春秋戦国時代2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
古代のチマチョゴリと現在のものとは全く違うから
誇張して言えばそうとも言えるという話じゃない? >>77
逆に司馬遷の間違いや嘘も出土史料から明らかになったりしてるから
全く疑わないわけにもいかないし、かといって全部嘘ってわけにもいかないのが悩ましいところ >>76
どうせちょっとの史実を斜め上に捻じ曲げてぜんぜん違う話にしている
いつもそうだ
伝言ゲームが失敗したやつみたいになってる 長平での白起の生き埋め大虐殺も、ただの伝説なのではと思われていたが、掘ってみたら大量の人骨が出てきた >>77
清代は、客観的な研究が進んだ時代だな
まあ、18世紀や19世紀だから、ほぼ近代国家なわけで >>38
鉄の利用は燕と斉が最も早い、それに次ぐのが楚
鉄器と青銅器わ用途が別、青銅器が農機具に使われた時代なんて無い
住居も北部は土間の平屋木造建築、南部が高床建築
既に陶器が広く使われ土器の利用は終わってる >>47>>49
街道も上下水道も春秋期から既にある、抑々街道に技術は不要
大都市の遺跡からわ大抵上水道が見付かってるし下水道の無い都市なんぞ無い
影響を受けたのわ仏教位で他に西方ガラスとマニ教が入って来た程度 >>58
木骨泥牆は江南の建築様式だと何度も教えてやっただろ無知無知ガイジ 春秋時代の燕については、史書に記述が極めて乏しい。 戦国時代に入り、紀元前334年の段階で『史記』蘇秦列伝によると「東に朝鮮・遼東、北に林胡・楼煩、西に雲中・九原、南に呼沱・易水がある」といわれており、すでに広大な領域を支配していたことがわかる。
紀元前323年に王(左飛)を名乗るようになった。第2代の王の噲(檜の偏を口に変えた字)は宰相の子之を盲信し、堯舜に倣うと言って禅譲を行い、これにより国内は騒乱状態となった(紀元前315年)。
翌年ここに斉(田斉)が付けこみ、兵を出して侵攻し、全土を併合したため一時的に滅亡状態となった。
紀元前313年、公子職が子之を倒して、斉軍も撤退したので、公子職は即位して昭王となった 昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。
しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。
昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを郭隗に尋ねた。
郭隗は「死んだ馬の骨を買う」の故事を喩えとして話し「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答えた。 >>85
殷墟からも「木骨泥牆」の民居は見つかっているよ
ソースは楊寶成「殷墟文化硏究」65頁
というか「木骨泥牆」って江南からも見つかってるんだね
東南アジアの伝統住居みたいな網代壁かと思ってた >>91
江南でも木骨泥牆は主流の建築じゃ無いが発見されてる大半は江南
抑々商代の木骨泥牆は一般住宅用途じゃ無いし宮殿建築としてわ周代に廃れた >>90
この時に斉(と楚)の力を削いだ楽毅って秦のスパイなんだろうか? 魏出身の一族で中山に仕えて燕に行くってなるとさすがにどこに国、っていう帰属意識すらなさそうだな 秦だって、趙の李牧に敗れたり、簡単にはいかなかったけどな
やはり、辺境に位置していたのが最終的に有利だった 韓はワンランク落ちる
もっとも、それは国力の話であり、文化水準は最高だったが <丶`∀´>全世界の若者が、韓流カルチャーに熱狂しているニダ >>95
趙の李牧の子孫は何百年も続き、唐の長安でも屈指の貴族の家柄になった 「キングダム」では、趙の李牧はスーパーマンそのものだ
あれは人間といえるようなものではない ていうか、趙と魏がなんであんなに強いんだよ?
秦は、あれでよく中華を統一できたな? キングダムは知らんけど戦国中期までの趙は軍事大国だよ
終盤に入って趙が長平の戦いで戦力を喪失した事で秦の統一をかなり早めたし >>106
その見方って逆だと思うよ
魏は有能な人を逃がしてるんじゃなくて仕官できない野賢が出る程に
文化程度が高かったり、教育関連の整備が進んでたって見るべき
魏の問題は、そこで生まれる高度な教育を受けた人々のポストが用意できなかった事
でも教育機構未整備でヘッドハンティングでいいやって思ってる田舎の国が
千金出して招聘するのって止められようもないけど
四方に行けるのも痛い >>107
どの人材もメチャクチャな目に合って魏から追い出されてるけどな
まあ、後世の脚色というか伝説かもしれんけど 魏さんが逃したメンバーはゴキ、ハンショ、ガクキ、ショウオウ、あとはまあソンピンもか
オールスターすぎる 商鞅が内政を担当し、孫濱が外交と戦争を担当していたら、魏は途方もなく強い国になっただろうな。 戦国末期には秦の一強時代となったが、その前には、東の斉、西の秦の二強時代もあった。
紀元前288年、斉の湣王が東帝を称し、秦の昭襄王が西帝を称した。
しかし、そんな斉を滅亡寸前まで追い込んだのが、燕の将軍・楽毅だ。
「秦が中華統一できたのは、楽毅のおかげ」とまで言われる。 >>108
どの人材も、という程じゃないでしょ
酷い目にあった人も居れば、自分が出世できないと思って他国で仕官した人も居たよ 楽毅は、「隗より始めよ」の厚待遇に釣られて燕軍団に入団したフリーエージェント 「隗より始めよ」の故事も、楽毅ほどの大物FAをとれなかったら、あれほど有名にはならなかったであろう >>107
逆の意味がわからん
酷い目にあって出て行くにしろ仕官は難しいと思って出て行くにしろ結局逃がしてるという意味では同じだぞ >>117
考え方が逆
それだけ人材が育ち易い素地があるって話をしてる
人材が育ち易いから逆に育った人材がポスト求めて諸国に出てってしまう、というそういう話 魏というか厳密には衛だよね
殷を二分した国の一つ
滅亡は秦の二世皇帝の時 >>112
商鞅の政策が短期間で上手く普及しその後の秦の覇権に繋がったったの一言で済まされてるけど何で上手くいったんだろ?
考公がただの傀儡だったから? >>122
秦の法制度が未熟かつ後進的だったところに
当時最先端の法理論を学んだ商鞅の制度が持ち込まれたのが成功要因の一つ
後進的故に逆に最先端の理論を1から導入出来たのが効いてる
孝公の全面バックアップも効いた
このお陰で一気に制度面で各国を引き離す事に成功した
商鞅処刑後に上手く行った理由はマジ不明
商鞅を嫌って処刑した筈の恵文王なのに商鞅の整備した法体系は維持したから
個人、権臣としての商鞅は粛正対象だったけど、能力は買ってたのかな
とか思うけど想像に過ぎないんだよなぁ >>119
別に逆じゃないな
人材が育ちやすいからポスト求めて他国に出て行きやすいってのも人材逃してることに変わりないから >>123
理由は多分、もうどう変えていいのか分からなくなっていたのと
手形がないと宿屋に泊めないとか法治主義に慣れてきたこと
これを全部元に戻すと混乱するし修正できる人材もいなかったからだと >>123
革命を起こした中心人物が粛清されたが、そのあとも革命がさらに進行する・・・というのは、歴史ではよくあることではないかな。
フランス革命のロベスピエールもそうだし。
織田信長だって、そうだろう。
典型的なのがソビエト連邦の末期に大改革を始めたゴルバチョフ書記長。
大改革を開始したのはゴルバチョフだったが、ソビエト連邦を解体してロシアを独立させようという、もっと急進派の連中から見れば、ゴルバチョフは守旧派そのもの。
いつの間にか、本人が振り落とされてしまった。 小泉純一郎政権の改革の後に登場した、反動的な民主党政権も、
郵便局民営化を少し後退させることはできたが、元に戻すことまではできなかった。 小泉純一郎政権の改革の後に登場した、反動的な民主党政権も、
郵便局民営化を少し後退させることはできたが、元に戻すことまではできなかった。 そりゃ近代以降の法律や国会運営だからだろ
小泉改革云々言ってる奴何なの? そもそも>>107と同じ見解の上で>>106の発言をしたとしてもなんの矛盾もないな
>>106は結果の話をしてるのに>>107は原因の話をしだしてしかもなぜか>>106が自分と逆の見解を持ってると思い込んでるという事だな キングダム読んでる人はいるみたいだけど達人伝はどう?
蒼天航路は面白かったんだけど達人伝はいまいちなんだよなぁ
時代としては後漢三国より戦国の方が好きなんだが 蒼天航路は面白すぎた
キングダムは子供向け
達人伝はつまらん 蒼天航路が一番ガキっぽいじゃん
顔芸ばっかで腐媚び丸出し 蒼天航路は漫画界のエポックメイキングというべき名作だったな
それ以前の歴史マンガは少なくとも主人公陣営は現代的な道徳観の持ち主として描写するのが普通だったが
この作品が出て以降はその影響を受けてあえて現代との価値観との断絶を強調する手法が普遍的なものとなった感がある
シグルイ、ヒストリエ、センゴクなんかがそうだな
達人伝はその点かなりマイルドな作風になってるけど
これは作者自身が動乱の時代を描くことに内心まいってたこともあると思う いままで日本人(もちろん、歴史マニアを除く一般の)にとっての中国史といったら、
99%が三国志で、それ以外は付け足しといっても過言ではない状況だったが、
最近は春秋戦国時代の認知度も上がってきたのではなかろうか。
隋唐演義なんかも、普及する可能性はあると思う。
まあ、普通の日本人が明清あたりに興味を持つことは、今後もまずないとは思うが キングダムや達人伝もよいが、やはり、宮城谷昌光の小説が基本でしょう 思うに、やはり、日本人にとって中国の古代史は、日本の「前史」という位置づけだ。
倭国の歴史が本格的にスタートすると、途端に中国には興味をなくす。
欧米人も、ペルシャ帝国やネブカドネザル大王は大好きだが、ローマ帝国が東西に分裂した辺りからは、中東史にまったく興味なし。 キングダムは、敵との戦闘を通じて主人公が経験値を上げて強くなる、ロールプレイングゲームの世界 宮城谷さんの小説とキングダムはゴミ、春秋戦国は安能務オススメ
隋唐演義面白かったし高陽の西太后もオススメ、南北朝なら陳舜臣 >>136
三国志の後は人種が入れ替わっているからね
だからつまんない
野蛮な北方民族に乗っ取られた >>141
それはある
実際のところ、春秋戦国時代の中国人と、現代の中国人はあまり関係ない >>141
三国志以前から漢土に大量に移住してるんですがそれは まさか曾祖父の時代でほぼ覇権確定してて、実の父親とも揶揄されてた豪商の傀儡だったのに野心丸出しの法家二人と宦官に担ぎ出されてその豪商と有能な長男と歴代有能な将軍家皆殺しにして
各地の従来の制度全てぶっ壊して厳格すぎる法制で賦役と重税と大虐殺行いながらも
おもねる振りをした連中に毒を飲まされたとも知らず死んだ始皇帝と
他の将軍に付いていって何度か負けてる記述はあるけど特にこれと言ったエピソードは無いものの、先祖は老子、末裔は李淵や李白に繋がるらしいと言われてるだけの李信を主人公にした漫画が春秋戦国楚漢時代のスタンダードになるとはなあ 殷は遼河流域の出だからな
長江文明の集団も盛期にわ黄河中下流域の南岸まで分布してた
縄文人も長江文明人に征服され今の日本人に成った >>144
始皇帝の治世わ賦役も税も重く無いよ、漢代と大差無い、勿論片っ端から処刑の様な事も無い
二世皇帝時期に確認されてる暴政大量処刑を漢朝の儒家が始皇帝にも被せた 秦sageは司馬遷や班固が誇張してる節があるからなぁ。
万里の長城だって秦時代より武帝のし時代の方が規模大きいのに「秦が滅んだのは長城の労役が過酷だったか」とかDISってるし 秦の滅亡ってそんなもんじゃなくて勤勉な始皇帝から
無能で怠惰な二世皇帝になったことで施策そのものが滞ったからだと思うわ あと無能な皇帝が上に立つと統治機構の構造上の問題が浮き彫りになったな >>141
人種が入れ替わったらつまらなくなる根拠は? 文化が衰退した原因が人種の入れ替わりという事でしょ >>141-143
春秋戦国までは中原だけが中国でしょ
中国の領域が拡がって蛮族が同化されて変質したってのもある >>153
少なくとも華北ではそうじゃないか
文献記録の激減ぶりからしても、文章を書く人が減ったのは確実だし こいつは文化が衰退したって言いたいだけのネトウヨだろ 北方異民族に武力で蹂躙されてしまうぐらい貧弱な文化だったから、衰退するのも当然だった >>154
文献記録は後漢魏晋→南北朝隋唐で爆発的に増えてる
史実に反する願望は妄想 >>148
無能って言うか胡亥20歳行ってないんじゃ >>154
人種が変わったこととは関係なくないそれ? >>157
米の生産量が増えたの?
呂后が30歳以上の未婚女性に税金を課す(から家族が嫁ぎ先を用意して子供を産ませて人口増やす)法を作ったってのは、楚漢戦争直後で男が減ってたとはいえそれだけ結婚しない女性が多かったって事なんだろうか? >>160
江南の生産力と人口増大が大きいんじゃないかね? 楚出身の李耳(老子)が武王の時代から周の書庫の役人で4代昭王が殺される直前に周の衰えを感じて函谷関を通って西へ行ったって逸話は
昭王が出身地である楚と争って老子の立場が悪くなって亡命する必要があった
周から函谷関を西に行ったら後の秦の領地
だから秦の将軍である李信は同じ李姓の老子の子孫だ
同じ甘粛省の五代十六国の西涼とその末裔である唐の李氏もその子孫だ
みたいな後付けであったとしてもエピソードがあるのかな?
何で楚出身の老子が亡命先として正反対の函谷関の西に行ったのかがわからないけど >>157
上に書いたのは「五胡十六国時代」の話だよ
南朝や隋唐は関係ない 人種が入れ替わったら衰退したというのなら
隋唐以降もずっと衰退するんじゃねえの >>160
未婚女子を有する父母に贖金を出させる制度は春秋時代の「国語」にも出てくるから
あくまであれは慣習法だろう
そもそも近代戦でも男女比が偏る例は珍しいし
女子にも兵役があった秦代なら猶更男女比の変動は少なかったと思う 五胡時代や北魏時代の華北とか洛陽やギョウは人口増えすぎて羅城部分を増築してることがわかっているからな
人種が入れ替わった論がいかに空論かよくわかる >>166
20歳以上の未婚女性なら古い慣習法というかありえそうだなと思うけど
30歳以上の未婚女性って法が前漢時代にあったのが意外と言えば意外
あの時代に戸籍を持つ女性に30歳以上で未婚者が(見逃せない数)いたってのが
未亡人への救済を兼ねた法なのかもしれないが >>168
バカか、お前は
「北魏時代に人口が回復した」というのが、人種入れ替わり論の根拠だろ 馬鹿はお前じゃね?
漢人が絶滅して五胡と入れ替わったのなら五胡十六国以前にあった漢人の都市は一旦廃絶してないとおかしいわな
それが途絶えた痕跡がまったくなく逆に拡張してるのは何故? 胡人の移住なんて楚漢戦争の頃からやっとるわw陳キや韓王信の乱も土着化した胡人の商人が援助してたって記述もあるし 抑々中山が胡人国家だしなというか周初わ未だ華北に点在してたしな胡人 そもそも漢人は自分から羌胡の領域であった河西走廊に侵略して乗っ取っているというのに異民族がどーのこーのとか片腹痛いわ >>176
そりゃ、長い間にはそんな時期もあるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています