海洋国家と海軍の歴史
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インドには、チョーラ朝以外に海洋国家が出現しなかったのは、なぜなんだろう?
インド洋に面していて、海岸線も長いから、もっとたくさんの海洋国家が
出現していてもよさそうなもんだが 同じような産物を作っているので交易する必要があまりない ムガル帝国は独自の強力な艦隊を持たなかったので、ポルトガルに対抗するため
オランダやイギリスの進出に期待を寄せた
何でも自国でやらずに、異民族を利用すればいいという考え方だったのかな? 漁民も船員も下位カーストの世界なので
交易で儲けるとい発想が生まれない
カースト横断の産業構造が発達できない ムガル帝国の第三代皇帝アクバルは、30歳になって初めて海を見たといわれている
ムガル軍の主力は華麗な騎兵隊にあり、ムガル帝国は海軍という名に値するような
海軍力はもっていなかった オマーン海上帝国も海洋国家だが、オマーンではシヴジ一族を
筆頭とするインド商人が活躍していた インドのグジャラート朝は同じイスラムのマムルーク朝と組んで
ポルトガル艦隊を撃破したこともあった(1508年のチャウル海戦)。
インド洋貿易で栄えかなりの海軍力を持っていたのだ。 オスマン帝国のスルタンやカリカットの王も船隊を編成してポルトガルの船隊に
戦いを挑むこともあった 東南アジアではアユタヤやパガン朝が率先してポルトガル水軍を傭兵として使った
ところが双方ともポルトガル人だったから彼らは真面目に戦おうとしなかった
痺れを切らしたアユタヤはポルトガルを捨てて日本人の傭兵を使うようになった
その名残でアユタヤではポルトガル人街と日本人街が隣り合ってる
https://i.imgur.com/I4FApkT.jpg
https://i.imgur.com/V0TpBdO.jpg オスマン帝国は、アチェ王国への軍事支援や技術支援も行っているんだよな
地中海方面ばかり向いていたわけではない このスレタイでイギリスでもカルタゴでもヴェネツィアでもなくインドから話題が始まってるの面白いな >>10
アユタヤ朝のナレースワン王はまず、現在のベトナム南部に居住していた
海洋民族チャム人を移住させて海軍を創設。
海軍を率いてビルマに奪われていたマレー半島西岸の港市テナセリムとタヴォイの
2都市を奪還し、インド洋と南シナ海を結ぶ中継港としての機能を回復した。 シュリーヴィジャヤ王国も海洋国家だな
この王国の成立は東南アジア群島部の歴史にとって画期的なことだった
シュリーヴィジャヤはインド洋方面から貿易船が来航し、東南アジア群島部の
各地との間を往復する貿易船との間で貿易を行う中継貿易の基地だった
シュリーヴィジャヤ王国の成立とともに、同地を中心とする東南アジア貿易圏が
成立したといえる >>10
日本人町と日本人、当時の東南アジアでは嫌われてたらしい
日本人町そのものがいざとなったら武装集団と化すうえ、やたらと戦争慣れしていて、態度がでかく乱暴、クーデターの片棒担いで王宮を占拠したこともある >>16
東南アジアではってえらい大きく出たけどそれアユタヤだけちゃうんか
アユタヤでさえ実在したかどうかも分からん山田長政ぐらいしかそんな話無いし ムガル帝国は、ポルトガルの活動にまったく無関心だった
年代記の類にもほとんど記録を残していない
影響を受けたのは、カリカットの王のようにインド西海岸で海上貿易に
力を入れていた小支配者に限られた
これは、1600年のインドの人口約1億人に対して、ポルトガルの人口
わずかに150万人、という数字を考えても、納得のいくところであろう
要するに、インド史の展開においては、ポルトガルの「帝国」も、
「黄金のゴア」とポルトガル人が呼んだゴアの繁栄も、周辺的な意味しか
持たなかったのである なんか支那と似てるな
清朝もアヘン戦争で負けて香港分取られてもまだ辺境の話として深刻に受け止めてなかった
その後のアロー戦争で北京天津に攻め込まれて初めて危機感を覚えたらしい >>17
そいつとりあえず日本人が嫌われてるってことにしたい病気の人だろ ボリビア海軍とか
ボリビアはチリとの争いに敗れて太平洋沿岸の国土を失ったが、
その後も海軍は維持され続けている エチオピアでは、エリトリアと連邦を解消するまでは海軍が存在していた 中国の国土面積は日本の25倍であるが、海岸線はわずか5分の1
陸上輸送は海上輸送よりコストがかかるので、中国で経済発展している
地域は沿岸部に集中している NAVYとは「艦船軍」
行動圏を海洋には限定していない モンゴルにも過去には海軍が存在していた
今は民営化されて湖で観光客の案内をやっている オスマン帝国の海軍は、ギリシャ人をはじめとするキリスト教徒が担当していた
もともとモンゴル人やトルコ人などの遊牧民は、すべてを自分たちでやるのではなく、
不得手な部分は支配下の民族を取り立ててやらせるという習慣がある
海賊バルバロス・ハイレッディンはレスボス島の生まれだが、スレイマン大帝の
招きに応じ、配下のガレー船を従えてイスタンブルを訪れ、そのまま
オスマン帝国に帰順し、カプダン・パシャ(大提督)に任命された >>26
英語圏では船団を意味するNaves,
スペイン語圏では武装集団を意味するArmata(英語圏でのArmyと同源),
それ以外の地域では海洋を意味するMarineを使ってるな 旧ソ連にマリノフスキー国防相がいたけど、根っからの海軍人だったのかな? 陸軍<空軍<海軍
で海軍の規模が小さく軍内部での政治力が弱い国も多いような 第二次大戦期のドイツ海軍は潜水艦での行動がメインで日本海軍みたく
水上艦同士で大海戦やってるイメージないな 海軍の規模が小さくかつ,政治力の弱い国だと国軍トップは陸軍出身者が
圧倒的に多くて稀に空軍出身者もいるけど,海軍出身者は蚊帳の外
みたいなケースもあったりして エリザベス1世時代のイギリスは海賊を海軍として登用してるけど
その頭目ドレイクは傭兵隊長やね >>35
そもそも近世のヨーロッパではまだ掠奪が悪いことだという観念が存在しないからな
だから私掠船というものがあった 楠木正成とかロビンフッドみたいな義賊として美化されてそう>ドレイク ドレークはその功績から、イングランド人には英雄とみなされる一方、
海賊行為で苦しめられていたスペイン人からは、悪魔の化身であるドラゴンを指す
「ドラコ」の呼び名で知られた 戦前の日本人は倭寇=カッコイイ、という感覚だったらしい
日本人の海外雄飛の象徴、とでも考えていたのだろう
で、中国人は日本人のそういう価値観に触れて違和感を覚えたとか 明治の日本にとって、海軍は、西欧から軍艦をはじめとするハードウェアばかりでなく、
近代的な組織づくりや国際法などの開明的な知識、マナーなどソフトウェアに至るまで、
徹底的に吸収したエリート集団だった
現在の新興国や発展途上国ではどうなんだろうか? >>15
あ、これ調査中のやつだったかな
気になりますね 元条約派と元艦隊派、戦後の海軍善玉論の中でお互い手打ちとなった?
後者がやり玉にあがった? ドイツを陸軍の手本とした他の国々だが海軍のほうは日本同様イギリスを手本にしてたんかね >>44
オスマン帝国海軍は、最初はフランスから軍事顧問を招いたが、
マフムト2世の時代にはアメリカ人が招かれてオスマン海軍に近代的な
造船技術を伝えた
やがてタンズィマート期に入り、オスマン帝国とイギリスとの間が
かつてないほど親密なものになると、海軍のお雇い外国人の主役の座も
イギリス人によって占められるようになる 戦間期〜第二次大戦期の日本,海軍と陸軍の立場が逆だったら東京裁判では
海軍出身者がA級戦犯として死刑に処されたんだろうな・・・ >>46
陸軍と海軍の地位が逆になるってことは海軍が先に他国に戦争ふっかけるのか。
ああいう現地部隊の独断専行による開戦と戦線拡大は海軍では起こりにくいから無理じゃないかね。 1571年のレパントの海戦の敗北は、オスマン側にとって、西欧側が想像したほど
深刻なものではなかった
主力艦隊の喪失に動揺する海軍長官クルチ・アリ・パシャに対して、
大宰相ソコルル・メフメト・パシャは、
「そなたはこの国の底力を知らぬとみえる。そなたが望むならば、すべての軍艦の
錨を銀で、ロープを絹糸で、帆を綸子でつくることもできるのだ」
と豪語し、わずか5か月で艦隊を再建したという
ムガル帝国の歴史もそうだが、西欧側からの視点だけだと偏る >>40
極楽とんぼ・加藤浩次は、大河ドラマ「平清盛」で海賊の頭目を演ずることになったとき、
息子が自分を見る目の色が激変したとかw 東南アジアには多くの港市国家があったが、
マラッカ海峡に形成された港市国家群では、
マレー語でオラン・ラウトと総称された
海上民が海軍力の中核を占めていた ヴェネツィア共和国のガレー船は、初期には自国の自由民が漕ぎ手の
中核をなしていたが、レパントの海戦の時代には、手工業の発展により
漕ぎ手になる国民が激減し、貧者、浮浪者、移民が仕方なく行う仕事
もしくは犯罪者が釈放の条件としてやる仕事になっていたとか 一部の国では陸軍本部が存在せず国軍本部の下に直接,各陸軍部隊が置かれてるが,
海軍本部が存在せず国軍本部の下に直接,各海軍部隊が置かれてる国もあるんやろか。
地上戦力は海兵隊,航空戦力は海軍航空隊のみだったりとか・・・ そういやアメリカ・イギリスだけでなく他の国でも海兵隊は陸軍式の階級体系とってるか >>54
艦船乗りの海軍軍人主導で航空隊・海兵隊出身者は冷や飯食らいな国軍か・・・ >>53
フランスはユーラシア大陸の「極西」に位置する大陸国家でありながら、
英仏海峡、地中海、そして大西洋に面した海洋国家でもある
このような地政学的な条件は、陸と海との双方で戦争に備えなくては
ならないという宿命も意味した オスマン帝国は、長年海軍をギリシャ人に任せてきたため、
ギリシャ独立後は、昨日までアナトリアの草原で羊を追っていた
若者たちを徴兵によって海軍に放り込んだ
彼らはそれまで海を見たこともない連中だった >>60
スペインは大陸国家なのに
うっかり海上帝国になってしまった感を感じますね >>61
スペイン、とくにカスティーリャは大陸国家です
スペインにとって海は本国と新大陸を結ぶ交通手段にすぎず、
海軍は商船を敵国や海賊から守ることが目的でした 個人的には近世の海上帝国より、中世の海洋民族国家のがワクワク感あるな
交易や略奪も行う遊牧民みたいに、勢いに乗ると拡大しちゃうあたり オマーンは一時ポルトガルの支配下に入ったが、17世紀に ヤアーリバ朝が
ポルトガルからマスカットを奪回し、オマーン全土を回復
この後19世紀末まで、オマーンの商船はインド洋全域を商圏とし、
東アフリカ海岸部を勢力下に置いた
この時期がオマーン海上帝国の最盛期
1817年までに、100隻以上の帆船(400の大砲を装備)を保有、サイード王自身も
1826年にボンベイの造船所で1800トンの旗艦を建造させている オマーン移民は10世紀以前からスワヒリ諸都市に住み着いて
土着化していたんだよね
ポルトガルがスワヒリ海岸から駆逐され、おもな港に総督が配置されると、
オマーンからの移住も一気に増加した アケメネス朝ペルシアは、海戦には不慣れだったので、支配下の諸民族から
軍船と乗組員の提供を受けて、帝国海軍の骨格をなした
その中でもっとも優秀だったのはフェニキアが派遣した艦隊だった
ユーラシア大陸の大帝国は異民族を活用するのにためらいがないな
こういうのは日本人が苦手とするところ
日本人は良くも悪くも自分たちですべてやろうとする 鄭和の遠征は過大評価されているように思える
14世紀後半に成立した東南アジアの諸政権は、マラッカ王国を除いて、
その建国神話の中で鄭和の遠征について言及したものはない
つまり、鄭和の遠征は、東南アジアにおける新しい政権の形成に対して
ほとんど影響を与えなかった あらたな社会秩序を形成したとする説はありますね
中華思想だと思いますが 鄭和の遠征の目的は、東南アジア海域世界を、明朝を頂点とする
朝貢体制のなかに組み込むことだった 鄭和は支那世界とイスラム世界とを結びつけたことに大きな意味があった
その上で鄭和の威光は東南アジア内陸部の仏教圏にも及んでて、タイでは鄭和は三寶宮っていう仏様として敬われてる
三寶宮はアユタヤのものが有名やけどバンコクはじめ全国各地にある
https://i.imgur.com/5UF8ZIV.jpg ムラカ(マラッカ)王国は、はじめのうちはアユタヤ朝に服属していたが、
明の鄭和の7回に及ぶ来航遠征時の補給基地をも提供し、
さらに香辛料の需要拡大という時代の波に乗って、
ヨーロッパ―インド―中国を結ぶ国際貿易港として繁栄した
そしてこの王国は、東南アジアのイスラーム教伝播の基地を提供していた
スーフィーたちがイスラーム商人の出先まで入り込み、現地社会が
やがてイスラームを信仰していく
ムラカ王国は1511年にポルトガルに占領されてしまったが フェニキアといえばハンニバルを輩出したカルタゴって海洋国家だった?
ついでながらそこの海軍も強かったんかな マラッカ海峡通行航路はインド・西方世界と中国を結ぶ海のシルクロードの
要衝だったが、そこに9世紀半ばごろ中国名「三仏斉」(ジャーヴァカ、ザーバジュ)は
諸港市を連合した国家として登場する
南インドのチョーラ朝は、1015年に中国へ初めて朝貢使節を派遣したが、
その使節は繁栄する三仏斉の富裕に目をつけ、1025年に大艦隊を派遣して
スマトラ島、マレー半島の三仏斉の主要港市を攻撃し、莫大な財貨を略奪した
チョーラ朝の来寇で三仏斉は大きな打撃を受け、衰退に向かう 中国は最近、鄭和の遠征を引き合いに出して、「海洋強国」ということを言い出してるな
過去の偉大さは現代の偉大さを生みだすということか >>74
西地中海の覇者だった
造船技術にも優れていたらしい
第一次ポエニ戦争ではガレー船の先にハシゴのようなものをつけて海戦を陸戦に変えるローマの奇策にやられた >>12
あとはアテネとポルトガルぐらいか
あんまり選択肢ないね
国家を外せば
バイキングやハンザワ辺りも
視野に入ってくるか >>78
ジェノヴァとオランダも入れていいんじゃないかな。
>ハンザワ
倍返ししてきそうな同盟だな。 >>79
オランダは頭から完全に抜けておりました
土下座してお詫びいたします >>77
カルタゴは海洋国家だったけど、戦史ではハンニバルがローマ軍相手に陸で勝利した
カンナエの戦いがやたら有名だよね
包囲殲滅戦のお手本 >>12
海軍の話ができる海洋国家って
やっぱかなり少ないよね
アユタヤ、ジャワ、インド辺りの話が聞きたいな >>5
貿易でウハウハの物語あるから
商人のカーストは高いのかな?
船長とかはどうなんだろ マラッカってひょっとしてモルッカ諸島から来ているか >>83
南アジアや東南アジアの場合、ヨーロッパに比べて
あまり記録が残っていないみたいです チョーラ朝の富は、もっぱら周辺地域からの略奪から成り立っていて、
ヨーロッパ諸国のように産業を興すことはなかったようだな
三角貿易のようなシステムもなかったし >>86
いろんなとこで
海兵隊はいるけど海軍はないイメージなんですよね
バイキングとか含めて
海戦やれるとこって
めちゃ限られてる気がします 勘違いされる向きがあるけど、海兵隊は陸戦が本業。
所有する艦船は戦闘用ではなく移動・輸送用。 艦船同士だと、衝角や遠戦兵器や焼夷兵器使っても、基本は切り込みでカタつけるような兵種編成の時代は長かったよね 古代地中海世界の海戦は、船の舳先に衝角をつけた手漕ぎの軍船同士の
激突だったから、船の性能とともに漕ぎ手の熟練がスピードを左右し、
敵艦にうまく衝角をぶつけて撃沈できるかどうかの決め手になったとか
ローマとカルタゴが戦ったミュライの海戦では、ローマ側はカラスと呼ばれる
敵船が接近してきたときに相手の船に乗り込んで戦うための可動式の通路を
使ってカルタゴ船の甲板に次々と乗り込み、あっという間に甲板は白兵戦の
場となった 東南アジアのチャンパー王国の戦舟は、一段櫂座の漕ぎ手と陸兵を乗せ、
速力と機動性において大きな威力を発揮したとか
https://4travel.jp/travelogue/10967657
チャンパーの戦舟 >>92
おお、まさにこれ
アジアだとガレー船に相当するものが
どうなってたか知りたかった
船の構造は単純そうですね
外洋は厳しかったのでは レパントの海戦の後、西欧諸国の海軍は船をカリヨンに切り替えたが、
オスマン海軍は17世紀中葉までガレー船にこだわり続けた 山田長政と日本人部隊を日本人が「好戦的」「侵略的」であったことの証拠で
あるかのように説く人がいるが、当時アユタヤ王国でもっとも重要であった
「外人部隊」は強力な火砲を備えていたポルトガル人部隊であって、人数が多く、
勇敢なマサッカル人部隊がこれに続き、日本人部隊はその次くらいであった アメリカは例外として海洋国家の多くは国土が狭いよね >>97
ポルトガルがその典型だけど、内陸部は山がちで農業に適さず、
人々はリスボン、オポルト、ラゴスなどの港市がある
海岸地方に集まり、生活の基盤を海に置いた
アメリカは大陸国家と海洋国家、両方の要素を兼ね備えた
「世界史の例外」 ヴェネツィアやオランダなんかは海を埋め立てて国土にしてたくらいだからな ギリシャの場合、恵みをもたらす大河もなく、痩せた石ころだらけの土地
だから海に出ていくしかなかった オランダ東インド会社の社員採用は、「魂の商人」と呼ばれる者が行っていた
彼らは道ばたのホームレスを無理矢理引っ張っていき、屋根のあるところで
食べ物を与えてから、甲板で働く者を募集しているのだと伝えた
男たちは張り切って船に乗り込んだものの、その多くは船上で死んでいった
マストから落下し、船べりから転げ落ち、海賊に襲われ、壊血病やマラリアや
赤痢にかかり、「あるいは船もろとも海に沈む」のが彼らの運命だった
甲板員の10人に1人が往路で命を落とし、アムステルダムから出発した
67万1000にんのうち、26万6000人が帰らぬ人となった
喜望峰に向かうにしろ、そこから帰るにしろ、大西洋上の赤道無風地帯の
影響によって船は遅れるのが当たり前になっており、その船からは
数多くの死体が海に捨てられた 海洋国家というとその国の商人の活躍が著しいイメージあるけど,大航海時代の
ポルトガルはそうでもなかったか。 海洋国家で商人というとアメリカでは貿易商が特使に任ぜられて条約の締結もおこなってたか
(日米修好通商条約のハリス) >>101
オランダは貿易商社である東インド会社が政府ばりの権限与えられてたのよな マルコ・ポーロの件はおいといてヴェネツィアやジェノヴァでも貿易商が
特使や大使として国の外交を担うケースが多かった?
そういうのは貴族階級の仕事? >>102
ポルトガルのインド洋交易は王室が独占していた
しかし時の経過とともに独占の弊害があらわれた
国王から任命された役人はしだいに官僚制につきまとう
非能率と腐敗をもたらすとともに、官僚制はオランダの
東インド会社をつくりだしたような民間人の進出を阻んだ >>104
オランダ東インド会社はオランダ議会から東インドにおける条約の締結、
自衛戦争の遂行、要塞の構築、貨幣の鋳造などの国家に準ずる権限を与えられていたな
オランダとハプスブルク家が戦争状態に入ると、オランダ人はイベリア半島の
港町への寄港を差し止められ、胡椒や香辛料などの東インドの品物を仕入れることが
できなくなった
そこで彼らは自分たちで東インドへ赴くことを考え始めた 大規模河川の運航船は海軍じゃなくて水軍?
どこまで拡げていいんだ 人類の歴史で、シーパワー同士の戦争は、ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争、英蘭戦争、
太平洋戦争の三つだけなのかな 最大の海洋版図は、台湾からミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに広がった民族
北に向かったのが縄文人だったのかも知れない >>110
スペインの方が広くね?
ダイエー帝国でもいいけど 現代であれば、アメリカ合衆国に本社を置くマイクロソフトは、
いくら巨大な会社であっても外国で勝手に要塞を築き兵士を雇うことは許されない
しかし東インド会社にはそれが許された 大日本帝国海軍は、慶応4(1868)年にたった6隻の艦船からはじまった
それが日清、日露戦争での勝利を経て、わずか40年で英米に並ぶ
世界第一級の海軍と見なされるようになった
『英海軍史』を著したクロー卿が「イギリスが育てた諸海軍のうち、
日本海軍は最高傑作である」と書いている 「会社」が国みたいな統治機関に発展した例は白人の侵略者以外にも蘭芳公司があるな
やっぱり貿易の集団から始まってる
当地のスルタンと清朝の庇護を受けて存続してただけやから「国」とは呼べんけど
あと国じゃないけど日本にも沖の大東島の例がある 東インド会社ができた時代は、まだ現代のように国家とそれを統治する政府が、
政治・軍事の権限を集中的に保有していたわけではないから 東インド会社の時代、アジアにやってきたヨーロッパ人は、新規なものに対する
あふれんばかりの知識欲とそれを多くの人たちで共有しようとする姿勢を持っていた
そして、このような情報蓄積のおかげで、ヨーロッパの人々はあらかじめ一定の
準備をした上でアジアの海に赴くことができた
これは、日本などごく一部の例外を除いて、アジア諸地域で外国人、とりわけ
ヨーロッパの人々に関する情報がほとんど書き残されなかったこととは対照的
かくして100年の間に積み重ねられた彼我の情報の多寡の差は、
相当な程度になっていた。そして、情報量の差がいずれ重大な結果を
招くことになるのは、現在も過去も同様である
現在のヨーロッパ人は東アジアに関心がなく、東アジアの言語や文化の洞察は
不可能だと考え、また洞察しようという意欲もまったくないが、これは将来
どういった結果を生むかな? 三仏斉は、
「外国船が通り過ぎて、その港に入らなかったりすると、必ず海軍を出して
皆殺しにする。そうう理由でこの国には犀角、象牙、真珠、香薬が豊富なのである」
と中国の記録に残されている。
いわば海賊型中継交易国家。
ムラカ王国が外国商人をきわめて優遇していたのとは対照的だった。 日本海軍ってイギリス海軍を手本とした割には陸軍でのメッケルに相当する
軍事顧問を意外と聞かない。
海軍版メッケルって誰がいたかな・・・ >>119
イギリスからダグラス教官団ってのが派遣されてる。
明治6年から8年まで海軍兵学寮で教鞭をとり日本海軍の基礎を築いたということになってるが
メッケルのようなエピソードは見当たらなかった。
まぁでもその後の日清日露と見事に戦い抜いたのはこの時の基礎教育あってのものなのだろうな。 j-strategy.com/series/tf1/1438
秋山真之はアメリカでアルフレッド・マハンから個人的なレクチャーを受けてたが,
海軍はそれ以前にマハンを軍事顧問として招聘しようとしてたんだな
(マハンへの接近は真之本人の意思なのか上からの密命もあったのか) 商船であるのに大砲を積載しているということが東インド会社の船の特徴だった
したがって、船の基本的な形は、軍艦と変わらなかった
しかし、大砲の数が多くなると、それだけ商品を収納する場所が狭くなる
兵士も多く乗船させねばならない
商船である以上、できる限り多くのスペースを商品の収納にあて、
できる限り乗員の数を減らさねばならない
このため、どの国の船も大砲の数をおよそ22門から28門程度に限定していた 世界に名を馳せたオランダも18Cにはヨーロッパの一小国に成り下がってたな
(同世紀末には東インド会社も解散したし)。
それでもシーボルトが長崎にいた頃は江戸幕府から依然大国だと思われてた? オランダは17Cと19Cにくらべ,その間である18Cの空気感が半端ないな そりゃ幕府の海外情報はオランダ経由なんだからわざわざ「我が国は落ちぶれました」なんて伝えないだろ >>120
日本では、お雇い外国人はあくまで「教師」であり、実際の活動の主体は日本人だった
すなわち一刻も早く西欧の技術を習得し、日本人が海軍軍人として、また技術者として
自立することを目指していた
一方、オスマン海軍では、たしかに士官学校に何人かの外国人教官を招きはしたものの、
彼らにとっての西欧技術の導入とは、そのまま外国製の軍艦や大砲を購入することであった
自国に技術的な裏付けがない以上、これらの操作にあたっては、外国人の技師や機関士に
頼らざるをえなかった
その結果、いつまでも一人立ちできなかったのである >>124
オランダは、17世紀末までには経済大国の地位をイングランドとフランスに
譲ったが、それ以降も国際金融の中心という地位は保持していた
18世紀以降、一握りのレヘント層が繁栄するのとは対照的に、
社会の下層では貧困化が露になっていく
毛織物工業も造船業もニシン漁業も、かつての繁栄の面影はなかった 21Cの現在でも”海洋国家の大国”として君臨し続けてる国はアメリカぐらいなんかな。
中国は大陸国家的な側面が強いし英仏も最盛期ほどの勢いはなくなったし・・・ 日本は本来、鎖国体質、自給自足の国だったのに、近代以降、かなり無理をして
海洋国家になってしまったな
日本列島で、海外との交易活動に生活の拠りどころを求めねばならない地域は、
九州や南西諸島、東北地方の北部以北といった、おおむね周辺地域に限られた
それがヴェネツィアやオランダとの違い 難波津とか堺とか大坂とか知らんの?
日本の中央も上古の時代から海上の交通と物流で発展してきたのに >>124
19世紀になんかやらかしたの?
出雲や丹波なんかの日本海沿岸を
海外交易都市とする説もありますね 海洋国家としてではないが19Cのオランダはゴッホを輩出してたな >>131
丹後の舞鶴は縄文時代から今に至る貿易港で、世界最大クラスの丸木舟で外海に出てたって言って船が展示してあったわ 19世紀のオランダはベルギーと一緒になって連合国家をつくった
もっとも、すぐにベルギーが分離独立してしまったが オランダは、地中海を中心にイタリア人やポルトガル人が用いたカラベル船にかわって、
フライト船と呼ばれる、少人数で大量の積荷を運搬できる新型船を発明した
非武装のフライト船は、軍艦兼用であったイギリスの船にくらべて、速度は遅かったが、
バルト海や北海のような比較的安全な水域では、海運コストが圧倒的に低かった オランダはナポレオンによって本国失陥したことを幕府には報告しなかったんだっけ >>135
フライト船は甲板構造上
ニシンの樽詰がやり易かったときいたことありますね
オランダはニシンでできているみたいな言葉もあった気がします ( なんだ、戦艦大和や日本帝国海軍「連合艦隊」のお話か?)
>>1. へ
だいたい「海軍」とか「陸軍」とか「空軍」の区別なんて。 いつまであるんだ?
すでに "宇宙時代" で・・・アメリカに「ついて行く」ニッポンも= "宇宙軍?" の創設なんて言っている。
宇宙空間や月の上で戦ったら・・・「空」なので "空軍" なのか? 宇宙「船」なので "海軍" なのか? 月や火星の、陸上?で戦っているので "陸軍" なのか?
ガンダムのアムロ・レイは=連邦の「陸軍」の兵士なのか?「空軍」の兵士なのか?「海軍」の兵士なのか?
" 宇宙。それは、人類に残された最後の開拓地である。そこには、われわれの想像を絶する新しい生命、新しい文明が待ち受けているに違いない "
は・・・スタートレックのナレーションだが。USSエンタープライズ号でも「宇宙船」=宇宙の海軍。を、当てはめているようだ。 地中海世界に比べてバルト海世界はあまり注目されないな
ヨーロッパ史ではけっこう重要なんだが 黒海も地味だよな
古代にはギリシア人、中世にはヴァイキングやジェノヴァ人がやってきた 黒海、北海、バルト海は語るネタがあるだけまし
カスピ海はここで話せるネタがマジでなさそう
そもそも海かどうかも怪しい わたくしの分類では
日本海とカリブ海は
内海扱いですね
豊かさという点では
紅海やペルシャ湾の方が先輩感がありますね 海といえば海賊がつきもの
バーレーンやアラブ首長国連邦周辺の海域は「海賊海岸」と呼ばれていたし、
マラッカ海峡も過去には海賊の巣だった
マレー半島の海賊軍は、奴隷たちが漕ぎ、「華々しい甲冑」に身を包み、
接近戦用の槍やクリース(刃が波形の短剣)で武装した、海賊戦士が
操る数百隻もの軽量の快速帆船によって構成されていた 地中海の特異性はもともと一つの文化圏だったのが別れて
別々の文化圏が密接に関わり合うようになったことかな >>148
環日本海と東シナ海も、古代には一つの文化圏だったのが、中世以降、
別々の文化圏に分かれてしまったように思えますが
要するに、日本が大陸諸国とは別の文明に変化したということ 最初は陸の人口は希薄で海沿いに先行拡散する
農業で人口が増えると、陸が圧倒するようになるということなんでしょうね シルクロードについてだが、ほとんどの絹は中国南部からマレー半島へと
海上を運ばれ、アラブやペルシャの仲買人に買われ、欧州へ送られたらしい
前近代の陸上輸送には莫大なコストがかかったこと(海上輸送の20〜40倍)
を考えると、中央アジアをラクダの行列で運ばれた商品はごくわずかだった オランダは、1670年の段階で12万人もの船員を擁し、総計で56万トン以上もの
商船を世界に送り出す一大海運国家であった
この総トン数は、同じく海洋国として世界を股にかけたスペイン、フランス、
イングランド三国の総トン数を合わせたより多かったほどである >>151
日本だって西廻り航路で東北から敦賀とか宮津に寄港した船がそこで荷物下ろさんとわざわざ山陰山陽をぐるっと回って大坂まで入ってたからな
陸上輸送ではどう頑張っても船の積載量に勝てん 以前、「シベリア鉄道を使ってトヨタ自動車をモスクワへ輸送する」という
「シベリアランドブリッジ構想」なるものがあって大いに騒がれたが、いつの間にか
沙汰やみになった。
なぜかと理由を聞くと鉄道運賃が高すぎて割に合わないのである。
聞くところによるとシベリア鉄道は創業以来一度も黒字になったことがないという。
要するにシベリア鉄道を使って鉄道採算が取れるほど運ぶものもヒトもないのである。 中世の海洋国家で名の知れた海運業者といえば誰がいたっけ? >>155
清盛の頃に琵琶湖と日本海つなぐ運河構想あったよな。実現したら面白かったんだが。 陸でも河川や湖のあるところは船を使って輸送しているよな
ライン川とかドナウ川とか 三十年戦争も河沿いでの行軍がほとんどだったというな 遠い未来に人類が宇宙へ進出して惑星国家やコロニー国家が作られたら
宇宙間をまたにかける宇宙版海洋国家もできそうやね >>154
アテネ、ベネチア、オランダは有名ですね
逆に生産能力は凄いのにオスマンの
実際の造船所がどうなのかよくわからないです >>162. へ
「宇宙海賊」キャプテンハーロックやエメラルダスなんて。アニメや漫画では、もう
とっくの大昔から・・・出つくしている、よね。
( 案外、近い未来。だと、思う・・・22世紀の後半くらい、かな? 130年後
くらいだけど=今から100年前!は大正10年ころ。明治維新は今から160年
くらい前。平安時代は、今から1000年前=今から、100年後!の世界はどー
なっていると思う? 今から、160年後の世界はどーなっていると思う? 今から、
1000年後の世界はどーなっていると思う? ) >>132
ゴッホはフランスに来て初めて画家になった人間だろ。
19C(18Cから)はオランダはフランスの文化的衛星国に凋落していた。 >>163
オスマン海軍の艦船は、イスタンブルの金角湾や帝国各地にあった
テルサーネ(造船所)で建造された
木材などの必要な資材はすべて広大な帝国領内から調達することができ、
絶頂期にあった国家財政がそれを支えた >>166
木材調達的に黒海沿岸にあったのかと思ったのですが
帝国全土でしたか
地中海側だとどの辺りで造ってたんだろ オスマン海軍の艦艇は、ダーダネルス海峡ヨーロッパ側のゲリボルとガラタの造船所で建造され、後に後者が優位をしめるようになり、アナトリア黒海岸シノプ、イズミル、或いは造船指示の調達に資金の場所に作られた臨時の造船所は、必要に応じて稼働した >>168
ふーむ、なるほど
ざっくりいって中間点で作製してた訳ですか
集中が進むなら
やはり高度な技術的集積が必要だったようですね
まぁ、修理のための施設は
各地にあったかとは思いますが >>169
近世以降、ヴェネツィアなど地中海地域において木材が不足し始めたのに対し、
オランダはバルト海沿岸の豊富な森林を利用することができたのだとか >>157
ベネチアとスペインは
有名じゃないでしょうか
海賊対策なんですよね ヴェネツィア共和国では、17世紀には適齢期の男で結婚しない者は60%に達していた
経済が発展を止め、あるいは収縮する中で、生活水準を維持したいという気持ちから、
子孫を増やしたくないということになったためである
またリスクの大きな通商を避け、安定した土地からの収入に頼るという態度に変化した 中国工作員の書き込み
そうすると、中国軍が安心して北朝鮮に入り、現王朝を倒し傀儡政権に代える
中国軍が首都に駐留していた明清時代に戻る 明清代と違うのは中国が海洋への野心を持っていること ラテンアメリカ・カリブ海諸国には海洋国家がひとつもないよな
海に面している国が多いから、ひとつぐらい海洋国家が出てきても
よさそうなものだが かつての海洋国家として栄華を誇った国だが20Cも引き続き繁栄が続いてたら空母持ってた? イングランドが大西洋の航海に本腰を入れるのは、エリザベス1世の時代に
なってからである。
ネーデルラント独立戦争でオランダとスペインの戦闘が激しくなり、
北ヨーロッパ有数の港町アントワープが封鎖された。
当時のイングランドの主要生産品は未完成の毛織物(完成できる技術がなかった)と
羊毛だった。これだけで輸出品の9割を占めていた。
その行く先がアントワープであり、まさにイングランド経済の生命線ともいうべき
町だった。 大陸で迫害を受けたプロテスタントの毛織物職人が亡命してくると、イングランドでも
自前の完成品がつくれるようになれば、送り出す市場がない。
そこで女王の命令を受けたサー・ウォルター・ローリーやジョン・ホーキンズらが
新大陸へと向かった。
しかし、入植に適した南米はほとんどがスペインやポルトガルの支配下にあった。
弱小国イングランドには北米の一端しか残されていなかった。 現代においても、ロシアの不凍港は7か所しかない
クリミア半島のセヴァストポリ、黒海沿岸のノヴォロシスク、
バルト海のカリーニングラード、バレンツ海のムルマンスク、
日本海のウラジオストク、日本海のナホトカ、ベーリング海の
ペトロパブロフスク・カムチャツスキー アラブ人は、当初は海軍を持たなかったが、彼らも地中海に進出してくると、
イエメン系、オマーン系、シリア系のアラブ人やコプト派キリスト教徒のエジプト人
(おおむねギリシア人)の船員や船大工の助けを借りて、海軍を編成するようになる
ウマイヤ朝のムアーウィヤは、655年には小アジア南西のリュキア沖(フィニケ沖)の
「帆柱の戦い」で、500隻からなるビザンツ艦隊に壊滅的な打撃をあたえた。
そのときの海戦では、提督や艦長、海兵はアラブ人であったが、船員や漕ぎ手は
シリア系のアラブ人やギリシア人(キリスト教徒のコプト人)であったという。 スイスは内陸国だけど、第二次世界大戦中、自国の経済を維持するために、
物資の輸送を確保する手法として、商船隊を創設したんだよな
現在もスイスには六社の海運関連企業があり、約40隻のスイス籍船が運航している
スイス商船隊は、スイス政府に危機が発生した場合、国家の支援のため特定の物資を
輸送する役割を持っている スイスといえば世界第二位の海運会社「MSC」はスイスの会社。
巨大なコンテナ船を400隻も世界中で運行している。内陸国なのに。
転じて日本はと見ると、国内で一番大きい海運会社であっても
世界のトップ10に入らない。四方が海に面した貿易立国の国なのに。 >>185
日本郵船、いま世界5位やで
商船三井も8位やで
日本郵船は15年くらい前には世界2位だったんだよね 世界各地にチョークポイントがあるけど、その中でトルコ海峡は、
国際海峡でありながら、通行料に相当する費用を徴収している
狭い海峡の管理に必要な「航行安全、環境保全に関わる費用」として、
トルコ海事機関が、通過する船舶から代理店を通して徴収している
ちなみに通過する船舶のほとんどは、旧ソ連のロシアやウクライナ、
あるいはルーマニアなどの船 日本の海運会社は数年前にはワールドトップ10に入ってなかったけど
合併で「ONE」って会社を作って今は6位ぐらいに入ってる ONE(おね)ってボーカロイドがいたっけ。最近あまり見ないけど。 ONEはCeVIOソフト
音声合成ソフトの中でも、ボーカロイドソフトとはまた別 マルコポーロを捕らえてコロンブスを輩出した
ジェノバ は海洋国家の覇権をあれだけ誇ったのに
その後没落して19世紀のイタリア移民の
玄関港になったよね
そんなジェノバからアルゼンチンに出稼ぎに行った
お母さんを訪ねていったのがマルコ。
ジェノバはまだ良い方で、バスラにしても
十三湊にしてもリバプールにしても
港湾都市って寂れる時は本当に寂れるよね 現在のヴェネツィアは単なる観光都市に成り下がっている 海外貿易の収益より土地からのほうが流石に大きかったんじゃないの?>南宋 工業国家でもあるし農業国家でもあるし海洋国家でもあると思うけど宋
あと元も
よくよく考えると元寇の時の蛮子軍10万ってすごい数だよな
10万単位の兵力を外洋渡航させるとかほかの国では近代に入らないとまず無理 南宋では、孝宗在位の27年間で、長江下流域の沃野が開発され、農業技術も進歩した
米や茶の生産は増え、景徳鎮などの陶磁器業をはじめ、絹織物業、製紙業、印刷業が
各地に興り、国内商業が発達したほか、広州や泉州を拠点とする対外貿易も盛んだった
南宋の対外貿易は北宋のそれをはるかに上回る活況を謳歌した ここ500年ほどシーパワー優位の時代が続いていたが、もうそろそろ
終わりを告げるんじゃないかな
EU+ロシア+中国、さらに英国と日本が中国側につけばアメリカの覇権も
終わるかもしれない >>98
アメリカ=「世界史の例外」
本当にその通り でも、条件が似た感じのブラジルはUSAになれなかったんだよなあ USAは草原と砂漠と高山で、移動はわりと容易
ブラジルは全土がジャングルで移動が困難 ブラジルはアンデス山脈に太平洋への道を塞がれてるのも痛かったペルーチリを併呑できず >>158
琵琶湖と日本海をつなぐと、どんないいことがあるの? ファーティマ朝はけっこう強力な海軍を持っていたと思わね? >>206
北前船が関門海峡回らずにそのまま大津まで来られる
たぶん行程が10日くらい短縮になるかな タイにはクラ運河計画がある
この計画はタイ半島のくびれの部分に運河を造り、南シナ海とインド洋を直接結ぶ計画
この計画が実現すれば、船舶は混雑するマラッカ海峡を迂回できる
一方マレーシアは、5兆円を投じるクラン港の拡張計画を発表した 北極回路はやくひらけねえかな
海の地政学が一変するかもしれん 北極海航路を利用した場合の中国ー欧州航路の最短ルートは対馬海峡、津軽海峡を
通過する事になるので、両海峡の重要性が高まる ロシアの砕氷船を付けなきゃならんわけだろ。
つまり単純に考えても1隻通行するのに2隻分の燃料が必要。
経済的なのかな。 地球温暖化が進んで、北極の氷が溶ければ各国の船が
北極海航路を利用するようになるのかな 歴史IFだけどさ、もし日本が欧米諸国の植民地になっていたら、
沖縄にはシンガポールのような要塞が築かれ、大名はインドの藩王国みたいに
なっていたんだろうか 北極海航路と言えば、韓国が砕氷タンカーを大量受注していたな。
うらやましい >>214
日本の武士がそんなに弱いと思うか?
元寇を追い返した日本の武士だぞ >>218
強い弱いはあまり関係ない。
切り崩して一部を味方にするのが列強の常套手段だから。
却って植民地支配が捗る場合もある。 日本の武士はグルカ兵のように「尚武の民」として傭兵になったりして 宋元時代の中国は、世界有数の造船技術を誇り、数百人の乗組員を乗せた
二千石船から五千石船の巨船が東南アジアの水域を行き来していた
それから上がる関税は、南宋のときで国家歳入の5%を占める巨額なものだったし、
さらに元朝では、政府自らが資本を投じて、南海貿易に巨利を博していた
やっぱり南宋と元は海洋国家といっていいのでは? >>220
元はまちがなく海洋国家
宋は微妙なとこだけどネイビーはセーフ 泉州は、エジプトのアレクサンドリアとともに13世紀の世界最大の港だった
また元朝は、江南の地から首都大都までの税糧を大運河によって輸送する
漕運ではなく、海上輸送する海運を利用している 新ルート「北極海航路」 利用大幅増 道内寄港増えるか
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210417/7000033034.html
ヨーロッパとアジアを結ぶ新たなルートとして注目される「北極海航路」を
航行した船は去年133隻と前の年より5割余り増え、北海道開発局は今後、
道内への寄港が増えていくものとみています。 中国で、遠洋航海用の大型帆船が造られるようになったのは宋代に始まり、
2〜300人も乗れる、千ないし二千石船から、5〜600人を乗せられる、
五千石船が出現した
これらが、東アジアあるいは東南アジアの水域を乗り回した
その主産地は福建・広東だった
船材は主として杉・松を使うが、福建は良質な杉材の特産地として有名だった
これに加えて福建では造船に欠くことのできない鉄材が豊かだった ちなみに倭寇の使う日本船は、大きいもので300人、中くらいで1〜200人、
小さいものは4〜50人から7〜80人であるし、船の形も丈が低く狭かった
巨艦にあうと、迎撃しようにも容易でなく、かつ沈みやすかった
それゆえ、彼らはみな広東船や福建船を恐れたという
また日本船の構造を見ると、船底が平たいため波浪を突っ切ることができない
それに帆の中心が帆柱の真ん中にいくようにかけられ、中国のように、
帆の端をかけないから、いつも帆を有効に使いえない
したがって順風のときはよいが、無風のときとか、逆風の場合は、帆柱を倒して、
櫓をこぐ。そのため外海をよぎるのに、どうしても、一か月余りの日数がかかる 古代史の謎は「海路」で解ける 長野正孝 PHP新書
に古代の日本の船の変遷の記述があった 平安時代に安倍頼時が50人乗りの船でアムール川を30日間遡上し、現地で騎馬部隊に遭遇して帰還。
お陰で当時から日本人は、中国北方の騎馬民族の国は蝦夷地の対岸であると知っていた。
これって結構すごくね? 海運の話になるけど、江戸時代には菱垣廻船・樽廻船・北前船などが沿岸航路に従事していた
当時の日本は世界でも有数の内航海運大国だった
この海運なしに、江戸時代の経済的発展は存在しなかっただろうな ロシアとの関係がこうなると、
北極海航路はしばらくダメだろうな
日本が作っている北極用の砕氷船も
南極で活用することになるかな ロシア黒海艦隊司令官逮捕さる!
解任ならともかく逮捕って何やねん・・・
ロシア政府は自ら恥の上塗りをするのが好きなのか チリとアルゼンチンは海軍は有名だけどウルグアイの海軍はどんなもん? 「無人機どっさり空母」誕生か ピンチを好機とするトルコ 艦載機型バイラクタル
https://trafficnews.jp/post/118219
トルコ海軍が建造を進める強襲揚陸艦「アナドル」は無人機運用に特化した空母として
かつてのド級戦艦や空母機動部隊のように海軍の在り方を変えることになるかも。 >>227
奈良時代に渤海使とか来てたから情報はあったのでしょうかね まじレスすると、トルコ語固有名詞で「アナドル」というのは「アナトリア」のこと 無人機なら確かにどっさり載せられそう
「おおすみ型」輸送艦3隻に80機づつぐらい載せて集中運用したら
結構な攻撃力になりそう 海難1890って映画見たのですがトルコの海軍士官に英語なら分かるだろと話しかけるシーンがありましたが
当時からどの国の海軍でも英語がメジャーだったのでしょうか? ウィキペディア「オスマン帝国海軍」より
「軍艦の機関員や航海士にはイギリスからの「お雇い外国人」が充てられており、
イギリス人の機関長と航海長が実務を担っていた。ゆえに命令は主に英語で行われ、
トルコ人の艦長や下士官を動かす時にのみトルコ語が使われた。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています