なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>1
ひとつ言わしてもらうが
同じことを繰り返しているのは君ではないのか 春秋戦国時代から、秦漢帝国の統一へ
魏晋南北朝時代から、隋唐帝国の統一へ
千年史レベルでの同一パターンの繰り返しに見える
しかし、その間の民族大移動により、登場人物は入れ替わっていた
隋唐の時代の中国人は、黄河文明の民を追い出して乗っ取った移民の子孫 >>2
確かにそうだが、同じタイトルのスレを立てたのは、もう何年も前のことだ >>3
>>春秋戦国時代から、秦漢帝国の統一へ
これは新石器時代以来の華北都市国家社会の統合
>>魏晋南北朝時代から、隋唐帝国の統一へ
これは胡族漢族混在社会の政治的統合と江南穀倉地帯の華北による本格的包摂
全然似とらん。
これで似ていると言ったら、
・弥生の諸国分立から古墳時代の連合政体、さらに飛鳥・奈良・平安の中央集権社会へ
・戦国の大名諸領国分立から江戸時代の連合政体、さらに明治・大正・昭和の中央集権社会へ
も「同じようなパターンの繰り返し」と言えてしまう。 宋と金の南北朝から、モンゴル帝国による統一
明と北元の南北朝から、清による統一
これも、数百年のスパンで同じパターンを繰り返している >>6
宋と金の南北朝時代は、北族系騎馬軍事力と農耕地帯の生産力を有機的に結合する試行錯誤の時代。
大明と北元の南北朝時代は、いったん大元ウルスにおいてシステムとしての完成を見た北族系騎馬軍事力と
農耕地帯の生産力の有機的結合体制が、大元ウルスの制度の急進性で解体、
この解体時の危機的状況の危機対応政権が大明と北元。
これが大清国の大元ウルス、大明双方に倣った長期安定システムに帰結する長期大変動とみなせる。
ある意味、織豊政権がその急進性ゆえに長続きせず、織豊政権に倣いつつも中庸を志向した徳川幕府で
長期安定をみた変動にも似ている。 中国史が「同じことの繰り返し」に見えるのは、
二つの権威主義的なイデオロギーの影響。
ひとつは儒教でもう一つはマルキシズム。
まず、儒教では
・この世界には「徳」という天地人民を従わせる超能力が存在する
・「徳」を持った者が天帝の命を受けて「天子」の座につき天下を治める
・初代天子の「徳」は世襲的に次世代に受け継がれ、王朝の統治が続く
・初代天子の「徳」は子孫に受け継がれていくうちに次第に弱体化する
・弱体化した「徳」を受け継いだは天子は自制を失い「酒色に溺れる」
・天子の「徳」が失われると天帝は天変地異を下して警告を行う
・民間に新たな「徳」を持つものが出現し「禅譲」か「放伐」によって新王朝を拓く
という理論を掲げており、儒教を収めた知識人官僚はこのサイクルのテンプレートに
したがって歴史的事件を解釈し、史書を編纂した。
必然的に正史を読むと、決まったパターンのサイクルで歴史が展開しているように見える。 中国史は長いので編集してみた。
●斉の桓公即位〈BC685〉〜晋の分裂(BC452) ♯234年間
<この間 170年間をカット>
●秦荘襄王誕生(BC281)〜前漢文帝没(BC157) ♯125年間
<この間 1014年間をカット>
●唐懿宗即位(859)〜明弘治帝没(1505) ♯647年間
<この間 216年間をカット>
●清雍正帝即位(1722)〜 現在 ♯298年間
というわけで、合計1400年間+約1000年分の減量に成功しました。
中国三千五百年の歴史をわずか1304年間とダウンサイジング。 >>8承前
次にマルキシズムでは、進歩主義に基づく発展段階史観を採用している。
歴史は生産力の進歩に応じて
・原始共産制
・古代奴隷制
・中世農奴封建制
・近代資本制
・近未来社会主義体制
・遠未来共産主義体制
という決まったテンプレートに従って進歩発展するとした。
このテンプレートの根拠になったのが
・アメリカ先住民の社会を比較研究したルイス・ヘンリー・モーガンの研究
・ギリシア・ローマの古代地中海社会を古代の典型とみなす古典研究
・西ヨーロッパ社会が経験してきた中世の農奴を伴うフューダリズム社会
で、本来なら地球上のどの世界でもこのテンプレートに従った歴史進歩があるべきとされた。
そして、中国史のようにこのテンプレートに当てはまらない地域の歴史に関しては
次のような結論を下した。
・世界史の普遍的進歩の法則に従わない地域には「東洋的専制」が存在する
・「東洋的専制」の基盤になっているのは個人の自由と進歩を阻害する「アジア的共同体」である
・「東洋的専制」「アジア的共同体」があるところには歴史の進歩はない
ちなみに、「自由のヨーロッパ」vs.「専制のアジア」というテンプレートは
ペルシア戦争に勝利した後のギリシアで台頭した偏狭なナショナリズムによって
盛んに言われるようになった言説であることが判明しており、
近現代のヨーロッパ人はこの言説から多大な影響を受けた。 >>10
東洋的専制というのは、今でもそうだな
中国・ロシア・イランは、革命やら改革やらを何度やっても、やはり専制から抜け出せない >>9
思うに、漢から明までショートカットするというのは、要するに「中世を省略する」ということ
西欧の歴史も、古代ローマ帝国の崩壊後は、16世紀のハプスブルク帝国あたりまで飛ばしたくなるのではないかな?
途中、シャルルマーニュ大帝のフランク王国をちょこっと入れたりして その点、中近東の歴史はそうではない
むしろ、中世のイスラム帝国こそ、中近東を理解する上で最も重要な時代といえる >>11
マルクスの言う「東洋的専制」というのは、人民が「アジア的共同体」というものに奴隷的に盲従していて、
それを束ねている専制君主に唯々諾々と従っているとするもので、東洋史の実態からはかけ離れている。
「専制」ってのは統治者が特定の支持基盤の内部の合意形成を背景にせず、一方的に命令を下してくる政体を
指すわけだが、実際には東洋の帝国には君主といえども意向を窺わざるを得ない何らかの「支持基盤集団」が
存在していたことが多い。
例えばモンゴル帝国における「モンゴル」の名を負って結集した遊牧民集団であるとか、大清国における
満州族の「八旗」貴族集団、隋唐帝国における武川鎮軍閥系貴族集団、中華人民共和国における人民解放軍、
サファビー朝におけるキジルバシュなどがそう。多くの場合、王朝を拓いた当初は君主はあくまでもこの
「支持基盤集団」の利益代表であり、彼らの軍事力に依存し、この集団内の合意形成の意向を反映した
政治決定しかし得ない。
ところが、帝国的な大国家を形成して安定期に入ると、この「支持基盤集団」がむしろ帝国運営の不安定要因となってくる。
というのも、帝国というのは多様な人間集団、多様な政治共同体、多様な文化圏を包含するものであり、
君主が特定の「支持基盤集団」のみの利益代表に留まると、そこに参画しえない集団からの不平不満を募らせることになるから。
だから、帝国が長期安定政権となる過程で、本来の「支持基盤集団」の弱体化が画策され、君主の実に忠誠を尽くす軍事集団が
君主直属の暴力装置として育成され、それによって支配下の諸集団に対して「公平」な政策決定が実現される。
これが実質的に「専制」と呼ばれるものの正体であり、決して「アジア的共同体」の存在によって一方的に成立するものなどではない。 でも群雄割拠時代が何度もあるのは群雄割拠萌えな者としては羨ましい。 >>12
他スレでは魏晋南北朝をすっ飛ばすのに異論は出なかった。14世紀と清代のカットには
異論が強かった。 個人的には宋が中華文明の黄金期だと考えているのでこういう結果になった。 【中国史ディレクターズカット版の7大特色】
@ 人名を憶える事が全く無意味な殷周時代を「白紙化」することで、中国史を
日本史サイズにまで縮小、手軽に持ち運び出来ます。
A戦国時代を“信長以降”としたことで統一過程が解り易くなりました。
しかも、大人気の春秋時代はバッチリ網羅。春秋五覇による壮大なドラマと
孔子・老子が目指した中華帝国の姿を両軸に、「漢民族」の形成を考察していきます。
B呉楚七国の乱と黄巣の乱を置き換えることによって、千年間のグダグダを排除、効率的に中華帝国史を学習できます。
C中華文明の最盛期である宋・元王朝の勃興から滅亡までを完全網羅
Dさらに産業革命の一歩手前までに経済発展した15世紀を追加し、倭寇・勘貿易・琉球王国等、日本史に大きな影響を与えた東アジア海洋帝国の全貌にも迫ります。
E明と清を一つに合体させることで「北京帝国」の構造がよりクリアな「見える化」に成功。 中国共産党の内外政策と目指している方向がしっかりと理解出来ます。
Fマニア好みの雍正帝を初回限定盤のみ詳述。(次回版から「乾隆帝即位〜現代」となります。) >>15
日本は、平安時代の後期あたりから、江戸幕府の幕藩体制が固まるまで、事実上は何百年も続く動乱の国 >>18
いや、平安後期どころか、実質的に動乱は平安中期10世紀の武士の発祥時にはじまっている。 なんか三国志とか見てると、日本より何十倍も規模のでかい戦争してたように見えるが、実際どうなんかね。
明は豊臣といい勝負したんでしょ?
ほんとは中国って弱いんじゃないの? >>8
中国人は徳という超能力が遺伝すると思ってたんか。
アホなのかな? >>21
古代の世襲原理なんて、どの世界でも似たようなもんでしょ。
君主の聖性を帯びた血統が子孫にも伝わるという漠然とした感覚。
だから、古代エジプトなんかだと王家はその聖性を薄めないように近親結婚をした。
中国は古代から族外婚だからそこら辺は古代エジプトよりだいぶまし。
それと、時代が下るほどに「徳」概念が呪術的概念から理性道徳的概念にシフトしていく。
つまり、先代から次代へと幼少期からの帝王学教育によって「徳」が受け継がれるような認識に変わっていってる。 >>22
それだと、徳を高めるという行為と矛盾しない?
生まれつき決まってるなら何やっても無駄やん >>22
ああ、帝王学によって徳を高めることになったのか
まあそうなるわな >>10
ここ30年ぐらいの日本は「近未来社会主義体制」から「近代資本制」に退化してるんだな
一部のクソ田舎では外国人研修生を使って「中世農奴封建制」に近い事までやってる始末だ >>19
丁度シナの春秋戦国時代と同じぐらいの長さだな >>3-6
漢末の黄巾の乱と
元末の紅巾の乱を統合して
橙巾の乱にすればいい
曹操vs朱元璋とか胸アツだぞ >>27
ダイキンの乱?
エアコンが暴走して真夏に人を凍死させるとか 同じことの繰り返しというが、どんどん異民族を巻き込んだ戦争になっていったわけでしょ?
つまりグローバル化する戦争が、たまたま中国という地域で規模を増しながら行われただけでは? >>30
その通り
闘争の舞台が、最初は河南省だったのが、後になるほど、だんだん広がっていった >>31
「中華」というシステムのコアに巻き込む領域が、どんどん拡大していったんだな。 鄭や宋や衛といった、中原の都市国家が争っていた。
そこに、晋と楚をはじめとする巨大な領域国家が台頭した。
すると、それまでの主役だった国々は、まるきり小さく見えてきてしまった。
これは、フィレンツェ、ミラノ、ナポリといったイタリアの都市国家が争っていたところ、
周囲にフランス・スペイン・オーストリアという大国が台頭したときの状況と同じ
さらに、ドイツ・フランス・イギリスの争いが、アメリカとソビエト連邦という超大国の台頭により、コップの中の嵐みたいになったのとも同じ
歴史は繰り返す 三国志なんかは、あたかも中原という地域が全宇宙であるかのごとく語られるが、異民族からの侵攻を受ける時点で中原だけに視野を固定するのはおかしい気がする。
モンゴルやタイあたりにも勢力があると分かってるんだから、その辺りまでは「天下」と称すべきではないのか。
称さない理由がわからん 漢の時代には、今でいう上海がある長江デルタは、まだ広大な湿地帯で未開拓だった
北京など、モンゴル帝国の首都になるまでは、北の外れのド辺境だった
広東省に至っては、宋の時代になっても土人の国とされていた
北京や上海や広東省に行って、「中国四千年の歴史が・・・」などと感慨にふけるのは、バカげている
日本のほうが、よほど歴史は深い >>36
魏晋南北朝以降は、モンゴル高原の騎馬遊牧民勢力が遊牧国家を安定させるために農耕地帯を版図に入れようとするよね。
すると、もっとも狙われるターゲットは江南の穀倉地帯となる。
必然的に、華北が両者を結合する政治プラットフォームとして台頭してくる。 >>38
モンゴル帝国の統一以後は、北と南に分裂しなくなった
最大の理由は、経済力の南北格差が広がりすぎて、江南の穀倉地帯を持たない北の政権が、経済的にもたなくなったから >>37
よくしらんが、日本でも室町あたりまで京都以外土人の国じゃないの?
根拠はもののけ姫 >>40
日本の在地社会が本格的に貨幣経済化して庶民が経済力で自立できるようになるのって、
13〜14世紀に日元貿易で宋銭が大量に入ってきてからだね。
中国を支配したモンゴル帝国が税を銅銭決済から銀貨決済に切り替えたために、
用途が宙に浮いた銅銭が大量に日本に輸入されたらしい。 >>37
まあ繋がると嬉しいわな。
玄関に塩を盛るという習慣が、まさかあんなエロい由来があるとはな。。 >>39
穀倉地帯を持たない北の地域が南の食料生産に依存したっていうこと? 北の連中が米を好むようになったのかな?
戦後の日本人が肉を好むようになったように >>44
意味は二つあって、
ひとつは華北の農業生産規模では支えきれない華北の政治都市、経済都市の人口を江南の農業生産で支える。
もうひとつは、突発的な気候の悪化で家畜が大量死して牧畜経済が破綻することがあるモンゴル高原の遊牧騎馬軍事力の危機対応の保障とする。 >>44
つまり、江南からの穀物輸送が安定化すると、官僚や常備軍、それを支える人間集団の規模を
より巨大な規模で維持できるようになる。 >>44
穀物だけじゃない
陶磁器も織物も南が圧倒的
金は、南宋からの輸入が多すぎて銅銭が一方的に流出し続け、銅銭不足を補うべく紙幣を乱発して、経済がヤバいことになった
北はもう限界だった
これ以降、北だけでやっていけた政権は無い 今も、北京は首都だから政府系企業が集中して繁栄してるんで、首都じゃなかったら衰退して、上海や広東省に圧倒されるのは目に見えている
国土の均衡ある発展のためには、北京を首都にしておくのが望ましい 日本に例えれば、東北・北海道に人口が2億人いて、首都が札幌にあるようなものだ
でもって経済的には、南の温暖な東京・名古屋・大阪・福岡あたりに依存しているという状況
おおげさでなく、中国の現況は、それくらいイビツで無理がある チンギス・ハーンが華北を侵略したときは、黄河の以北をモンゴルが制圧して、北京を失った金朝は開封に遷都し、黄河をはさんで北にモンゴル、南に金朝が対峙する状況になった
チンギス・ハーンは、中央アジアへとホコ先を向けたため、その状況がしばらく続いた
モンゴルの侵略から逃げた華北の人民が、金へと大量に逃亡したため、北の人口は激減して農業生産力がガタ落ちになった
おかげで、統一後の元朝は、金から人民を強制連行してくるのが初仕事になってしまった >>47
でもさ、それだと北方の食文化に相当な変革があるはずだけど
本当に穀物まで「南水北調」されてたの?
現代ですら北方人はあんまり米食べないよね
あとちょうどその頃からアユタヤから米を輸入し始めてるけど、需給バランスどうなってるんだろう 洪武帝は科挙を中断したことがあった。
理由は南方人ばかりが合格したため、
北方人が不満を持ったためだった。
北方は戦乱の荒廃が大きく、
経済的余裕がなく、
教育水準低下で、どうしても北方人に不利だった。
そこで北方人に点数を配慮しようとしたら、
南方人が逆差別だ不公平だと猛抗議する。
そこで科挙を中止してしまった。
南北格差と対立に悩む洪武帝。 北は粉食文化だな
饅頭とか、刀削麺とか、そういうイメージ >>53
今の中国って、辛亥革命以降の混乱で色んなものがリセットされている面があるだろ。
もともと、華北の政治都市の人間は華北でとれた畑作穀物+江南の米で補完していたのが、
近代の中国社会の混乱で南の米が十分北に渡らなくなって古い食生活に回帰している可能性はあるんじゃなかろうか。
しかも、改革開放以降は、海外からの安価な小麦が輸入されているだろうし。 >>48
そうそうしばえん
男と生まれたからには、一度やってみたいよなエロ巡回 >>57
キャバクラのハシゴなら、現代人のオッサンもやってるが >>58
いやいやあんな底辺女じゃなくて、才色兼備のエリート女が股開いて孕まして欲しがるのがいいんだろ。
そういう意味では董卓が女官を凌辱しまくったのも羨ましい >>59
銀座の高級クラブならどうだ?
カネは半端なくかかるが >>60
銀座なんて顔がいいだけの低学歴女だろ。ぜんぜんちがう。
宮廷の女官て、要は官僚なわけだ。
教養があって超美人。
そんなのを侍らせられるから天下をとる意味はあるわけ
董卓うらやま >>61
まあ、江戸幕府の将軍も、側室との夜伽より、風呂で女官に洗ってもらうほうが楽しみだったと聞くが >>62
やっぱそうかー
やっぱそうかー…
いいなー。。 >>62
将軍ともなれば女官も指名すれば夜伽してくれないのかな?
そうでなくては天下人とは呼べんだろ >>64
女官は、側室とは違って他人妻だったりするからなあ
入浴するときの女官は指名できたらしいんだが、夜伽となると簡単にはいかない >>65
えー。。。
人妻って時代や状況が変われど手の届かない存在なんだな いやそもそも将軍ともなればセックス自体より教養ある女との会話の方が楽しかったりするのか。 >>66
武家だからねえ
意外と厳しいところは厳しい
混浴できるだけでも、男にとっては夢の世界だが >>67
いや、この「女官との入浴」が、将軍にとって一番の楽しみだったという話だ 夜伽は、世継ぎの問題が絡むから、将軍にとっては仕事そのもの
監視がきついし、楽しいものではない >>70
そうなるとつまらんな
風俗と変わらん
蒼天航路の董卓のように裸の女官の山の上に座りたい >>72
いやいや、その場で「将軍お手つき」ということも、実際にはあったようだ >>73
将軍じゃなくて殿様だが、徳川吉宗が「紀州藩主が風呂場でついつい女官にお手を付けて生まれた」
じゃなかったっけ。 明朝では、皇帝が引きこもって酒池肉林に明け暮れることもあったようだ
清朝には武家の気風があり、そこまで退廃してなかったようだが >>75
清朝では皇帝の「生殖行為」を全て詳細に記録に取らせていたらしいからな。
常人の神経ではとても務まらん。 >>73
そんな記録に残されるんだったらお手付きのハードル高いわー >>74
てか手を付けるだろ普通
人妻とはいえ、将軍の子を産んだら大手柄だろな >>76
江戸幕府もそうだった
必ず、2名以上が傍聴していた >>79
江戸幕府は記録をとるのが女性の奥女中じゃん。
清朝だと男の宦官だぜ。
俺だったら萎えるわ。 夢がなさすぎるな。なんのための天下なのか。
司馬炎先生と董卓先生だけはさすがに無差別にやりまくってたよな? シグルイという漫画で、将軍が町中で気に入った女を見つけると「あの娘の名は?」と侍者に聞く。するとその晩必ず寝室に娘を連れてきてくれたという。
あれはなんだったのか 江戸時代のどこかの藩では、殿様が外出中に外で見かけた百姓の娘を襲ったため、「殿ご乱心」と言われて座敷牢に閉じ込められた >>84
殿様なんぞ、所詮は「〇〇御家中」と称する武士団、家臣団の利益代表に過ぎんわけよ。
ちなみに、平安初期に陽成天皇が乳兄弟を撲殺した咎で廃位、隠棲を強いられている。
この時代の天皇も、朝廷という支配者集団のシンボル的利益代表であったことを如実に示している。
なお、前漢の景帝は皇太子時代に又いとこをボードゲーム中のいさかいで激高して撲殺しているが、
廃太子されることもなく無事皇位に登っている。
前漢の皇帝が「劉邦とその仲間たち」の利益代表の段階を脱し、絶対的な専制性を帯びていたことを
雄弁に物語っている。 >>85
陽成天皇の場合は、場所が宮中だったのがマズかったんじゃないか? ロシアのピョートル大帝は、気に入った娘をその場で犯すこともあったが、誰も咎められなかった
これでこそ、真の専制君主
ただし、ピョートル大帝の場合は身長2メートルの大男で、常人にない威厳を持つ超カリスマだったが >>86
それだったら、前漢景帝も宮中で皇族を撲殺しているよ。 最近だとネパールで王太子が父王以下かなりの王族を殺害したとされる事件があったね
ネパールの場合はただでさえ人気無かった王室の権威が完全に失墜して廃位にまで追い込まれた >>49-56
華中華南依存といいつつ、華北の相対的人口は、(荒れた金南宋時代の両国国境を除き)全然減ってないんだよなあ。
華北平原というけど、人口稠密地帯は黄河氾濫原のど真ん中ではなくて、
太行山脈の東山麓と、泰山山塊のぐるっと周辺に集中地域がある。この状況は春秋時代からあんまり変わらない。
華北は南宋以降も、いうほどディスられる地域でもない。これは今でもそうで、グーグルマップをみれば一目瞭然。
もし過去の文明が栄えた穀倉地帯として絶賛衰退中なら、メソポタミア平原のようになるはず。
でも実際の華北平原の衛星画像は、現役の穀倉地帯にして中東最大の人口密集地域であるナイル三角州とそっくり。
あるいは、パンジャブ平原とも似てる。こちらも現役の穀倉地帯だ。
金が銅銭不足に悩んだのは、領内に銅山がなかったから。南宋は華南に銅山を持っていた。
今のような管理通貨制度ではないのだから、貴金属鉱山の有無は、厳密な意味での経済規模より大きな役割を果たすことがままある。 ただ、華北については、金支配と靖難の変の影響がかなりあるとは思う。
特に金支配については、かなり長い時期にわたるもので、等閑視すべきではない。
異民族支配の中で、官僚になって社会的地位の上昇を図るという意欲が乏しくなった。
科挙官僚制の展開と、民間における宗族制の発展が表裏一体というのはよく指摘されるが、
(官僚になって特権を得て荒稼ぎをし、その利益を一族で分配する。
皇帝としてはこの特権を世襲させてはかなわないので、厳格な試験制度を施行するw)
そもそも官僚になる気がないので、華北では宗族もあまり顕著に発展しなかったというのが実情だろう。 >>91
>>太行山脈の東山麓と、泰山山塊のぐるっと周辺に集中地域がある。この状況は春秋時代からあんまり変わらない。
ここが戦国の三晋(趙・魏・韓)の内部構造を理解する上で重要なんだな。
歴史地図を見ると、これらの国の国土は東西に延びたアレイ型をしているが、
これ、地形を勘案してみると鉄アレイでいう所の西側のおもりの部分が
本来の晋の本拠地の汾水流域の盆地で、
東側のおもりの部分が太行山脈の東山麓なんだよね。
つまり、晋は汾水盆地で実力を蓄えた末に太行山脈東麓の穀倉地帯に縄張りを拡大した国で、
それを三分割した趙、魏、韓もその両地域に拠点を確保した。 中国には農民反乱が多い。
しかもそれはたんに鎮圧されるのではなく、王朝を破壊するところにまでいってしまう。
秦を滅ぼした陳勝・呉広の乱(前209〜208)、
新を滅ぼした赤眉の乱(18〜27)、
後漢を滅ぼした黄巾の乱(184)、
唐を滅ぼした黄巣の乱(875〜884)、
元を滅ぼした紅巾の乱(1351〜66)、
明を滅ぼした李自成の乱(1631)、
清時代に起こった白蓮教徒の乱(1796〜1805)、
同じく太平天国の乱(1851〜64)、
これほど農民の反乱の起こった国は他にはない。しかもその農民反乱によって国が滅んでしまう。 この「農民反乱で王朝が滅亡する」というサイクルこそ、中国の歴史が同じことの繰り返しに見える大きな原因 モンゴル人に滅ぼされた宋を除けば、主な王朝は皆これで潰れた >>94
農民反乱というより、社会混乱や飢饉で「県城」単位の地域社会が崩壊すると、
その地域社会の構成員が一気に武装難民化するんだよね。
これは、おそらく新石器時代以来華北人系の集団に刷り込まれた危機対応文化と言っていいかもしれない。
これも、歴史時代には一定のパターンがあって、平時に塩の密売などを生業にしていた秘密結社の成員、
原始道教や白蓮教といった宗教団体のカルト的結合、儒学を修めた知識人階級が合流し、
やがて単なる武装難民から軍閥化への道をたどる。
この手の武装難民は、王朝を倒すベクトルで動くこともあれば、逆に王朝を建てるベクトルで動くこともある。
魏晋南北朝期の江南の六朝諸王朝は、実態としてはこの手の武装難民系の軍閥が江南社会を武力侵略して建てた
いわば軍閥連合政権。
実は、南宋も北宋崩壊時の社会混乱で生じた武装難民軍閥の寄り合い所帯の連合政権の色彩が強かった。
つまり、中華で新王朝を拓くのは、北族系騎馬軍事集団か、武装難民系軍閥かに分類される。 中共は明確に武装難民系軍閥として、民国は何なんだ?清の延長? >>98
蒋介石国民政府自体、絵に描いたような武装難民の地方軍閥じゃないか。
広東が根城というところだけ変態チックだがw
まあ、中国国民党は世界史的にみれば明らかにファシスト政党ですけどね。
このファッショ性を、自己投影的に日本になすりつけるという宋美齢の伝統的工作が、
未だに欧米人の、東アジア近現代史の理解を著しく妨げている。 同じよう「に見える」だけじゃなくて実際繰り返しているとしか思えん
中華帝国テンプレ
・長期王朝はどれも200-290年くらい
・統一王朝はどれも末期に大反乱
・長期王朝は後半宦官VS官僚
・統一王朝の郡県地域はずっと同じ
・統一王朝VSモンゴル高原の遊牧国家
・末期大反乱で首都は毎回灰燼
帝国時代2100年のうち、1300年五王朝はこのテンプレで整理できる
他にも長期戦乱時代の後の短期統一→長期王朝のパターンが二度、南北朝時代が二度、北からの征服王朝が三度
一回くらいベトナムが広東くらいまでを支配したりしても良さそうなのにそういう展開もなし
こんなに同じ事を繰り返すのは世界中でも彼らだけ。世界のどこの地域でも達成できない偉業だ
奴らは歴史から学ばないのではなく、ここまで歴史をコントロールできていることは
人類史上の偉業ではある 伝統的武装難民系軍閥における、原始道教とか白蓮教に相当するものは、
中国国民党(蒋介石軍)における民族主義ファシズムであり、
中国共産党(人民解放軍)におけるマルクスレーニン主義(実質的に毛沢東思想で換骨奪胎)
なんだろうね。 >>100
後で整理して書き込む予定だが、中華世界だけではなく、世界の色んな地域で
「地域固有の短期的周期変動」
と、
「不可逆的長期変動」
の両者が合成された波形を描いているんだな。 >>100
むしろ、世界史を俯瞰すると、「毎回毎回、王朝がシナ(100でいう郡県地域)を統一する」というところが驚異なんだよなあ。
もっともこれは見かけだけの話で、
勃興期の王朝はシナを軽く乗り越えるし、統一できない王朝はカウント外なのかもしれないけど。
それでも、郡県を施行する地域はほとんど変わってないよね。
中国語系方言を話す人達の居住域はもう少し広いことが多いのだが、
明においても山海関を越えることがなかったはず。(間違ってたらすまん)
華北と江南と嶺南ではずいぶん社会制度が違うのだが、それに適合して統治制度が変質することもない。 >>100
あまり規則性はないけど定期的に周を名乗る王朝が登場している
新(周を規範)
北周
周(則天武后)
周(五代) >>103
>>郡県を施行する地域はほとんど変わってない
色んな歴史家が指摘している事なんだが、このエリアで都市国家時代の邑の数と、
その後身の県城の数が一貫して千数百、という連続性は驚異的だね。 >>104
陝西(漢中盆地・渭水平野)を拠点に陝東を軍事制覇する、って理念的モデルが受け継がれているんだろう。 そうなの?
則天武后の周は洛陽だし五代の周の都は開封だけど・・・ >>107
武則天の周は、まさに陝西から古代の周の陝東経営拠点となった洛陽に遷都している。
五代の周は、陝西の凋落後の時代だから、「天下を望むぞ」という志の表明なんじゃなかろうか。 >>105
そう考えると、中華(シナ)というのは、「巨大なエジプト」なのかもしれないな。
古代エジプトも、同じ領域、同じ社会体制で、ピラミッドの頃からトレミー朝までずーっと続く。
そういえば、啓蒙時代ぐらいのヨーロッパでは、
中華の王朝名はエジプトと同じように番号を振ってた。「第N王朝」のように。
情報僅少の時代ゆえに、逆に本質をついていたのかもしれない。 前漢VS匈奴
後漢VS匈奴
後漢VS鮮卑
北魏VS柔然
隋VS突厥
唐VS突厥
宋VS契丹
明VSモンゴル
西のモンゴルウクライナも結構同じパターンの繰り返し
スキタイ、サルマート、フン、ブルガル、ハザール、ペチェネグ、キプチャック、モンゴル >>109
アッシリアとかメディアやカルデアのあたりもヨーロッパ人は番号ふってたらしいね
もしかしてイランとかインドでも番号ふってたりして・・・ >>109
さっきの「長期変動」と「固有周期」の合成波の話だが、
実は中華以外の例をエジプト史を例に挙げて話そうと思っていた。
中華が邑>郡県の集合体を核にしているのと同様に、
古代エジプトは古代ギリシア人が「ノモス」と呼んだ共同体「セパト」の複合体。
「セパト」というのは、エジプトのナイル増水とリンクした「ベイスン灌漑」の
システム単位ごとに結集した古代エジプトの基礎共同体。
古代エジプトにはこの「セパト」ごとに諸侯がおり、「セパト」ごとに守護神がいた。
そして、古代エジプト史は「セパト」が統一されて単一王朝に統合される時代と、
「セパト」が自立してバラバラになる時代を交互に繰り返してきた。
それが、
先王朝時代>古王国時代>第一中間期>中王国時代>第二中間期>新王国時代>第三中間期>末期王国時代
というサイクル。
しかし、ピラミッドの作られた古王国時代とパレスチナに軍事覇権を及ぼした新王国時代は社会の性格に
大きな変化を来していて、決して同じ姿が繰り返されたわけではない。
これが「長期変動」。 エジプトには征服王朝あるし征服王もファラオとして君臨したり確かに中華に似たところはあるな
神官団と軍人の対立は宦官と官僚の対立っぽいとこあるし
でも農民反乱はきかないな
農民反乱で滅亡というのは中華だけの特異現象か!? >>113
中華の郡県社会のテンプレートになった華北は農業生産性はそこそこ高いが「十年九旱」、
つまり10年間のうち9年は干ばつで残りの1年の豊作で干ばつの年の不足を食いつなぐ地理条件。
このギリギリのバランスが崩壊するとき、邑の民、県城の民は地域社会こぞって武装難民と化して
まだ食糧の豊かな邑、県城を襲撃してサバイバルを図る。
この習性が文化伝統として華北人の系譜をひく社会には組み込まれているとみていい。 >>114
華北の農業って、「農民ができる最大のリスク分散を、平時にすでにやりきってる」んだよね。
「五穀」という概念がこれを示す。中華における意味は、稲作一神教の大和民族が理解するのとは全然違う。
春になると、夏場の天候を見極めて予測し、(麦以外の夏作物の)何の種を畑に撒くか決める。
これは間違えたか?と思ったら、やり直しが効く時期なら別の種をまく。
秋に撒くのは麦しかないけど(それでもかなり栽培条件が違う小麦と大麦がある)、
春に撒く種は、粟、黍、高粱など複数あるから、気象に応じて決める。
でも、これだけのリスク分散に応じた人口増加をしてしまった状態で、
かつこの作物分散では対応できない異常気象が発生した場合、もう身動きが取れなくなる。 同じようなことを繰り返しつつ、ラセン階段のように、だんだん文明が進歩してきた >>111
バビロン第一王朝や、ウル第三王朝が有名だ 日本では、室町時代から戦国時代にかけての群雄割拠を克服するため、江戸幕府は参勤交代を行った
地方の大名は、子供の頃は江戸屋敷で育ち、大人になったら藩に赴任して殿様になるが、その後も妻子を江戸に置き、定期的に戻ってくる
これを200年も続けた結果、日本中の大名が、東京本社から転勤したサラリーマンみたいになり、驚くほどスムーズに廃藩置県を実現するに至った
宋でも、唐から五代にかけての群雄割拠状態を克服すべく、都で採用した皇帝に忠実な科挙官僚を全国に派遣するシステムにした
明あたりでは、「地方の豪族でも、三代続けて科挙に不合格だと没落する」というほど、この制度は浸透し、皇帝がバカでも崩壊しない長期安定政権を実現した
三國志や五代十国を見て「中国は分裂する」という人は、この辺りを見落としている つまり、明は、同じ「統一王朝」といっても、その「統一」されてる度合いが、唐みたいな中世の遊牧帝国などとは似て非なるシロモノ
遥かに実質が伴った「国家」であり、一緒にするべきではない >>120
逆にいえば、引きこもりのバカ皇帝が何十年も続いても、すぐには崩壊しないほどの国家体制ができていた 唐だったら、そうはいかない
唐の皇帝とか、室町時代の足利将軍、神聖ローマ帝国の皇帝のような、常に地方勢力との闘争に追われて忙しい中世社会の君主は、無能・無気力では務まらない
勇猛果敢な武人とか、権謀術数の外交巧者でないと国家が崩壊する >>116
進歩は外からの影響だけどな
インド
モンゴル
イギリス >>123
西欧の近代の「進歩発展」も、
アジアの物産や精神文化のインパクトを受けた事が大きく影響しているけどね。 大体、革命とか革新とかは
外国からの影響で起こるのはどの国でも同じだろ
しかし中国は温故知新の儒教が国教に成った前漢から
自国で進歩すら難しくなった 確かに
なんか、400年前くらいから進歩が止まってる感じ
明から清に変わっても、人口が爆発的に増えたこと以外、文明の進歩としては、特に何も思い浮かばないな しかし、あれだけ人口が増えたのだから、たとえ1人当たりの国民所得が少し下がったとしても、経済規模は高度成長したはずだ >>126
そう、狭義のシナ社会の「進歩」は清で止まるんだよね。明じゃなくて清。
明は政府はgdgdだけど、社会や文化は、崇禎年間の最後まで確実に良い意味で変わっていってる。
ところが清は、名君のはずの康煕年間ですでに止まっちゃう。あとは腐る一方。
こういうと、考証学ガーという定番の反論があるけど、あれ、文献をほじってるだけで大したことないんだよね。 人口増加は死亡率の低下が想定されるのだから、そこに進歩はあるのではないか >>128
康煕・雍正・乾隆の三名君の統治は、漢人社会に清朝統治による保育器のような安逸を与えた。
漢人社会はまさに丁重に飼育される家畜のような安楽の中で惰眠をむさぼり、精神の果敢な挑戦をなし得なくなってしまった。 >>129
全国規模で森林の伐採が進み、農地が飛躍的に増えた >>126
同意。普はたしかに経済や文化は貼ってした成熟期とも言えるが、それは過去の遺産の再生産という気がする。
文明論としてはこの400年間は衰退期である。現在もそう。中国は図体がでかく米国を上回る経済力軍事力を持つかもしれんが、
21世紀の文明をリードする地位には至らない。
清朝がそう言う意味で将来の中共のプロトタイプ。 陶磁器がいい例だ
唐の三彩を見てから、明の五彩を見ると、洗練された造形と、華麗な色彩にカルチャーショックを受ける
「人類は、数百年でこれほど進歩したのか」という感慨がわいてくる
でも、明から清へは、作風の違いは多少あるものの、これといった進歩は感じられない 明から清への進歩、というのは統治技術の進歩に偏重しているきらいはあると思うね。
この統治技術、というのは、単に中華を統治するのにとどまらない、
満洲、モンゴル、チベット、イスラーム・オアシス都市群、中華を
同君連合的に有機的に結合して統治するシステムという事。
皇帝も、文化リーダーとしては儒学的な理性面に偏重していて、
乾隆帝以外贅沢をすることによる文化芸術リーダーという側面が希薄だった。 >>131
死亡率低下→人口増加→農地拡大→森林伐採→木材減少→木造家屋減少→レンガ家屋増加
の順でしょ >>135
清代の人口爆発は、農地の拡大と、トウモロコシやジャガイモのドゥニームによる食糧事情の改善が主因と言われている
この時代に医学が急に進歩したわけではないし、「死亡率の低下」という話は聞かないねえ >>134
統治技術もさることながら、西洋人に製造した小銃や大砲の威力により、騎馬軍団が無力化したことが大きい
要は、アジア・アフリカで西洋列強がやってたことと一瞬 >>138
世界的に見ても、本当の意味で騎馬軍団が無効化するのは、
元込め式ライフル銃と機関銃の普及による。
まだ、19世紀半ばまでは騎兵の軍事的意義は大きいものがあり、
つまり騎兵と火器(小銃・大砲)が補完しあう軍事様式が
ポストモンゴル時代から近代のかなり最近まで続いた、というのが実情。
清朝も銃火器を大いに導入したが、それでも太平天国の乱の頃まで、
モンゴル人による騎馬軍団への依存は高かった。 >>136
『海と帝国』で上田信がアメリカ大陸原産作物の導入は、人口増加の原因ではなく、結果である
この時期死亡率の季節変動がなくなり、年間で平準化した、と書いてるよ 小銃歩兵、砲兵、軽騎兵の連携ってのは、実際ヨーロッパでは三十年戦争のときに
スウェーデン軍が確立して戦況に大きなインパクトを与えたんだが、
同じ現象はオスマン朝におけるイエニチェリとスィパーヒーの連携運用に見ることができるし、
イランや中央アジアでもテュルク系遊牧民の王朝が続きながら、
同時にそれまで文官としてだけ政権に参画していたイラン系住民(タージーク)が、
歩兵・砲兵をつかさどる軍人として軍事にも参画してくる、という事が起きている。 >>140
死亡率の季節変動を解消しているなら、むしろ
「人口増加と新大陸作物導入は互いに相互作用して進展した」
と表現した方がよくはあるまいか。 >>142
18世紀全体を見れば相互作用という表現でもいいのかも知れないが、実証的にはサツマイモの普及は、
1740年代からのことで、人口増大に対して行政が対策のために普及運動をやったことが
確認できるのに対して、それ以前に開始していた死亡率平準化の方は、まだ
実証レベルでは原因がわからない、と書いている
トウモロコシの方は康熙年間から普及していたようなので、これが栄養状態を改善し、
死亡率を低下させた可能性もあるとは思うがまだ仮説の域を出ないということなのだろう
上田先生は、康熙帝の税制改革を人口増大の大きな要因だと考えているようだね >>143
動物性食品を同時に十分とるか、石灰水などでアルカリ処理して調理するかしないと、
トウモロコシ偏重の食生活はナイアシン欠乏症のペラグラを引き起こす。
中国でのトウモロコシ普及時にはそこら辺の対策は何かできていたんだろうか。
ナイアシンは豆類にも多く含まれるらしいから大豆で補完できていたのかな。
サツマイモは、あまり知られていない話だが、実はマメ科植物と同様の窒素固定能力があるんだよね。
さすがに根粒はないが、葉や茎の組織の中に窒素固定細菌が共生している。 >>139
まあ、そりゃそうだわな
20世紀の日露戦争でさえ、日本人とロシア人では軍馬の調教技術に大差があり、これが陸での苦戦の原因とも言われているから それを反省した日本政府が、競馬を振興した結果、現在の競馬業界の隆盛につながった
冗談みたいな本当の話 >>146
騎兵衰退のターニングポイントの戦争、というのは3段階あって、
アメリカ南北戦争:元込めライフル銃の普及によって騎兵と連動していた戦列歩兵戦術に終焉
日露戦争:機関銃の実用化が進んで騎兵そのものに危機
第一次世界大戦:機関銃の前線普及で騎兵戦術の本格的衰退
って事だと思うんだ。 >>144
そういう理系的な知識を活用した明清期トウモロコシ普及の論文とかないのかな・・・
上田本によると、トウモロコシは、1573年に浙江省で東南アジアから、
1579年に西域から甘粛、陝西に、康熙年間に湖広、江西、四川に、
雍正年間に安徽省となっていて、かなり時間をかけて普及していったとのこと
トウモロコシは山の傾斜地や荒地栽培が可能で、従来作物の農業体系を変化させずに
+アルファ的に栽培できたから、大豆で栄養をカバーするなど、試行錯誤を重ねる余地があった
のかも知れない。こういうところを実証的科学的に論じた本とかを読んでみたい >>136
人口爆発は人頭税が廃止された途端起きた
つまり戸籍の無かった人々がちゃんと住民登録するように成っただけ >>150
そういう面もあっただろうが、それだけでは説明がつかない
食糧の問題があるから そもそも、人頭税が廃止されたのは、人口が増えて戸籍に載ってない人間が激増したのが原因
他の諸要因と同じく、原因であると同時に、結果でもある >>134
北アジア史としては、ダイチンは大元ウルスの壁を破り、新たな境地に達した史上最も偉大な政権だよね。
版図が西に伸び悩んだ嫌いはあるけれど、南の豊かな農耕世界を支配してがっちり押さえる政体の組み方としては、
スキタイ、匈奴から始まる北アジア帝国の最終発展形態と言っても良い。
国体の洗練度では、契丹や大元を越えたのは当然、ブルガールを越え、ティムールを越え、鬼っ子だが同時代のロシアも越えた。
どころが、中国史(シナ史)という観点からみると、なにやってんの?という話になってしまう。
ダイチンの中央政府は、滅ぼした明の体制をめんどくさいのでローカル化して保存しただけなのに、
中国人は、今や「ローカルなノンキャリの登用試験」になった科挙の受験と成績に熱中するだけで、
ダイチンの閣僚レベルの国政に関わらなくても満足してる。 >>153
ダイチン・ハーンにとって、中華なんぞ所詮は穀倉地帯としての属国。
科挙官僚なんかも政権の真のインナーサークルには入れてもらえない使用人集団。
ところが、元込めライフルと機関銃の登場によって政権インナーサークルのメンバーで
軍事力の主力を構成していたダイチン・グルンとモンゴル・ウルスが地盤沈下しちまった。
替わって補助的な小銃歩兵と砲兵を提供していた漢人の軍事力が国家の主たる暴力装置として
大浮上。 >>150
人頭税の縛りが無くなったので
ドンドン子供を産んだというのもあるな >>152
>>155
康熙帝は、「一見無意味化して弊害しか生んでいないように見える規制に、
裏で重大な意義があることがある」ということに気づかなかったのさ。
聡明だったのだろうが賢慮に欠けた。
シナの人頭税は、アジア式集約農業による人口圧力にさらされるシナ社会において
事実上の出産制限を課して、マルサスの罠に嵌らないようにする役割を果たしてた。
「どうせ空文化してるんだからと就職協定を廃止したら、
就活開始がとんでもなく早まって、大学学部の課程がディスられてしまった」という話に似てる。 >>156
そういう面はあるな
しかし、人口統計は国家運営の基本
中国やインドは今でも自国の人口を正確に把握できていないが、それは近代国家としては欠陥 戸籍に載っていないアングラ人口が増えすぎて国家の危機だった
人頭税の廃止こそ、アングラ人口に名乗り出させる決め手となる妙策
清の朝廷にとって、致命的なことではない >>154
いやいや八旗とかホントろくに機能していた時期ないぞ
後金時代からして主力は緑営の前身の天佑軍で八旗は基本は後詰だし 人頭税は集金とか手続きとか色々めんどくさいから
手っ取り早くアヘンを政府の専売にして、巨額の間接税を掛けたんだよ >>159
部族の自立性を削ぐための政治組織という意味合いが大きかったんだろうな >>160
そうだ
戸籍を整備したほうが税金は取りやすい
人頭税なんか、たいしたことないから 明の前期までは、農民は米や麦で納税していた
唐に始まる両税法が、この時代まで続いていた
それが、明の後期からは、銀で納税する方式に変わる
農民が作物を売り、換金して納税するのだから、15世紀にしては驚くほど先進的な貨幣経済だったと言える >>165
実は、既に漢代に農民の貨幣納税は始まっている(もしかすると戦国・秦代にも?)。
漢代には農民の収穫物納税と並行して人頭税が銅銭納入で、
農民はこの人頭税を支払うために収穫物の一部を売却換金する必要があった。
中国の専売制というのも、遅くとも漢代には始まっているわけだが、
生活必需品の塩や鉄製品を銅銭にて専売品をあがなわなければならないわけで、
これも実質的な農民からの貨幣徴税の一部とみなす必要がある。
この専売制は王朝時代の中国で一貫して税制の枢要を占めており、
農民を含めてすべての人々が生活必需品の専売品の購入のために貨幣収入を確保する必要があった。
また、唐〜宋代の税制の中心だった両税法は、農業収穫物などの生産物ベースに徴税されたが、
現物納入ではなく、これも銅銭納入だった。
つまり、ここでも農民は収穫物の一部を換金しなければ納税は不可能だった。
なお、宋代にはこの銅銭納税を充実させるために銅銭の大量発行を行ったが、
この時に銅山で産する粗銅から不純物として分離された銀が使い道の行き先がないまま
宋朝宮廷の宝物庫に莫大に死蔵されていた。
大元ウルスによる銀ベースの税制の原資は、この南宋朝廷から接収された死蔵銀であった。 歴史シミュレーションゲームも一時代をとらえただけだから大分勉強しないと。 室町時代の日本は銅銭を必要としており、明代の中国は銀貨を必要としていた
それも、大量に必要としていたから、日明貿易はお互いの利益だった 宋は銅銭、明は銀貨の時代
日本では室町時代に銅銭が普及したから、ある意味ちょうど良かった
日本が明から輸入した銅銭には、宋代のものがかなりあった >>166
唐で両税法が導入された当初は貨幣納が原則とされていたが、だんだん建前は崩れて物納との併用になっていき、宋では貨幣納が廃れた。
明の前期においては、農民は作物で納税していた。 中国人は古来から、政府をあまり信用していない
本当に貨幣経済が発達したのは、メキシコや日本から大量の銀貨が流入した明代のこと
「政府が発行した通貨」という信用よりも、銀そのものの持つ貴金属としての価値が信用されていた
紙幣はそこまで信用されてなかったし、銅銭は貴金属としての価値が低すぎた 経済史の研究者からは面白い指摘がされていてね。
モンゴル時代より前、中国を中心とする東ユーラシアでは
銅銭建ての小口決済システムが発達していたが、
銅銭は大口決済には非常に不便だった。
同様に、モンゴル時代より前、イスラーム圏やヨーロッパのような西ユーラシアでは
銀貨を中心に金貨も併用する大口決済システムが発達していたが、
小口決済は発達しておらず、事実上現物の交換経済で少額取引が成立していた。
ところが、モンゴル時代にユーラシアの東西で大口決済や納税が銀建てで統一。
また、西ユーラシアにも小口決済、少額取引をも貨幣で行うという考えが導入。
これでユーラシアの東西を貫流する大経済循環が生じた。
ところが、急速に膨張した経済はバブルのように不安定化した。
理由は次の二つ。
・経済が過剰流動化して狂乱物価を招いた
・経済規模が全ユーラシアの銀保有量を追い抜いて銀本位制の基盤を掘り崩した
これで経済がクラッシュしたのが「パクス・モンゴリカ」の解体につながった。
ポストモンゴル時代の中規模帝国の並列状況は、
経済の過剰流動化のブレーキとして機能し、
やがてモンゴル帝国崩壊時の混乱が収まってくる頃に
日本からの銀と、スペインによる新大陸の銀が
ユーラシア全体の銀保有量を底上げして
一時期現物商品ベースの交換経済に後退したユーラシア経済を
銀本位制のシステムに引き戻していく。 >>172
中国には手形どころか紙幣まであったから大口決済は余裕だったと思うけど(貿易は別) >>173
それが、モンゴル帝国の大元ウルスが銅銭による大口決済、銅銭納税を
政策的にストップかけるまでは、
民間でも銅銭決済への執着がかなり強かったらしい。
だから、日元貿易以降中国で浮いた銅銭が日宋貿易の頃とはけた違いの量
日本に流入してくるという事らしいんだな。
ちなみに、日宋貿易、日元貿易、日明貿易を通じて日本側から輸出された最大の対価は
つい最近まで砂金とされていたんだが、貿易の規模と当時の日本の産金量は釣り合いがとれていなかった。
21世紀になって研究が進展し、実は最大の対価だったのは硫黄で、中国やモンゴル側では
この硫黄で火薬兵器を量産していたことが判明している。
つまり、日本は「仮想敵国」に軍需物資を膨大な量輸出していたことになる。 >>174
「室町時代の日本の最大の輸出品は銅だった」と、どこを見ても書いてあるんだけどな? 日本は銅も輸出してだろ? 元は銅不足で紙幣が発達したのではなかったけか? >>175
21世紀になるまで、研究者の間で硫黄輸出が過小評価されていたらしい。
少なくとも、日宋貿易の段階で最大の輸出商品は硫黄だし、
宋の側の文献からも日本との貿易で真に利得があるのは硫黄と木材だけだとされている。
過小評価されていた理由は、輸出先の中国での硫黄の用途が
日本史の研究者にほとんど知られていなかったこともある。
なお、明代になると日本の硫黄輸出の大きなライバルとして琉球王国が台頭してくる。
琉球王国は中継貿易で繁栄したが、その商品購入の原資として重要だったのが、
明への硫黄と軍馬の提供による朝貢貿易。
明は日本側に琉球から輸入している硫黄の対価を提示して日本産硫黄の価格を値切った。
日本から銅の輸出が伸びてくるのは、
硫黄の対価を値切られたことによるうまみの目減りもあるのかもしれない。 >>176
元の発行した紙幣は、基本的に銀貨との兌換紙幣。
銅ではなく、経済規模に対して常に銀が不足気味だったので紙幣を発行した。 >>178
額面は銭貨単位なのに銀と兌換というのも不思議な話だ。
額面は形式的なもので実際には銀単位だったのか、
それとも額面通りの銭に等価な銀と時価で交換していたのだろうか? >>179
モンゴル時代の専門家の著書にはだいたい大元ウルス時代の紙幣に
二通りの兌換ルートがあった事、銅銭の排除が行われたことを指摘している。
ひとつは銀との兌換で、もうひとつは専売塩との兌換。
銭建ての価値を記した紙幣があったとすると、少量の塩との兌換を前提としたものなのかも? >>179
要するに「銀本位制」ということだわな
銀という貴金属の価値が、紙幣の信用の裏付けになっている >>181
普通だったら銭建ての兌換紙幣の本位通貨は銭。
銭は貴金属と同じようにそれ自体に価値があるものとして扱われていた。 >>179
銭単位の小額紙幣を交換しないのは、現代の外貨両替でも一般の金属貨幣の両替はしないのと
似たような事情かと
兌換する役所が小額紙幣の銅銭への両替をいちいちやっていたら手間(コスト)がかかりすぎる
小額紙幣と銅銭の両替は民間の両替商がやってたんでは? 銅銭は、高額になると重くて、かさばる
貨幣経済が大きく発達した元代ともなると、もはや不便だった 現代の日本でも、個人住民税の均等割は、一種の人頭税といえる
人頭税といっても、都道府県に千円、市町村に三千円払うだけだが 明清は基本は税負担が軽いんでしょ?
人頭税というより、労役が一番負担が大きい気がする。 人頭税なんか、たいしたことはない
やはり、国庫の大きな財源は、専売と、地主の土地にかける税金
人口や土地の正確な統計を取ることが、国にとっては重要 華北は銅資源が少ない上に、江南の物産の輸入が多いから銅銭不足のデフレ経済
金も元も紙幣を乱発したが、王朝が衰退すると紙切れになるのが紙幣の限界
桁違いの信用力を持つ銀貨のおかげで、明の貨幣経済は飛躍した 高校の世界史でも、明の経済発展をもっと取り上げたほうが良い
「各国は遣唐使を送って、唐の進んだ文明を学びました」といって、唐の先進性をやたらと強調
その一方で、明や清に関しては、「アジア的な文明の停滞で、西欧や日本に追い抜かれました」というイメージが強い
おかげで、唐も明も同じような文明レベルだったかのような錯覚が起きる。
中国が、どの時代も同じように思えるのは、そのせい 中華世界の高額決済・納税システムを銀本位制に最初にしたのが
元朝だという事は、モンゴル史の専門書では盛んに指摘されているのに、
中国史の専門書ではほとんど無視されて、銀本位制導入を明朝の功績にしている。
紙幣の導入にしても、モンゴル史の専門書では銀本位制とリンクした兌換紙幣だということが強調されているが、
中国史の専門書では紙幣なんて馬鹿な制度を導入した愚かな元朝、というニュアンス。
まぁ、モンゴル史に限らず、「ユーラシア史」の視点で研究をしている歴史家と、
「中国史」の視点で研究をしている歴史家との間には、深刻なギャップが見て取れるね。
日本史でも、日本史の内部で研究をしている研究者と東洋史の枠組みで研究している
研究者の間で見解の相違がかなりあるんだけどね。 明
興漢政策(漢人の政治、伝統、風習に戻す)
鄭和の大航海
西欧だと
ルネッサンス、大航海時代
西欧がドンドン発展していったのに
中国は領域内に留まった
やはり一党独裁の専制国家、官僚主義ダメだな
更に儒教が癌だね >>192
北宋、南宋、金、元では、知識人たるもの「儒教」「禅宗」「道教」の三つの教えの教理に通じているべきである、
という通念があったらしいんだが、明朝以降だとそれが儒教、特に朱子学に一極化するんだよね。
何事もバランスが必要、という事。 儒教国家に変身した明
西欧でいえば、宗教改革でプロテスタント国家になった変化に匹敵する 頭が古いせいか、中国の衰退は明代から、という固定概念から抜け出せない。
別に西欧が進んでていてアジアが遅れているとも思わんけどね。
18世紀半ばまでは西欧も中国も日本も発展段階は似たようなもんだと思っている。
10〜13世紀は中国や中近東が先進過ぎただけ。 >>195
中華史家とモンゴル史のような内陸ユーラシア史家の書いていることを総合的に組み合わせて考察してみると、
モンゴル帝国の元朝統治下の後半で、官主導の「自由主義経済」がバブル的に暴走したのと小氷期の到来で、
ある種のカタストロフが来ちゃった。
明朝の前半っていうのは、そのカタストロフへの対応で貨幣経済を退化させた一種の「危機対応体制」だった。
ところが、明朝の後半になってカタストロフの傷が癒えてきたのと日本と南米大陸の銀が大量に入ってき事によって、
民間主導で元朝時代タイプの貨幣経済が復興、官もその状態を追認。
清朝になってからは、元朝タイプの貨幣経済を、ある程度手綱をつけた形で官も全面的に公認。
というイメージ。
結局、明朝前半の「危機対応体制」時の衰退感と、明朝後半の「民間経済復興追認」時代の統治システムの退化感が
「明朝時の衰退感」の実態だと思う。 >>196
明朝の初期が毛沢東時代に似ていて、後期が改革解放後の経済成長に似ているとは、よく言われるところ
習近平の独裁体制が強化されてるとこまでクリソツ >>197
ただ、習近平の「一帯一路」は大明の鄭和の大航海よりは大元ウルスのクビライの海洋進出政策に似ているね。
軍事的な国威発揚だけじゃなくて、経済の経済的な実をもとっていく構想である点は、まさに後者。 そうだなあ。
明の永楽帝が目指したものは、おもに国威発揚。
それに比べてモンゴル帝国のは、開放的な国家だから、自然に海洋貿易が発展した。
ただし、それは海洋帝国・南宋から受け継いだ特徴であることも忘れてはいけない。
どういうわけか、左翼や朝鮮人は「鄭和の大航海」の話が大好きだ。
これと「一帯一路」を結びつけて、「中国の勃興」を語ることを好んでいる。 >>199
北宋・南宋・大元ウルス・大明・大清の貿易政策で重要なポイントになっていたのが硫黄の確保。
というのも、北宋以降火薬兵器の重要度が増してきて、
その原料で中国本土、チャイナプロパーで入手しがたい硫黄の入手が国防上の喫緊の課題になったから。
例えば北宋は国営工場でロケット砲弾を生産して契丹遼帝国との国境に大量に配備していた。
この火薬原料の硫黄の最大の供給地になっていたのが日本で、
北宋は契丹との軍事緊張が高まると日本に王朝の御用商人の大船団を派遣して硫黄をあがなっていたことが判明している。
日本は日宋貿易・日元貿易で大量の銅銭を輸入し、それによって貨幣経済社会に突入していくが、その最大の対価は
火薬原料の硫黄であった。
日本の貿易史の研究で硫黄輸出の重要性とその中国での使用目的が明らかになってきたのは、実に21世紀になってからと極めて遅い。
こうした日本史研究の進展に刺激を受けて、モンゴル史の杉山正明も著書の改版でクビライ政府による元寇の原因として
南宋への硫黄ルートの遮断と軍用硫黄の自国での確保を挙げるようになってきたようだ。
ちなみに、日本に並んで重要な硫黄の産地だったのが、ジャワ島と紅海沿岸。
クビライ帝は日本への軍事侵攻とともにジャワ島への軍事侵攻も企画実行しており、また同時に西アジアへとの通商を推進している。
これは実は一連の軍用硫黄確保の政策だった可能性があるんじゃなかろうか。 >>195
西欧は中世末期にはもう世界の頂点に立っていたと思うけどな。
政治体制が豊かさや知的水準とは不釣り合いに遅れていただけ。 >>201
チムール朝の第4代君主でありかつ天文学者でもあったウルグ・ベクは15世紀の人だが、
彼自身が観測した天体データがまだ17世紀ぐらいには最先端のデータとしてヨーロッパで重宝されてた。
ただ、ヨーロッパの学術で著しく進歩したのはルネサンスの写実絵画の技術が学術にも応用された分野で際立っているので、
機械工学とか医解剖学、その応用の外科学なんかは中世末に西洋が世界の先端に躍り出たといってもいいかもしれない。 宋銭が日本に入ってきたきっかけとして有力なのが「パラスト」説。
平氏がこれに目をつけて通貨として流通させた。 >>201
そうかなぁ。俺も中世末から近世のルネサンスは高く評価するが、
その核心部分はむしろ政治制度の理解(政治思想、人文主義)の大転換であって、
科学技術関連などは、まだユーラシア東方の後塵を拝してると思うけどねえ。
本当にヨーロッパの科学技術が確変するのはアイザック・ニュートン以降。
ニュートンが、自然に関する物の見方を変えてしまう。
これで何もかもが変わる。
同時期でも大陸のライプニッツはまだ、古代宇宙論臭から抜けきっていない。 >>203
というより、大きな商船で荷を運ぶとき、バラストになる重量級の商品って絶対に必要なんよ。
近代船ではバラストタンクにポンプで水を汲み入ればいいけど、昔はそういうわけにはいかない。
そして、そういう重量級の商品に、どれだけ利益を上げられる商品を選択できるかが商売の大きなポイントになった。
結局、日本から中国へ荷を運ぶときには硫黄と木材が、中国から日本へ荷を運ぶときには銅銭と磁器が好んで選択され、
それに付随して軽量高額商品が組み合わされた。 まず、人文主義の発生で、記された文章の読み方が変わる。「批判」と「議論」ができるようになる。
これを現実に実行するため、イタリア都市国家の「共和的な政治」が始まる。
次にイタリアで複式簿記が普及して、経済が数字で表されるようになる。
そして、最後にイギリスにニュートンが出てきて、世界が胡散臭い宇宙論を完全に脱した、客観的な数学で表されるようになる。
これで、近代ヨーロッパの覇権の装置が出揃う。 >>204
やはり、微積分学の登場というのは精神文明史においても大きなものがあったね。
あれは、「次の瞬間」の状態を定義することで、遠い未来の状態まで予測することができる、
という理論体系だからね。
「科学の未来予測性」というのは実質微積分学とともに始まったと言っていい。 >>202
話はズレるけど、レオナルド・ダ・ビンチは「万能の天才」と言われるけど、基本は画家だと思う。
絵がうまいから解剖図が描けたのであり、機械の設計図が描けた。
画家としての名声のおかげで、政治や外交でもスターになれた。
とにかく、西欧の凄みは、あの写実的な絵画にある。
世界の他の地域には、比べるものがない。 なんか知らんけど つい最近同じような議論を視たなあw
「なぜ中国のスレは同じレスの繰り返しに見えるのか」 >>208
西洋の近代科学の成功ってのは、古臭い古代的宇宙論と神学を背景にした「大学の学問」に、
大学の外側の「工房の親方衆の実学」が合流していったところにあると思うんだよね。
レオナルド・ダ・ヴィンチらは詰まる所「工房の親方衆」であり、その本業は「総合コンサルタント業」。
絵画の作成から都市計画、イベントの企画まで手掛けた。
そして、彼らがより完成度の高い写実絵画や彫刻のために「美術解剖学」という実学分野を編み出した。
これが大学の学問(医学)にフィードバックして「医解剖学」を生み出し、外科学の爆発的な進歩を引き起こした。 >>201
西欧では、魔女狩りを大マジメにやってたけどな。
朱子学が普及して以後の中国は、そこまで迷信深くない。 明の太祖が手本としたのは漢であり
ルネッサンスはギリシア・ローマ帝国を模範とした
この差は大きい >>204
ニュートンの登場こそが不連続な飛躍だったのは同意。
微積分というより運動方程式が本質的だった。
ライプニッツは数学的には優れていたけど数学の中で閉じていた。 >>209
ん?多分俺のことだと思うが、
俺は他のところで吉益東洞の話はした(名前は挙げてないw)けど、アイザック・ニュートンの話はしてないよ。
複式簿記の話もしていない。
「脱・古拙宇宙論」は、近代文明成立の重要な試金石だから、世界史では何度でも出てくるだろうけどさ。 >>211
単に社会が精神的危機に見舞われずに済んだだけでしょ。
中国だって義和団事件をやらかしている。 >>214
>>吉益東洞の話
漢方医学からの「古拙宇宙論」追放の話だね。
複式簿記はイタリア年に登場する前、どうも東洋(イスラーム圏とかモンゴル帝国)にあったっぽいんだけど、
「アジアにおける複式簿記」の論考がなかなか見つからないんだなぁ。 >>210
工学がそれ自体立派な学問として認められるようになって、
それでもなお産業界を大学が後追いする現象がしょっちゅう起きているんだよな。
大学の正統的な学問が実地の技術をガチで牽引したのは19世紀くらいかも。 >>215
下層の一般民衆が迷信深いのは、どうにもならない >>217
17世紀のデカルトは、理論物理学を重視し、実験や技術を軽視していた
そこからの純粋な理論の発展というのは、やはり大きかった >>219
デカルトの思弁的な「動物機械論」を読んだサロンの貴婦人方の間で
ペットの犬猫を捨てる現象が続出したのだとか。
というのも、
「本当は機械のようなものなのにあたかも心があるように見えるのが気持ち悪い」
という風に受け取られたからなんだとか。 そういう思弁的で、頭の中で組み立てた理論を重視するデカルトに対し、「イギリス経験論」というだけあって実験を重視するのが英米の伝統だった
やはり、イギリスとフランスという、対照的な国民性を持つ国に分かれていたのが西欧の強さ
各国の国民性を発揮できないのが、中国という帝国支配体制の限界 >>208
>>210
そうそう。指摘の通り、写実絵画と初歩的な機械工学の勃興、時計の精密化、あと音楽の話もしないといけない。
俺がこの話を避けたのは、これらは「不連続点の指示」が難しいよな?と悩んだから。
精巧なオートマタ(からくり)みたいなものは、かなり古い時代の中国にもあったし、
ずっと遅れるけど、西欧政治思想に全く無縁の江戸時代の日本でも、名古屋を中心に栄えていたりする。 >>221
「イギリス経験論」の帰納的な方法論が端的に表れているのが医学分野では「疫学」。
疫学では疾患の流行があった時に、「因果関係」が判明しなくても「相関関係」が浮き彫りになれば、
それで疾患予防の実用になると考える。
この「疫学」の方法論で軍隊における脚気を麦食によって追放したのが日本海軍。
ところが、演繹的な方法論による予測性を重視するドイツ科学では「因果関係」が明らかになってはじめて
実用に資することができると考える。
ドイツ留学中に「東洋人に科学は不可能である」と侮られた森林太郎は、日本帰国後、奉職した日本陸軍において、
ドイツ科学流の方法論による「科学」の実行に血道をあげることとなった。これが海軍の疫学調査に基づく
麦飯療法への反発につながり、「因果関係」による脚気対策に執着することとなった。
この「相関関係主義」と「因果関係主義」の派閥抗争が、日露戦争における脚気での大量戦病死をもたらすことになる。 >>222
>>あと音楽の話もしないといけない
そうそう、音楽って西洋科学の発展と深くかかわっているんだよね。
これは絵画のようにルネサンスから、じゃなくて古代以来の伝統を踏まえている。
キリスト教において、音楽は天上の神の国の秩序と深い相関関係にあると考えられており、
楽典理論を極めることは、神の国の神秘に近づくことに直結しているとされた。
だから、キリスト教圏では楽典の数学的な緻密な理論研究が盛んにおこなわれ、
数学や物理学の発展の基礎をなすことになった。
それに対してイスラーム圏ではムハンマドの啓示において
「音楽をたしなむことは不信心なことではないが、耽溺することは推奨しない」
という立場が表明されたため、より信心深いことを誇示しようとする信者たちにより
音楽そのものを生活圏から追放するまでにエスカレートすることになった。
中国では周代〜春秋戦国期に宮廷儀礼や祖先祭祀に用いる音楽の理論研究が
発達したが、この「青銅器時代的古楽」が魏晋南北朝期の混乱で断絶してしまった。 >>221
なんで西欧各国と支那一国を比べるんや
英仏と比較するなら日本支那の関係やろ イギリスの蛮行の酷さとしか言いようがないw
スコットランドのグラスゴーのいかに酷い蛮行だったかたよ。
当時のイギリスはみな滅んでいる。
まず第1波。
その後に住みだしたアイルランドからの移民は元の土地の呪いを受け継ぎ、第2波。
アイルランド人も滅びて、暫く皆恐れて住むことをしていない間が第3波だ。
もうそれで十分だろw 朝鮮族は元々白人、イギリスと同等の民族だった。
第1波でイギリスは文句を言う奴らを追い払った。
第2波の移民のアイルランド人は文句に対して殺そうとした。
第3波は原因がはっきりしないが、一番強烈に働くようになった。
皆東に逃げたんだよ。
これで三顧の礼になって無限、永遠の呪いになったわけだw 日本と中国は最初兄弟のようだった。
民族が同じだから当然だが、中国人はというか世界の人々みんなは呪いなんか勝てなかったんだよ。
中国は人が変わったようになって化け物に成り下がってしまった。
中国人を奪ったイギリス人とみるのが正解だよ。 >>224
唐代に、西域から新しい音楽が入ってきた
中国の伝統音楽は、事実上、そこからのスタート >>230
西洋科学によるパラダイム転換後の視点で見ると迷信なんだが、
まだまだ神秘主義的な色彩の濃かった旧儒教を理性優先の理論体系に
転換したのが、新儒教の朱子学なんだよな。
ただ、その理性的論理の出発点を古代的な宇宙論、>>214>>222さんのいう所の
「古拙宇宙論」に置いていたから、近代科学の導入の阻害要因になってしまった。
興味深いことに、その手の宇宙論の緻密な理論体系に冷淡な日本では、
むしろ朱子学者が蘭学導入の先駆者になったりしている。
むろん、鳥居耀蔵みたいに蘭学を憎悪した朱子学の徒もいたわけだが。 >>222
>>「不連続点の指示」が難しいよな?
これ、数学的、微積分学的に表現すれば「変曲点の指示」なんだよな。
別スレで先日議論になった内藤湖南の史学の評価とも深くかかわってくる。
つまり、内藤湖南の主張した「唐宋変革論」「日本史は応仁の乱後だけ学べばいい論」の評価。
内藤湖南はこれによって中国史と日本史の「不連続点の指示」を行ったわけだが、
数学的に言うと、「関数の不連続」ではなくて、その時点以前から連続している関数の変曲点の指示。
「唐宋変革論」でいえば、後漢末の動乱から始まった
「モンゴリア+マンチュリアの騎馬軍事力」
「華北という政治プラットフォーム」
「江南という生産力」
を有機的に結び付けていこうとする運動が一つの関数として表現可能で、それが清朝の統治の完成まで連続している。
しかし、この関数は「唐宋変革」という変曲点で前後に区切ることができる。
「応仁の乱以後だけ学べばいい論」でいえば、10世紀の古代的首長制共同体社会の崩壊から始まった
「在地社会と中央の統治システムの頻繁な内戦を伴う再構成」が一つの関数として表現可能で、それが江戸の太平の完成まで連続している。
しかし、この関数は「応仁の乱」という変曲点で前後に区切ることができる。
そういう意味で、西ヨーロッパの「科学革命」というものをひとつの連続関数として表現すると、
それは中世における楽典理論研究の開始、ルネサンスの写実絵画・写実彫刻の創始から始まってはいるんだろう。
そして、この連続関数を前後に区切る「変曲点」をどう設定できるのかが問題なんだが、難しいなぁ。 >>233
17世紀の科学革命、18世紀の産業革命だねえ 西欧とシナの差は
現在でも欧米と中国との差ぐらい有り、埋まらない >>84
ちゃんと罰則あったんか
なんか江戸時代の上級武士階級は一般人になにしてもお咎めなしなイメージがある 行為自体へのお咎めはないよ
幕府に改易されるにせよ家老に押し込めくらうにせよ「藩主として不適格」ということであって行為自体への処罰じゃないからね 中国の歴史勉強してると、「異民族の侵入を受け〜」とかさらっと書いてあるが、南京大虐殺とかも異民族の侵入とは呼ばんの?
なんでモンゴルにボコボコにされたことは恨まないのに日本だけ恨むのかわからん。 >>240
それこそまさに中華民族か否かで決まる
現代の中国人にとって、辛亥革命より前から中華の地で天下取り合戦に参加してた漢滿回蒙藏苗瑤は全部同じ中華民族だからセーフ理論
モンゴルが侵入してきた当時の民族意識とは必ずしも同じではない
で、中華民族が完成した後に侵入してきた英仏やら日本やらはそれとは別枠だから恨まれてるわけ
日本の行為は天下取り合戦の意味での異民族侵入とは違ってファシスト帝国主義っていう名前になってるな
かなり恣意的な範囲設定なんだけど、ほとんどの中国人がそう考えて行動してる以上はそういうもんだと納得するしかない >>241
モンゴルも中華民族に入ってんの?
朝昇龍とかも?
うせやろ >>242
「中華民族」を構成する不可分の「漢族と55の少数民族」のとして「蒙古族」が政府公式でカウントされている。 >>243
けど朝青龍を誇りに思ってる中国人とか想像つかんけどな >>242
中共はモンゴル国(外蒙古)の人間は中華民族に含めてないよ
内蒙古のモンゴル族は同然中華民族の一部
しかも今言ってるのは辛亥革命前に中華の地に入ってきた人間のことだから朝青龍は関係無い トルコ共和国でも、テュルク系のみならず非印欧語族系の歴史的な騎馬遊牧民は
全て「トルコ民族」にカウントしているので、ときどきトルコ人がハンガリー人に、
「あなたたちも同じ民族ですよね」みたいな不用意発言して顔をしかめられるらしい。 >>247
ソ連時代にはモンゴルではチンギス・ハンについて語ることは厳禁やったで >>249
当時のモンゴル国は中華民国による併呑を免れるためにソ連を頼らざるを得なかった。
つまり、ソ連を宗主国に仰ぐ属国にならざるを得なかった。
ソ連の歴史意識にはロシア帝国からのロシアナショナリズムが脈々と流れており、
ロシアナショナリズムは、ロシア帝国の前身のモスクワ大公国が覇権を獲得する過程で
モンゴル帝国の枠組みを内側から利用して成長してきた史実を恥じて隠蔽し、
「タタールのくびき」からの抵抗の歴史を捏造して自らの歴史を美化してきた。
必然的にロシアナショナリズムの最大の敵役をふられたのはモンゴル帝国とチンギス・カンだった。
ソ連はモンゴル人民共和国に自らへの忠誠のあかしとして、「階級闘争に邁進している証拠」の提出、
具体的にはチンギス・カン家の貴族家門の虐殺ノルマを強要した。 >>251
あと、ロシア帝国はモンゴル帝国の崩壊後も後継地方政権として残存していたシステムを乗っ取る形で
あれだけの広大な版図を実現したからね。
ソ連もそのロシア帝国のシステムを乗っ取って成立しているから、ソ連を構成する東方の共和国には
モンゴル帝国の地方政権の後継組織に由来するものが多かったんだな。
特に中央アジアではロシア革命までチンギス・カン家の王侯の支配権すら残存していたところもあった。
ところが、共産主義の公式史観では、「すべての民族はその土地でマルクス主義の示す公式の発展段階をたどって現在に至る」
とされたものだから、そういう東方の共和国の前史がモンゴル帝国の地方組織に由来するという史実は
イデオロギー上あってはならなかったんだ。 >>251
有名なことやん
モンゴルについて語る上で必須知識やで
歴史でもチンギス・ハンは無かったことになってたし
ついでにモンゴル文字も禁止 ソ連崩壊してモンゴルが最初に行ったのが禁止されてたチンギスの銅像制作というのがね >>246
トルコ民族じゃなくてツラン民族と言えばまだ言語学的根拠がない分マシなのにな 中国人の友達捕まえて「元朝は中国の王朝なんだからジンギスカンは当然中国人だよね?」っていう聞いてみたら、
それはちょっと違うような…ってごにょごにょ言ってたな
まあ「中国」っていう主権国家が成立するより前の話だから断定できなくても不思議は無いけどな >>256
元はフビライが建てたからフビライなら間違いなく蒙古人でありかつ中国人でもあるけど
チンギス・ハンが中華皇帝だったことは無い >>253
ガチでヒトラーみたいな扱いになってるんやな >>252
ほげー、ロシアって実はモンゴル帝国の後釜なんやね モンゴルのバグダード虐殺もあんまり責められんよね、なぜか。
なんでや >>259
大帝国って、ゼロからは作れないものなんだよ。
アレクサンドロス大王の帝国だって、アケメネス朝の版図と統治システムを軍事接収したものだし、
モンゴル帝国も、ちょうど草原の遊牧軍事力とそれと接する農耕地帯を統合したシステムを
成し遂げつつある中型国家が林立し始めていた時代に、それらを統治システムごと接収して成立した。
同様に、ロシア帝国はモンゴル帝国の崩壊後の残存システムを接収再構成して成立した。
なお、「大英帝国」とは「英国王によるインド帝国」がコアだが、これだってムガル帝国の崩壊後の
残存システムの接収で成立している。 >>259
ロシア皇帝はモンゴルの大ハーン位を持ってたんやで
清皇帝やムガル皇帝もモンゴル大ハーン位持ってたから
当時はあちこちで大ハーン乱立や >>260
なんか、バグダードの場合はモンゴルが組織的に虐殺したというより、
モンゴル軍に加わっていたキリスト教徒の暴走とか、
もともとバグダードにいたアイヤール(任侠の徒)の関与も言われているね。 細分化された領地をまとめるのは、見た目より難しいからな。
長宗我部元親は、土佐一国を平定するのに十年かかり、そこから四国を統一するのに、さらに十年かかった。
その後の十年で、豊臣秀吉に全国平定された。
大きくても、小さくても、難しいのは同じ。 強力な統治機構を構築するのには、どこの国でも何百年もかかった
中国は、宋代に科挙による官僚機構が発達して、節度使の力を時間をかけて削っていった >>263
えー、ずるいわ
なんで日本とドイツばっかりグチグチ言われるんや >>262
そのわりに、ロシアってあんまりモンゴル臭しないよな。
モンゴルの文化の名残やモンゴルリスペクトを感じない
やはりイエローモンキーだからか? イワン雷帝の時代には、モスクワの貴族の3分の1がモンゴル人の末裔だったそうだが ベラルーシの「ベラ」は白という意味で、中国の五行説に由来しているが、ソビエト連邦の時代には、
「俺たちはロシア人と違ってモンゴル人の血が混じっていない、白いロシア人なのだ」
と自慢していた >>268
それでも、ロシア帝国の貴族とか上層市民の姓にはモンゴル帝国のイスラーム化した西方領邦の
においを伝えるものがかなりある。
つまり、イスラーム式の名前とテュルク・モンゴル系固有の名前だ。
ユスポフ(ラスプーチンを暗殺した大貴族)←ユースフ(ヨセフのアラビア語形)
クトゥゾフ(ナポレオンを打ち倒した将軍)←クトゥズ(典型的なテュルク系人名)
ラフマニノフ(著名なクラッシックの作曲家・ピアニスト)←ラフマーン(典型的なアラビア語人名アブドゥル・ラフマーンの短縮形) >>261
>アレクサンドロス大王の帝国だって、アケメネス朝の版図と統治システムを軍事接収したものだし、
お前はマキャベリの「君主論」の時代からタイムリープして来たのか?
アケメネス朝とマケドニア朝では統治方針が180度違うぞ >>273
でも、アケメネス朝の版図と統治実績なしにはあれだけの大版図を征服できたのかは怪しいよね。
言いたいのはその部分。
つまり、ダレイオス1世なくしてアレクサンドロス3世なし、ってこと。 >>268
ピョートル以前のツァーリはモンゴル人みたいな格好してるやん >>274
いやいやハッキリ言うけどアケメネス朝って実効支配出来てたのは本拠地のパールサ地方ぐらいだぞ
アナバシスやエズラ書とか読めば当時の雰囲気がわかると思うけど地方勢力の力を抑えきれず
公然と反旗を翻してた属州総督も野放しにされているしアレクサンドロスもペルセポリス落した後も各地の地方豪族の鎮圧に結構苦労させられてるだろ >>276
それを言ったら、古代帝国なんて、みんなそういうもんだろ >>272
中東系の名前しか残ってないのは、やはりモンゴル系はカッコ悪いという認識なんだろな。
ドルジとかいう名前のロシア人とか、モンゴル顔の混血ロシア人とか見たことないし。 >>278
そうじゃなくてロシアに根付いたジョチ家のモンゴル軍に従った遊牧系が
既に西側との混血でコーカソイド化してたり、モンゴル以前にイスラム化してたり
さらに言うとモンゴル人そのものもロシア入りした連中はイスラム化してたりするから
モンゴル系が格好悪いとかでもなんでもない
あとドルジはチベット語由来の名前なんだからロシアにいたら
モンゴル系が持つに至る来歴が気になるわ
モンゴル人のロシア征服はチベット仏教国教化以前だし >>279
西洋と東洋の混血地域とか存在してもよさそうなのに見かけなくない?
東西ハーフは美男美女確定のはず >>279
さらに深く掘り下げると、「チベット仏教徒のモンゴル人」って集団すら「ヨーロッパロシア」にいたんだな。
「カルムイク人」ってのがそれで、実は彼らは「チベット仏教徒のオイラト系モンゴル人」。
北元時代末の17世紀にオイラト連合内の内紛を避けてヨーロッパロシアに移動したグループ。
実は、あのレーニンも母方からカルムイク人、つまりオイラト系モンゴル人の血をひいている。 >>278
当のモンゴル人が、仏教化したらインドやチベット系の名前にしてるし、イスラム化したら中東系の名前にしている >>282
やっぱ文化にも強弱あるんやね
仮に大日本帝国が世界制覇しても、皆洋服着てハンバーガー食ってたのかな >>283
文化と言っても、生きていくための生活文化と、社会生活を円滑化する抽象的な思想文化がある。
思想文化の面ではイスラームや仏教、キリスト教などの伝播力は非常に大きいが、
その土地の環境で生き抜いていくための生活文化もまた根強く残りやすい。
モンゴルなどの草原地帯の乳製品利用文化や、ヨーロッパの豚肉加工保存食品文化がそうだね。 >>283
文化もさることながら、宗教の魅力に勝てない
イスラム教や仏教には、来世の魂の救済があるから >>283
洋服は、本質的に騎馬民族の乗馬スタイル この後、モンゴル帝国時代に胡服が主流となるが、明で漢唐のスタイルが復活した むしろ、労働を卑しんだエリート階層の「私は肉体労働をしませんよ」服なんじゃないかな。
でも、驚くべきことに、この服の全盛期だった邑制社会の時代、軍事に携わることを
卑しんだ宋代以降と違って、この手のエリート階層は戦車に乗る戦士でもあったんだよな。 朝鮮半島が異様に肉食なのもモンゴルのせいか?
牛肉をダシに家庭料理作るなんて、あまりアジアっぽくないというか 唐代の絵画とか見ると農民や追剥ですら>>288と同じ唐服着てるからな
日本では天皇と百姓が同じ服着るとかあり得ないが唐では皇帝も農民も使ってる布が違うだろうが基本同じ格好 >>293
そう言われてるけどな
昔は、「倭寇にしょっちゅう襲撃されるので漁業が廃れたニダ」と主張してたが、さすがに今はそれを本気にする人がいない もっとも、日本と同じく、食事の洋風化による影響ってものを忘れてはいけない
韓国でも、肉の消費量が伸びたのは割と最近のこと 明治時代は中国と半島と日本人では身長差が8pぐらいあったのに今ではほとんどないどころか
日本人のほうがかえって大きくなってるのは肉食が増えたおかげだろうな >>290
いや、清と違て元代にはみんなが胡服着てたわけやない
普通の人は普通に中華服着てる
出世のためにわざわざ胡服着て媚び売ってた人がいくらか居ただけ
清代には胡服強制やったから仏僧と道士以外はみんな胡服着てた 北方の遊牧民が南下して貴族化して別の北方の遊牧民に倒されて、の繰り返し。 >>293
日帝の被差別民からの影響もかなりありそう よくアメリカのステーキとか見て、「こんな肉食ってる民族に、米ばっかり食ってる日本が勝てるわけない」とか聞くじゃん。
でも韓国料理見たら「こいつらの方が肉食ってね?」と不思議だった。
焼肉屋でも部位がすごい細分化されてるし。
なのに体格はやはり小さい。
肉食っても体格は変わらんのか 身体の大きさは、肉食よりも乳製品の影響だと言われてる 日本マクドナルド創業者の藤田田は、「ハンバーガーを食べると金髪碧眼になる」というデマ情報を流布して、流行らせようとしていた >>304
大阪で、日本人が放って捨ててたモノ(放るモン)を朝鮮人が拾って食べたことからホルモン料理が始まった
いまや、世界に冠たる内臓料理だ >>307
ビビンパも朝鮮の貴族が捨てた残飯を奴隷達が混ぜて食ったことが起源なんだっけ >>300
庶民の間でも、けっこう流行したって話だけどな
元朝は百年たらずで内地から撤退したけど、もっと長く続いていたら胡服が定着したのではないか >>310
意外と元朝は漢民族間でも支持されていたからな。
北京を放棄するとき、漢民族の人でもモンゴル高原についていった人が
かなりいたからな。 >>311
まあ、いくら漢民族でも、北京の特権階級にとっては、明は南人の反乱だし、朱元璋の出自は卑しい
とても共感できるものではなかった >>311
そりゃまあ白蓮教徒の紅巾の乱なんて言ったら
今だとオウムが赤い布を目印にして国家樹立みたいな話だろ
そりゃ良識あったら故郷捨ててでも逃げるわいな >>311
そりゃ元の元で働いていた人達は粛清されるか奴隷にされるからな 南人は、底辺の階級とされていたからな
トップの朱元璋を始め、虐殺を好むヤバい連中だった 金の元好問は漢人だったが、モンゴルに金が滅ぼされてからも愛金精神を持ち続け、余生を金史編纂にささげた
「金国の典章法度は礼にかない理に合し、漢や唐のそれに比べて大きくヒケをとるものでは決してない。
国が滅び去ったからといって、この価値ある一代の跡をどうして後世に伝えないでおられようか」
との言葉を残している 誰か時代ごとの地図が載ってる本と古代都市の図みたいのが載ってる本知りませんか? >>240
つべで英語の中国の歴史系動画見てるとコメント欄に中国人(と思われる)のモンゴル族満州族蔑視/敵対視コメみたいなの多くて意外と今でも恨んでる層はいそうな感じ >>304
ソウル五輪ぐらいまでは庶民の食肉はネズミが多かった
牛肉をアジアで食べるようになったのは日本が最初
背を伸ばすのにいい食材は、鳥獣、魚などの動物
牛乳はカルシュームの吸収率が低い
身長の高低は遺伝の影響が大きい >>295
漁業のやり方も塩の作り方も知らなかったらしいな
高麗時代に元に何回も侵略されて元の属国となったあたりで民族が入れ替わったんじゃ?
新羅高麗時代とDNAレベルで違うらしい。 三国時代だけに人材が多いわけじゃない。綺羅星のごとくスターが各時代にいる。
でも僕にとっては三国志は特別なんだ。おっぱいが三つあるからね。 >>320
沖合に出る漁業は知らんが、少なくとも干潟や磯にいる海洋生物を利用する文化は古くからある。
ホヤを食う文化は朝鮮半島南部の海岸地帯と日本列島の東北地方に隔離分布している。
あと、これは元は耽羅国といってそもそも民族が違うんだが、済州島には古くからの海女文化がある。 >>318
時代劇がそうなんだよね
今でも、滅満興漢・抗清復明の闘士が活躍するドラマが多い >>1
王朝を倒して別の王朝を樹立しても暗黒社会のままだから モンゴル帝国は、同じことの繰り返しを断ち切った、例外的に革新的な王朝 しかし、モンゴル帝国は百年たらずで中国から撤退し、代わった明がもとの暗黒社会に戻してしまった 三国志のドラマとか見てると、「やっぱ中国はスケールが違う、文化も文明もすげー。」と感心するんだが、なんでその後、豊臣とかにヒイヒイ言わされてたの?
あんだけ身内で切磋琢磨してたらもっと強くなってよさそうなのに 悪口は良くないが、グレシャムの法則を忠実になぞってる感がある。
自分や宗族を守るために仕方なくなのだろうと思いたいが、身を守っているはずが加害者になっていることもあるだろう。 >>328
文明は、過去から未来に向かって進歩するとは限らない
ときには退歩することもある >>330
さらに、ある方面での進歩と、別の方面での後退が、トレードオフになっている事すらある。 >三国志のドラマとか見てると、「やっぱ中国はスケールが違う、文化も文明もすげー。」と感心する
ドラマと歴史の区別すらつかない幼稚な人が陥る刷り込み現象だな >明がもとの暗黒社会に戻してしまった
あれか、
ローマ帝国→ 暗黒の中世ヨーロッパ
大元ウルス→ 暗黒の中国
宋・元でピークに達した中国文明は以降 斜陽期に入る。 どう見ても、大元ウルスが東洋文明の最盛期
何も知らない生徒に「各時代の王朝の版図」の歴史地図を見せたら、誰だって「モンゴル、すげー!」となる
当たり前だ 文明の盛衰史というマクロな観点からすれば、東亜は13世紀、西欧は19世紀が絶頂期 モンゴルの残忍さのイメージがあるから最盛期と言われると違和感を感じてしまう 中国は歴史も長くて人口も多いのに
現代社会に貢献したのは紙の発明と日本人に漢字を伝えた事ぐらいか
三大発明の起源も嘘だしな 中国は、石炭も鉄鉱石も露天掘りできる
だから、古代人にとっては製鉄を始めやすかった
しかし、石炭・鉄鉱石とも、高品位なオーストラリア産に比べて、質が低いのが残念なところ
このため、現代の製鉄業には適していない
一時が万事、中国はこんな感じだ
農業も、古代人にとっては始めやすい環境だっただろうが、現代においてはブラジル・アルゼンチンに見劣りする >>338
少なくとも、火薬の発明は本物だぞ。
宋朝が弱兵軍隊でもかろうじて北方諸民族の帝国の南下を押しとどめられたのは
火薬兵器の実用化によるところが大きい。
中国では焼夷兵器やロケット弾での利用が中心で、
火薬の燃焼ガスで実体弾を飛ばす小銃や大砲に使うようになったのが
モンゴル帝国によってユーラシアに広く普及してから、というだけ。 火薬はイスラムで錬金術の研究の過程で偶然発見された
という説も根強い >>341
中世初頭の内陸ユーラシア世界で、東の中華からイスラーム圏を経て東地中海のビザンチン帝国までの範囲で、
多様な焼夷剤兵器が開発されているんだな。
ビザンチン帝国の「ギリシアの火」なんていう液体焼夷剤なんかもその一つ。
その中で戦場運用なんかでの淘汰を経て生き残ったのが唐代に東アジアで発明された黒色火薬。
南宋と北宋はこの黒色火薬の製造技術を厳重に国家機密にしていたんだが、
南宋を接収したモンゴル帝国によって一気にユーラシア全土に広まってしまった。 >>336
ロシアでも中国でも、現在の帝国のベースがモンゴル時代にあることは、歴史を客観的に見れば明らか
それなのに、「収奪された」として不当に評価されているのも同じ 韓国でも、「日帝の収奪による貧困から立ち上がり、世界最速の経済発展を遂げたニダ」ということになっている
実際には、韓国が近代化して発展したのは日本の統治期のことであり、日本から分離独立したあとに彼らが朝鮮戦争でメチャクチャにブッ壊したのを、日本の援助で戦後復興したというのが事実なんだが ロシア帝国のベースがキプチャク汗国なのは、誰でも見れば分かるから異論は出ない
その点、中国の場合、近現代の帝国のベースが大元ウルスにあることに変わりはないんだけど、ロシアと違って、それ以前に古代帝国・漢や唐による前史がある
それによる錯覚が起きやすいので、ロシアの場合ほど明らかではない もちろん、近現代の中華帝国が、北宋や南宋から受け継いだ文化や社会制度の影響も大きい
でも、帝国としてのベースは、大元ウルスにある
ロシア帝国だってそうだ
それ以前のキエフ公国やノヴゴロド公国から受け継いだものは当然あるが、帝国としてのベースはキプチャク汗国 >>346
「ヨーロッパロシア」って、もろに「ジョチ・ウルス右翼(バトゥ・ウルス)」の版図なんだよな。
「ウラル山脈をもってヨーロッパとアジアの境にする」という意識そのものが、
ジョチ・ウルスの中のなわばり分けに由来してないか? イランも同じだ
古代ペルシャ帝国が崩壊して以来、「もう、帝国の再建は2度と無理なんじゃね?」という状況だったのを、イル汗国が統一した
以後の王朝は、イル汗国がベースになっている イランの場合、政治体制を完成させたのはイルハン朝だけど、
モンゴルが入りやすい下地、つまりテュルク系遊牧民とペルシア系定住民の
共生社会を作り上げたセルジューク朝の存在も大きいと思う。 >>348
いやサファヴィー朝がベースでしょ
宗派も領域的にも
イルハン国はティムール帝国の母体にはなったけど イラン高原でテュルクとタージークによる統治システム、
つまり、テュルクが軍事警察権と統治大権を握り、タージークが行政事務を担う、
というシステムを完成させたのがイルハン朝。
そのシステムの上に十二イマーム派的シーア主義を統治思想原理としてかぶせていったのが、
サファビー朝で、この王朝がさらに火器の時代への適応も担った。
火器の時代が続くことで起きたテュルクの一部の定住化とタージーク軍事進出(砲兵として)に
対応した体制を築いていったのがカージャール朝。 中世のイスラム帝国でも、支配者はアラビア人だが、行政官僚はペルシャ人だった 近代以前の時代は中国が世界最強の国家で欧州は僻地と同じ扱いだった
実は近代ヨーロッパの三大発明と言われる火薬、活版印刷、羅針盤はどれも中国起源だったりする。
ヨーロッパが中国やイスラム圏、インド圏に完全に優位に立つのは18世紀以降。
そして、米国が超大国として君臨するのは・・・・・。20世紀になってから
19世紀に至っても阿片戦争までは中国が世界のGDPの三割を占める経済大国だった。
世界のGDP、アヘン戦争前の1820年の清朝の世界経済に占めるGDPの割合は驚愕の33%
http://media.economist.com/images/images-magazine/2010/34/NA/201034NAC119.gif
https://www.abc.net.au/news/image/3752400-3x2-940x627.jpg
http://www.usfunds.com/media/images/frank-talk-images/2012-frank-talk-images/2012-ft-jan-jun/EcoHistoryMajorPowers-062012.gif
清以降の中国が衰退したのは「欧州発の産業革命」「農業文明社会から工業文明社会へ」
「重商主義的諸規制や統制から自由主義経済体制へ」という産業構造の転換についていけなかったから、
中国だけでなく、イスラム、インドも産業革命まではヨーロッパよりずっと優位だった。
だけど中国もイスラム、インドも産業革命で獲得した近代兵器で武装した欧米列強にまるっきり勝てず、
最終的にはアヘン戦争以降は一挙にボッコボコ。一気に厳しい内乱の時代へと追いやられた
歴史的な長いスパンでみれば中国が貧乏国だった時代はアヘン戦争以降の130年ほどの期間(1850〜1980)です。
中国の長い歴史からすれば三国時代や五代十国のような王朝と王朝の間の混乱期による国力の低下時期とも言えることもできます。
ここ百年ほどは弱くなっているけど今また世界有終の大国として強さを取り戻しつつあるし・・・。
これからまた唐や明に清の様に中華人民共和国が大いに発展して
200〜300年の間、世界の政治経済軍事に超大国として君臨して新世界秩序を構築する可能性もあります。
ただし、同じ様な超大国のアメリカは、中国にとって覇権争いの手強いライバルとなりそうです。
なお、現在の中国で麻薬犯罪に厳しい刑罰があるのは、アヘン戦争がトラウマになってるから以外の何物でもない >>356
んなこと言ったら、インドだってそうだろ 軍事力だけが国力の基準なら人類最強の兵器である水爆を持ってる現在の中共が歴代王朝でトップになる 令和
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%AC%90
江謐(こう ひつ、431年 - 482年)は、宋 (南朝)|南朝宋から斉 (南朝)|斉にかけての官僚。字は令和。本貫は済陽郡考城県。 江謐と趙?の記事を見たら縁起悪いじゃん
学者は歴史上の中国人の字は考慮しなかったのか? 鍾馗や菅原道真のように守り神になるかもしれない(無理矢理) 石井孝明
https://twitter.com/ishiitakaaki/status/1112883886860591104
令和の事情を調べていたら、60を越えた大伴旅人が藤原氏によって、格下の太宰の師に左遷された(らしい)のときの、宴の歌らしい。
安倍さんも前九年の役の安倍氏の末裔。1300年越えた復讐とも読めるw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 北京は日本で言えば仙台に首都があるような物なのか? 北京(燕)ってのは、華北人にとっては東モンゴルから南下する騎馬遊牧民勢力に対峙する
前線基地。
逆に、東モンゴルに拠点を置く遊牧国家にとっては、征服した華北を統治する
前線拠点。 >>368
軍事拠点というのもさることながら、内地とモンゴル・満州を往来する隊商が必ず通る交通の要衝
日本でいえば関ヶ原とか米原みたいな感じで、周囲が山なのでここを通るしかない 唐の時代までは、長安から河西回廊を通ってシルクロードに出る道が東西交易の主要ルートだったが、元からは、北京からモンゴル高原に出るルートが主流になった
ラクダだけでなく馬も使えるからスピードが速いこと、それから、天津を通じて海運とも直結しているのが北京ルートの強み 中国経済の心臓部である上海から、北京までの方向と距離は、奇しくもちょうど東京ー札幌間くらいに相当する。
(いや、もうちょっとか。東京ー旭川くらい?)
上海を東京とするなら、やはり、札幌に相当する都市といえるだろう。
「仙台」ではない。 距離感や位置感覚からいって、長安から北京への首都移転は、「京都から青森」という例えがピッタリだ
実際に、北京はもともと、それくらい北の外れの辺境
北京から先は、もはや「中国」ではない 京都から江戸に首都が移ったのでさえ、「それまでの日本とは別の国になった」と唱える日本史の専門家がいるくらいだ
ましてや、「長安から北京へ」のインパクトは、その比ではない 長安ってのも、あれは関中盆地(渭水平野)の中枢なんであって、
本来の中華の中枢である狭義の中原、つまり夏〜商(殷)の時代の拠点だった
洛陽、鄭州、殷墟なんかが立ち並ぶ河南省からはずいぶん外れた地なんだよ。
そこから出てきて中原に覇権を及ぼしたのが、周だの秦だのといった勢力。
あれは、やっぱり関中盆地とその東にある甘粛とのコネクションが重要なんだろうね。
甘粛の牧畜民から供給される軍馬で関中は軍事的プレゼンスを保てた。 >>374のタイプミス修正
「関中盆地とその東にある甘粛」
↓
「関中盆地とその西にある甘粛」 >>374
そうだな
日本には西部の砂漠地帯がないから適切な例えとは言えないが、長安に首都があるというのも、日本でいえば「博多が首都」っていうくらいイビツなロケーション
「ここから先は、もう中国ではない」という西北端にあるのだから、日本でいえば福岡か長崎に相当するだろう 日本も、古代においては北九州が文明の最前線だったのだから、中国にとっての長安もそれと似たようなものだろう 日本も、北九州から文明化が始まった頃と、京都・奈良が中枢だった頃と、東京一極集中が進む時代とでは、厳密な意味では「同じ国」とは言えない
古代人にとって、関東は異国の地だったのではなかろうか? 関東地方も、日本列島の「南東の端っこ」なんだけどなぁw >>379
関東が台頭したのは、源頼朝をはじめとする関西出身の移住者だけどな
江戸を本格的に干拓・開拓したのは三河の徳川家康
「北海道からアイヌ人が南下してきて、京都から青森に強引に遷都した」とかだったら、日本の歴史ももっと国際的で面白かったんだが(笑) 国立歴史民俗博物館のシンポジウムの内容をまとめた本に出てたんだが、
野生のツルマメから栽培ダイズへの栽培化が行われたのって、
・日本列島の西関東
・朝鮮半島南端
・華北の河南省洛陽周辺
の3か所同時多発なのな。
結局、東アジア三民族の形成とかなりダブってる。
あと、キビとアワの栽培化が行われたのも、華北河南省の洛陽周辺らしい。
結局、狭い意味での中原こそが、華北型農業の発祥の地なんだね。 盆地はスリ鉢状の地形で、周囲の山から水が流れてくる
灌漑技術のない古代人にとっては、農耕がやりやすい
洛陽、関中、奈良、みんな盆地だ >>382
華北にはもうひとつ重要な盆地がある。
山西省汾水流域の盆地で、ここが春秋時代に華北勢力の実質的盟主となった晋の根拠地。
唐末〜五代の戦乱期に沙陀突厥系軍閥が本拠地にしたのもここ。 >>381
ん?その3地域が、同時多発で文化揺籃の地になったことはないはずだけどな…
関東西部の縄文文化のピークは、地球的ヒプシサーマル(縄文高温期)のピークと同時。
洛陽盆地の文化は、基本的には龍山文化衰退の後、二里頭文化がスタートだからもっと後。
今に直接つながる漢民族の中国史って、龍山文化崩壊後の文化的廃墟からスタートしてるんだよね。
朝鮮南端に至っては…何か文化的中心になったことってあったっけ? >>384
単に、中原、朝鮮半島南部、日本列島本州というのが、農耕をベースにしたエスニシティ形成の核になる傾向があるのかな、程度の話。 >>374
関中の利点は何といっても防御力
春秋戦国時代でも函谷関を突破されたのは一度だけだろ
しかも咸陽に到達するまで補給が持たず撤退
咸陽にはまともな無かったらしい
更に盆地内で自給自足できる生産力 >>386
でも、関中は遊牧国家の側からの侵入経路はいっぱいあるだろ。
六盤山とかオルドスとか甘粛とか。 深センは無名の漁村からわずか40年で1000万人を超す大都市に成長した >>388
まあ、その通りだけど、あれは「香港」が後背地に拡大した姿だからなあ
「深センの電子工業は凄い」って話にもよくなるけど、香港だの台湾だのは、昔からそういうところだ その点、シンガポールは、後背地のマレーシアにはあんまり広がってない
ジョホールバルは「第二の深セン」になり損ねたド田舎 >>389
香港は貿易港+金融センター+消費都市で工業なんかせいぜい下町の町工場レベルしか無いで でも、深センだってそんなもんだよ
部品を組み立ててるのが大半だし、偽物ブランドも多い
全部がそうじゃなくて、中にはホアウェイみたいなハイテク企業も出てきたが 深センの一人辺りの平均所得は上海を超えて中国で一番高い >>388
ま、そうだが、深せん市の面積は大阪府よりチョイ広く、改革前でも30万人ほどいたよ。これでもビックリだが。
それ言うとドバイもビックリだなw 今はマレーシアがイスカンダルを建設中。 >>391
東京や大阪だって都心に工場なんて無いだろ。
香港は狭いし人件費も高いから工業地区は国境の向こうにある方が有利だったんだろう。 >>396
大阪府の面積で30万人しかいなかったら正真正銘の田舎じゃないか
やっぱやべーな 広東人は、「中国四千年の歴史」などとは関係ないし、関心もない トウ小平は深センを作り、江沢民は上海の浦東新区を作った
胡錦濤は「天津を世界の金融センターにする」といって浜海新区の大開発を始めたが、無惨な大失敗に終わり、バブルの残骸をさらしている
これにも懲りず、習近平はまたもや河北省の内陸に大都市を建設しようとしている 上海・深センの「奇蹟の大発展」みたいなことは、もう中国でも無理だ
二度とない >>400
何かあれだな、現代版「遷都」みたいな感じだなあ。権力者は歴史に名を残すために遷都をやりたがる。
近年でもミャンマーやカザフスタンの独裁者がそれやった。
いくら独裁中国でもそこまで出来ないので歴代権力者は代償行為で 疑似遷都をやりたがるんだろうか。 >>400
>>403
地図にプロットすれば一目瞭然だが、「段階的に、首都北京に経済中枢を引っ張り込もうとしてる」んだよ。
最初は、一番遠い広東ではじめた。次に日帰り圏の上海に移し、さらに北京の外港天津に移して、最後は北京城内に取り込む。
最終的には、日本のような首都一極集中こそが、中国共産党の本来の理想。
ソ連がそうであったように、「なんでも首都」の前衛的集中が理想。 ロシアも、あれだけ広大な国土のわりに、驚くほどモスクワに一極集中してるんだよなあ
日本における東京よりも、存在感が大きいんじゃないかってくらいだな ベトナムも、圧倒的な経済力を持つ南ベトナムのサイゴンが目障りなのか、ハノイに経済力を集めようと必死だ 胡錦濤が「天津金融センター」のバブリーな大開発をやってた頃、「北京勃興、上海没落」って本を書いた人がいた
「もうしばらく上海を泳がせておいてやれ。名実ともに北京の時代が来るのは時間の問題だ」というような話だった
今では、壮大な廃墟になってるが >>404
中国共産党は、金融センターを香港から上海へ、上海から天津へ移そうと、一貫して動いてきた
結局、今でも金融センターは香港のままだが
むしろ逆に、シンガポールに移ってしまった観もある そのうちにシンガポールも中共の物になる予定なのでそれでOK 北京は、日本でいえば青森みたいな辺境の地
政治権力がテコ入れしない限り、経済の中心になどなり得ない
強引にそれをやったのがモンゴル帝国の大元ウルスであり、やろうとしているのが中国共産党 自他ともに認める中国経済の心臓・上海に遷都したほうがスッキリするのだが、共産党にその考えは無い
やはり、千年の都・北京の権威の重みは、中国人民に深く浸透している
北京が首都でなければ、全国がおさまらないのであろう >>413
上海なんて東に出っ張った端っこですがな。だからこそ事実上、列強の分割植民地だったわけで、
中国人固有の旧市街は、野辺地ぐらいの規模しか無い。
まあそれをいうなら、東京も「日本列島の南東の端っこ」だけどな。
東京が首都になることで、日本海側は秋田から出雲までひどい目にあってる。特に北陸。 中国は、政治的な構造をみると、省ごとに自立性の高い人民解放軍の組織があって、
それを北京の人民解放軍が中央集権的に抑え込んでいるらしいね。 中国を「沿海部」と「内陸部」に分けて考えてみると、沿海部は、形と大きさが日本列島ととてもよく似ている
アメリカには東海岸と西海岸があるけど、東アジアには日本列島と中国沿海部という、2つの海岸があるんだと思う >>415
最近、五大戦区に再編成された
中華民国の「軍閥割拠」の再現を夢みてる人もいるけど、いまの中国人民解放軍の上層部は転勤族のサラリーマンであり、軍閥として自立する可能性は残念ながら無い・・・ それぞれの戦区には地元採用の兵士たちがいるんだけど、どの戦区も、幹部クラスは転勤族のサラリーマン軍人だ
地元採用の兵士たちが、よほど頑張れば別だが、現状では軍閥の長になれるほどの人物は地方にいない モンゴル帝国・大元ウルスから後の中国は、もはや漢や唐の時代の中華王朝ではない。
それは「中華王朝」というより「モンゴル帝国」なのであり、明も清も、そして中華人民共和国もその後継国家だ。 1231年、モンゴル帝国のオゴデイハンは高麗に対して、先の使者殺害を詰問し降伏・臣従を促す国書を送る。
これを機に、モンゴル帝国による高麗侵攻が始まる。
サリクタイ・コルチに率いられたモンゴル軍は、鴨緑江を越え、瞬時に国境の義州を陥落させた。
サリクタイは一挙に首都の開城の攻略に成功した。
首都の陥落を受け、高麗朝廷はモンゴルの侵攻に抵抗できないことを悟り、講和を求めることとなる。
これに対しモンゴルは、1万枚の毛皮、2万頭の馬、100万人分の軍服および大量の奴隷など大量の貢物を要求した。
モンゴル帝国の侵攻は6次に及んだ。
第6次侵攻は小休止を挟んで4度の波があったが、渡る第一波となった1254年には206,800余人の高麗人が捕虜となり、殺された者は数えきれず、
「蒙古軍が経る所の州郡みな灰燼となる」「骸骨野を蔽う」といった惨状を呈したという。 豊臣秀吉の日本軍が、朝鮮に攻め込んだ。
朝鮮は宗主国の明に援軍を要請し、明軍がやってきた。
戦争が開始されると、朝鮮・明軍・日本軍が食料の現地調達を行った。
食料不足と治安悪化のために農民が耕作を放棄することで流民が流民を生み、飢えた民衆は敵味方より略奪することで飢えを凌ごうとした。
明の李氏朝鮮への要求で朝鮮国内に駐屯する明軍の兵糧供給は李氏朝鮮側が行うと決められたため(米、牛、豚などの他、朝鮮の女人も要求している)、
朝鮮軍と朝鮮政府の維持分も含めて李氏朝鮮は民衆から過酷な食料調達を行わなければならなかった。
このため明軍の略奪と合わせて日本軍が一歩も足を踏み入れていない平安道も荒廃して開戦当初の人口を養いきれずに人口が激減した。
また朝鮮軍より明軍に優先的に食料供給が行われたことから、朝鮮軍の戦意低下は少なからぬものがあった。
朝鮮に駐屯した明軍による朝鮮民衆に対する無秩序な略奪なども横行し、朝鮮の民衆は日本を一番の侵略者としながらも、明軍も第二の侵略者であるとして憎んだ。 0269 考える名無しさん 2019/04/07 00:05:54
1636年、後金の太宗ホンタイジ(皇太極)は皇帝に即位し、国号を清と改め、朝鮮に対して臣従するよう要求した。
しかし朝鮮の朝廷では斥和論(主戦論)が大勢を占めたため、仁祖は要求を拒絶し、清と戦う準備に入った。
清は朝鮮が謝罪しなければ攻撃すると脅したが、朝鮮はこれを黙殺した。これに激怒したホンタイジは朝鮮侵攻を決意する。
清との戦いが決定的になると、朝鮮は隣国の日本に援軍を乞う事も検討したが、これは実現しなかった。
1636年12月29日(旧暦12月2日)、ホンタイジは自ら10万の兵力を率いて当時都としていた盛京(瀋陽)を発ち、翌年1月5日(旧暦12月9日)には鴨緑江を渡って朝鮮に侵入した。 朝鮮軍はなすすべもなく40日あまりで降伏した。朝鮮は明と断交すること、王子を人質に差し出すこと、莫大な賠償金を支払うなどの屈辱的な講和条約を結ばされた。
また、朝鮮王の仁祖は、清の皇帝の前で三跪九叩頭の礼を行い、服従する誓いをさせられた。 儒教に支配された明清帝国は、それ以前とは別の文明
唐は仏教国で異質 宋代、金代、元代においては、儒教(朱子学)、仏教(禅宗)、道教を偏りなく
バランスをとって身に着けるのが士大夫教養人の理想とされていたみたいだね。
ところが明代になってそのバランスが崩壊していく。 唐は仏教国といっても、「日本の遣唐使は、なんで仏教の経典ばかり欲しがるのか。
道教に関心はないのか」と玄宗が不満を述べたこともあったというから、
「バランスの重視」ってのは確かにあっただろう
「儒教に支配された社会」になったのは、明の時代 貨幣経済が発達して拝金思想が蔓延したのも明代なら、儒教に骨の髄まで毒された社会になったのも明代
皇帝専制と官僚支配が確立され、国家権力がリヴァイアサンと化したのも明代
中国らしさが完成した時代、それが明 中国の歴史がどの時代も同じように見えるのは、明代に形成された「中国」のイメージが強すぎるからであろう
漢や唐にも、明のイメージを投影して、それと同じような文明と想像してるのが原因 唐は、ユーラシア大陸の世界帝国であって、「中国」ではなかった シナが「中国」らしくなったのは明
遊牧民に支配されるがままだった土人の農耕地帯が、ついに一個の文明として自立した 大明帝国が成立する以前のシナは、「遊牧民に支配され、食糧を提供するために存在した」といっても過言ではない
そんなシナが自立して土人国家を形成するなどと、誰が想像し得たであろうか 「唐宋変革」ならぬ「元明変革」について、もう少し研究せんといかんね。
中華文明の最盛期は宋・元代。明以降はなるほど経済・文化は進んでいるように見えるが、
文明史的には実は異次元の方向へ進んでいく摩訶不思議な時代であった。 暗黒期・斜陽期の時代。 >>433
杉山正明じゃないが、14世紀末の「パクス・モンゴリカの解体カタストロフ」ってのを深く探求する必要があるんだろう。
少なくとも
・経済の過剰流動性が制御不能に陥った
・全ユーラシアの保有銀のレベルを超えた経済の爆発的な成長による銀不足で経済が突然シュリンクした
・ヒトとモノの自由な往来によってペストのパンデミックが起きた
・19世紀半ばまで続く小氷期が本格的に幕を開けた
というのが汎ユーラシア的に同時進行で起きたのは確かみたいだね。 >>434
無秩序なまでの経済自由化が進んだ結果、真贋について問わない品質の低い商品や偽証が横行し、商材の品質が前時代に比べて低下した。
「悪貨が良貨を駆逐」する現象がモンゴル帝国支配地域の全域で発生。 >>428
欧州はキリスト教の猛毒から立ち直ったのに
やはり黄色人種はダメか
環境や歴史に起因するのではなく
遺伝的に白人は外向的、黄色人種は内向的らしい 実質前レスと>>1が言う「中国史編集スレ」の話をしてみるが、中華文明のピークは宋・元代ではないか、
とするオイラのレスに、「いや、経済的には15世紀には近代清本主義の一歩手前まで来た。」という指摘が
なされたので、
明中期を発展のピークとしてみた。
しかし、どうも内心しっくりくるところが無かった。
>>428を読んで、>>433を投下してみたんだが、うーむ。 なんちゅうか、文明の発展性というか、方向性を
どうも中国は間違えたんじゃないかと思う。 元・明の間。 あそこで方向転換を間違えて今日の中華人民帝国に至るという、
異次元の歴史に突入した、つーか、文明論的には退化へ舵を切った。
それまでの中国は実は“順調”に発展してきたのに、明からおかしくなって、未だに軌道修正できずに今日まで来た。
だから、中国はどの時代を切り取っても金太郎飴に見えるのではないか? >>437
明清は、まったくの儒教社会と化した
もちろん、それ以前にも儒教はあったが、儒教、とくに朱子学が圧倒的に優勢になり、社会全体で思想的に固定されたのは明以降
明から中国文明の相対的没落が始まったのは、まさに儒教の呪いだろう 唐は、儒教社会ではなかった
どちらかといえば仏教国だし、道教も儒教よりは優勢
まったくの儒教社会と化したのは明 14世紀後半、欧州は暗黒の中世から近代社会へ歩み始め、支那は暗黒社会へと歩み始めた。欧州はキリスト教の害毒から脱し、支那は儒教の害毒が全身に回り始めた。
歴史発展の大逆転が起きた。 14世紀後半とかペスト禍で何もかもが停滞どん底状態の時期なんだが
お前は世界史Aからやり直せ ていうか、
>>440の「14世紀後半」を「15世紀後半」にすればいいだけじゃないか? それにしても、世界の大勢が脱・宗教へと向かってたときに、周回遅れでコテコテの儒教社会へとラセン階段をスパイラルしながら堕ちていった中国
いったい、何が彼らをそうさせたか? >>441
ルネサンスが北イタリアで始まったのは14世紀中頃からだろ。
一応 元明交代が14世紀後半であるので合わせてみた。
まあおまえは自信家で兄弟姉妹も優秀なので、15世紀にしても良い。
それに俺の学生時代に世界史はABとか分かれていないのでそういうツッコミはやめてくれ。 支那世界だけじゃなくて欧州なんかも同じことの繰り返しでしょう。
支那は法家と儒教の折衷で始皇帝から中共までずっと変わらない。
欧州もキリスト教と現地の法律との間でずっと変わらない。
というか何を以て「変わった」などと言えるのかな? 中国の流通は
卸売り業者が,介在する事が少なくて
メーカー から直接,小売店舗に行くって聞いたけど
本当ですか ? ここ五百年は停滞の歴史
1990年代からの30年で急成長した 現代中国は、国力は強いがまったく尊敬されていないという点で、モンゴル帝国にクリソツ。 >>451
モンゴル帝国は後世に「チンギス統原理」が残ったように、
少なくとも遊牧民の間でのカリスマ性と敬意は勝ち得ていた。
今の共産党中国が崩壊したときに、果たして「毛沢東統原理」は残るや否や。 今TVHでやってる韓国ドラマは、モンゴルから朝鮮族の言い伝えの話である。
事実とずれているがそこには日本を含めた神の話。
ルーツは三国志演義の張遼、曹操、曹丕までの覇道の道を感じさせる話。
未来の予言が見え隠れしている、あのヨハネの予言と同じように。 モンゴルはロシアの方と繋がりが深くなるだろう。
西からの勢力のため。
日本からは遠いから。 >>437
これは簡単な問題で「金の行く先がどこなのか」で違いが出るんだと
思う。わかりやすく言えば英国とフランス。英国の市場に投資すれば
出資者に返ってくる。だがフランスにはフランスにしか金がいかない。
だから英国は世界中から金がやってきて、覇権に使える。この仕組は
どうもイタリアのベネチアが起源らしい。そして支那では結局
明代も現在も政府にしか金がいかない。だから世界から金を集められない。
よって中共の成長もこのような限界点があるはず。 モンゴル帝国の作り出したグローバル経済が、
グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」を激化させ、流通する商品の品質を低下させた。
モンゴルが中国衰退の引き金を引いた。 >>436
東アジアは「去勢と服従」と言われるように、新しいことができない。
西洋はしかし宗教の解釈という形で新しいことが可能になる。
欧州の民主化や近代化なるものも、結局は宗教談義から始まったものだし
現在も宗教的二元論でしか彼らは世界のモノ・現象を捉えられていない。
どちらが良いのか?というのはもはや結果が示しているね。支那は
所詮地域大国でしかなく、西洋との距離が縮んでしまった現代においては
すでにくだらない文化・思想でしかないことが残酷に証明されてしまっている。
だから欧米にはペコペコして周りには威張り散らすという、典型的な
アジア人になってしまっている。日本も全く同じ性質。 中共は未だに古い経済系しか構築できない。これは一帯一路でも分かる。
これは明らかに中共に対する「政治的投資」だ。集まった金は中共の
サイコ野郎がどこに分配するか決める。対してアメリカなどの
西洋的経済は出資者の出資比率に応じて金が返ってくる。あなたなら
自分の金をどっちに注ぎ込みたいですか? 日本人の中国観は、唐や宋のままだった。
日本人は、モンゴル帝国の出現によって不可逆的に変化したあるがままの中国について理解しようとしなかった。 更に言うなら支那は実はこのような出資を古代から引き受けていた。だがそれは
普通一般に「ワイロ」と呼ばれる手法だ。政治家や官僚に庶民が投資をし、
それに応じて役人や官吏が法を枉げて出資者に利益をもたらす。当然違法だし、
腐敗に過ぎないので国家としての成長もない。 現代中国は欧米にペコペコしていないよ。
大国としての自信を取り戻して、伝統的な高圧的外交に回帰しつつある。
日本は主従関係を明確化する中国の冊封を嫌って外交を行わなかったに過ぎない。
琉球は中国の領土。断じて日本ではない。沖縄を中国に返還すべき。 真の自由競争とは、あらゆる手段が許される状態。
偽物を廉売し商売の敵を滅ぼすのも自由競争のなせる業だ。
手段を選ばない「自由競争」が繰り返されてきたのがモンゴル帝国成立以降の中国大陸。
結果、良心的な実業家はひとりもいなくなった。 アラブなど遊牧民の価値観では、生産の概念がないので、相手をしゃぶりつくすような値段交渉から始まる。
手段を選ばない「自由競争」が完成されたユーラシア大陸では、生産に従事する者は卑しい存在なのでただただ搾取される。 世界遺産のノートルダム大聖堂が火災とのこと。
もしその社会が生産労働を卑しむ社会なら再建できないだろう。
もしその社会が生産労働を尊ぶ社会なら再建出来るだろう。
イスラームやモンゴルなど遊牧民によって蹂躙された社会が二度と復活できなくなるメカニズムを理解する一助となろう。 >>461
そんなの、表面的な態度の問題にすぎない
中国経済は、アメリカに依存しきっている >>459
それが、中国がどの時代も同じように見える最大の原因だろう
モンゴル帝国以後の強権支配体制と、それ以前の王朝のゆるやかな統合とでは、まるきり別モノであり、経済も弱肉強食に変わった モンゴル帝国以後の体制を、唐と同じようなものと錯覚することが、中国史が金太郎飴に見える理由だ 殺戮をいとわない強権支配体制は、北宋を滅ぼした金の時代に始まったと見るべき。 左翼や朝鮮人には、いまだに「唐を中心とする東アジアの柵封体制」みたいなのを夢みてる連中が多い
それは、モンゴル帝国以後には通用しない概念 今やっているTVHドラマ、元はモンゴルだとして、モンゴルの王は心の傷と同じものを抱えていた。
モンゴルは中国大陸において脅威になったのはモンゴルの強さだけだ。
モンゴルの傷は、中国人へのやり過ぎた殺戮のことだ。
でも実際はやり過ぎたなどではない、手を下したのは中国人当人なのだから。 かつて中国への数々の仕打ちが中国の滅亡へと繋がっていくようになった原因だ。
それを中国人の中から突然予言をする集団が現れた。
その集団は次第に病的な予言に変わっていった。中国人へ度重なる呪いのせいだ。
あまりに酷い状態になったので、間違った予言して周りに酷い仕打ちをする者をモンゴル人が殺す役目を受けている。
正しい精神のもの以外を。
それを良しとしない中国人は何故か日本人を騙して全て滅ぼしてしまった。
それをモンゴル人は自分たちが自分たちの責任だと勘違いした。
その予言をする人達は元々神聖なる人達だったからだ。 何故モンゴルの土地もモンゴル人も強いのか。
神に守られていると同じだったからだ。
これからはモンゴルは実力で保つ必要がある。 火器の性能が向上して騎馬戦術が通用しなくなった時、遊牧民の覇権はオワタ >>470
冊封体制が完成したのは唐より明の時代だろ
明代に北東アジアから東南アジアまで全域に及ぶ冊封網が出来上がったし、冊封国同士の交流も活発化した
琉球が東南アジアに出向いた真南蛮貿易も対明冊封の献上品を調達するためっていう名目で相手国を説き伏せた >>477
ポストモンゴル時代に火器の性能が向上しても、
ながらく銃砲と騎兵が補完しあわなければならない時代が続いた。
騎兵は銃砲の支援を得なければ敵の歩兵に打ち勝てなくなったが、
同時に銃砲は騎兵の支援を得なければ機動戦に対応できなかった。
騎兵と銃砲の補完関係は明清でも、ムガル帝国でも、オスマン帝国でも重視されたし、
西欧の「三兵戦術」など正に「銃剣歩兵」「砲兵」「騎兵」が補完しあうシステムだった。
内陸ユーラシアではそれまで軍事は遊牧系テュルクの専権事項だったが、定住民のタージークが
銃砲を扱う兵力として軍事に食い込んできたのがポストモンゴル時代だった。
この騎兵と銃砲の補完時代は、19世紀半ばの後装ライフルの普及でようやく揺らぎ始めた。
このゆらぎは機関銃の普及とコンクリート製陣地の構築で決定的となり、
そして第一次世界大戦をもって騎兵の退場は決定的となった。
新時代の機動戦は戦車や戦場輸送車両といった内燃機関車両にとって代わられた。 >>479
戦術と兵站は別のもの。混ぜるなキケン。
戦術としての騎馬戦術は兵站よりももっと早くに時代遅れになってた。 >>478
ということは、左翼と朝鮮人が理想としているのは、明の柵封体制なのか
明は、国内では強権支配の恐怖政治、国外では寛大な宗主国だったってことだな >>480
西欧では重装騎兵が時代遅れになった後の端境期をはさんで、三十年戦争期から軽装騎兵による騎兵の復権が起きているよね。
内陸ユーラシアではもとより軽装騎兵主体だったので、その端境期がなかったように見える。
やはり、決定的に騎兵が時代遅れになり始めたのは後装ライフル普及からじゃないのか。 琉球も台湾も、海洋貿易で繁栄したのは明のときだった
清になると衰退して農業国になった
海洋貿易が不振になったというより、広東省が台頭したのが大きな原因だが 長篠の戦でもわかる通り、十分引き寄せてから一斉射撃されるとひとたまりもない。騎兵を過大評価してはダメ。 19世紀の初め頃は、まだ「馬上のナポレオン」の時代だからなあ
20世紀初頭の日露戦争のときでさえ、「馬の調教技術でロシアに大きく見劣りする」というのを深刻に反省した日本政府が、競馬を奨励したくらい、戦場での移動手段として重要だった
第一次世界大戦では、鉄道で最前線に兵隊を輸送するようになり、騎馬の役割は終わった といっても、騎馬はもはや単なる移動手段
兵器としては、とっくに無意味になっていた そういえば、ターザンの原作者のエドガー・ライス・バロウズは西部劇小説も書いてるんだが、
彼自身が軍人としてアパッチとの交戦経験があるものだから、やたらとリアルな描写なんだわ。
映画の西部劇と違って、アパッチの戦術が騎射戦術じゃなくて、丘陵地の地形に
隠れてのゲリラ的な銃撃戦だったりとかね。
で、そういうアパッチのゲリラ戦術に対する米軍騎兵隊の戦術が、戦闘地点まで
騎馬で一気に移動した後、下馬して匍匐前進で地形の陰から銃を撃ってくるアパッチ戦士と
ライフルを撃ちあう、っていう描写なんだな。 >>476
初心者って紋切りするけど、事実かどうかな話だからなw >>476
成都近くにまだ中国共産党が残っていたのかw
そこからレスしてる奴ら。
殺されるだけだぞ、クソの臭いするぞw >>475
お前もチャンイエにいる中国共産党。
逃げ場もない四面楚歌なのにバカだからw >>477
騎馬で弓矢で攻撃する人達なんかもうないよ。
覇権が騎馬だけだって言うんだろうかねw 火器の射程が延びれば、騎兵なんて射的の的だ。
仮に火器の性能が同じでも、馬上で揺られながら狙いを定められるはずがない。
ハイ、死んだ。 >>494
だからやってないってw
モンゴルと向き合えば同じ武器なるってw
どうなのよ、こいつ。 前近代の前装式の小銃で狙撃戦をやっていた地域は驚くほど少ないんだわ。
欧米では英国に対して独立戦争を仕掛けた北米植民地の連中。
アジアでは瞬発式火縄銃が普及した東南アジアや日本といった湿潤アジア。
他は集団でおおまかに方向を定めて弾幕を張るやり方。
だから、三十年戦争でもナポレオン戦争でも、銃撃と砲撃で陣形を崩したところへの
騎兵部隊の斬り込みが有効だった。
清朝でも太平天国の乱鎮圧戦ぐらいまでは、モンゴル人部隊による騎射が精鋭として
十分有効だった。 銃撃と砲撃で陣形を崩してしまえば、騎兵による斬り込みや騎射が有効だったっていうのは、
前近代の前装式の緩発式火縄銃やフリントロック銃は弾道の安定性が悪すぎて、
ろくに接近してくる騎兵を狙い撃ちできなかったから。
騎兵部隊に対抗するためには密集隊を維持して弾幕を張り続ける必要があった。
それを崩すために戦列歩兵による撃ちあい、大砲による歩兵密集隊への砲撃が行われた。 >>497
> ろくに接近してくる騎兵を狙い撃ちできなかったから
は?できるよ。何言ってんだ。 長篠の戦いより50年前に、黒隊長で知られるイタリアのジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレが火器で倒されている。 >>498
三十年戦争やナポレオン戦争、七年戦争、オーストリア継承戦争の当時の戦術ぐらい勉強して来い。
あと、「レ・ミゼラブル」のワーテルローのくだりぐらいは読んでるんだろうな。 どれ
裏の納屋さ行って、漬物石ふたつ運んでくるべぇか
裸にひん剥いて縛り上げた>>461の縮こまった包茎チンチンの下に大きな方の石をあてがい、
手ごろなほうの石を振りかぶって・・・
ベチーン!
オオゥ!オオオオオオオゥ!
肉が潰れる感触が腕にズシィィンと響くゥ!
海綿体と恥垢がミンチになって飛び散るゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥゥウゥゥウウゥウ!
さてと。ミンチになったチンチン肉に葱と生姜と大蒜を臭い消しにつき混ぜ、
片栗粉も加えて団子にして、鍋料理にしたてて食うべぇか 琉球が中国なのは一目瞭然。
琉球王を王に任命するのは誰か。琉球が用いていた暦は何か。これだけで証明完了。 >>503
楽浪郡朝鮮県はれっきとした漢の行政単位だからな
歴史的にも平壌は中国の固有の領土なのは明白 そもそも満洲人と朝鮮人に境界線はない。
朝鮮の支配階級は満州人で奴隷階級が土着朝鮮人。 ソースはおそらくどっかのブログかまとめサイトか5chのスレやな 単に、李氏朝鮮を開いた李成桂の軍閥が、高麗人と女真人のハイブリッド軍事集団だった、
というだけだな。それと李朝で権力を握った両班の系譜は必ずしもつながってはいない。 このスレは、世界史板の中でもとりわけレベルが低いな。
モンゴル人と満洲人に対する理解が浅い。 >>510
「遊牧民は生産をしない」って発想が跋扈しているのが致命的だね。
畜産物を生産しているのに。 考えてみれば確かに、よく言われる「柵封体制による東アジアの中華世界秩序」ってのは、おもに明の時代の話だな
唐や宋はそこまで行ってないし、元や清は直接支配する領土が広すぎる 朝鮮にとっても、琉球にとっても、明が最良の時代だったのではないか。
明は強すぎず、弱すぎず、ちょうど良かった
とくに朝鮮にとっては、明とは直接に国境を接しておらず、間に満州をはさむ形。
明にとって朝鮮は、強敵・満州を挟撃する貴重な同盟国だから、わりと大事にしてくれた。
それに比べて、元と清は、朝鮮に対して厳しかった 昔はモンゴルも唐も日本も交流があり、行き来をしていた。
三国志でもアイヌ、日本人、朝鮮族、モンゴル、イ族まで出てきている。
諍いは現代になって明治を過ぎたころから酷くなった。
これは中国への度重なる呪いのせいだ。 >>500
レミゼラブルはロシアの話だよw
モスクワの蛮行レーニンのユダヤ人迫害の話。 >>500
ルーブル美術館にはその証拠があるな。
日本人か見ても理解出来ない絵たち。
ヨーロッパにはヨーロッパの歴史がある。
紐解くのはルーブルだけ。 >>510
イギリスが作った話でないと都合悪いからイギリスの話でいけってかw
知らないだろ作り話しかないイギリスの本なんかw >>512
当たり前じゃないか
中原の歴史の三分の2はガイジン王朝なんだよ
むしろガイジンの柵に中原が入れられてた歴史のほうが
長い
明代は結局外に出られないから外国を朝貢扱いにしてただけだ
空威張りの起源みたいなものだな >>502
琉球と福建省だな。
福建省は今も神に近いところだからな。
日本にはない神の思想だよ。
沖縄はダメにされたけどな。 三国志
アイヌは董卓。
酒池肉林の世とは今のこと。
日本人は甘寧、荀攸
朝鮮族は魏にたくさんw
日本とは魏と交流が多かった。
モンゴルはケ艾、丁奉
イ族は、モブ
争いはあったが、碁の争いを本当の争いのように書いてるから。 シンギ
隊長の言った メヒ とは
ヘブライ語の分詞「破壊する(mephir)」「嘘をつく(tophel)」また「嘘つき(mefir)」を合成したもの。
これのこと。
今の日本人の多くがこれに取り憑かれていると。 工業化の時代になって以降は日本の東北なら工業で食っていくのもアリだった
農業メインの時代は冷害があるから東北が苦しくなるのは仕方ない まあな、でも、冬の工場は寒い
工業もやっぱり、暖かいところのほうがいいねえ
寒いところに向いた産業は、金融とITだな 漢とか唐とか明とか、同じような名前が続くのが、どの時代も同じように見える元凶
北魏・隋・唐を「中世鮮卑帝国」、元・明・清を「北京帝国」と呼ぶといった、時代区分に工夫が欲しい 藩鎮(はんちん)とは、中国唐から北宋代まで存在した地方組織の名称である。節度使や観察使などを頂点とし、地方の軍と財政を統括した。節度使そのものを指すことも多い。
710年の河西節度使の設置を初めとして10の節度使が設置された。駐屯する兵士は、徴兵制たる府兵制によって集められるのではなく、
募兵制である長征健児制によった。兵士は辺境で屯田を行い、国家から給料として絹と銅銭を支給された。 安史の乱の後、内地にも次々と藩鎮が設置されて藩鎮の総数は50を超え、首都長安・副都洛陽の周辺部を除く多くの地域が藩鎮の統治下に置かれた。
裁判権を持たないが軍権と財政権の多く(両税法による税収を除く)を兼ね備えた藩鎮のうち1/5〜1/4ほどは反中央傾向が見られ、
特にその傾向が強い旧安史軍の三将は河朔三鎮と呼ばれたが、
彼等も中央政府の与えた官職による威命が無ければ将兵を統率する事は出来なかった。
唐が滅亡した後も唐の正朔を奉じ続けた淮南節度使のように生産力・経済力のある江南地域は朝廷に対して恭順で、
逆に河北は旧安史軍の根拠地だったこともあり中央から遊離して割拠する傾向が強く、中央へ納めるべき税を収めず藩鎮を運営した。
中央政府の統治から遊離した藩鎮を河朔型藩鎮と呼ぶ。 代宗の時代は、藩鎮に対して強い態度を取らなかった。
代宗を継いだ徳宗は藩鎮の抑圧を目標とした。両税法により藩鎮の恣意的な財政運営に制限を加え、また781年に成徳の李宝臣が死去した際には、子の李惟岳による世襲の求めを認可しなかった。
反発した成徳・天雄・平盧・山南東道(陝西東部)の梁崇義が連合して乱を起こすが、徳宗は禁軍(近衛軍)と盧龍などの他藩鎮軍を動員して討伐を行い、梁崇義を滅ぼし李惟岳を捕らえた。
徳宗の強硬姿勢を見た他の藩鎮は自らの地位を失うことを恐れ、初めは官軍に与していた盧龍軍なども離反した。
783年に乱が起こり、元幽州節度使の朱を擁立して長安を占拠した。徳宗は奉天(長安の西。瀋陽のことではない)に逃れる。
徳宗は事態収拾のため藩鎮側の地位を保全して罪を赦し、疲弊した藩鎮の多くはこれを受け容れた。
残る盧龍軍や淮西・長安を占拠した朱軍も786年に鎮圧する。
799年、淮西の李希烈を殺害し実権を握った陳仙奇を殺害して淮西節度使に就いた呉少誠が乱を起こすが、1年余りの戦いの後に罪を赦され乱を収めた。 憲宗期
徳宗の跡を継いだ順宗は在位半年で死去、憲宗が継ぐ。
即位早々の806年、西川節度使(四川西部)の劉闢が勢力拡大を目指して東川(四川東部)を攻撃したので、これを討伐して劉闢を捕らえて斬刑に処した。
これを手始めに夏綏銀節度留後の楊恵琳、浙江西道の鎮海軍節度使の李リを討伐する。更に河朔三鎮をも討たんとして失敗に終わるが、淮西の呉元済を滅ぼす。
憲宗の強硬な対応に対して藩鎮側も朝廷に恭順な態度を取るようになり、平盧の李師道・成徳の王承宗は自ら領地の一部を返還し、
横海軍の程権は二州全ての領地を返還して藩の歴史を自ら絶った。
更に、平盧の返還の履行が遅れたことを名目として攻撃を掛け取り潰した。
河朔型藩鎮として長く続いた平盧が取り潰されたことで、魏博の田弘正は藩師の職を返還して入朝する。
憲宗は820年に宦官により殺されるが、その後、成徳・盧龍もまた朝廷へ藩師の職を返還したため、河朔三鎮による独自の藩師継承は終わった。 三鎮の旧武将が再び藩鎮の実権を握り、藩師の官職を求めると朝廷はやむなく認めた。これに呼応して他藩鎮でも再び遊離の動きが出たが、朝廷は断固たる態度で臨み許さなかった。
河朔型藩鎮による動乱は度々起きたが、この内朝廷に対する反乱は20%程度で、残る8割は兵士の暴動・将校による策動・部下による藩師の殺害であった。
これらは驕兵悍将と呼ばれ、十分な恩賞が約束されねば戦おうとせず、藩師も驕兵悍将の意を迎えるのに苦慮した。
唐は黄巣の乱によって致命傷を受け、実質上は滅亡した。朝廷の権威が衰え、天下は再び朱全忠・李克用らの藩鎮勢力が合い争う時代となる。
907年、朱全忠により禅譲劇が行われ唐は名実共に滅亡、五代十国時代へと入る。 安史の乱以後の唐の後期については、「中国社会が大きく変化した、一大変革期」と多くの人が認識しているが、具体的に語られることは少ない。
後期の唐では、藩鎮が半独立国と化した。
長安の皇帝は、藩鎮との闘争に追われて忙しかった。
長安を占領されて脱出したこともあった、
「唐の足利義満」こと憲宗の時代には、藩鎮の討伐で多くの成果を挙げ、唐朝はそれなりに安定した。 唐は、日本でいえば室町幕府、ドイツでいえば神聖ローマ帝国、イランでいえばセルジューク朝のような、形式上は統一国家だけど、事実上は分裂国家だった
中世というのは、様の東西を問わずそんなものだ
古代とちがって、地方勢力が成長している
それでいて、近世や近代の国家のような、強力な統制力を中央政府に期待するのは無理 資料通りでいくとそれだけで終わってしまう。
あまりにも解読が酷すぎる状態だからだ。
もっと単純だった中国の歴史。
シルクロードから段々西洋の度重なる呪いのせいで化け物化していったんだよ。
日本にも多大な影響に及んでいるだろ。
何故か間違った解釈が多いのも中国史。
近かったばっかりに中国の呪いを全部受けている。 我という意味、昔の中国では相手か周りの人、
日本では自分だ。
これだけで全部意味が違ってくるだろw
正しい見方をするのにその大量の資料が邪魔になってる感じがするw しかし、1271年にフビライ・ハンが大元を創始して以後の中国が、本当の意味で分裂したことは無いと言ってよい。
王朝交代期の混乱を除けば、「北京帝国」という枠内での王朝交代史にすぎない
春秋戦国時代や三國志を例にして「中国分裂論」を唱えるのは、ネタとしては古すぎる。
日本でいえば、ムラとクニに分かれていた弥生時代をもとに「日本分裂論」を唱えるようなものだ
ここはせめて、中華民国の軍閥割拠期を持ってこなければいけない 「藩鎮が半独立国だった」といっても、反唐活動に熱心に取り組んでいたのは、いまでいう河北省の河朔三鎮
南の藩鎮は穏やかだった 河朔三鎮(かさくさんちん)とは、中国の晩唐期に国内各地の節度使が藩鎮として割拠した状況下において、
河朔地区(現在の河北省を中心とする地域)の3つの藩鎮、すなわち幽州(盧龍軍。現在の北京及び長城付近)、
成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)を指す。
安史の乱後、代宗は安禄山の旧臣であった李懐仙を幽州に、田承嗣を魏博に、張忠志(後に李宝臣)を成徳に封じた。
その後河朔三鎮は次第に地方勢力として独立し、唐王朝の勢力が及ばなくなった。
三鎮は「河朔の旧事」と称してその主帥は代々唐王朝の任命によらずに世襲や部下による擁立によって就任し、勝手に領内の文武百官を任命して租税の上供を拒んだ。
これによって藩鎮の弊害の嚆矢ともいえる存在になるとともに北方地区の政情不安の原因となった。
これに対して徳宗は制圧策を用いるが、三鎮側は黄河以南の河南二鎮(平盧・淮西両節度使)と結んで反乱を起こして徳宗を長安から追放する程であった。 >>538
そりゃそうだ
熱心に取り組むのは利害関係当事者だから
南が熱心じゃないのはそもそも圏外でまともに統治できてなかったから
独立する必要もなかった >>540
当時の南方だはうかつに独立したら国を維持できない
何かあるたびに中央からの援護が必要だった この「北京帝国」くん、結論ありきで、ネタを針小棒大に脳内で捻じ曲げるばかりでキモい。
最初は着眼点が面白いと思ったが、こりゃただの認知バイアスだな。 >>534
>ドイツでいえば神聖ローマ帝国
ちょっと違う
形骸化してたけど一応
ローマ教皇>ドイツ皇帝>フランス王>イングランド公爵
という序列があって
欧州カトリック教国連邦が実態に近い
日本では、朝廷>幕府>管領>諸大名のようなもん
ドイツだけ切り取るのは違和感がある
学校ではワザと教えないけど 支那では一貫して政教分離であり、皇帝が権威と実権を一元化して持つ。
西洋世界や日本みたいに権威(教会や天皇)と実権(王侯貴族と将軍)の
分離などありえない。その点で唐代はやはり現代の大統領にほぼ権力が
一元化されているアメリカに近いのではないだろうか。 唐代あたりから始まった華夷序列思想(民族差別思想)は
欧米の下劣な人種差別と同じだし、他民族国家、儒家よりは
自然科学に近い道家の優位、人々の政治参加の権利を汎く認める
科挙運動(西洋では投票運動)の開始など、近いように見える >>545
そういう面もあるだろうが、華夷思想には宗教的な問題が絡んでいる
イスラム教徒にとってメッカが聖地で、世界中からメッカに向かって礼拝するように、儒教の信者にとっては河南省が聖地
朝鮮人が、「我が国のほうが中華に近いニダ」といって日本より格上を主張するのも、彼らにとって中華が儒教の聖地だからで、国力や文化水準の問題ではない >>543
そこは、日本や西欧と、中国の大きく異なる点だろうな
天皇と将軍、教皇と皇帝みたいな関係が、中国にはない
皇帝がその2つを兼ねている
明では、一族の者が科挙に合格して皇帝から官職を得られるかどうかに、お家存続の命運がかかっていた
皇帝が、権威と権力の唯一の源泉だった 唐の後半は、藩鎮が結託して反乱したことにより、皇帝が長安から脱出する事件が何度も起きた
中興の祖・憲宗のときは盛り返し、一時的に藩鎮を抑え込むこに成功したが、40代に入ると仏教・道教に耽溺する昏君と化し、宦官に暗殺された
その後も、敬宗は宦官に暗殺され、別の宦官によって擁立された文宗も結局は宦官に幽閉され、若くして惨めな晩年を迎えた
武宗にいたっては完全に宦官の傀儡だった 826年に敬宗が宦官・劉克明によって殺害されると、劉克明と対立する宦官の王守澄派により、文帝が皇帝に擁立された。
朝政の実権は王守澄らが掌握し、文宗は皇帝としての実権をほとんど持たず、傀儡に近い存在であった。
親政を計画し、831年に宰相の宋申錫と共に宦官の討滅を謀ったが失敗する。
そして835年に再び李訓らと共に宦官討滅を謀った。この時は朝政実権を掌握していた王守澄を自殺に追い込んだが、
その後の宦官に対する大量粛清の計画が事前に露見し、李訓らは殺害され、文宗も捕らえられて幽閉されることとなった(甘露の変)。
文宗は既に実子の荘恪太子永と蒋王宗倹を相次いで失っていたために、亡兄の敬宗の末子である陳王の李成美を皇太子としていた。
しかし甘露の変が発生すると、宦官の仇士良らにより李成美は殺害され、文宗の異母弟である潁王李瀍が立太子された。
840年、幽閉されていた文宗は32歳で崩御した。
晩年に「周の赧王・漢の献帝は強臣に制せられたに過ぎないが、朕は家奴(宦官)に制されている」と嘆いたと伝えられている。 唐の後期。「唐宋変革期」とも称される重大な社会変動が進行した時期だったが、外には藩鎮、内には宦官という内憂外患
皇帝の権力は弱くて、明や清の皇帝のような絶対権力者にはホド遠かった >>547
天子(宗教権威)と皇帝(政治権力)を一人の人物が兼ねるって体制がそれだね。 中国の天子は、宗教的権威といっても、本質的に儒教の主宰者
唐の皇帝は、「老子と同じ李氏だから」ってんで、道教の主宰者でもあろうとした >>552
「天子」ってのは、本質的には儒教や道教よりも起源が古い周王朝の天帝祭祀の継承概念じゃないのか。 >>554
仏教やジャイナ教が古くからのバラモン祭祀からの派生宗教であるのと同じで、
周王朝系の伝統祭祀から儒教や道教が派生してきたんで、それそのものはイコールじゃないだろ。 >>555
いやいや、そこから派生したのは儒教
道教はそうではない ↓清は「近代ブルジョア的生産様式」の段階に至ってないから、近代国家ではない
>大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。
ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、
諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。
カール・マルクス『経済学批判』 >>547
春秋時代には朝廷と覇者、権威と権力の分権がなされていたんだけど
儒教が台頭してからこの体制は成り立たなくなった >>558
確かに、周王室は、「宗教的な権威」って感じだな 秦あたりと比べればそうだけど殷と比べたら画期的な世俗政権だった 商(殷)のいけにえ祭祀のすさまじさは、アステカ王国を彷彿とさせるところがあるな。
アステカの場合には太陽を生き永らえさせるためには人の血を捧げ続けなければならない、
という宗教思想が背景にあったみたいだけど、商はどういう宗教思想であれだけの
大量殺人を繰り返していたんだろう。 そもそも、世界中に普遍的な前近代のピラミッド状の帝国は、「上から見れば集権、下から見れば分権」なわけでな。
見方によってどうにでも見える。
それを、結論に合わせて都合のいいときだけ上から見たり、下から見たりすると、
この「北京帝国くん」になる。まさに恣意的。 ローマでもキリスト教化以後は皇帝が宗教的権威を持つようになって
最後には皇帝が「神の代理」にまでなった >>562
前から思ってたが、お前は唐の話でブチ切れることが多いな
前世は唐人なのか?(笑) 「唐は鮮卑だ」と言われると怒る(笑)
こちらは、そこにはこだわっていない 別に唐に限らんよ。議論がアホ臭すぎる。
明と江戸時代というレスで、妄想してるだけのアホと見切ったww
明清だって皇帝直属の官僚権力は農村に入れず、農村の実質的統治は
現地の世襲官吏と農村の血縁共同体の自治に任せられている。それ以前と何ら変わらない。
それが嫌なら、ピラミッドの上位に着目することになるだろう。
それなら明の集権も説明できるかも知れない。
ところが、日本のほうが違う。
日本の江戸時代はいうまでもなく参勤交代。殿様は在任の半分は国許に帰る。
ところが、室町時代の守護大名はどこにいたか?ずっと京都にいた。
江戸期のほうがはるかに分権的なんだなこれが。 >>567
>ところが、室町時代の守護大名はどこにいたか?ずっと京都にいた。
確かに、そこも室町時代の面白いところだな。
鎌倉時代や室町時代の守護は、京都や鎌倉に滞在することが多くて、地元の領国には守護代を置いてた。
幕府は、守護の連合政権。
統一国家とは名ばかりだ。 地元の領国は、次第に守護代が仕切るようになり、世襲化していった
守護代が戦国大名になったケースも、越前の朝倉氏をはじめとして多い >>567
>明清だって皇帝直属の官僚権力は農村に入れず、農村の実質的統治は
現地の世襲官吏と農村の血縁共同体の自治に任せられている。それ以前と何ら変わらない。
そうだな
北京が送り込む官僚は、地方のトップに君臨しているが、言葉も違うし、現地人がいなけりゃ何もできなかっただろう しかし、そんな科挙官僚でも、何百年も続けば重みが違ってくる
藩鎮が半独立国と化していた唐と比べれば、中央の統制力は格段に強い 各地の知県や知州も数年の任期が終わったらよそに転勤になるから土着化せん
土着は現地の吏だけ >>572
そりゃそうだ
転勤族じゃなかったら、そのうち世襲の豪族と化して、元の木阿弥だろ
いまの人民解放軍も、各戦区の兵隊は現地採用だが、トップは北京から送り込まれた転勤族
そうやって、中華民国みたいな軍閥の領袖が出てこないようにしている >>565
そもそも現代の漢族には鮮卑が異民族という感覚がないからなぁ
百度とか見ると自分たちのルーツの一つ程度にしかとらえてない
まぁ慕容さんも段さんも拓跋あらため元さんも今の民族分類では漢族だし間違ってはないのだが >>574
だから、そういう話なんだよ、世界史板でよくモメるのは
「現代の中国人の祖先は鮮卑であり、黄河文明の先住民ではない」
ということ 黄河文明の子孫も当然いるし元をたどれば百越や匈奴とかの子孫もいるぞ
鮮卑族だけなら中国の苗字は段、宇文、元、慕容とかしかない世界になってた >>576
そりゃ、現代の中国人と、黄河文明を築いた先住民の間に、「まったく関係ない」というのは言い過ぎだろう
でも、「たいして関係ない」となら、十分に言える >>567-569
あと、室町期の守護は在地の国人級の中小領主を掌握して在地化していく途上の存在。
守護ってのは全国の総追捕使である鎌倉殿、室町殿の配下として令制国ごとの非常時の
軍事警察権の指揮権をとるだけの存在だったのが、だんだんと在地化して国人級領主を掌握していく。
室町期には令制国によって守護が室町幕府・鎌倉府の常駐官僚化していく国と、
守護が在国して在地勢力化を強めていく国に二極分化が進んだ。
前者の国では守護に替わって守護代が国人領主の掌握を進め、
後者の国では守護自らが国人領主の掌握を進めた結果、戦国大名化の道をたどった。
守護、守護代ともに在地化に成功しなかった国では国人領主たちが
一揆結合を強めて戦国大名化した。
幕藩体制における大名領国は、この戦国大名の領国を背景にしたものなので、
そりゃ室町期の守護よりずっと在地的性格が強い。 長宗我部元親は、土佐を平定するのに十年かかり、そこから四国を平定するのにさらに十年かかったが、その後の十年で織田信長・豊臣秀吉に征服された
中国・四国・九州、みんな大なり小なり、そういう経過をたどった
つまり、それまでの日本は、非常に細分化されたバラバラな国
江戸時代まで、時間をかけて統合が進んだ 江戸幕府の幕藩体制では、大名の転地・減封を進めて地方の力を削り、土着勢力の切り離しを行った後、参勤交代制度を始めた
各地の大名は、江戸屋敷で生まれて江戸で育ち、大人になったら地方に赴任して大名になった
それからも、妻子を江戸に置いて、定期的に戻ってきた
こんなことを200年も続けた結果、日本中の大名が転勤族のサラリーマンみたいになり、明治維新では驚くほど円滑に廃藩置県が行われた これと同じようなことを行ったのが(ていうか、もちろん、こっちが先例だが)、宋の趙匡胤
各地で半独立国となっていた藩鎮の節度使を1人ずつ引退させては、首都で採用した科挙官僚を送り込んだ
これを百年、二百年と続けるうち、全国のトップが文字通り転勤族のサラリーマンばかりになった
こういうことをやらないと、真の統一国家、中央集権は実現しない つまり、室町時代までの日本、唐までの中国は、統一国家といっても名ばかりの存在
中央には、地方を統制する力がない
皇帝/将軍は、常に地方勢力との闘争に追われて忙しく、スリリングな状況
それに比べて、明では、遊蕩に耽る引きこもり皇帝ですら、ひとたび朝儀に姿を現せば大臣をクビにできる絶対権力者だった ここで言いたいのがどういうことかというと、漢・唐・明・清は、一見どれも同じような統一国家に見えるが、実際には、漢唐と明清では中央と地方の関係が違いすぎ、似て非なる存在
その過渡期が宋・元だと言えるだろう 日本の初期国家であるヤマト政権は弥生時代の各地の「クニ」の連合政権として誕生した。
ヤマト政権が統合を強めて成立した大和朝廷という律令国家の事実上の構成単位も
この伝統的な「クニ」で、律令制の実現も実のところ「クニ」の共同体システムと
その首長層である郡司層に大きく依存していた。
この「クニ」が平安中期の10世紀に雲散霧消してしまうと、地方社会は新興の
「富豪の輩」、後の名主層の統治単位に細分化してしまう。この細分化した地方社会が
11世紀に国衙領の郡・郷・保や荘園に統合されて郡司級、荘官級の武士の統治下にはいり、
このクラスの武士が鎌倉時代に地頭級の武士となる。
室町期になると地頭級の武士や上層名主から成長した国人領主が一揆結合によって、
あるいは土着化を進めた守護や守護代によって統合を進め、戦国大名の領国組織が
成立してくる。この領国組織を統合することで天下統一が成る。
つまり、15世紀末の天下統一というのは、10世紀に一旦細分化して解体した日本社会の
ながい再編成の歴史の最終段階、とみなすことができる。 これが朝鮮半島だと、「高麗は仏教国」、「朝鮮は儒教国」とシンプルに割りきれる
朝鮮は、高麗を黒歴史あつかいして消そうと躍起だったから、時代区分も分かりやすく異文化そのもの
その点、中国はデカいし異民族の存在があるから分かりにくい
基本的に、異民族は仏教を好み、漢民族は儒教や道教を好むという傾向がある
朝鮮と同じく、まったくの儒教社会と化した明だったが、清になると、満州人による仏教信仰が復活する 基本的に、唐は仏教国・道教国であり、明は儒教国だった
もちろん、唐にも儒教はあった
しかし、唐は、明清や朝鮮のような「儒教社会」ではなかった
ガチガチの儒教社会になるためには、朱子学の登場、そして何といっても科挙を必要とした 欧州史で、中世と近世・近代がまるきり違って見えるのは、「ルネサンス」と「宗教改革」、そして「大航海時代」のおかげだろう
それに比べて中国史が、どの時代も同じように見えるのは、朱子学や科挙のもたらした巨大なインパクトを過小評価しているのが原因と思われる ・・・ちなみに、スレ立て時の説明が不足してたけど、このスレの趣旨は、
「日本史や欧州史は、古代・中世・近世でまったく違って見えるのに、中国史はどの時代も同じように思えるのはなぜなのか?」
という原因を考えるのが主な目的
誤解を招いてたらスマソ だから、たとえば「明はまったくの儒教社会・官僚国家と化した」と書いたとき、
「唐にも儒教はあった」、「唐にも科挙官僚はいた」というようなレスが返ってくるのは、
個人的には残念(笑)
まあ、でも、確かにその通りなんだから、それは仕方ないか・・・ もちろん、「外国のことだから、具体的イメージがわきにくい」ってのもあるだろう
でも、「中国がどの時代も同じように思える」というのは、日本人だけがそう思うわけではない
かの「史上最高の歴史哲学者」として名高いヘーゲルも、「中国には、古代も中世も近代もない。中国は『持続の帝国』なのだ」と述べている >>587
明は坊主出身の朱元璋が仏教を保護して仏教が隆盛した時代
次の清は、四大寺院以外の仏教徒を粛清して仏教色を中国大陸から排除した これは、中国特有の『王朝交代史』が単調に見えるという事情もさることながら、それだけではない
端的にいって、「漢や唐の先進性が、あまりにも過大評価されている」ことと、
「明や清の停滞ぶりが、あまりにも誇張されている」こと
この2つに最大の原因があると見る 中国人からみて>>589の指摘をどう見るのだろうか。当たり前だがこのスレのレスは全て日本人視点だからどれも大同小異のレスしかない。
「なぜこのスレも前スレと同じように見えるのか?」と言われないようにするのは難しい。 >>594
そういう見方もあるだろうってことで、>>591を付けておいた
どっちかっていったら、当方の念頭にあるのは、日本人視点というより欧州人視点 中国史においては、漢族なるものに実体がなく、すべての時代を通じてこの農耕民の大部分は文字が読めなかった。
漢族は北方の遊牧民によって統率される家畜の群れであり続けてきた。唯一の例外が明朝。 >>594
むしろ、「中国四千年の歴史」という一貫した持続性を、を政治的なイデオロギーとして強調しているのが中国人 >>592
宗教ってものは、教勢が強くなると弾圧され、弱くなると保護されることが多い 西欧人にとっては、元・明・清こそが中国との本格的な出会い
科挙官僚による学歴至上主義の異文化が、いまだ貴族による家柄至上主義に生きる彼らに鮮烈な印象をもたらした 世界に先駆けて身分制から脱却し、学歴社会に突入した 驚くべきなのは、いまだに欧米の大学では東洋史は歴史学の対象とはみなされておらず、
文化人類学的な地域研究のカテゴリで研究されているということ。
つまり、19世紀に誕生したイデオロギー
・歴史学とは進歩発展の歴史である
・非ヨーロッパ世界にヨーロッパの影響が及んだ近現代以外に進歩発展はない
・だから古代から近世までの非ヨーロッパ世界に歴史はない
というものがいまだに有効とされているらしいんだな。
Podcastで公開されている東京大学の歴史学の講義を聞いていて驚かされたんだが、
ヨーロッパの大学で日本人の日本史研究者が日本にも歴史があると主張すると、
鼻で笑われるんだそうだ。 >>601訂正
・歴史学とは進歩発展の歴史である
↓
・歴史学とは進歩発展の経緯を研究する学問である >>601
そういう面はあるな
あるイギリス人が「日本に来て、日本にもイギリスと同じような歴史があるということを知った」と真顔で語っているのを見て、
「そんなの当たり前じゃないか」と思ったが、彼らにとっては当たり前じゃないんだってことに気づいた >>603
そういう欧米人のイデオロギーは、アジア諸国でも旧植民地だった国では大学で普通に教えられているらしい。
私が学生時代に所属していた旧帝国大学の理学部系の大学院で、インドからの留学生と同じ研究室に所属していたんだが、
彼が母国の大学で「日本は明治維新から歴史が始まってそれ以前の歴史はゼロだった」と教わったと言っていたので、
個人的に彼に日本史のレクチャーをしたことがある。 欧州人が中東史を見る視点も、日本人が中国史を見るのと似てるところがある
バビロニア王国とかペルシャ帝国とか、古代に関心が偏っており、「欧州文明の前史」みたいな位置づけで、
とくに旧約聖書に出てくるネブカドネザル大王とかキュロス大帝は有名
ローマ帝国あたりから欧州史に視点が切り替わり、中世や近世の中近東にはまるきり無関心になる >>604
「明治維新まで日本は野蛮な土人が住む国だった」というのと、
「第二次大戦後に占領軍が戦後改革するまで、日本は東洋的な専制国家だった」
というのは、
左翼と朝鮮人が好んで持て囃す二大偏見 世界をオクシデントとオリエントに二大別し、
前者を自由の世界、後者を専制の世界とみなすのは、
ギリシア・ローマの古典を学んで育つ欧米知識人の根深いステロタイプなんだな。 「我が国は、自力で市民革命を起こしたアジアで唯一の国
朴槿恵政権を打倒したロウソク革命は、フランス革命のバスチーユ監獄襲撃にも匹敵する歴史的偉業ニダ」
ホルホルホル 英語で書かれた中国史は読むに耐えない
ハン・ダイナスティ、ソン・ダイナスティ、ミン・ダイナスティ・・・全部、同じに見える
皇帝の名前も、ウェンディーとかウーディーとか、そんなのばっか >>606
マルクス主義プロパーの立場なら日本には中世農奴制社会があったことになっているだろ。
明治国家は絶対主義かブルジョア国家かが論争の種になった。
天皇制ボナパルティズムなる高い評価を与える向きもある。
民主化した韓国を崇拝するのはそんなに左ではない人たち。
キリスト教親米左派とでも言うべきか。 >>607
西欧人も、古代の中近東やインドに関しては、それが自分たちの文化的なルーツであることを十分に認識している
ただし、古代しか評価しておらず、その後は停滞したと考えている
その点については、日本人が中国史を見る視点と通じるものがある しかし、中近東をほぼ統一した強大なオスマン帝国の出現は、欧州の歴史にとっても最大級の衝撃であり、「近代国家形成の契機となった」とも評される出来事
日本史に例えれば、大唐帝国の出現と白村江の敗戦に匹敵する >>596
騎馬民族征服説は中国においてこそ成立したんだなあ(しみじみ) >>613
ふぁっ?
中国大陸の場合、騎馬民族による征服は、電波ゆんゆんな「説」じゃなくて明確な現実でしょうが。 >>614
いや、普通「騎馬民族征服説(仮説)」っていったら
古墳時代中期の5世紀の日本列島に急に大陸系の騎馬文化が出現したことを
騎馬民族の征服に帰した江上波夫の仮説を指すでしょ。 >>615
んなことないよ
朝鮮半島の歴史でも大きな問題だし、日本だけじゃない >>615
出現していない。貴人のたしなみとして馬術・馬具などが伝わっただけ。
以後、日本に関する書き込み禁止。 >>617
そんな事言い出したら日本史と中国史の比較分析できなくなるぞ。 >>601
一神教の歴史観としては一般的ではないのかな 一神教は無から有が生じる世界なので、時間や物事のつながりを認識できない
宗教。だから人種差別だとか、他の地域に人間や歴史はなかったと平気で考える。 清朝はジュンガルを滅ぼした後、急激に弱体化した。仮想敵がいなくなったことが原因。
キリスト教とイスラム教の抗争のように闘争本能を刺激し続ける軍事対立がないことが東アジアの衰退をもたらした。 遊牧民が南下して弱兵化、遊牧民が南下して弱兵化、の興亡エンドレスループが終わったのが清朝のジュンガル平定。 >>620
いや、実際、台湾とかフィリピンとかマラッカとか、あの辺は大航海時代になるまで、土人の集落があっただけで、歴史らしい歴史がほとんど無かったのは事実
西洋人にとって、アジア・アフリカとの出会いはそういうところから始まっているからな >>623
フィリピンもマラッカも色んな国ができては消えて、宗教もコロコロ変わったり激しい歴史を経験してる
台湾だって単にお前が知らないだけで複数の民族の盛衰、同化、分裂を繰り返して常に変化し続けてきた
お前が知らないこと、あるいは文献記録が乏しいことと歴史が存在しないというのは全く違うぞ >>622
清朝だけじゃなくて、インドシナ半島のタイ、ビルマ、ベトナムでも、16世紀ごろに銃火器によって重武装して
近隣諸国との軍事紛争に対応したのが、紛争が一段落して平和がもたらされるのと同時に銃火器武装の軍事システムが
消失してしまい、軍隊から銃がほとんど消えてしまったらしい。 >>619
一神教というより、19世紀当時の北西ヨーロッパ社会が目に見える形で激変している真っ最中で、
その高揚感を古代ギリシア思想の「黄金の時代>銀の時代>青銅の時代>英雄時代>鉄の時代」
という歴史観になぞらえて「古代>中世>近代」の発展段階史観を編み出したことに由来しているんじゃないかな。
本来あそこまでの激変は19世紀の北西ヨーロッパの特異な時代性によるものだったのを、
ヨーロッパの歴史に普遍的なものと妄想してしまった。 実際に、西ローマ帝国が滅亡した後の西欧は、いろんな面で明らかに文明が後退したからなあ
このことは、いろんな根拠により確認されている
「暗黒の中世」という、西欧人の歴史観は故なきことではない >>605
>>611
国士様って奇怪な歴史観もってるよな
西欧人がルーツと見做す古代文明と言えばギリシャローマだろ
何でハリウッド映画ではペルシャが何時も悪役でギリシャやローマが主役なのか少しは考えてみろ ギリシャ・ローマ文明の前に、エジプト・メソポタミア文明があったのは常識だ
マトモな西欧の教養人が、それくらい知らないわけがない メル・ギブソンの「パッション」って映画でもモブのユダヤ人民衆は中東系
ローマ兵士は欧米系起用して一見してわかるようにしてたね 中国史は元代、あるいは明初までは発展していた。明中期頃に発展が停滞・退化してきたので
西欧と差が出来た。
このスレで何度も言われているように明・清のイメージでそれ以前の中国を見る癖がついたというのも
ここに理由があると思う。
欧米人のヨーロッパ中心史観に対抗する「文明発展モデル」を明清(日本も含む東亜というべきか)を
産むことが出来なかったことが痛い。 明末の航海士や宣教師の記録を見ると国土は極めて豊かで軍隊は容易に世界を支配しえるほど精強という評価だから
16世紀時点だとヨーロッパのシナに対する実力差はまだ埋めがたいものがあったようだね
マッテーオ・リッチ『中国キリスト教布教史』
この王国は非常に広大で人口も多く、食糧もあり、船、大砲、その他の武器をつくる材料もあるので、
それを用いれば、少なくともすべての近隣諸国を容易に支配下におくこともできるのだが、それにもかかわらず
国王も国民もそれにこだわることもそれを論議することもなく、自国に満足して他国を欲しがるということがない。
アルヴァーロ・セメード『チナ帝国誌』
つぎにこの国の物資の豊かさについて語ろう。国土が非常に広大で、いくつもの緯度にまたがっていて、気候がいたって
変化に富んでいるために、この国ではさまざまな産物が収穫され、消費されており、まるで神が世界の他の国々にお分け
になる一切のものをここに集中なさったかのように思えるのである。
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻
ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。 >>634
そりゃそうだ
世界地図や地球儀を見ても、中国が、北米と並ぶ世界最良の地の1つなのは疑う余地がない
ロシアは寒すぎ、ブラジルやインドは暑すぎ、日本や欧州は狭いし、中東やオーストラリアは砂漠だ
アメリカと中国は、間違いなく地球上で最良の地を占める2国 アメリカが世界を征服しないのと同じ理由だろうなあ
金がかかりすぎるから >>635
支那のeez面積は日本の20パーセントにも満たない
アメリカの10パーセントにも満たない
さらにマダガスカルよりも狭い >>634
経済力が豊か、ってだけなら19世紀半ばまでシナは欧州よりも上だろ。
そうではなくて、西欧に起きた科学革命や近代資本主義の発達といった「近代の萌芽」が
16世紀以降のシナには生まれ出なかった。
明後期以降の「文明停滞」(それ以前と比べての比喩だが。)が20世紀末まで続いたから、
16世紀以前の中国史も金太郎飴に見える、という指摘。
明清時代は欧州史でいう「暗黒の中世」(明清は中世ではないが)とみる。 >>634
ちなみに、インドを見たときのイギリス人の反応も、そんなもんだから >>601
奴らの考えでは歴史の主流は欧州史で
その対抗はオリエント・イスラム史
東亜に歴史があったとしても現代社会に何の貢献もしていないから
態々学ぶ必要は全く無いという考え方
日本人にヴェトナムの歴史は素晴らしいから学べと言っても
興味を持つ生徒は極少数なのと同じ
クロサワやニンジャ等から日本史に興味を持つように成る人はいるかも
知れんが、あくまでヲタクレベルのはなし 考えてみれば、外国の歴史にやたら詳しい世界史マニアって奇妙な存在だよなあ
日本史や中国史に、妙に詳しい外人がいたらビックリだ それにしても、西欧の中世史、あれは学ぶ意義あるのかね?
それこそ、5世紀から15世紀までをショートカットしても、なんら問題は無さそうだが >>643
欧米人からしたら自分達のルーツだから学ぶ価値あり
日本人からしたら他人の歴史だからあまり意味は無いが
日本史の中世史と比較するにはいい
他に似た歴史は中国の春秋時代ぐらいしか無いし ヨーロッパ中心史観によると、非西欧地域(中世以降の中近東・インド・東アジア)は
人類文明の発展ルートの「外」に当たるというのなら、
ロシア史はどこにカテゴリされるのかな?
キリスト教国で白人国ということで欧州の「特別枠」に仲間入りさせてもらえるのか、
中国インドと同様に「ルート外」扱いなんだろうか? スレチだが西欧人の感覚が知りたい。
ロシア史なんてロシア革命以前はほとんど世界に影響与えていないと思う。 ロシア人はシナ人のように悪どいので
自分達とは違う専制国家で仲間外れ >>647
>ロシア史なんてロシア革命以前はほとんど世界に影響与えていないと思う。
さすがにそれはない
「ロシア革命以前」ではなく、「ピョートル大帝の改革以前」というのなら、その通りだと思うけど ロシア帝国が世界史に本格登場するのは、18世紀初頭のピョートル大帝の時代
スウェーデンに代わる北欧の覇者となり、春秋時代の秦みたいに、野蛮な辺境だけど桁違いの国力を持つ脅威の大国に変身した
18世紀の世界大戦・七年戦争では、あと一歩でベルリンを占領し、プロイセン王国を滅ぼすところだった >>649
北方戦争 ポーランド分割 クリミア戦争・・・・まあ、いろいろと「結果にコミット」してからな。
しかし、主役では無いわな。 オスマン帝国と似たようなポジション。
だから、ロシアは西欧中心史観では文明発展の「ルート外」だと。
そう考えると「ルート」の真ん中に躍り出たのはロシア革命が初めて。英仏伊西蘭と較べて
「CDデビュー」がかなり遅い。バックダンサーの期間が長すぎる、つーことです。
中国やトルコが歴史ではなく文化人類学の部類に入れられるんなら、革命以前のロシア史もそうなるんじゃないかな、と。 >>649
ピョートル大帝以前のモスクワ大公国時代には、ヨーロッパ史への関与は少ないが、
内陸ユーラシア史の枠組みではモンゴル帝国の後継諸政権の覇権闘争の重要なプレイヤー。
ピョートル大帝の時代に「ロシア帝国」となると、ヨーロッパ史への関与と内陸ユーラシア史の
両面でのプレイヤーとして特筆すべき存在になってくる。
ヨーロッパ史への関与では、北方戦争におけるスウェーデンとの軍事闘争の他に重要なのが、
産業革命前夜でコークス製鉄が実用化される前で、しかもヨーロッパ本土やイングランドでの
木材資源が枯渇していたフェイズにおいて、スウェーデンとロシア帝国の二か国が、
新興の木炭製鉄国家としてヨーロッパ本土への鉄鋼のサプライチェーンの源流として
存在感を増してくる、ということ。また、このライバル二か国とも、製鉄大国として台頭する
背景として、当時ヘゲモニー国家として隆盛していたオランダからの技術移転と資本注入が
効いていた、というのが重要。 そもそも、製鉄大国としてスウェーデンを育てたのはオランダ資本だったんだが、
スウェーデンが大国化して「バルト海帝国」なんてものを形成してしまうと、
ヘゲモニー国家としてのオランダはバルト海における海運業なんかの制海権の都合で
必ずしも好ましくない事態に陥ってしまったみたいなんだな。
それで、スウェーデンのライバル製鉄大国としてモスクワ大公国に技術援助と
資本注入を行った。その絶好のパートナーがピョートル大帝だった、ということだったみたいだ。 なんか勘違い人がいるけど、日露戦争後の日本が国際政治のプレーヤーになることと 文明史の担い手にカウントされことが意味が違うのと同様に、
ロシアの大国化と文明への貢献は別の話。
東洋文明が現代社会に貢献していないならロシア文明も同様。せいぜいテルミンとスプートニク位。
しかもロケット技術の元はドイツだし、ロシアが人類文明に貢献したことは皆無に近い。 メンデレーエフの元素周期表の発見の人類文明への貢献は大したことがないと? 紙と火薬の発明を無視する西欧中心史観にとっては、そんなものは新聞のコラムみたいなもんだ。
東洋史が歴史ではなく文化人類学に属する視点に立てばそういうことである。 殷〜周までは王の時代
秦〜清までは皇帝の時代
中華民国以後は元首の時代
別に繰り返しとは思えない 中国の歴史は大まかに三分できる。
王の支配、皇帝の支配、元首の支配。 >>658
複数政党による議会制民主主義が定着しなかったし、ずっと反民主主義の体制を繰り返してる >>658
我々日本人にはそう見える。
ところが、近代の西洋人は、周代の中国と清代の中国がどう違うのかさっぱりわからないと言っていたんだそうだ。 >>658
うむ。では、BC221〜1912の2133年間は繰り返しの歴史だと言いたいわけだな? >>662
繰り返しの歴史どころか、どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴みたいなものを
イメージしているらしい。 >>662
それは否定しないけど
全体を通して見ると三分できるよ。 中国史は長いので編集してみた。
●斉の桓公即位〈BC685〉〜晋の分裂(BC452) ♯234年間
<この間 170年間をカット>
●秦荘襄王誕生(BC281)〜前漢文帝没(BC157) ♯125年間
<この間 1014年間をカット>
●唐懿宗即位(859)〜明弘治帝没(1505) ♯647年間
<この間 216年間をカット>
●清雍正帝即位(1722)〜 現在 ♯298年間
というわけで、合計1400年間+約1000年分の減量に成功しました。
中国三千五百年の歴史をわずか1304年間とダウンサイジング。 【中国史ディレクターズカット版の7大特色】
@ 人名を憶える事が全く無意味な殷周時代を「白紙化」することで、中国史を
日本史サイズにまで縮小、手軽に持ち運び出来ます。
A戦国時代を“信長以降”としたことで統一過程が解り易くなりました。
しかも、大人気の春秋時代はバッチリ網羅。春秋五覇による壮大なドラマと
孔子・老子が目指した中華帝国の姿を両軸に、「漢民族」の形成を考察していきます。
B呉楚七国の乱と黄巣の乱を置き換えることによって、千年間のグダグダを排除、効率的に中華帝国史を学習できます。
C中華文明の最盛期である宋・元王朝の勃興から滅亡までを完全網羅
Dさらに産業革命の一歩手前までに経済発展した15世紀を追加し、倭寇・勘貿易・琉球王国等、日本史に大きな影響を与えた東アジア海洋帝国の全貌にも迫ります。
E明と清を一つに合体させることで「北京帝国」の構造がよりクリアな「見える化」に成功。 中国共産党の内外政策と目指している方向がしっかりと理解出来ます。
Fマニア好みの雍正帝を初回限定盤のみ詳述。(次回版から「乾隆帝即位〜現代」となります。) 中国やインド、中東などはヘレニズムの民主化が浅かったからな >>658
秦から清までを中世、それ以前が古代で、以後を近代と見るか? 東漢までが古代(文明草創から次第に統一されて行く時代)で
唐まだが中世の貴族時代(古代帝国崩壊の過程)
宋以後近世や >>668
>秦から清までを中世、
古代帝国とちゅうせいの貴族社会と近世の中央集権が同じ時代なんかあほ >>670
アフォはお前だろ(笑)
「中世」というのは、歴史を三つに区分したときの、その真ん中のことだ 中国は歴史的に庶民の暮らしはどうだったんだろうな
漢代と明代では服装などはどう違うんだろう 前漢代には郷里共同体という形で、古代的な邑制社会の残影が濃厚に残っている。
その社会が前漢代を通じて豪族の民衆支配によって浸食されていって
後漢の豪族連合政権に変質している。
そういう意味で、「漢代」というのが古代から中世への移行期とみなせるんじゃなかろうか。 >>673
そうだな
西欧の中世が始まったのは5世紀の後半
中国はそれより3世紀ほど先行していてもおかしくないから、そんなもんだろう >>674
古代的な共同体社会の解体、というのを古代社会から中世社会への移行期の指標とするなら、
ヨーロッパでの「中世の始まり」じゃなくて「移行期の始まり」は、もう少し早く設定できそうな気もする。
例えば、ローマ帝国を構成する都市国家のエリート層が農村のウィッラに脱出し始めた時期とか、
ローマ帝国を維持する軍事力が都市国家社会からの兵士や軍人ではなく、ドナウ川国境地帯の
現地徴募の叩き上げ軍人層に移行してきた時期とか。
そういう観点でとらえると、中国とヨーロッパの「移行期」は案外同時代の現象とみなせるのかもしれない。 シンイ、カメちゃんでしょ。
ウミガメのこと、ハワイの言い伝えのことだけど、ウミガメはずっと昔から動いていない。
数えきれない昔から動いてない、その時代に戻るということw 三つ子の魂百までも
これと同じ、地球の営みも3歳までで決まるということ。
まず3歳まで戻ってから成長する営み。 それをするのに無限の宇宙では無理になっている、
有限、つまり宇宙が滅ぶ危険がある中戻る。 今まで人が神になり好き勝手放題出来たのは宇宙の無限のおかげだ。
神を騙って天下をとったような態度で入られたのもその為だ。
天狗になった人は今では化け物になっている、やめることをしない化け物たち。 欧米の歴史的区分法をアジアの国に
当てはめるのは誤り。
アジアにはアジアの歴史的区分法がある。 >>681
確かにそうなんだけど、西アジア、地中海、華北といった古代文明が栄えた地域でのパラレルな現象ってのは
あるように思える(言い換えると欧州でもライン川より東とかスカンジナビアには当てはまらない)。
ここら辺の世界では都市国家的な産業や権力が集約された共同体が発生・発展してから、その統合体としての
「古代帝国」が成立している。「古代帝国」はその社会システムの前提として都市国家的な共同体を存立基盤として
必須条件としているのだが、逆説的に古代帝国的統合が都市国家的な共同体を融解、破壊していってしまう。
そうすると、存立基盤自体が解体してしまうために、古代帝国も解体を余儀なくされる。そして、都市国家的な背景と
古代帝国的な統合が解体した焼け野原から、新たな社会統合の模索が始まる。
そういう意味で、古代文明地帯に限っては、
・都市国家的共同体の発生と発展
・都市国家的共同体の統合による古代帝国の発生と発展
・古代帝国内部での都市国家的共同体の融解とそれに伴う古代帝国の衰退
・古代帝国の解体と新社会秩序への模索
という時代区分が使えそうな気がするんだよね。
で、いわゆる「古代」ってのは最初の3フェイズで、最後のフェイズから先が「中世」
に相当するって事なんじゃないかと。 前漢までは邑制国家時代の残滓が濃いよね。都市国家から領域国家への過渡期だな。
後漢の後期から古代→中世 という視点は有り得る。
欧州史では西ローマ帝国滅亡以前に中世封建社会に突入していたことは知られているし、
ヨーロッパとシナの歴史の「共時制」は自分も感じる。 多分、都市国家的共同体の古代帝国内での融解っていう内発的現象と、
気候変動による食い詰め牧畜民の外部からの流入という外発的現象の相互作用が、
中華世界と地中海世界でパラレルに起きている。
ただ、中華世界では古代帝国外からの牧畜民の南下侵入だけでなく、
華北の畑作民も凶作で武装難民化して江南に侵攻している、
というのが地中海世界とちょっと違う。
この、華北人の武装難民化しての南下と侵攻を受けた江南人の融合が六朝社会の
成立という面で非常に重要になってくる。
同じ古代文明世界でも、イラン高原では都市的定住共同体の散在する間隙に
騎馬遊牧民が入り込んで共存社会を形成したことで、地中海世界や中華世界とは
別の歴史の歩みを始めた感がある。
つまり、都市的定住共同体が騎馬遊牧民と定住民の交流装置として成熟して
古代帝国の中で融解を起こさなかった。
興味深いのは、この集約的定住共同体の結集による古代帝国の成立と、
古代帝国内での定住共同体の融解雲散霧消による古代帝国の解消、という現象が
日本で周回遅れで起きている、という事なんだな。
日本での古代帝国成立への移行期が3〜6世紀で、
古代帝国としての律令国家の解消が9〜10世紀。
同じ古代文明の周縁地帯でも、古代帝国経験の有無が日本とライン川以東の欧州で
大きく異なる。 官僚をはさんで、皇帝による支配の繰り返し。
現在の中国も皇帝支配で同じ。
支配されるのに慣れると、自分たちで考えるのは面倒。
奴隷的国民性。 官僚をはさんで、皇帝による支配の繰り返し。
現在の中国も皇帝支配で同じ。
支配されるのに慣れると、自分たちで考えるのは面倒。
奴隷的国民性。 官僚をはさんで、皇帝による支配の繰り返し。
現在の中国も皇帝支配で同じ。
支配されるのに慣れると、自分たちで考えるのは面倒。
奴隷的国民性。 「過去から未来に向かって一直線に進む時間」というのは、キリスト教の天地創造、最後の審判から出てきた発想だ。
古代人にとって、時間とは、そういうものじゃなかった。
時間は、春夏秋冬、朝昼夜と、ぐるぐる回る円環だった。
古代社会では、文明の進歩がとても遅くて、1人の人間が生きてる間に実感できるほどの進歩は稀だった。
とくに古代インド人は、歴史にまったく興味がなかった。
古代ギリシャ哲学を深く研究したフリードリヒ・ニーチェは、「同じものの永遠なる回帰」を主張して、キリスト教を否定した。 >>691
ユダヤ・キリスト教の終末論は、ゾロアスター教からの影響じゃなかったっけ。
終末に至る歴史観を否定したってのがニーチェってのは皮肉なもんだけど。 儒教は祖先崇拝の宗教だけに、「昔は良かった」というのが基本思想
周の時代が理想とされていた >>689>>690
恥ずかしいからって、他人のレスをコピーすんなw >>693
「昔がよかった」方向の思想は儒教の専任事項じゃないよ。
ユダヤ・キリスト教社会でも、「楽園追放」前が最高の理想状態で、
歴史とはその状態からの「堕落」の過程と認識されていた。
近代の欧州知識人にとって、「いかに社会の堕落を遅らせるか」が焦眉の的で、
そこに登場した生物学の「進化論」は、本来の生物学の議論内容から乖離して
多くの知識人に「堕落の回避」の救世主的議論として歓迎された。 欧州史は
古代は地中海世界で中世以降は大西洋世界だから
地域も民族も違う
東洋史も
古代はインド・中国で中世以降(邪馬台国以降)は日本史にすべき >>696
今こそ、最強の専制王朝だ
漢の武帝も、清の康熙帝も、全土に監視カメラを設置することまではできなかったからな
おかげで、ソニーの画像センサーの需要が急増、
日本の半導体産業が復活しつつある 前近代の中華世界の皇帝政府の権力が直接及ぶのは、地方の県城の上級官まで。
県城に派遣されてくる官僚と現地採用の吏員の間には深い断絶があった。 >>691
そうだな
仏教や神道では宇宙の誕生は何百万年も前の話だが
旧約聖書では今からわずか6500年ぐらい前の話
もの凄く進歩が早い >>697
起源と感じるのは同じだから、起源の根本は同じなら同意w 三国志の呉にも出てくる玉璽。
日本の浦島太郎の玉手箱で呪って閉じ込めて印封されてしまう。
印封されたせいでウミガメはシワの多い、目の充血した目になっていった。
反対にいる人間がそのウミガメの恩恵を受ける。
目の色が綺麗な人間、肌の綺麗な人間。
それを印形というのかもしれないな。
玉手箱はやがて呪いを解いて開くことになるだろう。
そうなれば今まで綺麗な目、肌だった者(ウミガメから盗んだ者)はしわくちゃな目の充血した醜い姿になると。
中国人に多かった綺麗な目。 >>704
これは想像にすぎない。
未来はもっと過酷で酷いものになると思う。
残忍な手段を選ばないような化け物が運びっている今の影響は測れるものではない。 >>706
以前から、「イギリスの呪い」がどうのこうの書いていた人と同じだと思う。
日本語がおかしいというより、意味の破綻した「詩」を投稿している。
ほぼ「妄想」を詩にしているんだと思う。 >>706,707
以下のスレにもイギリスがどうのこうのと書き込み人いるよ。たぶん同一人物。精神疾患か何かだと思う。
イスラム教は野蛮な宗教である ★8
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1551096718/ >>708
詩としての言葉のリズム感だけは悪くないんだけどな。
なんか、ノストラダムスの予言詩に似てる。 >>704
日本語には「封印」とはいうけど、「印封」とは言わない
中国人なんだろうけど、日本語の詩になっている >>712
お前は言わないだけだろ、狭い世間で物を言うなよ。 >>706
支那人はお前らイギリス人の子分だったじゃないか。もう役に立たないから切ったのかw >>707
孤独だからってことで、寂しさを憎しみに変えてヘタレだからなw >>712
印封とあえてそう書いたんだよ、邪魔したからくたばってるわw NCIS Far East Field Office
クチコミはありません
軍事基地
保存
〒238-0001 神奈川県横須賀市泊町
横須賀米軍基地
隊員 佐田 延彦 33
090 1433 6522
隊員 有刺 友人 35
080 7966 3208
尾粉勢 おこぜ 具栄 ともひで 33
080 4132 6522 >>717
何故中国共産党じゃないのに中国共産党と言ったのかw
余程困ることがあるんだなw >>713
日本人はこんな言葉使わへんでwwwwwwwww
>>716
ファッ!?やっぱガイジやんけ
あガガイのガイw >>706
白い肌に綺麗な目にもう一つ綺麗な歯もあるよなw
全て強欲の賜物。 >>721
イギリス人のキリスト兇徒は我慢できなくなりましたw >>721
フランドルのキリストの磔刑の右端のだな。
キリストは復活しているんだがw
イギリス人は手に入れていたんだ。 触らぬ神に祟りなしだよ。
もうつつくのやめようよ。 >>726
つつくってw
だって日本には、関係のない歴史だからな。 >>726
ターゲットは世界共通のイギリスへだけどな、最終的にはイギリスに行く。
面白くなったと聞こえたぞw ちゃんとした歴史書が無い国は歴史が無いと言える(考古学は有る)
歴史が有るのは、世界で8大文明圏だけだよ
一応言っとくけどファンタジーは歴史じゃないからね >>729
インドはイスラム勢力が入ってくるまでずっと先史時代でつね イスラムの前にペルシャやアレキサンダーも記録を残してるから
そこは歴史
ヴェーダーも考古学と適合すればギリギリ歴史か
今の段階では神話、伝説の分野だろう
文明が有っても歴史が有るとは限らない >>729
ちゃんとした歴史書=書き換えたご都合主義の嘘 >>729
イギリス人は賢人を全て暗殺していった歴史。
何度も振り返る機会があったのに、全く無視をする。
紀元前500000000年から変わらず自分は頂点で神を騙った悪魔のままだな。 >>729
そして何度も神に警告を受けてたのに、滅ぼされても変わることをしなかったイギリス人。また滅ぼされるが今度は違うぞ。 >>733
それを言っちゃたら
ヒストリアも史記も学術的価値は0だな >>737
NHKの歴史なんか知らないよw
お前らイギリス人は嘘で固めた歴史書しかないだろ。 なんか、このスレは>>704以降ほぼ「イギリス・ポエム」氏に占拠されちまったな。 兵馬俑背の順になってる?背の順はきついと思う。何の根拠もない並び方で失兵覚悟だよ。 シンイ
神威
アイヌの神のことだろうな。
日本とモンゴルとの繋がり。
解毒、解毒w
解毒はたぶん呪い解きのことだろう。
解かないとモンゴルの将来がないから。 モンゴルは今でも人の世を生きている。
日本は化け物だらけだ。
人の世になるまで歴史を遡る。 >>744
その歴史を辿るじゃないんだよw
もし辿れるなら、こんな事は重要じゃなくなるw >>744
孔子を知るのに、孔子の言った意味を理解することをしないで、孔子の背景ばかり習っているのが今の日本の歴史教育というか倫理教育。 江戸時代の日本の人口は、約三千万人
オスマン帝国と大差ない人口
清とムガール帝国の人口は当時から桁違いだったが、日本はそれに次ぐ大国のひとつ 鎖国のせいで目立たなかったが、江戸時代の日本はものすごい大国 カール・マルクスの唯物史観は、発展段階説であり、どの時代も同じように見える中国史には適用しにくい
その点、西欧史と日本史は、古代・中世・近世・近代の違いが明確であり、誰の目にも発展段階が明らか
マルクスとしては、本当は中国なんかじゃなくて、そういうところで社会主義革命が起きてほしかっただろう しかし、漢が奴隷制の古代社会で、唐が農奴制荘園の中世社会だったとすると、話は変わってくる
中国の社会主義者としては、なんとか、話をその方向に持っていきたかったのもうなずける 【質問】
唯物史観がよくわかりません。
進研ゼミからの回答!
こんにちは。
それではさっそく、質問について回答させていただきます。
【解説】
唯物史観とは、「物質的な生産力や生産関係の変化が、歴史を動かす原動力となる」という考え方です。ヘーゲルが「絶対精神が自由の実現に向けて歴史を動かす」と考えたのとは一線を画したものです。
マルクスは、この社会は生産力(生産手段や能力)と生産関係(生産を通じて結ばれる関係。資本主義社会における
資本家と労働者の関係など)からなる土台としての下部構造と、制度・文化などからなる上部構造から形成されると考えました。
生産力は手段・能力の向上に伴い増大・変化する傾向にありますが、生産関係は、支配階級が現状の維持をねらい、制度によって固定化される傾向にあります。
増大する生産力と固定化した生産関係との間の矛盾は,やがて階級闘争という形であらわれます。
マルクスは、この唯物史観にもとづき,人間のこれまでの歴史は階級闘争の歴史であるととらえました。
そして,資本主義社会とは、生産手段(原料、道具、土地や工場など)を所有する資本家が、それらをもたない労働者を自らの利益獲得のために搾取し、
支配する社会であると考えたマルクスは,このような社会では、労働者は自らのためではなく、資本家のために働かされている状況、
すなわち疎外された労働に陥ってしまい、労働者の人間性が奪われると主張しました。
ゆえに、マルクスは、労働者の人間性を回復するために、革命によって資本主義社会を打倒し、生産手段を人々が共有する共産主義社会を実現しなければならないと考えたのです。 しかし、ヘーゲルからは、「中国史は、どの時代も同じことの繰り返しに見える」と言われ、「持続の帝国」というレッテルを貼られてしまった
これをなんとか引っくり返して、マルクス的な階級闘争史に持っていかなければならない
「同じことの繰り返し」では困るという事情があった
こうして、中国のマルクス主義者としては、「漢は奴隷制社会だった」をなんとか証明しようと躍起になるに至った >>751
>>唯物史観とは、「物質的な生産力や生産関係の変化が、歴史を動かす原動力となる」という考え方です。
ちょっと足りないな。それではなぜ『唯』物なのかが説明できていない。
正しくは、「物質的な生産力や生産関係の変化『だけ』が、『一意的に』歴史を動かす原動力となる」だ。
経済システムの変化が歴史を動かす重要な因子になることは現代の歴史学者にも受け入れられていて、
それはカール・マルクスの歴史に残るべき重要な業績ではあるんだが、
それだけが一意的に歴史を動かす、という単純化した理論は現代史家には受け入れられていないし、
それこそがマルキシズムの重大な欠陥であり、社会主義国家・社会主義者が歴史に残したもろもろの悲劇の元凶だ。 真剣に歴史を教科書で習っていても事実は知らないままw
もうネットには嘘しかないから無理だけど、私はネットの力を借りて知っていったんだよな。
もっと言えば過去を辿るのは事実じゃないと、戻っていけない。
私の事実の証拠は戻っているか確認できた時になる。 大丈夫、遅過ぎはしない、これが始まりだ。
昴になる危険はあったが、なる事はない。新しい星の始まりだ。
太陽黒点云々は妄想話だろう。そういう事実はない。
ドラマ シンイの最終回見ちゃったよw >>756
高麗と元という国間は、イギリスとフランスだと思う。
フランス革命スレに書いている。 >>756
キチョルは
パリのルーブル美術館の
フランドルのキリスト磔刑の右端じゃないかって感じる。
まだ死んでない。 ウルタム
アイヌ語
ウ ルタッ ムゥ
悪 身震いするような 陰気な空気
チュ モン
アイヌ語
争いごと 小賢しいことで >>760
房総半島は話の規模を小さくしたものかな。
あれが影響しているだろう。
房総のことはまだ知らない話だけど。
と思ったが思い出した、里見八犬伝の話だ。
同じところにあるんだよ。 >>761
1814年 里見義秀が民間にも意見くらい言えるようにしたいと、天皇の火の番に相談したのが発端。
千葉常重に里見家の排除を命令してからの悲劇。
元々京都と千葉は繋がりがあった。
1500年頃千葉家は今の幕張あたりにいた。
千葉市にいた豪族に対して嫉妬をして京都の入れ知恵でその豪族を滅ぼしてしまった歴史がある。
後に千葉家がそこに住むようになっている。
何も知らない里見家は無謀な事をしてしまった結果になってしまった。 >>761
里見は正義を貫いた。
ところが周りは権力にひれ伏したんだよ。
今の世の中がどうなのか分かるだろ。
正義は悪だよ。
天と地が逆さまになっているんだよ。 >>762
千葉市にいた豪族を滅ぼした重い罪は、災害となって返ってくる。
支笏湖の永遠の夢が叶ったからだ。
アイヌかまだいない北海道でもうこれからの未来の事を予言していたんだよ。 ちょっと脅せばビービー泣くようなヘタレ達を滅ぼしたってなんの気も済まない。
遠い未来には中国もヨーロッパもこの千葉も海に沈むとなってもなんの気休めにもならないんだよ。 >>766
これが何かヘタレと関係があるとかw
栄えたかどうかというのは大阪が出てきたからだろ。
塩だなw またへんな話をするがw
呂布は
128〜235年まで107歳まで生きた。
190年に種子島に渡り島根県に渡っている。
あの鑑真が呂布そのもの。
どうだ、信じがたいだろw
神を忘れた奴らはまた嘘だとほざくw
董卓の近くにいたのは呂布ではなく別人。
他もそう。 >>769
終わったな。
イタリア人なんかイギリス仕込みの嘘八百教科書で洗脳されているから無理なんだよ。
ほれ、神を悪者にしたじゃんw >>769
〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄3丁目29−1 名古屋パルコ 西館 7F
ラケル 名古屋パルコ店 >>771
店員
ローザ リカルッカラ 35
090 1310 5911 >>762
佐竹義直が里見家を滅ぼした張本人。
今回の地震はその地震かと思われる。
佐竹は戦国時代は千葉の房総にいた。 >>762
千葉家のはもっと大きい罪。大きな災害になる。 サッカー:U18韓国のトロフィー踏みつけに中国激怒、優勝剥奪
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/30/2019053080224.html
中国・成都で開催されていたサッカー男子U18(18歳以下)の国際大会「パンダカップ」で、優勝した韓国代表チームの選手がトロフィーを足で踏みつけ、中国側の激しい怒りを買っている。
この問題で韓国チームは30日、中国に公式に謝罪したが、中国人たちの怒りは収まらず、大会組織委員会は韓国に授与した優勝トロフィーを剥奪した。
中国の現地メディアは30日「中国のパンダカップ組織委員会は、韓国U18に授与した優勝トロフィーを剥奪することを決めた」と報じた。
「事件」は29日に起きた。同日行われた最終戦で韓国は3−0で中国を破り、優勝を決めた。
その後の優勝セレモニーで、ある選手が優勝トロフィーに足を乗せた。現地メディアによると、韓国チームの選手の中にはトロフィーに向かって用を足すしぐさを見せる選手もいたという。
大韓サッカー協会の関係者は「優勝後にはしゃいで自由な感じでポーズを取っているときに、このようなことが起きたようだ」と苦い表情で語った。
大韓サッカー協会は30日未明に中国サッカー協会と成都サッカー協会に文書を送り、謝罪の意を示したが、中国人たちの反発は収まらなかった。
韓国チームのキム・ジョンス監督と選手たちは状況悪化を受けてホテルで緊急記者会見を開き、謝罪した。
キム監督は「良い大会に招待してもらったのに恥ずかしい行動を取ったことについて謝罪する。今回の件は完全に私の過ちだ。中国国民の感情を傷つけたことについて、重ねて謝罪する」と述べた。
今後への悪影響も予想される。中国国民の「嫌韓感情」を刺激するとの懸念もある。
大会を主催した成都サッカー協会の関係者は、中国メディアとのインタビューで「今後、韓国チームは大会に呼ばれないだろう」と述べ、不快感を隠さなかった。
また、別の関係者は「韓国はパンダカップと全ての参加国、ファンを侮辱した」と非難した。
優勝カップの剥奪という史上初の事態まで引き起こし、韓国サッカーの対外イメージは少なからぬ打撃を受けた。
キム・ドンヒョン記者 , クォン・ヒョクチン記者
NEWSIS/朝鮮日報日本語版 ジョンイのテドとジョンが花火を見るシーン。
隅田川花火のこと。
まだスカイツリーのない時代、初年度1978年 は、伊丹空港で日本航空が尻もち事故を起こしている。
そしてその飛行機は1985年の墜落事故。
1978年は中国共産党の勝ち始めた時期。
尻もち事故は原因不明。
ずっと中国共産党員は祈祷をして日本の滅亡を望んでいた。それが身になった年となったから。
韓国ドラマと言っているが、朝鮮族からモンゴルに至る民族の予言の話である。
曹操、曹丕がいた頃にはもう伝説になっていた神の話。 ジョンイの何故壺が出てくるのか。
壺というか器は、中国が綺麗な水を手に入れることが難しいため器に水を入れて保存していた。その器もなかなか手に入れることが出来ないと理由で、尊いものの例えをその器に見立てて子供らに話をして尊いものがいかに大事なものなのか教えたというところから出たもの。
でも、これには当てはまらないよなw http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=35691
かなり昔に流行した唄
南からハルビンに向かう道のこと。
この歌を作った人は中国共産党に追われてハルビンに逃げていた。
そこでも中国共産党の足音が聞こえてきて逃げてることに。
祖母はここに残ると、祖母への手紙を書く孫。
曹丕の思想がいつか役に立つことを願う人のざわめき。 満州まで中国共産党の手が伸びて、まだ2.26事件が起きる前の出来事。 ジョンイ
ガンチョンはありえない役目だよw
あれだけいろいろ考えられるなら神を知っていなければいけない。
ならあんなアホな事はしない。
逆に神の知らないガンチョンは破壊を繰り返すだけになる。
短略的な事をしだしたら、そこから逃れられないから。
じっと我慢するのなら貝のようになってなければいけないからな。
だからガンチョンが何か理由があってやってると思ってた…なかったなw >>778
久保田早紀とかいうのその頃生まれてすらいねーじゃねーか
アホ
統失
ガイジ >>781
だれが久保田早紀がこの詩を書いたと言ったのよ。
お前じゃんw >>781
想像すら出来ない妄想だけの化け物だよ、お前は。 >>782
作詞作曲唄全部久保田早紀ってそのページに書いてあるだろ
「この歌を作った人」は久保田早紀だ
日本語も読めない糖質アホガイジ
薬ちゃんと飲めw >>784
そう言ったのはお前w
経験した人は誰か名前すら知らないからなw >>784
この歌を作った人イコール経験した人だよw >>784
それでも久保田咲紀だっていうんだろ。お前は病気だよw
知恵遅れがそうだよw >>784
この歌謡曲の中で、作詞作曲の名前は必ず本人に間違いないとお前はそう言ってるんだよな。
違うこともあるんだよ。
でもお前はそんなことはない久保田咲紀だというんだよ、病気だからw >>784
悔しくて悔しくてまたサイバカサイバーかw >>785-789
精神障害者こわいなーとづまりスト4
こういうのが普段岩間好一みたいなことしてるキチガイだってはっきりわかんだね 法界寺
ほうかいじ
〒601-1417 京都府京都市伏見区日野西大道町19
住職 担荷宇 たんにゅう 義工 よしこう
63
080 1466 8902
無線サイバー
奥様は旦那がいなくなろうが全く気にせず、ジョンイを見ているアウアウカーがどこにいるか調べ始めているw
京都での放送を今日流させないようにして、北海道だけにしてレスするかどうか確認していた。
権力はあるのに辛抱がたりないw
衛生で8時30分までしかジョンイを見れなかったのはヘタレだからだろw
どこにいるか確認せずきてくれと言えば行ってあげるのにwww >>791
泰澄山 栄春寺
〒612-0053 京都府京都市伏見区桃山町丹下30
075-641-2070
住職 寺島 明長 みんちょう 65
090 1315 7955
宝福寺
〒612-8357 京都府京都市伏見区 帯屋町915
075-611-6037
女将 義慶 よしけい 経子 けいこ 65
090 1355 8905
仲間 京都に起きたら災害、地震6月21日震度5が50回、電磁波など は北海道が仕組んだ罪だと言っている。
根拠は、村上の地震だからだと、村上の地震は京都のせいだって北海道が言うから。
アウアウカーは北海道にいるのは間違いないんだからと。
絶対北海道が仕組んだ罠だとしんじているw 京都の災害は隠さないと他の奴らにも貶められるから。
守るために致し方ない手法。 アウアウカーを殺すと言うんだろうけど、信じる信じないはともかく、三回行きが止まっているゾンビだからなw >>795
行きじゃなく息だよw
お前らのようなバカになんか殺されら訳ないだろw >>792
経子の旧姓 高沼
こいつの親族も仲間だぞ。 >>792
猫ちゃんだよな。
ちょっとふざければそれを弱みだと思うバカだからw 今日のジョンイの秀吉の名前が出てきてるが、中国人や京都伏見を調子に乗らせたからだ。
朝鮮族の言い伝えは、
シルクロードを通って悪魔を調子に乗らせてきた。
日本の天皇もそれで腐っていっている。
秀吉は人を信じる、悪く言えば鵜呑みにするようなお人好しだった。
京都でそんな秀吉を標的にして重要な決断をさせた。それで天皇が中国人になった。
そのせいで秀吉は名古屋で地震にあい命を落とした。
秀吉が攻めてくるといのは、シルクロードを逆転に辿って原因の元にいくからだ。 >>799
逆に辿ってが正解だが、逆転していくから間違ってないなw >>799
https://www.joysound.com/web/search/song/114252
西へ西へはシルクロードを辿って西へ。
夢の闇の奥〜ラマ(チベットダライ・ラマ)教養の乏しさのこと。
ダライ・ラマが乏しいなら日本の仏教の坊さん方は酷いのは当たり前だ。
千の国〜中国
夜明けを手中に〜中国共産党のうたい文句 https://www.joysound.com/web/search/song/298042
これは初期P-model の作詞の歌
平沢進 は偽物が何人か出ているようだ。
最初の偽物が北朝族。
だからこの歌の意味が朝鮮族ならわかるかなと。 >>802
〒604-0901 京都府京都市中京区末丸町541−35
中国共産党 全てただ
宮川 小百合 46
080 1362 8256
元中国人 中国企業建設のビル倒壊、関係者を拘束 カンボジア
https://www.sankei.com/world/news/190622/wor1906220029-n1.html
2019.6.23 19:50
カンボジア南部シアヌークビルで建設中のビルが倒壊した事故で、地元当局者は23日、死者が17人になったと明らかにした。地元警察は中国人の工事関係者らを拘束、原因を調べている。地元メディアなどが伝えた。
事故は22日朝に発生。ビルは中国企業が建設しており、8割程度完成した現場に建設作業員らが寝泊まりしていた。がれきからの救出作業が続いており、死傷者は増える恐れがある。
シアヌークビルでは近年、中国資本によるリゾートなどの開発が急ピッチで進んでいる。(共同) 773
佐竹は上杉から養子に行ってるんだよ
血統的には管領上杉の末裔
上杉は長尾が継いだべ
そんあとは九州の方のやつが継いだ 千葉がどおした?
とっくに滅んだぜ
あとは徳川氏は養子だしすぎ
伊勢神官やらに男がついたべ
やりすぎ 742
ないよ
アイヌのやつらモンゴルと戦争やってるから それ以前に、日本史の話ばっかりするなよ
日本史板に行けや 秦漢、隋唐、明清
比べてみれば、確かに違う
でも、日本史や西洋史と比べると、やっぱり似たような王朝の交替史で、イマイチ代わり映えせんなあ 西洋で、ローマ帝国が崩壊したあと、2度と大帝国が再建されなかったように、中国も漢のあと再統一されなければ良かったのだが 813
都に軍勢が入って都を占領すんの
そんで国が変わったぞ〜!って宣言するんだな
完了 だから国を残したきゃ王都を移動するわけさ
そいからシナの場合、古代から使われてきた小国時代の国の名前がある
それが分裂すれば自分らが受け継いだ国家の名前を名乗りにする 821
同じって?
連中の名乗りは周囲への拡大表しているだろが 中東史だと、古代を代表するのはアッシリア帝国やペルシャ帝国、中世を代表するサラセン帝国やセルジューク朝、近世のオスマン帝国
それぞれ、イラン・アラブ・トルコの三大民族・地域を中心に、支配民族も違えば、中心国も異なる。
古代と中世では宗教が激変しているし、欧州やインドとの関係もまるきり異なる。
こういう歴然とした違いが、中国の歴代王朝には感じられない しかし、ペルセポリス・ローマ・バグダッド・イスタンブールその他が「別の国」であり、洛陽・長安・北京・上海が「同じ国」であるというのは、現代の世界地図によって刷り込まれた観念にすぎない それから、東アジアの歴史というのは、「民族移動」の話がやりにくい
西欧において「ローマ帝国の崩壊、ゲルマン民族の大移動」が起きたのと同じような時期に、中国北部においては「大漢帝国の崩壊、北方西方民族の大移動」が起きた
しかし、「古代と中世では、人種構成が異なる」という話は、欧州史では普通に語られるのに対し、中国史では例によって「お前は中国4千年の歴史にケチつけるアルカ?」という連中が登場して、イデオロギー論争になる
これは日本史でも同様で、大陸や半島からの民族移動の話は、「我が国の祖先が、倭国に先進文化を伝えたニダ」という連中がうるさくて、なかなか進まない(笑) 中東においては、7世紀のイスラム教出現。
西欧においては、16世紀の宗教改革。
これらが、中東史や西欧史における重大な画期となり、それ以前と以後ではほとんど別の文明のように見せている
それに比べて、中国史における仏教の興隆と衰退、朱子学を中心とする新儒教の台頭・・・その他が、そこまでのインパクトをもって語られることはまずない 日本では、「6世紀から7世紀にかけて、中国文化がどっと流入してきた」、「16世紀に南蛮文化が入ってきた」という話が好んで語られる
しかし、中国では、唐がインドやペルシャから受けた絶大な文化影響や、明に入ってきた西洋文化のことが、語られないわけではないのだが、日本ほど強調されることはない
「我々は、古代の黄河文明を受け継いだのでアル」ということのほうが、彼らにとっては遥かに重要だ 実際にはむしろ、中国史は時代による変化が甚だしく大きい
以前からよく使う例えだが、「長安が滅びて廃墟になり、代わって北京が首都になった」というのは、日本史に例えれば、「京都が滅びて廃墟になり、代わって青森が首都になった」というのに相当する激変だ
でも、なぜか、中国がそれほど変わったという印象はない 奈良・平安時代の日本の貴族は、怨霊の祟りを恐れるあまり、黒猫を怖がったり、しょっちゅう密教僧を呼んで加持祈祷をやらせたり、怨霊がいなさそうなところに首都を移転したりしていた
江戸時代の日本の幕府に、そういうイメージはない。
もちろん江戸でも加持祈祷はやってたが、古代人の迷信深さは次元が違う
実際には中国でも、隋唐はきわめて迷信深く、明清はかなり合理的だった 日本では、平安時代の貴族の世から、鎌倉以降の武士の世へと、社会を主導する層が明確に変わった
中国でも、唐では門閥貴族、宋以降は士大夫・科挙官僚という、大きな変化が起きている
でも、それ以上に中国では、「モンゴルや満州から来た武人の支配」という激変が起きているのだから、やはり日本史よりも、本当はずっと違いが大きい
違いがなさそうに思えるのは、表面的なイメージの問題 日本史や西欧史の場合は、中世においては統一国家として機能しておらず、地方勢力がバラバラに乱立して無政府状態に近い状況となった
この「暗黒の中世」の存在が、「古代・中世・近代」の時代区分を鮮やかに浮き上がらせている
それに比べて、中国史では、「暗黒の中世」という印象が乏しい。
魏晋南北朝時代にはアナーキーなイメージがあるのだが、その後の隋唐帝国のイメージがあまりにも輝かしいため、「暗黒」感はない
実際には、隋による短期統一のあと、唐の太宗による再統一を経て、太宗の死後は外戚の武氏や韋氏による簒奪があり、玄宗が皇帝権力を取り返したものの、またすぐに安史の乱が起きる。
それ以後の唐は、半独立国の藩鎮が林立する、群雄割拠状態だ インドでは、グプタ朝の時代に仏教が衰退し、ヒンドゥー教国家となった
12世紀からは、数百年に及ぶイスラム勢力の支配が始まった どんなに理屈をこねてみても、中国がどの時代も同じように見えることに変わりはない 日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、
近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、
現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、
たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。 >>837
19世紀の人が書いたのに、21世紀の今もそのまま通用する
まったく古くなってない >>838
いや、今は二国ではない
三国になっている >>833
隋による再統一は西洋ではユスティニアヌスによる再統一に相当する
隋の再統一はすぐに唐に継承されたが
ユスティニアヌスの再統一は継承されず一瞬の再統一で終わってしまったのが大きな違い 広大かつ平坦で、森林もまばらな華北平原
これほど統一しやすい地形もない
むしろ分裂状態を維持するほうが無理 >>830
「太宰府が滅びて廃墟になり、代わって多賀城が首都になった」
というようなもんだろ。
長安も北京も防衛線に近いところに置かれた都で文明の中心地からは離れている。 >>828
西欧の宗教改革はそんなに大きな変化でもなくね?
宗教戦争を通じて近代的国際関係を生み出したのは事実だけど、
ルターやカルヴァンの運動からは時代が離れすぎている。
ペストと地理上の発見の方がよっぽど大きい。 >>844
そうだな
長安は、大宰府あたりの西端にある >>845
新大陸からもたらされたジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシ、そして銀は、中国にも巨大な社会変動をもたらした >>828
宗教系ではよくやるんだけど、
1世界史じゃなくて宗教史になる
2どちらかといえば「日本に与えた影響」とかの日本目線の研究になりやすい
3三教を語る上で大事な道教は日本だとドマイナー。
とまぁ色々あってあんま語られないのだ。日本では >>823
アニメで扱ったんだよ。
アニメが最初な訳ないだろw >>823
アニメってなんの題名なのよ、言えないよなw >>823
アニメを軽く見てる言葉だけど、神の話が多いんだよ、アニメには。 糖質ガイジのガイガイレスにマジレスするのやめろぉ(建前)
やめろぉ(本音) >>852
呪いの言葉で日本に対抗してるのに、日本恩恵をいっぱい受けている矛盾した元中国共産党員w
東大阪市で生活保護費をもらいただで豪邸に住み車もただで乗っているw
三河 吉美 29
080 5652 8922 >>853
電話
090 1242 3600
東大阪au
三上 登代子 54
auショップ 東大阪みくりや
ここへ行ってシステム3台で、サイバカサイバーをしに行く予定 大阪au全域に申し伝えになりましたっ!
どうなるか覚悟しなさい!
中国共産党の強さを思い知れ!!!
だそうです モンゴル帝国に支配されていた時代は、他の時代と比べて非常に異質なんだが、あまり人気のない時代だ もしも日本がモンゴル帝国に征服されて、百年に及ぶモンゴル支配を受けたなら。
日本の歴史や文化は、さぞかし変わったことだろうよ。それは想像を絶するものがある。
それと同じことが中国や高麗では実際に起きたのに、変化が小さいわけがない。
モンゴルが北京を首都にしたのは、日本でいえば、大宰府を首都にしたようなものだ。
でもって、その後も大宰府が首都のまま現代に至っているという 中国史は、「モンゴル以前」と「モンゴル以後」で2つに分けるべきであろう
さらに「先秦時代」を入れると、3つに分かれる モンゴル帝国から、新たな中国史が始まった
明・清・中華民国・中華人民共和国はモンゴル帝国の後継国家であり、古代の中華王朝とは何の関係もない 「中華人民共和国から中国史が始まった」というのを理由に、「中国の歴史は70年」という人もいる。
それはさすがに無理があると思うが、「モンゴル帝国から中国史が始まった」というのを理由に
「中国の歴史は800年」というのは、無理のない解釈であると思われる。
現在の中国の圧倒的な中心である北京・上海・広東省(沿海部)の歴史は、日本や韓国と同じか、それより浅いくらいだ。
古代王朝の地だった洛陽や長安は、千年前から廃都であり、砂塵に埋もれた廃墟だ。
つまり、古代中国はとっくに滅亡して久しい。今の中国は、モンゴル帝国から始まった別の国 もしも、オスマン帝国が分裂せずに、いまもイラクやエジプトを支配し続けていたならば、トルコには5千年の歴史があると言えるだろうか?
もちろん、言えない。
5千年の歴史があるのはイラクやエジプトなのであり、トルコは後から入ってきた、モンゴル帝国の後継者にすぎないからだ。
それと同じことが、明清帝国や中華人民共和国と、洛陽・長安(内陸部)の関係にも言える。
4千年の歴史があるのは、とっくに滅びて久しい内陸部の文明なのであって、明清帝国や中華人民共和国は、後から入ってきたモンゴル帝国の後継者にすぎない。 結局のところ、中国の歴史が何千年も連綿と続いてきたように見えるのは、「そういう錯覚をさせることに成功した」という一点に尽きる 崩壊すると言われながら長い間崩壊しなかった中国経済がついに崩壊し始めたと説くのは、東京大学准教授の川島博之氏。
中国の経済発展と日本の発展はよく似ている。なので、中国が今後どのような道を歩むかを考える上で、日本のバブル崩壊後の歴史が大いに参考になると。 中国共産党による経済運営は、地方政府の財政赤字、無駄な公共事業、非効率な国営企業などによって立ち行かなくなっている。
そのあり様は、見方によっては昭和の日本にそっくりである。そのために、その改革の方向は日本と同様に「官から民へ」が主要な課題になろう。
ただし、中国の今後を考える上で重要なことは、体制の受益者が日本とは異なることだ。
日本には曲がりなりにも民主主義が定着していた。政治の受益者は国民である。選挙がある以上、国民に不人気な政権は存続できない。
だから、バブルが崩壊した時に国民から大きな変革を求められると、政治も官僚機構も変革せざるを得なかった。 一方、共産党独裁が行われている中国はここが大きく異なる。中国の政治体制の受益者は約9000万人とされる共産党員である。
共産党員の中の有力者は、政府、地方政府、人民解放軍、武装警察、そして国営企業の幹部として美味しい思いをしている。
その幹部は日本のサラリーマンが想像できないほどの所得を得ており(反汚職運動が喧伝されているが、それでも相変わらずグレーな収入が多い)、
かつ各種の特権を謳歌している。そんな共産党幹部(全共産党員の5%と仮定しても450万人もいる)を支持基盤として習近平政権が成立している。
選挙がない中国では、バブルが崩壊しても、それが政治変革につながることはない。経済が低迷すれば習近平のやり方に文句のある連中(非主流派である共青団や江沢民派)
の発言権は増すことにはなろうが、彼らが政権を取ったところで、共産党員が享受している利権を台無しにするような改革はできない。
習近平が国営企業を重視する所以もここにある。ゴルバチェフがソ連を改革できなかった理由もまたここにある。 これからの中国経済は、崩壊も発展もせず、長期停滞すると予想 5%以上の成長で停滞だったら、先進国はどうなるんだ? 「持続の帝国」というのは、西洋人の誤解であったことが判明 度重なるヨーロッパからの呪いの移動で
シルクロードの途中青蔵高原はいつしか、首狩り族(殺して財産を奪い合う生活)が襲うような場所になっていった。
そしてその度重なる呪いは形を変えた。
そこにいる女だけ成人せずに死んでしまうようになった。
そしていつしか首狩り族と同じになり、財産を奪うことだけしか考えない中国人が出来上がっていった。 中国共産党は首狩り族そのものを貫き、やがて頭がおかしすぎるほどになり、破壊だけするようになっていった。
中国共産党がこの世にいてはこの世は本当に昴になる危険があったため、ホロコーストによって日本にいる中国共産党は滅ぼされ、中国本土も汚染や山津波、洪水で人の住めない土地になっている。
空気ない場所が酷い、汚染物質のためガスが充満しては火災を起こし、また充満しの繰り返し。 そして呪いは解けず今日本人も破壊だけしかしないような奴らが湧いている。
数年のうちにまたホロコーストが起きるかもしれない。 最高に酷い世の中でほくそ笑んでる奴らが隣にいるぞw 複雑な呪いになって、今も君臨している歴史の生き血。
これを全て消し去ることなんか出来るわけないのに、はんかくさい女どもは狂った頭で中国共産党員になりたがる。 習近平も死んでいる。
モンゴル人でハノイで神の活動をしていた。 チュモン 韓国ドラマ
解りかけたことw
テソとチュモンはイコール、神のこと
プヨとはこの世の掟のようなもの
クムワとは金の蛙と書く、分からんw
高句麗のこと、三足カラス、八咫烏のことかな。
そこら辺にいるカラスのことでもある。
カラスが集まる場所は主、中心ということ。
高句麗とは主とか中心、悪い意味でだな。 >>876
プブンノは、テソがチュモンに変化する様の言葉。
テソが気付き、神の導き(プブンノ)でチュモンに変わる。 为何中国古代皇帝大部分喜欢定都在北方,而不是南方?
史海观复原创
文/淳于不言
众所周知,中华上下五千年,先有三皇五帝开疆辟土传播文明,后有始皇嬴政建立“天下事无大小皆决于上”的君主专制社会。
纵观历朝历代,他们的都城基本都是建立在北方的。
除大理国建都云南大理,南宋建都杭州以外,像十六朝古都洛阳,十朝古都西安,七朝古都开封、安阳,六朝古都北京等等,这些都城所建立地顿皆在北方。
那么,为什么中国古代皇帝大部分喜欢定都北方呢?其中原因,有以下几点: 韓国となっているけど、朝鮮族だから中国。
歴史の話じゃなくこれからの話。
あなたのは中国共産党の嘘を信じているようだよ。 >>878
古代中国は皇帝というのも、未来の話だろうと思う。 >>878
訳が半分だけで予想してレスしたから、違うことを言っているかもしれないw 思い出したけど、ドラマによく出てくる帽子は、イギリスの象徴のシルクハットのようだなw 南京大虐殺 1937年秋二ヶ月ほど。
国民党主勢を今言われている中国共産党が皆殺しにした事件。
中国共産党は他人の財産を盗むのが生活の糧に対して国民党が強く非難した腹いせに皆殺しにした。 >>884
これはこの事件の内容はもうお腹一杯だ。
これは未来にとても悪い影響を及ぼすと分かったから。
いつどこで何が起きるのかという事は、確かな事は分からない。
中国大陸の中で災害が起きるだろう。 韓国ドラマ
ジョンイの王は、ミュンヒハウゼン症候群。
権力あるものはホラ吹きということ。
その下の者は、権力があるかどうかで人を判断するパラノイアだ。
ガンチョンは本来は神そのもの態度をとる男。
ファリョンもそう。
生きていくために仕方ない態度。
手に入れたものは権力。
ジョンが一番悪魔になるのかw 今の日本人では極普通に見られるものだよな。
上か下かで人を判断する。
病気はやがて致命的な症状に達する。
死に至る。 868
西洋人が東洋にきたときはどんな行動とるよ? まずその地域の王族みたいなんとコンタクト取るぞ
それで取り入り自分らの身分保障を要求する
いろいろ便宜をはかり産業みたいなんを移管する
そんで経済的に支配して自分らの体制下にいつの間にやら組み込み既成事実化する
これが植民地政策 >>888
始皇帝
始まりにいる皇帝のこと。
変だろ、過去にいたなら。 侘び寂び
侘びとは呪いの悪行のなせる事象のこと。
寂びとはその返し、神の仕返しのこと。
秀吉は人を信じる事を選んだ人間。
それを踏みにじった寂びが日本からシルクロードを経て帰っていくということ。
災害の話。 1400年〜1700年過ぎ頃まで
中国は災害の毎日。
洪水、雷、日照り 蛮族とは、王族と対比する者どもすべてのこと。
どこの種族とかと言うことでない。 王族は過去の歴史ではなく、
未来の何かに例えたこと。 「同じことの繰り返しに見える」というのは、まったくの錯覚
モンゴル帝国以後は完全に別の国 何度も西からの呪いを受けて来たから、何度も同じ呪いを繰り返している。
同じじゃないのはエスカレートしてるから。 日本人を甘くみた中国人。
勘違いをしたともいうのか。
中国人に印が表れてきているのは、日本人の並々ならない怒りだよ。 中国人は正しく物事を見てこなかった。
どこに怒りの矛先をむけているのよって話だ。 日本人が甘い考えしかしないという妄想は、日本人にとって既に憤りだけになっているのを知らないバカな中国人。 どっちのドラマだったかw
花の方w
唇 滅びて 歯 寒し だったか。
葛飾北斎の こはだ小平次
唇とは嘘つきのこと 花たちの戦いだったw
計色 とは、虹色のこと
イーリス 悪魔化した女神 >>904
虹色のようにいろいろな計略を用いて、現生の奴らを懲らしめること。 イニョプの道のタイトルを見た時
仁ヨプ道と読んでしまったw
この話は、イニョプが返り咲きする話。
https://youtu.be/uZYaK6Tm5Ts
ユノクは何故まつ毛を強調したんだろうかって思っていたら、この歌詞にあるんだよ。
卑猥だよってw
飾り言葉を使って相手に分からせるようなところかなw
六本木心中そのものかどうか分からないけど、共通するところがあったりする。 >>906
https://mocchiy.com/
こいつがここのイニョプが返り咲きをするに腹を立てて、何かをしようとしていたな。
ずっと腹を立ててる。
何もしていなかったから生き残っていたというべきか。
アホだぞ、呪いをかけるって。
さっさとやれ。 >>907
神界からみた戦争や環境破壊
https://youtu.be/ZifyeiaqZPs
神から見た 白天狗、熊野神社が熊本にあってその天狗がすごいレベルの神様!
チャネリングでお弟子の霊が出て来て可愛らしい白いフェアリー、エルフが
それは 必然ですねーと言ったとw とここまでレスするとこの霊能者のお弟子さんが、ここまで酷いことをする?!
と何故か腹を立てている。
またサイバカサイバーだって。
代わり映えしないバカばっかりw >>909
歯臓ビル 3F
福岡市役所 ただ
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2丁目5−9
民河 幸枝 52
090 1466 8952
パソコン5台で最強サイバカサイバー ガチで日本と中国が戦争したら日本のコテンパンのボロ負けだよ。
俺と全盛期のマイク・タイソンの戦いになる。
2019年の軍事費、中国世界2位で26兆5000億円、日本世界9位で5兆円、中国の軍事費は日本の5.3倍です。
防空力だけならフライトVにも匹敵する中華イージス艦を20隻以上保有し、
原潜含む70隻の潜水艦を持つ中国海軍が弱いわけあるまい。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44345070Z20C19A4EA4000/
中華イージスは42隻(建設中含む)
055型は8隻、052D型は28隻、052C型は6隻
日本イージスは8隻(就役前含む)
こんごう型護衛艦は4隻、あたご型護衛艦は2隻、まや型護衛艦は2隻
【日中の水上戦闘艦進水数】
(2000年1月1日〜2019年7月17日)
『中国海軍』
・空母 ×2
・駆逐艦 ×36
・フリゲート ×36
・コルベット ×60
・計 ×134
『海上自衛隊』
・ヘリ搭載護衛艦 ×4
・ミサイル護衛艦 ×4
・汎用護衛艦 ×13
・計 ×21 中国史の「唐まで」と「宋以降」って別物感あるよな。宋以降は漢民族感みたいなのが足りない [594453285]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1566003767/ 花たちの戦い
清は中原を要する。
↑
モンゴルはモンゴルの土地を所用するような意味合い。
中原とはモンゴルのこと。
今テレビで朝鮮に向かって当たり前の事を言っただけw このドラマでいう朝鮮とは国のことではない。新しい思想の世の中のこと。
清とは清い行いのこと。 明とは、今まで民衆が好き勝手してきた暗黒世界の甘い世のこと。
これからは甘えのない、厳しい、潤いのない大変辛い世の中になるということ。 漢は先住民族、唐は異民族による失われた古代文明
実質的な中国史は、宋か元あたりからスタートする 中国にとっての北京は、日本にとっての京都のような存在。
「中国の古都」といえば、真っ先に「北京」を連想するのが正しい。
洛陽や西安など、単なる地方都市だ。「古都」といえるようなところではない。 「中国が世界最先端」という状況は、明の前半あたりまで続いた
中国文明の最盛期は、元代 中国の生き血は永遠消えることなんかない。
それと同じように反対の中国に対する憎しみや憤りも永遠だぞ。 北京に首都が移るまでは、確かに似たような歴史が繰り返されていた >>929
言うて戦国時代の燕が終わってから次に都になる元朝までの間に連続性あるか? チュノ
どっちも同じ事を言っているじゃんw
トライアングルの罠みたいだな。
お互いを戦わせて1人だけ優位に立つ。 高麗という言葉、高麗人蔘に変わっているかもしれない。
北朝鮮で取れているのが高麗人蔘。 >>938
勘違いするが、蛇はメデューサ、首はサモトラケのニケ。 側室というのは、主を助ける者。
側室同士争うってないんだけど、何だろうかw 韓国ドラマに出てくる王様というのは、人の生き血が作り上げた架空の王みたいに感じる。 朝鮮王は、清の皇帝ほど偉くない
清の役人が来たら土下座して、自国の城なのに裏門から入る >>1には堀拓也本人がディープキス
>>100には堀拓也本人が鬼手コキ
>>200には堀拓也本人がローリングフェラ
>>300には堀拓也本人がのど輪締め
>>500には目の白い所だけをペロペロ
>>700には堀拓也本人がアナル掻き出し舐め
>>900には堀拓也スペシャル
をサービス致します!
100%間違いなくゲイの堀拓也30歳本人ですよー!絶対に命かけますよ!
真剣に相手を探しています。特別に色々サービスします。
何卒よろしくお願い致します!(本気で相手を探してます冷やかし厳禁!)
治験で裏技を使って連続で治験に参加して年収400万円稼いでいます。市役所には年収0円で申告しています。国保や年金なども10年間未払いで無申告だから丸儲けです。
☆ 詳しくは【堀拓也 オチンポ】で検索☆
特技 ・ローリングフェラ ・のど輪締め ・堀拓也スペシャル ・目の白い所だけをペロペロ舐める事 ・鬼手コキ・超高速獅子舞フェラ・ アナル掻き出し舐め ・高粘度ローションマッサージ ・全身ジグザグ舐め・ 十手観音 性感 マッサージ(パウダー使用)
私のプロフィールはこちらです
身長:160cm
体重:50kg
30歳 1989年5月23日生まれ
東京都北区中里1丁目10-7
駒込マンション304
腕っ節なら誰にも負けません!俺に勝てたら現金100万円!
https://i.imgur.com/4osLxKg.jpg 秦漢帝国は、大陸の先住民による失われた古代黄河文明
メキシコにとっての、マヤ文明みたいなものだ
黄河文明はいったん滅び、数百年に及ぶ民族大移動のあと、新たな中国文明が始まった つまり、中国の歴史は北魏や隋唐あたりからスタートするのであり、日本や朝鮮のスタート時期と実質的に変わらない 「日本や朝鮮より、中国のほうが歴史が長い」と思うのは錯覚にすぎない
実際には、東アジアは、ほぼ同時期のスタート 間違いは身体を重ねる事が、女と男を近づけるのではなく、遠くに置くことになるということ。
王妃は反対の事を言っている。
花たちの戦い
セックスは死の行為になっている。
悪魔の行為。 こうなったのは根本的な問題は男にあるということになる。
メネシスがある意味はこれになる。 うだうだ周りが騒がしいだけでかえって邪魔をする。
今はもっとおかしいかなっている日本はw
嘘つきを上行くばけものたちw こう言われたから面白くない、うんざりだ。
こんな感じで言われた事だけを腹を立てて仕返しをするだけになってきた。
思い知らせてやると。
花たちの戦いは上がまともな事を言っているのに、下が覆して台無しにすることしかしない。
頭が悪いのは下ということになってるw 現在の中国はモンゴル帝国の後継国家であり、隋唐とは異文明 オスマン・トルコ帝国が、古代ペルシャ帝国とは異文明なのと同じ
明清と隋唐に、何のつながりも無い 現在の中国は、歴史的に見れば「モンゴル」と呼ぶべき国 トルコ含むイスラム圏はイスラム以前の時代をジャムフリーヤ(無知の時代)と呼んで完全な隔絶を強調する
支那文明はそうした断絶は無く積み重ねが続いてきた
隋唐を全否定する明清人はいない
これを同一視するのはそれこそ無知としか言いようが無い 北京に初めて首都を置いたのは、モンゴルの元朝だよ。
それ以来、現代までモンゴル時代が続いている。 明王朝の第三代目皇帝で事実上の太宗である永楽帝は元朝の皇帝トゴンテムルの子供
明王朝は自覚は漢族でも実は蒙古人の王朝 >>958
中国皇帝の居住する首都としては、モンゴル人が定めた大都(北京)が最初。 >>959
まあ、全国統一まではしなかったが、金もそれに近い 今の韓国の済州島は名前のない島だった。
チュノの済州島は遠い昔中国人が別の名前に変えている。
本当の名前は、沖永良部島。
鹿児島県にある沖永良部島。 中国人は未来の事を深く知っていたという事だな。
今の事。
でも、頭が悪い奴しか残っていかなくなった理由はそれだよ。
滅ぶために、中国が滅ぶためにやっていたんだから。 アリランも中国人が変えてしまった。
元々も何か分からない、多分古代文字。 テギルは幻のオンニョンを追うだけ。
執着だけ、精神病のこと。
オンニョンに愛がない執着だけ、モノ扱い。
今の人間の特徴じゃないかw 花たちの戦い
出来物、体が痒くなるのも伝説にあったもの。
星で未来を習うのもそうだ。
分からないものは分からないまましないで、理解をすること。
理解しないで批判なんか出来ない。 中国人全体がどうかは知らんが、少なくとも北京人の大半は、北方民族の子孫 花たちの戦い
ありえないでしょうって話だったんだけど、不可解な事だらけだったと分かってから、あり得る話に変わった。
正義が悪になり天と地が逆さまになる程になってた。
周りも分からないのかって、アホみたいに見えるけどなw 実際のところ、現代の北京人や上海人・広東人と、古代の黄河文明になど、何の関係も無い
現代の中国(とくに沿海部)に行って、「中国四千年の歴史が・・・」とかなんとか言うのは、まったくのナンセンス 中国の歴史というなら、紀元前6000年も遡る。
西からの移民や西からの呪いとの戦いだった。
シルクロードから来るあらゆる悪いものに対しての戦い。
西からの移民はユダヤ人。
中国に来て黄色人種に変化していった。
元々中国にいる人種と同化していっている。 花たちの戦い
憎しみを解消するためなのに、身を滅ぼす事を積極的にしているw
装っている事さえ忘れて自分とはなんなのかすっかりない。
偏った思想のこと。
自分をトップに立つことが目的だけど、その後がない。
中国共産党もそう、それで自滅した。 ヤムジョンは安眠できている。
いじめの構造で憎しみを解消してると勘違いしているからだと思われるが、そのうちに眠られなくなる時が来る。
眠られないのを昔の中国の女たちは蠱毒でなんとかしようとした。それが蠱毒の呪いの始まり。 ソヒョン世子は精神を侵されていっているのは、あまりにも酷い扱いを親と清とヤムジョン達の影からの憎しみで弱っていっているから。
今までの日本人がそれになる。 なんだか、朝鮮ドラマの見すぎで狂気が伝染しちゃった人がいるみたいだな? >>979
それかお前がどこが正常なのか言えないなら、だめだなw >>979
言える訳がないよな、お前が頭がおかしいんだからw >>979
だいたいお前らが頭おかしいのを気づいてないってところも狂気だよ。
分からないという事が狂気w 漢が崩壊した時点で、古代黄河文明は一度滅亡している
そこに移民が流入して北魏や隋唐が建国され、新たな中国が始まった
つまり、文明としての中国の歴史は、実質的に日本や朝鮮と同時期からのスタート
その後、モンゴルが南下してきて北京を占領し、全土を支配した
明清や現代中国はモンゴル帝国の後継国家であり、国家としての中国の歴史はフビライ・ハーンから始まる チュノ
過去の義理と忠誠に執着して。
言い伝えにこれがあったんだ。
過去の義理と忠誠とは、宇宙の法則の圧力の事だよ。
そうでないとおかしい。 ソンテハと学者の対立はどうも掴めないw
宇宙の法則とは今までは森羅万象でこの世の全てのこと。
しかし、地球との差異がある。
差異に気づいたのはつい最近、ヨハネの予言の空が割れてからだ。
その差が今の酷い世の中になった。 他の韓国ドラマもそうだけど、一人の悪がこんなに頭が回っていつまでも苦しみを与え続ける事はできない。
偏った頭はだんだん狭められて一つのことに固執するだけになって自滅するから。 中国は三国志の世にはまだ勝っていた。
負けたのは劉邦の時代。
三国志から1000年経っている。
それからだ中国が崩れていったのは。 ジャジョムは一度殺されたイエスキリストになるのかw
キリストの再臨
悪代官じゃないかw 世子の最期を見とれなかった。
漠然としている。
殺されてはダメだった人は数多いから。
取り返しのつかない世の中に今いるということ。 何もかも悪い方向にしか行っていない。
人の思考がそうだから。
気づいていないまま、気づくことができなくなったのも取り返しのつかないことの一つ。
一つずつ分かる度、言いようのない絶望だけになる。 未来が分からない。
もう希望の一つもないのだけ分かる。 >>992
思い出したキリストの再臨後は悪魔に変化するんだった。 中国のある一握りは未来をある程度知っていたのは間違いない。
それを悪用したために最悪な事態になったのも間違いない。
破壊だけしている。
宇宙を滅ぼしたいだけで全て破壊していっている。
それは奄美大島に集結した。
奄美は沖縄の前の琉球の神を盗み悪用していたからだ。
滅ぼしたいのかと言いたいw 空に目が、恐ろしい目をしたものが見えているだろ。
憤りをどこにもぶつけられない生贄が数えきれないくらい時をまっているんだよ。
全く気づかないよな。
こう書いてもキチガイだの、糖質だのしか思えないらお前らの頭がどうにかなってるというのにw 時空を超えて生贄達は現代に蘇ってくるしかなかった。
そして、このバカなのかアホなのか脳みそに穴のあいた化け物を見せられた訳だよw >>997
中国の一握りと人達は志の高い故に未来の夢を見ることが多かったのだろう。
それに対してどうすべきか既に知っていた。
それを頭のおかしくなった中国人が盗んで悪用した。
そして中国の強さは地下に潜っていった。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 200日 17時間 56分 38秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。