阿部薫
>>464
そうね。「でたらめに出した音」で合ってるといえば合ってるw彼の出す音は透明だし、良い
音です。しかし、ずっと聴いてると退屈なのは致し方ない。
彼の演奏聴いてて、変化がないというのは感じますね。延々続くインプロヴィゼーションて、
何て退屈なんだろう。途中色んな既製の楽曲を挿入したりすれば平板さも免れたと
思うが。そういう発想ってないんですね。あれを延々聴いてるって修業でしょうw
>安保の時代に要求された偶像
は当たってるでしょうね。
ただ、彼の演奏の背景に有ったろう怨みや憎悪や屈辱感、は時代と切り離せない。
と同時に今の僕らにも共感できるものは有る気がする。仕様もない政治や社会やの光景が
これでもかと流れてくる。そこで彼の存在がいまだに語られ、いまいち音楽的ではないあの
演奏が聴かれる。阿部が悲鳴のように、早口の叫びのように出す音が、今も聴かれるのは、
いまだに我々の中にどっか怒りが眠ってるからではないか。
youtubeにもUPされてる蓮舫司会の「pre-stage」であの人が何にも感じられないまま
頓珍漢なことばかり云ってたのが印象的で。怨みや憎悪や屈辱とは無縁な人には縁のない
演奏なんでしょうね。 >>465に「退屈」と書いたが、良く聴いてみると、やはり奇怪で屈折、狂気であるし、聴かせる
ものがあるんだね。恐ろしくまた美しい。恐ろしい表現なんだな彼のは。まさに〈底無しの深淵〉
とも言えるしね。聴き手を楽しませたり慰める勇気づける、そういった種類の音を目指しては
いないからね。 私は安部と同世代です。あの音を聞くと思い出すんですよ。西日のあたる四畳半。
酒とマージャンしかない青春時代。何かに怒りを出す、振り、をしなければどうにも
ならない気がしてた。だから狂気こそジャズだと思ってた。でたらめでもいいんです。
大人にはなりたくないけど、時代を変えなければとも思ってた。でも方法はわからない。
それは自分に対するこじつけかもしれない。ぐちゃぐちゃな思いの毎日。それは今も
心の奥にある。安部を音楽として聞く人がいるのは意外でした。でも皆自分流で
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RS0 阿部さんはたまにライブ終了後に客とミーティングみたいのしてたらしいけどどんな話をしたのか興味ある 阿部はジャズ演奏に名を借りた過酷への参入である。自己の生身をさらすことによって
起こる、社会へのアンチテーゼ。それは表出行為でも創造行為でもなく歩む道が無限に
拡大する蟻地獄。途方もない虚無との直面。実現しながら破壊し破壊しながら実現させ
ていくという演奏行為。阿部そして観客にも達成も救済も解放もなく、何ものも与えな
かった。自己否定の繰り返し。その作業こそが唯一の彼の持続の意思である。 阿部にとってライブは単なる演奏行為ではない。それは自我の抑圧と呪縛を解き放つ闘
いのための武器なのであり、他者の強圧のもとにある自己を否定し超克する闘いの場で
あった。現世界の強制としての制度を解体する闘いの彼の戦略なのである。ロゴスの
アンチロゴスの地平に彼の闘いは開けてゆく。肉体と精神、現出性と現存性が激しく交差
するところの終末論的光景を現出させるものとしてあるのだ。 当時は今知られているフリージャズ演奏者以外にもっと多くのミュージシャンが
いた。その中で阿部薫の録音を残そうという動きがあったこと、うまいか下手か
よりも演奏をするんだという気概や気合いが録音に残っていてそれがスピーカー
から感じ取れることを、ありがたく感じる。今の音楽人の多くは当時より発達
していて真似して似たような音をやろうとすればできるかもしれない。でもそれは
やはり「二番め」であってトップバッターの心とは根本が違う。阿部薫のような
音を出す奏者は今後現れないと思う。すぐ逮捕されたりするかもしれないし、
今あのような音を出して耳を傾ける人もあんまりいないだろう。そういう意味で
過去の記録だから価値があるという面はあるかもしれない。今の人は小説や映画の
一シーンとしてかつて実在したサックス奏者を見て楽しむしかないかもしれない。