科挙の歴史
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数学は抽象的概念を理解しなきゃいかんから、文型学問とちと違うが、それでも
大学入試は今まで科挙型の傾向を暗記する手法が横行していた。
来年度の大学入試の一次から、それに変わって PISA型という長文を読解して
内容を理解しそれにたいして答えなきゃイカン思考型の試験に変わるとか… 生員は現在の感覚でいうと大卒者と大学入学資格取得者のどちらに近い? 民国初期の文官は海外留学経験者とか新設の高等教育機関卒業者の他に
生員の肩書持ってる人もいたんだっけ >>388
大卒者
なぜなら不逮捕特権があり全体の極一部だから
科挙は最後まで受からなくてもそこそこの小役人になれる >>388
大卒者
なぜなら不逮捕特権があり全体の極一部だから
科挙は最後まで受からなくてもそこそこの小役人になれる >>383
現在でも優秀な理系よりも文系が出世するようなもの
勉強し過ぎて馬鹿になっている >>373
民から勝手に税を取り立てるけどな
それに科挙合格者の地方赴任の費用を商人が協力してみたいに
政府はまじで何も支援しない
確実に利益になるから必ず商人が協力するから
貧乏で科挙に通っても問題は生じていないが >>383
今の官僚とか法曹みたいに難関の試験を突破したのにというか突破できるから
恐ろしいぐらい頭が悪い 明治大学法学部職員法学会法律相談部人権侵害被害者脅迫 >>394
じゃあなんで学歴コンプとか詐称とかあるんだろう 田舎での生員クラスの人達って現地で学校開いて村の子供に学問を教えながら
生計立ててそうなイメージある。村一番の知識人みたいな感じだったりも・・・ 郷紳というと村の資産家・大地主のイメージがあったけど
村の学校の先生なんかも少なくなかった? 世界も基本的にはこの暗記型受験だからな
そのルーツが科挙 清朝最後の皇帝が君主な大満州帝国での高等文官試験は日本のそれに倣った物? 【東亞日報】記録を支配すること 朝鮮時代に科挙に及第して文官として生きていくとしても「文武兼備」は基本だった[1/12] [右大臣・大ちゃん之弼★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1610491540/ 雍正帝が重用したオルタイは
挙人だったけど科挙官僚と言えるのかな? 科挙が正解
「芸術に関連する素養」を最終科目にする
これで完成する 科挙役人は最期には詩文に取り憑かれて人心を顧みなかったと言われるが
そういうのは失敗した時後出しで言われることの一つにすぎない
強大な侵略民族に対しては無力だしな
成功が続いた時期を無視してはいけない
科挙は詩文など芸術を取り入れた >>337
中国語は文法がなくて一つも文字が名刺にも同市にも変わるから
鄭見分を大量に覚えていないと文章が作れないんだって
古文なんて大敗とかいて、おおきく負けた、と大いに破るの両方に読めるとか 上で暗記だけでなくの件は
やろうとしても上手く行かないで前より悪くなる
基準があるとそれに対策するようになるしないと結局印象で決めるから
八百長やっても総合的に判断してとされてしまう >>401
結局、採点することを考えるとどう書くかに良い悪いが決まってしまう
だから作文でも何を書いてあったらとなってしまう
公務員試験の論文でも公務員が想像もしないような画期的なことを書いたら店が貰えない
恐らく馬鹿なことを書いていると笑っているだろう 「なんで、日本には「科挙」が導入されなかったの?」
ttps://youtu.be/mXsgt63k9QA 意外にも
最後まで科挙を続けてきたのはバオダイ帝だったのね。 乾隆帝に仕えた于敏中が凄すぎる。
科挙エリートの頂点。 >>412
暗記大会では白人に勝てない
アジア人って演繹法ばっかで帰納法でモノを考えられないのは
暗記大会の弊害 暗記のみにすると特定の性質のエリートに偏る
高学歴ほど日本人っぽい日本人になる
数学の比率をあげれば、もうちょい異常者っぽいのが増えるか 科挙に受からない受験生が思いついたのは、ある程度、教養は身につけたから、ごますりで出世しようと。ちんこ切り捨てて、宦官に転職。 中国はいつから科挙世界になった、と言えるんだろう? 楊国忠なんて野郎は科挙オンリーになったら出世不可能 「一方,過去の出来事は,それに対して心理的距離をとることができるので,自動詞文と他動詞文のいずれによっても表現されうる」が、「叙述の対象となる出来事が,今という時を起点にして,より遠い過去に溯る事象であればあるほど,他動詞文によって表現される傾向が強くなる」 「もともと異民族の発音を漢字に充てただけなのだろう? 無駄な努力の最たる見本だな」
「まーね。むしろ注目すべきは伏の字に犬が含まれていることじゃないかな?
苗族のトーテムは犬だし。あと伏羲ふくぎは、さっきいった盤古ばんこ(=槃瓠ばんこ(はんこ))と語源が一緒じゃないかって説もあるの」 ドイツのアイゼナハ地方に生きている館があったという。
入るたびに部屋の位置や廊下の形が変わるのだそうだ。
1972年、大学の調査隊が訪れた際、学生の一人が誤って壁を傷つけてしまった。
すると、大きなさけび声に似た音が館に響き、それ以降不思議な現象はおきなくなったという。 堯は、丹府と藋陵の間に封国を持つ一諸侯であった。善政を施して治績を上げたため、前王(帝嚳)の死後、天下の人々に天子に推戴された。 しかし堯は自分よりもふさわしい人物がいるかもしれないと考え、禅譲すべき賢者を探した。賢者の要件を天下に示し、この要件をすべて満たした者に天子の位を譲ると宣言した。 しかし応募者の中には誰一人として適格者がいなかったため、堯は改めて天子に推戴された。 >>419-421
満州、蒙古のヒャッホーな兄さんたちを、
科挙世界は食い止めることが、
できなかったな だけど満洲って
結局、科挙に、
はまっちまったね。 科挙って今の日本の
司法試験と国家公務員総合職試験と
どっちへ似ているの? 科挙の内容は、四書五経・朱子学などの実務にはなんの役にも立たない内容。
日本の司法試験と国家公務員総合職試験は実務に即した、あるいは実務に関連する試験内容。 民国時代の文官・文民政治家にも清朝期に
官職に就いてた進士がいるけど、こういう
人達って後になって近代的な分野を習得
してったんだろうな 清末は職業軍人や外国留学者が頭角を
あらわすようになった時代 郷紳ったって生員や挙人になれば田舎では
資産家・地主になれるのではなく、資産家・
地主の家の当主が生員や挙人の資格を持っ
てるだけだったりして。
資産家や地主でない人は学校開いて子供や
若者に学問教える一教師か。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています