なぜブレードランナー2049はオリジナルに及ばなかったのか
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一番の売りだった映像・音楽・デザインで退化してるから そもそも、オリジナルも脚本は酷いものだよ
映像と音楽で世界感を作っただけのクソ映画
困るのはその世界感がとんでもなく素晴らしく未だに誰も超えるものを作れないこと。 >>90
オリジナルは脚本もいい
2049と違ってちゃんと原作や設定を整理できてる 要点が「Kかわいそうw」
そんだけだもんな
他に何もない 無理やり話の続きを作るために失笑ものの安っぽい設定に頼らざるを得なかったこと ブレードランナーを多感な時期にリアルタイムで劇場で観たオッサンが多大な影響受けたってだけでしょ
その後のSF映画にも影響与えた作品だからいまでも評価されてる
20代30代がDVDで観て面白い作品じゃないよ マトリックス見た時も
「えw、人間めっちゃ生き残ってるじゃんw」
って思っただろ。
管理社会の埒外の人間が大勢いるのは
1984から続くディストピアのジレンマ。 オリジナルだって、カルトなファンが持ち上げてるだけで
大した映画じゃないよ >>105
オールタイムベスト100に入ることがある映画だぞ
君は見る目なしだな 世代が違うからか、オリジナルは古臭い映画だなという印象しかなかったけど
2049に感動してオリジナルもよく思えるようになった
こういう意見少数派? 2049観てハマってオリジナル観たらゲテモノで幻滅。 オリジナルはロイ・バッティの最後のシーンだけ何度も動画見返してしまう。 >「ブレードランナー」の新アニメシリーズ制作が決定、監督は神山健治&荒牧伸志で「カウボーイビバップ」の渡辺信一郎も参加
(2018年11月30日 GIGAZINE)
https://gigazine.net/news/20181130-blade-runner-black-lotus/
1982年に公開された人気SF映画「ブレードランナー」の流れを汲む新作として、アニメシリーズ「Blade Runner - Black Lotus(ブレードランナー:ブラックロータス)」が制作されることが決定。
監督は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」で知られる神山健治と「スターシップ・トゥルーパーズ レッド・プラネット」の荒牧伸志。
「ブラックロータス」は全13話構成。物語の舞台は2032年。
渡辺信一郎もクリエイティブ・プロデューサーとして参加。 >『ブレードランナー』の続編がアニメ化決定! でも日本で見れるの……?
(2018.11.30 ギズモード)
https://www.gizmodo.jp/2018/11/blade-runner-black-lotus.html
>配給はアジア圏以外はカートゥーン・ネットワークのアダルトスイムが担当し、アメリカでの放送も予定。
全世界でのネット配信はクランチロール。
>クランチロールは日本にオフィスはあるもののサービスは展開されていない。 ドゥニ・ヴィルヌーブ作品のひとつという位置付けの自分にとって
オリジナルとの比較などどうでもいいこと
リドリー・スコットは終活してんだろ
投げっぱなしの話に辻褄合わせしたりオチをつけたり
自分の手で撮れないとなったときヴィルヌーブを選んだ点は評価したれよ
他にふさわしい人選はないと思うぞ しかしヴィルヌーブはチャレンジャーだよな
ブレードランナーの次作がデューンだもんなあ デッカード、ジジイになるのはいいが肥満になるのはどうかと思った 最近のアニメの薄っぺらさを見ているとオリジナルの良さが理解できないのもむべなるかな オリジナルにはあったが2049になかったもの
●美しいデザインや美しい映像表現
●詩的で印象的な言葉
●それまでにあまり見なかった未来
●その未来感の説得力
●レプリの4年の刹那い生涯
●その刹那さが実は人間も同じと気付く展開 2019には無かったが2049にあったもの
・ホログラム
・ソニー ソニーはなあ
金でねじ込んだのが見え見え
Pの志の低さが伺える オリジナルをなぞった続きでなく、82年に見せた2019年のビジョンのように2017年に描きうる2049年のビジョンを期待してたハズレ感
あの内容を85年にでもやってれば評価違ったかもだが >>11
タイレルがレプリだったからそういう構造に作り替えていったのかな?
もし彼が人間だったら最終段階でレプリを繁殖させようと思ったろうか?
レプリカントは私たちの子孫にあたるのだろうか? >>117
2049だったか、数字がめんどくさいが
デッカードがまるで息子を探しているような科白が印象的だった夜の海岸
あそこはいい場面だった 焼き直しというよりは、明確な続編だった
レイチェルと一緒になって子供を授かることが出来るだろうか?というのを
子供の頃によく考えて過ごしたが
今回はまさに思い描いたそれを描いていることに驚く
単にデッカードが何らかの秘密を握りながら、訳知り顔で登場するんじゃなく
人の‥ 親として出てくる、1の正統続編になっている
私の心を傷付けない演出やテーマ性で丁寧に作った監督さんに 話は良くてもビジュアルと音楽と撮影と演出が完全に別物なので小説で良かった 2049で本物の木に彫られた木馬が重要なポイントだが
前作の最初の劇場版で
ラストにシャイニングの緑豊かな自然が郊外に広がってるのを付け足してしまったせいで
あれの印象が強い人は木馬の意味が分からないんじゃなかろうか?
というか、ブレードランナーにおける地球が
酸性雨が降り注ぎ、地球からオフワールドに脱出しましょう!と叫ばれ
動植物が絶滅しかかってる世界であって、「木なんてめったにないんだ」というのを理解して見れたんだろうか? それと、前回はレプリカントなのを、
馬に似てるが自然界には存在せず「人が作り出した」ユニコーンで象徴していたが
それが2049では、ツノが取れてw 「自然界に存在する」馬になった
しかもそれを”本物の”木に掘ったもので
前作はレプリカントが「人が作り出したもの」だったが、
2049ではレプリの両親のもとから生まれた「自然界に自ら誕生した」存在になった。
ユニコーンから木馬に進化したって意味な。
もし次作があるなら、その時はレプリを象徴するモノは完全な馬そのものになるのではないかな? ハリソンの態度が正しいわな
散々後付けで2019の映画の内容そのものを根底から覆されたんだからね
リドリーはクズ
しかしデッカードはジョーの父親そのものだったな
親が子供を見守るようだったし海岸でジョーを探すシーンなんかも子を探す親そのもの
その点が良かったかな
疑問なんだが
最後の雪の降るシーン観て思ったんだが、確か設定だと地球はどこも気温が高かったような
灼熱地獄のようだった気がするんだが雪なんて降るんか?南半球までスピナーで飛んだということか? >>55
リドリーの「デッカードはレプリカントだ」なんてのはリドリーが耄碌して撮影当時の事を忘れて勘違いしているだけだろ。
脚本推敲の段階でフィンシャーが「ロイとは兄弟みたいなもの」って書いたのをリドリーが「そうか!デッカードもレプリカントだったんだ!これぞSFだ!」って言い出すんだが、いやいやそれは変だと説得されて人間のままになった。
だから「ブレードランナー」でのデッカードは「人間」。人間だからレプリカントのロイやレイチェルとの対比が生まれて面白い。なんせ映画を観ているのは人間なんでな。
2049でもデッカードは当然人間。2049の失敗はKをレプリカントにした事。映画を観ているのは人間なのでレプリカントには共感しない。だからつまらないのだ。 ハンプトンファンチャーの脚本変えて許されざる者のデヴィッドウェブピープルズに脚本書かせた勝利
ハンプトンファンチャーは小説的すぎた。 2049はなあ…いい話ではあったんだけど全体的にシャッター商店街巡りみたいでなあ
結局俺が好きなのはあの見下ろせばボンボン火吹いて変な人いっぱいいて汚くて臭そうで異様な活気のLAだったんだなと
あとレプリはゼントラーディみたいに短時間なら真空でも平気なイメージあったから溺死ってどうなんって思った >>130
>リドリーの「デッカードはレプリカントだ」なんてのはリドリーが耄碌して撮影当時の事を忘れて勘違いしているだけだろ。
ハリソン・フォード「リドリー・スコットは撮影中、デッカーがレプリカントであることを観客に示したがっていた」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督「ハリソン・フォードはリドリー・スコットを受け入れたから続編の2049に出演できた」
2049ではリドリー・スコットが全権を持つ総指揮になってる。
すなわち2049はリドリー・スコットのデッカードはレプリだという設定が反映されたものであって
フォードもそれを受け入れたことになる。
2049はデッカードをレプリカントとして観ないと明らかに意味が通じない。
デッカードは人間だと勘違いして観た人は、結局ちんぷんかんぷんだったのだろうと思われる。
子作りできるレプリの製造法を求めていたウォレスはデッカードに会った際「あなたは驚異だ!」という。
連行されるデッカードが「どこに連れて行くんだ?」と聞くとラヴがデッカードに「ホーム!(故郷)」とこたえるが
オフワールドはデッカードの故郷ではないので、ホームとは
デッカードもそういう場所で作られたレプリを製造する研究室に戻されて
子供を作れる仕組みをくまなく調べられるという意味だ。
これらはデッカードがレプリカントだからこそ成り立つセリフなのだ。 まぁ4年の寿命という儚さがレプリカントの生涯という哀愁じみたものを感じさせるのに
デッカードは歳をとるレプリカントっていうのがもう前作をぶち壊してるし
しかも生殖機能付きときたからね
もうドラゴンボールの世界だよ レプリってそもそも結構高額だと思うが
まあ、それが4年しか使えないってのも高コストだしな ラスト死ぬとこの音楽はちょっとコント的に感じてしまった
極端に言えばマリオの死亡音楽が流れるのと同じ
ロイのがかっこよすぎたからかな? ひたすら眠い
全然盛り上がらない
謎を解いてもで?って位
話に感情移入出来ない
こんな事じゃないですかね
もっと短くまとめる、人物の内面を出す(長回しで撮るんじゃなくて)
話全体の矛盾を減らす等すれば、もうちょっとマジだったと思う ブレードランナーってスタイリッシュな様式美から一番遠い、ごった煮、ヤミナベの美意識が斬新だったのに、
そこ全然踏襲せずに画面を整理してきた。あれじゃダメ。ブレードランナーじゃない。 ビルヌーブの演出は悪くなかったと思う
脚本にカタルシスが殆ど感じられなかった
のが良くなかったです >>130
>リドリーの「デッカードはレプリカントだ」なんてのはリドリーが耄碌して撮影当時の事を忘れて勘違いしているだけだろ。
違う!ハリソンフォードも言っているが、「リドリー・スコットは撮影中、デッカードがレプリカントなのを観客にどう分からせようかと考えてた」
つまり、撮影時からデッカードはレプリカントであって、リドリースコットが撮影当時の事を忘れて勘違いしているのでもなければ
映画公開後の後付けでもないということだな。 >>144
2019撮影直後、或いは撮影終盤から耄碌しちまった
とはかんがえたくはないなあ >>144
>違う!ハリソンフォードも言っているが、「リドリー・スコットは撮影中、デッカードがレプリカントなのを観客にどう分からせようかと考えてた」
え?そんなのどこに書いてあったの?ソースを提示してくれるとありがたいが
どう考えても2019のフィルムを観ただけではデッカードがレプリカントには思えないんだが。
まぁそのフィルムが4種とか5種有るから話が更にややこしいんだが、当時の劇場公開版で考えたらデッカードがレプリカントで有るなんて根拠はフィルムから一切見つけられないけどな。
リドリー・スコットがデッカードをレプリカントとして描写したかったのなら、何故そんな物語の最重要とも言える要素をスニーク・プレビュー版や
公開版に入れ無かったのか、デッカードはレプリカント派の人は説明出来るのかね?
俺は、リドリーがデッカードがレプリカントってアイデアは持っていたかも知れんが「いやそれはやっぱ変だよな」と思ったからデッカードは人間として劇場公開版を作ったのだと思う。
デッカード・レプリカント説を補強するのは劇場公開版の10年後のディレクターズ・カットの「森の中のユニコーン」の挿入になるが、
フッテージを撮影しておきながらスニーク・プレビュー版にも劇場公開版にも入って無いってことはリドリーはデッカードをレプリカントとして表現してないからとしか言いようが無い。 >>146
メイキング本を読め
メイキング本を読まないのなら、せめてここを見てごらん
↓
ブレードランナーFAQ
http://www.st.rim.or.jp/~kimu/br/bladerunner-faq-j.txt
>リドリー・スコットとハリソン・フォードは、デッカードをレプリカントに
>することになっていたと語っている。 Details Magazine (米国) 1992 年
>9 月号においてデッカード役ハリソン・フォードは語る:
> 『ブレードランナーは気に入っている映画じゃないんだ。リドリーともめたからね。
>最大の問題はその結末なんだ。彼は観客にデッカードはレプリカントだと発見させたがった。』 >>146
ブレードランナーFAQより転載すると
>"The Blade Cuts", Starburst (英国) 1982 年 11 月 51 号
>スコット:・・・君はユニコーンが登場するバージョン[の脚本]を読んだかね?
>マッケンジー:いいえ・・・
>ス:ユニコーンのアイディアは、すごいアイディアだと思うね・・・
>マ:デッカード自身がレプリカントだと、明かに推測できると。
>ス:その通り。それは私にとっては、全く論理的なことなんだ。ことに、フィ
>ルム・ノワールでやるのなら、そのテーマに徹底的にこだわるべきだ。
>それだと、主人公の追っている人物が、実は自分自身だったなんてことがありうるのさ・・・
>マ:森の中のユニコーンのシーンは、実際に撮影したのですか?
>ス:絶対にね。そのシーンを映画に入れたら、素晴らしい効果をあげたと思う。
>デッカードは椅子に座っていて、酔っ払っているので、下手なピアノを弾くんだ。
>ピアノに熱中してきたところで、意識がちょっと脇道に逸れて、ユニコーンが森の中から飛び出してくるショットが入る。
>それは気づかない程ではないが、さりげないショットなんだ。
>デッカードにカットが戻ると、そのことに全くなんの反応も示さないで、ただ、そのシーンを続ける。
>ここで、ガフというキャラクターが折り紙で表現した全てのアイディアが揃う。
>チキン、小さな棒人形。だからユニコーンの折り紙は、ガフがそこにいたことを物語っている。
>映画における一つの層では、個人的な思考と記憶について語っているが、では、ガフはどうやってデッカードの個人的
>な思考でのユニコーンについて知り得たのか?それがデッカードがこんなふうに頭を振った理由なんだ。
ここで肝心なのは最初に劇場公開した1982年にすでに雑誌のインタビューで
リドリースコットは、デッカードをレプリカントとしてユニコーンの映像も撮ったと発言していることだ! >>146
>「いやそれはやっぱ変だよな」と思ったからデッカードは人間として劇場公開版を作ったのだと思う。
違う!
リドリースコットは当時まだハリウッドではエイリアン一本がヒットしただけの新人監督で
権限を持っていなかった。
カメラも自分でのぞき、美術にも自分で手を加える英国流の撮影をしたがるリドリースコットに対し
ハリウッドではギルド(組合)があって、スタッフの仕事の権利を奪われないように
カメラを監督に覗かせない!美術等にも監督は手を加えない!という決まりがある
その撮影の仕方でリドリースコットと一部のスタッフがもめて
ブレードランナーに出資した製作者も、リドリースコットに難解にするな!とクレームを入れた
新人監督で権限がなかったリドリースコットにしてみれば、お蔵になるよりはと
別の映画「シャイニング」のバンクフィルムまで使ってラストを明るい終わりかたにせざるをえなかったり妥協したものを完成させたまで。 >>146
「どう考えても〜」とか「〜と思う」とかいう前に
せめてポール・M.サモンが書いた「メイキングオブブレードランナー」や
特典映像ディスクくらい目を通してから書き込んでほしい リドスコに関してはそうだと思う
ただ名声を勝ち得た現在に至ってもファイナルカットや2049でデッカードがレプリカントであると決定的に分かるシーンを挟むことは出来なかった
つまり、現在でもどっちか分からないというのが正解 >>151
リドリースコット「デッカードはユニコーンの白日夢を見る。
それは誰にも話していない。
だがガフはユニコーンの折り紙を置き、お前の見る夢を俺は知ってるぞ!
お前の記憶は移植されたものなのだと伝えた。
ユニコーンの折り紙を見て、デッカードも大きく頷いた。
ここまで言っても、デッカードが何者なのか、まだわからない奴は馬鹿だ」 まだわからないとする、頭の悪い>>151が馬鹿なのであろう >>152
リドスコに関しては同意してんのに、リドスコのことをまた書き込むのはバカだからか いや、リドリースコットだけじゃなくガフ役のエドワード・ジェームズ・オルモスも
「デッカードはレプリカントだよ。ガフがユニコーンの折り紙を置くあの意味は
デッカードの記憶は移植されたものでガフはそれを知ってるということ。
つまりはデッカードは記憶を移植されたレプリカントだということ」と答えてる >>154
早く気付いたほうがいい。君が馬鹿なことに。
リドスコと言ってるいつものアンチだろうけどさ >>155
役者は基本的に監督の指示どおりに演技する訳だから、その回答には意味がない
監督にもの申せるのはハリソンほどのメジャーな俳優だけ >役者は基本的に監督の指示どおりに演技する訳だから、その回答には意味がない
役者ハリソンフォードにも監督の意図を曲げる権利はない! ハリソンフォードがブレードランナー2049に出演できた経緯を
2049を監督したドゥニ・ヴィルヌーヴはこうインタビューで答えた
「フォードはリドリースコットをすべて受け入れたから出演できた」 ハリソンの演技は頑固親父っぽくなって、より人間的だったけどねw
すまんが今から仕事だから落ちるわ
たまには違うこと書いて、みんなを唸らせてみ 人間的なのが人間とは限らん
ブレードランナ〜の劇中ではロイもレイチェルも人間よりも人間的だったから 人間的なレプリが自我をもって生きることを模索する物語で
人間的だったから人間としか見れないなら、それは馬鹿でしかない >>1623
君は、毎回、バカ丸出しか、精神障害であろうな
それでよく他の映画が楽しめるな、かわいそうに レプリカントなのに人間的なバッティとの対比構造としてレプリカントを冷酷に追い詰める人間でブレードランナーのデッカードっていう存在が有る方がストーリーとしては収まり良いけどね
だからデッカード人間説を唱える人は多い
映画として見ても人間と人間じゃない者との間に本物の愛が成立する方がSF濃度高い気がするし
2049なんかAIとレプリカントの間で愛情としか思えない感情が交わされる事に感動するわけで
デッカードは人間だった方が深みが増す シャイニングの映像のラストに気づかず、緑が広がる良いエンディングだと勘違いしたのと同様に
酸性雨が降りしきり動植物が絶滅しかけている世界観でオフワールドへ出ようと宣伝している街の郊外に、なぜか緑豊かな自然が広がってるのを変だな、おかしいと思わないで見てたやつには
デッカードが人間だとしか見れず映画の本質を勘違いしてるだけだよ あと、真相というのは多数決ではないから!
百人のうち99人がAを選らび、Bだと答えた人がたったひとりだったとしても
正解がBならば、それが真相なのだ >>170
それもユニコーンのイメージをガフとデッカードが共有してる事しか無いわけだろう?
デッカード=レプリカントの提示としては若干弱いな
匂わせ程度で明示じゃないね
バッティと同じようなスーパーマンっぷりを戦闘中に見せるとかしないと明示にはならないね
極々曖昧に処理されてる物をサモンのアンチョコに書いてあったからと言って丸々信じて考えるのを止めると言うのも思考停止でつまらないなぁ
シャイニングのOPのフッテージを借りた事に関しては当時から無理矢理くっ付けた事は有名だったから、みんなおかしいと思ってるだろ >>162
>人間的なレプリが自我をもって生きることを模索する物語
頑固親父云々は冗談だがそれも分からんとはw
それはさておき、これまでさんざん服従プログラムだの恋愛プログラムだの言って、つい先日もラストの二人の逃避行の理由を愛情ではなくデッカードの身バレだからと言った御仁が、よくもまぁ、こんなことが言えるねw
デッカードの人間性を一番否定してたの、お前だろうがw なるほど、そういうことか
人間っぽいレプリカント的な人間らしさのあるレプリカント調の人間風なレプリカント仕様の人間という事だね
とういう事で、この不毛で中身のない議論に終止符を打ち映画の話をしてはどうかな >>171
>バッティと同じようなスーパーマンっぷりを戦闘中に見せるとかしないと
おまえは、別のわかりやすいアクション映画でも見たほうがいいんじゃないかい? ブレードランナーを監督し、2049では全権を持つ製作総指揮になったリドリー・スコットが
「デッカードはレプリカントだ」という以上は、デッカードはレプリカントで間違いない!
いつまで「ちがう!人間だ!人間だ!」と泣きわめいてるのか、低能なガキかよw 脚本構成上の可能性も考えないで リドリースコットの現場の思い付きを棍棒として振り回すとはね(苦笑)
無印でも2049でも描写としてはバッティやKとの対比でわざわざデッカードはレプリカントじゃない描写をされてるよ
それに原作のフィリップKディックの作風は自分と他者との立場やアイデンティティが揺らぐような作品が多いしアンドロイドは電気羊の夢を見るのかもそういった描写が有る
これは追う者も追われる者も同じアンドロイドだと成立しないんだよね
根本的に違う属性だった者がどっちがどっちか分からなくなるのが肝の作風だから ウォレスは、レプリを何体作っても作った分が朽ちればレプリの数はそれで終わってしまうので
レプリだけで子作りできて産んで増える作り方を探してたが
デッカードが、ウォレスが探してた子供を作れるレプリじゃないと
ウォレスがデッカードをオフワールドに連れて行って調べようとする展開が
そもそも成り立たないのですよw >>177
そうだとするとわざわざ遺伝子設計したレプリカントから産み出される子供のレプリカントは男性側因子を受け継ぐんですか?
自然のガラガラポンに委ねるの?
男性側を調査するのは無駄じゃ無いかな?
出産の機能が集中してるのは明らかに女性側だし産み出すレプリカントは単為生殖で増殖した方が狙った性能が出しやすいよ
あとデッカードをレプリカントにする事で失ってしまう脚本の要素を考えるとデッカードレプリカント説ってあんまり良い事無いよね
そもそもレプリカントを調査するのに生産設備が整った地球上じゃなくてオフワールドに向かうと言うのがよく分からないね >男性側を調査するのは無駄じゃ無いかな?
レイチェルはもうすでに亡くなてって
クローンを作っても過ぎ撃ち殺したところを見ると
レイチェルの骨からは子供を作れる製造法は再生できなかったようだし
残った男性レプリ体であるデッカードを調べるしか残されてないわけだ。
仮に、子供の行方を探そうと「生まれた子供はどこだ?」と尋問するなら
デッカードをわざわざオフワールドまで連れていく必要はないわけで。 >生産設備が整った地球上じゃなくて
そんな設定どこに出てきた?
ブレードランナーの世界観からしても
環境汚染で自然の木すらレアな存在で地球上は住みにくくなっていて
「オフワ−ルドへ出よう」と宣伝してた前作よりさらに進んだ時代で
地球上よりオフワールドのほうが施設は充実してるんじゃないか? で、話を元に戻すと、仮にデッカードが人間だったら
ウォレスは、デッカードを子供を作れるレプリだと思い込んで空回りして行動してるだけの実に間抜けなコメディになってしまいかねない
それはさすがにないだろうから、デッカードが人間だという展開だととても変で
デッカードが、ウォレスが探してた子供を作れるレプリじゃないと
2049の展開がああは成り立たない >>180
生産されてたじゃないか?
あのプロトタイプは地球上で生産されてないのに何であのビニールから落っことされたの?
そもそもチュウの眼球も地球上で作ってたしな
地球でパーツ単位で生産してるのに何でレプリカントは生殖で再生産できる設定を新設したのかわからんけど
2049がそういう設定だから認めろって言う話しなら
リドリースコットセンス無いなって話で納得しても良いけどね >>182
ならば、いったいなんのためにオフワールドへ連れて行こうとしたかを説明できますか?
デッカードが「どこへ連れて行くんだ?」と聞くとラヴは「ホーム(故郷)」と答えた
オフワールドの研究室(レプリの故郷)に連れて行って、デッカードの体を調べつくし
子供を作れるレプリの製造法を見つけるためだとしか思えないが? ちなみに製造所と、研究所は違うから
レプリを研究する専門の金持ち連中はとっくに地球を出てオフワールドに向かったからと考えるのは? >>183
>ならば、いったいなんのためにオフワールドへ連れて行こうとしたかを説明できますか?
2049におけるリドリースコットの暴走が故
それ以上の合理的な説明はできないんじゃない?
デッカードをレプリカントにしても脚本上のプラスは何も無いもん
>>184
ウォレスは地球上にいてプロトタイプは地球上で作ってるけど研究施設はオフワールドにあるの?
逆じゃない? 純粋な製造施設は消費地に近いオフワールドでやれば良いけど開発は地球上なら劇中描写を納得しやすいね
ていうか君はリドリースコットが改変した脚本をこじつけようとするのに懸命だね
別にスクリプトのミスならミスで良いんだよ
どうせ完全無欠な映画では無いんだし 一つ言えることは、デッカードがもし人間だとしたら
話の展開がどう考えても矛盾してるということ。
デッカードが子供を作れる唯一残ったレプリカントなら
ウォレスがデッカードをオフワールドに連行しようとする展開に合点がいく。 あとオフワールドの環境は良いという描写も特に無いよね?
オフワールドには呼吸可能な大気が有るとも限らないし地球と同じ重力とも限らない
そもそも2019でバッティは“俺が見た物をお前に見せてやりたい”と言ってたくらいの地獄だけど? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています