フリーJAZZって音楽じゃねーよ 2
森山威男の「フラッシュアップ」を聴いた。
その後に出た、スタジオ録音の「ハッシャバイ」が、ドラムの派手
さという点からするといまいちだったので、あまり期待せずに聴い
たが、見事に裏切ってくれた。凄まじい。 かーちゃんに100回ひっぱたかれて
ようやくそれが愛情だったことに気付いた ぴゃーらぴゃっぴゃ ぴゃーぴゃぴゃっぴゃ ぴゃぴゃ
ぴゃらろりゃりりゃらりゃりられらりられやー たどんた どったったどん。 バーカ!フリージャズとかジャンル分けしてる時点でダセーんだよ!楽器で自分を表現すりゃいいだけ!楽器で会話しろ!それだけ! AAOCの初来日コンサートのとき山下トリオが前座で出て来て目眩がした。
いくら同じフリー派と言っても大人と子供だろ。山下トリオを呼んだ奴相当の馬鹿だと思った。 音楽の三原則。リズム、メロデイ、ハーモニーがないのは音楽でないでしょう。
しかし音楽でなくとも聞き手に何らかの情感の変化を及ぼすものも含めると
それも音楽といっていいのかもしれません。フリーはどうか、前記が私の回答です。
フリーを聞くと思い出します。70年代。俺たちが世の中を変えるんだ、ぶっ壊すんだ。
それを形にして見せたものがあの当時のフリーだった。本気だった、必要だった。 本気だと自分では思っていた。周りは就職しサラリーマンになり、日々の生活に追われ人生の週末を
迎えようとしている。世の中にあの当時のような熱気は大事で日本の転換期だったと思う。
何かにのめりこみ、信じようとし、毎日を改革したかった。アイラーは言った、破壊せよと。何かのまんがでいしころを販売
する話があった。人生、いや俺はいま同じじゃないかと。どこに価値があるのか真実があるのか
フリーは代弁してくれたんだ。今も。 ついでに言うと、音楽的に無意味、めちゃくちゃやって、はい3000円いただきます。
これは音楽です、という度胸があるか。それこそ人生がフリーよ。会社に行って、いきなりけつ
出したり、裸で歩いたり、フリーはそういうことだが、少数でいいよ。
盲目になってはいけません。うーん少数な奴はアートといえるかもしれん。ってか。 日本のフリーの流れが菊地成孔だろ
結局ああなるだけ
あんなの有り難がってるNHKの文化レベルに呆れる
サブカル的にもショボいハッタリだけのメディア向けファッションでしかない スガダイロー、題名のない音楽会に出てたの見たけど、異論はあると思うが俺はチンドン屋としか思えなかったよ。
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GXP 以前、題名のない音楽会で山下トリオが出て、それを見て嫁さんは「なにこれ?メチャクチャじゃんか」と言ってマジで怒りだした(笑)フリーが嫌いな人はそういうもんかもしれんな フリーをちゃんと聞けてないやつの意見は大体そう
フリーに拍子やコーラスがあることすら気づいてない フリーと言いながら、バンドの内部では曲の決めが予め在る。
欧州のアカデミックな音楽に対する反語ならば判るが、聴いてて楽しい人は少数だろう。 >>51
そもそも完全なフリーなどというものは存在しない
打ち合わせしてたらフリーじゃないとか言い出したらそもそもメンバーがちゃんと集まってる時点でフリーじゃない、とかちゃんと演奏してる時点でフリーじゃないとかいくらでも難癖付けれる >>51
そういった点では
完全なフリーインプロビゼーションと、フリージャズとは微妙に違うよ 今フリーフリー言ってるのは逆に頭が固い連中という逆転現象が起こってる
未だにオーネットやらをフリーだなんだ言っててさすがにアホじゃねっていう事が少し前にあったな >>57
他のフリースレで暴れてたバカか
でオーネットのフリージャズ(アルバムの)はちゃんと聴いたのか?
代表作の1枚があれでESPから多数出してんだからフリー扱いされても別におかしくはないんだよバカ
山下洋輔だっていつも肘で鍵盤叩いてるわけじゃねーしスタンダードだってやる、サンラもフリーばかりやってるわけではないし ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
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', ==一u u ノ うわ〜・・・・・も・・・・盛り上がっとるなぁ・・・・・
!___/ ジャズなんて山内雄介(43)みたいな
知的障害者しかやらないし廃れて当然だよな 音楽だけ捉えようとしても答えはそれは音楽ではない。ジャズにおける革新とは、解放とは
何かへの突き詰めた作業の決して見逃してはならない局面を見る。演奏というより闘い、表現
行為であると同時に闘いでもあり、反表現行為でもある。テーマやメロディというものが
必要とされるなら、そういう緊張、つまり精神的、肉体的緊張とを演奏をこの上なく自分に
近づけまた自分からこの上もなく遠ざけるためのもの。それは仮初でもなく内的歌でもない
のです。 フリーを既存の音楽形態として捉えようとするならそれは自己の意識の固定観念への埋没
に他ならない。そうではなく自立した個のスポンティニアスな精神の発露。それは個の破壊と
再組織化、革命化ということ。それは常に肉体的作業であり個の精神との同一性、つまり
見せかけのフリーではなく真の革命は常に身振りを伴った革命化にある。それは他者と交わる
以前にそこに存在する自立した個であり、その作業を私たちは見つめることによって革命の
同時性を感受することができる。 ならばその演奏は音楽とはもはや呼べないものであり、スポンティニアスな精神の交歓の
場であり、単に音楽を聞くという作業ではないことに気づかざるを得ない。ここに真の
フリーの存在意義がある。ライブは水が高いところから低いところへ流れるものではなく
常に同一地平から発せられ、行くあて場のない個の放置された墓場であり闘いの残骸、
もしくは極北でありやもしれず、客ではなく闘いの同士であることに気づくべきものと思う。 フリーを音楽として捉えるとそれは違う。もっと原始的でもっと根源的な生への自主的な
働きかけとしての作業と見るものだ。自我の抑圧と呪縛への闘い、挑戦への武器であり、
他者の強圧のもとにある自己への否定と超克への闘いの方途である。自己は世界と常に
関連しておりそれに向けての世界に対しての変革、現代の強制としての制度への革命的、
解体への行為である。 しかしフリーもフリーという形式の奴隷に陥る可能性もある。それは認識なしに生まれる
というパターンもそれは偶然の音だ。ある意味ひらめきでもあるがそれは新たな道を生み出さない。
集団的開放が限界点に達したとき、個から個への問い返しを行い自身の道をみつめる作業を行わなけ
ればならない。常に自己と向き合い、自己統制と自己矛盾のアンビバレンツの相克を見つめるもの。
つまり自己探求と再組織化へ向かう作業そのものへのまなざし自己検証の志向を照らし出す
ものである。 フリーのひとつとしての季節、それは自己表現の解体。それは即興という偶然に導かれる
ことでも自動性に身を委ねることでも、自発性自同性に流されてゆくことでもない。即興
、自己への覚めが自己解体と再組織化という、ついにはそれらにも出会わないというオブ
セッション。否定と創造への投げ返し、無限の反復、照らしあいの行き着くところのない
地平に立ち尽くす、という過酷への侵入なのである。 人間が本当に生き生きとした生を生きるためには、その目指す質への欲求がなければなら
ない。しかし多くの人間、ジャズプレイヤーも含め実は制度に寄りかかっているに過ぎない
ことを知らなければならない。社会上の制度はなくならないでしょうが個人が変革を求め
一人がコミューンとしてまた隣のコミューンと通じるような真にスポンテニアスな連合は
可能だと信じます。私はそれを示したいのです。それが楽器を持ったものの使命だと思う
からです。それは観客もまた同じです。ですからライブであるいはリモートでも真に自発的
な音楽へと手を携えて進みたいというのが私の願いであり、それが音楽をする、ということです。 残念ながらジャズを行う、といった者のなかにも、もっと拍手を、もっと名声をもっと
生活が楽なように、結果人の上に立つ。ことを目標としている者もいる。こうした者に
何を言っても無駄なのだがジャズはそうした事と正反対の地平へ向かうものだというこ
とを知ってほしい。そうした観念の存在以前にある私達の生としての連帯と他のなかに
立つ個の自立を目指すもの。ジャズはそういう素晴らしい音楽であり、そのメチエを
ただ繰り返すこと、それが今言える言葉であるとはっきり言うことができる。 音楽は言葉である。そう仮定した場合、あなたの伝えたいメッセージは何だろうか。今
破壊的、暴力的ともいえるフォームに頼った演奏が目立つ。私は言葉であるなら演奏者
と聴衆の間になげいれられ、働きかけ、起こりたち、形成された体験フィールドがあるべ
きであり、一種の共同主観的契機を通じそれぞれの個が共犯的、共同体験の外に出た経験
上にと体験を変えていくこと。そこに音楽の可能性を見る。 言葉である音楽があるならそれはアンガージュマンとしてのジャズであってはならない。
高等な論理、技術、高邁な精神でもなく、バタイユ的ブランシュ的退廃も含みつつも進む
しかない人間の性といえるもの。水が流れ空気が存在する宇宙的な自然にある個としての
自分を自覚し、他者との共存にあること。その音には自然とニヒリズムにも似たジャズ
という音楽がある。 ロックやクラシックで通用しない陰キャラがたどり着くのがジャズ 黒人ならクラシックの教育受けても白人文化のクラシックでは受け入れられないからジャズに行くしかないというのはジャズマンの経歴見てるとわかる。
ロックはジャズでもクラシックでも食えない奴の受け皿じゃね?
UKのアートスクールからニューロック草創期に出てきたミュージシャンはクラシックの演奏者にはなれないからロックに活路を見出した。
ジャック・ブルースもジンジャー・ベイカーももともとジャズでならしてた。 長文演説まじうざい
こんなとこでなんか評論でもしてるつもりかよ
自分が器のでかい人間という思い込みでもあるのか?
バカじゃねーの 天性のリズム感というのが仮にあるとして
それは言葉(母国語)によるところが大きいだろうな
あとは歩き方 ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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 ̄ ̄ ̄ こういった細かい話題・狭い話題でスレッドを新規作成せずに、
既存の総合スレッドでお願いします
嫌いなJAZZは?(演奏者,曲,楽器等JAZZに関わる全般)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classic/1207381623/
フリージャズで初めてこれはいいと思った曲 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classic/1483237394/ これの元ネタわかる人いますか?
チャーリー・パーカー
://youtu.be/uABrf36Tjhw