春秋戦国時代2
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近代戦の発砲率が低いから古代の戦争の死者は数十人って、
銃火器が矢に代わるだけで古代も近代も戦闘の形式まで同じだとでもいうんだろうか 春秋時代なんか戦車が戦って歩兵はいるだけなのか?
戦車の数だけで戦力や君主を表現しているし
戦国獅子伝で斉の戦力は戦車八百両、歩兵七十万ってのは嘘だったのか いても戦車を補助する従者的役割じゃないの?それに春秋時代はまだ領域国家じゃなくて氏族制都市国家の連合体、そんな動員力があったとは思えん。 デーヴ・グロスマンによると物理的な距離が近ければ近いほど死傷率は低くなっていく
白兵戦になると死者はほとんどでない
職業軍人と雖も実際に人殺せる度胸がある奴は少ないから
近代以前の戦死者のほとんどは餓死病死
火器普及率にともなって実際の戦闘による戦死者の数は増えてゆくがこれは殺す相手の顔を見なくてすむため >>802
石器時代だか新石器時代だかに子孫を残せた男性は十三人に一人しかいないとか
これは戦争で男性の十三分の十二、日本人で例えれば六千万人ぐらい殺したって
ことじゃないのかな
相手の民族なんて皆殺しにしようと思うもんじゃないのかね 恵王様は魏の支配者であり、夏王を自称し、孟子には梁の恵王と書かれ、
自国のことを晋国と呼んでいた
善徳女王とかいうドラマで新羅の女王なのに自国をシンコクと言っていて
文字を見たら神国と書かれていた
東の野蛮な国はジャパンとかジャポンとかヤーパンと呼ばれているが
自国語でさえニホンとニッポンがあり、昔はヒノモトだヤマトだと言っていた
シュメールではNUN KIと書いてEriduと呼んでいた >>803
本土人のうち縄文時代にまで遡れるのはYハプロだけでミトコンドリアハプロは完全に絶滅してしまっているのだが
これは弥生人の女が戦争で縄文人の女を皆殺しにしたためか?
石器時代何て人口も極めて少なく安定した農耕文化もなかったのだから遺伝的浮動が起こるのは当然のこと
そもそも石器時代の人間に民族なんて概念はないだろう >>805
それが事実ならば縄文人女性を虐殺したか病気が蔓延して死に絶えたか
男は女性を犯して子供を産ませる印象だが
犯した後に殺すこともあるし
犯すのすら嫌がるぐらい毛嫌いしていることもある 最近では中南米は侵略者の男性と原住民の女性の子孫
これはスペインやポルトガルによって原住民の男性は子孫を残せなかった
しかしイギリスはタスマニア人を絶滅させてアボリジニも激減させた
ネイティブアメリカンも少ししか残っていない
恐ろしいことにイギリス男性と原住民女性の子孫ばかりになっていない
ただし黒人奴隷は白人男性を父親とするのがほとんどになっている 古代中国人は白人だった
漢民族は東漢末期と三国時代後の南北朝時代の戦乱等でほとんど死に絶えた
現在の中国人は古代の中国人が野蛮人だと思っていた北方民族の子孫
韓国人や朝鮮人すらも北方民族の子孫
ロシアもハンガリーもフィンランドも北方民族の子孫
ヨーロッパは野蛮なゲルマン人の子孫
インドの高位カーストもアーリア人の侵略者の子孫
エジプトも野蛮なアラブ人の子孫
日本の支配者も北方騎馬民族の子孫
北アメリカは野蛮なゲルマン人やアングロサクソンの子孫
アメリカの黒人も父親を辿れば白人と同じ
中南米も野蛮な侵略者の子孫
カナダやオーストラリアや南アフリカも同様
イスラム諸国もアラブ人の子孫
ああ、この世界はみんな野蛮人の子孫だ
周も内部の争いや残酷なことをやっている
殷を滅ぼしたのも騙し討ちだ
フィリピンもカンボジアもベトナムもマレーシアもシンガポールも残酷だ
ノルウェーもスウェーデンもフィンランドもデンマークも残酷だ
イギリスもオランダもスイスもドイツもフランスも >>806
で縄文人の女は皆殺しにされたけど男だけは見逃されたと
自分がどう思う思わないとかそれはお前自身の価値観の問題でしかないし
>>807
マプチェ族やヤノマミ族とかはなかったとこと扱いか?
そもそもアボリジニやアメリカ先住民も激減したのは天然痘の免疫を持たなかったことが原因だろ 無知無知くんは今日も妄想が酷いなw
アーリア人の原生地わシンド所謂インド北西部
北魏末期北朝でも胡漢半々
ロシア人は東方スキタイと北アジアの征服者モンゴル人の混血、オマケでヴァリャーグ
日本列島に遊牧民は到達して無い
エヂプトわスーダン方面や緑地帯だったサヘルからの移住者に由って形成された黒人の文明
古代中国に白人は存在しない >>811
少なくとも西域まではコーカソイドの印欧語族が来てたんでは? >>811
お前は深いなわガイジだが言ってることは正しい
ぜひ射精エベンキと殴り合って対消滅して、どうぞ 少なくとも歴史が面白いのは三国志まで
それ以降は別の民族だろう
完全に絶滅して子孫が残っていないとは言わない
ただ中南米の男はほとんどが子孫を残せなかった で現代の本土人に縄文人の女の子孫がまったくいないのはどう説明するんだ?
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/
>ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNA (注5)の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。 スレタイも読めない上に
国名や地域名もわかっていないガイジが暴れてる >>812
イベリア半島や西域の印欧語族はコーカソイドじゃ無いからな当たり前だけど そもそもコーカソイドじゃない印欧語族っているのか? コーカソイド=ヨーロッパ系と勘違いしてるアホ多いからなこの板 >>793
>>795
例えれば日本国が分割されて
東京都のみが日本国のまま残り
関東国と関西国と九州国が国際社会からも承認されて独立国扱いなのに
関西国王がなぜか日本国の内閣総理大臣に就任し続けているようなもの
それも歴代の関西国王が日本国首相の地位も世襲している
魏の恵王は、韓国の圧力で周が魏侯を方伯として認めずに秦伯を方伯としたから
王を名乗ったらしい 斉は陳国の亡命した第二公子の子孫である田氏に国を奪われて姜姓呂氏は絶えた
晋は六卿で残った韓魏趙の三氏に国が分割された
魯は公室から分かれた三桓氏に実験を奪われた
周は分家の西周君と東周君の領土だけになり王の領土はなくなった
楚は項氏に国を奪われた
秦は一族八百余人と官人五千余人が皆殺しにあい
雍王が破れた時に社稷も取り壊されて完全に滅びた 古代中国人は遺伝子を調べたら白人だったらしいがタイムテレビで見たらインド人みたいのかもしれない 抑々インド人が古アジア系とインド北西部に起源を持つ系統の折衷 形質人類学とか優生学が華やかりし大日本帝国時代は日本人は白色人種と蒙古人種との合いの子で
けだし東亜において我が邦のみが近代化を成し遂げたのは白色種の血を引きたる故であろうか?とかホルホルしてたけど
分子遺伝学が進歩すした現代では東アジアで唯一イラン系遊牧民の影響を受けてない純粋なモンゴロイドであることが判明してる
お隣の韓国にすら中央アジアのイラン系をルーツに持つ人が一定素いるのに
どうやら隔絶された島国である日本には騎馬民族はこなかったようだ >>826
李牧が趙から独立して王になったのに趙の宰相を名乗っている 騎馬民族が馬をおいて船で来たから遺跡に証拠がないって言ってる人がいた >>825
トハラ系等ごくわずか白人がいたというのを勘違いしてるんだろうね 斉の辺りが遺伝子は白人だったらしい
その後に中国人学者が否定する見解を出したけど
政府の意向も感じる
白人かはともかく漢民族は三国時代・晋末の混乱で絶滅した 斉には西域から来た製鉄民がいるから白人の遺伝子も少しは入っていそうだね >>835
数百体か数十体か忘れたがその中に一体有っただけだぞ ジャップも弥生人に縄文人が絶滅させられたんだよなw 臨シの墓地から発見された数百体の遺骨中1体有っただけ
中国の製鉄開始わ斉と楚が一番早く双方は系統が違って斉の方はおそらく独自発展 そもそも弥生人という人種がいわたけじゃなくて弥生文化に属する人々をそう総称してるだけ
だから縄文系弥生人なんてタームがある
現在分ってるのは父親が縄文系で母が渡来系弥生人という組み合わせはあるが逆は全く存在しないこと
九州で半島の影響を受けて作られた支石墓に埋葬されいるのが何れも縄文系なことから初期の渡来系集団は
何らかの理由で現地の縄文系に支配をうけていたことぐらい 中国南東部や半島南部から来た弥生系の大倭大王国が滅ぼされて縄文系の天皇朝日本国に易姓革命かな
初期の弥生人と縄文人は河川下流の湿地帯と中流丘陵地帯で生活空間が違ったからあまり接触無かった 孟嘗君のフウカンの逸話で領民の証文を焼き捨てた話
農民が銭を使うぐらいだったのか
貨幣の起源は紀元前7世紀のリディアだけど
殷では宝貝を貨幣にしていたらしいし
シュメールとかでも銀何シュケルとか通貨みたいな扱いだ 貨幣なんてジュメル、アッカド文明の頃から有るし
ムナとかシェケルとか ゴトランド島の墓にはアジア人の骨があったから、バイキングはアジア人だ
って言ったら馬鹿にされるのに
古代中国人は白人だった
ってのはアメリカやヨーロッパですらたまに見かけるのが怖いとこ キリストを真っ白な白人として描くのにいちゃもん付けない時点でそういう真の反レイシズムにはまだ至ってないよな
実際遺伝学的にキリストの肌の色を特定しようとしたら戦争起こるレベルでヒステリー起こりそう 西欧人はだいぶ世俗化が進んでるし、イエスがアラブ人みたいな顔貌でもそう興奮はしないだろう。これ↓だってbbcが作って放映したんだし。
https://i.imgur.com/JMkevaN.jpg
https://i.imgur.com/iLpJFTk.jpg
問題はアメリカ人だな。 >>851
褐色なのはともかくアラブやレバントならもう少し鼻筋が通ってるんじゃないだろうか
ソクラテスのイメージでも混ざっていそうだ 春秋戦国の話をしろよお前ら
別に古代中国人が白人じゃなくたっていいじゃん 同じ時期のアッシリア帝国やペルシャ帝国と比べたら、かなり遅れた文明だった 食べ物や衣服を贈ったとかかししたとあると貧しいんだなと思う >>859
……産業革命まで、布(生地)やそれを加工した衣服は相当な高級品だし、食べ物は現代でも贈答のお約束だ
お前は何を言っているのかと >>855
春秋戦国の王族公族の中で現在でも続いてる一族ってどのぐらいあるの? >>859
衣と食の問題なのですから、そんなに馬鹿にしたものではないでしょう。
子産と季札の「縞紵の交」は有名ですが、贈答品としては穏当。
紂王が象牙の箸や玉の器を用いるようになって批判されたとか、呉が魯に最大でも十
種類の肉料理を百種類提出させて横暴を非難されたとか、少なくとも『史記』や『春
秋左氏伝』の価値観では、数と希少性に飽かせた行為は嫌われた様ですし。
宰我が「晝寝」をしていて孔子に嫌われたことを「畫寝」で「寝に畫く」、つまり寝
床の設備(当時は床座の時代なので大げさな寝台ではなかったでしょうが)に彫刻し
ていたものとする解釈がありますが、君主の車などへの彫刻でも、それが個人的な好
みに由来するものであれば非難の対象でしたからね。 >>861
唐末にほぼ絶えた
自称「孔子の子孫」とかは今でもいるけど、世界中に300万人だとか >>863
意味不明
アケメネス朝ペルシャ帝国の時代にわ製鉄が普及してる >>863
それならアッシリアやペルシャではなく、
もっとずっと前のヒッタイトや海の民を誇るべきだろう >>866
そりゃ、その時代の中国にも鉄器はあったが、普及の度合いが違う 春秋戦国時代の名門が、唐まで続いたのはいくつかある
滎陽鄭氏は、春秋の鄭の流れを組み、唐でも四大貴族の1つに数えられ、10人の宰相を輩出。
趙郡李氏も、唐の四大貴族の1つで、あの名将・趙の李牧の子孫とされている >>854
チビ胴長短足頭でっかちで黄色の癖に毛深くて足に剛毛生やしてる日本人男性が世界で一番醜いと思う 人種コンプバカは消えてほしいわどっちも
どう見てもブサイクのくせに他人にばっか厳しいとか笑える 曹操の悪人扱いって
孔子の子孫である孔融と司馬遷の子孫である楊修を曖昧な理由で処刑して
荀子の子孫である荀ケを自殺に追いやったのも後世の評価に影響してる? 単純に京劇の影響・・悪役はメイクからして違う
三国志は字を読める人はすくなくても
劇の悪人は文盲でも理解できるし中国全土にひろまった
でも曹操の評価は時代によって異なり
いまの共産党は魏を崇める立場になる
理由は簡単、毛沢東が人民は阿斗になるな、と言ったから
つまり共産中国も。三国志の蜀の後主みたいなるなと じゃぁその京劇というか中国の各地方劇、京劇の元となったいろんな芝居の中での
曹操の悪役イメージはどうやって作られたのか
曹操ではないが諸葛亮孔明の場合、小説の「三国志演義」は芝居の世界では影の薄い
脇役に過ぎない孔明をずいぶんかっこよく描いていて、そこが違うと言う
それは小説版の作者が知識人階級であるためにひいきしているのだという
そこで>>871を見ると、小説の作者が他にも贔屓しそうな人を
バンバン殺している曹操という男は、いかにも悪者に描きたくなる相手に違いない
曹操の場合は小説のイメージが芝居にも影響しているのだろう >>871
そうだ
秦の始皇帝と同じで、儒者を殺したのが良くなかった。
明朝はまったくの儒教社会。評判が悪くなるのは仕方ない 三国志の見方は時代によってことなり宋では魏正統がとなえられ
時代が下がるにつれ朱子学の影響で蜀が優勢になる
モンゴル時代となると三国志は改変が加えられ
蜀は滅亡したが
漢室の血を引く匈奴皇帝・劉淵が主人公になり
漢を再興して、めでたしとなる
つまり劉淵を重ねて、モンゴルが正統であるという >>861
子孫が残っているのはいるけど力はない
ただし、孔子廟の奉仕官だけは万世一系で実は今も残っている
大学入試に失敗しても孔子の子孫だから入学させて批判されたとか
歴史上では宋の時代に周の皇帝の子孫を特別扱いしていたのはある >>875
これ面白いな
劉淵はどうやって漢を復興したんだ 匈奴王族は19氏族のうちレンテイ氏に限られる
遠くの王族や貴族と通婚するのは遊牧民の習慣で
レンテイ氏は劉邦の娘などもらい漢王室と通婚してた
したがって匈奴は血縁の劉氏を名乗れる >>870
一行目だけなら正論なのにくだらん二行目を付け加えるからブーメランになって反ってきてる 戦国初期の覇者・魏の文侯
魏の国は晋が分裂したことがきっかけで建国された国です。
晋が分裂した際に趙・韓そして魏の三国が同時に建国されます。
そして魏には名君と言われる文侯が君主として君臨しておりました。
この国は文侯が名君であったことがきっかけで多くの有能な人材を確保。
また国土も広く国力も充実しておりました。
そのため多くの小国は魏の文侯に付き従っている状態でした。
ある日戦国時代の覇者とも言える魏の文侯へ韓から使者がやってきます。
この使者は文侯へ「趙が生意気なので懲らしめてやりたいのです。
是非兵を貸してくだされ」とお願いしてきます。
しかし文侯は「趙は我が国と兄弟のような国です。
この国を討伐するための兵力をお貸しすることはできません。」と断ります。
数ヵ月後・・・・。
今度は趙の使者が文侯の所へやってきます。
趙の使者は文侯へ「小さい国の癖に色々とやかましいことを言ってくる韓がムカつくので、
兵力を貸してくれないだろうか。」と依頼。
だが文侯は「韓は我が国とは兄弟と同じような関係を保っている国です。
この国を討伐するための兵力をお貸しすることはできません。」と拒否。
趙と韓の要請を断った文侯ですが、この話を聞いた韓と趙の君主は文侯の徳の高さに心服。
両国は文侯の下へ馳せ参じて臣従することになります。 「呉子」と呼ばれる兵法書の作者である呉起(ごき)。
彼は春秋戦国時代の初期に出現した名将で孫子と並んで最高レベルの軍略家でした。
そんな呉起は魯(ろ)という超小さい国の将軍でした。
この国で彼は抜群の武功を立てることに成功するのですが、
魯の群臣からの評判が悪ったので、魯の国を出ていくことにします。
そして彼が仕官先として目をつけたのが文侯率いる魏の国でした。
呉起は早速魏の文侯と謁見する機会を得ることに成功。
そして彼は文侯に兵法や行政など様々な点から自薦していくのですが、
文侯は呉起の話を聞き終わった後に「我が国は戦争を嫌う国なのだ」と
答えて彼を登用しませんでした。
呉起はガックシして宮殿をあとにしていきますが、後に魏の文侯から招集を受けて魏の将軍として
活躍することになります。 いい話っぽく書いてるけど、最後の一文が文侯はアホなのでは?と思わせる
中国の昔話的なそれっぽい逸話ないのか? 魏の文侯といえば、『戦国策』や『韓非子』にある逸話が有名ですね。
文侯が御狩場の管理人と狩猟の約束をしていたが、当日は雨であった。その上飲酒して楽しんでいた。
それでも文侯が宮殿を出て御狩場へ向かうので、近臣は止めた。
「雨な上に、御酒も楽しまれたところです。なんでわざわざ御狩場に出られます。」
「私が約束して決めたのだ。雨だからといって、なんで行かずに済まされよう。」
そう言って、文侯は自ら出向いて狩猟の中止を宣言した。
魏はこれから(君主が約束を守るという信頼を得て)強国となったのである。 一歩まちがえれば魏文帝になりそうな偏屈さ、頑固さを感じる
文帝は光武帝を残忍と非難していたんだよなぁ 覇者には、「信義を守る人物」という自己演出が大事なんだな
魏は、欧米でいえばフランスのようなもので、中央の高度文化国家としての権威はあるけど、力で諸国を抑えるほどの国力があるわけではない >>886
これもいい話っぽく考えてるけど、
狩猟の約束してるのに酒宴開いて酒飲んで酔っぱらってる時点で約束守るのはポーズだろって思ってしまう
「俺は約束守るつもりなんだけどなー )チラッ」って中止にするように圧力かけてるだろ 飲酒・飲み会に現代人は悪いイメージをつけすぎで、当時の扱いも考慮されるべきかと。
しばしば彫刻などの形で後世に伝えられた光景ですからね。
中国では鼎が王権の象徴となり、日本では朱器・台盤が藤氏の長者の証となった。 長らく世界史板を覗いていなかったのですが、春秋戦国スレが継続してあるんですね。
皆さんはどうやって春秋戦国にたどりつかれましたか?
私は吉川英治の「三国志」で諸葛亮が自信を管仲・楽毅になぞらえている、という
記述をみて、これはどんな人たちだろう、と思ったのがはじめですね
もう50年も昔の話ですが・・・ 小室直樹の中国論
紀元前4世紀あたりの戦国時代には、中国の官僚制は現代における近代官僚制と同じような形を取るまでになった。
戦国時代では戦国七雄といわれた7ヶ国がしのぎを削った時代だが、その頃にはもう、近代ヨーロッパ列強並みの人口規模を持ち、製鉄などの技術も開発され、商業も盛んで、経済も発達していた。
戦国七雄は近代列強並の富と力を持ち、また近代列強と同じく、領域国家(領土の確定した国家)になって、そして、戦争専門の兵で組織する常備軍が完成されていった。
王の権力も大きくなり、王の周りには封建的諸勢力に代わって体系的な官僚制度が形作られていった。 (続き)
古来、王の周りの統治階級は、王家親族、有力貴族だった。
ところが、戦国時代に名君と呼ばれた王は、奴隷たちから宰相(総理大臣)を選んでいた。
歴史上有名な、殷の傅説(ふえつ、武帝丁の宰相)、秦の百里奚(ひゃくりけい、穆公の宰相)、は、奴隷だった。
斉の桓公かんこうに仕えた管仲も、捕虜となって死刑を赦された奴隷の身分から宰相に抜擢された。
「宰相」とは、もとは奴隷の一種、という意味だった。
料理人や羊飼い、そういった者たちが総理大臣に抜擢された。
なぜ、奴隷なのか、それは、貴族はときに王に口答えするが、奴隷は無条件で従ったから。
専制君主に従う人間こそが官僚としては有能。
もちろん能力は必要だが、その統治能力さえ認められれば、宰相として就職できた。 殷では宰は奴隷を意味する言葉
大夫で相だと卿と呼ぶ
宰相ではないんだな >>894
修士課程に入ったばかりの時に指導教授から「日本文人史」をやるように言われて、
のめり込んだこともあり、彼らが読んでいた漢籍を読むことになったのが初めです。
かつては普通に読まれていた漢学に関する本が、今の古書肆では本当に安いですね。
得と言えば得ですが、それだけ需要が減ったということで、寂しくもあります。
1980年代までは、まだ水墨画(南画)を通じて知識のある人もいたのですが。 >>898
山野さんもご健在でなによりです
調べてみると、初めに白起さんが「春秋戦国の名将はだれか?」というのを
立てられてのが2002年ですから、もう20年近く前の話なんですね
明治までの知識人は漢籍を白文で読めたんですよね?
春秋戦国時代と言えば、宮城谷昌光氏が小説で取り上げているので、一般の目に
触れる機会も増えたのでしょうが、氏の小説は、初期の夏姫春秋のころは非常に
面白かったのですが、その後は主人公が善人すぎるような気がします
最近のNHK大河ドラマ主人公が、皆平和主義者になって面白くないnのと同じ
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