なぜ神聖ローマ帝国は分裂しフランスは統一したのか
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神聖ローマ帝国は大空位時代以降諸侯が事実上独立し、
その後帝位を得たハプスブルク朝の領土への野心も主に帝国の外へと向けられ統一に向かうことはなかった
一方フランスにもアンジュ―帝国やブルゴーニュ公、トゥールーズ伯など王国に属していながら統一を脅かした勢力があり
王領がほんのわずかでしかなかったにもかかわらずそれらは全て駆逐され
更にその後ユグノー戦争をも乗り越えて再統一を果たした
どうして同じフランク王国から分裂したのにこれほどまでに違う歴史を辿ったのか? ルドルフ2世はプラハに宮廷を置いた
現在のチェコ共和国の領域
現代の国民国家の概念では理解しにくいが、
彼はボヘミア王も兼ねていたから カペー家とカペー家の傍系が圧倒的に強く
それ以外の有力貴族家系が弱い >>14
トゥールーズ伯、アンジュー伯、シャンパーニュ伯、ブルターニュ公、極め付けはアキテーヌ公とノルマンディ公(からのイングランド王を兼ねたアンジュー・プランタジネット帝国)
その後にもブールゴーニュ公やフランドル伯など王家に対抗しうる大諸侯はフランスにも多く存在したよ
(王家に寄生する形の大貴族しかいない)イングランドとは状況は違う もしかしてアンジュ―帝国(とブルゴーニュ公)という共通の敵ができてしまったから他の貴族が王権との団結を強めて統一へ拍車がかかった? イギリスはフランスと、フランスはイギリスとの争いを通じて国民国家を形成
ドイツとイタリアは、オーストリア・ハプスブルク帝国との争いを通じて国民国家を形成 問題は、イングランド国王の大陸領土が、フランス国王のそれより遥かに広いということだった この状態から負けるってほんま無能すぎやろ
負け犬ジョンカス >>21
とはいっても、アンジュー帝国内に封臣がいて、彼らはフランス諸侯としてフランス王の名目的な臣下(封建契約上の臣下じゃないけど)だったから
プランタジネット家との間で諍いがある場合、フランス王に頼って仲介してもらうって手続きがあるから、そこから切り崩されるのよね
実力が多少見劣りしても、権威の使いようで決定的に優位に立てる場面があるってことではなかろうか しかし、アンジュー帝国における「イングランド王位」って添え物に過ぎなくて、アンリからしてアンジュー伯としての地位のが大事だったのよね
リシャール(リチャード)の主要な活動拠点は、主に母親からの相続地であるアキテーヌだったし
その意味で、アンジュー帝国の時点ではあくまでもフランス王国内での勢力争いであって、「イングランド対フランス」的なものではなかった
それがイングランド対フランス的に変化するのは、もっとずっと後、百年戦争の末期からだろう さらに、ヘンリー2世はアリエール・ダキテーヌと結婚して、アキテーヌをも手に入れた >>27
当時のアンジュー伯領には、メーヌやトゥーレーヌもその領地に含んでいたから、面積だとその3倍くらいはあるかな
ノルマンディとブロア方面に拡張する感じで イングランド王リチャードとして有名になってるからなぁ >>30
リシャール・ド・プランタジュネは、在位期間の大半を大陸ですごした 中世にフランスは人口2千万人もあったけど
イングランドは3百万人しかいなかった アンジュー帝国もブルゴーニュも王家と同族だからな
プランタジネットとトゥールーズ伯は違ったけど アンジュー帝国ってイングランドの方か
俺はシチリアの方と思って買いてしまった
シチリア系はハンガリー・ポーランド王にもなってる アンジューもプランタジネット、カペー系、ヴァロア系とあって
カペー系とヴァロア系はシチリア王位めぐって争ってるな アンジュー伯領もさることながら、ブルゴーニュ公国がデカい >>2
同じ頃に始まった神聖ローマ帝国のリウドルフィンガー家が5代100年余りで途絶えるのに対しカペー家が初代ユーグカペー以降250年も続いたのが大きい ブルゴーニュ家が断絶せずフランス王家継いだら強すぎる フランドルってなんであんなに豊かだったの?
北方ルネサンスなんてものも生まれたし >>41
中世においてはブリュージュ、近世にはアントワープが海洋貿易の中心
ライン川を通じてケルン商人、北海を通じてハンザ同盟都市、大西洋を通じてジェノヴァ商人と交易する物流センター
さらに、イギリスから羊毛を輸入して毛織物を生産する加工貿易
(後には、イギリス製の毛織物を輸入するようになった) イギリスから羊毛を輸入して、毛織物を生産する。
それをライン川の船で輸送して、ドイツ・フランスの内陸部に売る。
これが、フランドル繁栄の黄金パターン >>41
毛織物産業が盛んだったから。羊毛はイングランドから輸入。 まさに三つ巴、いずれ劣らぬ三強の激突
「天下の3分の2は魏」といわれた三国志よりも、よほど三国鼎立と呼ぶにふさわしい状況 ブルゴーニュっていびつな形してるけど、防衛戦どうなってたんだ 飛び地の間を埋めるために戦争してたら領主が戦死して廃絶 もともと、フランドルとブルゴーニュは別の国だからな
2つの国をくっつけただけ フランドルとブールゴーニュの間に挟まれているのが、歴史マニア大好きロレーヌ(ロートリンゲン) 「ラテン系でプロテスタントの国」が
どっかにほしかったな
ワロン地域とロレーヌとフランシュコンテがくっついてユグノーになればよかったのに ポルトガルのブラガンサ家もたどればカペー系ブルゴーニュ家 >>56
ラテン系かはともかく、フランス語話者でプロテスタントの国というとジュネーブ プロテスタントの思想は厳格すぎて、南国の人には合わない
スイスは山岳国家で寒いから別枠 >>56
ワロンはユグノーだが、他の二つはカトリックだからどうしようもないな スペインとイタリアはコロナの中心。カトリック。
フランスはフランスは新教徒の影響が残るから、コロナはそこそこ。
賢いやつ働き者はユグノー戦争後ドイツへ。
だからドイツはコロナが少ない。 >>61
いやいや、そういう問題ではない
単に、北イタリアには中国人労働者が多いだけ >>63
事実誤認があるな
今回の流行の発端はミラノ近郊で、むしろ観光客からの感染が予測されとる >>64
ミラノはファッションの中心地で、服飾産業が極めて盛ん
中国人のお針子が多い >>65
それを考慮しても、>>64の予測が出てるって言ってるんだよ……
そもそも、イタリア現地の労働者が移動もせんで感染源になるわけねーだろ フランスの農業生産力って、なんであんなに高いの?
隣国のドイツは氷河期にかなりの部分が氷河に覆われていて
地味が痩せているのに。 20世紀に頑張ったからだろ。
19世紀とかヨーロッパの主要国でロシアとフランスだけ穀物の単収図抜けて低いぞ。どっちも土地広いからそこそこだったけど。 フランスも氷河に表層を削られてるから土地は痩せてるよ
けど農耕可能地はめちゃ広いからな >>3
でもカペー朝やヴァロア朝が地方豪族との婚姻で獲得した領土を
その地方豪族の血をひかないブルボン家が相続できるのはおかしい ドイツは古来から森の国として知られており、
近世まで大きな森林地帯が残っていた
中世なら国土に森林の占める割合はもっと大きかっただろう >>70
昔はイギリスの国土を見て「これじゃ恵まれすぎだ」とボヤくフランスの知識人がいたほど、フランスの国土はじつはあんまり良くない >>71
その地方豪族も途絶えてるからね
ブルターニュはいたけど完全に黙殺した >>75
農業国というイメージのあるフランスだが、そうなったのは20世紀の後半か ていうより農耕可能地の広さ
でかくても砂漠や荒れ地だらけじゃね ああ、うん。そうだな。国土のほとんどが可耕地なんだっけ。
世界でも稀有な国じゃないかな。 >>39
皇帝はオットー2世、ハインリヒ3世、ハインリヒ6世、コンラート4世、と大物を壮年で嗣いだ皇帝が悉く若死にして後継者が幼かったり断絶して集権化をぶち壊しにしてきたのがなあ。
ヵぺー朝はそうした後戻りはルイ9世の最初の一回だけやったし。 フランスは幸運に恵まれた
ドイツは幸運に恵まれなかった 天皇の「万世一系」を世界唯一無二と称賛する人が右翼系に多いけど、フランスだって、ユーグ・カペーが千年前に即位して以来、1848年の革命で最終的に王政が終わるまで、ユーグ・カペーの子孫が王位を継承し続けた
カペー朝・ヴァロワ朝・ブルボン朝と、王朝が2度交替してるけど、これだって本家が断絶したのを分家が継いだだけ。
日本だったら、これを王朝交替とは言わない。 イギリスも、外国から国王を迎えたりして、コロコロ変わった印象があるけど、これだって、なんらかの形でイギリス王室の血筋を引いている者でなければ、候補に上がることもない フランスの王統は王位を失った今でも男系継続だそうな。
あと、イギリスは女系継承入ってるからまた事情が違う。 イギリス王室を引き合いに女系でもいいじゃんと言う阿呆がいるが、イングランドはノルマンディー公ウイリアムのように女系男子が現職王を力ずくで排除して即位したから女系でもありになっただけ。
今の日本に例えると、眞子さまと結婚した小室君が人民解放軍に推戴されて今上陛下を放逐して即位するようなもん。 ドイツには封を必ず封臣に与えるという授封強制という方式があった。
授封強制はイングランドやフランスにはなかった。
この授封強制のために、神聖ローマ帝国は皇帝に権力を集中できず、
分権的でありつづけた。 結局はジャンヌダルクがフランス軍を一つに纏めてナショナリズムを高揚させたおかげ >>89
あのとき負けていれば、イギリス王室によってフランスが統一された可能性もある
当時はイギリス王室もフランス人だから問題ない むしろ、「あのとき負けていれば、いまごろイギリス人もフランス語をしゃべっていただろう」と残念がるフランス人もいる >>90
つっても、フランス王家はサリカ法典に縛られてるんで、女王が登位した時点で、ハノーヴァーと同様に王統分裂したと思うよ 中世中期初めの王権は、むしろドイツのほうが強力だったのにな フランス王家は、初期にはパリ周辺の小さな勢力圏しか持っていなかった >>93-94
オットー朝が5代100年余りしか続かなかったのに対してカペー朝は15代300年以上続いたのが大きい
15代300年といえば江戸時代に匹敵する >>96
カペー朝の王は、フィリップ2世以降は割と優秀な人が、ちゃんとした年齢で即位してることも大きいんだよね
ルイ9世は幼少の君主だったけど、あの時は摂政王母がめっちゃ優秀だった
長じたルイも、当時としてはかなり優秀な王だったし カペー家の本拠地であるイル=ド=フランスは経済的に豊かなため、
都市から貨幣を調達するのが容易であった
また、経済力があるからこそ可能だったが、法律の専門訓練を受け
「レジスト」(法曹家)と呼ばれる新しい知識人を王の側近として登用し、
イデオローグとして、またテクノクラートとして王政の発展に貢献させた >>96
ヴァロワ朝も、カペー朝の分家
武烈天皇と継体天皇よりは近い親戚 フランスと神聖ローマ帝国との関係では、
カペー朝の強大化を警戒した皇帝オットー4世、フランドル伯、イングランド王ジョンの
連合軍を、1214年、フィリップ2世がリール近くのブーヴィーヌの戦いで撃破し、
ついで皇帝フリードリヒ2世の死後、ドイツが大空位時代に入ったため、
東からの脅威は消えた。 >>101
皇帝フリードリヒ2世の後継者をイタリアで打倒し、帝国に大空位時代をもたらしたのは、フランスの聖王ルイ9世の弟シャルル・ダンジュー >>102
日本でいえば、皇室から分かれて臣籍降下してた源氏が、天皇に抜擢されたような感じかな >>104
ブルボン=ヴァンドーム家はずっと王族待遇だった上、母系からナヴァラ王位まで継承している大層な名家なので
臣籍降下した遠縁レベルではない
長く続いていて、かつ有力であり続けた宮家みたいなもん フランス王権は領邦君主領をつぎつぎに併合して王領地を
着実に拡大していったが、その一部を親王領としてブルゴーニュ公や
オルレアン公などの王族たちに領有させていた。
百年戦争後、今度は王族が王権を脅かす存在となり、
とくに経済最先進地フランドルをも領有するブルゴーニュ公は
本家の王をしのぐ勢力を誇った。 カペー家初期に分岐したブルターニュのドール家やポルトガル王家のカペー系ブルゴーニュ家と違って
ブルボン家が分岐したのはヴァロア家が分岐する一代前だから血筋が近くやはり特別なのだろう
フランスが内紛してる時にブルボン家は常に王に忠実だったし 世襲王制と選挙王制の差じゃないかな?
それとフリードリヒ2世の子孫たちがシャルル・ダンジューに敗れて帝国の重要な拠点であるシシリア王国を取られたのも大きいかな
大空位時代を経てそれ以降のイタリア政策がショボくなった
それに対してアナーニ事件→アビニヨン捕囚で教皇庁にマウントとれた事も大きい 「イタリアは長すぎる」とナポレオンは言った
長いだけでなく、日本と同じで中央は山脈だから、「東海岸から西海岸へ行くには、船で海をグルッと回ったほうが早い」と言われるほど陸路が不便。
ちょっと統一するのは難しいな。
ドイツはともかく、イタリアだけでも統一できていれば良かったんだが。 普仏戦争でフランスを破って統一を成し遂げたときの
ドイツ国内の雰囲気は、
ちょうど韓国を日本を戦争で破ったときのようなものだったらしいな
長い間他国の風下に置かれてきた日陰者が突如陽の当たる場所に
躍り出た 韓国が日本に戦争で勝ったことはない(戦争したことすらない)んですが ブルゴーニュ公国はラテン系でプロテスタントの国として存続してほしかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています