古代インド文明はオリエント文明の派生文明なのか?
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インダス文明は独自として、その後のアーリア人の文明はやはりオリエント文明から派生したもの? オリエント文明の派生とまでは言えないだろ
でも、数百年に及ぶイスラム勢力の支配とくにムガール帝国期を経て、ペルシャ文化の影響を強く受けて別の文化に変わった ムガール帝国期にインドがペルシャから受けた文化的な影響は、奈良時代に日本が唐から受けた影響にもヒケをとらない
それ以前と以後では、別の文明になった インド系宗教(ヒンドゥー、ジャイナ、仏教)は
どうみてもオリエント一神教の浸食に耐えた例でしょ。 インド系文字も、源流はほとんどすべて
南アラビア文字一点から分岐したものだしなあ。 イスラム王朝がインド女性のトップレスを禁じた罪は重いぞ…
まあそれでもムンダー等の先住民はお目こぼしを受けて
20世紀後半まで乳出し文化を貫いたが…
わりとヒンドゥー教徒以外には不干渉主義だったのか? インド人の生成
①約5万年ぐらい前に狩猟採集民のオーストラロイドが移住
②約9,000年前にイラン高原から初期農耕民が移住
③①と②が約3対1で混血して原ドラビダ人を形成
④約3,500~4,000年前にR1a+初期農耕民(=原アーリア人)が移住
⑤③と④が後半に混血してインド人を形成
⑥上記⑤にモンゴロイドが古代より移住して東北部中心に混血
現在の分子人類学だとこんなふうに説明されている 3が不思議 イラン高原の農耕民の方が人口が多そうだけど
でも実際ドラビダ系にはこてこてのオーストラロイドもみられる
先住民オーストラロイドも独自にインドで野生の穀物を栽培化して、農耕文化で既に大きな人口を抱えてたのかな あるいはイラン高原から来た農耕民も黒い肌だったのか
ヨーロッパ先住民は長く黒い肌だったそうだし、白人に至る系統でも黒い肌がいてもおかしくない >>1
メルッハとウンム・アン=ナール文化や東イランを通じた交易のことをいってるなら
その通り >>10
イラン高原にペルシャ人が移住したのは3,000年ほど前
つまり9,000年前にインド亜大陸に侵入した初期農耕民は
ペルシャ系抜きの集団(クルド人も抜き)
今のイラン人よりは浅黒い皮膚なのは間違いないが
それ以上のことは現時点ではわからない
情報が出たら書き込みます インドは常に最大の人口抱えてたしそれはないんじゃね
古代インドの文献とか分析されればされるほど異質さが出てるし 分子人類学の大家デビッド・ライクも
インド人学者と議論した時は撤退しようかと思ったとか
今は中国が悪者扱いされているが
インドが世界的大国になった時の方がコワイよ 中国は世界中の動物性たんぱく質を食いつくす勢いだけど、インドが超大国になったら逆にビーガンを世界中に押しつけとか?
シン・生類憐みの令 欧米人がインドに行くと、インド人の理屈っぽさと論争好きにウンザリする。「悪いのは俺じゃない、お前だ」の自己主張がとにかく凄まじい
日本人から見ると、欧米人がそういう人たちに見えるんだが。世界は広い。上には上がいる >>13
ヴェーダはヤバイ
旧約聖書以上にヤバイこと連発してる
いかにユダヤがこの世を嘘で支配したいかバレてまう >>17
人にぶつかっといてNo problemのひとたちだからな
欧米人ならexcuse me
インド以外のアジア人 sorry 中国憎しでインドにあまり肩入れすると
ソ連憎しで中国に肩入れしすぎた20世紀終盤の二の舞だぞ >>20
Never mindだ
ってかお前が気にしろw インダス文明人のゲノムは
イラン系 45~82%
オーストラロイド系 11~50%
最近の篠田謙一氏「人類の起源」によればイラン高原系が優勢
イラン高原系にある程度オーストラロイドが混じる構成かな >>23
言語系統がどんなだったか興味あるな。
まずはインダス文字を解読しないことには解明できまいが。
一応「SOV語順の膠着語の可能性が高い」って推測まではたどり着いたようだが。 まあインドで発見されたゼロの概念をイスラム世界は素直に受け入れたことが
不思議でならん。
ちなみにそのゼロの概念はイスラム世界から西欧世界に伝播するときに、
なんかイカサマみたいな感覚だなと西欧世界からある種の拒絶反応があったのだからな。 >>24
イラン高原の言語だとすれば・・・
アーリア系侵入以前の言語がどのようなものだったのかな
メソポタミアまでくるとシュメール人とかあるけどね >>21
大国意識が強く
大国インドの大国民という意識も強いから
自己正当化。インド正当化も強い >>25
イスラム世界「お前が云うか?」
ゼロの概念も地球が丸くて宙に浮いてることもヒトの祖先が猿であることも、
拒絶反応も無く論争さえも無しにスルッと受け入れた極東弧状列島の住人の方がよっぽど不思議じゃないか? >>28
いや、「地球は丸い」ことについては、江戸時代に林羅山が異論を唱えて論争になった
朝鮮人の影響を受けて朱子学に染まった奴だが それ以前は織田信長も豊臣秀吉も、西洋伝来の地球儀を見て直ちに世界の実相を理解した
伊達政宗は、「江戸や大坂より仙台のほうが北米に近いじゃないか」と言って、北米航路での貿易に乗り出した
そんな日本人がなぜか大幅に退歩したのが江戸時代 話をインドに戻すと、インドとイランは本当に近いぞ
地球儀で見ると、どれほど近いかよく分かる まあ阿弥陀様も中東あたりの神様だったと言うしな。
ユダヤ・キリスト・イスラムの一神教的救済教が阿弥陀様を通じて仏教に
入り込んだと言われているしな。 仏教「元々の(?)多神教的構造に一神教から無神論までお客様の幅広いニーズにお応えしております。」 インドといっても広いからな
中国やインドは、「ヨーロッパ」や「中東」などと比較すべき文明圏
日本やドイツやフランスのような、普通の国のようなまとまった存在として扱うべきでない ガンジス川の下流は、世界で一番よく雨が降る
インドの西のほうは乾燥気候だ
文化がまったく異なる アレクサンダー軍もインド入ってびっくりだろう
森には虎がいるし草原には毒蛇がウヨウヨ
川は定期的に大洪水ときている
兵士たちも風土に嫌気がさしたのは想像に難くない >>34
獨逸や佛蘭西のことはいざ知らず、
「日本」も相当無理矢理な括りだぞ。
緯度×経度の馬鹿馬鹿しいまでの拡がり、
異常なほど変化に富んだ地形と気候、
寒暖様々な海流の影響をモロに受ける長大な海岸線、
…、
元々多様な生活文化や価値観を持って分立していた諸地域を緩やかぁ~に統合した共同幻想が「日本」だった。
それを世界史上屈指の中央集権システム=薩長藩閥政権が無理矢理一体であるかの如くでっち上げただけだ。 日本の地方の生活習慣の違いや多様性など
表面的なわずかな違いに過ぎない アレクサンダーのおかげで
ギリシャ人の子孫を名乗る集団が現存するのはご愛嬌 インドとイランは、距離的にはすごく近い
だが、その間には世界の屋根・ヒンドゥークシュ山脈を越えてカイバル峠を通り、洪水が多く無数の支流をもつインダス川を渡らなければからない。さらに、その先には広大なタール砂漠が広がっている
だから、文明としては別世界になった インドがイランと文化的に似てきたのは、ムガール帝国の時代
ムガール帝国期を通じて、インドは音楽・美術・料理と、文化全般にイランの影響を強く受けた
いまは本当によく似ている カイバー峠越えるの大変だと思うけど
数千年の昔から集団で越えてるんだよなあ モヘンジョダロ衰退
アラビア海に流れ込んだインダス川の堆積物の分析により、激しいモンスーンが起こったために人々は山へ逃れていった説登場 モヘンジョダロはエラム(円柱のイラム)
セムの子エラムはインドへ旅立ったとヨセフスが書いてる
アラビア南端とさほど距離も離れてない ドラヴィダ人の組成にアーリア化以前のイラン高原住民が深く関わっているようだ
インド亜大陸に農業を持ち込んだのも彼ら >>37
逆だな
沖縄や北海道を組み込んだので近代以降の方が多様化した >>47
アーリア人じゃないだろうな
ヨセフスはエラム人がインド行ったと言ってるし
モヘンジョダロはセム人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています