rolleiflexとrolleicordと仲間たち
二眼rollei関連のスレが無くなってしまったので建ててみました。
情報交換にご利用下さい。
flexとcordの垣根は当スレでは無しでお願いします。
ただ35は別スレがあるので,そちらを利用願います。
だれか関連スレまとめとかFAQ続けていただけると助かります。 >>404
ローライフレックスの子眼レフって何ですか?
"目を下の方にずらす"など、ここのくだりが初心者なので良く分からない 、、、、、1932年にカールツアイスから登場した。35ミリ2眼レフがこのカメラである。同じ年にレンジファインダーのコンタックスに形が登場した。この2つのカメラはそのスタイルも異なるのは当然ながら撮影感覚というか、カメラの身体に対する印象がかなり違うというのが面白い。
1932年にカールツアイスから登場した。35ミリ2眼レフがこのカメラである。同じ年にレンジファインダーのコンタックス2型が登場した。この2つのカメラはそのスタイルも異なるのは、当然ながら撮影感覚というか、カメラの身体に対する印象がかなり違うというのが面白い。
2眼レフの今田フレックスは同様に世界で最初に電気露出計を内蔵したカメラである。ちょっと遅れてレンジファインダのコンタックスさん方が出たが、こちらが2番目と言うわけだ。
ちょうど21世紀になった頃に、私はこのカメラでやたら写真を撮影していた。ヨーロッパに行くのに、こんな重いカメラを二台も持っていったりした。2眼レフカメラは、撮影するときの写真の距離感がレンジファインダに比べるとよくわかるというのが、当時の2眼レフに対するプラスのポイントだった。
しかし、35ミリの2眼レフは24 × 36ミリの画面だから、横画面で撮影している時は良いけれども、縦画面になると事実上使うことができない。それを回避するために、今田フレックスでは、大きなブライトフレームのダイレクトファインダーが付いている。これでレンジファインダ色のコンタックスと同じように使えると言う論理なのであるが、理論と実践はかなり違うと言うことをこのカメラで教えられた。 写真に示す撮影の仕方は、今田フレックスの1番スタンダードなやり方であって、これは池袋をウロウロしているときに、ホテルのエントランスにあったエックスのモチーフが鏡になっているので、それでセルフポートレートを撮影したのだ。
でも、実際に今田フレックスを手にして撮影するときの私のやり方と言うのは、ダイレクトファインダーで構図を決めるか、あるいはいつものようにノーファインダーで撮影するかと言うことだ。
結局のところ、レンジファインダーのコンタックスであろうが、2眼レフの今田フレックスであろうが、カメラの形は違うけれども、私の撮影スタイルが同じになってしまうので、特別このカメラを使うと言うだけのメリットはないと言うことになってしまう。
昭和10年頃の日本でのこのカメラの値段は2000円であったと言う。それで歌舞伎座の有名な俳優さんが買うとか言う背景があって、殿様カメラと呼ばれていた。 うちにもデジタルでないライカがあるが、古民具として飾ってある
もはや調度品だな
ちなみにRolleiflexも飾り物になっている 飾り物でもいいから月に一回は空シャッター切って、動くところは
すべて動かして埃を綺麗にすると、手の体温で温まって良い状態
がキープできる。そして愛着も深まる。将来売るときの価格も維持。
良いことだらけ。(´・ω・`) 今さらながらSL66SEを買おうかどうか考えているんだけど、露出系の精度ってどんなもんなんでしょう?
あとアオリは大判ほどではないにしても垂直出しレベルなら結構使える感じですかね? 因みに露出計の精度は悪くないと思うけど、壊れたらもう修理不能らしい。 >>421
> 因みに露出計の精度は悪くないと思うけど、壊れたらもう修理不能らしい。
あー、やっぱりあの部分はもう部品とかもないんでしょうねー 今時 Rollei SL66 に特攻するなンざ、あンたも相当拘りの人生を歩ンで来たようだね。 8度しかティルトしないから大判ほど使い勝手はよくないけどね...てか俺も同じようなモンか...
少年の頃なら45度ぐらい余裕でティルトできたのだが... 新しいローライフレックスが4/23に発表?されるそうですね・・・
残念ながら「D」TLRということなのでデジタル確定のようですが 今のところ7:3ぐらいでフェイク濃厚って感じですかねぇ...
ただ、ローライって確かもうローライフレックスの名称は使えなかったような?
中国ではHy6が今でも人気らしいので深センとかの新興企業がローライフレックス名称の使用権を正規に取得して
自分たちで作った中判デジを出そうとしてる可能性もゼロではないかと 中国が買収したのか。ハッセルもDJIが買収した時はどうかと思ったけどドローンとレンズの作り込みは良かったし、中国もちゃんと作れば良い物が作れるんだよなぁ。 ハッセルのレンズは日本製ですね
確か日東だったかと 例のアカウントは凍結されているのでやはりフェイクだったみたい >>435
なんかそんなようなことも聞いた事があったような気がする 某フリマサイトに6008AFが出てるな・・・
インテグラルはそこそこ見かけるけど、AFはちょっと珍しいかも 6008AFのオク出品者に余計なお世話承知でアドバイス
もっと商品写真追加して1円スタートにしないと買い手つかないと思うよ 商品「Rolleiflex 6008AF Planar HFT 80mm F2.8 etc」が、開始価格を値下げして再出品されました。
前回の出品時より30,000 円値下げされています! rolleiflex 6000シリーズって、90年代の電子制御カメラで電装系が壊れやすい上に現在では部品調達も難しいらしくてどこも修理できないのがキツイよね。
過去に仕事用で6008を2台持ってたことがあるけど、2台とも故障して修理出来なくて高価なレンズだけが手元に残ったという悲しい思い出しかない。
rolleiで一眼レフ買うならSL66の方が良いね。
そしてつまるところツアイスレンズを使いたいなら、ハッセルブラッドが無難だし修理する店も多いので故障しても相見積もりをとって修理店を選べるから良い。 ユーエヌ、ローライBay1用のシリコーン製レンズキャップ
株式会社ユーエヌは、「UNX-8656 ローライニ眼レンズキャップ Bay-Iタイプ」を4月28日に発売した。価格はオープン。店頭予想価格は税込2,200円前後。
ローライ二眼レフのBay1規格に合わせて設計されたシリコーン製のレンズキャップ。塗装処理を施してホコリの付着を軽減し、レンズ部を優しく保護するという。
取り付け可能機種は、テッサー75mm F3.5もしくはクセナー75mm F3.5付きのローライコード、フレックス各種のほか、ローライフレックスT、ミノルタオートコードなどのBay1タイプとしている。
外形寸法は6.8×44.5×86.5mm。質量は13g。 岡嶋和幸の「あとで買う」 734点目:ローライのカメラをモチーフにしたTシャツ - デジカメ Watch ガラクタやにだいめさんから受け取った世田谷のカメラ研究会より、託されたのがこのレアなアクセサリー。半世紀以上、我々カメラ付きのビッグジョークになっていたが、現物を見たのは今回が初めてである。
ローライの付属品に比べて35ミリフィルムを2眼レフカメラに使うわけであるが、レベルが落ちているのが開発途上国だった。その当時の日本が感じられてよろしいね。
特にいい感じなのは、パーフォレーションをレジスターする音を聞いて、フイルムの巻き上げをチェックすること。すなわちパーフォレーションの音が八開分カチカチになれば、フルサイズの24 × 36ミリが巻き上げられる。
最大の発見はこのアクセサリの当時の低下がわかったことだ。すなわち490円であるスペアパーツの値段もわかって、こういうのはオリジナルの文献が最高だね。 もともとは広告写真関係に携わっていた自分としてはときにかなり不思議な広告を見て首をかしげることがある。これはスイス製の高級時計とドイツ製の値段レフカメラのコラボレーションと言うのはではないが、2つのアイテムが同時の画面に入っている。
それでその説明によれば出出生時計の精度と歴史は後のローライフレックスカンパニーに負けないほどの伝統があると言うのである。全く逆であってこの彗星の時計の方がローライの会社よりもはるかに古い。
それに奇妙なのはローライフレックスカンパニーと言うのは存在しなくてこの会社の名称はフランケンうんとはいでっけである。そういうかなりいい加減なコピーでよく広告の企画が通ったものだと思う。
私などはウォッチは全くの勉強不足であるから50年ほど前にシンガポールで手に入れたロレックスGMTが1番いいと思っていたレベルだった。それがある時広告の仕事でディレクターとドイツのミュンヘンに行った時彼がつけていた時みんな普通のドレスウォッチがバテろんコンスタンティンであると言うことを初めて知ったのだ。
そのディレクターはその時計の店で同じブランドでピンクゴールドのウォッチを購入するのでその店はカードが使えなかったから私が現金を用立てしたことがあった。これが私の罰論コンスタンティンとの最初の出会いだった。
それからしばらく経ってスイスのジュネーブのサロンに取材に行ってその会社のプレスコンファレンスに立ち会ってびっくりしたことがある。その会社は新製品として3種類のウォッチを発表した。その価格帯が面白くて500,000円と5,000,000円と50,000,000円の時計なのである。 タイピングミスが目立ちます。
練習して完璧になるまで書き込みは控えましょう。 それぞれの販売する階級闘争が初めからピンポイント攻撃になっているわけだ。非常に面白いと思ったのが私の参加したプレス今フランスは日本語行マーケットなのである。その他に中国向けマーケットさらにロシア向きマーケットの新製品は別にあってそれぞれの言葉でプレスコンファレンスが行われる。
ドイツのカメラの見本市であるフォトキナなどではそういう事は無いので非常に面白いと思った。それで参加者にお土産として配られたの方が京都一保堂のお茶なのだ。プレスの担当者が言うにはこの日本のお茶のメーカーは我々の会社よりさらに数十年古い歴史を持っていますと言うのである。その理由は500,000円のプライスで登場する1番安物の時計は日本の漆の加工がされているという背景を説明したのだ。
そういうスマートなプレゼンテーションもあるのにウォッチト古いローライフレックスを同時に画面に出すと言うのは広告のメソッドとしてはかなり危ないことになっていると思う。 芥川龍之介が言っているが、動物や子供をテーマにした小説家は悪人なのではないか?というのが私の50年来の心に引っかかっている短いフレーズなのである。
芥川が言ったその背景は不明であるが、クリエーターが何かに執着するときに、動物や子供は制作物の受け手である大衆に簡単にわかりやすいテーマを与えるから、それを批判しているのだと思う。
田沼先生とは、アサヒカメラの対談などでよくお目にかかることがあったが、ここら辺の話はもちろん対談のテーマにはならない。ライカがいかに素晴らしいかと言う話だった。
つまり、本当の笑顔が撮れると言うのは、世界中を回って、子供の笑顔を撮影すると言うことよりも、自分の子供の笑顔を取ることの方がレベルとしては比較にならないと言う意味だ。
今回、小池三郎さんの撮影した笑顔と言う写真集が登場する。この画像にしてもそうだが、今の時代にこういう笑顔を持った子供と言うのは皆無である。
この素晴らしい写真をプリントした小池さんの話によると、父上は蒲田あたりの783で4 × 4センチの2眼レフを手に入れて、それで子供たちを撮影開始したと言う。
これはなかなか優れた撮影テクニックであると思う。ウェストレベルファインダーでローアングルで撮影ができるから、子供の目線と対等のカメラアングルが選べる。ライカで撮影すると、どうしても偉そうな大人目線になってしまうからね。
私はペーパーに印刷した文字の本はもう出さない。オンラインに意味があるからだ。一方でペーパーに印刷した写真集は非常に有効な3次元の立体物だからすばらしいと思う。
その意味で、今回ペーパーに印刷された小さな写真集と言うのは、その存在価値があると思う。 4群5枚のプラナー80/2.8はローライフレックス2.8Fで使ったことがあるんだが、あまり好きになれなかった。
もうひとつ、ローライフレックス3.5F中期型の4群6枚ダブルガウスのプラナー75/3.5は、シャープネス、ボケ味共に2.8のプラナーより好みで納得できる描写だった。
スレチですまんが、昔からローライに関して2.8のプラナーを過剰に賛美する奴にロクなのはいないです、はい。 東京の高輪に高輪カメラがあって、そのグループの1つでMacカメラがあった時代の話。ローライの水中撮影装置ローライマリンと言うのをこのお店で初めて見た。カメラを水中ケースに入れて使うと言うのは、その当時の日本のカメラでも頑張っていろいろなシステムを作っていた。
しかし、それらのシステムとこのシステムが異なるのは、水中ケースの形が全く違っていたことだった。ローライフレックスは2眼レフであるから、そのファインダーの強みを活かして、水中でも2眼レフファインダーが使えるようにしたのである。そのことがかなりカメラのケースのデザインを発達させてしまって、このように丸い大きなフロントウインドウつくようになった。
そこで40年前の私が考えついた愚かなアイディアと言うのは、この水中ケースの中に水を満たして、そこで金魚を飼育してはどうかと言うことだった。実際にその当時は小さな水槽でメダカを飼っていたりしたのであるから、そこから発生した貧困なアイディアなのである。
でも、そのようなアイディアが実現には至らなかったのは、このような人類の文化遺産が安全に保管されたと言うことで我ながら良かったと思っている。この水中ケースの面白いところは、ローライフレックスの3.5のレンズが使えるけれども、8のついたカメラは使えないと言うところで、この差別感書くと言うのが私は好きなのだ。
つまり、3.5の普通のレンズのついたローライフレックスは本物のプロフェッショナルカメラであるが、2.8のレンズのついたローライフレックスは単なる遊び道具に過ぎないと言うことをこういうことが証明しているのである。
このローライのマリンカメラだけど、まだ220フィルムが登場する。以前のシステムであるから、ダイバーは12枚撮影ごとにボートに上がらなければならないと言うのが大変だったと思う。
それに比較すれば、カリプソニッコールが登場して、水中撮影はかなり便利になったのは間違いないね そのルートについては既によく記憶していないのであるがフォトキナがらみと言う事だったのであろうそれでないと普通のパッケージツアーではフォトキナに行くなどと言う事は最初から予定に入れていないからである。それで2日か3日ほどケルンで取材して、もう話わかったと言うことでその後に行ったのがスイスのユングフラウヨッホがどこだか忘れたけれどもアルプスの上の方であった。なぜ覚えているのかと言うとその時私は持参のワイドアングルローライフレックスでケーブルカーの1番上からアルプスを撮影している記憶が残っているからだ。
そしてもう一つワイドアングルローライフレックスで私が撮影した記憶と言うのはロンドンで日曜日にダイアナがどっかの教会に行ったときの後ろ姿なのである。非常に大柄な人でピンクのスーツを着ていた。私は有名人でも芸能人でもそこら辺の通行人でも正面から撮影するのは好まないのである。顔が割れると言うわけでつまりつまらなくなってしまう。それでダイアナが後ろ向きになって教会に入っていくところを目の上に持ち上げたワイドアングルローライフレックスで盲撃ちにしたのだが後から見たらちゃんと映っていた。この顔写真と同じピンクのスーツだったな。
至近距離からダイアナを見たと言うことで私はダイアナにある種の近親感覚を持ったわけである。それから10年後ぐらいにあれは1997年8月31日であったが偽ライカ同盟のメンバーと板橋の北部を歩いていた時に私のことを知っている写真愛好家が車で走っているときに私を認めて急停止してその時にダイアナがパリで交通事故にあったと言うことを教えてくれたのだった。 66番の蛇腹カメラと言うものは、ローライフレックスにうつつを抜かしていると、ついついそのありがたさを忘れてしまうものなのである。
何十年もローライフレックスを使っていて、私もそのことを忘れていた。蛇腹カメラを使うようになったのはこの10年位の話である。
もっとも、50年代蛇腹カメラはEtohを使っていたのですが、それは8 × 10インチの蛇腹カメラと4 × 5インチの蛇腹カメラだけであった。ごくたまに4 × 5インチ蛇腹カメラの後に6 × 9センチのフイルムホルダーをつけて撮影をしたりすることはあったが、それは広告写真のしきたりの補助的なものであって、写真表現とはかなり遠いところに存在したのであった。
1980年の暮れにファーイーストに戻ってきて、調布の多摩川住宅に住んで、そこから真ん中のつげさんとお付き合いができるスタートラインであった。
京王線に乗って、もっぱら遊びに行くのは、新宿と言うのは、普通の人間のパターンである。新宿駅東口にかなり大きなカフェがあって、名前は忘れてしまったけど、そのエントランスに巨大な丸テーブルみたいのがあって、また、売り出す前の天才荒木がそこにぽつんと座っていた。
1976年にヨーロッパを巡回した写真展の時、天才。荒木には出品してもらっているから全く知らないと言う顔でもない。1976年に新期は30代後半であった。日本軍の軍服を着ていて、それがオーバーサイズで何かモダンな感じがしたのである。
こちらは何10年代アメリカ軍の放出品の軍服を着ているから、日本軍とアメリカ軍の傀儡政権が話をしていると言う感じだな。
その円卓会議の喫茶店で何度目かにがあったときに、天才。荒木は黙って。私に懐かしのイコンタと言うタイトルのハードカバーの写真集を差し出して持っていた。マーカーペンでサインもしてくれた。
今では超有名人の天才荒木であるが、あの頃はそれなりの新人としての売り込みに苦労していたということがわかって微笑ましい。
写真集の内容はうろ覚えであるが、これはフィクションである父親のイコンタカメラに古いフイルムが入っていて、それを現像してみたら、その頃の愛人の写真が写っていたと言う山流生節日が好みそうな内容が焚き付けられていた。 写真の内容はお姉ちゃん写真なのであるが、私が天才荒木を評価しているのは、ペンタックスの6名で撮影した東京の秋というのがあって、これは下駄履きで撮影したと言う伝説が付属している。
東松さんが沖縄が好き。以前に沖縄生撮影に行った時は、やはり下駄履きで撮影していたと言うゴシップが東京にまで流れてきた。こういうゴシップの速度と言うのは、インターネットなどよりも早いものなのだ。
私が2眼レフカメラから蛇腹カメラにチェンジした原因と言うのは天才。荒木が私にくれた懐かしのイコンタがそのスタートポイントになっている。
イコンタは戦前にドレスデンで作られて、戦後になってから西ドイツのステップガルトで生産された。ここに紹介する。二台は西ドイツで作られたものである。一般的な価値評価からすると、戦前の東ドイツで作られたものがそのまま評価されると言う事は少なくて、たいていの場合、東西が対立しているから西側の方が素晴らしいと言うような評価が流れるのである。
ところが面白いことにイコンタに関しては、戦前のドレスデンで作られたものが良いと言うような意見が強いところがまた不思議である。
こういうレンズブランドに関するRumorと言うのは、不思議なところがあって、例えば戦後に西ドイツで作られたカールツアイスのレンズは優秀だと言われているが、そこにオプトンと言う名前が付くとマイナスポイントになってしまうと言うところがある。
この間違った情報の出所は、アサヒカメラのニューフェイス診断室あたりだったのではないか?オプションがマイナスイメージと言うのを表出すると、その言葉が一人歩きを始めると言う怖いサンプルだと思う