中国の長い戦乱を制した秦晋随はなぜすぐ滅んだのか
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中国で長く続いた戦乱
春秋戦国時代を収めた秦
三国時代を収めた晋(東晋として続くが統一王朝ではなくなった)
五胡十六国南北朝時代を収めた随はなぜすぐ滅び
五代十国を制覇した宋は長続きしたのか 現代日本はこれだな
現代の戦争とは支配集団が自国民に対して仕掛けるものであり、戦争の目的は領土の征服やその阻止ではなく、支配構造を保つことなのだ。
by ジョージ・オーウェル 現在の日本最大の権力集団はテレビを中心とするメディアだな。
政権でさえ簡単に転覆させちまうんだから。 >>85
ジミン党独裁だよ
報道の自由も民主主義選挙も無いしね >>85
>>87
そのように見せかけて事実上はアメリカの経済植民地。
ローマとカルタゴの関係より酷い、アメリカの背後にはグローバル資本家の集団が居る。 >>88
白人国家による植民地統治の基本が対象国のマイノリティ利用による間接統治。
英国の印度統治には教育水準の高いシク教徒(ターバン巻いてるインド人)を使った。
日本の場合は被差別部落系と在日半島人系だね。 明治維新は英米が薩長の下級武士にカネと武器を供与して行わせたクーデターだしね、南米などでCIAが散々やらかしたのと一緒
土佐脱藩浪士の坂本龍馬はその手先だね >>91
クーデターだけど悪いの?
鎌倉幕府討幕もクーデターだし
平氏政権討伐もクーデターだろう 小泉政権もある意味クーデターといえるよな
あれから日本の新自由主義は完全固定されて本格的日本衰退が始まった
揺り戻しの鳩山政権(小沢一郎、亀井静香、鈴木宗男、福島みずほ)はあっけなく党内クーデターで潰され、野田佳彦が安倍晋三に大政奉還、鈴木宗男が竹中平蔵に恭順、で今に至る >>91
最近、薩長テロリスト説が多いけど、
徳川幕府こそ豊臣家から政権を簒奪した連中だろ。
その上、秀頼に言い掛かりをつけて、豊臣家を滅ぼした。
泣き言はみっともない、 >>91 >>92
主要な政府組織、主要な法体系が継続された場合はクーデター
政府組織・法体系が解体され、新規に再組織されたのなら、革命 「唐朝がシナの最盛期」という見方は、まったくの誤り 唐朝は皇帝権力が弱くて、皇帝は地方勢力との闘争に追われて東奔西走していた
ドイツでいえば神聖ローマ帝国、日本でいえば室町幕府のような中世 >>94
小泉は痛みに耐え明日を良くするとか言ってたんだよな
痛みだけ与えセクシーを残して去ってったw 唐が本当の意味で「天下を統一した」と言えるのは、太宗の一代か、せいぜい高宗までの二代まで 確かに明と清は大国として安定していたし世襲権力の譲渡も上手く機能していた
秦は嬴政が崩御したらガタガタだったもんな、とはいえ2,200年前に一代限りとはいえ統一王朝を作ったのは凄い >>94
民主主義を否定する言説を吐く奴らが民主的手続きを取って為政者になれる、ってのはブラックジョークだよな
清和会政権や維新、石原慎太郎や小池百合子もそうだね
一方で民主主義手続きに真摯に取り組み建前を重んじてジェンダー平等やら外国人の人権やら同性婚を前面に出して日本国民から嫌われバカにされるリベラル左派の野党 確かに武氏の天下は続かなかったが、その後にも韋氏に天下を奪られかけた
たまたま英雄・李隆基が登場したから良かったものの、凡庸な人物ならやはり唐は終わってた 漢の滅亡後に、遊牧民が内地に大移動したため、そこで騎馬軍団の機動力が大幅に向上した
だから、漢朝と唐朝では、唐朝のほうが間違いなく軍事的に強い
さらに、宋代には火薬と羅針盤が発明された。火力が上がったのは言うまでもなく、方角が分かるようになったおかげで軍事行動の能率も上がった
南宋は地味に海洋国家だったから、海軍・水軍の能力は上がった そして、モンゴル帝国の騎馬軍団が登場
優秀な馬を湯水のように投入する軍事革命により、軍隊の機動力は爆上がり
そして、明代には火炮が登場
清朝は、西洋伝来の鉄砲隊の威力で、ついに遊牧民をねじ伏せ、天下泰平を実現した このように、時代が後になるにつれて中央の正規軍が強くなっていくので、地方の勢力が統制されるようになっていく
さかのぼって考えれば、いにしえの漢朝や唐朝が地方を統制するのがどれほど難しかったかは察しがつく 清朝って名君が多かったと思う、少なくても明朝よりも。 そらまあ満州族だからな、優秀でしょう
馬鹿な漢民族に国家運営やらせるとPRCみたいなことにw >>120
っていうか漢民族は長子相続だったけど清は満洲族の風習の名残で兄弟中最も優秀な者が相続したから
漢民族だろうが日本人だろうが何人だろうが長子相続なら清レベルの名君ラッシュはありえんと思う
その代わり後継者争いも起こりにくくて安定してるけど 名君ラッシュでいえばオスマンだろう
あれ異常だよ
10代続けて暗君いないとか凄すぎ 遊牧民の王朝にアリガチな傾向として、兄弟間の争いがすごい
ムガール帝国なんか、代替わりのたびに王子たちがそれぞれの私兵を動員して内戦になる
そこで勝ち残って帝位につく奴は、当然のことながら無能ではない オスマン帝国も、もとはといえば遊牧民
だから暗君が出ない 名君が続けば国が栄えて暗君が続けば国が衰える。
−−という当たり前の法則に縛られてるうちはまだまだ甘い。
何が云いたいかというと、
どんな馬鹿やボンクラが上に立っても揺るがないシステム=江戸幕府が最強。 神宗時代の明もべつに揺らいでなかったから明最強
三征がなかったら明は続いてた 江戸幕府の将軍はボンクラじゃないだろ
九代目の家重のときは「こんなボンクラを将軍にしていいのか」とモメたが、
息子の家治が英明なので「まあいいか。次に期待しよう」ということになった 東漢の献帝などは名君とは言えなくとも決して暗君ではない 現代日本の天皇だって、大量の事務と接待に忙殺されている
誰にでも務まる仕事ではない
男か女かなんてことより、能力で決めるべき そういえば実力主義で継がれた遊牧民王朝の王位/帝位も、王の息子たちを全部排して、息子たちのいとこやはとこに渡ったことってあるのかな
一応息子たちの間から一番ましなのを次の王/皇帝に選ぶというのは優先されてるのかな >>132
事務に忙殺されるのは下々に任せられない暗君な 日常事務に忙殺されて命を縮めたのは、
蜀漢の諸葛孔明(君主ではないけど)、
後周の世宗、清の雍正帝 清の雍正帝は全国から来る陳情の処理に追われ、「過労で倒れた唯一の皇帝」と言われる
スペイン全盛期のフェリペ2世も「書類王」と呼ばれた 遊牧民同士が争って勝ち残った隋は高句麗に大敗して終わったな >>135 >>136
後周世宗(柴栄)も過労皇帝の先例だな
脳溢血で倒れたけど、その根底には過労があったんじゃないの? 漢と明は天才呂雉と洪武帝が締め付けたから長く続いた
清は皇帝が有能揃いで続いた
始皇帝も呂雉ぐらい政敵だけを締め付ける技量があればね国家を維持するに当たって民衆を敵に回す理由は一つもないんだよ >>135
https://okjiten.jp/sp/kanji827.html#:~:text=%E2%80%BB%E3%80%8C%E7%8D%A8%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%8B%AC,%E3%82%8F%E3%82%8C%20%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E5%AD%97)%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
犭蜀 漢 だろwwww
あのさ…じぶん達の文字ちゃうの?
漢から獨立した地域 >>130
家重は言語障害を持つ身障者だが、ぼんくらだったかどうか
大河ドラマでの中村梅雀の名演を想い出す >>126
実力主義っぽいけど王族以外が王になるのはなぜか認めない 遊牧民は血統へのコダワリも強い
ジンギスカンの子孫でなければ、大ハーンにはなれない! 秦と晋は内乱や反乱で崩壊したが(晋は江南で続くが統一はなくなった)
漢はすぐに呉楚七国の乱を打ち破ったり
英布らの乱も打った
すぐに反乱をつぶした漢と晋秦は
なにがちがったのか >>72,73
漢
ローマ
イスラエル
ポーランド ベトナムも何度か中国の王朝に征服されて
そのたびに復興してる >>151
宋が滅亡し明が復活 明が滅亡し中華民国が復活した というようなものだな 八王の乱はなんで敵対者を滅ぼして第一人者となった人物がまた次々乱で死んだりしてるの?
反乱がおこるのは中国の王朝初期ではよくあることだけど
長引いたのはなんでだろう
各地で頻発した反乱に負けて滅亡した秦のほうがまだわかりやすい >>151,153
ロシア帝国が滅びてソ連が復活
ソ連が滅びてロシア連邦が復活 >>151
> ベトナムも何度か中国の王朝に征服されて
> そのたびに復興してる
ベトナムが中国の王朝に征服されたのは、明の永楽帝のときだけ
それ以外は負けたことがない 漢の時代に馬援に反乱を鎮圧されたり
呉に反乱おこしたりしてるだろ >>157
> 漢の時代
そこまで行くと、まだベトナムという国ができる前の話になる
それだと、逆に独立できてた試しはない 秦が滅んだのは、始皇帝の大土木工事で不満が高まっていたことに加えて遺勅が偽造され、
ボンクラが2代目になったから
晋が滅んだのは初代皇帝が気を抜いて女色にふけり、2代目はボンクラ、
そのボンクラの皇后がとんでもないブスの策略家だったから
隋が滅んだのは、2代目が大土木工事で民衆を苦しめたから
でも漢は秦の残した法整備と戸籍を生かして繁栄し
唐は隋が残した大運河で繁栄した でも朱熹は南宋の人間だし
北宋はむしろ王安石の学問が流行ってたけど
王朝成立後はどこも大体反乱や内乱がおこるが
それを即座に鎮圧できるかどうかにかかってる
内乱反乱をすぐに鎮圧できなかった晋や乱に負けた秦はほろんだ 「秦漢帝国」「隋唐帝国」という枠組で考えるほうが良いだろう 秦が倒れたのはどう考えても秦の正規軍を倒した項羽の武勇のおかげだろうね
劉邦も項羽を直接倒す事はできなかったから策を弄して周り使って間接的に倒したようなもん 史記では超高と李斯が始皇帝の遺言を偽造したとこになってるけど、
司馬遷はどうしてそれを知ってるんだろう。
超高が「始皇帝の遺言を偽造したぜ」なんて書き残すわけないよね? >>169
> 朱元璋が偉大過ぎた
朱元璋の南京帝国も、秦や隋と同じく2代目で滅んだ
永楽帝以後の北京帝国は、同じ朱氏というだけで実質的に別の国 朱元璋は漢人たけれども高麗人だったという説もある.
永楽帝は実父が蒙古人て実母が高麗人. 漢も、初期に呉楚七国の乱が起きている。たまたま乗り切ったからいいようなものの、あれで滅んでもおかしくなかった
唐も、2代目が死んだ後は武氏に王朝を乗っ取られた。たまたま戻ってきただけ
結果を見ると、なんだか長期王朝になるのが歴史の必然だったように思えるが、そんなことはなく偶然の産物 北宋にしたところで、それまで北朝の短期政権が5回も潰れている
試行回数6回目でやっと長期化した 五代の後唐は荘宗時代と明宗時代は別の王朝と考えるべき。
血も繋がってないし。 近代のイギリスとフランスもそうだ
17世紀、イギリスとフランスの国王は海の向こう側とこちら側で同時に国内の大反乱に直面した
結果的に、イギリス国王チャールズ1世は敗れて処刑された
一方、反乱軍を打倒したフランス国王ルイ14世は国内に敵なしの盤石な体制となり、絶対王政を築いた
これだって、結果を見れば歴史の必然に見えてくるのだが、はたしてどうだったか 明の燕王が起こした反乱も、結果を見れば強大な軍事力を持つ叔父が、気の毒な甥を殺して皇帝の座を奪い取ったとしか見えないのだが
だが、当時の燕王は地方勢力にすぎず、南京帝国の朝廷は強大な国力を誇っていた
中国の歴史で、地方の反乱などいつものことだが、たいてい最後は中央に鎮圧される。明の燕王のは、まさに奇跡の逆転勝利だった 戦の天才が偶にまぎれて居て歴史を変える
体制側に居れば体制維持になり
反体制側に居れば革命になる >>177
だが、建文帝の遺体は見つかっていない
・・・幸田露伴の「運命」は読むのがしんどい
短いにもかかわらず1/3ほどまでで読むのをやめた >>134
馬鹿にわかりやすく言うと、アイドルが握手会を数多くこなさなければならないとして、それを他人に任せられないから無能と言ってるようなものだな 豊臣も長くは続かなかったがのちの徳川は長く続いたみたいなもんだろう
秦が付き楚がこねし天下餅座りしままに食うは漢
宋も長く続いたとはいえ
北方民族に対して弱かったとよく言われる
個人的には防御では決定的な所では守り切っているからそうでもないとも思うが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています