茶の歴史
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>>28
中国から来た苦力(クーリー)もね
イギリス人への現地雇用の募集の文章が
「前任者はすぐに病気で死ぬのですぐにあなたがトップになれます!」
だったそうな >>28 ナガ人とかカーシ人がヒンドゥスタン平原で斃死する方があり得そうだけど、逆にインド北東部のほうが幾度もの疫病の淘汰を経た強者のインド人でも死ぬような瘴癘地なのか 中国、日本では緑茶に砂糖などの調味料は入れない
チベットはバター茶、モンゴルでは茶は乳茶としてつくり、
バターよりもミルクを入れるし、粟を炒ったものを茶の中に入れて食べる
モンゴルの茶は緑磚茶で塩味をつけて飲む >>31
>日本では緑茶に砂糖などの調味料は入れない
わたし抹茶ラテが好物なんですがそれは そういえば、日本には西洋から伝わるまでなんで紅茶が伝わらんかったんや?
中国には緑茶も紅茶もあるのに 1662年にチャールズ2世のもとへ嫁いできたポルトガルのキャサリン王女は、
その手土産にインドのボンベイのほか、東洋の飲茶の習慣をイギリス宮廷にもたらした
それまで飲み物といえばエール、ワインとスピリットだったが、キャサリンの影響で
東洋の茶がファッショナブルな飲み物になった ポルトガルですらその当時マデイラとかで茶の国産化はまだできてなかったか
ウォードの箱のできた後だと、日本の杉すら生きた個体が伝わって、広く植林されてるそうだけど
マデイラ・アゾレスはヨーロッパの他の地域で滅んだラウリシルバ(照葉樹林)の島だから、茶を植えたら育ちそうだけど
しかも日本の茶産地より冬暖かく夏涼しく、いい茶のできそうな場所 >>31
粟も?
チベット文化圏で、煎り粉を茶で捏ねて食べるのはハダカムギが主流かな >>36
ポルトガルは、マカオから直接、茶葉を仕入れていたのだとか なぜ広東語由来のポルトガル語のchaから英語に入らず、別に福建系のteaが茶を指す英語になったんだろう
イギリスがのちに植民地にした香港も広東語圏だし、福建系のteaの語で定着したのがなおさら不思議
一応chaも英語としてはあるけど
https://en.wiktionary.org/wiki/cha#English
香港に来る前にマレー半島辺りで福建系の華僑と茶の取引をしてたのかな >>39
福建省の港町のアモイは、茶の輸出基地だった
そして大航海時代、ヨーロッパで最初に茶を輸入したのはオランダだった
オランダ東インド会社は欧州の茶貿易を一手に担い、海路で持ち帰られた茶葉は、
TEの名とともに近隣諸国に広まっていった ロシア紅茶は、サモワールを利用して紅茶をたて、ジャムやレモンを加え、
サトウダイコン製の固い砂糖をかじりながら飲む
この飲み方は、19世紀におけるロシアの南下政策とともに西アジア各地に
分布していった >>41
ロシア的な紅茶の飲み方は、サモワールの上で煮出した濃い紅茶を
サモワールのお湯で薄めて飲むんだっけ?
で、ジャム(実際は果物の砂糖煮)を紅茶に入れる
のでは無く、舐めながら飲むんだっけか。 未熟な松ぼっくりをジャム(正確には砂糖煮)ににしようって誰が考えたんだろう
https://karapaia.com/archives/52284625.html
松の種子ならともかく、松ぼっくりなんて救荒食物の類では
そんなものを貴重な砂糖で煮ようと思うのかな
果物のバリエーションがツツジ科(コケモモの仲間)・バラ科(野イチゴ・リンゴなど)くらいで、変わったものも食べたいと思ったのかな
かと言ってオレンジやブドウは南国の高価な果物で手に入れにくくて、松ぼっくりでも煮てみた?
それとも高価な砂糖を使うからには薬目的が最初? >>43
ロシア人「全身至るところに即死級の猛毒だらけの河豚を喰う人達が何か言ってるぜ」 紅茶は「くすり」ではなく、人びとの社交を円滑にする「飲み物」です スリランカ有機農業革命
ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領が
化学肥料の輸入を禁止する方針を発表し有機農業の推進を開始
生産量が激減すると悲鳴
セイロンティー価格高騰か? >>42 日本ではあんこをなめながらお茶を飲むなんてことはないから、最初にロシアでお茶をごちそうになった日本人がジャムみたいな不定形なものが紅茶の横にあったら味付け用だと思ってしまったんだろうな
もちろんロシアにもパイやケーキやクッキーの類の甘いものはあったんだろうけど、ジャムが合うということになったのかな >>46
管理が不十分で一気に虫害で全滅して「あちゃー」にならないといいけど ウンカの類に吸汁された葉は独自の香気を持った紅茶になるんだっけ? 紅茶を嫌悪してたアメリカ人に紅茶を広めさせたのもイギリス人。
セントルイス万博時に氷を入れて売ったらウケましたとさ
(イギリス側からすれば邪道だが) 中国では、茶の製法も時代によって移り変わりがあり、
唐では団茶、宋では抹茶、明では煎茶が流行した イスラム国がジュースとカプチーノで馬鹿にされたけど
酒がだめならジュースと茶になるよね 中国では、宋元時代に闘茶という一種の遊びが流行した
これは茶会で幾種かの茶を飲みまわして、茶の産地や水の種類をあてる遊びである
それが日本に伝えられて、南北朝から室町時代のはじめにかけて、上流の武家や
貴族たちの間で大流行した >>54
そういう遊び自体があるのはわかるんだけどそういう賭け事から日本の茶の文化が始まったってのがよくわからないんだよな 禁止令が出て今の形に矯正させて今に至るんだろうけど、わくわくする要素を奪われても茶の湯を続けるほど茶の魅力に取りつかれたか 今みたい本場中国の教師を呼んで学んでるわけじゃないから
坊さんらが中国の書を半独学で解析して「多分こんなとこだろう」ってやり方 その僧侶は宋元明とは普段から行き来していたはずでは? 室町時代の中頃になると、茶会にも幽玄味と礼式が要求されるようになった
茶のたて方はこれまで禅院で行う点茶の方法をずっと簡略にしてやっていたが、
能阿弥はそのころできた小笠原流の武家の礼式を参考にして、
新しい茶のたて方をあみだした
また、将軍義政の時代、大徳寺の一休宗純について参禅したことのある僧の珠光が、
茶の湯に禅のわびの境地をとりいれていわゆる「わび茶」の風をはじめた >>48
>日本ではあんこをなめながらお茶を飲むなんてことはないから
えっ、マジで?
俺が子供の頃いなかのじーちゃんばーちゃんらが普通に餡子なめながら茶を飲んでたけど 世界的に見た場合、”お茶”を示す言葉が”チャ”か”テー”なんだ。
お茶の原産地での”茶”の呼び名が”チャ”と”テー”なんだが、それが短期間で
地球上を巡ったので、言葉が変わる暇が無かったからと言われてるんだ。
これより短期間で世界を巡ったのは”タバコ”ぐらいしかない様な気がする。
聞いた話によれば、世界のどこでもタバコは”タバコ”で何とかなる様子、まぁ
どんなタバコが出てくるか、そこが問題なんだが。
普通に”タバコ”と言った場合、パイプ煙草の葉っぱが出てくるみたいなんだが。 タバコといえば浮世絵に出てくるキセルなどは非常に使いにくいものであったが粋ということで永らく使われていたらしい
変化を嫌がって不便でも慣れ親しんだものをいつまでも使い続けるという文化は昔から変わらぬジャップ仕草だったと良くわかる >>62
キセルに関しては2〜3服で吸いきれるので、たばこ休憩が短時間しかない様な場合は
有用だったりする。
紙巻き煙草を吸いきるのに10分ぐらいかかるし、パイプだと30分以上かかるし
葉巻も30分以上かかるんだよ 葉巻は途中で火を消して
時間が出来た時にまた再着火できるよん >>64
しかし、一度火を消して時間を置いた葉巻を再着火すると、酷く不味いんだよね。 コーヒーが高価で貴重品だったころには、
代用コーヒーが色々考案された(タンポポ、どんぐり等)が、
緑茶や紅茶の代用飲料って聞いたことがないな。
柿、桑、枇杷・・・
「〜の葉茶」は数あれど、多くは健康目的で嗜好性はその次だろうし。 アメリカひじきで代用紅茶にしてみよう・・・・なんかうまく行くな そう言えば、ソ連の収容所に押し込められた日本兵の話だ。
毎日、松の葉っぱを煮出したお茶を飲まされたそうだ。
味は苦くてとても飲めた物じゃないんだが、監視してる”カンボーイ”が
五月蠅いので無理やり飲んでたんだそうだ。
その”お茶”が良かったのか知らないが、その収容所に居た
日本人捕虜は、それほど人数を減らさずに日本に帰る事が出来たとか。 >>66
> 緑茶や紅茶の代用飲料って聞いたことがないな。
チャノキの茶が高い頃は他の葉っぱ煮出して「お茶もどき」してたそうだ >>69
> 毎日、松の葉っぱを煮出したお茶を飲まされたそうだ。
松葉茶は古くから薬として飲まれたてたもんだな ヨーロッパはコーヒーにおされて茶は地味だ
それでも少しある
イタリア・フィレンツェのお茶「ラ・ヴィア・デル・テ」(1961年より) 松の葉は東洋医学では仙薬の位置付けだからな
韓国では송편(松の餅)と言って祝いの場で用いられる縁起の良いものとされている
昔は長寿が何よりも幸運なことと思われていたから NHK-BS1 Cool Japan
5月1日(日) 18時0分〜45分 「日本茶」 ポーランドでは、チャともティーとも言わず、ヘルバタと呼ぶそうだ。 ボストン茶会事件(The Boston Tea Party) >>61
タバコのほかにシガーって言葉もあるね
シガーの語源はマヤ語で意味は葉巻タバコ
>>76
その事件からアメリカも紅茶から珈琲へ
嗜好が変化したとか? >>77
アメリカの水だと、紅茶が美味しくできないとか言う話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています