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キリシタン大名は領地内の神社仏閣を破壊するよう指示を出して居た
これが秀吉によりバテレン禁止令を出された理由の1つ

国宝の東大寺大仏殿が、カトリックのキリスト教徒による放火で焼失したことを示す心温まるエピソード

http://www.amazon.co.jp/dp/4122035783
中公文庫 完訳フロイス 日本史1 将軍義輝の最期および自由都市堺 - 織田信長篇T p279-280

今から二十年くらい以前のことになるが、ルイス・デ・アルメイダ修道士が下(シモ:九州)へ帰った数年後に、
(松永)弾正殿は、同修道士が先に述べた、かの豪華な城で包囲された。
その多聞山城(タモンヤマ)を包囲した軍勢の大部分は、この大仏の寺院の内部とこの僧院(東大寺)のあらゆる場所に宿営した。

その中には、我らイエズス会の同僚に良く知られていた一人の勇猛な兵士もいたのであるが、
彼は、世界万物の創造者に対してのみふさわしい礼拝と崇敬のことに熱心なあまり、
誰かにたきつけられたからというのではなく、夜分、自分が警護していた間に、密かにそれに火を放った。

そこで同所にあったすべてのものは、はるか遠く離れた第一の場所にあった一つの門、および既述の鐘楼以外はなにも残らず全焼してしまった。
丹波および河内の国では、同夜、火の光と焔が大和国との間に横たわる山々の上に立ちあがるのが見られた。