イタリアとかいう古代から現代までずっと先進国の国
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ゴート戦争の後のイタリアは荒廃しきっていたと思うが 古代からではないけどアメリカとか国ができてから今に至るまでずっとトップだしこいつの方がやべぇわ エジプトは近世以降先進国ではないが
紀元前3100年から14世紀くらいまでは先進国
その間45世紀にわたる
イタリアの倍近く ローマ帝国で一発当てたけど、その衰退と東遷後にはギリシアやオリエント、エジプトから富を吸い上げる手段がなくて
カトリックの総本山がある程じゃ先進国とは言い難い気もする
>>9
さすがにアメリカがトップに立てたのは第一次大戦後だと思う アメリカは建国以来債務国だったが、第一次世界大戦中にヨーロッパの同盟国に
戦争資金を貸し付けたため、戦争が終わったときには債権国となっていた いまのトリノ人ミラノ人ベネチア人フィレンチェ人ローマ人シチリア人と古代ローマ人イリュリア人達って生物学的に同一ルーツなの? DNA分析的には、イタリアからイベリア半島までのDNA分布は古代ローマ時代から殆ど変化ない 古代からの遺伝子かえるのなんて相当なジェノサイドか
現地人の1000倍ぐらいの人口が入ってくるなんてことないとできない 旧西ローマ帝国領に入り込んできたゲルマン人は、
数の上では、ローマ人のせいぜい10%だった >>17
> 旧西ローマ帝国領に入り込んできたゲルマン人は、
> 数の上では、ローマ人のせいぜい10%だった
10%とか5%だと、そこそこ多めの説
イタリアやスペインだと1〜3%ぐらい スペインはともかく
イタリアってゲルマニアに近いからな
北部のロンバルディアなら原住民ぶっ殺して女はレイプしたと考えるなら
北部に関しては遺伝的にゲルマンの血が10%ぐらいあってもおかしくない 浮き沈みはあるけど、
古代中世近世近代現代…概ね先進の地域と呼んでも差支えない範囲に踏み止まってる気はするね
たしかに唯一かもしれん
>>10
エジプトのスケールはほんまぶっ飛んでるよな
古代文明の諸王朝の中でも頭一つ二つ抜けとる イタリア人はゲルマン人に頃されまくったように見えるけれども縄文アイヌが民族浄化された日本に比べたらずいぶんと紳士的だったんだな 基本的にゲルマン人は奴隷狩りでローマ人に拉致られた奴隷かローマ人に憧れてイタリアに来た人達なんでローマ人を殺すどころか自らローマ人に溶け込んでいった
地方のゲルマン王国も多くはゲルマン出身の将軍に率いられた辺境守備隊が土着化しただけのもので、イタリアからすれば「イタリアの守護者」って認識だった
ローマ人を手酷く扱ったのってヴァンダル族とランゴバルド族ぐらいか
こいつらだけは他の王国とは違ってローマ的にも外国の扱い 中世のノルマン・シチリア王国は先進国といっていいんじゃないのかな >>16
> 古代からの遺伝子かえるのなんて相当なジェノサイドか
> 現地人の1000倍ぐらいの人口が入ってくるなんてことないとできない
むしろそれが起こっちゃったのが人口密度の低かったゲルマニア側だという
人口が多かったイタリアやガリアからの逃亡難民に塗りつぶされて、絶対数が少なかった元々のゲルマン人の痕跡は今のドイツ北部ぐらいにしか残ってないという・・・・・・ アフリカで人口爆発が起こって、大量の難民がヨーロッパに押し寄せれば、
ヨーロッパ人の遺伝子も変化したりして ヨーロッパは普通に人口多いから難しそ
昔はモンゴル系だったシベリアあたりは今は? >>23
南イタリアはフレデリコのせいで過大評価されすぎだわ
あれはフレデリコ個人がすごいだけで基本南部より都市部の多い北の方が文化は栄えている サルデーニャピエモンテがリソルジメント始める前に教皇主導で統一目指す動きあったけど実際にそれで統一出来てたらどうなってたんだろう イタリアでなぜファシズムが生まれたのかよくわからん これは現在とは、現実とは違い、あり得なかった可能性が高く、まずあり得なかった戦後のイタリアである。
しかし、イタリアが第二次世界大戦を、史実より長く続いていたか、第二次世界大戦で、史実よりイタリア人の死傷者が多かったか、それこそ、イタリアにドゥーチェのような立派な指導者ではなく、典型的な独裁者及び歴史に名を残さなかった、バカな指導者以上の残虐非道な暴君が、戦争直前、戦中、終戦直後に指導者になった後、すぐに失脚するか、暗殺されなければ、この物語で書かれたここと同じか、それより、酷いことが十分にありえた。
↓
裁ト×もシくはァァム情 それなラ恐ろシいヒト達とはドこの誰のことでアりf讐とはナんのでスか?(1)
序
自分の祖父が若いころにそれは始まった。
裁の始まりは革命
いろんな国々に、無謀で大きな侵戦争をしかけたiという国が、絶望的な戦局になったので、iの人達は革命を起こして、iの独裁者を失脚させ、戦争をやめさせて、iの独裁者及びiの独裁政権の大臣達を、全員公開処刑した。
同時に、iの独裁者が建てた政党、fの幹部達全員を、革命の後にできた、iの新しい政府が攻撃したとき、ほとんどのiの人達は攻撃した。
その時自分は生まれていなかった。
ァァム情
その直後、iの独裁者及びiの独裁政権の大臣達の親族や、fの人達全員だけでなく、iが仕掛けた無謀で大きな戦争を指揮したり、無謀で大きな戦争に行った人達はもちろん、無謀で大きな戦争を支持した人達全員を、iの新しい政府が攻撃したとき、僅かな数のiの人々は、iの政府の攻撃を批判したが、iの大半の人々は攻撃した。
自分はその時生まれたばっかりなので何もわからなかった。 >>30
ドゥーチェが素晴らしい指導者で、ファシズムという思想の車を乗りこなすのがうまかったから。
ファシズムの劣化したゲテモノカーのナチズムというものをヒトラーという基地外の運転手が暴走させたからドイツは自滅した。 >>30
>>31の物語の続き。ファシズムどころか、それより危険な思想はこのようにして生まれる。
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それなラ恐ろシいヒト達とは
しばらくして、fの人達の末裔や、iが仕掛けた無謀で大きな戦争を指揮したり、無謀で大きな戦争に行った人達の末裔を、iの新しい政府は攻撃したとき、iの少数の人達がiの政府の攻撃を批判したが、多くのiの人達は攻撃した。
自分はそのとき、iに移住したばかりであり、自分はまだそのときは子どもで、iという国が、無謀で大きな戦争をした時に、一緒に大きな戦争をして、いろんな国々を侵略して、自分の国はもちろん、いろんな国々の人達を殺して傷つけた、jという同盟国の移民であり、自分の叔父は元憲兵だったし、曾祖父は元将軍だったが、曾祖父は死んでいたし、叔父は大嫌いだったので、自分の親族の中には、不安を覚えた者はいたが、自分は幼かったし、自分はjやfを恐ろしいと思っていたし、iの人たちと仲良くなろうと思っていたので、一緒に攻撃した。 >>30
>>33の物語の続き。こうしてファシズムの亡霊どころか、ナチズムの亡霊を蘇らせた。
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ドこの誰ナんでスか
時は流れ、iという国に「精神病院を廃止しろ」という不思義な医者と、その医者を支持する人達が現れた。
iの人達の少なくない人達が「精神病院を廃止しろ」という医者達を批判はしなかったし、少数の人達は「面白い人達がいるものだ」と支持したり、中には「精神病院を廃止しろ」という医者を、神の使いか救世主のように称賛するか、崇拝する人達まで現れたとき、iの新しい政府が「精神病院を廃止しろ」という人達を「精神病院を廃止したら、iが無謀な戦争を仕掛けたときの同盟国で、自分の国や、侵略したいろんな国の精神病患者はもちろん、自分の国や、侵略した 色んな国の障碍者を皆殺しにして、さらには、色んな少数民族も皆殺しにしようとし、自分の国はもちろん、侵略したいろんな国の多くの人達を殺して、傷つけたnのような国になってしまう」といい、精神病患者及び障碍者、いろんな理由でiに逃れてきた難民及び様々な理由でiに移住してきた、移民以外は攻撃したとき、iの少なくない人達が、iの新しい政府の攻撃を批判したが、iの半数以上の人々は「精神病院を廃止しろ」という医者や「精神病院を廃止しろ」という医者の考えを支持する人達を、精神病患者及び障碍者、いろんな事情でiに逃れてきた難民及び様々な理由でiに移住してきた、移民以外は一緒に攻撃した。
自分も「これは何か変だ」と思ったし、自分の親族の多くが不安を覚えたし、自分の親族の中には、iの新しい政府を批判する人達もいたが、自分は「精神病院を廃止しろ」という医者達を支持しておらず、精神病患者でもなかったし、nが怖かったし、iが精神病院を廃止したらnのような国になってしまうと思ったので、やはり一緒に攻撃した。 >>30
>>34の物語の続き。ドゥーチェたちは
↓
?×
長い時が経ち、iの新しい政府が、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村に住む人達を、いろんな理由でiに逃れてきた難民及び色んな理由でiに移住してきた移民、精神病患者や障碍者以外は攻撃した時、iの多くの人達が、iの新しい政府の攻撃を批判したが、iのほとんどの人達は、iの独裁者を批判していて、iの半数近くの人達は、無謀で大きな戦争を仕掛けただけではなく、
無謀で大きな戦争で自分の国やいろんな国の人達を傷つけたり、殺したり、恐ろしい暴政を行い、自分の国の多くの人々を苦しめる独裁者達と同じだと思っていたし、実際に、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村には、iの独裁者を「独裁者ではあったし、iの少数の人達はひどい目にあわされたが、危険な独裁者ではなかった」とか「素晴らしい指導者ではなかったが、
バカで愚かな指導者ではなかった」と批判しない人達が大勢いたのはもちろん、中には「貧しくて年中いざこざが絶えず、色々と揉めてばかりしていたiをまとめ上げ、iの福祉や教育の他、iの多数の市町村を発展させただけでなく、あれだけ大きく無謀な戦争を仕掛けたにもかかわらず、iの人達はもちろん、敵国の人達も、あまりたくさん殺したり、けがした人を出さなかった素晴らしい指導者だった」と称賛している人も少なかったので、
半数の人達は、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村に住む人達を、精神病患者や障碍者、色んな理由でiに逃れてきた難民及び色んな理由でiに移住してきた移民以外は一緒に攻撃した。
自分は流石に(これはいくら何でもやり過ぎでは)と思ったし、何かとても大きなぼんやりとした不安を覚えただけでなく、自分の親族のほとんどが、何かとても大きな不安を覚えたし、半数以上の自分の親族は、iの政府の攻撃を批判したが、自分は何もせず、iの新しい政府の攻撃と、iの新しい政府と一緒になって攻撃する人達を黙って見ていた。 >>31
>>35
この物語はやっと終わります。長かったですねー(-ω-;)ウーン
↓
裁トf讐
そして自分の晩年、iの新しい政府が、精神病患者や、iが無謀で大きな戦争をした時の、同盟国の移民を攻撃したとき、iの多くの人達は後悔したが遅すぎた。自分や自分の親族の多くはiという国が、無謀で、大きな戦争をした時に、一緒に大きな戦争をして、いろんな国々を侵略して、自分の国はもちろん、いろんな国々の人達を殺して傷つけた、jという同盟国の移民であったので攻撃された。
最後に自分が言い残したことは「どうかjと発音してください」ということだった。
追伸・この物語の主人公「自分」のモデルは実在します。
もちろん、俺はこの人を良く知っています。
その人は、昔は、iの独裁者が統治していた時代のiのような国や、iの独裁者やそれを支持する人達が大嫌いだったし、バカにしていましたし、大きな戦争が終わった後の精神病院を廃止したiのような国が、最近までは好きではありませんでした。
今では、iの独裁者のような独裁者を尊敬していますし、大きな戦争が終わった後の精神病院を廃止したiのような国が大好きです。
この人は、5ちゃん(旧2ちゃん)や、いろんなブログにも、書き込んでいます。
もしかしたら、今日も、5ちゃん(旧2ちゃん)をや、何らかのブログを閲覧して、何か書き込んでるかもしれませんね。 >>31
>>36
あとがき
まあ、イタリアに限らず、どこの国でも、この物語に書いたことの半分くらいは、その国で革命なりクーデターなりの政変があったり、あるいは、なんらかの戦争や内戦とかの理由でその国が崩壊したら起こりえる。
もちろん、終戦直後の日本や明治維新直後の日本も、決して無関係な話ではなかった。
確かに起こらない場合もあるが、いや、明治維新後の日本で、徳川家はもちろん徳川家の領地の大名は、一族郎党皆殺しとかだけでなく、徳川家の領地の武士を、一族郎党皆殺しとかにしたりとかが起こらなかったからこそ、明治維新後の日本も、あのような明治維新前後に数々のかつて日本史上、というか、アジア史上まれにみる超大危機を、植民地にされたり、長期的な泥沼の内戦にならずに済んだのだし(明治維新後大規模でない内戦は短期間起きたが)イタリアも、1943年の終戦直後、敵味方に分かれ南北で1945年のナチスが崩壊するまで内戦にはなったが、終戦時やその後ドイツのように長年分断され、今でも事実上本当の統一をされていない分断状態になったり、それこそ朝鮮半島のように、戦後分断されただけでなく、終戦から5年後に、周辺国をも巻き込む大規模な内戦になり、現在もその内戦が休戦状態にあるだけで、今でも内戦が終わっていない状況にあり、時々小規模な軍事衝突が起きるという状況にならずに済んだのだ。
そのことを、イタリアの人達はもちろん、第二次世界大戦を戦ったすべての国々の人たちは忘れてはいけない。
歴史を消してはいけないし、歴史を消すことはできない。 イタリアは確かに一応G7の一員だけど
南部とか見ても18世紀辺りから明らかに
トルコ、スペイン、ポルトガルと並んで
西欧よりは停滞はしてる感じがある
モロッコはヨーロッパに潰された感じのある
他の北アフリカの国に比べて中世からずっと
西アフリカに介入する強国の地位をキープしてる
そういう意味では最近のイタリア、トルコも
強国として蠢き出してるかもな(経済は別として) 第二次世界大戦で、地中海ではイタリア海軍はけっこう善戦してるんだけど、
こういうことは日本ではほとんど知られていないよな 当時最新鋭の潜水艦を日本は譲り受けてんのよね
で、航空機を艦載できる大型潜水艦に改良した
日本も負けて米国に摂取された スパダ岬沖海戦
パッセロ岬沖海戦
タラント空襲
オトラント海峡海戦
マタパン岬沖海戦
タリゴ船団の戦い
デュースブルク船団の戦い
ボン岬沖海戦 イタリア南部は、古代から現代までずっと先進国だったとは言い難いのでは? 順位の変動はあるにしても20位?以下に落ちたことがない ノルマン人って南イタリアだけじゃなくチュニジアまで短期間征服したからな
あの地中海帝国を維持できれば今頃南イタリアとチュニジアは同じ文化圏だったかもしれん >>47
フランスが北アフリカを植民地化したとき、この地域をローマ帝国の時代のように
再キリスト教化しようとしたがうまくいかなかった
チュニジア人がキリスト教に改宗しない限り無理じゃないのかな 逆に過去にMaxの黄金時代を経験したのは・・・
エジプト、イラク、モンゴル、トルコ、ポルトガル、
ギリシア、まあオランダ、スペインなんかもそうかな?
イギリスはイタリア同様 一応 先進国の末席を占めているから、除外しても良いかな。 >>49
本当に一瞬だけやけどイスラム勃興期のアラブ >>49
ペルシアもそうでしょう
ハカーマニシュ朝とかサーサーン朝とか >>49
オランダ、スペインを含めるなら、オーストリアが挙がるだろうね
実質的に同君連合として世界に版図を持ってたことになるから 黄金時代ってのはやはり領土の広さになるのかな?
豊かさ、という観点なら北朝鮮みたいな余程の国でもない限り大抵の国は現在進行形だと思うけれど >>54
広かったらええていうもんでもない
宋なんか狭くなってからの南宋のほうがいっそう繁栄した >>55-56
しからばやはりどこの国もここ200年くらいが絶頂期なのかな
キュロス2世、アレクサンドロス3世、チンギス=ハーン、ヴィクトリア女王でさえエアコンは使えなかったし、パソコンも無かった 中世のイタリアって分裂しすぎで格差が凄いがヴェネチアは大国かな
本土の人口いれたらかなりのものだし >>58
当時のヴェネチアはイタリアとは別枠
それどころかヨーロッパ文明圏からも別枠 ヴァネツィアは最初はビザンツ帝国との関係のほうが深かったしな 1054年にローマ教皇とコンスタンティノープル総主教が相互破門を行う
もっとも、それ以前から徐々に東西両教会の差異は広がっていたんだけど >>64
そんな時期は過去にも何度もある
一番長かった衰退期は漢末から隋による再統一まで500年くらい衰退期が続いた ヴェネチアがダメだと中世イタリアの都市国家って、先進国どころか独立してると言えるのがなくならないかな?
教皇領なら可能性が? >>66
関中と黄河流域とかいうかつて中華のすべてに等しかった地域なんて
漢末以降は普通に混乱期だったり衰退ムーブしてることが多いしね >>70
そういう時期もあるけど結局西欧の軍事援助に頼ってたからな 書き方が悪かったな
オスマンが来る前も来た後も滅亡まで西欧勢に軍事力頼ってる状態
カタルーニャの傭兵部隊やサボイ公の遠征やヴィエノワ伯もトルコやブルガリアに対して領土を奪い返したり
一定の成果をだしたがビザンツは内乱で全部だめにした >>26
ヨーロッパ人に原住民駆逐されたアメリカ大陸 毛唐より先に日本が新大陸到達してたらなあ
応仁の乱なんかやっとらんで船出せよ コロナを全飲食しか楽しみがないと食っては吐いてまた食ってを繰り返していたと聞いた >>73
最終的には失敗したとはいえ
遠路はるばる小アジアまで出張って、なんだかんだそこそこ成果を出してた中世の西欧勢
大航海時代を経て、後に世界を征服していくポテンシャルの片鱗が見える気がする むしろ信長が天下取って欧州の文化や人をどんどん受け入れて、混血民族みたいになっていたら良かったな。 >>79
いうほど信長は進歩的でもないぞ
大友宗麟みたいなキリシタン大名ならわからんけど トリノのフィアット社は1899年に創業されたけど、第一次世界大戦では
産業動員体制のもとで経営規模が拡大し、4000人から4万人に従業員の数が増大した
そのほかにもジェノヴァの造船・鉄鋼業アンサルド社は6000人から5万人に増加している イタリア半島にランゴバルド族が侵入してこなかったら、
イタリアはずっと統一されたままだったのかな?
そしたらイタリアの歴史も変わっていたかも 1860年までイタリアという国は名目上さえ存在しなかった
イタリアは単なる半島名、地理的名称に過ぎなかったのだ
つまり‥ イタリアってオペラと違って演劇のほうでは世界をリードしてる感じがしないな。
演劇を学びにイタリアへ留学する人ってあまり聞いた事がない そんなイタリアも劇作家ピランデッロを輩出してはいたが 音楽・オペラで世界を席巻した19Cイタリアも同時期の文学は
あまりパッとしなかったな。
英・仏・独・露・北欧では世界的な文豪を輩出したというに イタリアでは、文学が政治的になりすぎたからと言われている
統一期のイタリアではナショナリズムが高揚し、文学はその道具になってしまった 音楽はナショナリズム高揚のための道具にならなかった? ヴェルディがイタリア民族精神高揚の旗手みたいな扱いになってたが、歌劇を見るとそんな感じはしない 何故ギリシャはイタリアみたいに再浮上
しなかったのだろう
オスマン帝国支配下でも再浮上の可能性はあったと思う 帝国時代はその能力は活用されていた
共和制トルコでアルメニア人、ギリシャ人、
クルド人との関係は決定的に悪くなったけど ギリシャには、北イタリアがないからな
イタリアも南部だけだったら、あんな感じだろ >>95
ゲルマン民族の大移動以降の南イタリア等の
南欧勢には、異民族支配が状態になってからの
エジプトと同じような停滞感があるな
アテネもスパルタもテーベもコリントも
ギリシャ本土にあったのにローマ征服後に
再浮上しなかったのは何故だろ
後代に両シチリア王国に統合されるナポリや
シチリアももっと発展して良いような
バルカン半島の農民は内っ子だから結局は
黒海も北イタリアのベネチアやジェノバの商人が活躍 南イタリアからの方が若干近いはずだが
イベリアも植民地時代の先駆けを作った割には
オランダやイギリスほど学問や産業が発展せず
古い統治制度が温存 まだイスラム教徒支配時代のコルドバやトレドの方が進んで見える位の
停滞感が19世紀初頭のイベリアにある
繁栄期を過ぎるとぽかーんと停滞する点で
南欧人とアラブ人は歴史が似ている >>19
スペインにもゴートやバンダル、スエビが侵入し
何世紀も後にバイキングも侵入してきた
意外と金髪碧眼大柄の北方系の人も見られる
ギリシャもそうだ 南欧の多数派と明らかに
外見が違う北方人種がいる 15-16世紀スペインは当時としては高度に整備された官僚国家、造船力、産業政策、金融活用力
を備えていたが、経済的には外部金融の活用や植民地収奪経済にあるように、近代国家の
要件を欠いているところもあった
カスティーリャのような遅れた地域が北西産業地帯を支配したのもマイナス
オランダはナショナリズムと抜群の金融力があり、官僚国家ではなかったが、
カンパニー形式で民衆たちの投資や人的活力を組織化する方法を普及させた
オランダやイギリス、アメリカなど近代産業と近代思想が結束した事例の方が特殊 >>98
オーストリアとオランダとスペインの違いが
ありすぎて同じハプスブルク家に支配されていた
気がしない ハプスブルクがオランダを支配したのは1477-1580年と100年程度
以前から経済的にはイングランドやハンザ同盟との結びつきが強かったから
ハプスブルクの影響はあまり受けなかったのかも知れない
あとこの地域には金融業で先行していた北イタリア人も多数移住していた
スペインは南伊を支配していたからここでも差がついた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています