貞観地震があって三陸海岸沿いにいた製鉄集団がのきなみ北部に移動した。
鍛冶集団が蝦夷と組んだりしているから、本州アイヌなら鍛冶もできたんだよ。

そういう力をつけた蝦夷が、安東氏だったり蠣崎氏だったり清原氏だったり、奥州藤原氏だったりする。
奥州藤原氏は骨格は日本人だが、葬送の文化はアイヌそのものだから、母系で繋がって居るアイヌと
父系の武士集団の良いとこどりだったに違いない。

まあ、北海道アイヌの道具は日本人に頼っていたのは事実だが、代わりに中国の絹織物や鷹の羽(矢の
必需品だったりする)などの交易があるから気にしなかったのだろう。