阿部薫
私は安部と同世代です。あの音を聞くと思い出すんですよ。西日のあたる四畳半。
酒とマージャンしかない青春時代。何かに怒りを出す、振り、をしなければどうにも
ならない気がしてた。だから狂気こそジャズだと思ってた。でたらめでもいいんです。
大人にはなりたくないけど、時代を変えなければとも思ってた。でも方法はわからない。
それは自分に対するこじつけかもしれない。ぐちゃぐちゃな思いの毎日。それは今も
心の奥にある。安部を音楽として聞く人がいるのは意外でした。でも皆自分流で
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RS0 阿部さんはたまにライブ終了後に客とミーティングみたいのしてたらしいけどどんな話をしたのか興味ある 阿部はジャズ演奏に名を借りた過酷への参入である。自己の生身をさらすことによって
起こる、社会へのアンチテーゼ。それは表出行為でも創造行為でもなく歩む道が無限に
拡大する蟻地獄。途方もない虚無との直面。実現しながら破壊し破壊しながら実現させ
ていくという演奏行為。阿部そして観客にも達成も救済も解放もなく、何ものも与えな
かった。自己否定の繰り返し。その作業こそが唯一の彼の持続の意思である。 阿部にとってライブは単なる演奏行為ではない。それは自我の抑圧と呪縛を解き放つ闘
いのための武器なのであり、他者の強圧のもとにある自己を否定し超克する闘いの場で
あった。現世界の強制としての制度を解体する闘いの彼の戦略なのである。ロゴスの
アンチロゴスの地平に彼の闘いは開けてゆく。肉体と精神、現出性と現存性が激しく交差
するところの終末論的光景を現出させるものとしてあるのだ。 当時は今知られているフリージャズ演奏者以外にもっと多くのミュージシャンが
いた。その中で阿部薫の録音を残そうという動きがあったこと、うまいか下手か
よりも演奏をするんだという気概や気合いが録音に残っていてそれがスピーカー
から感じ取れることを、ありがたく感じる。今の音楽人の多くは当時より発達
していて真似して似たような音をやろうとすればできるかもしれない。でもそれは
やはり「二番め」であってトップバッターの心とは根本が違う。阿部薫のような
音を出す奏者は今後現れないと思う。すぐ逮捕されたりするかもしれないし、
今あのような音を出して耳を傾ける人もあんまりいないだろう。そういう意味で
過去の記録だから価値があるという面はあるかもしれない。今の人は小説や映画の
一シーンとしてかつて実在したサックス奏者を見て楽しむしかないかもしれない。