沿ヴォルガ地域の歴史
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
不勉強でお恥ずかしい限りですが、
バルト海からカスピ海まで水路で行けることを最近知りました。 意外と多くのドイツ人が住んでいた。
一時期はドイツ人を主体とした自治共和国まであった。 サラトフ近くのドイツ人にはバトゥの遠征で連れてこられた者もいたという
マルコ・ポーロの記録にあるのだが、その後どうなったんだろう
ふつう中央アジアドイツ人と言うともっと新しいそうなのだが ヴォルガ・ドイツ人だけどバルト・ドイツ人みたく帝政ロシアの政界・官界で
活躍した人が多かったんやろか? ナチスが攻め込んできて生地獄になったスターリングラードにも
昔から住んでいたドイツ系がいたのかな。 バルト・ドイツ人 軍・官僚・政界
ヴォルガ・ドイツ人 鉱業・鉱山・冶金 鉱夫じゃなくて鉱山主や鉱山技師など鉱夫を使う立場の人間を多く輩出したんかな? 東独の統一労働者党幹部はソ連製高級車「ヴォルガ」を乗り回していたので「ヴォルガ・ドイツ人」と陰で呼ばれていた。 東方移民の結果だろ?
ウクライナやポーランドよりも東に行ったほうがもっと儲かるよ
と思わせる何かがあったんだろう ヴォルガ川クルーズとかヴォルガ古城めぐりとか、どこかの旅行社がやってないかな
ライン川やロワール川みたいに サッカーのアルゼンチン代表にエインセ(Heinze)という選手がいた
たしかヴォルガ・ドイツ人がルーツだったはず
祖父あたりがロシア革命後にアルゼンチンに渡ってきたのだろうか >>17
いっぱいあるし結構安いぞ
モスクワ〜アストラハン9日間600ユーロから、とか。 アルヘンはかなりヴォルガ・ドイツ人の子孫が多いらしい ヴォルガ・ドイツ人、スターリンに中央アジアへ強制移住されられたけど
中央アジア諸国ではヴォルガ・ドイツ人に対する差別ってあるのかしら? エカチェリーナ2世時代にヴォルガ川流域のサラトフ周辺の入植したドイツ人
はww2で独が敵に回るとスターリンにカザフに追放されてるけど
その子孫たちが現在でも18万人ぐらいいるんだってね(Kazakhstan Germans)
ちなみにサラトフの対岸の街はエンゲリスという名前の街だ カライ派みたいな遥かにハザール時代との繋がりを感じさせるのが存在しとるからね
アシュケナージのような言語・文化とも乖離の激しいのをイコールで結ばれてもね https://i.imgur.com/j2xzyJc.jpg
かつてヴォルガ・ドイツ人がサラトフ郊外に残した教会。
現在は打ち捨てられている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています