海外の作品はどんなに救いがなくても
突き抜けるなにかがある。
ハネケの映画ですらだ。
アントニオーニも虚無性の向こうになにかがみえる。
ヌーベルバーグ ニューシネマ にもある。
フェリーニ ヴィスコンティ ベルイマンには人生における確実なものを提示してる。

日本の文学 映画は、虚無性ですらなく、
過剰で有害なものをまき散らしているだけのように感じることが多い。

これは無宗教性からくるものなのだろうか?
フェリーニは無宗教だけどいったんカトリックを通過したあとの崇高さがある。
ベルイマンも無宗教なのに神を通過したあと視点がある。
江戸文化と違い、平成以降、日本人には原点も宗教性も無宗教性もない。
単なる混沌とした雑物的志向が多すぎる。

いいたくないけど、平成の日本の文化には関東連合に通じるような
幼稚な無駄そのものを感じすぎる。