【A24】グリーン・ナイト-The Green Knight-
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原題 The Green Knight
製作年 2021年
製作国 アメリカ・カナダ・アイルランド合作
配給 トランスフォーマー
上映時間 130分 キャスト
デブ・パテル
アリシア・ビカンダー
ジョエル・エドガートン
サリタ・チョウドリー
ケイト・ディッキー
バリー・コーガン
ラルフ・アイネソン
ショーン・ハリス 監督
デビッド・ロウリー
製作
トビー・ハルブルックス
ジェームズ・M・ジョンストン
デビッド・ロウリー
ティム・ヘディントン
テレサ・スティール・ペイジ
製作総指揮
エドモンド・サンプソン
アーロン・L・ギルバート
ジェイソン・クロス
マクダラ・ケレハー
脚本
デビッド・ロウリー
撮影
アンドリュー・D・パレルモ
美術
ジェイド・ヒーリー
衣装
マウゴシャ・トゥルジャンスカ
音楽
ダニエル・ハートマン A24『グリーン・ナイト』11月25日公開決定!日本版ポスターが解禁!
14世紀の叙事詩を元に、一人の人間の野望と挫折、愛と欲望の物語を『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のデヴィッド・ロウリー監督が描いたA24新作『The Green Knight』が、邦題を『グリーン・ナイト』として11月25日(金)より全国公開されることが決定し、日本版ポスタービジュアルが解禁されました。
アーサー王の甥として、恵まれた環境で怠惰な日々をおくる若者サー・ガウェイン(デヴ・パテル)。彼はまだ正式な騎士ではなく、人々に語れる英雄譚もありません。ところがクリスマスの日、異様な風貌の緑の騎士から“遊び事(ゲーム)”と称した恐ろしい首切りゲームを提案され、呪いと厳しい試練の日々が始まります。気が触れた盗賊、彷徨う巨人、言葉を話すキツネ……生きている者、死んでいる者、そして人間ですらない者たちが次々に現れ、ガウェインの旅路を導いていきます──。
「サー・ガウェインと緑の騎士」は14世紀の作者不明の叙事詩で、「指輪物語」のJ・R・R・トールキンが現代英語に翻訳し、広く読まれてきました。この原典を、幻想的で奇妙な冒険の旅を通して、自分の内面と向き合っていく若者の成長物語へと大胆に脚色したのは、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のデヴィッド・ロウリー監督。ジュード・ロウを主演に迎えた新作『ピーター・パン&ウェンディ』がDisney+で配信を控えるなど、今後のさらなる飛躍が期待される若手です。 未熟でどこか頼りない主人公ガウェインが未知の世界へと挑んでいく姿を魅力的に演じるのは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』のデヴ・パテル。『リリーのすべて』でアカデミー賞助演女優賞に輝いたアリシア・ヴィキャンデルが一人二役の難役に挑戦したほか、ジョエル・エドガートン、ショーン・ハリス、バリー・コーガンなど個性派俳優たちが脇を固めています。
日本版ポスターでは、“緑の騎士”がサー・ガウェイン(演じる)を侵食しているような“光と闇”の二面性を表現。作品の世界観を表した「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ」という言葉は、哲学者フリードリヒ・ニーチェが「善悪の彼岸」で記した言葉です。
『グリーン・ナイト』は、「魔法にかけられたように美しい」(inews.co.uk)、「歴史に名を残す騎士道物語」(IndieWire)、「唯一無二」(Den of Geek)などと各国の批評家や観客から称賛を浴び、第93回ナショナルボードオブレビューでインディペンデント映画トップ10に選出されたほか、第1回ポートランド批評家協会賞や第17回ノーステキサス映画批評家協会賞にて作品賞を受賞しました。 『グリーン・ナイト』(原題:The Green Knight)
アーサー王の甥であるサー・ガウェインは、正式な騎士になれぬまま怠惰な日々を送っていた。クリスマスの日。円卓の騎士たちが集う王の宴に、まるで全身が草木に包まれたような風貌をした緑の騎士が現れ、恐ろしい首切りゲームを持ちかける。その挑発に乗ったガウェインは、緑の騎士の首を一振りで斬り落とすが、彼は転がる首を自身の手で拾い上げると「1年後に私を捜し出し、ひざまずいて、私からの一撃を受けるのだ」と言い残して去ってゆく。それは呪いと厳しい試練の始まりだった…1年後、ガウェインは約束を果たすべく、未知なる世界へと旅立っていく。
監督・脚本・編集/デヴィッド・ロウリー
出演/デヴ・パテル、アリシア・ヴィキャンデル、ジョエル・エドガートン、サリタ・チョウドリー、ショーン・ハリス、ケイト・ディッキー、バリー・コーガン、ラルフ・アイネソン
2021年/アメリカ・カナダ・アイルランド/英語/130分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語字幕:松浦美奈/字幕監修:岡本広毅
日本公開/2022年11月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ ほか全国ロードショー!
配給/トランスフォーマー
提供/トランスフォーマー、Filmarks、スカーレット
© 2021 Green Knight Productions LLC. All Rights Reserved 『グリーン・ナイト』日本版特報&新場面写真7点が解禁!
14世紀の叙事詩を元に、一人の人間の野望と挫折、愛と欲望の物語を『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のデヴィッド・ロウリー監督が描いたA24新作『グリーン・ナイト』の日本版特報映像と新場面写真7点が解禁されました。
主人公は、アーサー王の甥として恵まれた環境で怠惰な日々を送る主人公サー・ガウェイン(デヴ・パテル)。特報は、王座に座るガウェインの首に火が付き、たちまち燃え上がるシーンから始まり、人々に語れる英雄譚をまだ持たない彼が、クリスマスの残酷な遊び事(ゲーム)から1年後、緑の騎士を探す未知の世界へと挑む“慈悲なき旅”に出る様子が描かれていきます。
気が触れた盗賊、彷徨う巨人、城の主人やその妖艶な奥方、旅の相棒となるキツネなど、彼を緑の騎士のもとへと導く様々な者や、旅で遭遇する出来事が次々に映し出され、ラストでは、全身が草木に包まれたような異様な風貌の緑の騎士が、身体を軋ませながら「覚悟はいいか」と斧を手にガウェインに歩み寄ります。細部までこだわり抜いた独特かつ壮大な世界観を予感させる描写の数々や、圧倒的な映像美など、本編への期待が高まる特報となっています。
解禁された写真では、クリスマスに馬にまたがりアーサー王の宮殿に姿を現した緑の騎士の全貌、ガウェインの旅立ち、アーサー王の威厳に満ちた姿をはじめ、彼が試練の旅で出会う魅惑的なキャラクター達が切り取られています。
さらに、9月9日(金)より「オリジナルステッカー」付きムビチケカード(税込1,500円)が、全国の上映劇場窓口(一部劇場を除く)、メイジャー通販で発売決定(先着・数量限定のため、なくなり次第終了)。本国のキャラクタービジュアルをもとに制作されたこのステッカーは、ガウェイン、緑の騎士、城で出会う奥方に加えて、ファンから大きな反響があったキツネも含めた4キャラクターが揃っています。 A24『グリーン・ナイト』日本版本予告&新場面写真8点が解禁!
14世紀の叙事詩を元に、一人の人間の野望と挫折、愛と欲望の物語を『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のデヴィッド・ロウリー監督が描いたA24新作『グリーン・ナイト』の日本版本予告と新場面写真8点が解禁されました。
クリスマスの日、アーサー王の宮殿に円卓の騎士達が揃い宴が催されているところに突然現れたのは、全身が草木に包まれたような異様な風貌をした緑の騎士。「わしと戦う勇気のある者は?」という呼びかけにただひとり名乗りをあげたのは、王の甥でありながらも人々に語れる英雄譚を持たないガウェイン(デヴ・パテル)でした。緑の騎士の“クリスマスの遊び事(ゲーム)”に乗り、その首をガウェインが一振りで切り落とすと、緑の騎士はその首を自ら拾い上げ、「1年後に会おう」と高笑いとともに去っていきます。
1年後、「ただの遊び事では?」と問うガウェインに、アーサー王は「ゲームかもしれないが、終わらせねばならん」と、緑の騎士を捜す旅に出るよう促します。緑の騎士とは何者なのか、そして“名誉”のために旅をしているのだと言うガウェインを待ち受けるものは──? 映像では、旅の途中で彼を導き時に惑わす魅惑的な者たちを演じる、『リリーのすべて』のアリシア・ヴィキャンデル、『スター・ウォーズ』シリーズのジョエル・エドガートン、『エターナルズ』のバリー・コーガンら豪華キャストの姿も確認できます。
予告編のナレーションを務めたのは『劇場版 Fate/Grand Order 神聖円卓領域キャメロット』などで、本作の主人公でもあるガウェインの声を担当した水島大宙。「今回、ガウェインの名で繋がることのできた、このご縁にとても感謝しています」と語っています。
到着した写真では、ガウェインが緑の騎士に一撃を与えるためにアーサー王から剣を授けられる様子や旅立ちを前に装具を着せてもらう姿、アリシア・ヴィキャンデルが1人2役で演じた、ガウェインの恋人エセルと旅で訪れた城で出会う奥方というガウェインと深く関わることになる二人の女性の姿などが切り取られています。 劇場情報
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=greenknight
埼玉
劇場名
イオンシネマ春日部
11/25(金)~
シネプレックス幸手
11/25(金)~
ユナイテッド・シネマ ウニクス上里
11/25(金)~
MOVIX三郷
11/25(金)~
千葉
劇場名
T・ジョイ蘇我
11/25(金)~
TOHOシネマズ流山おおたかの森
11/25(金)~
東京
劇場名
TOHOシネマズ シャンテ
11/25(金)~
TOHOシネマズ新宿
11/25(金)~
TOHOシネマズ六本木ヒルズ
11/25(金)~
イオンシネマ多摩センター
11/25(金)~
吉祥寺オデヲン
11/25(金)~
kino cinema 立川高島屋 S.C.館
11/25(金)~
神奈川
劇場名
イオンシネマ港北ニュータウン
11/25(金)~
kino cinema 横浜みなとみらい
11/25(金)~
イオンシネマ座間
11/25(金)~ なすしおばら映画祭のオンライン上映にて鑑賞。
のんびりゆったり流れる時間と綺麗な那須塩原の自然が映像から伝わってきた。
琢ちゃん目的だったので、SUPを楽しそうにする姿とか息子を思って泣く姿がたまらなくよかった…。泣きの演技をさせたらやはりピカイチだと思う。琢ちゃんの演技に再度惚れ直した映画だった。
ぜひとも全国の映画館で上映してほしいなぁ。 He tened quen he schulde telle,
He groned for gref and grame;
Þe blod in his face con melle,
When he hit schulde schewe, for schame.
‘Lo! lorde,’ quoþ þe leude, and þe lace hondeled,
‘Þis is þe bende of þis blame I bere in my nek,
Þis is þe laþe and þe losse þat I laȝt haue
Of couardise and couetyse þat I haf caȝt þare
上記のセンテンスはガウェイン卿が自分自身が犯した恥じる行為をアーサー王に包み隠さず事の顛末を語る勇気ある行動として捉えるとしても... 500年ほど前に書かれた作者不詳でしかも地方の方言も含まれているので一目見て難解と分かる原作を今更、読む気はサラサラないけれども...載せてみました。
Green Knight: Well done, my brave knight. Now...
Off with your head.
あらかじめ予想はしていても、主人公のガウェイン卿のアーサー王伝説のフェアリー・テールをベースにした映画の話の筋の中では彼が円卓の騎士ではない設定はどうかしている?と思っていると最後には原作とはかけ離れた "twist ending" つまりどんでん返しで締めくくられている。これって、原作の内容を知らない方がいいのかもしれない。へたに知ってしまうとその違いからギャップを強く意識して感じてしまう恐れがある。
だが、それが反ってイギリスの14世紀を代表する質の高い物語として韻を踏んだ詩的に創作された原作やそれとは全く別のストーリー展開を見せている映画自体としては個人的には騎士道精神を別の角度から解釈して描いているのでどっちもどっち的に塩梅はいいのかもしれない。
それと共時性を感じさせるのが、1984年製作のファンタジー・アクション映画『勇者の剣(つるぎ)』
緑の騎士を名優ショーン・コネリーが演じていたけど、一言でいってコスプレ・マニアしか見ない様な超が付くほどの駄作でコネリーともあろう人が何故出演依頼を断らなかったのか?不思議な一本と言えるかもしれない。ちなみにこの作品もラストのエンディングと時代背景を改変をしている。 5 世紀後半から 6 世紀初頭にかけて、アーサーという力強い王がサクソン人を撃破した伝説の人物の物語を作者不詳の原作と同じ14世紀ごろに設定を改変するためだけに固有名詞のアーサー王の"ア"の字も出さずにただの名無しの"KING"として、またガウェイン卿の母親がアーサー王の妹モーガン・ラ・フェイと信じられているのにただのブラック・マジックを操る"MOTHER"と曖昧にしか役名にしていないのは映画製作者が小説の登場人物を匿名にすることで小説と映画との違和感を少なくし和らげる配慮と考えた方が本作を好きになればそうも思えるのかもしれない。
その理由として作中、ガウェインがお乳がコボレそうな城主の嫁さんの愛撫に想わずお漏らしをしてしまうシーンから原作と大きく異なる演出を映画製作者はしたかったのかもしれない。原作では騎士としての忍耐を試されている。だからこの映画の製作者はマーク・トウェインの『王子と乞食(失礼、原作を尊重して)』の王様を最下層の民にするぐらいに騎士道精神を小馬鹿にしたかったと受け止められても仕方のない脚本と言えるかもしれない。
アイルランドのキルデア州セルブリッジにあるキャッスルタウンハウスエステートの端にあるコルク抜き型の建物ワンダフルバーンを代表するようにアメリカはもちろんカナダにもロケをしていて、それらの風光明媚で奇麗な深みのあるグリーンを基調とした自然な色彩は、感動するに足りるかもしれないけれど話の流れの冗長過ぎるところを気にしない様な、この映画をお気に入りの方なら凝りに凝った衣装を含めて美的には優れていると思われるに違いない。
ところが伝統的な騎士の 5 つの美徳である、友情、寛大さ、純潔、礼儀、信心深さ、全てにおいてこの映画は我々、観客である視聴者をことごとく裏切っている。最後の最後になって、そのしょく罪として、ラストに緑の騎士がガウェイン卿への賛辞としてこう告げるところでエンディングを迎える。 "Off with your head"
これをどのように捉え解釈するかは... 受け手である観客次第という事?
ところで、ちなみに女性が鈴をつけるシーンは特定の病気を患っている者や売春婦に対して中世では不浄の意味で一般市民に対しての区別や警告で使われ、しかも売春婦は公の場では髪をショート・カットにする必要もあったとされる。なかなか手厳しい風習と言えばいいのか? 日本でも罪を犯した人は江戸時代には犯罪抑止を目的に始まった「入墨刑」という腕に入れるのはよく時代劇で見る機会があるけれど実際には額にも入れ墨を彫ったりなんかしている。
緑の概念は青色と解釈していた日本...
信号機の色は緑色が本来なのに青信号と呼び、野菜も青々としたと形容する。それは、もともとは日本には、赤、青、黒、白の4色の概念しかなく、その点本作のイギリスの物語『Sir Gawain and the Green Knight』では緑色をした騎士が登場している。イギリスではこの緑色の意味は伝統的に自然とそれに関連する属性である豊じょうと再生を象徴している。それにより生命の源と考えられるのかもしれない。また一方では"生"とは真逆な腐敗や毒性を表す魔術、悪魔、悪をも表してもいた。
ただ勘違いをしてほしくはないのが、怪物のような緑色をした巨人の緑の騎士を悪の権化のようにとらえるのは過ちのように感じるので彼がとてもウィットに富んだ存在なのを本作をご覧になればその意味が分かるかもしれない。
ドラゴンやホワイト・マジックにブラック・マジック... 中世の人があまり発達していない医学の中で生命の危機を常に感じながらファンタジーの世界観を作り上げた遊び心を垣間見ることが出来るかもしれない。 面白くはないし、正直さっぱりなのだが、興味深く見続けてしまう世界観や音楽、なによりデヴパテルの演技力よ。
見終わってプレス読んでる時が1番面白い。
色々考えて映像にしたスタッフの人達凄い。
A24史上最高に壮大だとは思う。 声優・大塚明夫がナレーションを担当『グリーン・ナイト』背景や世界観をわかりやすく紐解く!解説動画解禁!
14世紀の作者不明の叙事詩「サー・ガウェインと緑の騎士」は、「指輪物語」の作家J・R・R・トールキンが現代英語に翻訳し、広く読まれてきた。この原典を、ロウリー監督自身が深い愛と敬意をもって大胆に脚色。過酷な自然界へと挑む冒険と幻想的で奇妙な旅を通して、自分の内面へと向き合っていく若者の成長物語を、示唆に富んだ斬新で濃度の高い魅惑的な映像で描き出す。アーサー王の甥として恵まれた環境で怠惰な日々を送る主人公サー・ガウェインを演じるのはデヴ・パテル。まだ正式な騎士ではなく未熟でどこか頼りないガウェインが、クリスマスの残酷な“遊び事(ゲーム)”から1年後、未知の世界へと挑んでゆく姿を魅力的に演じる。
『ミッドサマー』や『ライトハウス』などジャンル映画をアートの域まで高めてきたA24が贈る、初の本格ファンタジーがついに日本公開。
中世文学の最高傑作であり、アーサー王伝説のひとつ「サー・ガウェインと緑の騎士」や、映画『グリーン・ナイト』の魅力を様々な角度から紐解く解説動画が解禁となった。
時代を超えて受け入れられてきた「サー・ガウェインと緑の騎士」と本作を、【起源】【伝説】【英雄】【家系】【旅】の5つのパートに分けて約190秒で、様々な角度から分析し深掘りする。ネタバレなしの映画公開前の予習としてぴったりの映像となっている。 広い文化圏に影響を与えた神話的な道徳の物語である「緑の騎士」の【起源】をたどるパートでは、翻訳を手がけたJ・R・R・トールキンが “中世を振り返るカラフルなガラス窓”と評した言葉や、貴重な1731年の原本が映し出される。【伝説】のパートでは、アーサー王の宮殿に突如現れた緑の騎士が危険なゲームを持ちかける本編シーンをふんだんに使用し「緑の騎士は敬意の象徴」と紹介される。【英雄】のパートでは、まだ英雄譚をもたないガウェインのキャラクターの位置づけや、この物語がポップカルチャーや数々のキャラクターに与えてきた影響などを紹介。【家系】のパートでは、アーサー王や女王グィネヴィア、王の異父妹であるガウェインの母など、ガウェインをとりまくキャメロット王国の人々を紹介。【旅】のパートではガウェインが臨む過酷な旅路を通して現代にも通じる教訓を伝えていく。
この映像は、デンゼル・ワシントン、ニコラス・ケイジ、スティーヴン・セガールなど洋画の吹替を始め、アニメやゲームなど数多くの名作でキャラクターに新たな命を吹き込んできた声優・ナレーター・俳優である大塚明夫が全編にわたって解説のナレーションを担当した。劇場公開は字幕版のみの上映となるが、本映像中のラルフ・アイネソン演じる緑の騎士のセリフの吹き替えにもチャレンジしており、貴重な映像となっている。
またオリジナルとなる字幕版のナレーションは、本作でタイトルロールの緑の騎士を演じ『ハリー・ポッター』シリーズのアミカス・ カロー役などでおなじみのラルフ・アイネソンが担当。このバージョンも合わせて解禁となるので、ぜひ聞き比べも楽しんでほしい。
11月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ ほか全国ロードショー! めちゃくちゃ面白そうだよな、つかこれにもバリー・コーガン出てるのか 『#グリーン・ナイト』公開初日25日(金)デヴィッド・ロウリー監督オンライン舞台挨拶が決定✨
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会場:吉祥寺オデヲン
日時:11/25(金) 19:30の回 終映後
ゲスト:デヴィッド・ロウリー監督(『ア・ゴースト・ストーリー』『さらば愛しきアウトロー』)
この貴重な機会に、ぜひご来場ください!
https://twitter.com/greenknight_jp/status/1594255058426023938?s=46&t=WS5bwwzLccBDx7oPwrRa7w
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 既に見た人、テンポはどうでしたか?この監督は芸術性にこだわって展開が遅いイメージかあるんですが。 うーん…原作読んだら変わるのかな
イマイチわからん展開多い
バリーコーガンはほんの少しだけだったね
あと魔女の精子こべりつけは笑った 英文学を学ぶ人間なら誰もが通る道とまで言われた『アーサー王伝説』の中の傑作中の傑作、『緑の騎士』。それを大学時代から映画化を夢見ていたデヴィッド・ロウリー監督が監督だけではなく編集と脚本まで務めた怪作。
アーサー王伝説とガウェインの解説は立命大学の岡本広毅准教授に御高説を拝聴し、その点に関する解説は他の方も書くと思うので、ここでは個人的な解説を書かせていただきたい。
作中で描かれるアーサー王らしき人物や未来のガウェイン卿はタロットの大アルカナ“皇帝”と同じ構図になっている。“皇帝”は「支配、安定、成就・達成、男性的、権威、行動力、意思、責任感の強さ、軸」を意味し、ガウェインの成長を期待しながらも彼に試練を課すような年老いた偉大な王であるアーサーには相応しいように思える。しかし、これは正位置の話であり、作中で逆位置が強調するガウェインにとっては「未熟、横暴、傲岸不遜、傲慢、身勝手、独断的、意志薄弱、無責任」を意味するものであり、未熟な騎士の成り損ないのガウェインを表している。
キリスト教の司祭から祝福を受ける場面では「5」という数字が強調されており、キリスト教で神聖視される「3」や「7」ではないのはタロットで5番目の大アルカナ“教皇”の暗示と取れる。ガウェインは直前で恋人エセルから名誉よりも善良さが良いと告げられており、これも正位置の「慈悲、連帯・協調性、信頼、尊敬、優しさ、思いやり、自信、法令・規律の遵守、人徳」から来ているように思える。しかし、その祝福を受けた盾を叩き割られるところは逆位置に描かれ、彼の「束縛、躊躇、不信感、独りよがり、逃避、虚栄、怠惰、お節介、固着」という未来を暗示しているように思える。 斧を持ち狐と共に旅する姿は正位置では「自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才」、しかし逆位置で「軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性」を意味する”愚者“。十字路で道に迷う場面では死体が吊るされており、これは文字通り”吊るされた男“を意味していると考えられる。正位置ではガウェインの置かれた状況である「修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協」を、逆位置ではその結末とも言える「徒労、痩せ我慢、投げやり、自暴自棄、欲望に負ける」を表現していると考えられる。
他にも”女帝“など様々な暗示が存在しており、全てをかなぐり捨てて逃げる際には裏切り意味するユダの色”黄色“が多様性され、山の巨人たちの木霊は存在を忘れられて山彦だけになったギリシャ神話の「エコー」を意味しているように思える。
日本人にはわかりにくいところが多いかもしれないが、岡本広毅准教授が仰っていた通り「観客の理解に委ねる映画」と言える。 アゴーストストーリーが良かったけど、次は雇われでロード・オブ・ザ・リングとかゲーム・オブ・スローンズ的なやつかーもと心配したけど
そのまんまだったな
舞台とかそんな感じだった
アクション的なやつかと見た人はみーんな退屈してた
隣のおっちゃん、一時間耐えて出ていって帰ってこなかった これバリーコーガンとか含めて旅路で出会った全ての人はグリーンナイトの手中だったのか アーサー王伝説の知識がまるで無いんだけど、
ジョン・ブアマンのエクスカリバーとか観て予習したほうが良い? >>46
ありがとう
言う通りに予習して観に行くわ
ジョン・ブアマンのエクスカリバーはアーサー王伝説ダイジェスト版としては優秀みたいだし >>45
どうせなら『キングアーサー』にしろよ(笑) エンドロールで帰ってしまった… エンドロール後何があったの? 観た後でWikiで調べて理解したけど嫁さんにキスされたからそれを城主に返したって事か、突然のホモ展開かと思っちゃったよ A24らしい置いてけぼり感、やっぱり好き。
ヨーロッパで馴染み深い物語をここまで「よくわからなく」できるのは凄いと思う。
その「よくわからなさ」のおかげで、風景や音楽、人物や生物の美しさをより感じられたと思う。
難しいことは難しいんだけど、最後の最後で一応スッキリはさせてくれるので内容が難しいからって途中で観るの辞めないで!!!
最後の妄想?想像?の部分が怒涛の展開すぎてマスクの中で超笑ってた。
ヘレディタリーの時と同じだわ…。
好きだった人
歌う巨人
なぞの目隠しおばあさん >>32
新宿金曜ゴゴイチの回見た後では売り切れだった
中身は同じでカバーだけ違うのかしら? バリー・コーガンとかジョエル・エドガートンとか、曲者揃いのキャスティングの不穏な感じが堪らない
出てきた瞬間に「あー、この人色々と企んでるなー」という雰囲気がプンプンだから
ジョエル・エドガートンは2004年のブラッカイマー製作の「キング・アーサー」でガウェイン卿を演ってるんだね 都内でなるべく大きなスクリーンで
見たいけど六本木が比較的マシか? 新宿SC-6が4.6×11.0m
シャンテSC-1が3.5×8.2m
六本木SC-4が3.0×7.3m
六本木がいちばん小さい 「誰か討伐する奴いないのか?」の意味を「おらぬか」と簡潔にまとめた字幕も良かった 電気の灯りなんて存在しない、油も貴重でそんなに使えないという時代を完全に再現してる上に屋内のシーンが多いから全編に渡ってめちゃくちゃ暗い >>57
ああ、ごめん、12/1なんだ
これだとスクリーン2で5.5x13.1m
これより大きいのある? >>60
あー、12/1は六本木がSC-2なのか
だったらあそこが一番大きいと思うよ 全然面白くなかった
ストーリーも意味不明
巨人はなんのために出てきたんだよ あの最後でスッキリする?
わからんとは言わないがもっとしっかりオチ付けろと 陰翳に富む詩的な映像に、絢爛たる美術と衣裳、弦とクワイアが神秘的に融合したダニエル・ハートの音楽というアート映画贅沢セットの様相を呈していて、次々と繰り出される幻想的描写に目が眩みそうになるけど、『A GHOST STORY』のような静けさや余韻もしっかり残されているところにデヴィッド・ロウリーの才気を感じ取れる。そういった演出面を除いて物語にのみ焦点を当てても、ファンタジーという少しの捻りを加えた等身大の若者の成長譚になっていて好感度は高い。しかもキツネもかわいい(残念ながら喋り出した途端にかわいさが減退したが)。現時点で今年いちばんのお気に入り。 キャメロット?の生活感とかクエストこなしてる道中とか良かったけど
これでもかとばかりにガウェインの未熟さを積み重ねたのだから
もう少しちゃんと成長した姿を見せて欲しかった
トールキン版読んでないし昔中世騎士物語かなにかに収録されていたエピソードを読んだ程度でよく覚えてないのだけど
最後城主と贈り物云々のやり取りがあった気がしたのだがなかったな 観てきた
なんか日本昔話みたいな雰囲気
ガウェインさんがアリシア・ヴィキャンデルに「早漏」と罵られるシーンは刺激的だったけど
他の見どころは女王が猿の惑星みたいな顔してるのと
狐がひたすらかわいいところくらいかな
子供の頃に読んだ「ガウェイン卿と緑の騎士」を少しだけ思い出した 娼婦の彼女と城主の妻が同じ女優だと気づかなかった
キツネは母親が憑依してたの?ずっと息子を見守ってたのか? ガウェインがガウェインを介抱してる!と思ったよね
https://mobile.twitter.com/GREENKNIGHT_jp/status/1584481519955251201
伝説を史劇として再解釈したアントワーン・フークア監督版『キング・アーサー』でガウェイン役だったジョエル・エドガートンは、その事実も踏まえて本作では城主役に配役されている。しかし今回デヴ・パテルが演じた主人公は、まだ騎士ですらない……
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) エンドロールの最後のほうに、ちょこっと追加映像があった。
予告編で、すごくこわいのを想像してしまったのだけど、そんな残酷なやつではなかった。
んっ??となった。
ラストまで見て、やっと納得。
なんつうか、おとぎばなしって感じ。
アリプロジェクトの「あら皮」(「あら」は「鹿」が3つの漢字)って歌の内容を連想した。あっちは王子だけど。
これもダークファンタジー、というくくりなの?…いや、まあ、そうか。
残酷な物語を見すぎているのかな。
映像はいい感じで、暗くて見づらいくらいで、家庭に電気がない時代の絵画のような、モンサンミッシェルの中とかがこんな雰囲気だったような、とか思ったけど、中世っぽいってことなのか、それとももっと古い時代か?
これはなにをやりたかったんだろう?と気になって公式サイトを見たら、
十四世紀の叙事詩「サー・ガウェインと緑の騎士」で
指輪物語の作者が翻訳していて
アーサー王の甥のサー・ガウェインが騎士になる前の話で
原作とは違う、成長譚にしてある
って、登場人物がそもそもすごい顔ぶれだった、ってことで納得した。
あんまり事前に、すごい特別な話だとやられると、あれっ??となってしまう。
なんでだろう。
わたしに理解できなかったからなのか、
元ネタを知らないとピンとこないタイプの話だったのか、
見る人を選ぶ映画なんかな。
映像は楽しんだけど、物語にははまれなくて残念でした。 アーサー王伝説は様々な作品のベースになってたりするから教養として知っておいた方が映画の楽しみ方が広がるとは思う
あとは聖書とシェイクスピアかな 原作は読んでないけど恐らくその実直な映像化なんだろうというのは感じた
遊びが殆どないからエンタメを求めてる人には肩透かしだろうけど、世界観だとか空気感は伝わってきたので見ごたえあった >>45
Fate Stay nightっていうのがおすすめらしいぞ(大嘘) ガキの頃に見た「燃えろアーサー」にも緑の騎士は出てきたなあ あのラストは、娼婦と一緒になって王座は継がなかった、王様は不在ってこと? ラスト怒涛の展開わろた
この監督さん未来世紀ブラジル絶対好きだろうね >>82
そうだね
つまんないから今週からの新作観たほうがいいよ >>82
中世ファンタジーエンタメを求めるのならば否
硬派な中世物語の実写化を求めるなら賛だと思う 植物騎士、最初はいいが、最後のほうになると特殊メイクというよりは
緑のお化粧になっていて、いやになったでござるよ。 全然理解しきれなかったけど映像よかったからトータルでは満足感が勝ったな
巨人と喋る狐とラストの怒涛で妙な笑いがこみ上げてきて困った ゲームとして成り立つのか?
エンドロール後のボールと遊ぶ少女はなんなのか? >>88
娘でグリーンナイトに目つけられたんだよ
というか原作通りなら次のグリーンナイトは主人公だしな フリードリヒみたいな画作りに堪能したので
思ったより体感時間短かったな いきなり出てきた巨人はなんなの
三上版孔雀王思い出したわ 映像と空気感が素晴らしかった
どことなくワンダと巨像っぽい雰囲気 >>93
原作だともっとフォーカス当ててるけど映画だと早足気味になってたな >>96
そこは原作と変えてるのでは?
母親が作った ラストでガウェインの顔を拭った仕草からして
グリーンナイトの正体は魔法で作られたアーサーかアーサーに限りなく近い何かなんだろうな この作品の原作「サー・ガウェインと緑の騎士」は、14世紀に書かれたとされるイギリスの叙事詩だが、決して長いものではない。
そして、映画「グリーン・ナイト」は非常に象徴的で暗示的、更に、教訓的でもある。
この作者不明の2500語からなる詩篇が中世イギリス文学で、アーサー王の物語の後に続くように作られているのだとしたら、とても凄いことのような気がする。
アーサー王物語に続く話であるのなら、もっと国土を拡大し、統べるような勇壮なストーリーであってもおかしくないと思ったが、よく思い返すとイギリスでは13世紀にはマグナカルタが制定されているし、為政者に対する戒め、或いは、心構えのような物語があるのは当たり前だったのかもしれない。
アーサー王の甥であっても安穏と暮らしていてはいけない。
玉座に座っているだけでは、国の隅々のことを知ることは決してできない。
たとえゲームであっても真剣に取り組まなくてはならない。
どこに裏切り者や命をつけ狙うものがいてもおかしくはない。
甘い誘いに簡単にはなってはダメだ。
従者がいつ豹変するかわからない。
占いや縁起担ぎを簡単に信じ込んではならない。判断は自ら行わなくてはならないのだ。
そして、緑の意味。
緑は環境のことだ。現代にも通じる戒めが含まれているのだ。
こうしたことが出来て初めて運命に身を委ねるのだ。
おそらくどの時代でも、現代でも、為政者にも、多くの人々にも通じる考え方のような気がする。
ダークファンタジーなんて紹介もあったが、そんな簡単な一語で括ることが出来るような作品ではないと思う。
A24が手掛けようと考えたのは理解できる気がする。
とても象徴的で暗示的、そして教訓的で非常に面白かった。
つまらないと感じる人は創造性が乏しい。 ええコピペだけじゃなかったのか・・・
レビュー書いた人への
名誉毀損レベルだろ 他の作品スレでも何度か同じことやってるからね
自分の文章で語れないくせに偉そうなんだよ 最後のシーンというかオチ以外は概ね良かった
俺は最後にはちゃんとしたサーガウェインが見たかった NGにしたら他のスレでも連鎖的にNGになるのが面白いw 今年の映画の日はこの作品。
14世紀後半に書かれたとされる作者不詳の『ガウェイン卿と緑の騎士』が元となっている。ストーリーの大筋は同じであるが、映画の方がガウェインの人間味をより一層強く感じられた。
怠惰さや金への執着、欲に打ち勝てない意志の弱さと愚かさ。それらが一つ一つの行動から滲み出ていた。騎士としては愚か一人の人間として全くの出来損ないで、同情する予知すらないと思ってしまった。
そんな彼が、未来の自分を見たことをきっかけに英断を下す。そのシーンの演出にはかなり引き込まれた。
さすがA24。暗闇のシーンも含めて色味が完璧で、スクリーンで観ると格別。
ダークファンタジーにぴったりなずっしりと響く低音には鳥肌が立った。
デヴパテルはもちろんだが、バリーコーガンの存在感。演技派で独特な雰囲気を持つ彼の雰囲気はこの作品にぴったりだった。 ウィニフレッドの館で切られた頭を拾ってやった後、ウィニフレッドに「緑の騎士はあなたが知ってる男よ」と言われたよな
なのに緑の騎士はガウェインが全然知らない男だった
ちゃんと脚本書けよ! これはエログロありの童話なのかな
ダメ男に育った息子を憂えた魔女の母ちゃんが魔法で鍛え直すって事?
途中で成長を感じるような出来事が全然無くて全然盛り上がらない
最後の最後は何?走馬灯?
走馬灯見たから「やっぱりこうする!」って全然尊敬出来ない
なんじゃこりゃ 観てきた。面白いかっていったら全く面白くなかったけと、
画作りが綺麗だからなんとなーく満足できた感じ。
キツネが可愛かった 母親がグリーンナイト召喚して仕向けたように見えたけど、
愛する息子への試練って事でいいのかな?
それはそれとして、あの息子が首切りゲームに参加した動機がよく分からず乗り切れなかった。
首を切られにいく旅(約束)って何なんだよ セリフ少ないのに引き込まれてしまう圧倒的な映像美で魅せる、ダークファンタジー!
絵で見せる構成に、A GHOST STORY の監督だなと感じた。
アーサー王伝説群の影響を受けて書かれたとされるガウェイン卿と翠の騎士をトールキンが解釈した形で現代英語に訳した原作をデヴィッド・ロウリー監督が映像化している。
なので、大元の原典から大胆に脚色されている。
騎士に憧れる若者を成長譚であり、死生観の示唆に富んだエピソードが散りばめられていて中世ファンタジーが好きな人には堪らないんじゃないかな。
舞台美術のクオリティが素晴らしいので、世界観に入り込みやすいし、メタファー多めの設定も楽しい。
バリー・コーガンの正しすぎる使い方も最高だった。
あと、キツネが可愛い。
キツネのシーンが多いのは単なる監督の趣味なのも良い! >>110
走馬灯というよりは未来の出来事の予測であるから
ここで逃げたらどうなると考えた上での覚悟と考えると結構格好いいと思ったよ クリスマスを祝うくらいキリスト教が浸透しているけど、ケルトの魔女も共存
しているという世界観なのか。 >>116
意気揚々と名乗りを上げたまではいいけど、その後のヘタレっぷりを見ると違和感しかなかったな
急にキャラ変したみたいな 「ガウェイン」という名前の、英語での発音が知りたいという、理由で観に行きました。
おおもとの話はほとんど知らず、円卓の騎士だし、なんかかっこいいんだろうと思ったら、全然そんなことはなかった……!
ぐでっとした冒頭で、騎士になる前、ガウェイン成長物語ということを知り、経過を見守るも、まさか……終始ダメなやつでは……も思ったら、わりとまさか寄りでびっくり。
個人的にガウェインのターニングポイントいくつかあると思っていて、1つ目は緑の騎士との決闘、ギネヴィア(?)が「勇気を出せ」って言ったとき。勇気ってなんだったんだろう。「立ち向かう勇気」ではなく、「決闘を降りる勇気」だったんじゃないかなと。ガウェインが緑の騎士の首を切り落としたときの、アーサー王の落胆したような表情が印象的で、心に引っ掛かる場面だったなと感じました。
2つ目は旅立ちの前、恋人が「善性だけあれば良い」と言ったとき。騎士の矜持よりも名声よりも、大切なものがあるんじゃないかと問いかけるような台詞だなって。
3つ目はキツネとの問答。細かい台詞覚えていないけど、やっぱり
矜持か命かみたいな問いかけだったなと思ったり。 最後は緑の騎士との対峙。これに関しては誰とどうこうではなく、ガウェイン自身の自問自答。結果的に母モルガン、館のご婦人からもらった緑の腰布を外すことで、ひと皮むけたのかなと。保身というか、真の矜持みたいな。
このときの緑の騎士の表情がなんとも言えなくて……!実質、目だけなのだけれど、きらきら柔らかくて優しい感じが凄かった……!
館でのご婦人の「赤は緑に勝てない」的な台詞も含めて、力(暴力とか権力?)を否定する内容なのかなと感じたり。実際ガウェインがかっこいい(というと語弊がある)ところ全然なかったし、何の解決にも結び付いていないように感じたから……。
見た限り、モルガンのアーサー王(国)への憎しみを感じる反面、ガウェインへの愛情も感じて、そのあたりは、腰布も含めてまだ判断がつかないのだけれど、周囲や自身が抱える矜持に流されて、緑の礼拝堂までやってきたガウェインの最後の選択を見るに、母のあらゆる方面への呪いに近いのかもしれない。境遇への憎しみ、子への縛り、ほかにも色々あるのかも。
緑の騎士との対峙からガウェインの破滅までのくだりは、胸くそ悪くて、このまま終わるのか……と1人絶望していたのだけれど、最後にスッと掬い上げられた感じがして不思議な感覚でした。なんか本当に、胸に溜まった胸くそ成分かをふわっと取り除かれた感じがして、やられた感凄かったです。
なんで?どうして?全然わからん!という部分もあったので、考察みたり、書籍読んだりしてみようと思います。
キツネ可愛かった。 刺さった何かがまだ抜けない
一度で良いと思ったんだ、その方が余韻も含めて味わえると思ったから
でも駄目だ
どうしてもズキズキして、どうにも戻ってこられないから…来週追いナイトしてくる
ガウェインは生きてた
必死に生きて、生きて、幸せな夢を抱いて生き抜いたんだ まだ反応してるのかよ…荒らしの事好きで仕方ないんだな 芸術性を高めることに注力したけど
元の叙事詩の持ち味は損ねた気がする アーサー王伝説ってのは
中世の人が勝手に書いてた
同人誌の総体みたいなもんなんだね だから現代の作家が書く場合も
設定や解釈はけっこう自由でいいのでは 人が書いた同人誌なのは聖書もギリシャ神話も一緒やし 期待してたのにこんな眠くなる映画だと思わんかった
年内ワースト作品かも
パンフ買わなくて良かった〜 映像のレベルが高くてもお話のレベルが酷いと全く楽しめないって勉強になった
閣下ご乱心で制裁対象かもしれないけれどちょっと前にやってたロシア発のファンタジーの方が楽しめた 映像や雰囲気は素晴らしいんだけど円卓の騎士ガウェイン卿の物語と思うとガッカリ映画 荒涼とした風景はLAMBで見たばかりだったから映像も今ひとつ
物語は原作を全く知らぬまま見たので難解過ぎた 美しい雰囲気映画かと思ったら
終わり方は落語みたいでちょっと面白かった
あの緑の騎士の台詞は「首を落とす」とかけた言葉遊びってことでいいんだよね さすがA24、映像美の限りでした。
アーサー王の甥である主人公ガウェインが、騎士としてたくましく成長するというのがこの映画の筋ですが、ストーリーは淡々と進んでいった印象。
ラストで緑の騎士から逃げると、それが恥となり人生を生きることを理解したガウェインは、斬首を受け入れる。
ガウェインの覚悟を見抜いた緑の騎士は、彼を認め、故郷へ返す。
この一度は死を覚悟した経験が、今まで放浪を続けていて騎士になれないガウェインを成長させることとなった。
ガウェインの旅の道中に起こる不思議な出来事の数々が、ダークファンタジーの世界観を創り出していて、とても興味深かった。
緑の騎士がCGではなく、特殊メイクで撮影してたということが1番の驚き。 アーサー王の甥、サー・ガウェイン(デブ・パテル)。 その怠惰な性格からか、いまだ正式な騎士になれず、惰眠を貪るような毎日を送っていた。 いつもと同じく女とのけだるい時を過ごしていたクリスマスの日、ガウェインは騎士たちが集うアーサー王の円卓に招かれた。 宴もたけなわな中、人間とも精霊とも区別がつかない異様な風貌の緑の騎士(グリーン・ナイト)が現れ、
騎士たちに「首切りゲーム」を持ちかける。 挑発に乗ったガウェインは緑の騎士の首を斬り落とすが、騎士は切り落とされた首を拾い上げて、ガウェインに「1年後に会おう。今度はお前が首を斬られる番だ」と言い残して去っていく。 さて、1年後・・・ といったところから始まる物語で、
西洋でおなじみの「死神との約束」の物語。 この物語には、おおよそ活劇シーンはなく、どちらかというと怪談めいた雰囲気で進むのが特徴で、そこいらあたりは心得ておかないと、「全然つまらないじゃないの」なんてなってしまいます。 さて、1年後、約束を果たすべく決意したガウェインに、母親は呪を掛ける。 「魔術を掛けた緑の布を腹に巻いて行け、この布を巻いている限り、そなたの首はつながったままだ」と。
旅をする中で、ガウェインが必要とする3つのアイテム(腹布、大刀、馬)を失い、それが再び現れるのも約束事で、この手の趣向は現代のゲームにも取り入れらていることでしょう。 『セインツ 約束の果て』『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』のデビッド・ロウリー監督は、この物語を凝った画面と鷹揚としたテンポで描いていきます。 緑の騎士の館にたどり着いたガウェインは、「首切りゲーム」を再開すべく、緑の騎士の前に跪くが・・・ その後の映像表現は『チキンとプラム』『ラ・ラ・ランド』でも用いられた手法。 (ここではフラシュバックではなく、フラッシュフォワードだが) で、オチがやってくる。 むふふふ、落語のようだね。 こういうの、好き。 劇中でも語られるが、緑の騎士は文明に対する自然の暗喩で、「自然は人間の文明を飲み込み壊す存在」というのが西洋的考え。 ここいらあたりは日本とは異なりますね。 また、騎士たる者は、死を賭してでも約束は守らなければならない、約束を守ることこそが騎士の務めで、その精神は現代の契約社会に通じているのでしょうね。 ちょっと暗いシーンが見づらいのは難だが、面白かったですよ。 作者不詳の「サー・ガウェインと緑の騎士」が原作。
以前に原作を手にした際に(J・R・R)トールキンの◯◯の様な謳い文句で非常に紛らわしい売り方をしていて印象がよろしくなかった。
アーサー王の甥、ガウェインを主人公にダークファンタジー的な童話を思わせる語らいで、かなりな観客を振り落とす内容は原作のあらすじだけでも知っていると印象は大分違う。
130分の尺で描きながら緑の騎士が何者だったのかを描かない点はモヤモヤするかもしれないが自分は大いに楽しめた。 最近ダークファンタジー系見れること多くて嬉しい!
とっても良かった〜〜。最後がお茶目でかわいい〜〜🫶
分かりづらさはあったけど、この映画で伝えたいことはとてもシンプルで良かった!
初めて行った映画館だったけど、音がめちゃくちゃ良くてびっくりした!! 「葉隠」に書かれている「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は、割と広く知られていると思う。主君に忠誠を尽くすという意味では、騎士道の精神性も似たようなものだ。武士も騎士も国のために命を惜しまないことが美徳とされる。
兵隊もヤクザもいつ死んでもいいと覚悟を決めておかなければならない点で、武士道や騎士道の精神に通じるものがある。天皇陛下万歳と叫んで突撃したり、親分のために体を張ったりするのは、忠誠を尽くすためであり、あるいは忠誠を尽くしているように体裁を整えるためである。
共同体や組織が危機に陥ったときに、忠誠心を発揮して共同体を救うという話は、それほど想像力を働かせなくても誰でも思いつく。だからたくさんの物語が誕生した。他の組織や共同体も絡むから、割と簡単に立体的な物語になる。ある意味で喜劇的だが、物語の中ではあまり注目されないその他大勢は、現実ではたくさん死んでいる。忠誠心が生み出すのは悲劇でしかない。
本作品はやや変化球ではあるが、そういった物語のひとつだと言っていい。主人公のガウェインが、簡単に諦めてしまう弱い心、魔法に頼る依存心、逃げ出したいという卑怯な心から脱し、約束を果たす勇気を獲得する過程を描く。
こういうファンタジーはどうしても国家主義やファシズムに精神性が直結している。では現代の観客に受け入れられないかというと、意外に受け入れられると思う。それは現代人にも国家主義やファシズムの精神性が残っているからで、サッカーで自国のチームを応援する精神性と同じだからだ。危険な精神性である。イギリス人で言えば、ウィンストン・チャーチルの人種差別主義、帝国主義に通じる精神性だ。 しかし本作品はそれだけではない。1年前の約束を果たそうとするガウェインに様々な困難が降りかかる。王国が栄える陰で、死んだ沢山の人々の屍体が描かれる。ガウェインが得たのは忠誠心ではなく、ある種の厭世観だったのではないか。
王国は他国を侵略し、略奪する。自国の民衆からさえも搾取する。そうやって得られる繁栄に何の意味があるのか。ガウェインの苦悩がありありと感じられる。
デブ・パテルの演技は相変わらず上手だ。インド系のこの俳優に主役をやらせたことに、国家主義者が抱く人種差別の精神性をからかう意図があったように感じられた。とても多義的な作品だから、どんな意図があったとしても不思議ではない。アリシア・ヴィキャンデルにひとり二役をやらせたのも、主役のガウェインの二面性に合わせた相手役という意図だろう。この人も演技がとても上手で、幼い精神性のガウェインを可愛がる二人の女性を好演している。この二人の演技が作品に奥行きをもたらしたと思う。 2021年のアメリカ&カナダ&アイルランド合作の映画(130分、G) 作者不詳の古典『サー・ガウェインと緑の騎士』をモチーフにしたひとりの男が騎士になるまでを描いたヒューマンドラマ 監督&脚本はデビッド・ロウリー 物語の舞台は14世紀のイングランド そこにある娼館で目覚めたガウェイン(デヴ・パテル)は、アーサー王(ショーン・ハリス)
の甥であるものの、騎士にもなれず不甲斐ない毎日を過ごしていた ある年のクリスマスの夜、アーサー王の宴席に招かれたガウェインは、王の余興のために「緑の騎士(ラルフ・アイネソン)」と呼ばれる異形の伝説と剣を交えることになった 緑の騎士は「俺と戦って、俺に追わせた傷を覚えておけ」と言い、「来年のクリスマスにその傷を受けるために俺を訪ねろ」と告げた ガウェインはその脅しに屈することなく、
緑の騎士の首を切り落とし、彼の持っていた斧を手に入れることになる だが、それから1年経っても、ガウェインは騎士になるどころか、遊び呆けて時間を潰していたのである クリスマスを控えたある夜、病床に臥すアーサー王に呼ばれたガウェインは、「約束を果たせ」と旅路へと向かわされる 王の命令とあって、やむなく出発したガウェインだったが、その道は前途多難の道だった いきなり盗賊(バリー・コーガン)に身包みを剥がされたり、謎の女性ウィニフレッド(エリン・ケリーマン)の頭蓋骨を探しに池に潜ったりと不可思議な出来事に遭遇する
そして、その先には恋人エリン(アリシア・ヴィキャンデル)とそっくりの女性・奥方(アリシア・ヴィキャンデル)とその主人(ジョエル・エガートン)との奇妙な一夜が待っていたのである 映画は原作を少し改変しているものの、ほぼそのままに近い印象 原作のモーガン・ル・フェイにあたる役割をガウェインの母(サリタ・チョウドリー)が担っている感じで、「母親が召喚した緑の騎士」というテイストになっている
なので、どこか「母親離れ」的な意味を含んでいて、それがそのまま自立した男として生きる道に通じているような印象を持ってしまう それはそれで間違いではないものの、自分の弱さと向き合う後半の起点となるのが母親というところが本作のこだわりなのだが、このテイストが合わない人がいるような気はした
映画は美術、世界観、雰囲気どれをとっても最高なのだが、いかんせん「画面が暗い」ので目が疲れる 人物はそれほど多くはないので混乱はしないものの、細かな描写を観ようとすればするほどに視神経が持っていかれる印象があった そこそこ長いし、スローテンポなので、休養はたっぷり取ってから
臨んだ方が良いのではないだろうか また、いろんなところで「タロット関連」が登場するので、そのあたりの知識があった方が楽しめる印象 原作に関しては、ガウェインのキャラ造形が違うので、読んでいない方が先入観がなくて良いのではないかと思った 好みは分かれそうな感じではあるものの、絵作りにこだわりが結構すごいのと、後半のあるシーンで「ガウェインの鼓動」が重要になってくるので「音響の良い設備」の方が堪能できるのではないだろうか いずれにせよ、今さら「サー・ガウェイン」
をA24が?と思ったものの、直球じゃないところは経営陣の好みだったのかなと思った 個人的にはどちらとも言えないという感じの映画なのだが、最後の緑の騎士のセリフ「Now, Off with your head(それでは、首とともに去れ)」が超
カッコよかったので評価を少しだけ上げたい エンドロール後にも映像があるので、見逃さないように注視したいが、これってオリジナル要素なのかあと思った キツネ様以外は隙のない映像美。退屈とおっしゃる方々も多いですが、本邦の説話集や近藤ようこの漫画が好きな自分にはとても楽しめる作品でした。アーサー王やロビン・フッドの世界が好きな方はもちろん、安寿と厨子王、小栗判官、身毒丸の話にワクワクした方なら必見です。コクトー作品の匂いを感じとる方もおられるようですね。客人として遇されるあの館の人妻とのやりとりは、直截的な映像やセリフはありませんが、ドキドキするエロスの香りも心地よいです。 大魔神かよ、と思わせる風体の緑の騎士、結局何者なのかは明かされませんが、お話の結末は全くもって因果応報、仏教説話そのものですね。 終始、陰気で不毛なブリテンの大地を、情けなくてカッコ悪いボンボンが一発逆転を狙って流離う、ガラスのない狭い窓から差し込む曇天下の心もとない自然光と、蝋燭の光だけにかすかに照らし出される、夢とうつつの境界で繰り広げられるもの悲しいファンタジー、つかの間の現実逃避が出来て楽しかったです! アーサー王夫妻の「私たちはお前の可能性を信じちゃいけないとでも?」みたいな焚きつける姿勢と中世のインフルエンサー稼業。
うつし世の時空感と夢とが『サラゴサの写本』よろしくマーブル状で、永い年月をかけて静かに朽ちるのも何かや何かを噴出しながら刹那に散るのも大きな違いはないのだよ、という価値観が見える。ただ個人的にはキッスと射精は等価じゃないと思うんだけどな。 絶賛している人でも ウトウトしかけたとか、眠りかけた、ちょっと寝た・・・ なんて言ってる人が多い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ じゃあ ツマンナイんじゃないいいいい!!!!!! 正直になろうよ!! 別にバカだと思われてもいいじゃない。 ガサツでバカで、アート映画を理解する能力がないでいいじゃない。 金払ってんだから。 まずいラーメン褒める奴いないだろう。 まずいはまずい、つまらんはつまらんと正直に言っていいんだよ。 自分にリテラシーがないからと忖度する必要ない。 料理の知識ゼロでも、美味いものは美味いじゃないか!! 映画だって同じだよ、知識見識無くても面白くないならそれは料理人の責任。 クッソツマンナイ映画。それ以上でもそれ以下でもない。 絶賛してる人も、きっと来年には忘れてる。 人生ナンバーワン映画には絶対ならないと思う。 映像やってるかたから昨年ナンバーワン映画と勧められていなければたぶん見ませんでした。
映画館で見てよかった、音と光と映像が素晴らしいアーサー王のへなちょこ甥っ子の物語。やはりストーリーがあまり好みではなく、同行者はすこし退屈したというか長く感じたそうです。まあそうだよね。見終わってから「ア・ゴースト・ストーリー」の監督と知りさもありなん、と思った。
いま朝に明けてゆくビル群を眺めながらこれを書いているが、そういう風景を見なれていると村、森、動物たち、すこし恐ろしいものたち、が強烈に恋しくなったりする。いつでもこの現世に帰れるならば、ガウェインの世界に迷い込むのも悪くないかもしれない。巨人のシーン、ずっと見ていたかったしきっと忘れない。
しかしこの時間は田町でガサッと人が降りるんだな。映画には関係ないけど新しい発見をしました。 原作「ガウェイン卿と緑の騎士」をもとにする映画です(作者不詳、14世紀のイギリスで成立。現代の英語に翻訳したのが、トールキン)。これら作品のさらに大元(おおもと)は当然「アーサー王物語」です。
他の方も書かれている通りのダークファンタジーもの。
日本ではちょっと該当するカテゴリや、参考になるゲーム・小説などがないなぁ…という印象です。一般的に想定される(ライトな)ファンタジーものとは違いますので…。
映画としては字幕がやや読みにくい(ただこの原作の根底に流れるものがキリスト教文化であり、それを前提としているため、仕方がない部分もある)点はあるものの仕方なし、というところです。
また、上記に書いたように14世紀のころの作品の映画化であるため、字幕そのものもマニアックならセリフ(元は当然英語)も極端にマニアックな語が登場し(特にキリスト教文化、騎士・貴族文化等。単語関係で押してくる)、「やや」日本で放映することを想定していないのかなぁ…という印象はありますが、それでも今週(11月5週)は数が少ないし、迷ったら推せる一本です。 この作品には「特殊すぎる」論点が含まれていて結構そこがわかりにくい(というか、何が正解なのかよくわからない)点があります。さっそく採点いきましょう。
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(減点0.4/理解が困難/「今日は12月21日なんだ」(セリフ(英語)もこの通り))
・ まず、上記にも触れた通りキリスト教文化で、「今日は12月21日なんだ」からもわかる通り、クリスマスといった語も登場します。
一見すると「何がそんなに減点対象なのか」と思う方も多いかなと思います。
現在多くの国で使われている暦は「グレゴリオ暦」です。主に文化が発達したヨーロッパでは1582年までは「ユリウス暦」という別の暦法が使われていました。しかしこのユリウス暦は「うるう年」の決まりに欠点があったため、1582年にグレゴリオ暦が定められ、以後各国が導入するまで(イギリスはなんと1750年(52年説あり))は、当然「年」に関しては正しい理解ができますが「何月何日」という部分は、どちらの暦を参照しているかによって理解、つまり、「今の暦でいう何月何日なのか」ということがわからなくなってしまいます。それも1日違いとかというならまだしも、実は-2日(今より早くなる)から10日(今より遅くなる)幅が非常に大きいからです。
しかし、「12月21日」と「クリスマスがやってくる」というセリフからは、当然のごとく「12月21日」が(1年の中では)早くやってこないと文脈、また、ストーリーと理屈が合わなくなるので、この「12月21日」が何を指すのかはかなり微妙です。 ※ 一見すると、「クリスマス」という語が出るため、こちらから逆算できるのでは?と思われるかもしれませんが、クリスマスの日もまた、実は暦法の影響を受けるため、これを軸に決めることはできません。
・ 今のグレゴリオ暦であると考える場合(暗黙に変換がかかっている場合) → 知識がある人が混乱するだけで不十分な字幕。
・ 当時のユリウス暦であると考える場合(変換を要すると考える場合) → 現在のグレゴリオ暦では12月29日になる(14世紀イギリス(ロンドン基準)ではいつをとっても同じ)が、それこそ誰もわからない
※ このように、1582年以前(または、各国ごとに導入年が異なる場合、それ以前)の暦を、グレゴリオ暦に直す考え方・暦の概念を「遡及グレゴリオ暦」といいます。
…という特殊な論点が存在し、「いずれの解釈も一応可能」であるものの、ここまでの理解を求めるのはさすがに無理がありすぎるのではないか…という気がします。
(※参考/「日本において」このことが論点になるのはなぜか)
・ 日本は地震大国です。日本でグレゴリオ暦が導入されたのは明治時代の明治維新のころですが、当然それよりも前に大地震はおきていますし、よく「地震の周期的な発生」と言われるように、地震大国である日本では、同じようにグレゴリオ暦が導入される前の古い文献が、「今の暦でいえばいつ起きたのか」をちゃんと特定することが、学問上・実際上重要な意味を持つためで、ほか、「歴史(ここでは、日本史)上重要なできごとがおきたのが、今の暦では何月何日か」ということが重要な意味を持つからです。
※ そもそも、建国記念日(今の2月11日)が「現在の暦で2月11日」と特定できるようになったのも、こうした「日本における遡及グレゴリオ暦」によるところです(日本書紀に記述があったのを、現在のグレゴリオ暦で遡及させたのが2月11日)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています