見通しです。
ただ、国民の一部には撤廃を懸念する声もあり、北京では多くの警察官が出るなど厳重な警戒態勢が敷かれています。 中国では、5日から政府人事や重要政策を決める全人代が開かれるのを前に、
会場となる人民大会堂の周辺では多くの警察官や特殊車両が出て、
通行人にIDカードの確認を求めるなど厳重な警戒態勢を敷いていて、
ものものしい空気に包まれています。
ことしの全人代では、憲法が改正され、国のトップの国家主席の任期を2期10年までと
定めた規定を撤廃し、習近平主席が2期目を終える2023年以降も無期限に主席に
とどまることが可能になる見通しです。
国家主席の任期は、死去するまで絶大な権力を握り続けた毛沢東が晩年、文化大革命を発動し、
中国全土を混乱に陥れた反省から憲法に盛り込まれたもので、国民の一部には任期の制限を
撤廃することに懸念する声も出ています。
インターネット上では、中国版ツイッターのウェイボーで「新たな皇帝」や「独裁者」といった
言葉が検索できなくなっていて、当局が憲法改正に反対する意見に神経をとがらせているものとみられます。 「憲法を改正して終身独裁官に就任する」って、なんか、帝政への道を開いた
古代ローマのユリウス・カエサルみたいで、カッコイイな(・∀・)ノ >>672
それに比べて晋三は憲法改正すら出来ない
祖父が地獄で泣いておられるぞ >>663
阿倍仲麻呂は唐の門閥貴族だったのか?
てっきり、日本のお公家さんと思ってたよ。 阿倍仲麻呂の時代に公家なんてないし
科挙も門閥貴族の子弟や公薦を受けたものが優先的に採用されたので>>649の反論にもなってない 全てが世襲と縁故で能力を考慮しない封建国家に比べ
家門血統に因らず能力選抜されて居た科挙試験は遥かに先進的
ハイ論破 民主主義に因る利益分配わ原始的な部族社会に広く見られる形態
皆兵の見返りとしての利益分配が必要だからね
当然女子供や下等部族、奴隷わ市民に含まれ無い
騎馬民族やギリシャ世界やローマの市民も成人男子のみ >>665
再生産というか
小貴族や地方の有力層の有能な人物を引き上げて、大貴族や閨閥を牽制しようとしたのが唐の科挙
狙いはある程度成功し、同時に失敗した
大貴族層と科挙による選抜者による対立で唐はボロボロになった
これが牛季の党争 >>312
>>330
海という障壁があったのに、
モンゴルは済州島を制圧して支配したぞ >>678
はい、また知った歌舞り
大貴族層なんて物わこの時代に成ると大半が没落して残って無い
雑多な貴族身分中の生き残りが李党
それも選抜されてる分だけ大日本帝国大貴族層のアベ党よりマシという悲劇 唐後期に入ると数代続けて高官輩出する様な権門勢家わ消え去って
家門、身分的にわ貴族、みたいなのだらけ 知貢挙への公薦制度や恩蔭制度もそうだが
登用された後も昇進期間や最終官位は「貞観氏族志」の家門格付けランキングに依っており
弱小貴族は名門貴族には絶対に勝てないように設定され貴族間の上下関係もきっちり決まっていた
「上品に寒門なく下品に勢族無し」というのはこのことである >>685
>>678が言及してるのわ牛李の党争やってた時期 >>677
>当然女子供や下等部族、奴隷わ市民に含まれ無い
ローマ法だと女子にも市民権がある
奴隷の夫と市民の女の間に子どもが生まれた場合は通常とかことなり子どもは母方のドムスに入る
>騎馬民族やギリシャ世界やローマの市民も成人男子のみ
通常遊牧民では家長は女が務める
「おおよそ胡の風俗は女を尊び男を卑しむ」(大唐西域記)
「ソグドでは婦女の言うことはすべて正しいとされ丈夫はそれに従う。」(通典)
モンゴルの監国制度や中央アジアのキプチャク国や三ハン国で皇后の署名がなければハーンの勅令は効力を持たなかったのはその名残 イブン・バットゥータがキプチャクハン国を訪れた時のこととして
女主人と奴隷と思われてた二人が実は夫婦であったという話がある
遊牧民社会では男たちは女の采配の元、労役に励み、妻は夫とはべつにオルダをもち妻の許可がないとそこには入れなかった >>687
無い
ローマ市民権は兵役対象の部族国家ローマの成人男子のみ
イタリア半島の同盟部族民にも無かった >>687
はい、また知った歌舞り
ソグド人は城郭に住み農耕して居た民族 >>687
突厥、ウイグル、モンゴル族等の民主主義選挙で選挙権が有ったのわ
貴族の家長だけ >>673
中国はいいな、憲法改正できて。
憲法教の信者みたいな連中がいないんだろうな。 >>692
習さんの取り巻きに取ってはいいだろう
明朝の再来にならなければいいが
やっぱり権力者って、どんどん正恩みたいになろうとするよな 汚職摘発で敵を作りすぎたからな。
政権を降りることは、死を意味する。
降りるに降りられないんだろう。 確かに習政権の検閲体質は酷いね
矢鱈と404が増えたし、買え無い本増えたし >>692
戦前も憲法教徒はいた
明治憲法も一言一句改正されてないから そりゃ御成敗式目とかも不磨の大典だしな
天皇朝の頃わ結構コロコロ変えてたのに >>689
紀元139年にクイントゥス・フラヴィウス・アマティアヌス当てに発行された
兵役終了証書 (ルーブル美術館蔵)にはその妻と子どもにもローマ市民権が付与された旨が書いてある
>>690
それ全然反論になってないけど
>>691
突厥、ウイグル、モンゴル族に選挙制度はないけど
ハーンの権力がハトゥンに掣肘されていたことはヤクボフスキーの「金帳汗国史」に詳しい >>698
世襲の帝政に成って漸く女や二等部族にも市民権が与えられる様に成った >>698
突厥も回鶻も蒙古も未開段階でわ民主主義だった
選挙権を持ってたのわ一等部族の家長、これわギリシャ世界の諸部族もローマも同じ
いや、反論その物。論破された後、反論出来て無いのを誤魔化しても無駄
ソグド人は遊牧民じゃ無く都市に住む農耕民 内藤湖南は、日本の戦国時代と、中国の唐末五代の歴史的な位置が似ていると見抜いた。
日本では、応仁の乱のあと、室町幕府の支配が有名無実と化し、全国の守護大名による群雄割拠の世となった。
やがて、織田信長が室町幕府を滅ぼし、織田→豊臣→徳川と政権交代が続く。
中国では、安史の乱のあと、唐朝の支配が有名無実と化し(といっても、黄巣の乱までは
そこまで極端ではなかったが)、全国の守護大名による群雄割拠の世となった。
やがて、朱全忠が唐朝を滅ぼし、五代十国の時代となる。
このように、数百年のタイムラグをおいて、非常に似た展開になった。 戦国の世を終わらせるべく登場したのが、中国では趙匡胤、日本では徳川家康だ。
この2人の行った大改革が、国家としてのかたちを決めた。
徳川家康は、趙匡胤をおおいに参考にしていたと思われる。 >>705
治承寿永の乱の後、調停の支配が有名無実化し、全国の武士団らわる群雄割拠の世となった 宋太祖に相当するのはイギリスならヘンリ七世、
フランスならアンリ四世というところか >調停の支配が有名無実化し
つまり司法制度が崩壊したということか? まあ、日本は基本的に、室町幕府以前からバラバラだけどな。
細長くて、山あり谷ありの列島。
これほど統一しにくい地形もない。 >>710
武家社会なんだからモメゴトは干戈で決着付けるに決まってんだろ。
腰に佩いてる太刀はお飾りですか?
尤も、後代の江戸武士の大半は鞘だけだったり銀箔塗った樫の木や竹の棒だったり >>712
江戸時代の武家の子弟は、藩校で一生懸命に儒学の勉強をしなければいけなかった。
事実上の文官そのもの。 武家の規律は厳しかった。
農家の女に強制ワイセツしたおかげで、座敷牢に軟禁された殿様もいる。 >>714
メイドさんと風呂エッチしてできた子が将軍になったりしてるけど? >>714
将軍が鷹狩とかで民家で休んだ時に、お茶を持ってきた農家の娘に名前を聞いただけで、その晩に夜伽にやって来たりとか時代劇であったなあ
名前を聞いたら周りの家臣が忖度したのだろうけど
将軍でさえも手順を踏まずにいきなり女を襲ってはいけないという話
>>715
それは内部の人間だから事情がちがうのではないかな >>716
その風呂エッチ生まれの将軍様も和歌山で放置児されてた時分に農家でお手付きして
身に覚えがあるとかないとかで御落胤問題に発展したことが >>713
但し無能が多かった
世襲制の弊害だね
幕府官僚、藩役人、武士が無能で非常に横柄、って評価が外国人の記述に共通して出て来る >>719
非常に横柄というのは清王朝の役人と一緒だけど新しい物への好奇心が強いというところが幕府の役人は違った
小型で人が乗るようなサイズではない蒸気機関車に外国人の意見を無視して無理やり乗って、しかめつらしい真面目な顔をして小さい蒸気機関車に乗ってる姿が滑稽だったと外国人が書いてて笑えた >>719
明治で世襲取っ払ったら一世代で先進国だもんな 科挙が貴族層しか受けてないにしてもその中の無能を選別するなら役には立っているのか >>721
逆に元は世襲制へ逆行したせいで無能文官だらけに成って経済が唐の頃まで逆戻り 奥の女中は、手をつけられるの前提なので問題ない
農家や商家など、外の人間は別だ
武家は論外 でも領主特権の切り捨て御免があるから、気に入った奥に召し上げるから城へ来い、という殿様の御意向に
従うしかないじゃん。刀で切り付けられながらの脅迫と同じだよ。 >>722
だが科挙官僚だからといって有能とはいえない。
四書五経には詳しいが財政には疎いのがほとんど。
そして守銭奴だらけ。 >>726
王安石vs司馬光の頃が、科挙官僚の頂点だったように思う >>726
ツラや背格好の良さやお習字の才能が問われたり、ポエムが最重要科目だったりw
科挙って何のためにやってたのやら?
日本ではそういう才能は別建て。
たとえば血統が良くてツラ構え良くてポエムの才能があっても、ようやく五十歳間際に従四位に昇段した在原業平とか。 >>728
漢詩は基本的には政治詩が非常に多く、また文藻を養うのに必要だったから、別に無意味ではない
政治(特に公示と指示)には文章力が極めて重要なのは、洋の東西を問わないからね
また、書は習字ではない
宋代の科挙では、清代のような手本通り以外を認めないような風潮はない >>729
>文章力が極めて重要なのは、洋の東西を問わないからね
西洋の政治家ってみんな漢詩が作れるのか 詩作はまだしも、哲学書から問題がでて、それに対する一般的解釈と
自分の意見を書くというのは現代のバカロレアと結構似てると思う。 定家も貧乏暮らしだったみたいだしな…
存命中に名声は極まっていたようなのに何故だろう
宴会を仮病で休むような根暗だったからなのか 藤原定家の主な収入源は、
和歌の指南、書物の複製受注、書の指南、史書・歌書の講義、など。
平安貴族ならではの荘園は大して持っていなかったらしい。 戦国時代の後柏原天皇や後奈良天皇はひどく落ちぶれて困窮していたが、
各地に有力大名が育つにつれて、京都の書画に対するニーズが高まり、
揮毫を依頼されることが増えて、貴重な収入源になった。 >>729
宋代の有名な政治詩て、どんなんがあるんよ? 政治詩とか田中角栄の酷いヤツしか思い浮かばん
国交途絶幾星霜
修好再開秋将到
隣人眼温吾人迎
北京空晴秋気深
こういうの。
高校の古文のレベルの理解度でも酷さが判る 田中角栄は小学校しか出ていなかったが、「どこの家に招かれても、床の間の掛け軸の書が読めた」
と言われるほどの教養人 >>736
文天祥 「正気の歌」
幕末維新の志士に絶大な影響をもたらした尊王攘夷の詩 >>740
ポエムの才能が政治に何の意味もなさない証拠に、文天祥を召し抱えている時分に宋は滅亡してんだよね。 クビライ相手だろ、相手が悪い
まあ日本でも官僚統制の時はろくなこと無いから言いたいことは分かるけど
状元でも文が一番マシ
蔡京なんか水滸伝の悪役 科挙は、実質的には官僚としての業務の基礎を考査する読み書き試験なんだよね。
漢文(文言、古典中国語)は、文法要素が少なく、語法・語彙の比重が極めて大きい。
そしてその語法は、数千年の伝統を誇る大量に蓄積された古典のフレーズが基本。
だから、古典の語句を大量に暗記して、それを、音韻を考慮しながら
適宜吐き出して、「古典の言い回しのパッチワーク」を作ることが求められる。
これを図るには韻文を作らせるのが一番。
それで、ポエムづくりが官吏登用試験最大の考査内容になった。
一番似てるのは、日本のかつての司法試験のように思う。今は制度が変わったから分からない。
あの試験の受験生は、最高裁の裁判例や教科書の言い回しを必死で暗記していた。
それを吐き出して組み合わせながら答案に仕立てるらしい。 まあ、昔はコンピュータがなかったからな。
法律や過去の前例を大量に暗記している、歩くデータベースみたいな人間がいないと、
とても政府が円滑に回らなかった。
中国の場合は、地方によって言語がバラバラという問題が加わる。
共通の書き言葉としての漢文が、行政官僚には不可欠だった。 >>743
俺は受けててほぼ合格レベルまで行ったから分かるけど、判例以外の結論はよっぽど説得力が無ければ点数は低くなってしまうから殆どの受験生は採用しない。
そうすると判例の言い回しと結論を覚えた論述になる。
問題に対して判例を基礎にした答えしか返ってこない。
だから大半の弁護士に事件相談すると、「それは判例だとこう言っています」と言う答えだけになる。
こんなんでも今の受験生より全然レベル高いんだけどね。 従来の法律論で説得出来ないから痴漢に間違われた場合の弁護士のアドバイスが「その場から逃げろ」になってしまう (今の)日本の場合、司法試験はガチガチの「判例科挙」だけど、
国家1種は、筆記試験自体はわりと簡単で、本当のセレクションはコミュ力勝負の面接で行うんだよなあ。
実質的にセレクションではない科挙の殿試の位置付けとは全然違う。 >>750
人事院の職員にそこまでコミュ力を見抜ける力があるのか謎だ 裁判に限らず、前例の積み重ねを重視するのが民主主義の特徴 あと科挙と同じで筆記試験の点数が一生昇進に付いてまわる
筆記試験の順位は人事院に聞けば教えてくれるので順位が下位の場合は合格しても、採用を断って来年の試験で高得点を狙うほど
科挙とあんまり変わらない 書き方が悪かったかな。
国家1種は、公的な筆記試験による選抜と、各省庁が「私的」に行う面接の二重構造になってる。
本当に重要なのは実は後者。だから前者で好成績でも、後者がスカだと
「上位合格したのにどの省庁も拾ってくれなかった=就職できない」という悲劇が現実に起きる。 フランス革命は成文法国家だから起こったのかもね
あれだけ権威者やインテリを短時日で殺すのはなかなか無い
文化大革命は位置付けが難しい 余程中身がカスではない限りは三流官庁が拾ってくれそうだけど東大とか変な奴いそうだからなあ(偏見) そういえば、官庁訪問時に、東大法学部限定で、(訪問時までに得た)大学の成績を志望省庁に申告するという裏制度もあったなあ。
もちろん任意だし、内定に強く関係するという説もあれば、ほとんど気にしないという説もあった。
他の大学・学部の志望者も申告して問題ないが、非ムスリムのラマダン励行みたいなもので、
やってもいいけど無意味というのが専らの説だった。
何にしても、日本の官僚登用制度は、最後の土壇場で案外インフォーマルな構造になっていて、科挙とは随分違う。
東大入試が厳格な学力検査である(AO的要素を事情が許す限り排除・圧縮する)こととバランスをとっているのかも。
だから霞が関は私大卒をとにかく入れたがらなかったのかもね。 内閣官房庁は私大を取らないわけじゃ無く、よく分からないからって話だったな
まあ似た者同士が欲しいって点は行政も司法も変わらない
国会は本当はもっと大事なもんだと思うよ >>750>>752
以前の面接試験は宋以来清迄の中国よろしく師匠と門下生で派閥作って縁故も大いに加味する程度だったけど
今やコミュ力勝負という名の貴族制家門血統主義+α縁故主義だよ、地方上級は特に酷く成った、現業は昔から酷いけど 俺の市役所勤めの友人は嫌われたのか昇進試験の面接3連続ぐらいで落とされてるわ >>764
俺の知り合いも面接で落ちた翌年の採用試験が採点されずに放置されてたな
幾ら何でもそりゃ無えだろっていう >>763
日本だってそうじゃん。
公務員試験なんてセレモニーのようなもので、その前に取る人は決まってる。
OB訪問とか職場見学とか挨拶回りとかが実質の採用試験で、公式の試験はまあ無能すぎる者を篩い落とす機能はしていても、
優秀な人を採るためのものではないし。
そこには血縁とか地縁とか学閥とかで既に採用の勢力図が決まってる。国家一種とかでも、どの大学のどのゼミどの課外活動
というようなところで縁故作っておかないと採られないし。 >>742
そのクビライ皇帝の攻撃を、日本は30歳になるかならないかの北条時宗が退けてるし、
防ぎきれず属国になりながらも高麗は存続しているでよ。 >>723
モンゴル帝国も唐も世界中で極東が一番発展していた時期じゃん。 >>767
最近は既に酷かった前より以っと酷くて家門血統偏重が酷いってよ
2世3世だらけで而も無能揃いだと >>768
いやー、隣に最盛期のモンゴルはキツいと思うわ そうは言っても南宗の弱さはガチだけど
金にも散々だし 契丹帝室の耶律氏ですらモンゴル帝国の中で結構長く貴族として残ってたからな
ペルシャのケルマーンだから随分と故地から離れたところの領地だけど >>769
唐より、イスラム帝国のほうがさらに上を行く存在だった >>768
高麗の歴代国王は皆、モンゴル人を妃とした。
王子は、モンゴル人の母から生まれ、北京で育てられた。
大人になったら、半島に赴任して国王に即位した。
こんな調子が何代も続いたので、高麗王はだんだんモンゴル人そのものになっていった。
しまいには、「故郷に帰りたい」といって、北京に行ってしまう国王も出る始末だった。 元は世襲云々よりあの代々続く内輪揉めだな。
ジンギスカンの子孫達が母親達も巻き込んで合従連衡。 >>770
議会、法曹、マスコミ、企業に加えて行政もそれじゃあこの国積んどるやないか >>777
お前のアタマの中身が古いだけだ。
最近は、親が公務員でも、子は外資系企業に入ったり、
さっさと外国に行ってしまったりという奴が珍しくない。 いやいや目に見えて世襲多いだろ
一つの例外出して得意になられても 公務員の子供が公務員になると世襲と言われるが、
トヨタ社員の子供がトヨタ社員になっても世襲とは言われない。
なぁぜ? >>774
政治行政、経済、科学、軍事、司法
どれ採っても唐のが上だよ、大分 >>779-780
帰化人以外の日本国民は全員が世襲の日本国民
世襲制が不満なら国籍を放棄しろよ >>780
なんでかな?
民間企業はコネを使い放題なのにね
たまにそれを地方の市長がやって逮捕されてるな >>780
世襲とは言われないが、縁故採用と言われる >>781
唐は、西域との玄関とも言える長安に首都を置き、イスラム文化をせっせと取り入れていた。 >>750
うんなわけねえじゃん
お前国家I種の適性検査解けるのかよ?頭の回転悪い奴は一生勉強したって無理だぞ
ペーパー試験よりコミュ力()とか体育会系枠設けてるような企業ぐらいだろ 秦漢までとは異なり、長安は、地理的には既に辺境。
ただし、西域から先進文化を導入するのには好都合なロケーションだった。 コネ社会と血縁社会をごっちゃにしてるよな
わ君は
アメリカは実力主義社会だが同時に縁故社会でもあり例えばFBは学生が有利となるコネクションを形成できる
ツールとして急速に広まっていった
人脈形成も実力というわけだ
官庁や軍隊の主要ポストのほとんどが功臣子孫の太子党内の特定家門の私物化してる王朝時代まんまの中国とは違うのだよ >>787
具体的に何なのか言ってみ
言えないでしょw 司法試験や官庁訪問とか脱線したりもしてるけど、このスレってものすごく博学な人達が集ってるね。
レベル高過ぎ。
びびる。
このスレに書いてあるような中国史の微に入り細に入る細かい知識って、どの本読んだら手に入るの? >>780
私的な利益共同体だから縁故で便宜謀るのわ当然というか仕方が無いしな
税金じゃ無く自分の金だし >>787
中国側の圧倒的な輸出超過だぞ
輸入してたのわガラス製品、葡萄酒、宝石、香料くらい >>790
俺わ分けて書いてるぞ
昔の日本政府はコネ社会、今の日本政府は家門血統世襲社会 >>791
音楽、美術、宗教、哲学、服装、食品、飲料、交通手段、スポーツ >>793
横だけどこういう紹介はありがたい
司法試験とかコネとか縁故とかどうでもいい書き込みとえらい違いだ >>779
日本の田舎で公務員の世襲が多いのは、
公務員が務まるような奴が限られた家系にしか生まれてこないからだろうよ。
士大夫が階級として固定されてきたのと理由は同じ。
もう一つ、本人の学歴・素質から見ると必ずしもおいしい職業ではないという理由もある。
小中学校の教員が典型例で、医者もそれに近い。 田舎だと、地主の息子はたいてい地方公務員をやってる。
東京の郊外でも同じ。
そういうもんだろ、公務員って。 田舎は雇用の受け皿が無いからな
公務員の息子が勤める所なんか限られてる
日本の職業の魅力の基準が責任が最小限で収入が最大限と考えると政治家やベンチャー
は敬遠され、公務員やインフラ等の公益的企業、大企業となる >>790
実際、習近平率いる太子党の力って、どのレベルでどれくらいあるんだろうな?
本当に「功臣子孫の権力機構」が復活してるんだろうか。
もしそうだとしたら、確かに唐宋変革以来の大きな潮流の反転が、今まさに見られることになる。
ただ、俺が聞く限り、
中南海トップは太子党のターンだが、これはほんの数年だけ、それもトップ層だけの話で
官僚機構では北京大学文学部OBの勢力が強まっているという話もある。
これは科挙的価値観の変形復活で、俺は納得したんだけどね。 「世襲」というのはその地位が家業となってる場合なんでないかい?
議員だったら選挙の勝ち方、選挙対策など、会社の社長だったら
会社の経営方法など一子相伝ができる。
だが公務員の就職手順、職務などは親は教えようがない。
例えそれが縁故採用であっても。 厳密にはそうだけど世襲化してるとかの言い回しだと含まれるような気もするね >>793
ありがとうございました。
レベルの高い方がいらっしゃるのは、励みになります。 唐は王道、モンゴルは覇道
影響力は難しいね
どっちもかなり後世に影響してると思う >>805
清には、満州貴族がいたからな。
時代劇を見ても、華やかな恋愛を繰り広げるのは、満州人の皇族や貴族。
科挙官僚なんてのは、赤い蓑笠みたいなのをかぶった、学者っぽいクソマジメな爺さんで、
皇帝に諫言して左遷され、流刑地で寒さに苦しむというのが定番の役回り。
もちろん、時代劇と現実は違うけど、イメージとしてはそんなところだったんだろうよ。 ましてや、いまの中国は、バブル末期の爛熟状態だ。
勉強してマジメに生きたところで、浮かばれる世の中ではない。 清代は、科挙官僚と宦官の上に満州貴族がいた。
貴族がいなかった明代には、宦官を抑えられる者がおらず、魏忠賢に絶対権力を握られてしまった。
清の世になって、ようやく宦官の害がおさまった。 >>812
現実見えて無さ過ぎ、今の中国は高度成長の終盤
日本は身を捨てても浮かぶ瀬も無く特攻隊にされる時代
>>814
宦官がのさばるのわ外廷が弱く内朝に権力握らせ過ぎた時
清朝は清朝で元朝と似て汚職が酷かったけどね と言うか現在本来あるべき国力を取り戻してる段階でしょ
今までが無能過ぎた
核をちらつかせて警戒を募らせるなんて今の北と変わらん 純粋な漢民族の王朝は戦争に弱いのだけど、今の王朝はどうなることやら
経済が発展したのは歴代の王朝を見たら不思議でも何でもないけど軍事力は未知数 弱いといっても、その代表例のように挙げられる北宋、南宋だって、100年に渡り長大な要塞線を維持して北方遊牧民族の侵入を食い止めているし、日本人の考える弱さとは異質な希ガス 洗衣院が衝撃的過ぎてね
宋よりも強い遼よりも強い金よりも強いモンゴルって想像もつかん
まあそれを言うと西ローマ帝国よりも強いゲルマンよりも強い匈奴系は漢よりも強いって話もあるけど >>820
匈奴は武帝期に徹底的に敗北してるけどな
言葉通り歴史的なもんだ 日本なんか海を挟んでいるのにアメリカ相手に
WW2で四年間ももちこたえなかったけどな >>823
南宋と違って国家も皇室も消滅してないけどな 宇予くんなんでわざわざ中国史スレきてイライラしとるん? なぜ馬鹿サヨくんは唐宋スレで見えない敵と戦っとるん? >>824
大日本帝国は昭和20年に滅亡
皇室は南北朝状態の解消で実質消滅 >>829
元ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス
(大元大蒙古国)
ᠶᠡᠬᠡ ᠶᠤᠸᠠᠨ ᠤ
1271年 - 1635年 >>830
昭和20年より後でも大日本帝国という国号は使用されてる >>820
なにいっつるだよ。
漢は匈奴の属国だよ。和蕃公主とか言いながら姫さんを差し出したり歳幣(年貢)を納めてたりする朝貢国だよ。 >>831
モンゴル族の話なんか為て無いよ
>>832
昭和20年から日本列島は米軍占領地区
>>833
相手の準備不足に乗じて辺境荒らし入念に準備された反撃食らって
べちーんと叩き潰される、何処かで聞いた話だな >>834
占領されても日本という国家は滅亡してないから 宇予くん、なんでいつまでも基地がいみたいにジャップの話しとるん? >>835
現行の日本国が建国されたの昭和26年な、いや27年だっけ? >>837
おまえが自信ないことについて、おれが答える必要ないからw >>834
建前上、日本は米軍占領下に置かれたことはないよ
あくまで、連合国軍の占領下に置かれた
漢は、前漢中期まではたしかに匈奴に対して従属的関係にあったけど、武帝以降は常に絶対的優位な関係だったよ
漢と匈奴の関係については、なんで常に一方的にしか見ないんだろうね
宋と金の関係も時期によって一様ではないけど、漢と匈奴の関係は、それ以上に変化してる >>830
従来から「大日本帝国」は日本の通称の一つでしかないから、
「大日本帝国」を使わなくなっても国家の滅亡にはならない 前漢ファーストエンペラーが冒頓単于の弟になって貢納させられてたのが重要 >>834
「占領」と「駐留」の区別がつかないか? >>838
確認した
日本国建国は西暦1952年
>>841-844
そういう虚偽の詭弁は文明社会じゃ通用しないから
昭和20年、米軍に因って大日本帝国が滅ぼされ
西暦1952年、日本列島の大部分で占領が解かれ日本国が建国された
今も米軍は日本列島の一部に治外法権を持って占領中 >>845
建前重視するなら建前守りなさいな
日本が戦っていたのは、アメリカ合衆国を含む連合国軍
だから、日本を占領したのは米軍だけでなく英軍や蘭軍も含まれる
その中枢が連合国軍総司令部(GHQ) うーん、でも戦争継続中や戦後すぐにソ連や中共警戒にシフトしているから国際関係上は日本の戦後処理は余り厳しく無いと思うよ。
今でも日本にロシア中国に寄られたら困ると思う。 >>845
劉邦の時代の前漢が、冒頓単于の弟になって貢納させられてたのは事実だよ 50年で女真ロシア中国アメリカと戦ってその後は歴史上一番豊かで健康寿命や識字率や富の均等は他の大国を凌ぐって言うのはなかなかドラマチック >>845
じゃあ、米軍に占領されてるのは日本じゃなくて、横田や嘉手納なんだな? >>833
和蕃公主が送られたのは東匈奴が漢の属国となった際のことなんだが 匈奴が強かったのは冒頓単于まででそれ以降は漢に負けてばかりか属国化してるかどちらかだから
強いイメージはまるでないな
三国志の時代になるともはや騎兵ユニットみたいな扱いになってるし まあでも西晋を滅ぼしたのは匈奴出身の劉氏だし匈奴が弱かったから鮮卑が出てきて五胡十六国時代、隋唐と続くんだから中国史における意義は大きい >>845
非文明人のお前は教科書すら読んだことないの? 劉姓名乗ったり国名を最初は漢にしてることからわかると思うが
匈奴の意識としては簒奪者の晋を打倒して漢を復興させたつもりなんだぜ >>854
老上単于の代でも漢との和親条約を破って侵寇・略奪を続けてたので、 漢の皇帝を困惑させた 井上靖の西域物を読めば歴代王朝がどれだけ北方異民族に手を焼いていたかが感じられる
中島敦の李陵の頃は武帝なんだけど子供心に大変そうだなと思った たしかに、同じ時期に西方では、遊牧民のパルティアが
ペルシャ帝国に取って代わっていたことを考えれば、
漢代における匈奴の衰退ぶりは物足りない。
やはり、漢の頃までは、シナ中原の黄河文明が東アジアで突出した存在だったということだろう。
周囲の諸民族が刺激を受けて文明化していくのは、もっと後の話になる。 しかし、後漢の時代になると、烏丸や鮮卑の侵攻に苦しんだのではなかったか? 烏丸や鮮卑も一旦、曹魏に滅ぼされて護烏桓校尉や護鮮卑校尉といった漢人総督の統治下にはいったことがあった
氐・羌もそう
五胡の乱は後漢末の強制連行によって連れてこられた遊牧民たちが漢人の圧制に対して起こした反乱であって
ゲルマン人のように自ら意思で侵入したわけではない >>865
今の中国も女真族王朝の属領だった地域で樹立された国であって、
ゲルマン人のように自らの意思で侵入したわけではない 今の中国は延安で創設された中華ソビエト共和国がオリジンだろ いちいち今の中国の話にしたがる基地外って、こいつだろ→>>559 >>865
歴史上に五胡の乱なんて存在しないからな
西晋が八王の乱で実質滅亡して五胡が侵入流入し十六国時代突入 北魏や隋唐の頃になると、やっと鮮卑の脅威から解放されることになる。
北魏や隋唐そのものが鮮卑の王朝なんだから、当たり前なんだが。
とりあえず、もう脅かされることはなくなった。
やがて、鮮卑の移民の子孫たちが、新たな漢人となっていく。
しかし、さらなる脅威が出現する。突厥だ。
新しい漢人たちを支配したのは、突厥沙陀族の皇帝たち。
今度は、突厥が新たな中国を創ってゆく。
絶え間ない、北からの民族移動。
玉突きのように、先住民が南へと押し出されていく。
それこそが、中国史のダイナミズム。
古代黄河文明の先住民は、とっくに姿を消していた。 匈奴突厥みたいなモンゴルが本拠地の民族は漢土へ定着して無いんだよね
鮮卑も契丹も女真も蒙古も満州の出 >>872
蒙古はモンゴルちげーのか?
ジンギスカンの本拠地のカラコルムなんてモンゴル中のモンゴルじゃないか? >>871
古代黄河文明築いた先住民は、どうなったの?
南下してインドシナ半島やタイ、ミャンマーに行ったの?
それとも絶滅? 第一次王朝に続いて第二次王朝でも殺人か
ホント中世だな無知無能無教養の腐敗した日本人政府 >>878
モンゴル族は元々わ興安嶺周辺に棲んでた民族、モンゴルじゃ無いよ
しかしなあ、政府の不正を告発すると総理大臣に殺害されるとか残忍な土人国家だな
法治主義で文明的な中国共産党政府が羨ましいね >>875
山西省にある周代の倗国墓地と現代の山西省の漢族のハプロ構成にはほとんど変化がない
鮮卑は遊牧民なのでその人口も少なく多くても漢族の十数分の一程度だったと思われる 倗国墓地の面白い所はそれほど身分の高くないと思われる者の墓から
Q系統のハプロが見つかっているところだよ
北匈奴の単于庭と見られるバルコル県東黒溝遺跡から見つかったハプロ系統もQで
庶民層はわりと古くから匈奴のオリジンとなった集団と交流があったのかもしれない 旧来の漢民族が絶滅したのになんでその後の唐は超先進国になってるんだか
漢民族絶滅説唱えたヤツはバカじゃないの? >>880
>山西省にある周代の倗国墓地と現代の山西省の漢族のハプロ構成にはほとんど変化がない
周代の山西省っていったら、まったくの北方異民族の世界じゃないか。 >>884
漢民族が絶滅してから、唐の繁栄まで400年も経ってるんだが。
先住民の遺産を吸収するには、十分な歳月だろ。 中国北部の漢族のハプロでも最多を占めるO2ーM122は
紀元前2500年前の夏の首都と見られる陶寺遺跡からも見つかっており中国のハプロ集団の中でも最古参の部類に入る >>886
西周代には封建国の一つである劆国が置かれているけど
倗国墓地ってのはその時代の頃の遺跡 >>887
北朝も主産業は農業だし
唐初にも山東貴族がゴロゴロ残ってたよ 山西省は、今でも言語が大きく異なる。
1989年の天安門大虐殺のとき、中国共産党は、山西省の軍隊を北京に呼んで、学生たちを虐殺させた。
「山西省の兵隊なら、言葉も通じないし、北京人に対する同胞意識がないから平気で虐殺できる」
というのが、その理由。 20世紀の終わり頃でさえ、そんな調子なんだから、ましてや2500年前なんか異国もいいとこ。 津軽や東京や鹿児島も言葉が大きく異なるけど民族が違うかというとそんなことはない
実際問題、夏の時代の住人と現代の華北の漢族のハプロはほとんど同じなのだから
現代漢族は夏人の直系子孫と見て間違いない 北京から山東一帯には祖籍が山西省洪洞県大槐樹村となっている人が非常に多い
これは何故かというと永楽帝の頃に行われた「燕王掃北」によって華北の人口は激減し
唯一被害を免れた山西省から移民が募られたのだが、大槐樹村というのはその集合地点の名である
そのため今でも華北人の間では洪洞県大槐樹村は特別な意味を持っている >>884
秦、北魏、隋、唐、蒙古
というように、西方・北方の異民族に支配されてる時分の方が発展している。 >>887
日本人なんか唐に留学させてもらったりしてるのに、追い付くまでに千年はかかってるよ >>897
日本はモンゴルに2連勝
支那はモンゴルに完全制圧 >>890
北朝から続いた山東貴族の名門が、唐末にほぼ絶滅したというのが、このスレの主題のひとつ 唐朝貴族の中でも家格第一の名門とされたのは、山東の崔氏。
その歴史は、三国志のマイナーキャラ・崔琰に始まる。
崔浩は、北魏の宰相になった。道教を信仰し、仏教を弾圧した。
漢人至上主義だったためか、「鮮卑を野蛮人あつかいして
侮辱した」という理由で、北魏の皇帝から死を賜った。 >>884
唐はインド・ペルシャなどの西域から文化を受け入れたからな 劉備の師として知られる盧植の子孫もまた、唐で名門貴族となった。
崔琰と盧植は仲良しで、盧植を推挙して世に出したのは崔琰。
唐朝三百年において、崔琰の子孫の清河崔氏は12人の宰相を出し、
盧植の子孫の范陽蘆氏は8人の宰相を出した。 >>902
それはある。
楽器なんか、ほとんどペルシャ式に変わった。
明治時代に、日本が西洋から受けた影響にも匹敵するものがある。 この2家に次ぐ家格としては、滎陽鄭氏というのがいた。
こちらは、春秋時代の鄭国に起源をもつという古い家柄。
ほかに古い家柄としては、「趙の名将・李牧の子孫」という、趙郡李氏もいた。
このように、唐の門閥貴族には、春秋戦国時代にまで遡る家柄があった。
そんな連中が唐末の粛清で一掃されたのだから、大事件。
古代黄河文明からの伝統が、ここで完全に終息した。 清河崔氏・范陽蘆氏・滎陽鄭氏に、李家と同郷の名門である太原王氏を加えて、唐朝の「四姓」と称する。
日本でいえば「源平藤橘」に相当する、名門の中の名門。
もっとも、日本の場合、源氏・平氏・橘氏は、いずれも皇室(王家)から枝分かれしてきた家系。
唐の山東貴族は、皇帝の李家よりもずっと古い歴史と伝統を誇っていた。
そこが大きく異なる。 >>902
インドから入ったのって仏教建築の一部位でそれも唐末五代で切れてるし
ペルシャの楽器も琵琶が流行したけどそん位でしょ >>907
唐の皇帝は製糖技術を学ばせるためインドに職人を派遣した んで唐太宗は、自家が第4等だと知って激怒し、強引に第1等の家格に書き換えさせた。 >>908
そんなミクロな例出されてもな
まさか日本が中国から受けた影響とくらべたりしてないよな >>910
ミクロじゃないだろボケ
それとゼロの概念もインド人が最初に唐に広めた インドはモヘンジョダロ見ても文化先進地域だけど学者受けしなかったんだろうな
哲学者とかの日本語文献が余り無い >>894
夏は山西省じゃないだろ。河南省のごく一部。
そりゃそうと、
殷周以来の漢族固有の文明は、漢という得体の知れない呪術王朝に結実して、そこで頭打ちになった。
漢の儒教の中身は、ほぼ占いと呪術で占領されてる。
オリエントでいえば、あの「占星術の母国」新バビロニアとよく似た体質の国。
でも、漢の文化をそのまま継承保存した民族は周辺にないので、漢の正体は意外に知られていない。
五胡十六国以降、それが全部書き換えられてしまう。
仏教の影響はかなり大きく、南遷した六朝ですら、漢の呪術体制とは全然違う文化体質になった。
その総仕上げが、ほぼトルコ帝国といっていい隋唐帝国。
非常に合理的で風通しの良い巨大帝国は、怪しい占いに埋没した漢とは全然違う。
皇帝が個人的に水銀を飲んで死ぬことはあっても、陰陽五行の怪しい占いで政治が全部ひっくり返ることはない。 >>899
宋はモンゴルに滅ぼされた負け犬王朝だぞ 日本が戦ったのは元じゃなくて投降した宋高麗兵でしかも台風があってのことだし
上都まで陥落させた紅巾軍や洪武帝や永楽帝みたいにモンゴルに攻め入ってウリャンハイ三衛からハーンに推戴されたことなんてないしな 「怪力乱神を語らず」の儒教の基本原則も知らんのか
四書五経は古事記や日本書紀たいな人が鳥になったり、鳥が人になったりするお伽噺とは違うんだぞ 台風は地形戦略の一貫だし無くてもどう見ても落とせないでしょ
二度に渡る遠征軍なんだからその運営もフビライの責任 >>916
神様や幽霊を追放したら、森羅万象の説明が陰陽五行という名のオカルトに侵され、謎の占い帝国になったでござるw
陰陽五行は神様ではなく「自然法則」だとされたから、儒教とは相性が良かった。
でもしょせん怪しい疑似科学なので、すべての政策を陰陽五行で説明して思考する謎の魔術王国に堕落してしまう。
むしろ、神様の名の下に恣意性を閉じ込めたほうが、合理的な社会を築くことが出来る。 唐からアッバース朝には絹や紙や陶磁器、絵画と言ったものが伝わったり相互に影響を与え合う関係だった
倭国は唐側から文物を受容するだけで文化的には一方的に教わる側
「交流」と呼べるものはなかった 陰陽五行説なら清朝に入っても現役だが
そもそも五行説は万物を火土金水の五素に分類する学説で呪術とは何の関係もない 中国の歴史や文化に対して並々ならぬコンプレックスを持ってる人いるよね
新バビロニアも漢も何も知らないのにイメージで語ってるのがよくわかる 民会による高度な自治、奴隷の虐待を禁じた人権主義、土地の共同所有といった社会主義、世界最古の体系的な数学体系であるバビロニア数学
そのバビロニアが呪術王国ねぇ・・・ >>915
宋がモンゴルに滅ぼされた負け犬王朝だってちゃんと理解してるのか? 元末に逆に滅ぼし返してるけどな
高麗もナハチュの大軍をゴビ砂漠まで追い払ったりしてる
日本はモンゴル騎兵軍団と戦ったことないだろ 陰陽思想も元来はすべての存在はプラスとマイナスに分類でき相互に均等を保っているという
順然たる科学思想だったのだが日本では土着の御霊信仰と混ざって陰陽師とかいう魔法使いになっちゃった >>924
元末に宋なんて存在しないんですけどw
無理して負け犬王朝を美化すんなよ 古代の自然科学なんて呪術そのものだろ。
学問と関係の無い職人の技術の方がよっぽど現代に通じるくらいだ。
科学革命以降ですら学問自身では正しい方向に進歩できずに実地の技術の後追いになることが少なくない。 >>908>>911
製糖技術は既に有った、蔗糖を作る為の植物と技法を導入する為の派遣
0の概念は九章算術に既に有る >>913
オマエわ何時も無知のクセに知ったかぶる
鮮卑わモンゴル系でトルコ系じゃ無い
漢前期は道教が流行して居て儒教はそれ程じゃ無い
儒教が村の長老の観念論の寄せ集めだとしても占いや呪いわ出て来無い
杉山並みに愚劣な無教養だな >>929
九章算術に書かれてるゼロがどんな漢数字なのか説明してみ 「老子」には「永遠」「無限大」とあと無限小と思わしき概念は出てくる
しかしゼロはない そういえば、大学の時、経済学の教授が、諸子百家にはマルクスやケインズ、福祉国家、新自由主義といった現代の社会思想と同じ主張をしていた賢人がいたと言ってたのを思い出した。
これ本当ですか?
だとしたら、西欧の社会科学って何だったんですか? 中華に周回遅れってこと? ケインズ云々は多分農閑期に労役課して対価払う政策の拡大解釈だろうけど
マルクスと福祉国家わ思い付かんは、漢は65歳か70歳越えると年金は有ったけど >>934
それをいうなら、西洋哲学の思想のプロトタイプは、すべて古代ギリシャで出尽くしている。
中世・近世・近現代と、形を変えて繰り返し登場するだけで、人間の考えることには基本的に大差ない。 中国思想は、君主論や処世訓がメインで、哲学といえるような要素に乏しい。 宗教としての儒教は、「先祖供養」を中心教義としている。
古代中国の招魂シャーマニズムが、形を変えてそうなった。
日本の仏教系と称する新興宗教には、先祖供養をするところが多い。
それは儒教からの影響。
「供養」という表現は仏教っぽいけど、先祖を祀るという行為は儒教そのもので、
仏教にはもともとそういう発想がない。 >>921
たしかに中国にも高度な文化があったが、中東や欧州の文化を知った人は、
たいてい、そちらに傾倒して中国を軽視するようになる。
13世紀のモンゴル人や、19世紀の日本人がいい例。 墨家や老荘なんかは今でも通用するだろうけどどちらかと言うと世捨て的
儒家も当初はそうだね
古代ギリシャやローマ、インダス文明とかはオーパーツで後の歴史との連続性が薄い
再発見とかはあるけど しかし、陰陽五行ネタを煽りながら投下したら、見事なリトマス試験紙となって草生えるw
古代中華崇拝の認知バイアスで、レベルの低いクソ疑似科学に真正科学の萌芽の幻想を見る無能どもが、
釣れに釣れてどうにもならんわいw
疑似科学としたって、あんなもんはレベルが低い。ギリシャ哲学の対応物ほうがよほどマシだ。
魏志倭人伝を頭から信用して、東に何km南に宮殿だの言ってる馬鹿郷土史家だとか、
朱子学に科学的合理主義を見て、カルト化した儒者をホルホルする阿呆だとか、
みんな出処は同じなんだよね。未だに抜け切らない中華崇拝。 唐では、密教や道教が流行した。
国を挙げて加持祈祷に狂奔した、なんとも迷信深い時代だった。
それに対して、新儒教による啓蒙運動が始まるのは、宋代。
とくに、南宋で大きな潮流となった。
新儒教の宋学も、太極図とかが陰陽道っぽくて、現代人から見るとかなり怪しいのだが、それ以前の思想と比べれば、科学的合理主義の域に達している。
少なくとも、同じ時期の日本や欧州と比べれば、大幅に迷信からの脱却が進んだのは確か。 隋唐で24年間も学問してから日本に帰国した、僧旻はこういう人
>舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、舒明天皇11年(639年=jに彗星が現れbス時には飢饉を覧\告するなど、緒ヒ瑞思想に詳しbゥった。
=я蜑サ6年(650粕N)に白戸国司bゥら白い雉が献緒繧ウれると、そbフ祥瑞を説明しbスことにより、粕定ウと改元されbス。
これが、唐の標準的な知識人だったと考えられる。 隋唐で24年間も学問してから日本に帰国した、僧旻はこういう人
>舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、舒明天皇11年(639年)に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった。
>白戸国司から白い雉が献上されると、その祥瑞を説明したことにより、白雉と改元された。
これが、唐の標準的な知識人だったと考えられる。 宋の時代、「天」をめぐる考え方に大きな変化が現れた。
それまでの天は人格的であり意志を持って人に賞罰を下すとされたが、
宋代以降、天は意志をもたない自然的なものであり、
天と人とを貫く法則にただ理があるとされた。
このような天観の変化により、『易経』を中心として新しい宇宙生成論が展開された。 人格神としての「天」から、意思を持たない自然的な存在としての「天」へ。
欧州でいえば17世紀オランダのスピノザ哲学を思わせる、大きな思想革命だ。
このように、宋代には、千年前の世の中とは思えないほどの啓蒙思想が台頭した。
同じ時期の欧州人が魔女狩りに狂奔してたことや、日本人が怨霊の祟りを恐れて
ガクブルだったことを考えれば、非常に先進的だった。 仏教僧に預言者や天候を操る能力があると考えていたのは
日本特有の思想だと山川の「詳説日本史研究」に書いてあるけどな
受験生レベルの知識 このスレももうすぐ終わりなので、まとめ
唐と宋で、何が変わった(と考えられている)か
1.門閥貴族の時代が終わり、科挙に合格すれば誰でも士大夫階級になれる時代になった。
2.貨幣経済が発達し、商売に成功すれば誰でも金持ちになれる時代になった。
3.加持祈祷に熱狂する密教ブームが終わり、合理的な新儒教の啓蒙思想が台頭した。
4.群雄割拠の武断支配が終わり、科挙官僚が全国に赴任する文官統治システムができた。
5.五代十国の分裂期に各地が独自の発展を遂げた。
とりあえず、「宋の驚くべき近代性」としてよく挙げられる要素は、おもに上の5つだろう。
ちょっと、宋に対する評価が高すぎる気もするのだが・・・。 儒教の近代ヨーロッパ思想やフランス革命への影響ってのは教科書的には避けて通れない課題だよね
厳密に言うと宋学と科挙だけど
http://www.gws.ne.jp/home/hideo/_thHRQ5V.html
大航海時代以降、アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると、特に18世紀フランスの知識人たちの間では、
東方の大国である中国に対する関心が高まった。
以下に示すように、中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は、称賛もあり批判もあり、様々だった。彼らは中国を鏡として
自国の問題点を認識したのであり、中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。
儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし、愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。(略)四千年来、
中国の識者は、最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)
ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて、彼らこそが、生まれながらに、自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。
(略)ヨーロッパでは、凡庸な宰相、無知な役人、無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが、中国ではこのような制度は決して生まれなかった。
この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)共和国においては徳が必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては「恐怖」が必要である。(略)中国は専制国家であり、その原理は恐怖である。(モンテスキュー) >>949
貨幣に関しては単に商業がが盛んになったことだけでなく紙幣が登場したことが大きいと思う。
もっともこれも何の裏付けもない銅銭をありがたがる東アジアの伝統と無関係ではないはずで、
割り引いて考える必要はあると思うけどさ。
(おそらくビットコインが中国で流行しているのもこの伝統が背景にある) >>934
社会科学って官僚制の発達した領域国家にしか必要の無いものでしょ。
だから中国やイスラム圏で発展した。 >>932
無
>>936
ギリシャ人は記録魔なだけで数学などの科学的な物わ大半がエジプトで発展した
これわマケドニア諸王朝時代も変わら無い >>937
オマエの無知と現実は何時も違う、また病気が再発したか >>938
神道は先祖供養とアミニズムが全ての宗教
新興宗教に先祖供養を強調する物が多いならそれわ神道の影響
抑々日本の仏教は先祖供養の要素が伝来元の中国仏教より強い >>939
元朝でもイスラム圏由来の技術や科学はおまり無い
無知が願望で妄想を事実かの如く断言する何時もの発作 >>940
儒教は最初から権力志向
というより孔子も門弟も諸子百家中でバリバリの権力志向派
その程度の事すら知らず
また願望を史実かの如く脳内で置き換える病気が再発したか 郭守敬がイスラムの天文学学んで授時暦作ってますけど >>942
漢代の数学はギリシャのそれと同等
天文学や冶金学は同等以上、形而上学は大分進んだ物 >>957
儒教ってのは、孔子が始めたわけじゃないんだよ。
ギリシャ哲学を始めたのがソクラテスじゃないのと一緒。 治金技術は中国は大分、独特な発展をしていて
普通は鍛鉄から鋳鉄へと発展するのだが
青銅技術が発達した中国では最初に武器には不向きな鋳鉄が出来てしまい
戦国時代にはすでに鉄製農具が普及していたのに関わらず武器は漢代に入っても青銅製のものが使われていた >>946-947
南北朝を経て隋唐に入ると封禅を態々やらなく成り
唐も後期に成ると崇天が薄れて天何々みたいな雅称が少なく成って行った >>960
キリスト教はキリストの弟子が始めた様にか、まあそれ詭弁だけどな
儒教は孔子を神として祀る宗教じゃ無く
孔子の陳腐で詰まら無い教えを解釈する宗教だから >>958
抑々授時歴作る時に使った天文装置が中国式で
授時歴その物もイスラム圏の暦より正確なんですけど 誕生一世紀待たずして陳腐化した優生学、ウーマンリブ、ナチズム、ファシズム、共産主義
よりよっぽど高度な思想だと思うわ儒教
強制性のある教義が存在しないという点が古代にあっては先進的だと思う http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/eclipse/chinese_astronomy.htm
>耶律楚材 は チンギス・カン に同行し、1210 年にペルシャに赴き、モンゴル帝国で使用するために
>イスラム世界の暦を学んだ。 クビライ はイラン人を北京まで連れて来て、 天文学の研究のために天文台と研究所を作らせた。
>イスラム天文学には当時の中国には存在していなかった惑星緯度の理論や 食の正確な予測があり、この理由から中国で評判が良かった。
>この後まもなくして有名な中国の天文学者である 郭守敬 により建造された天文装置の幾つかは、 マラーゲの装置に形が似ていた。 特に Gaochen 天文台 (登封観星台) における簡略渾天儀と大きな日時計 がイスラムの影
>響の痕跡を示している。 1281 年の 授時暦の作成において、 郭守敬の 球面三角法 の本はイスラム数学に部分的に影響されている可能性がある。 イスラム数学は クビライ の宮廷では大部分が認められていたからである。
>影響したと思われるものには、 赤道座標と黄道座標の変換に使用する疑似幾何学的方法、 (基礎となる変数における) 小数点の系統的な使用、 惑星運行の不規則性の計算に三次補間を適用したことがある。 「詳説世界史」山川出版社 2004年版 p 100
「アラビアの天文学をとりいれて郭守敬がつくった授時暦は、のち日本にもとりいれられた」 >>966
球面三角法は当時のイスラム圏で使われて無いし
運天儀に用いられた赤道座標系も大分後まで欧州やオスマン帝国で使われて無い
ペルシャで用いられてたなら以っと早くに使用されてる筈 球面三角法はイスラム数学者のバッターニーの発明ですが 使われてますが>>967
そんなに不満なら文部科学省に教科書の記述改訂するように抗議したら? 三角法なら唐代の開元占経にも出てくるよね
まぁインドのブラーマ・スプタ・シッダーンタの漢訳なんだけど お前ら性格曲がっていくと知識も曲がるぞ
訓詁学みたいなもんだ 瞿曇悉達
くどんしった
生没年不詳。中国、唐(とう)代のインド人天文学者。その名はGautama Siddhantaの音訳。
712年、太史監(国立天文台長)となり、『九執暦(きゅうしつれき)』を翻訳して、プトレマイオス以前の古代西方の天文学の影響を受けたインドの日月運行、
日月食の計算法を中国に紹介し、正弦表やインド数学を伝えた。
さらに『開元占経(かいげんせんきょう)』を編集したほか、渾天儀(こんてんぎ)の修理も行った。
瞿曇Gautama氏は迦葉Ksyapa氏、拘摩羅Kumra氏とともにインドから中国に来住して天竺(てんじく)暦法をつかさどった3家の一つで、唐代の天文学者として、
悉達のほか、羅(ら)、(せん)、晏(あん)、謙が知られている。(せん)の墓誌銘によれば、羅は悉達の父、は悉達の第4子で、瞿曇氏は悉達の祖父、逸のときに長安に来住したという。
『藪内清著『隋唐暦法史の研究』増訂版(1989・臨川書店)』 >>971
何の反論にも成って無いんですが
イスラム圏の天文機器に球面三角法が使われて無い事の >>963
いや違う、逆だ。
儒教は、孔子よりもずっと前からあった。 数学がインドとイスラムで以上に発達したのは文化的側面なのか、言語的ね影響なのか
数学者が人文に興味ないから、この手の研究薄い気がする 普通に使われますが
使われてないならどうやって恒星表を作ったんですか?
宇宙にでも行って調べて来たんですか? >>962
まあ、そうだろうな。
唐宋変革のかなりの部分は、唐の後期から始まっている。 >>116
中華人民共和国が建国してからは、
ずっと中国は2つの国家に分裂した状態のままだぞ >>977
知ら無いから教えて欲しい
>>979
球面三角法使わ無くても天体観測は出来るし恒星表は漢代に作られてる >>559 >>879
民主主義指数ランキング
20位 日本 8.08 (完全な民主主義国)
23位 フランス 8.04 (完全な民主主義国)
144位 中華人民共和国 3.00 (独裁政治体制) >>985
支那の統計はインチキだって、
李克強がうっかり口を滑らしてんだよね アベ政府の経済統計わインチキだろって
今現在、経済学者達に批判されてるからな >>985
>>987
中国政府発表の国内総生産(GDP)などの統計に、かなりの水増しがあるのではないか、という疑念が以前から根強くある。
それを裏付けるかのように最近、一部の地方政府が発表した自分たちのGDPや財政収入などの数字に、水増しが確かにあることを「自白」し始めた。 改竄止めろと通達する中央政府と自白する地方政府
改竄を首謀し捏造為隠蔽する中央政府 エジプトで数学が発達したのは、ナイル川の氾濫のおかげ。
土地の境界区分もなにも、まったく分からなくなるから、そのたびに測量しなおす必要があった。 >>987
ムキになるなよ。やめとけって。
日本の経済統計がインチキなら、中国なんかどうなるんだよ(笑) >>990
改竄した李克強が中央政府の首相になった >>965
それは、儒教の戒律の厳しさを、お前が知らないだけ 今年に入って、内蒙古自治区と天津市が、相次いで経済統計の水増しを認めた。
遼寧省は経済成長率がマイナス20%だったが、これも水増し統計の下方修正と言われている。
なぜ、ここにきて地方政府が水増しを認め始めたのか。
それは、去年の数値が高すぎるおかげで、今年マイナス成長になってしまうことを恐れたからと言われている。 >>953
おまえ大バカヤロ−だな
「無」は数字じゃねえだろがw
「2050」は「二千五十」「二⭕五⭕」とは書くけど、
「二無五無」とは書かねえんだよw
つまり支那ではゼロを数字にすることが出来なかったのさ
インド文化が伝わる前はな >>559>>879
共産主義体制により殺害されたという市民の数の国・地域別の一覧
ソ連 2000万人
中国 6500万人
ベトナム 100万人
北朝鮮 200万人
カンボジア 200万人
東欧 100万人
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ 170万人
アフガニスタン 150万人
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 127日 17時間 19分 34秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。