中国の長い戦乱を制した秦晋随はなぜすぐ滅んだのか
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中国で長く続いた戦乱
春秋戦国時代を収めた秦
三国時代を収めた晋(東晋として続くが統一王朝ではなくなった)
五胡十六国南北朝時代を収めた随はなぜすぐ滅び
五代十国を制覇した宋は長続きしたのか 東晋に比べて
南宋はほろんだという感じも粉々になったという感じもあまりしないのはなんでだろ
東晋にくらべて破滅的な王朝になったというか
ほろんだという感覚があまりない
どっちも北半分領土失って江南いきなのに 東晋は最初蜀も失ってる
西晋の崩壊は漢末期の戦乱による漢民族の減少と異民族の流入の問題点が一気に爆発した感じ 宋=北半分をとられたが存続
晋=粉々になったが江南で再建
こういう感じ >>184,187
宋はむしろ当時既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄した。 >>183
宋は専守防衛ならかなり強かったが悲しいかな機動力が無いので攻勢に出るとボロ負け >>185
> 東晋に比べて
> 南宋はほろんだという感じも粉々になったという感じもあまりしないのはなんでだろ
金朝に存在感が乏しいからなのでは? >>188
>既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄
それは東晋も同じ 戦乱が長くなるとそれが常態となる
平和が異様な状態になる
戦乱でも社会は動いてるので平和になったら平和用の社会に作り替えないといけない
それが結構難しいんだろうな 徳川幕府が安定したのも短い織豊政権があったからやろ 趙高が秦王朝を滅亡させた
始皇帝が粛清すべき時に恩赦してしまった
この先例のため「重臣粛清はしっかりせねば!」
となり犠牲者が多数出ることに・・・😨 漢は呉楚七国の乱を鎮圧した
晋は八王の乱で勝ったものが即座にはい落されるというサバイバルに陥った。これだけなら
他の王朝でも起こっていた武力闘争にすぎなかったが
晋の時代は人口比において異民族もかなり国内にいたから話がややこしくなった
司馬炎は軍縮も行っていたので実は失業者とかも結構多かったのではないか 秦の万里の長城建設や
隋の大運河建設は戦乱終結によって戦場での仕事がなくなった人の失業対策もあったのでは? 日本と違って、内地を統一しても異民族との戦いは続いてるからねえ 秦、晋、隋と違い内乱をそくざに沈めた漢や唐(明はまあ反乱者も皇帝の息子だし)
の違い
長年の戦乱を制覇した国は内乱を鎮める力は使い果たしてしまう 秦が崩壊したら、魏・斉・楚などの旧六国がたちまち復活した
隋が崩壊したときも、たちまち南朝が復活し、北朝が東西分裂するという、統一以前の構図に戻ってしまったよ 結局のところ、ソ連の政府はクレムリン
明治新政府も、皇居は江戸城
中共政府も、紫禁城の隣の中南海 ヨーロッパを見るとなんで中華の様な統一帝国が生まれなかったのか不思議だし、
逆に中華を見るとなんでヨーロッパの様に群雄割拠が維持が出来なかったのか不思議 最大の原因は地形でしょうな
ヨーロッパは、バラバラになるように出来ている
イギリスは島国、イタリアとスペインは半島で、
しかも大陸とは険しい山脈で区切られている
フランスからドイツ~ロシアまで陸続きだが、
ドイツから先は森林と無数の湖沼に覆われた
非常に統一しにくい地形 それに比べて、華北平原は極めて平坦で広大
古代には森林に覆われ、軍隊は歩兵中心で
機動力がイマイチだったが
森林破壊が進んで、モンゴル騎馬軍団が登場してからは
こんなに統一しやすい国はないくらいになった 長期的には、気候と地形でだいたい決まる
一時的には、超人的な英雄が出てきて大統一したり
逆に壊し屋が出てきて大分裂させたりするかもしれんが
長期的には、気候と地形からして自然な形に帰結していく 戦乱を長引かせず自分たちで終わらせた
劉邦、李淵李世民、朱元璋は偉大だった 秦は統一後次代で陳勝呉広の乱があった
晋は八王の乱があった
隋は高句麗大敗後内乱があってそれを鎮圧できなかった
周は殷残党の乱をつぶし
漢は呉楚七国の乱を急速につぶし
清は三班の乱をつぶした
長年続く王朝は乱は起きるがそれを早めにつぶすことができる 17世紀の西欧では、イギリスとフランスで国王に対する大反乱が起きた
イギリスでは、国王が処刑されて市民革命
フランスでは、国王が勝利して有力貴族が打倒された結果、史上空前の絶対王政
サッカーと同じで、たまたま勝つか負けるかで結果は天と地の違いになる >>209
王朝初期の内乱は定期イベントだからなw
日本でも王政復古のあと士族反乱があった
もし鎮圧失敗したらカオス状態だったろうな そういえば建武の新政も
すぐ北条の乱があったりして結局南北朝の乱になったな 魏晋の時代に移住した異民族の地位や差別被差別感情の有無はどうだったのか気になる 晋→宋→斉は宗族の力が強い
だから一族同士の乱でほろんでしまう >>215
講談社から出てる中国の歴史5巻
『中華の崩壊と拡大――魏晋南北朝』
がそんなん扱ってた気がする ネイティブ・アメリカンと同じで
ネイティブ中華民も細々と生き延びていた 北魏から始まった、新・中国人の歴史
彼らは、先住民が遺した古代文明から漢文・漢詩を学んで消化吸収し、自分たちの文化としていった 北魏と大和朝廷
秦漢帝国を築いた黄河文明が滅びて数百年の後
東アジア全土を巻き込む民族大移動を経て、中国と日本という新たな文明の形が、ほぼ同じ時期に固まった >>224
黄河流域の中原といわれる地域の先住民は華夏族だろ。 秦の場合、胡亥じゃなくて始皇帝の指定通りに扶蘇が二世皇帝になっていたら領土は減ったとしても実際よりは長く続きそう。 >>226
群れなす愚臣どもが総入替になるわけでもなし、
馬鹿の代わりに牛熊とか云う成語が残るだけで末路は同じなんじゃねえか。
ちなみに馬鹿という熟語は趙高と胡亥の故事由縁なの? >>228
浅学にして他に由来を知らない。
「莫迦」と書くなら佛道の言葉。
どうやら「莫迦」のほうが原語で
趙高の故事にちなむ「馬鹿」は「莫迦」をネタにした言葉遊びのようやな 今の中華が五胡十六国みたいな平和な社会になる事を切に願う 何百年もダラダラと続いた分裂時代
ノンビリとした時代だった 逆に秦・漢・隋・唐・明・清とか統一している時期が異質なんだと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています