ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ5
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1548567547/ 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 日本国天皇(Japanese Emperor)
イギリス女王(Queen of the United Kingdom)
アメリカ大統領(US President)
韓国大統領(South Korean President) >>3
比較優位に基づく地域分業体制がドミノ倒し的に全体の崩壊に波及する現象ってのは、かなり普遍的にみられるものかもしれない。
東京国立博物館東洋室の小野塚拓造氏によると、青銅器時代の文明が崩壊し、「海の民」が各地を荒らしまわった
「紀元前1200年のカタストロフ」の正体とは、正に地域分業に引きずられた全体のドミノ倒しらしい。
この崩壊の焼け野原から、鉄器時代の文明が前時代よりも柔軟なサプライチェーンのもと、立ち上がってくる。 >>9
ソ連解体時の産業崩壊も近いものがあるんじゃねえか?
なんでもソ連時代のトルクメニスタン(キルギスだったかな)には世界最大のエアコン工場があって、ソ連及び東欧圏全域に供給してたそうだ。
それがソ連解体で販路がちっぽけなトルクメニスタンとせいぜい近隣諸国になってしまったら、もうどうしょうもない。 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 日本国天皇(Japanese Emperor)
イギリス女王(Queen of the United Kingdom)
アメリカ大統領(US President)
韓国大統領(South Korean President) >>999
じゃサクソン時代から農奴制だったのかね >>12
単に産業がデトロイトを離れて周辺都市に移動しただけ
いわゆるドーナツ化 つか地方の人ってすぐ東京に行きたがるよな
札幌、福岡、仙台、広島とかで満足できないの?
俺は名古屋で大満足してるけど 東京大発展の理由
広大な平野 整地不要
関東大震災 復興特需→郊外化の真っ最中
世界大恐慌 超絶デフレでも首都だけは飢えない施策
中央集権化 不況は官僚が主導権を得る絶好の機会 >>21
>広大な平野 整地不要
これは確かにその通りなんやけど
しかし東京の位置が広大な関東平野の西の端なおかげで
東京の西側郊外が多摩、横浜、相模の坂だらけで土地が狭く分断された不便な丘陵地になってもた
東京の位置がもうちょっと関東平野の真ん中ならこんなことにはならんかったのになあ 東京は整備不要なんて生易しいものではなかったぞ。
水路整備、河川の付け替え、かなり莫大な工事をやって大都市の基盤を作ったからな。
埼玉に首都に好適な土地があるって候補に上がった事があるが何市だったかな?
東京よりも平坦で地盤が良かったとか、テレビでいってたな。 そりゃしゃーない
秀吉は大坂家康は江戸
時代のトレンドが港湾都市だったのよ ギリシャ人のビザンチツは自身をローマ人と称してたが
ギリシャ人である事に誇りを持っても良いと思うんだ
そんなにローマが良いかよ 長年の開拓で湿地帯が平野になったんであって、もともと平野だったわけではない コンスタンティノープルが重要視されて大都市化するのって
ローマ後期にゴート族が侵入してきてから? コンスタンティノープルは、黒海北岸の穀倉地帯とエーゲ海地域を結ぶ海運路を扼する
要衝の地だからな。ビザンティウムの時代からの重要都市。 黒海北岸はゴート族時代には
遊牧民だったサルマタイも農民化して
以前よりも農業が盛んになっていた
スラブ人の影響でサルマタイが農民化し始めたので
ゴート族が黒海北岸に移住出来たようだ 江戸時代のほうが戦国時代よりも短命な武将が多いんだよな。
しかも体格が小さい人が多い。
平和なはずなのに食料が足りなかったのか? 生類憐れみの令で肉食が減ったせいとの説があるね
現代でも長生きする人は良質なたんぱく質である牛肉・豚肉を食べてる 暗黒の中世になってから牛のサイズが小さくなった
飼育費が減少したからか 王族ならともかく、貴族の場合
次男三男は坊主になって教会住みになるか、官僚や軍人になって国から給金もらうか
商人になって貴族相手の商売をするか、ヨーロッパ捨てて別の場所で一旗揚げるだった 新大陸やアジアにその手の一発狙いの山師が流れてデタラメやったんだよね >>37
新大陸やアジアまでの船中で壊血病で半分以上死ぬって時代に、
一山当てにそこまで出ていこうってやからがまともな精神の連中とも思えない。 >>5
>>【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
ローマ帝国の古代社会が依拠したキウィタース的結合が解体することで、諸身分団体=社団の錯綜した権利関係の混迷に陥ったのが中世で、
それが「国民」という新たな結合に再統合されてくるのが近代なんだろうな。 >>38
コロンブスにしてからが新大陸で搾取虐待やらかして
植民地総督クビになってるしな ライオンとトラが戦ったらどっちが強いんだろう?
娯楽好きなローマ人がコロッセオで戦わせていた筈だから
多分記録とかあると思うんだがな ライオンは群れで狩りをするから
一対一ならトラが強いとかなんとか 南蛮屏風とか見るとスペイン・ポルトガル人が
日本に象や駱駝を連れてきてるのが分かる
よく船に乗せて航海出来たもんだわ >>43
ポルトガル人もゴアなどのアジアの港湾拠点までいったん来ると欧州との間で往復はせずに
ほぼ土着して交易活動をやっていたみたいだから、ラクダやゾウもゴア辺りから
沿岸航海で持ってきていたんだろうね。 >>46
ハンニバルの戦象はマルミミゾウだったとか
交易で仕入れたか当時は北アフリカにも生息していたか。 >>42
狩りは普通雌がする
雄はプライドを乗っ取る雄同士の戦いがあるから結論は正しいかもしれないけど
根拠はどうだか 皇居、伊勢神宮、熱田神宮、靖国神社
日本人ならせめてどれか一つは行かないとね 欧州唯一の交易国だったオランダは当時実は世界一の学術文化国で
だいたいの海外情報と文化技術等は実はあらかた日本側に伝わってたらしい。 >>52
当時、欧州隋一のヘゲモニー国家だったオランダは、科学技術、工業技術、資本のゲートウェイとして機能していた。
スウェーデン、ロシア帝国が製鉄大国としての台頭、英国の次世代ヘゲモニー国家としての台頭も、
オランダからの資本と技術のゲイトウェーの恩恵に浴したことが大きく与っている。 オランダはドイツ語、ベルギーはフランス語だっけかな
スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語3つあるんだっけ? 文化技術等があらかった伝わったって一体どこのパラレル日本の話なのやら
種山石工元祖の藤原さんとかオランダ人からアーチ橋の作り方教えてもらったぐらいで脱藩する羽目になってるだろ
幕府の威光を脅かすような南蛮の技術を学ぶことは御法度 暗黒の中世でもキリスト教マンセーでギリシャ・ローマ時代の知識や技術は
軽んじられどんどん失われていったのよね 物的にみて「暗黒」と形容せざるを得ないところあるものの
悉くが失われたわけじゃなく有用な要素は残って改良されつづけてる
フランク・東ゴート・ランゴバルドとかはローマ要素を破壊しつつも同時にがっぽり引き継いでもいるし
カロリングルネサンスとかもあったりでこのへんは明確に白黒線引きできるもんではない キリスト教云々よりも単純にローマという巨大すぎる旧秩序の倒壊と
続くゲルマン乱世のダメージが数百年の爪痕残すレベルで強烈だった
んで知識や技術についてはブリテンは野人世界に逆戻りだけど
それ以外ではだいたい継承と失伝が折半 暗黒ではあるものの古代末期西欧のハチャメチャ混沌世界から踏ん張って再構築成功して
近世ルネサンスに繋げられるのは何気にファインプレー 失われつつあるものを必死でかき集め守ろうとした時代か…
日本の大学とくに人文系は、一足先に中世に突入しているようだ 最悪よりはマシってだけかもしれないが
それだけ没落っぷりがヤバイ 没落がひどかったのはイタリアだな
欧州の中心じゃなくなったからね
恩恵をうけたのはライン河からロアール河の地域だな ゴート戦争で滅茶苦茶になりSPQRが消滅
そしてランゴバルド族の侵入がトドメになった >>66
中世でもヴェネツィアは繁栄してたやん
まあ、中世のヴェネツィアはイタリアどころか西欧から一歩距離を置いた独自文明圏みたいな感じやけど ヴェネツィアはローマ帝国と特権もって貿易してたからな >>67
とはいえゴートやランゴバルドがキリスト教で調教されて
部分的にローマのやり方引き継いだだけアレでもまだマシだったとも言える >>70
半島の東でアドリア海に面してるのにガリア?
なに言うてんねん
マルセイユかどっかと混同してんの? >>72
ガリア・キサルピナというのもありましてな 東京ドームも元を辿ればローマのコロッセオがオリジナルなのよね
そう思うと感慨深い フランス料理、イタリア料理、スペイン料理
美味いのはラテン系ばかり
料理に関してはゲルマン系はてんでダメだな 料理の旨さって使える食材の種類と料理に使える金の多さだから
中央集権化されてるか商業が発達してた温暖地域が他をぶっちぎるのは当然じゃないか?
オーストリアもハプスブルク全盛期に美食しまくってるし イスラム国が勝てそうもなかった理由
イスラム国
「「最高の」カプチーノや果物ジュースを飲むことができ、肉料理や豆のコロッケもある」 >>79
ブリテンのソーセージ(パン粉で増量)をうまいと言えるならな http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 >>85
かたまり肉の焼き方だけは上手なので、ローストビーフだけはうまい。 ロンドンに留学した人が言ってた
「なんでメシ食って虚無感を味わわなきゃいけないんだ」 そんなことないけどな、寿司ばかりかインド料理や中華料理、南アフリカ料理やレバノン料理なんかも美味い。
特にロンドンは旧植民地人が開いている料理店がいっぱいあって、たいてい美味しいぞ。
地方ならスーパーで素材を買ってくるか、それが嫌ならマクドナルドハンバーガーへ行けば済むんだし。 天皇皇后両陛下、31年間どうもありがとうございました
気が向いたら名古屋にも遊びに来てください >>89
そういや以前「おいしいイギリス料理」みたいなドキュメンタリーがあったんで
お、やっぱりイギリスにも美味しい料理はあるんだなと思って見たら
伝統料理は一つも出て来ず、全部そういう外国料理だったことあったわ >>89
そういえば、昔イングランドを旅行したときは、
中華料理店、インド料理店、アイルランド料理店をローテーションしてたな。 そうした外国料理店も二代三代と移民が代を重ねるごとに
不味くなっていくという絶望感 >>89
どれもこれも高かったけどな。
日本の500円定食のコスパよ…。 >>93
中華料理が無難だな
そこそこの値段で外れはあまりない
イタリアンは美味いが値段が高い >>96
パリの中華街の料理は思い切り不味いらしいけど >>97
パリでアジア飯を食うんだったらベトナム料理がいいんじゃないか? パリにいったら本場のフランス料理食べるだろ普通
中華料理とか日本でも食えるし、なんならすぐ近くに本場があるし 日本料理はどうやろ
寿司屋とラーメン屋くらいは大都市なら世界中どこにでもあるやろ 世界三大料理ってフランス料理、中国料理は分かるけど
トルコ料理がある不思議
ケバブとトルコアイスくらいしか知らんわ 各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
この落差がすごい ローマ時代はスプーンとかフォーク使ってたけど
中世は手づかみなのよね
完全に土人化してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています