日本はどうやったら中国を征服できたのか
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異民族たちが征服していた中華をどうやったら日本は征服できたのか 千数百年の間にたったそれだけなのに悪鬼のように言われる >>158
日本が弱く軍事的脅威を日本から感じないからこそ、悪鬼呼ばわりできる。
突然国境を越えて地上軍が進撃できたり、いきなり理由もなく逮捕される国に対しては悪罵しにくい。
相手が脅威かどうかが相手を重んじる基準。 >>158-159
日本人が悪鬼呼ばわりなのはそういった政権の主導による侵略ではなく、民間で行った海賊行為によるものだろう
日本が弱いというのはあくまでも政府主導で大陸の奥深くまで進軍した時だけであって、滅ぼすことを目的とせず海を拠点に略奪即撤退を繰り返すならそれは中華王朝にとって多大な脅威だ 日本が弱いというのは今の政府の姿勢を言ってるんだろう。弱腰だから言われると。
言わせておいて実利を得るのが正解だが。中国はともかく、ロシアにはやらずぼったくりで
ひどい目に遭わされてるな。 文禄の役では約15万人が渡海して
5万人が死亡。
大半が過労死・餓死・凍死・病死。
特に船頭・水夫の犠牲が多い。
遠征では戦病死が一番の大敵。 トランプの属国になれば勝てるという安倍陛下の路線は間違っていない ロジスティクス(兵站)を軽視するのが日本の伝統。
一応、各兵学校では補給の重要性を学んでいるはずで、
作戦計画に盛り込むんだが、
決戦で勝ち進めさえすればいいじゃんかとなって、疎かになる。 キリスト教を受容してキリシタン大名による統一ができれば明も倒せた >>166
落ちこぼれがやる
みんながやりたがらないって聞いたから
重要性認識してないよ >>167
それはもう我々が想像できる日本じゃない >>162
太平洋戦争でもそうやって自国の人間を無駄死にさせた 白村江の戦いでも数は不明ながら
相当な犠牲が出たはずで
出兵した本当の理由は
邪魔な豪族をまとめて処分するため
じゃないかと勘ぐりたくなる。 >>170
無駄死になんて軽々しくいうからお前らは嫌われるんだよ 事実無駄死でしたけど。無駄死にさせたのは日本人指導者だし >>171
朝鮮半島から手を引きたかったんだろうとは思うぞ
もし本当に百済再興する気があるんだったら新羅領に攻め込んでソラボル凹ってればよかったんだから >>176
そうかな。
斉明天皇御自ら九州に赴こうと移動してたし、
第一軍:1万人。船舶170余隻。
第二軍:2万7千人。
第三軍:1万人。
かなり大規模な動員で渡海してるぞ。
本気度はあった気がするが。
最悪だったのは
豊璋王子という最低の人物に協力したこと。
豊璋は現地武将の鬼室福信の活躍を妬み、
疑心暗鬼になって福信を処刑。
これで現地の百済遺民勢力がガタガタになった。
協力する相手は選ばないと。
豪族連合の弱みで連携が悪いという欠点もあるな。
わざわざ敵の術中にハマっちゃって、
まずいと思っても、
後続の船隊が止まらずに、
次々と罠の中に突入していって、
全部、餌食になっていってる。 >>174
ひどい命令をした人間がいたからって、
なんで死なされた人間を無駄死に呼ばわりしていいという理屈になるんだ
言っていいことと悪いことがある >>178
そんな命令に唯々諾々と従ったという罪がある
「人道に対する罪」では非人道的な命令には反抗する義務があるとあうことになってる
つまり、「命令されたから仕方なかった」は通用せんのや >>179
後から安全なところからなら何でも言える
社会の情勢も価値観も生き方も何もかも違う
想像力もないのに過去を語るな
慈悲もないのに人道を語るな >>178
いや、だって、無意味で馬鹿げた命令で
死ななくてもいい人間が大量に死んで
しかも何の利益ももたらさなかった
やらない方がいい戦争を軍人のメンツのために
そして奴等は安全に逃げる
戦犯なんだかんだ批判されるが生きている価値もないクズ共だよ 頭のおかしい作戦を考えたともいえるが
メンツのために兵士が何人死のうが平気
だいたい軍隊内でいじめ虐待が蔓延 >>180
非人道的な命令には抗命義務が定められてる
CC規定33条
本裁判所の管轄に属する犯罪が、政府または軍民を問わず、
上官の命令に従って行われた場合、行為者の刑事責任は、
次に掲げる場合でなければ、免除されない。
このように国際法上は、違法あるいは人道に反する命令に対して、抗命義務を兵士に厳しく課している。
兵士は、国家行為を遂行する上で、形式的には自らを拘束する国内法の法規範が
実質的に上位の国際人道法に照らして違法でないかを、自らの責任において判断する義務を負う。
つまり、たとえ兵士・軍人が国家機関として行為する場合であっても、個人としての責任は免除されない。 >>184
命令に従わなければ殺される場合でも人道のために死ねというのだな
お前が仮に兵士で上官から非人道的な行為を行うよう命じられて断固行わずにそれでどんな仕打ちを受けても構わない覚悟がある場合にだけ
それで納得させることができるだろう シミュレーションゲームでは
限界損耗率というのがある。
日露戦争の戦役統計
突撃時に正面戦力の8%が損耗すると攻撃力が減衰し、
12%が損耗すると突撃は頓挫
WW2時米軍資料での人員損耗率の限界
攻撃時、師団20%、歩兵連隊30%、歩兵中隊40%で限界
防御時、師団30%、歩兵連隊40%、歩兵中隊50%が限界
守りより攻め側の方が兵力消耗に弱い。
文禄の役で1/3の消耗なんで、
こんな出兵を何度も続けるのは不可能というのがわかる。
実際にはWW1で8割損害に耐えて攻撃した例もあって、
この消耗率限界の数字が絶対法則というわけではないが、
一応の目安になり得る。
しかしなぁ・・・。
多くの人命損傷を統計学的数値でしか考慮しない
軍事指導部や作戦担当者って、
ヒトデナシに思われても仕方ない。 >>186
いや逆か。
一切の人情を挟まずに
統計学的数値だけで作戦を進めてくれてたら、
さっさと中国から撤退してたな。
下手に人間的感情を入れるから、
このままでは英霊に申し訳がないとなって、
引くに引けなくなる。
感情に流されると却って犠牲を増やす。 >>185
違う
結果だけを神の視点であざ笑うなと言っている
親族だって読んでいるのだ >>185
無駄死にという言葉を軽々しく使うなと言っている
無駄だったと思ってはいけないなんて言っていない
自分がそう思っていても、誰もがそうだと思っていても、
言葉に出していいことと悪いことがあるのだ
人の言葉を勝手に捻じ曲げるな >>185
戦史において、上官の愚計をあげつらうのもそこそこに、
死んだ部下を無駄だ犬だ騙されたバカだとあざ笑ってばかりいるのがお前ら >>185
文句があるなら裁判所に言え
法でそう定められてるんだから >>185
>命令に従わなければ殺される場合でも
他の兵が抗命義務を果たさないからそうなる
他の兵も抗命義務を果たせばよいのだ
ちなみに金正恩が人道に対する罪で告訴されてるが
将来それが裁かれることになれば朝鮮労働党や朝鮮人民軍の人々にも抗命義務が適用されるはず
過去にはサダム・フセインが人道に対する罪で裁かれてイラクの軍や政府機関に対して抗命義務が適用された >>185-193
見苦しい連投だな
人間は機械じゃないんだぞ
>他の兵が抗命義務を果たさないからそうなる
>他の兵も抗命義務を果たせばよいのだ
これなんか
「他の人が信号無視をするから自分も信号無視する
他の人も信号無視をすればよいのだ」
といってるのと同じだぞ
土台無理なことを理解しろヒョーロクダマ 訂正
「他の人が信号無視をするから自分も信号無視する
他の人も信号無視をしなければばよいのだ」 >>194
例えが逆だ
他の兵が違法行為するから自分が殺されることになる >>194
>他の人も信号無視をすればよいのだ」
なに言ってんだキチガイ
おまえは人道に反する罪という違法行為を容認してるんだろ
信号無視を薦めてるのはおまえだ >>197
ガイジはガイガイ音頭踊ってろや
あガガイのガイ♪ 中国では天下を取る概念はあっても
人間皆殺しの概念はなかったのか 多すぎるからな
殺しきれないんだろう
でも四川なんかは明末清初の混乱でごっそり人が減って福建あたりから入植者を集めたこともあるよ
今でも成都近郊に閩方言の言語島がある 長平の戦いで捕虜にした40万人を殺した白起は2000年経った今でも非難されてるからなぁ。 歴史IFものとしては
中国がどうやったら日本を征服できたか?
のテーマもいいよ。
白村江の戦いの後に
来日した唐使一行の規模が極めて大きいため、
実は日本は唐の事実上の占領下にあったという考えもあるね。 日本は敗戦すると、
戦勝国の制度を大胆に導入する。
白村江の戦いの後⇒唐制の採用
太平洋戦争の後⇒アメリカ式の採用 日本書紀にのみ記述されている「筑紫都督府」が、
もし太宰府の別名ではなく、
唐が旧百済に設置した「熊津都督府」や
旧高句麗に設置した「安東都督府」のような
唐の出先機関だとしたら、
唐が九州を管理下に置いたことになる。
但し、唐側資料にないらしいので、
想像をたくましくするしかない。 倭国は、昔で言うところの倭奴国である。
唐の都の長安を去ること1万4千里。新羅の東南の大海の中にある。
倭人は山ばかりの島に依り付いて住んでいる。
倭国の広さは東西は5か月の旅程で、南北は3か月の旅程であり、代々中国と通じていた。
その国には城郭が無く、木で柵を作り、家の屋根は草で葺いている。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。
倭国の王の姓は阿毎氏で、大将軍に諸国を検察させていて、小島の諸国はこれを畏怖している。
西暦631年、倭国は使者を送って来て、地方の産物を献上した。
西暦648年、倭国王は再び新羅の遣唐使に上表文をことづけて、太祖へ安否を伺うあいさつをしてきた。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、日本に改めた。」と言ったり、
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した。」と言ったりする。
その日本人で唐に入朝する使者の多くは尊大で、誠実に答えない。それで中国ではこれを疑っている。
彼らは「我が国の国境は東西南北それぞれ数千里あって、西や南の境はみな大海に接している。
東や北の境は大きな山があってそれを境としている。山の向こうは毛人の国である。」と言っている。
703年、その大臣の粟田真人が来朝して国の特産物を献上した。 日中戦争が行き詰まって撤退するハメになった理由は、第一に日本人が大陸感覚になりきれなかったからだろうな
現象的にはアメリカとの戦争に負けたから
その求めに応じて撤退した形ではあるが、
それは表の話で実際は大陸の日本人が中国化、
騎馬民族化し切れなかったからだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています