沈黙 サイレンス SILENCE 14 [無断転載禁止]©2ch.net
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新スレです。
スレ番はちょっと混乱したのですが、前スレのスレ番が3となっているのは、スレ建てをミスったものを再利用したことによるものと思われるので、改めて14とさせていただきました。
間違っていたらすいません。
◆公式サイト
http://chinmoku.jp/
◆公式Twitter
https://twitter.com/chinmoku2017
◆前スレ
前々スレ : 沈黙 サイレンス SILENCE 13
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1486716655/
前スレ : 沈黙 SILENCE 3
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1460614969/ ダライ・ラマ、仏教指導者による性的虐待 「90年代から知っていた」
http://www.afpbb.com/articles/-/3189792
【9月16日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(83)は15日、
訪問先のオランダで、仏教指導者らによる性的虐待があったことは1990年代から知っており「目新しいことではない」と語った。
世界の仏教徒ら数億人の尊敬を集めるダライ・ラマは、欧州歴訪の一環で4日間の日程でオランダを訪れている。
14日には仏教指導者からの性的虐待被害を主張する人々の請願に応じ、十数人ほどの被害者と面会。
「心と精神を開いて仏教に救いを見出だしたのに、仏教の名の下にレイプされた」
と請願書で訴えていた被害者たちに対し、虐待を知っていたと認めた。
ダライ・ラマはオランダ放送協会(NOS)が15日夜に放映した番組でも、
仏教指導者による性的虐待について「そういうことは既に知っていた。
目新しいことではない」と述べた。
25年前にインド北部ダラムサラ(Dharamshala)で開かれた西側諸国の仏教指導者会議で、性的虐待の問題を提起した人がいたという。
ダライ・ラマは、性的虐待を犯すような者はブッダの教えを尊重していないと批判し、
宗教指導者たちが性的虐待問題により強い関心を払うよう、11月にダラムサラで開催されるチベット仏教指導者の会合で協議する意向を示した。
また、欧州でダライ・ラマの代理人を務めるツェテン・サムドゥプ(Tseten Samdup Chhoekyapa)氏は14日、
「ダライ・ラマはこうした無責任かつ非倫理的な行為を、一貫して非難してきた」と説明している。
(c)AFP 渡辺 京二 【バテレンの世紀】
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https://jp.wsj.com/articles/SB10409681559895564521504584492464160208606
2018年9月25日 13:42 JST
世界の殺人の25%が集中
世界中で発生する殺人のほぼ4分の1が、ブラジル、ベネズエラ、メキシコ、コロンビアの4カ国に集中している。
ブラジルでは昨年、過去最悪の6万3808人が殺害された。
メキシコも過去最悪の3万1174人を記録し、今年これまでの殺人件数はさらに20%増えている。
ちなみに国連の集計によれば、2016年の殺人事件被害者数は中国が8634人、欧州連合(EU)は5351人、米国は1万7250人だった。
凶悪犯罪は経済発展を遅らせ、米国への移住に拍車をかける。
米州開発銀行(IDB)の2016年の調査によると、中南米諸国の国内総生産(GDP)は
暴力によって平均3%押し下げられており、それは先進国の2倍の水準だ。
犯罪で失われた代価をIDBは1150億ドル(約13兆円)〜2610億ドルとみているが、
これは同地域全体のインフラ支出、あるいは中南米の最貧困国下位3分の1の所得合計額に匹敵する。 キリスト教への戦いは中国共産党に受け継がれたけど、
これはウヨク的には都合が悪い真実なのかな。 現代の共産党の弾圧と昔の日本の弾圧は全然意味合いが別だろう
沈黙当時のキリスト教圏は紛れもない世界的な侵略国だったわけだし弾圧されるべくして弾圧された
今はそんな事ないんだから日本じゃウヨクも誰もキリスト教と戦ってもないしな >>402
日本の歴史全く知らなそうね
人身売買が原因で禁止されたんだよ
右も左も関係ないの それにしても日本のキリスト教徒は中国の弾圧に声を上げてるのかね
最近は死刑囚のみならず少数民族やキリスト教などの特定宗教関係者が臓器売買のため相当数殺されてるみたいだけど スレ違い
板違い
分かってやってるならただの荒らし LGBTに対するヘイト思想は言論や良心の自由に含まれるというイギリスの判断。
同性婚ケーキ作り拒否は「差別でない」 英最高裁が判決:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLBC736YLBCUHBI03K.html
2018年10月12日06時32分
同性婚を支持するメッセージが込められたケーキ作りをケーキ店が拒めるかが問われた裁判で、
英国の最高裁判所は10日、拒むのは差別ではないとする判決を出した。
言論や良心の自由を守る判断として店側は歓迎する一方で、原告の男性は同性愛者への悪影響を懸念している。 余録:江戸時代初めに日本に漂着したスペイン人ロドリゴは… - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20181012/ddm/001/070/133000c
2018年10月12日 東京朝刊
江戸時代初めに日本に漂着したスペイン人ロドリゴは開かれて間もない日本橋の魚河岸を訪れた。
「魚市場という一区画あり。奇異なるをもって予(よ)は特にこれを見物するため案内せられし」と日本見聞録にある。
「同所には海と川との各種の魚の鮮(あたら)しきと干したると塩したるとあり。
また数個の水を満たしたる大釜に生魚多数あり、買う人の望みにまかせこれを売る」。
売り手が多く、街路まで出て安売りする者もいるというにぎわいであった。
青物や果物の市場も見た。「その多種にして大量なると、また清潔に陳列されたるとは、買う者の嗜欲(しよく)を増加す」と記している。
まだ江戸開府間もないころなのに、市場は遠来の客人を驚かせる品ぞろえと繁盛を見せていたのである。
そんな伝統を21世紀に引き継ぐ東京・豊洲市場の始動である。
敷地は築地の1・7倍、建物内での鮮度や衛生管理も徹底させた新市場だが、
いったん人が入ればたちまち築地と変わらぬにぎわいと活気をみなぎらせた開場初日だった。
だが新市場を取り巻く環境は厳しい。
生鮮品の消費減や流通経路の多様化で卸売市場の取扱量が落ち込む中、年90億円超の赤字が見込まれている。
輸出拠点への成長や食品流通の変化に即した新事業開拓なしに明るい未来はあるまい
カギとなるのは「ツキジ」ブランドをさらに超える「トヨス」の世界ブランド化である。
ロドリゴの好奇心に応え、開かれたばかりの市場へ連れて行った江戸の案内人のセンスに学ぶものもまだあろう。 >>404
戦国時代は人身売買が当たり前だし、
江戸時代も事実上は続いていた。
キリスト教の禁令はそれとは無関係。
天下人が改宗して、キリスト教国と
神前関係を築き、海外進出する手もあった。
これは宗教上の内戦の一過程とみるべき。 もし欧州がフランス外縁辺りまでイスラム諸国に侵略されてる中で、島国のイギリスの中でジワジワとイスラム教徒が増えてきたらどーなってたろうな
多後世世に聖戦としてイスラム教徒殲滅戦が語り継がれてそう >>45
遅レスですが同意。
戒名や墓や法事なんて、坊主が儲けるために編み出したものだし。 中国で公開されたら面白いのにね
無理だろうけど
治安担当者に見せてやりたい 原作読むと、遠藤さんがキリスト教に愛想を尽かす
一歩手前にあった、ということが分かる
ウヨ厨房が脊髄反射しかできないのは残念だ スコセッシ総合スレって無いのか
ここでアイリッシュマンや最近発表されたディカプリオとの新作の話したら迷惑だよな >>419
周作さんが草場の影で泣いてるよ
全然読み取れてない
違う本読んだんだよねそうだよね 403氏や404氏がキリスト教徒の
自業自得と割り切って鑑賞を楽しめるか
というと、そうでもない。
反抗できない弱者をいたぶりぬくのは、
イジメの構図そのもので、人権うんぬん
以前に「武士道」とか他の倫理を持ち出しても
美化不可能だからな。
バチカンにふんぞり返ってる人々を批判するのは
有効なロジックだが、末端の弾圧は今の中国も
昔の日本も本質的に変わらない風景を見せてくれる。 日本人牧師が語る沈黙批判
【沈黙 -サイレンス- 映画が語らない真実】
http://marre.hateblo.jp/entry/16539 右でも左でもないど真ん中.石井希尚
なんでネトウヨってこのワードすきなんかな 日本がキリスト教の国になったらどうなってるんだろう 日本人も朝鮮人も大量の人間が拉致され
売り飛ばされた酷い時代だったな >>428
知的水準が低下して治安が悪化。
戦後のクリスチャンが天皇制批判し続けているのと同じように、天皇家を倒して神の国を目指す大名が台頭。 日本のキリスト教が迫害される側から迫害する側になった経験を持たない。
キリスト教が迫害する側になれば、日本古来の神道や仏教を滅ぼし、信者を火炙りの刑にするのは確実。
キリスト教が広まった世界中の多神教の多くが徹底的に滅ぼされたように、日本でも同じことが起きる。
敬虔なキリスト教徒は加害の歴史にウンザリしており、日本の歴史遺産を訪れることで被害者としての原点に立ち返り、
多神教徒の日本人への復讐心を育む。 >>427
なにその唐突な妄想
で、どの辺がクソ記事なの? 長いて…
自慢するほど知識があれば長くもなるさ
で、どの辺が的外れなの アマプラで観た。
迫害にあってても奇跡を起こして助けてくれない神なんていらねーなと改めて思った。
現世でも助けてくれないんだから、天国にいれてくれるという約束が果たされるのかも疑わしい。
キリスト教徒はこの映画で、疑問を抱くか、より信仰を深めるかのどちらかだろーなと思った。
ま、キリスト教の神は人間の妄想なんだろうが。 >>390
ハクソーリッジの主人公は明らかにアスペルガーとして描いてあるよね
本人の名誉のために名言は避けてるけど、モロだよなアイツ 布教解禁の間近に
弾圧されて殉教した人は
不運だな
ベルリンの壁崩壊を
待ちきれなかった人と
同様に ネトフリで観たけどイノウエサマ萌えだな
形式だけでも転べば許される
宗教に限らずなんでもジャパナイズする沼日本
海外だったら宣教師が布教成功しのちに植民地化
失敗し殺されるどちらかだと思う 日本でも朝鮮でも中国でも
弾圧されたけどね。
清朝の雍正帝のまえで
カミングアウトした人も流刑になった。
みんな転べば許されるのにな。 キリスト教は異教徒を人として見ないんだろ?
無理だわ
そんなものが日本で広まるはずがない >>442
宗教なんて感じ方次第だと思うよ
だから間違っていると豪快に断定する君が間違っているだけだと思うよ
合掌 >>439
意外と日本側の立場も描かれてたんで驚いた。
あと弾圧する側が割と柔軟なのに対してキリスト教の不寛容さが際立ってたな。 男女の囚人が同じ獄に入れられてたのに違和感あるんだけど
小松菜奈ちゃんの貞操は大丈夫なのか 井上は本当に慈悲深いな
というよりも日本の慈悲深さが目立った
たったレリーフを踏むだけで許してくれる懐の深さが日本にはある
しかも心の中で信仰する分には罰せられない、多々普通にしてれば良いだけ
司教どもは本当にアホだね 中国の治安当局者も
公認済みの教会へ転ばせるために
この映画を参考にすべきだな 中国がそんな優しいことするわけないじゃん
少数民族や法輪功など特定宗教者は臓器売買の材料にされてるそうだし
むしろ当局者がこの映画見たら疑問に思うだろう。なぜさっさと殺さないのかと とっくに教会も寺院もモスクも党公認の指導者にすげ替えられてます 拷問も斬首もいきなりじゃないからね
形だけでも転べばいいこの沼感の面白さが伝わるかどうか 本当に生ぬるかったね
普通なら即打ち首なのに助かるチャンスをやるなんて 自分は成人洗礼のカトリックなんだけど、遠藤周作の原作がとても好きで見た
最後に火葬されるとき、スコセッシが付け加えた十字架持ってるところ、あれは余計だったと思うわ
でも欧米人観客にはあれ付け加えないと、信仰捨てたと勘違いされかねん、と思ったんかな
スコセッシは子どもの頃神父になろうかと考えてたくらい敬虔なカトリックだから、遠藤周作のことを好意的に理解してると思うけど、具体的にどう感じてるのかを聞いてみたい >>449
地下協会相手なら殺しはしないよ。
ただ登録制に切り替えろって話。
だから彼らにとって学ぶべきものがある。
それくらいは勉強しよう。 >>454
どうなんだろうね?
政府と思想的に異なるのに管理されると言うことは、いつでも殺される可能性があると言うことだから
法輪功に対しても最初は政府は寛容だった
それを見てる非公認教会にいる人の感覚としては、あんまり意味ないかも
しかもカトリックは信仰のために殉教すると聖人になれたりもするし
自らクリスチャンになるような奴はもともと社会的に持たざる奴が多いしね
自分は俗物クリスチャンだけどそう思う >>453
元々スコセッシが沈黙に興味を持ったのは「最後の誘惑」でキリスト原理主義者に大バッシング受けて、上映禁止とか脅迫とかされてショックを受けてる時に知人に渡されて読んで、まさに今の自分の気持ちを代弁してくれているってとこからだったんだよね。
自分も敬虔なカトリック信者だと自認してるのにキリスト教を歪める輩だと誤解された、捨てたと人間だと思われたのが嫌だったんでしょう。
だから今回は誤解されたくなくて十字架持たせたのかもね。 最後十字架持っちゃうと、ちょっと侮蔑してた神グッズをありがたがるジャップメンタリティと同じだからなあ
グッズがなくても神との距離は変わらないはず この詩を思い出したわ
「あしあと」
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね した。
「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」 あしあとが一つだったとき、私はあなたの背に乗っかっていた >>453
なんでインチキ宗教なんかに入ってるの? >>460
なんでなんだろうな
神の存在を認めでもしないと、世の中の理不尽さや世界の不思議さに納得がいかないからかな
世界を見るときのルールブックみたいなもんかも プライム無料で見てきたよー
農民がみんな英語喋ってるのに草生えたw
レリーフ踏むだけなのに必死に拒否してるのが理解できんなー
あと日本人がポルトガルで奴隷にされたりしてたんじゃなかったっけ?
その辺の描写もなかったなー 見た後アメリカ人の反応なんか読んでみたけどまぁ知的レベル低い輩はともかくガチ信者に悪いね評判
棄教してもオッケーっていう日本人的仏教的キリスト教解釈が理解できないんだろうな
ぶっちゃけスコセッシもあんま分かってないと思う
メルギブソンみたいな下品な映画じゃない一級品だとは思うが >>464
ガチの信者にとって棄教って有り得ないからね
いったん洗礼を受けたらもうそのまま死ぬまでキリスト教、って考える人が普通だから
神との契約、だからね
スコセッシは遠藤周作の言いたかったことを理解してると思うけど、個人的にはこの作品は各者の内面描写がかなり難しくて、アメリカ人などにはなかなか伝わりにくかっただろうと思う 現代のクリスチャンでも転ぶなんてけしからんプンスカプンてなるの? >>466
日本ではそこまでならないけど、アメリカだったらどうだろうね
南部なんかじゃ、進化論を教えるからという理由で子どもを学校に行かせなくて、ホームスクーリングの家庭もそれなりにあるし
恐竜にアダムとイブが乗ってる模型を展示してる博物館が普通に営業してるんだぜw 何処かで読んだんだけど、癌末期になってシスターが信仰を捨てたいって言って、病棟に教会関係者が来たってあったけど、どんな心境だったんだろう。 >>456
単純に商業映画として最低限のオチをつけなきゃまずいと思っただけじゃね
原作の大乗キリスト教悪人正機説みたいな哲学を観客に伝えるのに失敗してるからせめて実は信仰捨てなかった棄教者みたいな話に着陸させてまとめようと キリスト教はもともとが迷える子羊を救う宗教だから、それはちょっと違うと思うなあ アブラハムの宗教は理屈関係なく信じれば天国信じなければ地獄だから
万能の神が作ったはずのこの世がなぜこんなに不条理な苦しみで満ちているの?っていう問いにある意味鉄壁のディフェンスを敷いている
その二択に納得いかない時点でもう神の恩寵からさよならよ
それはおかしくね?ってのが原作でしょ
異端の書よ
それをスコセッシはうまく料理できなかった 33神も仏も名無しさん2018/10/15(月) 10:58:59.85ID:6Z8LUFaT
キリスト者=クリスチャンと聞くと一般の人はどの様なイメージを持つでしょうか?
私が接してきた多くの人は、クリスチャンと聞くと真面目で、優しくて、清らかな心の持ち主であると
考えるようです。また、信心深くて、聖書をよく読み、礼拝にも熱心に出席する。そういうイメージが強いみたいです。
しかし、私から言わせれば、これらのイメージは勝手な
思い込みであり、いわばレッテル張りと同じです。
クリスチャンとはこうであるという典型イメージを押し付けられることは、私に限らず全てのキリスト者にとって不快なものです。
特に、私は一般的なキリスト者と全く異なる価値観を持っています。
いわば超越論的キリスト者ともいえる存在です。
また、クリスチャンに対する
典型イメージは、現実のクリスチャンの実像と全くかけ離れたものといえるでしょう。
しかし、多くの方によってイメージされているクリスチャンの姿はある
種の一般化・理念化されたクリスチャン像ということができます。
より一般化・理念化したキリスト者像を述べるなら、「キリスト者とは主(キリスト)を信じ、主に従う者であり、主が生活の中心になっている生き方をしている者である。
また、その生き方や価値観の基盤は主への愛と
隣人愛であり、誠実さが核となっている。聖書の教えに忠実で、礼拝にも毎週欠かさず出席する」と纏められるでしょう。
これが一般化・理念化されたキリスト者像です。 しかし、既に述べた通り、日本のキリスト者の「現実」は一般化・理念化された像とは全くかけ離れた姿です。
超越論的キリスト教批判の立場からキリスト者の「現実」=「事象そのもの」へと迫ると、以下の事実が浮かび上がってきます。
日本のキリスト者、特に代々続くクリスチャンホームで育った人々やパスターズキッズ(牧師の子どもたち)等の多くは、世間知らずで、日本の社会においての常識を知っていません。
本人たちは常識を持っているつもりでも、それは狭いキリスト教世界にしか通用しない独特のルールであり、世間一般の人々からすれば理解しがたい非常に奇異なものとして目に映るでしょう。
しかし、彼らはそれを自覚することが出来ないのです。
それは当然であり、彼らは生まれてこの方キリスト教世界から
出たことがないからです。
また、そんな彼らが真面目で、優しく、清らかな心を
持っているかというと、全く「現実」と異なります。
彼らは、基本的に幼いころから他人(教会に信徒)からもてはやされ優しくされて育っていきます。
しかし、教会の信徒は本当の意味で他人といえるのでしょうか?教会の信徒が彼らに対して
優しく接するのは、彼らが牧師先生の子どもだからであり、偉い代議員や長老
(教会の信徒のリーダー的な存在)のお子さんに過ぎないからです。
信徒の優しさは歪んだものであり、それを受けて育ったクリスチャンホーム
で育った子どもたちもまた歪んだ価値観を持ってしまいます。 一例として、クリスチャンホームの子どもたちは、自分が受ける優しさを、あたかも自分が優秀だから与えられるのだと勘違いし、歪んだ自尊心と自己顕示欲を持つようになります。
自分が何か生まれながらにして選ばれた、特別な存在である、そう思って育っていきます。
故に若い時期に放蕩を尽くすことが多く見受けられます。
しかも、性質が悪いことに、そんな我が子の放蕩を見ても、クリスチャンである親たちは子を叱ることもせずに放任しておきます。
私が出会ったほとんどのクリスチャンホームの子どもたちは信心深くもないし、聖書もまともに読まず、礼拝に興味を示しません。
尚且つ彼らは自分が特別な存在であると勘違いしているものですから、特に反省することもありません。
むしろ、ノンクリスチャンや一般家庭で育ち洗礼を受けた人よりも自分の方が上の存在であるとすら思っています。
この価値観が歪んでいないはずがありません。
そしてこの価値観を持ったクリスチャンホームの子どもたちが牧師になり、また教会の重鎮になっていくのです。
誰も彼らの価値観を批判することはありません。
彼らは、猜疑心が強く、心の底から誰かを信じるようなことはしません。名声は求めますが、自分を支えてくれる信徒たちを本心では見下しています。
少なくとも格下と見ており、悪ければ自分の為の道具ぐらいにしか思っていません。
また、表面的な人間関係を重んじており、人間関係のパワーバランスには異様に敏感です。政治の世界と基本的に同じであり、相手が偉ければ本心では
どうも思っていなくても相手をおだてます。長い物には巻かれろの精神は骨の髄まで染みています。
日本の教会の世界は歪んだ超保守主義であり、クリスチャン歴や代々のキリスト者一族の歴史から来るかなり厳しい年功序列制があります。
しかし、この年功序列は儒教的な正しい意味ではなく、歪んだ人間関係を生み出すに過ぎません。
意味もなくクリスチャン歴が長ければ重要視されるのです。
個別主義を重んじてきたキリスト教世界において日本のキリスト教は
この点、異様な進化を遂げています。
そんな彼らが教会において重要な地位を占め、指導してきた結果が
今日の日本の教会の有様です。戦後から最も大きな歪みが生じてきました。 愛よりも自分の利得を重んじ、信用を得るために見せかけの優しさ・偽善を大切にし、世間体は人一倍気にする。他人の功績は自分のものであり、自分の失敗は他人に擦り付ける。お偉い方の不正は見ても、知らぬふりで押し通す。
常に猜疑心をもって身を守り、格下の隙や失敗をいち早く見つけ出して見逃さない。欺瞞に満ちています。
これらの欺瞞が今日の日本のキリスト者の本質であり、キリスト者同士の人付き合いの基本です。
日本のキリスト者の全員がこうであるという訳ではありませんが、教会の上層部や中枢にいる多くの
お偉いキリスト者にとっては上記の欺瞞が当然の常識として蔓延しています。
さて結論です。
「現実」のキリスト者は我々と同じかそれ以上に人間的欲望に忠実で、醜悪な生き方をしています。
キリスト者であろうが、結局は一人の人間に過ぎないのです。信仰を持ったからといって
人間的な弱さから解放される訳ではありません。信仰を持ったら弱さを克服して人格が変わるというキリスト者に対する
イメージは一般化・理念化された像に過ぎません。「現実」は何も変わらないのです。人間は人間のままです。この事実は忘れてはいけません。
むしろ、キリスト者は
人間的すぎるほど人間だからこそ、一般化・理念化されたキリスト者像と「現実」
の姿の乖離が激しいものとなるのです。
以上のことが、超越論的キリスト教批判の立場から見たキリスト者の「現実」です。 なんでプロテスタントの方のコメントを貼りつけてるの?
クリスチャン批判したいのは解るけど話がずれてるような気がする 37神も仏も名無しさん2018/10/16(火) 11:31:03.67ID:aL3jvQhx
引き続き、子供にキリスト教を教えることの悪影響について書いていきます。
前回、私が知るクリスチャンの多くが、
大人になってからキリスト教に出会った人たちだと書きましたが、
その人たちには共通することがありました。
それは、それぞれに何かしら人生に挫折したり疑問を持ったりしたときに、
キリストに出会って心の重荷が下りたということです。
その「挫折」「疑問」の内容は、置かれた境遇の違いや程度の大小の差こそありますが、
ともかく、何らかの救い(一般的な意味での)を求めていた時に、
タイミングよくキリスト教に出会い、自ら洗礼を受けた、
そういうクリスチャンを直接的、間接的にたくさん見て(聞いて)きました。
極端な例では、電車に飛び込み自殺をして手足を失い、
入院中にキリスト教に出会って牧師夫人にまでなった人や、
暴力団員として悪の限りを尽くした人が牧師にまで上り詰めた例があります。
さて、キリスト教の伝道でよく引用されるこんなお決まりの聖句があります。
疲れた者、重荷を背負う者はだれでもわたし(イエス)のもとに来なさい。
休ませてあげよう。(マタイ11章28節)
この言葉が、教会の看板、伝道用の冊子などによく書かれており、
実際、近年私の自宅のポストに入っていたチラシにも、
そのお決まりの言葉が書かれていました。
教会側は、そうやって現代人の疲れた心に呼びかけるように伝道し、
実際、社会生活の中で挫折したのちにキリストに出会い、
心の重荷が下りた人が多いことは先に書いた通りです。 大人になって挫折した末にクリスチャンになった人は、
「この素晴らしい教えをぜひ子供たちにも」と言いたいところでしょうが、
まだ子供は「人生の挫折」というものを知らないのです。
それなのに、「これは重荷が下りる素晴らしい教えだから」と押し付けるのは、
子供にとってありがた迷惑以外の何物でもありません。
特に、子供に「罪の意識」を植え付けた上でキリストの救いを教えるのは、
「やめてくれ〜〜〜!」と声を大にして言いたいです。
むしろ、子供に「罪の意識」という名の「重荷」を背負わせることになるのです。
私の信仰生活には、常にこの「罪の意識」が心にありました。
一般家庭に生まれ育ち、一般社会の中で生きてきた大人には、
「処世術」という、世の中を要領よく生きていく術(すべ)が身に付いています。
したがって、そういう大人が教会へ行ってキリスト教の話を聞いても、
自分が身に付けた常識の範囲内で情報を処理して理解できます。
しかし、子供たち、特にまだ物心も付いていないような小さな子供は、
まだそのような能力が備わっていないため、
大人がする話を文字通り信じ込んでしまいかねません。
したがって、例えば「あなたの心は黒く汚れている」などと教えると、
本当に胸の中が真っ黒に汚れているなどと受け止めかねません。
また、「罪びとは死んだ後に地獄に落ちる」と私は教わってきたので、
小学生のある時期、本当に夜も眠れないほど死後のことを心配したことがありました。 たいていの教会は、日曜学校、または教会学校などの名目で、
子供を対象にした礼拝を行っています。
つまり、子供の頭の柔らかいうちにキリスト教を教えようというわけです。
今から考えると、あれこそ大人にとっては格好の「洗脳の場」だったと思います。
子供は大人の言うことを素直に聞きますから。
しかし、その教え方に大きな問題があるように思えます。
大人たちは、子供に分かりやすく簡単な言葉で、時には大げさな表現で教えますが、
ともかく子供は「フィルターなしに」なんでも信じ込んでしまいますから、
ある意味危険だといえます。
その結果、私の場合、先にも書いた通り、ずっと罪の意識に縛られることとなったのです。
教会側にクレームをつけたところで、
「そんな風に教えたつもりはない」と否定するでしょうが、
大人と子供とでは物事のとらえ方が違うということを理解してほしいです。
子供の想像力は、大人が思う以上に良くも悪くもずっとずっと豊かなのです。
「なあに、うちの子は黙って素直に信じているから大丈夫」と思ったら大間違いです。
本人は信仰することに重荷を感じていても、
それを口に出してはいけないと思って悩んでいる可能性だってあるのです。
教会では、神について否定的なことを言ってはいけないと教わりますから。
大人になってからキリスト教に出会ってクリスチャンになった方、
お願いですから子供たちに「重荷」を背負わせるのはやめてください。
それはただの大人の「趣味の押し付け」にすぎません。 『西洋のキリスト教が実際に行っていることを考えるに、キリスト教ヨーロッパは、神の、あるいはキリスト教
の精神を代表していない、むしろサタンの精神を表している、というのは私の堅い信念である。
そしてサタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである』 (ガンジー) キチジローは最後の最後まで厚かましかったな。
もう心を決めた人に懺悔を聞かせるなよ。 >>444
「こんなん形だけだから、終わったら開放するから」って実際キチジローさっさと帰らされて、また懺悔の為にやってきたら「お前はもうキリシタン違うやろがー」って番兵に押されられてたのはギャグだった ごめんしたキチジローを許す日本
許さないクリスチャン >>485
キチジローを許さないシーンなんてあったっけ? クリスチャン基準じゃ許せないよ
あれを許したらなんでもオッケーになる
そうなると沼 日本「キリスト教の布教とか迷惑なんでやめてください」
神父「やだよだってうちの神様だけが本物だもん」
ただの迷惑な頑固者だよねこれ
てか日本は神父たちの本部みたいなところに布教やめーやっていうのは言わなかったのかね? エンドロール、音楽じゃなくて虫の声や風、波の音なんだね…
なんかそこに一番衝撃を受けてしまった
スコセッシすごいと思ってしまったよ あれって日本映画をオマージュしたんじゃなかったっけ 想像していた穴吊りとは違っていた
やっぱりキチジローはいい役者だ ● 問題
何故、私たちキリスト教徒がこんなに苦しんでいるのに、主は救ってくれないのですか?
● 答え
キリスト教は、日本では治安を乱すカルトで、信者の多くを不幸にします
形だけでも、日本の風習に従いましょう
こんな映画だったぞ まぁぶっちゃけべキリスト教が仏教より優れてるとこなんて特にないし広まりようも無いわな
西洋の世界侵略時代にキリスト教に染まった国はがっつり植民地化されたとこや元々ロクな宗教がなかったとこぐらいだしね キリスト教で救われるのって死んだあとに天国に行ける、って話だからなあ 日産自動車の会長でレバノン系のカルロス・ゴーン氏はキリスト教徒のようだが、
ゴーン容疑者捜査の端緒になったマレー系英国人の信仰は何だろう?
「もう耐えられない」 ゴーン容疑者捜査の端緒 外国人幹部の告白 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20181219/k00/00m/020/192000c >> 495
レバノンは古代はフェニキアと呼ばれてた
紀元前から商売をやってる民族だぞ
金以外に信仰なんてないさ ネトウヨに占拠されてスレがまともに機能してないやん
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