匈 奴3
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まぁそのギボンも「非キリスト教的な本を書いてる」と猛批判されたようだが 【古代】武器とともに埋葬されていた2600年前の遺体、13歳の少女戦士だった…
伝説の女戦士部族アマゾーンとスキタイの女戦士の関係 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1593167686/ 1万3000年前のマンモスの牙に「ラクダの争い」や「ラクダに変装した人」の彫刻絵が発見された
→彫刻絵を描いたのは、同時期にシベリア西部に住んでいた遊牧民と思われる
シベリアで見つかった約1万3000年前のマンモスの牙に、不思議なラクダの彫刻絵が発見されました。
「アジアで見つかった動物絵画の中では最古の作品」とのことです。
マンモスの牙は、1988年に、シベリア西部のトミ川下流で発見されたものです。しかし、今回に至るまで調査はされず、同国のトムスク大学に保管されていました。
牙の長さは150センチに達し、表面の劣化や剥離が進んでいるため、調査には慎重を要しています。
放射性炭素年代測定の結果、マンモスの牙とラクダの画はともに、95%の正確性で、1万3100?1万3005年前のものと特定されました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/30610118-8509521-_The_engravings_were_created_with_a_very_sharp_cutting_tool_whic-a-11_1594375969400.jpg
画は表面が婉曲して不安定な牙の上に鋭い刃物で彫られており、線も非常に細くて浅く、全体像を識別するのが困難だったそうです。
場所によっては、線の厚みが0.1?0.15ミリの部分も見られています。
それでも、牙の拡大写真を撮るなどして、「ラクダの争い」と「ラクダに変装した人」の特定に成功しました。
研究主任のユーリー・エシン氏によると、「ラクダの争いは、毎年の発情シーズンに起こり、オスがメスをかけて闘います。
ラクダの変装をした人、上半分がラクダの毛皮、下半分が人の足
「ラクダに変装した人」について、エシン氏は「狩猟民がラクダの格好をすることで獲物となる動物に近づきやすくなり、捕らえるか仕留めるかしたのではないか」と話します。
彫刻絵には、矢傷を受けたラクダも見つかっており、人々はラクダを家畜としてだけでなく、狩りの対象にもしていたのでしょう。
画を残した集団の正体は遊牧民という以外にほぼ分かっていません。
それでも「同時代にシベリア西部に移住したグループがいた」という先行研究が報告されており、同一集団の可能性も モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、またはルウト(「竜の都」の意味)で名を馳せた、遊牧国家「匈奴」の首都が見つかった。
匈奴は紀元前220年から2世紀まで中国の北方に栄えた一大遊牧国家。万里の長城が建設されたのも、匈奴の進入を防ぐのが目的だった。
https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/img/694/91/6949100_0:121:1350:852_1000x0_80_0_1_2dace8fcf86c45c4f89e09a9445802ab.jpg.webp
発掘調査はモンゴルのウランバートル大学が主体となってアルハンガイ州ウリジンスキー地区で行われた。発掘関連のニュースサイト「ヘリテージ・デイリー」によれば、古代都市の遺構は2017年に最初に発見されていたものの、研究者らは3年を経て、この発見を公表した。
発掘現場からは都市の二重の壁、ため池、「天子」の飾り文字の入った建物の跡が見つかったことから、考古学者らは遺跡が匈奴のかつての「竜の都」のルンチェンではないかと考えている。
この発見に対して、考古学者らの間からはそもそもルンチェンが存在したかどうかを疑う説も多く挙げられている。
https://jp.sputniknews.com/science/202007207627634/ ユーラシア大陸の草原地帯(ステップ)にかつて存在した遊牧国家。
その崩壊が、数百年に及ぶ激しい闘争の時代をもたらしたのではないか。
シベリア南部でこの時代の遊牧民の墓を掘り起こした考古学者たちは、そう考えた。
墳墓から、暴力の犠牲者と見られる遺骨が多数発見されたのだ。
ロシアとスイスの考古学チームは4年前から、ロシアのトゥバ共和国で埋葬のための墳墓(クルガンと呼ばれる)を発掘していた。
「トゥンヌグ1」と名付けられたその墳墓は、遊牧民族スキタイが築いた初期の大規模なものだった。
スキタイは、紀元前1100年ごろからヨーロッパとアジアの間にある広大なステップの大部分を支配していた。
※省略
ところが、スイス、ベルン大学の考古学者マルコ・ミレラ氏らがトゥンヌグ1から掘り起こした数十体分の遺骨を調べていくと、
驚きの事実が浮かび上がってきた。
「これほど暴力にまみれた民族の遺骨を見たことはありません」と、ミレラ氏は言う。
「最初に見つけたときは、それほど驚きませんでした。ところが、次から次へと暴力を受けていた跡が出てきました。
成人男性だけではなく、子どもまで、多くの人々が暴力にさらされていました」 ミレラ氏らは100カ所以上に残されていた傷跡から、古代ステップの暴力的な社会を描き出した。
小さな墓所に埋葬されていた少なくとも87人の遺骨のうち、20人以上に切り傷、矢じりや剣先で
開けられた穴、殴られた跡などの傷が残っていた。犠牲者は子どもから老女まで幅があるが、ほとんどが10代前半から成人だった。
遊牧国家の興隆と崩壊
この調査結果は、シベリア南部で起こったことが遠く離れた古代中国にも影響を与えていたことを示す
証拠にもなりそうだ。墓に埋葬されていた人々は、激動の時代を生きていた。
その数世紀前、この地方は匈奴(きょうど)と呼ばれる遊牧国家に支配されていた。
匈奴は南東へ向かって略奪を繰り返しながら勢力を伸ばしていた。万里の長城は、中国の皇帝がこの匈奴の脅威に対抗するために建設したものだ。
当時の中国の文筆家たちは、隣人である遊牧国家を驚嘆と侮蔑の眼差しで眺めていた。
漢の歴史家、司馬遷は、紀元前1世紀に、匈奴に関して次のように書き残している。
「平時には家畜の群れを牧し、狩猟によって生計を成すのが習わしだが、危機においては武器を手に取り、
略奪と襲撃に打って出る。生まれながらに備わった彼らの気質のようだ」
西暦100年ごろに匈奴が崩壊すると、ステップ一帯は混乱に陥った。ベルン大学の考古学者で発掘責任者のジノ・カスパリ氏は、「トゥンヌグ1の遺骨から察すると、
匈奴の滅亡によってこの地域の政治的安定が崩れ始めたのだろうと考えられます」と話す。 骨の傷が伝える暴力の痕跡
首に近い脊椎の前部分に切り傷がある男性や少年の遺骨も発見された。
向かい合って格闘したり、自己防衛だったのであれば腕や上半身にも傷がつくはずだが、
そのような傷跡は見当たらなかった。
つまり、のどを切られて処刑されたか、何らかの暴力的な儀式が行われていたと思われる。
「少なくとも一部の遺骨は、儀式で殺されたものと考えられます」と、ミレラ氏は説明する。
ステップの遊牧民にとって暴力は当たり前のことだったかもしれないが、過去の発掘では情け深い一面があったことも示されている。
1990年代にトゥバの別の場所で似たような遺跡を発掘したアイルランド、クイーンズ大学ベルファスト校の考古学者アイリーン・マーフィー氏も、
やはり外傷と暴力を示す遺骨を多数発見した。しかし、印象に残ったのは長期的なケアを受けていたことを示す遺骨だったという。
「子どものころに障害を負ったものの、成人した人も多くいました。ステップの人々は、ただ残虐なだけではなく、人を助ける思いやりの心も持っていました」
トゥンヌグ1がまだ使用されていた西暦1世紀、匈奴が崩壊し、その強力な余波はアジアとヨーロッパにあった他の帝国をも襲った。
その頃、匈奴から遠く離れたローマの文筆家たちは、中央アジアで戦闘好きの民族が台頭していると記録に残している。
西へ向かって勢力を伸ばしたゴート族、アラン族、フン族の猛攻により、ローマ帝国は崩壊の危機へと追いつめられる。(続きはソース)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200926-00010000-nknatiogeo-sctch
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200926-00010000-nknatiogeo-000-1-view.jpg 中央ユーラシアは匈奴の国家制度のおかげで長い数世紀の平和を享受していた・・・? 40年くらい前の映像の「もうひとつのシルクロード」をデジタル映像化で美麗にしてNHKBSでやってるけど
匈奴、ホータン、敦煌、西夏、カシュガル、クチャとか色々出てきて面白い
焉耆(東トルキスタン)の兵士像とかホータンのイラン系菩薩の出土品とか西夏の勝三世明王とか発掘されたお宝も様々紹介してたり 阿倍比羅夫とか坂上田村麻呂とかがやっつけた蝦夷は近世以降のアイヌとは別民族なのではないかといわれている
アイヌの文化に完全に欠けてる要素「鉄」と「馬」が蝦夷の特徴とされるから トルコ「匈奴も先祖だ」としてウイグル問題に介入
2015年には、パレスティナ自治政府のアッバース議長を迎えるのに、
儀仗兵として、2000年にわたるチュルクの諸王朝を象徴する16種類の甲冑に身を包んだ兵士たちを登場させて話題になった。
匈奴・西匈奴・フン帝国・エフタル・突厥・アヴァール・ハザール・ウイグル・カラハン朝・ガズナ朝・
セルジューク朝・ホラズムシャー朝・ジョチウルス朝・ティムール朝・ムガール帝国・オスマン帝国である。
なかには、トルコ化されたとはいえチンギスハンの子孫まで混じっているが、
エルドゥアンは本気なのだから笑っておれない。
http://agora-web.jp/archives/2038208.html
オスマン帝国スルタン、エルドアン様(彼に平安荒れ)「匈奴やフン族やエフタルはトルコ人」 [832754451]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1604149705/ トルコとかも食い物は饅頭と麺と焼き飯が基本だから近親感わくね ヨーロッパ人が民度が低いのは
征服者が被制服民に文明を上げようとしなかったから
それはローマ時代から同じ方針
これがたたり、あちこち野蛮人だらけの世界にしてしまった
たとえば英国は香港に学校は作ってない
香港大学とかは現地人の自費
ヨーロッパ植民地は、学校やインフラは作らない そこで思い当たるのが、モンゴル帝国の支配領域は一つも先進国は存在しないこと
日本も西ヨーロッパも遊牧民の蹂躙は免れた
そもそも古代中国では欧州も、狄や禽獣の世界とみていた
十字軍が東ローマのスラブ人地域をとおったとき「豚飼いしかいない世界」だとのべてる
ギリシャ正教、スラブの正教は収奪するだけで停滞し何の文明もつくらなかった 【歴史】「卑弥呼は中国の魏と外交し、邪馬台国の南にある狗奴国と戦った」 古代日本における女性、妊娠・出産後も社会的地位を得ていた [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1605250818/ 【研究】縄文人、東アジアの最古級人類? 金沢大・東大などDNA解析 「北側ルート通った集団の影響を受けなかった可能性が高い」 ★2 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1607927646/ 古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン
3000年以上前の古代人の遺体から、大豆やターメリックなどアジアの食材
新約聖書にある東方の三賢者の物語は、古代の中東において長距離貿易が盛んだったことを示している。
このことは学者の間でも定説となっており、ローマ時代には、アラビア海やそれよりも東の地域から、めずらしい油や樹脂が地中海一帯に持ち込まれていた。
そして今回、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された新たな研究で、現在のイスラエルがある土地に住んでいた人々は、アジア産の果物やスパイスを3500年も前から口にしていたことがわかった。
研究では、青銅器時代中期から鉄器時代初期(紀元前1500年〜1100年頃)の遺体十数体から、化石化した歯垢を採取。
分析の結果、バナナ、ターメリック、大豆の痕跡が見つかった。
当時こうした作物はどれも、はるか遠くの南アジアで採れるものだった。
既に古代の地中海文明では、ニワトリ、黒コショウ、バニラなど実に様々な食材が、はるか遠くのインドやインドネシアから輸入されていたことがわかっている。 ニワトリは当初は観賞用・闘鶏用であったと推定されている。ただし、家禽化されて間もなく肉および卵も
食用とされるようになり、やがてそちらの方が飼育の主目的とされるようになった。
モヘンジョ・ダロの遺跡から像と印章、ニワトリの大腿骨が出土しており、これがニワトリの存在を示す証拠としては最も古い
西方への伝播はまず紀元前15世紀から紀元前14世紀にかけてエジプトに伝播した。
他の西アジア地域においてこの時期はニワトリの存在が認められないため、この伝播は海上ルートによるものと考えられているが、
まもなくエジプトのニワトリはいったん絶え、プトレマイオス王朝期に再び持ち込まれた
ほー 北京がマイナス20度、上海でもマイナス7度?
中国って寒い国なんだ ロシアで、ソ連時代にほぼ途絶えたとされる土着の原始宗教シャーマニズムが勢いを増している。科学万能の時代に、なぜ神や精霊との交感を望む人がいるのか。ロシア宗教史で「異端者」ともいえるシャーマンの姿を追った。
祈祷(きとう)を見せてくれたのが極東ブリャート共和国の女性シャーマン、オクサナ・キムさん(51)。最近は新型コロナウイルス封じの依頼も多く、各地に出張する。ロシアメディアでもたびたび登場する。
取材を兼ねて祈祷を受けたのはモスクワ郊外の信者のアパート。食卓に供物のウオッカと牛乳、バターを塗ったクッキー、チョコを並べると始まりだ。
香草に点火し、オクサナさんは祭文を唱え始めた。モンゴル系ブリャート語で歌声のようなリズムが心地よい。途中、目を閉じ故郷の大自然を思い描くよう求められる。最後は中庭に出て、シャーマンが神聖視するシベリアのバイカル湖に向かって供物を投げた。
https://www.chunichi.co.jp/article/187339?rct=world 【1月27日 Xinhua News】中国河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)にある商(殷)代の都城遺跡、偃師(えんし)商城遺跡に、これまでに発見された商代の都市水路の中で最も古く、最も整備された水路があったことが、最新の考古学研究で明らかになった。
偃師商城発掘チームを率いる中国社会科学院考古研究所の陳国梁(Chen Guoliang)副研究員によると、偃師商城の内部水路は主に排水用で、外部水路には護城河(堀)とその外側を南北に流れる2本の川があった。内外の水路を循環させることで、都市の安全性や排水・洪水対策を確保したほか、宮殿エリアに3千平方メートル近い水面面積を持つ庭園を持つ美しい景観を実現したという。
https://www.afpbb.com/articles/-/3328604 人間のフンをたべるので豚や犬はリサイクル動物として、つごうがよい
中国東北は山岳地帯ということもあり豚を飼っていた
大草原であればモンゴルのようにむろん羊が良い
豚は専門業者のように多く飼育して沢山肉を取るにつごうがいいが
大量の餌の問題があり悪臭もあって都市では難しい
戦後の食糧難では餌の問題から、そこらの草をたべる牛のほうが
危機に対応できたとという
その点、犬であれば餌もさほど食わず、とれる肉も限られるが
農家ていどの消費ではつごうがよかった
ヨーロッパ人もローマ時代までは喜んで犬を食べた
属州ガリアであるフランスにながくローマ風犬食料理が残り、スイスでも盛ん
イギリスでは嫌悪されるがサクソン族は羊飼いのため牧羊犬を可愛がり
犬食しにくかったのだう 【長鼓峰古墳】日本の古墳にそっくりだったため埋め戻される…韓国学界の負担になり、日本右翼が「任那日本府説」の根拠にすることを懸念 [れいおφ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1616410310/ ■気候変動から崩壊へ
しかし、残念ながら「モンゴルの平和」は長くは続きませんでした。教科書などで言われる経済政策の失敗や、モンゴル貴族のぜいたくなども理由と言えますが、避けがたい世界的な気候変動に原因がありました。
全地球的な寒冷化は世界各地で凶作や天変地異を引き起こします。人々の抵抗力が低下すると共に、モンゴルによる統合でヒトの交流が促進された結果、14世紀半ばには黒死病(ペスト)の大流行が各地で見られるようになります。いわゆるパンデミックの始まりでした。
そして、モンゴルの経済運営も限界を迎えます。最大の要因は、ユーラシア規模での経済を回すには基軸通貨たる銀の不足を解決できなかったからでした。銀で繁栄したモンゴル帝国は、銀によって衰退していったのです。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/292206 【福岡】伊都国「王墓」のガラス玉、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴の墓の出土品と一致 「半島を経由してもたらされた」 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631975917/ 東北寒冷渦と地上低気圧の影響を受け、中国遼寧省ではこのほど、ブリザード(暴風雪)に見舞われ、低温により、640万の家畜が凍死し、17億元(約300億円)以上の経済損失が発生した。新型コロナウイルス(中共ウイルス、COVID-19)と吹雪のダブル攻撃に見舞われ、地元のスーパーは「野菜も肉もなくなった」と嘆く人がいた。
中国北部では6日から大雪が降り、気温が大幅に下がり、一足早く冬に入った。遼寧省では7日から9日にかけて史上稀に見るブリザードに見舞われた。遼寧省気象局の統計によると、省内にある62カ所の国家気象観測所のうち、30mm以上の超大雪に見舞われたのは39カ所で、省内の観察所の5分の3を占め、12都市に広がっている。現在、同省の最大降雪量は80.3ミリに達し、11級(28.5〜32.6m/s)の強風を伴って、気温が16度以上下がっている。
遼寧省政府は現在、今回の大雪を最も深刻レベルの「レベル1ブリザード災害」に分類している。10日午後4時まで、同省の被害を受けた農場は1万1600軒、倒壊した家畜・家禽の畜舎や付属施設面積は676万1600平方メートル、死亡した家畜・家禽は640万5000羽で、直接的な経済損失は17億元(約303億円)以上にのぼる。
https://www.visiontimesjp.com/?p=27509 【考古学】1万2千年前「文明史塗り替える世界最古の神殿」日本隊が調査 エジプトのピラミッドやメソポタミアの都市国家より7千年古い [かわる★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1637757495/ NHKBSPでやってたけど天梯山石窟って匈奴が作ったんだな スウェーデンはフィンランドを目がアジアン的と嫌悪してる老人が多い 道家や『荘子』の「徳」とは、大体のところ、客観的には、世界の根源者である「道」の作用・働きを指している。例えば、『老子』第51章に「道 之(これ)を生じ、徳 之を畜(育、やしな)う。」とあるように、「道」が「物」の存在に関わるのに対して、「徳」はその成長に関わっているのを参照されたい。 北欧、特にスウェーデンは美化されているが、人間のクズばかり
まさに日本人だ https://itest.5ch.net/kizuna/test/read.cgi/chinahero/1624933240
夷狄は遊牧生活を送っているが、これは大変に不安定なものである。
故に略奪で生計を立てているのだ。これはもう、強盗殺戮集団以外の何者でもない。
こんな危険な連中が長城を隔てた北隣に棲息しているのだから、国境は枕を高くして眠ることもできぬ。
故にこの騎乗人面獣を退治することが最優先なのである!
夷狄は凶暴で野蛮で交戦的で無知無学で不潔で礼儀知らずで人の心を持たない、まさに獣と変わらないっ!
ならば獣に対する態度と同じでいいっ!
夷狄と話し合う必要はなく、駆除・退治・絶滅の対象
それを可能にするのは軍事力のみであり、常にその軍事力維持に努めるべきである。
そもそも夷狄は文字も持たない低能のゴミクズ
略奪で生計を立ててるから善悪の道徳判断能力が皆無で、農耕を知らないから野菜も穀類もない。
だから肉と乳しか口にしないので凶暴で知能の発達が遅れている 。
DNA的にはホモ・サピエンスだが、中身は野獣と変わらない。
夷狄はDNAレベルで悪魔そのもの、生まれながらの凶悪な強盗
熊や虎と変わらない。 現存の人物との交際だけでは、飽きたらなければ、歴史上の人物と議論せよ。詩歌を暗誦し、書物を読解するだけで、著者のことを知らなくては、どうしてもダメである。その人物の生きていた時代ついて議論することが必要である。これが「尚友」である。つまり歴史上の人物と友達になるということである。 残っている史料の分量が少ない時代で筋書きを切ることで、反証しにくくする。 >>304
グレタ嬢とプー様ってよく似てると思ったら、出身地が目と鼻の先だったのか これってモンゴル帝国の恐怖戦術そのまんまなんだよなあ
https://twitter.com/paper_house_/status/1512959705144258564
小泉悠先生(@OKB1917)
「ロシア軍は拉致して拷問や虐殺してから敢えて一部を返して残虐性を語らせる」
以前国際政治chで語っていた『残虐性の価値』について改めて仰ってました
#日曜討論
27: 世界@名無史さん [sage] 2022/04/10(日) 15:39:12.49 0
【ウクライナ侵攻】ロシア軍に深く根付いた「残虐行為の文化」 [oops★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1649561982/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>118
クレイジーだよな
しかしこれローマ帝国からの常套手段だな
@ロシア(騎馬)住民が住みつく
A権益闘争や自治権要求を繰り替えさせる
B権益や主権を脅かされた元々の住民が反発する
C親露(騎馬)派住民が差別虐待されていると軍事介入 フィンランド人やバルト三国人は
古代にシベリア系民族の影響をうけているからね
スウェーデン人やノルウェー人にもサーミ人の影響はあるだろう
加えてご指摘のとおり寒冷地適応もあるのかもしれないね ヒストリーチャンネルのMANKINDって番組でチンギス・ハンの孫の一人のジャーニー・ベク・ハンがヨーロッパの国の城壁を投石機や石弓を使ってペスト患者の死体や一部を投げ込んでパンデミックを起こしちゃうの見たな そもそもスキタイ人からして白人系に若干モンゴロイド系が混じっている
中央アジアの人的交流はかなりのスケールだったのだろう
モンゴル高原のアルタイ系種族にもコーカソイドが大なり小なり混じっている
匈奴もモンゴロイドを中心にコーカソイドが一部混入した集団とみてよい 世界の精豪
・乾隆帝(ヌルハチさん、2万人以上の女性を抱いた)
・チンギス・ハン(今の世の人間の20人に1人が彼の血をひくとか)
・毛沢東(毎晩2人の処女を献上されて夜をともにした) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています