秦漢帝国

1世界@名無史さん2018/04/01(日) 18:52:49.720
中華帝国の歴史、ここに始まる

289世界@名無史さん2018/05/16(水) 02:20:40.520
光武帝は多分美化されているだけ
それと兄弟が殺されて悲しむわけがない

290世界@名無史さん2018/05/16(水) 06:54:03.030
二千年前のことだし、一種の神話だな

291世界@名無史さん2018/05/16(水) 19:39:55.840
劉縯は同母兄なんだから死んだら悲しいのは当然だろ

お前自身が兄弟と確執があるからそう思うのかもしれんが
世間一般の人間は普通は悲しむぞ

292世界@名無史さん2018/05/17(木) 19:32:02.420
光武帝は、美化といっても、あんまりカッコよくないエピソードが多い

293世界@名無史さん2018/05/17(木) 19:44:03.830
実際、イケメン好きの田中芳樹は洪武帝、もとい光武帝を賞賛した一文を書いていたからなぁ

294世界@名無史さん2018/05/17(木) 19:54:35.800
中国人は、外見を重視する

歴史に残る英雄が美男だったとしても、不思議はないと思うが

295世界@名無史さん2018/05/18(金) 04:27:06.700
しかし、インターネットはもちろん、テレビすら無かった時代だし

296世界@名無史さん2018/05/18(金) 04:29:38.730
朱元璋は、肖像画が2種類。
ひとつは威厳のある老紳士で、もうひとつは狡猾そうな醜男。
どちらが真の朱元璋なのかは、誰も知らない。

500年前の人物でさえそうなのだから、まして2000年前のなど

297世界@名無史さん2018/05/18(金) 09:23:14.710
>>296
朱元璋
かっこいいほうの肖像も威厳があるだけで顔はやっぱりブサイク

298世界@名無史さん2018/05/18(金) 13:01:00.980
曹操は小柄だったようだ

299世界@名無史さん2018/05/19(土) 12:17:39.350
「これが、あの有名な曹操か?」と拍子抜けするほど小柄だった

300世界@名無史さん2018/05/19(土) 12:18:37.770
・・・というエピソードもあるが、「当時としては普通の身長だった」という説もある

301世界@名無史さん2018/05/19(土) 13:44:13.740
>>297

ありのままの肖像画を描いた画家が、何人も処刑された

302世界@名無史さん2018/05/19(土) 13:46:04.680
劉邦は、会う人を魅了する人間力の持ち主だった

カエサルとかゴルバチョフとか、真の大政治家はたいていそうだが

303世界@名無史さん2018/05/19(土) 13:46:42.810
いまは金正恩が、人々を魅了している

304世界@名無史さん2018/05/19(土) 14:37:47.070
金正恩は問題児すぎて周りが気を使てるだけでカリスマ性はゼロだろ

305世界@名無史さん2018/05/19(土) 20:51:29.910
>>291
皇帝に殺されたけど兄の恨みを持ちながら頭を下げたと美化
実際には兄弟なんか死んで悲しむわけがない

306世界@名無史さん2018/05/19(土) 21:27:43.830
>>305
……サイコパスっすね?

307世界@名無史さん2018/05/20(日) 07:56:35.900
>>252
大極殿に高御座が設けられてたことも知らないのかよ

308世界@名無史さん2018/05/27(日) 15:13:01.120
>>306
俺は兄弟がトラックにひかれて死んだら喜ぶぞ
理想はお金が入ってくることだけど
死ぬだけでも全然うれしい

309世界@名無史さん2018/05/27(日) 16:39:31.850
不幸自慢はいいから

310世界@名無史さん2018/05/27(日) 18:00:55.260
ていうか、兄弟が最大の敵なのは、王子の宿命だろ。

普通の一般家庭と比べてどうする。

311世界@名無史さん2018/05/27(日) 21:20:00.740
兄弟には、皇位継承を争う敵という面と、最も身近な肉親という、2つの面がある。
だからこそ、数々の人間ドラマが生まれた。

兄弟との死闘を経て皇帝になった、唐の太宗・李世民と、清の雍世帝は、中国の時代劇に欠かせない定番ネタ。

312世界@名無史さん2018/05/27(日) 22:16:37.590
嫡流ではない庶子が王位を勝ち取るとかロマンあって好き。長男だけど庶子とか特に。

313世界@名無史さん2018/05/28(月) 03:28:33.570
兄より優れた弟など存在しねえ

314世界@名無史さん2018/06/06(水) 21:25:36.000
>>23>>252
支那畜はアホだから高御座の意味が理解できないのか

315世界@名無史さん2018/06/07(木) 00:09:16.990
>>310
それは異母兄弟の場合な
同母や乳母だと普通は同勢力になる

異母兄弟を排斥したあと同母兄弟間で王位を継承するってのは割とある

316世界@名無史さん2018/06/08(金) 10:01:09.300
ジャギ様きてんね

317世界@名無史さん2018/07/12(木) 11:15:13.970
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318世界@名無史さん2018/07/18(水) 19:33:52.820
清の考証学派が盛んに持ち上げたのは、南宋の朱子よりも、むしろ漢の鄭玄であった

319世界@名無史さん2018/07/21(土) 06:52:08.680
文景の治(ぶんけいのち)は、中国前漢の文帝、景帝の統治期間(紀元前180年 - 紀元前141年)を表す。

漢初は秦末期以来の戦乱によって社会経済は衰退しており、朝廷は国力の充実を図るために黄老治術を採用、民力の休養と、賦役の軽減を柱とした政策を実行した。

320世界@名無史さん2018/07/21(土) 06:53:18.890
40年に及ぶ、つかの間の平和

それが、文景の治

321世界@名無史さん2018/07/21(土) 06:53:47.940
文帝の生活自体も相当に質素であり、宮室内の車騎衣服も最低限のものとし、衣服も過度に長いものを禁じ、帷帳にも刺繍を行わないなどの徹底した倹約を行った。

また諸国に対し献上品の抑制を命じている。

これにより貴族官僚での奢侈が行われることはなく、その末年には民衆の生活は向上し、前漢の最盛期の基礎を築くと共に、次の時代となる武帝の匈奴遠征の物質的な基礎を築いた。

322世界@名無史さん2018/07/21(土) 06:57:02.460
文帝の政策は、父の高祖や嫡母の呂雉、あるいは孫の武帝の時代に比べれば、目立った業績は欠如しているが、民衆にとっては社会が安定して歓迎すべき時代が創出された。

文帝の治世は次の景帝の代と合わせて「文景の治」と賞賛され、食料が食べ切れずに倉庫で腐敗したり、銭差し(銭の間に通す紐)が腐って勘定ができなくなった、などの逸話が残されている。

323世界@名無史さん2018/07/21(土) 14:47:56.340
博物館で秦漢時代の文化遺産を見ると、弥生時代のハニワと大差ないな

原始人のレベルの文明なのに、大帝国を築いたのは奇跡

324世界@名無史さん2018/07/21(土) 16:06:40.050
>>323
兵馬俑見ても同じこと言えるの?

325世界@名無史さん2018/07/21(土) 17:17:40.310
抽象絵画 埴輪
スーパーリアリズム(絵画) 兵馬俑

文化に優劣はない。あるとすれば技術力

326世界@名無史さん2018/07/22(日) 08:16:45.020
漢の農民は、竪穴式住居に住んでた

327世界@名無史さん2018/07/22(日) 08:19:45.080
後漢の時代に、青銅器から鉄器への移行が進んだ

鉄器そのものは春秋戦国時代からあったが、主流になったのは後漢

328世界@名無史さん2018/07/22(日) 08:21:00.580
ようやく、500年前のペルシア帝国に追い付いた

329世界@名無史さん2018/07/22(日) 08:22:47.640
鉄製農具が普及したのは春秋時代だけど

330世界@名無史さん2018/07/22(日) 19:00:22.320
靭性が求められる武器の分野で青銅器が生き残っただけだな

331世界@名無史さん2018/07/22(日) 22:11:05.020
結構前、稲のアジア史って本で読んだんだけど
漢代には品種改良の結果、江南周辺では50日程度で育つインディカ種が既にあったと記録されてるのに対して、
宋代に生育期間の短いチャンパ米(インディカ種)を江南に新たに導入したって言う記録が残ってるらしい。
唐代の農書が逸失して繋がりが分からんと書いてあったんだけど、漢代の米に詳しい人が居たらこの矛盾について教えてほしい

332世界@名無史さん2018/08/01(水) 19:47:52.920
Wikipediaの秦王朝に『秦朝(しんちょう)は、紀元前221年から206年まで存在した、中国最初の王朝である』と書かれているのですが、これは秦以前の殷王朝や周王朝とは意味合いが違うのでしょうか?

333世界@名無史さん2018/08/17(金) 01:32:08.140
普通に春秋時代とは別でしょう

334世界@名無史さん2018/09/13(木) 22:30:28.440
商(殷)や周は黄河流域を支配しただけ

まあ当時の意識が農耕に適した土壌が多く、文化レベルが高く、人口の多い黄河流域=中原が中華の枠組みだったけど、中原から離れた斉や楚が発展し中原諸国と争ったり従属させたりするようになって中華の枠組みが広がる
その広がった中華を初めて制したのが秦って事で、その秦の支配地が後世の王朝の統一の基本になったから、秦が初めての王朝って意味かな
商や周の支配域って後の世からみたら中華の半分に満たない範囲でしかないから、例えるなら三國の魏武が中原を制しただけで統一してないのと同じような感じ
商の時代の斉なんて蛮族しかいないという認識、周の時代でも楚は文化レベルの低い蛮族扱い
でも秦統一以後は斉も楚も同じ中華の民

335世界@名無史さん2018/09/19(水) 13:12:26.620
後漢を学びだしたんだけどのちの歴史に強い影響をもたらす宦官の何が悪かったのかがさっぱりわからんからいまいち理解が進まん
使用人がでしゃばるなと言う役職意識?
士大夫とそうでない者もしくはチンコがないことに対する侮蔑意識?
寵愛されない嫉妬?
外積に脅かされることが多かった皇帝は自分の意を受けて命を懸けて動く宦官を信じ
動かない官吏を敵対者とまではいかなくてもあまり信用してなかった感じは端々から読めるんだけど

336世界@名無史さん2018/09/20(木) 12:04:37.930
殆どの宦官は大局観の欠片もなく自己の利益を最優先するから

337世界@名無史さん2018/09/20(木) 13:22:23.190
祖先祭祀の永続を価値の根本に置く儒教官僚からしたら、子孫を残せない宦官は唾棄すべき存在だったのは確かだな。
あと、宦官てのは後宮の住人だから、後宮の女と結びついて活動しがちだったことも士大夫官人からすれば不愉快だったろう。

338世界@名無史さん2018/09/20(木) 13:27:51.180
歴代の天子が宦官を重用した理由の一つには「コイツラはどうせ人間以下の存在で、皇帝の信任や恩寵が無ければゴミでしかないのだから、きっと裏切らずに忠節を尽くすだろう」的意識もあっただろうな。
ローマ皇帝が解放奴隷を重用したのと似た構図。

339世界@名無史さん2018/09/21(金) 06:43:28.760
宦官をマイナスに捉えるのは史書の受け売りで意味はない
なぜ史書で宦官が悪く書かれるのか
それは彼らが低層の出で権勢を振るったからだ

後漢は営々と続く貴族社会で、庶民への差別意識は周の頃よりも酷い

曹操の護衛を務めた許チョ、虎痴は、農民出で身長185もあり
たびたび華々しい武勲を立て忠誠も厚く中将に取り立てられた
大将軍の曹仁ですら虎痴にゴマをすり機嫌をとったとされる
彼の死後、息子許儀は名門貴族の鍾会に斬られる
皇族や名門貴族たちは前から農民出の許?をにがにがしく思っていたという

このように庶民が貴族に成り上がるには大変な障害があった時代だが
宦官はもちろん皇后、その外戚はしばしば下層から取り立てられた

皇后や外戚、宦官が優れた庶民感覚で統治したこともあるし
彼らが団結して無能な貴族と対抗してもやむをえまい

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