フビライ>>>カエサルだろ、普通
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カエサルはどう考えても過大評価だと思う。 西欧人ならまだしも、日本人までカエサルを過大評価するのは 未だにヨーロッパ中心史観から抜け出せていない証拠である。 カエサルよりも趙匡胤とフビライの方が能力や人間的スケールが大きい。 カエサルのおもしろい所は 色んな能力を複合的に持ち合わせている点。 物書きで借金を作る天才で女を だきまくれて史上一位と言うわけでは ないが政治と軍事をこなせる点。 政治と軍事面を見るとカエサルより 光武帝やチンギスカンの方が有能だろうが カエサルって結構、色んな能力を 持っているんだよね。 俺はカエサルは多面的な能力を持つから 高く評価してもいいと思うけど。 「中華帝国の創始者は始皇帝」というのは錯覚にすぎない 本当の創始者は、フビライ・ハーン >>3 中華帝国の創始者は始皇帝だとは思うが、これをさらに進化させた世界帝国にしたのがフビライなんだとは思う。 元の滅亡後、朱元璋は以前の「中華帝国」にダウンサイズさせた。 これをもう一度世界帝国としたのが清朝。しかし、アロー戦争または日清戦争で大国からずり落ちた。 フビライが築いた世界帝国を現代風に焼き直したのが習近平の「一帯一路」である。 趙匡胤はもっと評価されてもいい人物。 劉邦や朱元璋のような強烈キャラではないが、偉大な名君だ。 これは宋自体が評価低いからだろうね。 光武帝も評価されていい サラディンもしかり 寛容者こそ評価されるべき 虐殺魔はいらん 原爆落とした国と6年後に同盟国になったりしてるから、 問題無し >>7 あれは、「モンゴルの軍事力を利用して、目の上のコブの倭国を叩く好機ニダ」と考えた、悪い人たちにそそのかされた結果だから 大元ウルスは大陸国家であると同時に海洋国家でもあった。 海のシルクロードっていうやつだが、あの時代にそれを具体化させたのは凄い。 カエサルにはないスケールの大きさを感じる。 もともと、唐の後期あたりから陸のシルクロードは衰退して、東西貿易は海洋ルートが主流になっていた モンゴル帝国期には、北京からモンゴル高原に入り、中央アジアまで馬で駆け抜けるハイウェイルートが開かれた フビライは戦争を泥沼化させたという意味ではアレク大王やナポレオン、ヒトラーに似てる 戦争を始めても短期間で勝って終わらせてみせたカエサルとは確かに真逆 戦争を起こすのは簡単だが上手く終わらせるのは難しい 光武帝、カエサル、サラディン、ちょうきょういん 人徳、魅力を兼ね備えた聖王たち >>13 後世への影響では その3人よりフビライの方が大きい。もちろんカエサルよりもね。 祖父の成吉思汗も偉大だったが、破壊と収奪がメインで、建設では孫には遠く及ばない。 フビライが行った行った諸政策は開明的でアレキサンダーやカエサルと比しても遜色がない。 中国特有の事情として、「中国4千年」とか「中華帝国2千年」とか、歴史の一貫性にこだわる傾向がある それがあるから秦の始皇帝が開祖として特別視されるんだが、普通に見れば今の中国はフビライ・ハーンから始まっている 前からよく使う例えだが、中国史における大元のインパクトは、日本に例えれば 「北海道から北方民族が攻めてきて京都の朝廷を滅ぼして天皇家を断絶し、青森に首都を作って別の帝国を始めた。 その後、現代に至るまで青森が首都で、京都はすっかり荒廃して廃墟になってしまった」 というのに相当する 北京と長安の位置関係は、ちょうど青森と京都くらいだ >>17 インパクトはないが正確性では 授時暦>>>ユリウス暦二ダ。 フビライの影響力は1000年 カエサルの影響力は2000年 フビライは影響力1000年経ってない だいたい700年ぐらい 紀元前の人間と同じ土俵には立てない カエサルの影響ってユリウス手暦の他になにがあるの? そもそもローマが地中海世界の覇権国になったのはカエサルが生まれる前。 2000年って、コンスタン地ヌスやビザンツ皇帝の功績を食っていないか? まあフビライもチンギスやヌルハチの業績を食ってる部分はあるけどな。 コンスタンティヌスはローマ捨てて東へ逃げたローマ人の面汚し カエサルは多芸多才で人間的な魅力に富んだ逸材ではあるが、歴史的な功績ではコンスタンティヌスの方を多としたい。 それなのにカエサルの評価が高いのはコンスタンティヌスは晩年に処刑や殺人に走って暴君化したためであろう。しかしそれでは人気投票だ。 コンスタンティヌスの評価は現代においても歴史家によって様残だが日本では無名に近いのは残念だ。 キリスト教史観ならコンスタンティヌスのほうが上なんじゃね? テオドシウスと並んで大帝とか呼ばれてるし トラヤヌスとかハドリアヌスとかアウレリアヌス差し置いて >>26 北魏の孝文帝が、大同を捨てて洛陽に遷都したようなもんだろ ローマ人名乗ってるのにイタリア本土捨ててるのがダメ せめて一時的に離れるだけなら許された モンゴルを捨てて大都に遷都した人はちゃんと名前も中華っぽくしたからOK? >>30 コンスタンティヌスの時代はイタリアはもう本土ではない アントニヌス勅令以来「ローマ人」を意味するのは帝国全土の自由人になった 彼の時代のローマ人一般にとっての本土とは帝国全土のこと だからイタリア本土を捨てた、という考えがそもそも成り立たない この時期イタリアを本土と考えていたのは主にイタリア在住者くらいだろう 明治天皇が京都を捨てたから その後の日本の発展がある。 アウレリアヌスやディオクレティアヌスだって条件同じだけどイタリアを本土として大切にしたんやで >>35 京都を捨てて江戸或いは東京に移ったからもう日本じゃない、ということに近い >>35 イタリア半島一国の時代から数百年たった多民族・多宗教の大帝国の時代に 「ローマ」や「イタリア半島」に当時の人間がどれほどの民族的アイデンティがあったのかね? 日本だって、明治天皇の他に神武天皇や桓武天皇が「本土」を断捨離している。 コンスタンティノーブル遷都はピョートルのペテルブルク遷都や永楽帝の北京遷都と感覚的にはそう変わらん。 世界帝国とはそんなもん。 >>36 条件は少しづつ変わっていった アウレリアヌスの頃はまだローマは首都扱いだがディオクレティアヌスとなると イタリアを属州化してしまった。ただし属州といってもまだ若干本土らしい優越性があった これがコンスタンティヌス朝になるとどんどん一般属州化し、西方宮廷はローマに置かれなくなった 段階を踏んでいるが5世紀には本土意識はほぼなくなった アイデンティティがあったからこそイタリアやローマが本土であり続けたとも考えられる 帝政後期の途中までは…だけど 4世紀末はローマ市周辺の人だけが古来からのローマアイデンティティを保持していて それ以外の一般属州民のローマ人意識とは大幅に乖離があったようだね このあたりは南川先生が書いているが、ローマ周辺以外のイタリア半島の一般人の 認識はどうだったかまでは書いてない感じなので、半島の人の気持ちを知りたいところ >>38 ,>>41 イタリア半島の本土意識はアウグスゥトスがウェルギリウスにアエネイアスを書かせて政策的に作らせた、とされている 実際アエネイアスは急速にローマ人の間に広まり民族叙事詩の地位を確立した リヴィウスもアウグスゥトスの政策の一環だと考えられている しかし5世紀頃にはウェルギリウスが読まれなくなった形跡があり、この頃には本土意識はかなり薄まっていた 可能性がある だからこそダンテ達によるウェルギリウスの復興はルネサンス期のイタリアにとって重要な指標だったと考えられる 中世・近世の「イタリア人」、1世紀の「ローマ人」、4世紀の「ローマ人」、 これらをゴチャゴチャにして、アイデンティ論をやってる人がいるね。 属州出身の皇帝が輩出している時代の「ローマ人」って、ローマに住んでいる人ではなくて ローマ帝国の「市民」階級ってことだろ。アイデンティが「ローマ市」から離れている時代だから遷都が出来たわけで >>35 はいつの時代の どういう意識を指しているのかわけわかめ。 モンゴル帝国の祖ではないけど元朝の祖ではあるフビライ ローマ帝国の祖ではないけど東ローマの祖ではあるコンスタンティヌス 似てるっちゃ似てる 偉大さランキング AAA チンギス・ハン AA フビライ コンスタンティヌス A 始皇帝 アレキサンドロス 趙匡胤 B カエサル ナポレオン 曹操 C 東條英機 トランプ 三回目の日本遠征も計画してたらしい いろいろゴタゴタが重なってご破算になったが フビライは台風に負けたのであって日本軍に負けたわけではない。 「鎌倉武士最強!」とか恥ずかしいw >>48 いや、あきらかに日本軍に負けた。 モンゴル軍は6月初頭に博多に来て日本軍に敗れ、それから2ヶ月間も逃げ回った末に 台風に遭遇した。 ぶっちゃけモンゴル軍が大帝国築けたのは、当時のユーラシア大陸に鎌倉武士レベルの軍が 存在しなかったからに過ぎない。 戦場が平野部ではなくて、海浜に築いた石垣の防塁に待ち構えてただけですやんw これで日本負けたら史上最弱のカスですやんw まあ仕方ないだろ 日本人は、朝鮮人みたいな奴隷ミンジョクじゃないからw 朝鮮人だったら、とっくに慰安婦を差し出して土下座してたとこだwww フビライとコンスタンティヌスはもっと評価されるべき >>52 モンゴル軍は1回目の日本遠征で福岡平野という平野部で野戦やって日本軍に負けてる。 モンゴル軍が鎌倉武士より劣った軍だったことは言い訳できない。 文永の役での博多の戦闘は、緒戦こそ日本側が奮闘し勝利しているが、結局は元軍に敗走し、 博多の多くが占領され、一般住民も捕虜となっている。 日本側の一次史料でも日本軍がボロクソに敗走し 最後は八幡神の力で神風が起こり やっとこさ元軍を撃退した様が描かれている。 長期戦の戦略ミスに気付いた高麗軍が撤退を主張し、上陸軍を船に戻したところを台風が襲って なんとか日本軍はピンチ脱出ってところだ。 > >> >>58 結局のところ、高麗が足を引っ張ってくれたおかげでモンゴルはボロ負けだったな 無能な味方ってやつだ まあそれを命令したフビライの責任でもあるわけだが 元寇の原因はフビライの征服欲と鎌倉幕府の下手糞な外交の2つ。 まあ、北条時宗がタライランみたいな外交巧者だったら戦争は回避できたかといえば 何とも言えんけどね。唐や明のような朝貢国(形式的な臣礼)ならば日本は飲める。(経済的には日本の方がウハウハ) しかし、高麗のような完全な奴隷国を求められては戦争しかないからね。 モンゴルが撤退したのも3回目の侵攻を断念したのも、日本軍の奮戦とはほとんど関係ない。 補給とかコスパの問題で日本制服を元朝は断念した。 百済と組んだ倭が負けた 唐は、勝って用済みになったら裏切られ、追い出された カエサルは滅びかけたローマを復活延命させる事に成功したからな。 滅びかけた王朝を復活延命させたのは中国には劉秀しかいない。 フビライも凄いがこの2人は別格の英雄。 比較にならない。 >>66 > 滅びかけた王朝を復活延命させたのは中国には劉秀しかいない。 そんなことはない 安史の乱で崩壊した唐朝を復活延命させた代宗の例もある 劉秀と違って、英邁さや豪気さは微塵も感じられないが >66 紀元前1世紀のローマは内乱の時代であったが、滅びかけとまでは言えないと思う。 政治はさておき、社会や経済など文明としいぇは これからが発展期にあった。 滅びかけの帝国を延命、再興したのはコンスタンティヌスだろうね。 ビザンツ帝国の始祖。 西側犠牲にしてるけどな、コンスタンくん 個人的にはアウレリアヌスのほうが上に感じる もっと統治期間が長ければローマの寿命もいくらか延びたかもしれん 統治期間が短かったこと、持続的体制を構築できなかったこと自体アウレリアヌスがコンスタにおよばない点 アウレリアヌスは帝国分裂の危機を救った功労者で、コンスタンティヌスの先輩ではある。 しかし、カエサル以来 分裂の危機は何度もあり、在位が短かったために 「その他大勢」にカウントされてしまい、損してるね。 それにコンスタンはキャラ濃いし。 アウレリアヌスはポンペイウスの立ち位置に似ている 分裂勢力を確固撃破し一応の統一を回復 ディオクレティアヌスの立ち位置はカエサルに似ている 新たな統治のプランを出してきたが、その体制は彼一代で終わり コンスタンティヌスの立ち位置はアウグストゥスに似ている その後長く継承される体制を整備し、子孫に王朝を残した 信長ーアウレリアヌス・柴栄・チンギス 秀吉ーディオクレティアヌス・趙匡胤・オゴタイ 家康ーコンスタンティヌス・趙匡義・フビライ とか言ってみるテスト まず暴君(または革命家)が現れて古い勢力を破壊するが、反動で抵抗勢力を生み、その天下は長く続かない。 続いて、混乱を収拾する人が現れて事態をなんとかまとめるが、これも長くは続かない。 最後にやっと、長期安定政権を構築する人が登場する ・・・この3段階が歴史の常だわな。破壊するのが得意な人ほど、長期政権は作れないものだ。それが歴史的な役割分担というもの 始皇帝 → 項羽 → 劉邦 北周の武帝 → 隋の煬帝 → 唐の太宗 柴栄 → 趙匡胤 → 趙匡義 信長 → 秀吉 → 家康 高杉晋作 → 木戸孝允 → 伊藤博文 小沢一郎 → 橋本龍太郎 → 小泉純一郎 スッラ → カエサル → アウグストゥス つまり、長く続いた群雄割拠の分裂状態を終わらせるためには、まず旧来の各勢力を壊しまくり、弱体化させる暴れん坊が出てこないといけないんだな。 各勢力が強いままでは、統一なんかできっこない。それを壊すのが始皇帝とか織田信長、小沢一郎の役割だ そんな暴れん坊の破壊者が高転びに転んだ後、わりと穏健な人物が出て来て、弱体化した各勢力をまとめ上げる。 それが項羽や豊臣秀吉、橋本龍太郎の役割。いわば中継ぎだ。本当に安定した体制は、まだ作れない そしていよいよ、真打ち登場となる。ここでようやく、長期安定政権が出来上がる。 それが劉邦や徳川家康、小泉純一郎の役回り 劉邦は冒頓にボコられて匈奴の属国という負の遺産を遺したけどな しかもその前に韓信他名将連中大粛清、そりゃ当然負けるよ状態 >>77 しかし、200年も続いた王朝の創始者である劉邦はやっぱりすごいよ。 フビライの王朝は100年だからね。 フビライの王朝は100年だが、北京帝国としては明清まで続いたのだから640年 ビザンツや神聖ローマ帝国の王朝交代と、元・明・清の王朝交代は意味が違うだろ。 首都が同じという以外にあんまり共通項ないと思われ>「ペキン帝国」。 >>51 東路軍も江南軍もほとんど高麗兵と南宋兵でモンゴル人とかほとんどいなかったけどな しかも高麗はモンゴルとの40年間、南宋は50年間に及ぶ戦争で疲弊しきっていたのだから そんな相手に勝っても何の自慢にもならない >>81 要するに、勝ったのは日本、負けたのは高麗 高麗・朝鮮は永続敗戦国 >>81 また史料無視して適当なこと書いてるな。 元史では高麗兵と南宋兵なんて少数派で圧倒的多数はモンゴル兵。 弘安の役はモンゴル帝国最大の軍事作戦なんだから日本の勝利はガチで世界史上の快挙だよ。 しかしモンゴル、遊牧民の強さと言うのは馬を自在に操れる騎兵による所が大きいからな。 海を挟んで勝って鎌倉武士の方がモンゴル軍より強いみたいに言われても…って感じ フビライ>>>カエサルは無いわ。 統治機構も南宋のパクリ、親から国を貰って早々に滅んだ元の王フビライ。 内乱だらけで腐敗したローマを皇帝制へ改革し自らの力で皇帝になったカエサル。 どう比べてもカエサルが圧倒的に上。 少なくとも後継者人事に関しちゃカエサルに軍配をあげざるを得ない アウグストゥスはいろいろおかしい(誉め言葉) >>85 カエサルとオクタビは二人足して一人前だな。 内乱というけど、モンゴル帝国とローマ帝国では面積が数倍違うやん。 カエサル時代のローマ領土は大元ウルスより小さいやんかw 皇帝っていうけど、アジア史的な意味合いでいくと、ローマが「帝国」になったのは、 テオドシウス以降でしょ? ローマが千年続いたといっても、カエサルの子孫と違うし、 カエサルとオクタビって、血筋で言うと信長と家光やんww 子孫とか関係なしに続くのが古代ローマやローマ人のヤバイとこよ ほぼアイデンティティで繋がってる 血筋もあるっちゃあるけどオマケみたいなもん 日本遠征に失敗して懲りずに計画してる執念はヒトラーに通ずるものがあるよ、フビライ カエサルの場合無理なら大きな犠牲出る前に引き際をわきまえてさっさと撤退する 日本と逆の中東でもバイバルスにフルボッコされるモンゴル軍 ベトナムから撤退したからと言って、アメリカの覇権は揺るがなかったのと同じで 北条時宗やバイバルスの「勝利」(笑)など、大モンゴル帝国には何ら影響しない。 汲めども尽きぬ超帝国、それがモンゴル帝国である。 まぁフビライが日本に負けた雑魚って評価は覆らんよ そらカエサルのが格上感あるやろ 「フビライは雑魚wwww」とか言ってオナニーに浸りたい気持ちはよくわかる。 気持ちいいもんんなあ。 でも、そんなこと考えているのは日本だけ、つーか、日本人でも高等教育を受けていない人だけだろ。 よく鮮人が「半島は兄、日本は弟」とか言うが、鮮人以外は世界では誰もそんなこと欠片も思っていないのと似ている感情。 >>91 汲めども尽きぬ超帝国モンゴル帝国に圧勝した日本はもっと凄い 圧勝の要因: 台風 八幡大菩薩のおかげ。当時の史料にそう書いてあることを知らない歴史音痴が 日本最強とレス書いても、「日本史を勉強しろ」としか言えねえなあw >>96 高麗の造船技術が稚拙だったのと、高麗人の水夫の能力が低かったのも見逃せない要因 >>96 八幡大菩薩愚童訓を実際に読んだことないだろ? 八幡大菩薩愚童訓の記述では、高麗の軍と蒙古の軍が合流して博多湾侵入を試みたが 武士によって撃退され鷹島に後退したところで台風に遭遇している。 実は八幡大菩薩愚童訓の記述の方が、一般に言われてるよりも明確に武士の実力による 勝利なんだわ。 元寇当時の日本の人口って7〜800万人くらいいたのかな。 古代ローマ時代、蛮族とされた ゲルマン人のアルミニウスが トイトブルク森の戦いで ローマ軍を破った事があるから まあ日本軍が元軍を破ったのは それに近いところもあるんじゃないかと 思うけど。 >>98 だから、圧勝じゃないじゃんw その史料では日本軍がさんざんボコボコにされている様子が書かれているよね? で、勝利の要因は武士の戦闘によるものではない、と書いてるから、 96氏のように、「史料を読むとそんなにお花畑のガッツポーズは違うだろ」と指摘してるわけよ。 そら、君のように自説に都合のいい部分だけをつまみ食いして反論されても困るわな。 何回でも書くよ。「モンゴルに勝った鎌倉武士は世界最強「」とか書いてるレスはただのボミクズだ。 世界史と日本史を勉強しなさいよとしか論評のしようがない。 >>102 ボコボコにされたのは日本軍じゃなくて、対馬軍や壱岐軍だよ(ついでに肥前松浦党) いずれも、博多に上陸される前の前哨戦だ 何か根本的なところを勘違いしてないか? >>102 だからちゃんと読め その史料の中でボコられてるのはモンゴルと高麗の連合軍の方だから。 日本人「カエサル? なんかローマ帝国の偉大な英雄みたいな人か」 日本人「フビライ? あー鎌倉時代になんか喧嘩売って来て二度も返り討ちにされた惨めな人か」 悪いけどこれが現実 二回の遠征でやめとけばよかったのに 三回目も計画してたとかちょっと粘着質過ぎんよ、フビライ 台風に負けたとあっては納得いかんかったんやろな 陸地戦も小規模戦で消化不良で終わったし >>108 んなこたあない 外国を侵略して征服するのは、誰にとっても想像以上の難事業。 たったの2回で諦めるような根性ではムリ 実際のところ、豊臣秀吉の朝鮮征伐軍が2回で中断したのに対し、その数十年後の清軍は、5回も攻め込んでいる 陸続きで日本よりずっと地理的に有利だったにもかかわらず、朝鮮半島を征服し、最終的に屈服させるには5度の戦争が必要だった それで何回も遠征して失敗や泥沼化してれば世話はないぜ 退けるときにさっさと退くのが賢い指導者 アレク大王なら陣頭指揮で大暴れして1回ないし2回目で確実に終わらせる フビライと秀吉は自ら行かないのがいけない >>104-105 俺は別に日本は弱い、モンゴルが勝った、などと言ってないよ。歴史板に跋扈する「鎌倉武士は世界最強」「圧勝」とか小学生すらそこまで言わないレスに対して、「オナニー過剰。もうちょい勉強しろ」と言ってるだけ。 実際に世界史板に低能が立てたスレがあるわね。俺は「糞レスには糞レスを」で済ましてきたので言葉足らずがあり、補足説明するよ。 まず、二度の元寇は侵略軍が撃退されたので日本の勝利だが、中身が問題。 元軍は甚大な損害を出したが、戦争を数値から見ると元軍損害の最大要因は圧倒的に台風だな。 で、撤退の理由は文永の役―補給・兵站で計画の甘さが露呈。 弘安の役―侵略軍に疾病が急増したため。 戦争の概略を大雑把に言うとコレ。 (続く) 次に文永の役について述べる。この戦いは短期間であり、元軍も大軍出してきた割には本気度が感じられない。 緒戦においては日本軍は活躍し戦果も上げているが、元軍も盛り返して博多を一時的に占領、一般庶民にも甚大な被害が出ている。 で、鎌倉武士もさんざんやられまくっている様子が例の「八幡〜」に書かれているわけだ。文永の役を日本の圧勝 世界最強と言えた戦争ではない。 次に弘安の役。104らが言ってるのはおそらく志賀島の戦いのことだな。うんうん、これは戦術的には日本の勝利。元軍は占領地を放棄して敗走したからね。 しかしこの戦いは日本側も相当な被害を出しており、元をボコボコにした、と言うなら「おたくもボロボロでっせ。」という内容だ。 日本軍は勇敢でよく頑張った。ご先祖様の奮戦を我々は誇りにしてよいと思うが、 地の利を知り尽くしたホームグランドでゲリラ戦みたいな内容を、 大平原で大軍を蹴散らかしたかのように書き込んでホルホルしている低能連中に今後も同調していくのか、 日本の勝利を冷静に分析していく立場を取るのか、君らは好きな方を選べばよい。 そもそもモンゴル人は、戦争に対する感覚が異なる 日本人と違って、占領した土地を死守するという発想ではない 攻め込んできたときと同様に、意気揚々と撤退していく 遊牧民であるモンゴルに領土という概念がそもそも無い。そこに住んでる人間や家畜が 征服者の資産対象。 >>114 鎌倉武士としては褒美をより多く得る為如何に敵が強く被害が甚大である事をアピールする必要があった。日本側の資料を読む時はそれを念頭に入れて読む必要がある。 又そもそも文永の襲来では嵐が来ていないこと、弘安の襲来ではたしかに嵐は吹いたが、合戦はその後も続き、元が劣勢になったから撤退した説が現在では有力。 人員も文永の役で元が2万3千、弘安の役で14万人いたのに対し日本は何れも1万。さらに毒矢や未知の兵器てつはうを使って集団戦で攻めたのに元は負けた。 アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって、鎌倉武士の強さが抜きん出ていた事は間違いない。 ただモンゴル軍の強さは騎兵にあり、日本に対して海に阻まれその長所を生かせ無かった事、船が突貫工事で作ったゴミである事も念頭におく必要もあるが、それでも戦力差を考えると圧勝と言えると思う。 >>116 あれ程強大な帝国を造ったモンゴルに対してその考えは的外れ。フビライより遥か昔の冒頓単于から既に強固な領土意識はあった。 日本こそ兵士の強さの割に海外に植民地を作って統治する能力は皆無と言っていい。 >>117 褒美をもらうために自分の被害を大きく見せてつい差をアピールしてる史料ってどのことを言ってるの? 蒙古襲来絵詞とかはマジ勘弁。日本側の被害は誇大表現で元軍の被害は信用できる、というご都合主義についてはノーコメントだな。 そういう視点をする人も世間にいることは今回了解した。 元軍劣勢とか書いてるけど、誰も元軍優勢なんて言ってない。奇襲・夜襲なんでもありのゲリラ戦術で日本軍はよく頑張ったよ。 取り分け、長門や博多に築いた高い防塁は元軍の上陸の戦意を大きく削いだ。 で、補給と大量の疫病で元軍は撤退に追い込まれた。被害の最大要因は台風。 文永の役で台風来なかった説は知ってるけど、通説ではないし何とも言えんね。 済まんけど、君は一体俺の何に反論してるのか論旨がようわからん。 俺に「鎌倉武士は世界最強!!!」とか一緒に叫んでほしいのかね? どうしても圧勝って言いたいのなら、昼間の地上戦での双方の損害データを出してよ。 そうでないと、小学生から馬鹿にされるような事、ウチ、恥ずかしゅうてよう言えまへんわ。 >>119 先ず文永の役で台風が来てない事は通説。 次に弘安の役だが先の突貫工事の造船の失敗を踏まえ頑丈な作りの船でこの時代世界最大の艦隊を率いて攻めたが猛攻にあい、上陸出来ずに海上戦となる。 元側の資料によると鷹島沖海戦の際は「日本軍が日中から攻め込んできて、夜明けまで戦闘が続いた」との事。 台風にあったのはその後で、台風による被害の後も全滅どころか10万以上兵が残っていた。 その後も御厨海上合戦、鷹島掃討戦で日本側が大勝し元は退いた。 どう考えても鎌倉武士は強いし、日本側の圧勝だろう。 13万の敵を1万程度で敵将まで生け捕ったり負傷させ、退けたのが圧勝じゃ無かったら、圧勝なんて言葉自体がこの世から無くなる。 俺が貴方の意見で否定する点はここかな。 モンゴルの強さの根源は騎兵にあり、この時代彼らのホームで勝てる軍隊はいなかったとは思う。 そもそも鎌倉幕府如きとは騎兵の数が違う。 ありえない事だが鎌倉武士が大陸にいたとして勝てる訳無いと思うわ。 しかし鎌倉武士が世界有数の精強な軍団だったことも又事実。 鎌倉武士は事実少なくとも海戦においては南宋、高麗、モンゴル軍よりは強かった。 だが平原での騎兵同士の戦いでモンゴル軍が最強なのは疑い難い。 遊牧民族の方が当然馬の扱いに長けているから。 南宋、高麗よりは鎌倉武士の方が陸戦でも強いかもしれんがな。 これが俺の双方の戦力評かな。 劉邦はノコノコ匈奴のホーム迄進行して大敗したがあの時代の冒頓単于にも世界中の誰も勝てないと思う。 例え項羽や韓信が生きていて全員が協力しても無理。 >>117 >アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって ウィキにはどっちも兵力2万と書いてあるね >>123 先鋒隊のため1万人強の小勢であったモンゴル軍に対して、数では優位にあったとみられるマムルーク朝軍は全軍を投入することを避け、まずバイバルス率いる先鋒隊のみがモンゴル軍の前に進んだ。バイバルス隊に対して数で勝ったモンゴル軍は、マムルーク朝軍に突撃して一気に勝敗を決しようとし、後退を始めたバイバルス隊を追撃したが、待ち受けていたマムルーク朝軍本隊はキトブカの軍を包囲し攻撃して壊滅させた。 >>120 座ざっと目を通した。 >>119 に付け加えることは特にないな。 文永の役台風なかった説に関連して、ちょいと俺の敗北を認めていもいいのは、 気象学的にあの時期に台風はなかった、という指摘はまあそうだとも思う。NHKかTBSかでその話やっとたしな。 そこは「大風」「強風」に訂正しておくよ。邪魔くさいから台風と書いちゃったw 俺の元寇の知識はずっと以前に市販本の知識程度で>>120 で紹介された戦闘経緯は一応踏まえてるよ。 数字出せという俺のリクエストをスルーして絶好調だが、一応俺もウィキで数字は掴んでるんにょ。 ただ、ウィキの数字の根拠が不明であんまり信用が置けないので参考になるデーターが欲しかったんだな。 日本軍が勇敢で相手の戦意を減退させたことは何度も俺は称賛している。とにもかくにも蒙古・漢:高麗連合を撃退させたからねえ。 それと、鎌倉武士が蒙古兵より最強だったかどうかは別の話、と俺は思うね。 「圧勝」「鎌倉武士は世界最強」というお気楽なレスには今後も俺は疑問と批判を加えるよ。 君のように自分の歴史観と違う価値観を持つ者は許さない、という御方には我慢ならんかもしれんけど あ >>114 クビライの娘の高麗国王への嫁入りとセットなにった文永の役が本気じゃなかったわけ ないじゃん。 それに文永の役で博多がモンゴル軍に占領されたなんて裏付ける史料は存在しない。 中世博多史の専門家の佐藤鉄太郎氏も博多が占領されたり焼き払われたりした事実は ないと断定してる。 客観的事実として文永の役は帝国の威信をかけて日本軍に戦いを挑んだモンゴル軍が 目も当てられない惨敗をして1日で逃げ帰った戦いというだけ。 弘安の役はそれこそモンゴル軍史上最大規模の軍事作戦じゃん。 その史上最強モンゴル軍に対し、日本軍は2か月間も博多に橋頭保を築かせず、 その間モンゴル軍は九州近海を逃げ回るのが精一杯。 指揮官たちは顔を合わせる度に撤退を議論していたと高麗史に書いてある。 で、モンゴル帝国は弘安の役で軍の主力を喪失。 忠実な属国だったベトナムもそれを見てモンゴル帝国に反旗を翻す。 元寇はモンゴル帝国が拡大から縮小に転じた世界史の分水嶺な。 >>125 「鎌倉武士は世界最強」これには同じく疑問を感じるが、圧勝なのは間違いないだろ アメリカ軍を中朝国境から38度線まで後退させて圧勝した中共軍は世界最強 大国日本に勝ち、中国中国とは引き分け、小国ベトナムには負けたアメリカ >>124 なんだウィキペ情報か。しかも数字の記載もなし モンゴル帝国に勝った日本を建国した神武天皇>フビライ>カエサル >>131 >>117 >アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利した >>124 >バイバルス隊に対して数で勝ったモンゴル軍 はて?バイバルスはモンゴルより多かったの少なかったの? あとマムルーク軍の数は? >>132 フランク帝国>トウールポワチエ>イスラム帝国>タラス河畔>唐>白村江>日本=神武天皇>フビライ>カエサル ガリア遠征に成功し、ローマを改革して500年以上保たせたカエサルの方がフビライより千倍上 >>135 馬鹿で文盲が人の事を馬鹿呼ばわりwwww クビライが実際に参加した遠征作戦は大理国遠征だけど、同時期に行われた中東遠征で弟の フレグは主将なのに、クビライは副将でウリャンカダイの部下という立場。 しかもクビライは軍馬40万頭を失うという大損害を出して途中で帰還を命じられ、 結局ウリャンカダイだけで大理国征服を達成してる。 その後で行われたモンケ汗の南宋遠征では当初は参加メンバーにすら入れてもらえなかった。 相当能力低いんじゃないのか? >>137 俺はお前のママンや部下じゃねえんだぞ 疑問があったら人に聞く前にググれカス >>139 ググったからウィキペ読んで2万VS2万だと指摘したのだが・・・ 馬鹿は相手を罵ることしかできないようだ >>140 モンゴル軍先鋒1万をバイバルスは2万で倒し、その後後発モンゴル軍1万と戦って勝ったとキミの好きなwikiには書いてあるわけ。 つまり動員した兵数は同じなれど実際の戦闘はバイバルス側が大軍。 わかる? >>138 カエサルと比べるのが失礼なレベルの愚将フビライ >>141 ウィキペ好きはお前の方だろ 前嶋信次の本には、クトゥズが先方隊、バイバルスが殿軍となっている。先方隊が潰走し それを追ったモンゴル軍を背後からバイバルスが急襲し、モンゴル軍はクトゥズ軍とバイバルス軍に挟み撃ちにされた、とある マムルーク軍が2万が二手に分かれていたのだから、バイバルス軍はモンゴル軍の2万を下まわっていたことになるね >>143 どちらにせよ、バイバルス、クトゥズが示し合わせてモンゴルの先鋒隊1万を2万で包囲殲滅したのには変わりない。 バイバルスが寡兵で大軍のモンゴルを破った訳ではなく、相手を油断させる為寡兵で攻めて包囲殲滅した訳でバイバルスの作戦勝ち。 バイバルスが大軍を指揮したと言っても良いと思うが? 要はマムルーク軍は日本軍の様に寡兵で大軍に勝利した訳では無いと言う事だ。 思わないね こちらは最初から >アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利した の文がおかしいといっているんだから しかも >バイバルス、クトゥズが示し合わせて と書いてるのに後半では >バイバルスが大軍を指揮したと良いと思うが? とごまかしてるね そもそもこの戦闘はクトゥズが司令官で、作戦もクトゥズが立て、勝利の要因もバイバルスより クトゥズだと分析している論文もあり、バイバルスの手柄説というのも実は後のバイバルスを讃える伝記の影響に過ぎない とも考えられる。マムルーク朝はバイバルスによって安定したのだから伝記がクトゥズの功績を矮小化することはありえるだろう 君は >要はマムルーク軍は日本軍の様に寡兵で大軍に勝利した訳では無いと言う事だ。 ということを主張したいことしか念頭になく、アインジャールートの戦いはその主張を都合よく 補強するだけの材料だと思い込んで論じているからおかしな議論しかできていない 他の人のレスと混同されると困るので書くが、俺は123からアインジャールートの話題だけ参加していて それ以前も以後の議論にも参加してない、念のため 前嶋信次の本もそうだが、今読んでる論文もウィキペの内容とだいぶ違うな よくみるとwikiの日本語の記事は出典も書いてないな これはひどいわ >>145 いや144はかえってバイバルスがすでに実権を握っていた事を示している。 何故なら少数の先鋒隊で敵に攻めさせ、適度な損害で抑えつつ撤退する役割は危険で難しい。正に武将の仕事だ。 数で勝る伏兵を忍ばせる別働部隊の方が安全で司令官に相応しい仕事。 君の言い分が事実ならバイバルスの手柄と見るのが当然。 又マムルーク軍は日本軍の様に寡兵で大軍に勝利した訳では無いと言う事は紛れもない事実でバイバルスが指揮官かクトゥズが指揮官かと言う議論とは関係ない。 >何故なら少数の先鋒隊 先方隊が少数というなら何人かわかってるのか? 俺が読んでる論文はそもそも先方ではなく、クトゥズは右翼となってるけどね >寡兵で大軍に勝利した訳では無いと言う事は紛れもない事実 いつの間にか論点がすりかわってるな 論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。 「寡兵で大軍に勝利した訳では無い」ということだけを主張したい君にとってはどうでもいいのかも知れないが >バイバルスの手柄と見るのが当然 >武将の仕事だ 無敵の「僕がかんがえる武将論」だねww >>149 右翼、右陣、左翼、左陣どの様な表記にしろ伏兵を後方に隠し、寡兵に見せかけて敵にあたる部隊は先鋒だよ。 敵を油断させる為一万以下の部隊だったと見るのが当然。 > 論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。 バイバルスが直接指揮する軍勢だけで勝利したのでは無いのだから大軍が勝利の条件だったのは明らか。 >無敵の「僕がかんがえる武将論」だねww 議論をしに来たと言い、馬鹿は罵倒しか出来ないと言ったのに自分も罵倒しか出来てないじゃんw >寡兵に見せかけて敵にあたる その寡兵の出典は?なぜ寡兵だと決めつける? カンネーの戦いでは敵を引き付ける中央の兵数が多かったぞ 右翼でも先方でも同じなんてのは単なる思い込みだぞ >自分も罵倒しか出来てないじゃんw 先に「文盲」「馬鹿」と罵倒したのはオマエの方なんだよ なのに自分が言われると「自分も罵倒しか出来てないじゃんw 」などと吠えるのはなんなのか 突然「文盲」だの「馬鹿」だの罵ってきた奴にこっちは永遠に我慢してなきゃいけないのか 当然だの明らかだの根拠のない表現を使いだすのはもう議論できていない証拠だろ 別の論文にはバイバルスはモンゴル軍敗北後の掃討戦だけやったみたいに書いてあるな クトゥブだけで勝ったみたいに読める Battle was joined at dawn on Friday 25 Ramadan 658/3 September 1260.17 At first the left wing of the Mamlūk army was overcome by the Mongols’ right wing. Quṭuz managed to regroup his forces and mounted a successful second attack, but the Mongols recovered and once more the Mamlūks were close to defeat. Quṭuz again regrouped and this time, in a frontal charge, apparently after several attempts, the Mamlūks defeated the Mongols. Kitbughā’s death in the battle was a contributory factor in the collapse of the Mongol camp. Mamlūk sources note that Kitbughā’s body was found on the battlefield after the battle and his head was sent to Cairo and hung next to one of the city gates. After the battle the Mongols scattered in all directions, and most o f them were killed in their hiding places either by local villagers or by Baybars, whom Quṭuz dispatched in pursuit. ウィキペにはバイバルス軍は囮部隊で少数の軍だと書いてあるな Qutuz capitalized on that by hiding the bulk of his force in the highlands and hoping to bait the Mongols with a smaller force, under Baibars. バイバルスがモンゴルを破ったと明確に書いてある史料は、やはりバイバルスの部下が書いた伝記とのこと Baybars’ biographer, Muḥyī al-Dīn Ibn ʿAbd al-Ẓāhir (d. 726/1326), related that his master defeated the Mongol reinforcements to the north of Ḥamāt. >>151 敵より大軍ならば敵は警戒して攻めにくい。 敵が余りに少数ならこれも怪しんで警戒する。 だからモンゴル軍よりやや少ないか同数程度と考えられる。 カンネーの戦いの様に先鋒が大軍だとは考えられない。カンネーの際はハンニバル側が寡兵の為先鋒を弱く見せて釣る必要はなかった。 > 右翼でも先方でも同じなんてのは単なる思い込みだぞ 伏兵部隊が後方、先に敵に当たり追撃される部隊が先鋒。書き方は関係ない。 そして後方部隊は先鋒部隊より兵力を温存出き、敵の虚をつける有利な部隊。最悪先鋒を捨て石にする事も出来る。だから歴史上殆ど2手に分けた先鋒の指揮を総司令官が直接とる事はない。 > なのに自分が言われると「自分も罵倒しか出来てないじゃんw 」などと吠えるのはなんなのか 自分が非難した相手と同じ事をしているのはおかしいわな。 大体相手に疑問をぶつける前に自分が根拠、理論を展開すべき。 根拠のない表現だと思うならお前自身が根拠を示すべきだわ。 >>152 クトゥブだけで勝ったとは思えないな。 もしそうならクトゥズがバイバルスを恐れて約束した褒美を反故までした事の説明がつかない。 だからやはりこの作戦はバイバルス立案だと思うわ。 バイバルスが約束の褒美が貰えず怒った事を考えるとwlkiの通りバイバルスが寡兵で危険で難しい先鋒だったと考えられる。 クトゥズはバイバルスの作戦立案の知謀、難しい先鋒囮部隊を見事にこなした手腕に恐れをなし褒美を渋ったのでは無いだろうか? そして作戦立案者がこの戦争の指揮者と俺は考えバイバルスが敵より大軍を指揮したと思った訳。 手勢の軍隊が寡兵でも、別働隊もバイバルスの手筈通り動いたならそれはバイバルスが指揮をとったと言ってよいと言うのが俺の考え。 クトゥズが作戦を立案して、バイバルスにどう動くか指示を出したなら君の言うとおりバイバルスは大軍を指揮していない。 クトゥズが大軍を指揮したと改めなくてはいけない。 初戦ではモンゴルの先鋒1万をマムルーク側が寡兵で釣って伏兵で包んで倒したんじゃないか? モンゴルの後方部隊残り1万は右翼、左翼と言う風に堂々と布陣して倒した。これなら論文、wlki何方とも矛盾しない。 >>155 >自分が根拠、理論を展開すべき なんか偉そうにいってるが、お前のは単なる所感。理論だなんて主張は単なる美辞で逃げてるだけ >お前自身が根拠を示すべきだわ 何度も論文に言及しておる The Men Who Stopped the Mongols The Battle of Ayn Jalut: A Paradigmatic Historical Event in Social and Political Discourses during the Mamluk Period これまで論文名を出さなかったのは、お前が「お前の好きなWiki」などと俺ばWikiだけを参照していると馬鹿にしたから お前は当然Wiki以外のソースを参照してるのだろう?だったらこれらの論文も読んでる筈だろう? なのに今更論拠を示せとはふざけるな 左翼と先方は違うだろ。左翼が潰され、クトゥズが大勢を建てなおして勝利したのとバイバルスが大軍で勝利したのとでは まったく違うわ あとクトゥズな。お前はこのあたりについて無知なことを証明した。誘導にはまってくれてありがとう 「思われる」「考えられる」「だろうか」なんて話お前の所感はどうでもいいんだよ これまででわかっていることは 日本語のウィキの記事は出典の記載がなく、論文を参照すると間違いが多いと思われること 当時から複数の史料があって、戦争の内容は諸説あること バイバルスが勝利したと書いてあるのはバイバルスの部下による伝記 各者がおおむね一致していると思われるのは バイバルスが遊撃軍を健作したこと モンゴル軍に攻め込まれたのは左翼か先方のいずれかであること モンゴル軍は2万で、マムルーク軍の方は12000から20000まで諸説あること モンゴル軍は本体ではなく分遣隊で、アルメニアやグルジア軍などの混成部隊であったこと マムルーク軍の勝利の要因は、軍の数、地の利、作戦の三者であったと思われること クトゥズとバイバルスの間で功名争いがあったと思われること 論者でわかれていること バイバルスが右翼/先方/殿/遊撃軍のどれを指揮していたかのソースが明確ではないこと 攻め込まれて体制を立て直したのはクトゥズ、或いはバイバルスと、意見がわかれていること あんたが手前勝手な理論を開陳しつづけるのは好きにしろ 俺は俺なりにウィキより信頼できる資料を探してその内容の話をしている 今この議論に必要なことは、諸説あるそれぞれの根本ソースをつきとめることだろう その作業をする方向で議論するならともかくこれ以上お前の俺理論をきかされるのはごめんだ >自分が非難した相手と同じ事をしているのはおかしいわな 罵倒した奴が相手を諭すなど片腹痛い 当初は俺が無知そうだからと罵倒し、いろいろ詳しいとわかってきたら丁寧語になる お前は弱いものいじめがしたいだけ もし議論を続けたいならまず「言い過ぎた」「当初は荒らしだと勘違いした」等の言葉くらいあってしかるべきだろ 自分の所感を理論と弁護し相手に論拠を示せだの 自分の罵倒はさしおいて相手を諭すだのどこまでも手前勝手な野郎だ >>159 そのwlkiすらまともに読めず何故何だっての質問を根拠を示さずぶつけて来たのはお前だがな。 先鋒と言うのは先に敵に当たった部隊な。 右左は何度も言う様に同時に敵に当たったので無ければ何方が先鋒かと言う話になる。 >左翼が潰され、クトゥズが大勢を建てなおして勝利したのとバイバルスが大軍で勝利したのとでは まったく違うわ 何故左翼が潰れたか?左翼が先鋒だったから。 バイバルスが左翼を指揮していてそれが全てなら潰れた左翼で勝利は得られない。 つまり右翼の兵、大軍で勝利を得たと言う事。 そして軍を立て直し、再編成するとはどう言う事か? 敗走せずに踏み止まり、配下の諸将に再び兵士を割り振ると言う事だ。 つまりバイバルスは左翼の兵1万が潰された後再び兵士の補充を受けたと言う事でこの時点でモンゴル軍先鋒1万を上まっている。 論文にバイバルスの名前がないのも当然だ。 何故なら簡略に記すなら配下の武将の手柄は省略し司令官の名前だけ記すのが常識だからだ。 例えば秀吉が黒田官兵衛を使って敵を打ち破っても歴史的には秀吉が勝ったと記すのが普通。 又これを官兵衛が軍勢を指揮して勝利したと言っても間違いではない。 名前が書いてないからと言ってバイバルスが指を咥えて傍観していた訳はない。 >あとクトゥズな。お前はこのあたりについて無知なことを証明した。誘導にはまってくれてありがとう 名前打つのダルいからコピって貼ってただけなんだが?お前のレスからな。 >「思われる」「考えられる」「だろうか」なんて話お前の所感はどうでもいいんだよ 君は一切自分の頭で推論せずにソースを出すからかえってそれが俺の主張を補強する事になるんよ >>161 いや今も全く無知そうな文盲だとは煽り抜きに思ってはいるよ。 唯議論がしたいと言うから極力罵倒せず丁寧に書く様にしてるだけ >>161 >そのwlkiすらまともに読めず何故何だっての質問を根拠 Wikiの誤りを確認できない無知が何いってる >バイバルスは左翼の兵1万が潰された後再び兵士の補充を受けたと言う事でこの時点でモンゴル軍先鋒1万を上まっている お前のオナニー推論とやらではなく、論拠を示せよ バイバルスが補充されたとは俺も思うが、バイバルス軍が1万を越えたソースを提示しろよ 都合が悪くなると推論だの理論だの、根拠を示せだのしか言えない無知にはどうしようもなかろうがな >自分の頭で推論せず 歴史はソースが基本だからな。これが精査できてない段階であれこれ理屈をつけても意味がないということも知らない無知相手ではね~ >無知そうな文盲だとは煽り抜き 俺もお前があまりに無知なので教え諭そうと思ってたよ 自分の論拠は推論とやらだけ。ソースはウィキだけ。馬鹿丸出し こういう馬鹿が自分は罵倒できると思い込んでるだからな 頑張ってお山の大将続けてくれ >>164 論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。 お前は全く自分の議題を進展させれてないんだが?長々とソースを並べて何も解りませんでは世話ないわな。 >議論がしたいと言う 議論したいなどとも一言も書いてない 認知症か? 途中から議論ぽくなってきたので「議論」という用語は使ったが、俺がやってたのは 議論ではなく無知を教え諭すことだ だが馬鹿は諭すことはできない >>166 アインジャールートの戦いは議論があると何度も書いてるが?論文もある 論拠? ググレカス >>166 >論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。 バイバルスの率いた軍が大軍だったかどうかは断定できる根拠はない 兵士の数は複数の要因のひとつでしかない という話をしてるのだが? お前の脳みそでは意味がわからんのだろうが >>169 いやいやこれはお前の上げた議題じゃん 結局お前は俺の揚げ足をとって色々は説の中から推敲して自説も固めれず、全て鵜呑みにしようとして1人でわけわかんなくなってるだけじゃんw 俺は議題の通り議論してるよ アインジャールートの戦いは議論があるとわかった時点でこりゃソースと論争史を精査しないと 確かなことはいえないな〜とおもって手元の情報で結論を出そうとしてないだけ お前さんは自説が固まってるんだろうから論拠もあるんだろ? 御託をならべてないでバイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソースを提示しろよ >モンゴル軍先鋒1万 とやらもウィキーソース以外に見かけないねどねww >アインジャールートの戦いは議論があるとわかった時点 もう少し詳しくいうと、論争史を簡単にかいてる論文みても、当然その論文主は 自説が正しいと書くか、「諸説あります」で終わるかどちらかであり、 いくら読んだところで、>>160 以上の確たる内容はなさそう、というのが今の段階 だが、>>160 くらいの内容がわかっただけでもウィキ情報とはかなり違う ウィキに比べれば相当前進してるがね ウィキを絶対視して仮説論破合戦にコダワル無知には縁遠い話なのだろうが >>171 君は俺と議論しているんじゃなく無知で馬鹿な俺を教え諭してくれるんだろ? 最も自分の自説さえ持たず後からソース漁っても何もわからない奴が何を教えてくれるのか馬鹿で無知な俺にはわからんが… >>174 まず認知の問題をなんとかしろ >だが馬鹿は諭すことはできない と書いてあるだろ? >ソース漁っても何もわからない奴 仮説を振り回すのが「わかった」と思い込んでる空頭だね〜 わかったことはいろいろあるが、 >アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって の文章は根拠がないこともその一つ もっともこれが君には意味がわからないようなので君は文盲と判断せざるを得ない その上 >バイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソース については逃げ続けるってwww このやり取り、何かに似てると感じていたがアレだ バイデンは不正だ!トランプは勝っていた!と法的にも有効なソースを示せず あってもツイッター投稿ばかりを根拠に仮説ばかりを振り回すトランプ信者のアレだな Q相手ではどうにもならないわ〜 >>173 俺はwlkiが正しくて君の提示した論文が間違っているとかは思ってない。 唯君の出したソースは君の提示した議題を進展させる物では無いし、俺の自説を否定する材料にもなってないと言う事が言いたい。 大体そりゃ誰も当時を見て来た訳じゃないんだから断定は出来んよ。 君は俺の推論を馬鹿げた物だと否定するがそれは化石を調べて生前を想像する動物学者を馬鹿にする様な物だ。 俺は他人からの受け売りをそのまま貼るんじゃ無くて其れに基づく君自身の推論を聞きたいんよ 冷静に議論をしたいのなら、と>>161 で過去の発言を訂正したらどうだと水を向けたのを >全く無知そうな文盲だとは煽り抜きに思ってはいる と返してきたのはそっちだろ 今更なにいっとる 俺も君の仮説が妄言とは思っていない そういう議論をする段階もあるだろう だが今回の議論ではそこまでいかない>>160 でいったん整理したが、それ以降も新しい論文が 見つかる それらの論文はそれぞれちょっとずつ意見や観点が違う こういうのは原史料を辿るしかないが、中世の史料でさえ見解の違うものが多いようなので 確認するとしたら時間がかかる そこまで時間はかけられない専門じゃないしね 俺ができる推論は >アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって の文章は誤りを含み、不正確だということ >バイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソース は君が典拠としているのだからソースを出さないと先へ進めない、ということ くらい それ以上の想像や仮設をこの段階で君がするのは構わないが、俺は根拠のない推論や想像をしても仕方がないと思っている 「確実なところ」を堅実に追及しているのに罵倒されるのはおかしいと考えてる 君の姿勢は井沢元彦みたいだな 俺は普通に歴史学の手順を踏んでる 仮にこの通りだとすると本来なら文盲とか無知とか罵倒し合う話ではないわけだ 想像ならそうかもね〜、でも史料があるのはここまでだからね〜 でいいのではないか でアインジャールートの戦いについては複数の史料があり、錯綜しているのだから あれやこれやの理屈を持ち出して強弁すればできてしまう 例えば俺がクトゥズを持ち上げている論文側に立って強弁しまくればできないこともないが、 君にとってはその方がわかりやすいだろう だがそういう一方的な姿勢は俺の取るところではない 頭蓋骨比較 猿人→原人→旧人→新人の流れで頭蓋骨を比較すると その延長として黒人→白人→黄人の順で脳容量増大=顔が平面化 知能指数比較 黄人>白人>黒人 https://uploader.xzy.pw/upload/20190117201132_bdea2d70_7372635162.jpg https://uploader.xzy.pw/upload/20190117201156_47f43b35_4370396879.png 頭の良い国ランキング https://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200608222339_6f4c4d71474f45704d58.jpg 世界IQランキング最新版 https://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200608222406_514a4d524e62794b794f.jpg https://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200608222418_4751546c37474b693959.jpg 頭蓋骨比較と知能指数比較の両面によって 脳容量と知能指数が 黄人>白人>黒人 の順に比例していることが判明している さらに、猿時代は尻の大きさがメスの性的アピールポイントだったが ヒトになって二足歩行になり尻の代わりに胸の大きさが女性の性的アピールとして追加 だから猿に近いほど尻が大きく、人類進化によって尻は小さくなっていった つまり 人類進化:猿人→原人→旧人→黒人→白人→黄人 知能指数:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人 脳の容量:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人 顔平面度:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人 尻の大小:猿人>原人>旧人>黒人>白人>黄人 兵力 モンゴル軍 ペルシア史家 イブン・ビービー 5000、 ユダヤ史家 バール・ヘブラエウスとアルメニア人史家ヘトゥム 10000 アラブ史家(バイバルスとカラーウーン)の伝記作家 シャフィー・ビン・アリー 10000 アラブ史家 ヌワイリー 12000騎士 アルメニア人史家 キラコスとヴァルダン 20000 現代の学者は概ね1-20000人としている 10000人説は、モンゴルのテュメンの数をそのまま兵力と見なす場合、20000人説は、被占領現地軍がモンゴル兵と1;1の割合だったと推定している マムルーク軍 ペルシア史家 ワッサーフ 12000(不明瞭な記載で議論がある。Howorthは12万と読解したが、現在では誤読だと考えられている) 現代の学者 アイユーブ朝末期のエジプト軍が10000-12000、これにシリア軍が加算される。シリア軍の数値はまったくないため、エジプト軍と同じ程度とすると10000、マムルーク軍は合計2万となる バイバルスのキャリアからするとシリア軍を指揮していた可能性があるが、当日の戦場での軍隊配分は、史料のバトルの記述を追う必要がある バトル当日の史料を見なくてもバイバルスが1万以上の兵を率いていたらその数が研究書に出てくる筈だから それがないということは出典も根拠もないのではないかな ウィキの記載は削除した方がいいね ウィキペのキト・ブカの記事ではクトゥズは12万の大軍を率いていたとあるが、これが 「マムルーク軍が大軍で勝った」という言説が拡散した背景じゃないかね その根拠は1927年に死去した学者の誤読だったとww 両軍とも1-2万で幅がありほぼ互角にしか見えない バトル当日の個別の戦闘ではバイバルス部隊がモンゴルの分隊の兵力を上回ったことがあったかも知れないが、 戦い全体ではマムルーク軍が大軍で破ったとはいえない バトル当日の様子について現代の学者の解析を読んでいるが モンゴル軍側に同行していたサリーム・アッディーン・ウズベクの史料を論じて4ページ目で ようやく信ぴょう性は低いと結論 記されてる太陽の位置と騎兵の動きを実際の地形と比較して細かく分析している モンゴル軍の顔に陽があたりマムルーク軍が影になるにはいついつの時間のどこどこ と論じていくがどうにも記述に矛盾がでてきて と割と面白い この後もしばらくサーリムの解析が続いてその後マムルーク側の史料の解析に移るのだろうが 章の冒頭でマクリーズィーの史書自体、既に3人以上の史家の伝聞の伝聞で現在では信頼性は 高くないとある… ユナーニー、クトゥビー、カスィール、ヌワイリー、フラートがクトゥズ主体の勝利だったと書いてる史料 左翼が崩壊し、中央軍のクトゥズが立て直したとする バイバルスは登場しない 隊列は両軍とも北から南に向かって広がって対面していたので、左翼が先方ということにはならない フラートはクトゥズの背後にいた目撃者の証言を載せてるとのこと このフラートの証言がマクリーズィーに継承された 続いてラシードウッディーンによるとクトゥズが少数の先方隊にいて 後退したけど押し返して勝利したという前嶋信次が引用しているエピが登場 バイバルスには言及はない 上述のマムルーク側の史料とモンゴル側史料の話から離脱している この話はモンゴルの敗北とキトブカのその後の運命をモンゴル上層部や読者に 説明する目的で、遊牧民のよくある作戦をラーシドが取り入れ改変したものと 分析され信ぴょう性の低いエピとされる ザヒール、ワースィル、ユーニーニー、クトゥビー、タグリービルディーでくキトブガが打ち取られ、 二手に分かれたモンゴル軍の追撃隊としてバイバルスがようやく登場 同時代史料とその少し後(14世紀初)の史料によると戦いにおけるバイバルスの役割は不明とのこと ただ武勇だけが指摘されている ほとんど彼一人の力で勝利したとの話はザーヒルのバイバルス賞賛演説に登場するだけとのこと このザーヒルは他の論文にバイバルスの部下の伝記作家だと書いてあった人物 (にもかかわらず今読んでる論文ではクトゥズとバイバルスの二人による意思決定やアスィールの 裏切り等が勝利に影響した、と記載しているがこの部分の詳細はなし 軍のサイズは重要ではないとも記している) バイバルスがシリア軍に影響を持っていた可能性が高いのでバイバルスの貢献も高いのだろうが バイバルスの部下の賞賛演説以外はバイバルスの役割が明記されているのは追撃だけとは驚いた >>45 偉大さランキング AAA 織田信長 チンギス・ハン AA フビライ コンスタンティヌス A 始皇帝 アレキサンドロス 趙匡胤 B カエサル ナポレオン 曹操 C 東條英機 トランプ あれだけ中世的な古いものを破壊して近代への道を切り開いた革新的な人物など、世界史的にも他にナポレオン・ボナパルトくらいしか思い浮かばない でも日本史なので、どうしてもスケールが小さく感じてしまうのは仕方ない(笑) うむ。鮮人がランキング作ると、安重根がトップになるだろうな。 評価はともかくカエサルの方が人気なのは納得だと思うが 西洋中心の価値観が抜けてないとかではなく特徴的な名言、一度負けた強敵ポンペイウスに勝利し一時覇権を握る、クレオパトラとの恋愛、悲劇的な死 多少(多少どころではないが)脚色されてるが物語として面白い フビライは日本から見ると元寇の時侵略して来た奴らのトップという印象しかない しかも2回とも撃退されてるし >>126 >弘安の役はそれこそモンゴル軍史上最大規模の軍事作戦じゃん。 ホラズム攻略・・・20万以上 南宋攻略・・・35万以上 そこそこ大軍出したけど、モンゴルが一番本腰入れて戦ったのはやはり南宋だろう。 元寇は南宋攻略のおまけ。 宋攻略で50年かけたからな 騎馬民族伝統の騎馬戦術では宋には勝てんとわかって 歩兵部隊の創設までやった >>198 宋は専守防衛なら当時の世界最強 しかし悲しいかな、機動力が無いから攻勢に出るとクソ弱い 高温多湿、河川や湖沼が多い、山が多い、森林が多い(当時は)と、騎馬民族にとっての苦手要素に満ちているからな 魏晋南北朝時代には、北が南を併合するのに400年かかった >>196 ホラズム攻略・・・20万以上 南宋攻略・・・35万以上 弘安の役・・・54万以上 ホラズム攻略も南宋攻略も弘安の役に比べるとショボい。 弘安の役は江南軍10万、東路軍4万の合計14万で54万もいない >>204 元史に記されてる弘安の役参加部隊は、江南軍10万、東路軍4万、蒙古軍40万の合計54万 その蒙古軍40万はどこで何やってたんだよ。 大陸にいたんなら存在しねーのと同じだろ。 せっかくの大軍が戦争に参加できず宝の持ち腐れで大陸に放置されてるのは草 40万の蒙古軍を引き継いだアタカイの伝に「喪師十七、八」と書いてあるから 普通に日本で壊滅的損害出してる 蒙古軍=元王朝の軍の総数が40万で、 その内の江南軍10万、東路軍4万を日本征圧の為に用意したんじゃねーのか? 元寇と日露戦争って、なんか似ていると思う。 ちょこちょこっと緒戦で勝利しておいて、本格的なスタミナ勝負になる前に 判定勝ちで逃げ切ったような。 10万の大軍が壊滅したモンゴル帝国がスタミナ勝負で日本に勝てるわけない。 その証拠に元寇以後のモンゴル帝国は対外戦争の戦績がボロボロ。 すげー勘違いレスが多いので言っておくけど、元寇ってのはベトナム戦争なんだよ。 ベトナムはアメリカに勝ったし、アメリカは大きく国力を落としたが、 アメリカは超大国としてその後も世界に君臨している。(最近はちょと怪しいが) 元寇が原因で元朝が滅びたわけでもない。 >>215 勘違いしてるのはお前。 元朝を滅ぼしたのは日本だよ。 征服活動の戦利品分配によって求心力を維持していたモンゴル帝国は、 元寇の大敗によって支配地域を拡大できなくなった時に滅亡へのカウントダウンが 始まったんだよ。 ベトナムに反乱起こさせたのも日本の外交工作だ。 倭寇も元朝に対する通商破壊作戦。 穀物の輸送を海運に頼っていた元朝には痛打だろ。 >元朝を滅ぼしたのは日本 ワロタw ちなみにナチスドイツを倒したのも日本だけどなw 元寇でモンゴル兵40万人壊滅だろ。 モンゴル人による国家としての元朝は実質的にこのとき滅んだんだよ。 元史にも精兵は日本遠征で失われ、後には弱兵しか残ってないと書かれてるし。 >>219 元寇でモンゴル兵40万人が壊滅したってのは『元史』に書いてあることだぞ。 「十八年,召拜光祿大夫、中書左丞相、行中書省事,統蒙古軍四十萬征日本」 (『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿剌罕) 「以阿剌罕有疾,詔阿塔海統率軍馬征日本」 (『元史』巻十一 本紀第十一 世祖八 至元十八年六月庚寅) 「征日本、遇風、舟壞、喪師十七、八」 (『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿塔海) >元朝を滅ぼしたのは日本だよ。 >モンゴル人による国家としての元朝は実質的にこのとき滅んだんだよ。 つおいのう、ぬっぽんは。今年も金メダルじゃのう。 当時のモンゴル人の人口考えたら40万人壊滅って致命的だろ。 だから元寇以後の大元ウルスの主戦力はモンゴル兵じゃなく、キプチャク兵やアラン兵じゃん。 皇帝もキプチャク軍閥やアラン軍閥の傀儡。 中国のwikiでは、 江南?95,000名以上死亡 東路?7,000名以上死亡 東路?33,000名逃亡 ・・・とあるけど、 残り265,000名はどこいっちゃったの? 40万人モンゴル兵の7割〜8割が帰れなかったと元史に書いてある さらには、元朝を滅ぼしたのは日本軍(新田義貞)と書いてある カエサルって評価されてるけど私欲でクーデター起こして共和制滅ぼしたただの権力の権化じゃね 世界三大過大評価 カエサル 坂本龍馬 ビートたけし ムハンマド、マルクス、毛沢東 過大評価ならこっちのがしっくりくる ガリア戦争の前はローマは地中海帝国だったが カエサルのお陰でローマは地中海沿岸だけでなく ベルギーやイングランドまで領土がダイナミックに拡大した巨大な欧州帝国になった 欧州の漢、元みたいなものだ ここまで欧州で陸続きでデカい国はカール大帝の フランク王国くらいだろう 後の半分を征服する前にカエサルは殺され、 ローマは滅びたが、名前は残った 中国でカエサルに匹敵するのは武帝だろう それまでは中原だけであった中華帝国が ウイグル自治区を中心とするトルキスタンや 朝鮮、ベトナムにまで拡大した 領土的には始皇帝や劉邦の時代より遥かに重要 武帝はカエサルより一世紀近く前の人であり 漢人が東アジアでテリトリーを拡大する方が ローマ人が欧州でテリトリーを拡大するより 早かったと言える >>232 地中海世界の覇者になっただけでもローマは超大国だった。 カエサルはそれをさらに拡大させたわけだが、 アメリカで言うとFDR,ロシアで言うとピョートル大帝に当たる。 ワシントンやイワン雷帝ではない。 カエサルは一般的に「ローマ帝国の創始者」として見られがちだが、 私見では創業者というより中興の祖の印象が強い。 無論 この見方には異論が多いと思うが、これは主観なので、揺るがない。 武帝というか光武帝のイメージだな、カエサル 寛容な部分も含めて >>220 また突っ込んで欲しいのか 蒙古軍四十萬(四万の誤記かも)は阿剌罕の列伝にあるとおり阿剌罕が突然死去したため急遽、阿塔海に司令官が交代したが この阿塔海は実際に出兵せず江南軍は范文虎率いる南宋兵十万が出兵した そのため高麗史では江南軍をさして蛮子(南宋)軍と呼んでいる >>227 どこにもそんなこと書いてねーよ あるというのなら該当部分抜き出してみろ >>237 該当部分 『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿塔海 「征日本、遇風、舟壞、喪師十七、八」 モンゴル兵40万人の内、7割から8割が日本から帰還出来なかったことは、 ちゃんと元史に記述のある事実だったな 鎌倉幕府滅亡の遠因は元寇。 高校時代にそう習ったが、今のゆとりは「日本が元を滅ぼした」とか習ったのかね? 史料の内容精査も行わず、自論に都合の良い部分だけをつまみ食いしてドヤ顔するのは 韓国人だけかと思っていたが、日本人にもいるのはちょっと驚き。 「日本がモンゴル帝国の侵略を防ぎきれたのは、高麗が長期にわたってモンゴルのに抵抗してきたおかげ」と朝鮮人は主張する でも、日本人にとってはむしろ逆で、「高麗がモンゴルのお先棒をかついで攻めてきた」としか見えない >>235 ローマでは中興の祖だけど、帝制ローマの創業者と見做されてる感じですね それまでは共和制だから >>240 日本に攻めて来たのは東路4万+江南10万だけだろ。 蒙古軍40万が↑を含めてか含まないかは分からんけど、 残りの連中は何で一緒になって日本を攻めなかったの? まぁおそらくは、兵站の関係で4+10万が限界だったってとこだと予想するが、 要はそいつらは日本側からすりゃ元寇とは直接関係の無い存在だったって事じゃね? 前近代の史料に誇張や誤記はつきもの。数字なら尚更ですわな。 そもそも元史って後代、漢民族の明王朝が編纂したものだからねえ。 中興の祖 おいら マリウス+スラ 相当なのが ウァレリアヌス+ガレリウス ポンペイウス 同 アウレリアヌス カエサル 同 ディオクレティアヌス アウグストゥス 同 コンスタンティヌス てイメージ >>244 日本に攻めて来たのは東路4万+江南10万+蒙古軍40万だよ。 阿剌罕から蒙古軍四十萬を引き継いだ阿塔海の伝に「征日本、遇風、舟壞、喪師十七、八」 と書いてある。 元史日本伝にも鷹島掃討戦の後で「盡殺蒙古、高麗、漢人、謂新附軍爲唐人、不殺而奴之」 と書いてとあって、高麗・漢人・新附軍で編成された東路軍、唐人で編成された江南軍の他に 蒙古軍が存在したことを裏付けてる。 中国はかつて激弱で、フビライ・ハンに滅ぼされ、モンゴル帝国に支配されていた。 大都(現・北京)を建設したのもフビライ・ハンである。 今は遺憾ながら、南モンゴルを習近平率いる中国共産党ごときに虐げられている。 ここはドルゴルスレンギーン・ダグワドルジに奮起してもらって、中国からせめて 南モンゴルを奪取してもらいたい。 まあフビライはローマ帝国最盛期の数倍の領土を支配したからねえ いくらカエサルの行政能力が高くても、 家康と康熙帝を比べるようなものでとても比較にはならないよね 時代が1300年も離れてる!と言うなら康熙帝と倭王武になるわけで やっぱり時代の隔たりを考慮してもフビライだねえ 元旦のNHKの歴史番組で、「世界最強の王」の第一位に選ばれたフビライ。 「鎌倉武士サイコー」君たちと違って、世間はちゃんと解っている。 ちなみに同番組で取り上げた君主は カエサル アレキサンダー大王 ラムセス2世 ナポレオン 始皇帝。 >>253 ラムセス二世だけうんこで 他はまともな選定だな ラムセス2世の代わりにフリードリッヒ大王を取り上げて欲しかったが、そこは犬HK, やはり値域偏重を避けたんだろうねえ。 >>255 それでなくても めちゃくちゃヨーロッパに偏ってるからな 最強王ならティムール抜いた理由はわからんね ダレイオス一世>フビライ>ハールーン・アッラシード>メフメト2世>カエサル>康煕帝>バーブル 当時の日本が強すぎる 武人として訓練してるようなやつが何十万も居る国を海超えて攻め滅ぼすなんて絶対不可能 鎌倉の内情知ってたら攻めなかっただろう まあダレイオス1世には到底及ばないね チンギスとフビライ足しても足りるかどうか あまりにも驚いたので連投してしまいました。すんまそん。 カエサルってのはイギリスとフランスを征服したんだぞ イギリスとフランスとその旧植民地(アメリカとか)が、 征服した土地を合わせると世界の半分は征服している それはつまりカエサルが世界の半分を征服したのと同じだろ だからカエサルはすごいんだよ ブルータスお前もか・・・ カエサル=織田信長 ガリア戦記面白けどね フビライは先祖の遺産を受け継いだだけで それならバトゥの方が凄い 世界の武将の中で勝率で言えば確か日本人だと武田信玄が上位に食い込んでて驚いた >>266 それどこのクソyoutube動画? 俺も見た事がある 現存する世界最古の国家を建国した神武天皇>>>>その他全て 世界最初の大帝国の王ニロムド、ナラム・シンが最強か なんでカエサルよりフビライの方が上なんだよ どう考えてもカエサルだろ >>264 理論飛躍しすぎでは?当時のガリアは文明こそあれどただの田舎だから。 とりあえずフビライの功績とカエサルの功績を対比させてみて。話はそれからでしょ。 例 カエサル たった7年で広大なガリアを征服。ブリタニアへの一度目の遠征は成功したが、二度目で失敗して失った。 フビライ 二度遠征しても日本を征服できない。また30年かかってもベトナムを征服できない。 ガリアの数倍広い南宋を征服したフビライが カエサルより凄いことがよく分かりました。 外征でも内戦でも泥沼化する前に勝ちつつさっさと戦争終わらせたのがカエサル 光武帝タイプ あちこちに兵を送って泥沼化したままグダったのがフビライ ナポレオンとかヒトラーと同じ戦争終わらせられないタイプ 人心掌握に失敗し、元老院に警戒され挙句信頼していた側近に暗殺されるカエサル。 なんだかんだいって天寿を全うするフビライ。 政治家としての差がわかろうというもの。 >>264 ムアーウィヤはイベリア半島の全域、今でいうとスペインとポルトガルの全域を征服したのよな。 後にスペインととポルトガルはサラゴサ条約で世界を二分した。 つまり、ムアーウィヤは世界のすべてを征服したのと同じのよな? >>280 裏切ったのデキムスやトレボニウスとか一部の部下でオッピウスとか側近は裏切ってないぞ ガリアから付き合いのある古参兵には敬愛されてたから人心掌握も悪くない そして暗殺されてもオクタ抜擢の後継者人事だけでお釣りがくる 実際、暗殺後に起きた暗殺犯との争いではカエサル派は勝利し、後継者争いでも指名したオクタが勝ち残った たしかにブルータスは側近ではないな。 それ以上の存在だw 政敵に狙われ、信頼する者にまで反逆されることが、そもそも痛いわけなんだがw し 信頼は一方的なもんだからなー 向こうがそれに気付いてなきゃ意味がない ただデキムスは遺言状公開で信頼に気付き顔を土気色にしてローマから逃げ出し暗殺を後悔した 群衆や軍団兵はカエサルの死を惜しみ暗殺犯を憎んだのは確かっぽい フビライって何がすごいの 史上最大の作戦で日本に完敗して大陸での軍事的優位損なったやつじゃん ダレイオス1世もギリシャに負けたけど人類史に燦然と輝くインフラという概念植え付けたぞ それがローマ帝国に繋がってる フビライはどう考えても過大評価だろ 最優の康熙帝の方が1000倍すごい どんだけ高く見積っても永楽帝よりちょっと上ぐらいだろ 人類史上最高の天才カエサルやマホメットと比較する器じゃない カエサルがハーンならインドまで無敗で取ってる >>278 そもそも時代も兵種もフビライの方が有利なんだよ 掛かった時間もフビライの方が長い >>287 カエサルがハーンなら日本もベトナムも余裕で征服してそう なるほど。 カエサルがハーンなら余裕でアメリカとアフリカも征服できただろうよ。 『もしもカエサルが○○だったら?』スレはここですか? 『もしもカエサルが○○だったら?』スレはここですか? まあでもローマを過大評価する日本人が多いのは情けないね 所詮はユーラシアの「辺境」でちょこちょこやってるだけに過ぎない奴ら 日本で奥州藤原や島津を最強と言ったら笑われるわ 辺境でちょこちょこしてたら世界的にも影響もつようになったローマSUGEEE!ってこと? >>293 一部日本人のヨーロッパ中心史観はどうしようもねえなw ローマ帝国領だったイタリア・フランス・イギリスなどがカエサルマンセーなのは理解できるが、 ローマ帝国外だった北欧や、インド・中国ではどういう評価何だろうか? 例えば始皇帝や劉邦と比較してどうなんだろう。 モンゴルとかいう蛮族国家を撃退した我らが日本だと 信長秀吉家康>>>>フビライだな 倭国とかいう蛮族国家を撃退したウリたち韓国だと 李舜臣>>>>秀吉 二ダ >>295 文字と度量衡を統一して法による支配を確立した始皇帝はフビライより100000000倍上だろ どこでとか関係ないから 現代まで残るインフラや統治機構の基礎を築いたダレイオス1世もフビライより2京倍偉大 フビライなんて居てもいなくても変わんねーよ 外征失敗して兵力溶かしてモンゴルとかいう蛮族の大陸における絶対的な武力優位を消滅させた功績(笑)はあるかもしれないけどな >>297 モンゴル撃退したのは北条時宗だと習わなかったの? フビライの歴史的功績は煬帝以下 王としての能力も康熙帝以下 事実を分析すれば分かる 始皇帝とカエサルを比較したら、西欧以外の人はどうひょうかするんだろうか? という疑問に欧州中心史観の日本人から始皇帝とフビライを比較したレスをよこすとは・・・ >>276 クビライが帝位に就く前に、大理国を侵略してモンゴル帝国に編入しているで。 いまでいうと、中華人民共和の国 雲南省、貴州省の全域、四川省の南半分、ベトナム国のハジャン省、ラオカイ省、ラオチャイ省、 ラオス国のポンサリー県全域からちょいはみ出る位で、面積で大体120万平方キロ これを1251年から1253年の足掛け3年で制圧している。 カエサルがローマに編入したガリアはフランス+ベネルクスら辺で計63万平方キロくらい、ブリタンニアとカンブリアを合わせても、 80万平方キロいかないよ。 ずばり、三分の一の期間で5割増しも多く地面を獲得しているでよ。 やっぱりフビライ>>>カエサルだな。 蛮族の未開地ガリアより文明国の南宋や大理の征服の方がはるかに価値があるだろう。 この意義を過小評価し、元寇での日本勝利を過大評価するのが5ちゃんねるの傾向だ。 「日本が勝ったから元が滅びた」と信じてる奴もいるし。(元衰退の一因ではあるが直接ではない。それ言いだすと鎌倉幕府滅亡の原因も元寇になる。フビライが幕府滅ぼしたんかいなw) >>302 始皇帝とカエサルなら比べられるがフビライとカエサルじゃ勝負になんない >>303 そもそも兵種が違うでしょ。フビライの主力はモンゴル騎兵、当時ぶっちぎりの最速最強。たいしてカエサルの主力はローマレギオン、圧力や工事じゃ最強だけど最速というわけではない。パルティア騎兵とかに負ける。 ガリアは蛮族が住まう未開の地という認識は間違い。当時最先端のオリエントや中国や地中海には劣るけど結構レベル高い。部族ごとに法律や国境などがある。ガリア戦記読めばわかるんだけど、ガリア戦争って無数の小国家との戦争の積み重ねみたいなものなんだよ。ガリア自体は三年くらいで全制覇したけど各部族が共謀したりして反乱が相次いで、結局ウェルキンゲトリクスの反乱で一気にガリア人を降伏させるまで反乱は終わらなかった。 ミトリダテス六世を下し、大国ポントス王国を属国化した。「来た、見た、勝った」はあまりにも有名だ。フビライも高麗を属国化したと言うだろうが、高麗の将軍ってミトリダテス六世に対抗できるレベルの名将はいないし、国家規模も違う。高麗よりポントスの方が強い。 ポンペイウスと共謀したローマという国家相手にガリア軍団とガリアだけで対抗して勝ってしまった。ガリアなんていう田舎で名将ポンペイウスと共謀した絶頂期の共和政ローマに勝ったんだから、ガリア古参兵の活躍もあったがカエサルの軍事的才能は相当なもの。フビライもアリクブケと戦って勝ったと言うだろうが、ポンペイウスの軍事的才能はアリクブケと比較にならない。しかも領地はアリクブケより黄河流域を抑えてるフビライの方が有利。 政治的才能の話もしたいが、取り敢えず軍事的才能の方で決着をつけよう。フビライは凡将とは言わんが、俺はカエサルの方が何十倍も優れてると思うよ。 スレ立てたやつがアホだったんだよ 地域や時代が1000年以上違うの比べてどうすんだ、と カエサルがハーンならインドまで取れた フビライがカエサルならポンペイウスに負けてる 「もしもフビライが○○だったら?」スレはここですか? ここまでのレスを読んでわかったこと。 ・始皇帝>>>>>>カエサル ・文明度 南宋>>>>ガリア >>307 地域や時代、さらにジャンルも異なる人物を比較したランキングは全くナンセンスだよな。 例えばこういう糞ランク表 世界史で影響を与えた人物ベスト100 https://www.myworldhistoryblog.com/entry/influencedtheworldhistory >>310 始皇帝>カエサル>>>フビライ 文明度 南宋>>大理国>>ガリア 兵種 蒙古騎兵>>レギオン 征服難度 南宋≧ガリア カエサルとフビライならタイプが同じだからある程度比較になるが、始皇帝とカエサルを比べるのは無理な話だ >>16 アレクサンドロス 大征服でヘレニズム文化圏を構築。死後ディアドコイ戦争が始まる。 ナポレオン 法律や制度で近現代国家の基礎を築き、欧州を大征服。スペイン植民地はほぼ独立し、死後ウィーン体制が始まる。 ヒトラー ドイツを一時的に復興し、現状最後の世界大戦を始める。死後欧州は大幅に衰退し、冷戦が始まる。 言っとくけどこいつら歴史に影響を与えた人物ランキングかなり上位に食い込むような奴だからね。 >>93 最強フビライに勝った日本最強 の方が気持ちいいやろがい 最強豊臣秀吉に勝った李氏朝鮮最強 と同じ気持ち二ダ >>291 もしもカエサルが坂上田村麻呂だったら東北を征服した後 京都に進軍して天皇になっていただろう >>306 パルティアね、ペルシャのあたりか。 クビライ皇帝は弟のフレグ公を遣わしてペルシャを攻めさせている。 攻め取った範囲は、今の国でいうと、イラン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョルジア、 イラク、クエート、ヨルダン、アフガニスタン大体全部、トルコ国の3分の2、シリア国の半分、パキスタンとインドをちょっとずつくらい。 つまり、フレグ > カエサルな >>312 文明れべるは 大理 >> ローマ > ガリア > 南宋 だろ。 >>315 負けなかっただけで勝ててはないだろ。鎌倉時代の日本がモンゴル帝国から奪い取ったものは何一つ無い。 人死にが双方に大勢出た双方負け戦のようなもの 広大な版図を獲得しても維持できなきゃ意味が無いからカエサルは必要以上には遠征しなかった これができる指導者は貴重なんだけど評価されない 個人的にはこっちのほうがバランス感覚に優れた名将にみえるのに >>318 農耕民のラテン人と遊牧民のパルティア人で比べたら分が悪いからレギオンがパルティア騎兵に負けるっつってんだよ。まあカエサルの采配なら勝てそうではあるが。 そもそもモンゴル騎兵って遊牧民の騎兵だし装備も強いし、当時の史上最強の兵種なんだよ。そんなスーパー軍団主力の軍を動かす将軍と、農耕民の中じゃ最強クラスとしかいえない遊牧民に何度も破れたレギオン主体の軍を動かす将軍とじゃそもそも前提条件が違う。それに敵もだいぶ違うしね。腐ったアッバース朝の農耕民イスラム戦士相手に最強モンゴル騎兵で戦うのと、当時最強クラスのパルティア騎兵相手に農耕民最強にとどまるレギオンで戦うのとじゃ全然違う。時代も結構違う。 >>320 最強フビライに勝った日本最強だなんて思ってないよ俺は。文永は戦争中に補給不足になって、弘安は防塁に阻まれて上陸できなくてそれぞれ撤退しただけでしょ。 フビライ・ハーンを「日本侵略失敗おじさん」としか習わなかったそこのアナタ、 これ見ていってちょ。 【ゆっくり歴史解説】 フビライ https://www.youtube.com/watch?v=SZaTHRWrz4k >>322 ローマも、半農半牧のゲルマン人やら、ガチ遊牧民のフン人やらサルマタイ人やらアヴァール人やらクマン人やらには 良いようにされ放題。南からも、モール人とアラブ人にやられ放題だったよな。 ホームグランドで蒙古軍を退けただけで さも日本軍がアジア大陸奥深く進軍したような書き込んしている人がいるが、 それってどうなんかね。アメリカ追い出したタリバン最強みたいな話。 世界史的インパクトでいえば普通に 南宋滅亡>>>ガリア征服だろ。 別に軍事かどうとかでなく、指揮能力がフビライが上とではなく事件の重大性ね。 フビライが日本侵攻に失敗したことは日本人には大きいが日本以外の人にはぶっちゃけ些細な話。 >>327 影響力でいえば軍事の方は引き分けかフビライの方が大きいかだろうね カエサルも一応ポントス属国化したりヌミディア属州化したりポンペイウス倒したりしてるし軍事面でも影響力は大きい ガリア征服しただけじゃないしフビライと並べるレベルではある フビライ時代のモンゴル帝国は一族内の反乱ばっかで、収拾されるのはフビライ没後なんだが、 それでも戦況は概ねフビライ有利に進み、帝国は解体せずにゆるやかな連合体を維持した。 たしかに内乱は長かったが、ローマ帝国の数倍の面積だし致し方ない。 ローマの内乱を平定したカエサルには負けていない。 >>327 いや、世界的インパクトは ガリア征服>>南宋滅亡 だろ。 ガリア征服の影響は、ずーっと後世まで出てんじゃん。 中欧・西欧の殆どの言語の文字がラテン字。 19世紀も残りあとわずかのときに締結されたハーグ陸戦条約の正本がラテン語。 フランス語はラテン語の末裔で、国連公用語の一つ。 南宋滅亡なんて、支那史上度々起こっていた易姓革命の一つじゃん。 >>329 今は影響力の話してるんじゃなかった?軍事的才能ならフビライはカエサルに敵わないと思うけど >>330 そういえば後世への影響を考慮してなかった。そこまで考えるのならガリア征服の方が大きい。 俺はカエサル擁護派の方ね。 一番影響あるのユリウス暦の制定だと思う これで一年が365日になってそれが現代まで続いてる >>333 ユリウス暦もそうだけどガリアのローマ化やオクタウィウス指名もなかなかじゃないか これで西欧文化がローマ由来のものになったし、ローマ内乱の一世紀が終わって帝政が始まった >>330 >ハーグ陸戦条約の正本がラテン語。 ええっ? フランス語じゃなくラテン語なの? ちなみにガリアにラテン語が入った後、フランク語が混じって古フランス語が生まれたが、 9世紀頃にラテン語と別物になった。 >>336 1899年はラテン語 1907年はフランス語英語 >>330 フランス語が国連公用語になったのはチャーチルがフランスを国連安保常任理事国に加えたためと考えている。ローマ帝国関係ない。 で、ラテン語・ラテン文字だが、イタリアをルーツとするこれらが広まったのは無論、ガリアに限らず代々のローマ帝国領土の拡大がある。当然カエサルの貢献度も大だな。 ただ、帝国領以外の西欧・中欧への伝播はキリスト教の拡大が主因。英語のラテン文字化もそう。(7世紀) 一つ気をつけないといかんのは、「後世への影響」を語る際にカール大帝やらローマ教皇やら後世の人間の業績まで食ってしまわないことだな。時代が古い人物ほどその傾向が出る。カエサルには特にそれを感じる。 スペイン語が国連公用語になったのはスキピオのおかげ とか言うてみる。 >>338 ゲルマン人の王様が支配したところでなんぼか語彙や人名が移入された程度で、 結局フランス語はラテン語ベースだろ。 「なんぼか語彙が移入された程度」って、どの程度よ? フラ英語とドイツ語の差より大きいのか小さいのか? >>342 どうしたらそんなミスするのかわからんが物凄く面白い 先に別の文章を書いていたのだが、差し替えた。 その際に文頭の2文字を消し損じた。元は「フランス語とイタリア語の(以下略)」 >>344 今のフランス人は学校でラテン語の勉強をしなくても 2000年前のラテン語の読み書きは出来る程度か? タイムスリップして通訳なしでカエサルと語り合える程度なのか? >>293 当時オリエントと同レベルの先進地域地中海の統一やってるんだが 先進国のアンティゴノス朝やセレウコス朝滅ぼして、先進国のカルタゴや最先進国のプトレマイオス朝征服して、漢をも凌ぐほどの最先進国になってるんだが >>293 当時オリエントと同レベルの先進地域地中海の統一やってるんだが 先進国のアンティゴノス朝やセレウコス朝滅ぼして、先進国のカルタゴや最先進国のプトレマイオス朝征服して、漢をも凌ぐほどの最先進国になってるんだが >>293 当時オリエントと同レベルの先進地域地中海の統一やってるんだが 先進国のアンティゴノス朝やセレウコス朝滅ぼして、先進国のカルタゴや最先進国のプトレマイオス朝征服して、漢をも凌ぐほどの最先進国になってるんだが >>293 当時中東と同レベルの先進地域地中海の統一やってるんだが 先進国のアンティゴノス朝やセレウコス朝滅ぼして、先進国のカルタゴや最先進国のプトレマイオス朝征服して、漢をも凌ぐほどの最先進国になってるんだが どんなにローマ帝国を愛しているのかが よくわかる連投だったな。 許す。 >>346 イギリス人なんて1000年前のアーサー王やエグベルト王の時代の英語すら特別のお勉強無しには理解しませんよ。 ベオウルフなんてなんて書いてあるかチンプンカンプンサッパリコンです。 >>346 ネルチンスク条約の予備交渉、清国はモンゴル人の軍事貴族(内蒙古の旗人)、ロシア国はシベリア侵略でタタールやカザフ人の鎮圧の担当者が出てきて、 双方モンゴル語で交渉を行う前提で出て来てみれば、清国のモンゴル貴族は当然モンゴル語、ロシア方はタタールの軛時代のモンゴル語で話をしようとして サッパリ通じず。 清国側の政治顧問にヨーロッパ人のあることがロシア方の知るところとなり、ロシア方もフランス語とラテン語の解かる外交担当を出してきて、双方ラテン語で 話をまとめて条約締結に至ったそうな。 つまり、現代フランス語と古ラテン語の差は「なんぼか語彙や人名が移入された程度」ではない、 つーことだな。 フランス語は俗ラテン語を祖語とする所謂ロマンス諸語のひとつだが、中世にはほとんど別物になるほどの変化をした、という解説を読んだことがあるが、 概ねその理解は正しかったようだな。ふむふむ。 フランス語が国連公用語になったことが、さもカエサルの業績みたいに書いてる奴がいたので聞いただけ。 >>356 いやフランス語ってめっちゃ訛ってるで。 発音省いたり、余計なものが挟み込まれてたり。 >>356 カエサルがいなかったらフランスでは今頃ガリア語が話されていただろう モンゴル帝国は「世界史」を作ったがローマはどこまでいっても「ローマ史」(またはイタリア史)にすぎない これが答えやな 「イタリア史」に過ぎない、ってこたあないけど、「ヨーロッパ史」だな。 それに対してモンゴル帝国は「ユーラシア史」。 アメリカ合衆国のモデルをローマ帝国に求める論者もいるが、その伝で行くと今の中共やロシアは紛れもなくモンゴル帝国の後継国家だ。 視点を変えると現在の国際情勢はローマ(欧米)対モンゴル(中露)の構図である。 日本は“ローマ”陣営なので、フビライよりカエサルの方に人気があるかも。 「イタリア史」に過ぎない、ってこたあないけど、「ヨーロッパ史」だな。 それに対してモンゴル帝国は「ユーラシア史」。 アメリカ合衆国のモデルをローマ帝国に求める論者もいるが、その伝で行くと今の中共やロシアは紛れもなくモンゴル帝国の後継国家だ。 視点を変えると現在の国際情勢はローマ(欧米)対モンゴル(中露)の構図である。 日本は“ローマ”陣営なので、フビライよりカエサルの方に人気があるかも。 「イタリア史」に過ぎない、ってこたあないけど、「ヨーロッパ史」だな。 それに対してモンゴル帝国は「ユーラシア史」。 アメリカ合衆国のモデルをローマ帝国に求める論者もいるが、その伝で行くと今の中共やロシアは紛れもなくモンゴル帝国の後継国家だ。 視点を変えると現在の国際情勢はローマ(欧米)対モンゴル(中露)の構図である。 日本は“ローマ”陣営なので、フビライよりカエサルの方に人気があるかも。 「イタリア史」に過ぎない、ってこたあないけど、「ヨーロッパ史」だな。 それに対してモンゴル帝国は「ユーラシア史」。 アメリカ合衆国のモデルをローマ帝国に求める論者もいるが、その伝で行くと今の中共やロシアは紛れもなくモンゴル帝国の後継国家だ。 視点を変えると現在の国際情勢はローマ(欧米)対モンゴル(中露)の構図である。 日本は“ローマ”陣営なので、フビライよりカエサルの方に人気があるかも。 最近の5ちゃんねるはアクセスにホストエラーが表示されることが多い。 送信に失敗すまん >>362 北アフリカや中東も支配していたローマ帝国が単なる「ヨーロッパ史」なわけがない。 普通に「地中海世界史」だろ。 モンゴル帝国だって中国とイスラムを征服しただけで、ヨーロッパに関してはロシアを間接統治しただけ。 そのロシアだってギリシャ正教繋がりでローマ帝国の後継国家を自認していたのに。 >>367 モスクワ公国のローマ帝国の後継国家を自認は15世紀のコンスタンティノポリス陥落よか随分と後だろ。 >>364 >ロシアを間接統治しただけ。 「間接統治」言い出したら、近代欧州の植民地は大半が間接統治でっせw >ローマ帝国の後継国家を自認していた そら、憎たらしいモンゴル帝国の後継国家なんか自認するかいなw アイデンティを他に求めるわな。 >>369 いや、言うてたで。 ジョチウルスから黒海沿岸・コーカサス・中央アジアの支配圏を継承したと。 ロシアはヨーロッパ人ではなく白いモンゴル人だったのか・・・・。 ヨーロッパ人とモンゴル人と対立する概念でもあるまいて。 ヨーロッパに土着していればヨーロッパ人だし。 モンゴル人としての意識があったり文化を継承していたりするなら、モンゴル人だろ。 実例をいうと、Хальмг とか。 ムガール帝国 トルコ系のインド王朝なのに「モンゴル」帝国とはこれ如何に。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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