世界史なんでも質問スレッド162
年々収穫量が上がるってどこの常識?ボケたおばあちゃんにでも教わったん? Wikipedia読んでもよくわからないので質問です
Netflixで世界的に人気のアレキサンダー大王のドラマを見たのですが、なんでペルシャ帝国に勝てたのか全くわかりません
ハンニバルとかカエサルは「ああ、こういう戦略戦術で勝てたのか」と素人でもわかる、わかりやすさがあります
アレキサンダー大王の勝因、「戦ったら勝てた」ばかりで意味がわかりません
なんで勝てたんですか? >>593
戦争ってものは、負けるに理由は有るけれど、勝つには理由って無い物なんですよ。 >>594
じゃなんでペルシャが負けたんや?
言うてみ? 兵隊が寄せ集めで、指揮系統がバラバラ。
連携ができないところを各個撃破された。
イオニア人の部隊が内通して寝返った。 インド制作の、アレキサンダーに侵攻される国目線のドラマ面白かったな
考証はめちゃくちゃだったが、アレキサンダー側のヤバさと怖さは伝わった インド制作の、にほんぐんにに侵攻される国目線のドラマ面白かったな
考証はめちゃくちゃだったが、大量の自転車で攻めてくる日本軍側のヤバさと怖さは伝わった >>598
いい子にしていないとヤヴァニーに連れ去られるよ
日本で言うと鬼みたいな漢字の言われよう。
ヤヴァニ―は、インド語で、ギリシャ人のこと。語源はイオニア。 「大学前」か「競馬場前」かのモノレールの駅名の争い? 牛久大仏何ためにつくられたか
どうやって作ったか 不明だと書いたら
「作ってもいないヤツら」が そんなことも知らないのと書き出す
5ちゃんねる 災害で倒れたら 引き金になったら どうなるんだ これをオマエラに聞いてると思えるのか このスレの存在価値は 検索で出てこないもの その情報 個人ごとの考え とにかくその大きさにビックリ!さらに、大仏の胎内に入ってまた ...
建設は、中央に大仏全体の重量を支える鉄骨の主架構を組み上げ、それにあらかじめ地上で作っておいたブロックを組み合わせていく、というカーテンウォール工法で行われました。 つまり、牛久大仏は高層ビルなどと同じ建築工法で造られているのです。
まるで説得力がない
牛久大仏はビルではない そもそも高層ビルの建て方すら不明だ
巨大ビルはこうやって建てるのだと小学生にも納得いくように書けるヤツなどいない
小学生が当然に疑問に思うもの
その説明を 親 先公がしているシーン 今までみたことがない
子供はあきれてどこかに行ってしまう
こいつ馬鹿だと この親相手にしてもムダだとな ひきこもってないで外出てこい
2,3発 あいさつ代わりに殴ってやる それくらいいだろう
外出てきて名乗れ 5ちゃんねるですと そのへんのユーザーに名乗れ
ずっと調子のってきたんだ
結果どうなるか現実知りたいだろ 世界史も大仏の話もオマエラにしていない
オマエラは外出てこい 見えるところに出てこい 以前のようにだ ゲームマンガアニメだけじゃなく歴史、学校教育すら粉々にした 5ちゃんねるですと 名乗ってみろ 根拠の無い知ったかがかつか
根拠のある知らないがかつか
やってみろ 名乗ってみろ そとにでろ 見えるところにでろ >>619
オレはオマエラに冗談は書かんぞ
かまってちゃんではない オマエラのことだかまってちゃん 構ってやるから顔出せ 基地外 オマエみたいなゴミが居なければどれだけ良かったことか>>619 てめーがかまっちゃんじゃなければ この時間 今 レスしない こんな時間にココに 書くやつは かまってちゃんのガゾーン オマエだけだ オレじゃねえぞガゾーンは オマエだ
誰がなんといおうと オマエ 何億回書いてもオマエ 見つけたら追いかけて殴ってやる それだけだ 出てこい >>613
お前が知らないだけだろ。
建築業界の人は知っているから建てられているのにそれを否定するのは失礼だぞ >>636
知らないどころかカーテンウォール工法と答えてもらって、それを自分でググってみたのに理解できないだけ
理解できないものは間違ってるといつものごとく発狂してるだけ
単なるバカ自慢の自己紹介 ブルスク(自称)お前マジで
いい加減にしろよ。ぶん殴りたいのは
こっちのセリフだ
何で検索から全部他人任せにして
指摘した人にキレてるんだ?
牛久大仏は近代の高層ビルの
建築技術で作られている
製作された年号もその技術である
「カーテンウォール工法」も
検索一発で出てくるんだがな
次はカーテンウォール工法を検索→
TVとか見てれば分かるが
「タイムラプス動画」等で高層ビルが
どうやって建てられていくか
分かる→動画があるか検索する
少なくともここまでは「自分1人」で
ネット環境があれば出来る事
ソレぐらいは自分でやれや
何か間違った事書いてるか?ん?
「ピラミッド」の建築方法が分からない
等はどうしようもない事だけどな
色々な説があって現在でも正確には
分かってないはず。こういった質問も
ココの中の方でもムリだから
無茶振りするなよ 第一次大戦後に独立したラトビア、エストニア
だが帝政時代、同地に拠点を置いてたバルト
ドイツ系の貴族や彼らの土地は新国家のもと
でどう扱われた? エストニア
1918年の布告で分散・売却が禁止
1919年の土地改良法で一部の土地を除き接収・企業保有・教会保有は国有化
接収した234万ヘクタールのうち120万を借地農・独立の兵士に無償で与えられた(平均16.4ヘクタール)
国際的な批判・圧力もあり1926年少額の補償金(接収された動産分)と最大50ヘクタールが本人ないし相続人に補償された(4%弱)
殆んどは小規模なので穀物より酪農に転換し
州の協同組合システムでなりたっていた
森林の多くは国(州)の所有に残った
1918年
荘園1149カ所平均2113ヘクタール(エストニア系は57)
小規模農場5万1640カ所平均34ヘクタール