☆ 世界史ちょっといい話 ☆

1世界@名無史さん2018/04/14(土) 08:16:23.210
世界史のホロリとくるエピソードを挙げていこう

2世界@名無史さん2018/04/16(月) 09:54:03.090
保守

3世界@名無史さん2018/04/16(月) 11:01:24.090
カマボコ

4世界@名無史さん2018/04/23(月) 12:02:28.130
鈴木善幸総理がヨーロッパ諸国を歴訪した。
サッチャー首相は会談の後ぽつりとつぶやいた。
「日本の総理大臣だったら毎日忙しいでしょうに、
 あの人は何しに来たんでしょう?」

5世界@名無史さん2018/04/23(月) 15:19:34.830
官僚が作った原稿を読むだけです

6世界@名無史さん2018/04/23(月) 22:27:40.210
サッチャー首相は睡眠時間3時間の頑張り屋さんだったものな。
モーレツ社員がぼんやり社員を見て抱く感情に近いものがあったろう。

7世界@名無史さん2018/04/23(月) 22:32:46.660
スターリンも1日16時間くらい働いてたらしいな
正直羨ましい

8世界@名無史さん2018/04/24(火) 12:46:48.030
雍正帝も超勤勉

9世界@名無史さん2018/04/24(火) 15:48:44.000
我々はチョンより世界一優れている。

10世界@名無史さん2018/04/24(火) 20:54:37.630
雍正帝がホゴ紙を使って節約に努めたイイハナシ
故宮展で最大の寵臣の一人に対して「お前らの悪事はお見通し」みたいなことを赤字で書いてて草
真面目だけどちとノイローゼ気味だわ

11世界@名無史さん2018/04/25(水) 16:38:01.160
康熙帝と雍正帝のどっちのほうがハードワーカーだったのか知りたい

12世界@名無史さん2018/04/25(水) 20:58:35.930
そら雍正帝でしょ
康熙帝は英雄帝で勇ましいが別に事務処理能力が高い評価はない

13世界@名無史さん2018/06/13(水) 06:33:35.870
今日は何の日 6月13日
「大西洋横断飛行の最初の乗客」
1929年6月13日、大西洋横断飛行の記録樹立を目指してアメリカ東海岸を
飛び立ったフランスのカナリア号にはアーサー・シュライバーという
アメリカの青年がこっそり乗り込んでいた。
この想定外の密航はフランスで議論を呼んだが、飛行のスポンサーである
アーマン・ロチは、このアメリカの青年は乗り込んだ時点でチームの一員
となったのだとして彼をかばい、パリを見物させてアメリカに帰る客船の
チケットも買い与えたという。

14世界@名無史さん2018/06/13(水) 11:37:53.440
余計な荷物積んで、よく燃料足りたな

15世界@名無史さん2018/06/15(金) 06:51:59.990
大雑把なナビゲーション技術しかない時代だから
燃料は大目に積んでいただろうな。
いまのジェット旅客機などは見込み違いで着陸
予定時間を2時間も過ぎれば落ちちゃうけど。

16世界@名無史さん2018/06/15(金) 10:40:59.160

17世界@名無史さん2018/06/15(金) 10:45:12.570

18世界@名無史さん2018/06/15(金) 10:45:48.500

19世界@名無史さん2018/06/26(火) 23:25:04.490
保守するわ
なにかイイ話を思い出しとく

20世界@名無史さん2018/07/15(日) 11:03:43.630
アレクサンドロス大王と軍はペルシアの砂漠を行軍していた。
暑さと水不足で息も絶え絶えだった。
そこへ斥候が戻ってきて「水を見つけました」とヘルメットに汲んだ水を王へ差しだした。
王はその水で手を洗い地面へ流した。
一同が驚く中、王は言った。
「その水は兵たちが飲むには充分か?」
「水量充分な川でございます」
「よし。ではそこへ案内せよ」

21世界@名無史さん2018/07/15(日) 11:18:37.730
世界史を簡単な絵にしましたが
こうして見ると日本て、すげーと思いません?
https://dec.2chan.net/71/src/1531620737185.jpg

22世界@名無史さん2018/07/15(日) 11:57:41.010
却下

23世界@名無史さん2018/07/15(日) 16:18:53.850
ハーブきめすぎ

24世界@名無史さん2018/07/17(火) 05:23:32.270
そいつあちこちの掲示板荒らしてるオウムキチガイだからマジレスすんなよ

25世界@名無史さん2018/07/20(金) 04:36:14.120
俺の中途半端な知識では、当初の天皇は新羅の王の息子だから
新羅の国力を背景に日本でも絶大な権力を持ったと思われる
しかし、半島の新羅だの百済だのの小国の者にとって日本は広すぎた
いつしか手下だったサムライが各地で力を持つようになって立場が逆転していく
天皇は強い武家について戦の裏付けをするシャーマンになり果てる
結局、天皇というものが日本に持ち込んだものは、神社と身分制度と戦争だ
戦国時代も末期になると、天皇は極貧状態に追いやられ
葬式もされずに腐乱死体で放置される天皇もいた

そんな新羅派と百済派が私利私欲で戦うだけのしょうもない国をまとめたのが徳川
江戸時代はそれまでの半島人支配から華人支配になり、日本に大きな変化をもたらす
サムライは理由なく農民(縄文人)を切るなと御触れがでた
庶民にも教育が与えられ、農民が武士になることも可能になった
世界最先端の社会インフラが整備され、ラジオのない時代に各地の言葉が通じるように
仕組みが考えられた
民のため、国益のため、国の将来のための政治が行われた最初で最後の時代が江戸時代
しかし、英国が日本をISIS化するために、山口県の田布施村という朝鮮部落から
天皇一味を掘り起こし、再び下劣な戦争屋天皇の国にしてしまった

26世界@名無史さん2018/07/20(金) 05:21:18.180
と、日記には書いておいた。

27世界@名無史さん2018/07/20(金) 12:24:55.090
伝承では、逆に新羅は倭人が建てた国と言ってるようだが?
むしろ、高句麗以前の各国は倭国との繋がりを背景に朝鮮半島での勢いを維持してたように思えるな。

28世界@名無史さん2018/07/20(金) 13:08:24.750
日本人の国だもの

29山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/09/12(水) 21:22:58.200
唐朝に仕えた柳公権は優れた書家であり、とりわけ楷書は後世の手本とされたが、皇帝からは
上奏文は(通常であれば楷書や行書であるが)草書でもよいとされた程他の書体にも優れてお
り、中国のみならず近隣諸国から来た人々も彼の書を求めて止まなかった。
謝礼に贈られた品は蔵に積まれていたが、時に家僕が盗み出すことがあり、ばれれば分からな
いと誤魔化したものの、柳は「銀盃が仙を得て飛んで行ったかな」と笑って済ませた。
ただ、硯と筆と本だけは自ら鍵を管理していたという。

30世界@名無史さん2018/09/12(水) 22:28:02.620
>>29
柳公権wikiをで調べたら、後年の評価が割と叩き気味で悲しくなった

31山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/09/16(日) 22:28:33.440
>>30
米芾ですからね。素行も作風も水と油でしょう。
しかし、大物に批判されるだけ大きな存在であったとも言えます。

32世界@名無史さん2018/10/06(土) 07:07:19.440
BS1ワールドニュースで、中国国慶節に40組ほどが
合同結婚式をあげたというのをやってた。
それはそれで結構なのだが、
顔を合わせたら具合の悪い参加者はいなかったのだろうか。

戦後から昭和30年代まで日本でも合同結婚式がけっこうあったそうだ。
俺の親戚にもここで式を挙げた夫婦がいた。
単独では式をあげられないほど貧乏だったからだそうだが、
これで一悶着あったそうだ。
とある分かれた男女がここで再会し、焼けぼっくいに火が付いてやがて駆け落ち。
主催者に非難が集中し、それきり行われず。

33世界@名無史さん2018/11/16(金) 22:48:54.380
1661年、オランダのアメルスフォールトという町で「巨石運び」のイベントが開催された。
9トンほどもある岩(オランダでは大きな岩は珍しい)を、数km動かして街に運び入れ
られるかの賭けが発端で、市民400人が参加して岩を引っ張るお祭り騒ぎに発展した。
https://www.rijksmuseum.nl/en/collection/RP-P-OB-76.762
しかし事が終わって冷静になると、市民はこの大騒ぎが近隣の町からからかわれている
事に気が付き、市議会の命令でこの馬鹿馬鹿しい岩は穴をほって埋められてしまった。

この岩は20世紀に入って再発見され、掘り出されて現在は市のアイコンとして公園の
台座に鎮座している。今日の市民は、ヨーロッパ各国から岩を引っ張ってきては町の
広場に据える無意味な行動を楽しんでいるという。

34世界@名無史さん2018/11/23(金) 06:49:48.050
将軍が初めてホレーショ・ネルソンと名前の記された水夫手帳を持って、身を海軍生活に委ねたのは
やっとまだ12歳の時でございましたが、ようやく一人前の青年と呼ばれるほどになった頃には、

もはや世界一周の航海もしたことがあったので今度フランス国とも戦争が始まると一双の軍艦に艦長
となったのでございます。それである時の海戦では片目を失いまたある時は片足を失くされましたが、

将軍はいつも敵弾の真正面に立って卑怯なことが大嫌い。コペンハーゲンというところの戦いでも、
将軍の指揮している船が2双までも座礁したので総司令官のパーカー提督は「とてもネルソン将軍に

勝利の見込みはあるまい」と言うので戦闘停止の信号を致しました。しかし将軍は少しもそれに目を
注がないで舷舷相摩す敵艦から絶え間なく撃ち出される砲弾の前に立って、少しも躊躇う様子なく、

その船の帆柱が敵弾のために打ち折れた時でも「良い敵手である」という有様なので、部下の士官が
旗艦に戦闘停止の信号が揚がったことを言うと、将軍はわざと自分の見えない方の目に望遠鏡を押し

当てて「そんな信号は見えてない」と冗談で過ごされたということです。この不抜の精神は、ついに
有力なる敵艦隊を破ってその功により将軍は名誉提督の職に引き上げられ、同時に華族に列せられた
のでございます。

(英国歴史物語)

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