漫画blue giant [転載禁止]©2ch.net
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だからこの漫画ジャズ関係ないから
文章の読解力もなさそうなやつらだな スポコンでもないと思う。巨人の星のラストは野球だけやってた自分に何が残ってるのか
というのが描かれていた。ひとつのテーゼだろう。この漫画はとどまることを知らないん
だよな。次、次っていうふうに。それは単なる欲望のことなんだよね。音楽でもない。 >>853
いや日本じゃそんなハード志向は受けてないから
読者が読んでかっこいいと感じそうな事を書いてるのかね
ハード志向というと梅津和時を思い出すけどカルト的人気ぐらいしかないしな
参考のためググってみたら梅津って仙台出身だったww 「いつもハードでいたい。」これなんか典型だよ。ただのカッコつけ。
自分をさらけ出せって言ったじゃん。人間には弱さ、ずるさもある。有頂天にもなるし、
絶望になってさらにそのニヒリズムに浸ったりもする。でも真実を求める自分もいる。
じゃあどうするの ? 。それは個人で答えを出せ。それがジャズだ。なんだけど、大は
ハードイコールいいこと。みたいな枠にとらわれている。ソフトもあって人間はできてい
るんだよ。俺は爆笑したよこのシーン。ハードばっかりでいいのはアッチのときだろ。
岡本ゴムの回し者かよ。 日本人でこういうの好きな安っぽい感性のやつが多くなったのって段階Jr以降なのかね
何が原因だったんだろう 嵐を呼ぶ男とかギターを持った渡り鳥とかエレキの若大将の流れだろ
サックス一本で諸国漫遊して行く先々で大ウケ
諸国漫遊だと水戸黄門とか寅さんの流れもあるか ソープオペラ的な流れか
韓流ドラマとか頭イかれてるとしか思えんしな 「いつも ハードでいたい。」 ってお前は中折れ中年かよ ていうか下ネタかよ
「いつも ハードでいたい。」 って赤ひげ薬局の広告だろ これ 天狗のお面の横に筆書きしてあるヤツ
「いつも ハードでいたい。」 って熟女を口説こうとしてんだろ 文科省いいのかよ こういうの 自分で真実をみきわめられないひとは世の中の風潮に流されやすいね 日本みたいな社会主義国家に於いてはメディアがマンセーしてたらそれは間違いだと他の同じ社会主義国家を見てたら分かるはずなのに
日本人はまず自分達の国が何なのかすら理解してないからしゃーない
能力ある人間は国外出てってるからもう終わりだと思ってる 雪がサインを断った相手が早朝から働く労働者だと知って、「こんな人がファンなんだ。」
と泣いて反省した。違うだろ。二重にバカにしてるだろ。労働者を下層階級と決めつけて
いる自分の世間知らずを悔やむのが筋だろう。怒りしか感じないよ。 中年向け雑誌に載せてる漫画だけど、かなり幼稚な漫画だよね 日本人のその世代って稚拙な精神性のやつが大半占めてるからしゃーない この作者の漫画はこうなんだよ
ジャスからの視点で見ちゃいけない
漫画として楽しんだもの勝ち 楽しんだら勝ち。世の中の大勢に乗り、利用するだけでいいのか。実は利用されているだ
けではないのか。ジャズは世の中の匂いを感じ、現し、抵抗することで生きながらえてき
た。だからこそ喜び、絶望もある。金持ちけんかせずの音楽になんの力がある。
出版、言論。それらが世の中を動かすのか、声がでかけりゃ勝ちなのか。そういうときに
は戦争の匂いがする。享楽的すぎるストーリーは疑問視しろということだ。 音楽は勝ち抜くこと、世界一になること。大は師匠にも言われたし、事実そうした行動をとってきた。
しかしジャズをやる意味とは一言で言うとオープンマインドを目指すことだ。
自由で開かれていて、真摯でありながらもとらわれないこと。それはフリージャズにも通じる。
大がフリーっぽいことをやることはそれとは真逆のことだ。勝つこと、ハードにやることではなく負けること、ソフトになることだ。
形だけちょっと取り入れてみました。という考えなら今までの行動と合致するだろう。
結局、この漫画のテーマとしてはオシャレな何かを描くこと、熱いことがいいこと、だろう。
若者はそれに飢えているだろうという戦略、販売戦術と俺はみた。 大がスピリチュアルジャズに開眼する時が新しいステージの始まり
多分アメリカ編の次はインド、チベット編でエベレストの頂上でソロライブに挑む大そしてサポートは奇跡的に生きていた一歩が大を支えるこうしてbluegiantと岳の色々を一気に回収して二人は次のステージ火星で一番高い山頂を目指すのであった(ここまでで百巻超 円盤の発売日はいつだろうな?
特典たくさん入ってること期待してる
録音風景だけで2時間くらいのドキュメンタリー
があると嬉しいね この手の絵が全般に好きじゃない
顔つき、表情、セリフ、発想
漫画読んでると発想がジグザグになるよ 嫌いな漫画のスレに来て書き込むまでするってツンデレさんだね サックスとドラムのデュオでたくさんの観客が大興奮って。
そのくらい理解あるお客さんがいるってことだね。 >>876
いや 嫌いじゃなく、怒り、落胆という意味で言うことができる。
例えていうと、いい大学出ていい会社に入ること。それは誰もが成功と思うだろう。
と同意を求めることに似ている。
ジャズの意義、良さはそれに異を唱え、抵抗してきたことにある。この漫画は予定調和、世間の常識に
同調させてそれがハッピーエンドだと認識させることだ。アメリカで人気が出た、それは成功なのか。
それは各人の問題であって、常識ではない。 糸井重里と横尾忠則と高橋幸宏と細野晴臣の知り合いとして過大評価を得た人 レコード評、書評、映画評なんてのも業界を盛り上げる役割があるからね。
どの業界も会社幹部が練りに練って、売れるものしか作らないわけだし。
作家や監督も会社から見れば使いっ走りだよ。売れればそれを維持したいために無理するし。
それを話題騒然とか天才出現とかのフレーズで客を呼び込む。芸術と思い込む。というか
思いたい。金を使いたい。手のひらで転がされてんだよ。 >>880
お前みたいのは乞食っていうんだよ。
他人の出方を見て何か言おうなんてやつ。
俺はこう思うって言ってから人に尋ねろ。常識だろうが。ただで手に入れようと思うな。 去年はサニーサイド、今年はブルージャイアント
ジャズを盛り上げてくれるキラーチューン
が続けざまにでてる すみません、マンガ興味ないです笑
funk&artってなんですか? ジャズで世界一になるとか有名なステージに上がると成功した。それが成功、成功って何を意味しているのか。
スポーツは数字があるけど。ジャズはない。だから結果なんてない。それを求める意味もない。
今日も生き、演奏すること。その瞬間しかない。ただ続けていくだけなんだよ。
こうした漫画を推奨する気になれない。誰かにすごいと認められて、自分が安心したい。安っぽいんだよ。 今年、日本で一番ヒットしたジャズナンバーを
ヒロミが書いた日が来ようとは 1970年を基準にして音楽を考えると。ジャズ系にしてもロック系にしてもはたまた
フォーク系にしても当時の地下イデオロギーと密接にあったんだよね。メジャーな
メディアとは別のルートから湧いてきた。だから最初は無視されてるし。メジャーな
メディアとは別というところで共感も呼んだ。
ジャズ系でも東大のバリケードに山下洋輔トリオが呼ばれたり。フォーク系でも当時の
アングラ文化から発生してきてる。通信販売で売ったりしてる。
undergroundだからクスリ関係とも密接だし。過激派や反社会勢力と結託
しやすかった。
今はそういう当時undergroundから発生したジャンルージャズ系、ロック系、
フォーク系ーが悉くメジャー化したし大企業が広告戦略でタイアップするし、
まあ資本に囲われちゃった。ミュージシャンからすればタイアップは魅力だし
大企業に使われたいし。TVにも出れて知名度があがりカネが入る方が作品にも
還元できるし。 各ジャンルがメジャー化したその一方、1970年にあった地下イデオロギーは
軒並み消滅。そのころは旺盛だった若者パワーも消滅。格差は相変わらずあるし
仕事行けばパワハラはあるし、電車乗れば満員で陰険に睨み合ってるし、やな
ことだらけなんだけどフラストレーションの受け皿はむしろ減ってる気がする。
フラストレーションの度数は上がってると思うし、いつ爆発してもおかしくない
感じもあるが。どこでじゃあ爆発すればいいのか。
てところでジャズ周辺をみてて、表層の現象と我々の日常と、かけ離れた感がする。
上原ひろみも悪くない。「BLUE GIANT」も悪くない。しかし、だから何(笑)
あれらが2023年現在のみすぼらしい心の拠り所になるかというと、よくわからない。
たとえば阿部薫も「俺が吹けば法政大学のガラス窓は割れる」と豪語したらしいし
大が吹けば空間が変わる、みたいなことと繋がる感じもあるが、そこでやっぱり
阿部薫の時代には実際に反乱があって、その片棒を担ってる意識があったんじゃないか
。あの時代の爆発と一体だったことの意味があるでしょう。で、時代の変わり目1978
年に阿部は自殺してしまう。やっぱり彼は時代と心中したんですよ。あの1970年の
エネルギーが彼に何かを吹き込んでいたわけでしょう。
じゃあ大にエネルギーを吹き込んでいるのは何?かといえばそれがよく視えない。
視えないところで「サクセスストーリー」だとか批判もある。通俗的だと。
だからジャズっていうのがただの即興演奏だとか思いたくはない。そういう声が
そういう批判になるんだと思います。 映画のDVDやブルーレイと抱き合わせで
漫画の豪華装丁版をくっつけて販売したら
どうかな
俺のまわりは意外に漫画見てなく映画で
ハマった人間が多いんだ 平和な世の中に、ジャズもコドモ音楽の王様なロックもいらないのかもしれない。
これの良さがわかる人は、類い稀な人。音楽偏差値77以上(笑)
//youtu.be/f0og1UrDFy0 レスしてる人間が偏差値一桁だから云ってることに全然説得力なし(笑) こうした漫画がヒットする、感動する人が少なからずいることに非常に不安を感じる。
今ウクライナ戦争を目の当たりにしたとき、一般の人間が命令ひとつで簡単に人を殺すことができるということ。
社会生活での殺人は重罪だが戦争は栄誉になる。この人間、自分に対しての問いかけということ。これができているのだろうか。
有名になる。アメリカで称賛を得る。このことだけが成功なのか。地方であっても、じょうずでなくともその人なりの成功、多様性はあっていいのではないだろうか。
また青年漫画はかなり突っ込んだストーリーも多い。しかしこれに関してはかなり画一的、ベタではないのか。
ジャズは既存の常識から出ようとしながら進化してきた。それがエネルギーだったしそこに魅力があった。それは自分に対しての問いかけ、常識に対しての疑問提示ということ。
これが成されていないジャズ、プレーヤーは無意味な音だと私は言い切りたい。 昔から映画やミュージカルのヒット曲のジャズアレンジは題材として人気だった
アメリカでウケるかどうかは直接東京在住のアメリカ人にでも映画見せればわかるんじゃね
ヨーロッパ人には音のないマンガでもそれなりに人気でフランスや台湾でも上映するらしいし
タモリがいうように都会なんて八割上京した田舎モンが住んでるような場所でストレートな成り上がりモノって定番の題材だからこそ人気なんだし ブルーノートを映画上映で瞬殺させるんだから成り上がってるんじゃないの
今のジャズ需要自体横浜アリーナ埋めるような需要はないだろうし
ジャズだから客が来るわけでなく俳優が声入れる映画だからみたって感想が思ったより多い
仕事帰りに映画何回も見てる層はそんなかんじ
実際マイクもアンプもスピーカーもなければ劇場みたいな音は生演奏でも出ないしな だからジャズを題材にしただけの中身はスポコン漫画だっつってるになー
日本人が大好きなやっすい感動お涙頂戴劇
くっだらね 思ったより海外のジャズ映画でストレートな成り上がりないのよ
実在のインタビュー映画や苦労して薬物から出ましたみたいなの
だから海外でもジャズで成り上がりって需要あるかもしれんね
だってほとんどジャズ聴かない日本人に刺さってるし
台湾でも好感触
やっぱスポ魂は大正義なんだな
モチベあがった感想も多い
これからもジャズ普及のためにどんどんスポ魂ジャズ映画を海外でも作るべきと思う
ジャズ聴く人増えないとジャズとしてどうかも盛り上がらんしね あえて言うならスポ魂ジャズ映画はブルーオーシャンだったんだよ
映画の感想でも原作知らんがほとんどよ
今のわかいもんがカッコいいからジャズやるというのが十分ファンタジーなんだよ 「セッション」は成り上がり要素少ない目だしスポ根ではないか、、
https://youtu.be/w2_SAE4Rk4E 偏差値30成績オール1の山内雄介(45)でも
三十路超えてバークリー音楽大学行けたんだから
ジャズは世界一層の薄いジャンル ペットあたりのライバル入れて大喧嘩してほしい
でも入れないんだろうな
なんだかんだで目立ちたいだけのガキで笑える 成り上がる、その定義がおかしい。有名ジャズスポット出演、海外に行く。これらは金でどうにでもなる。
今は個人で発信して地方でも口コミで評判を得て一流と目される人もいる。つまり昭和の階級差は現在では無意味どころか逆に信用されずネットなどのほうが信用される。
それも少し残念に思うが。とにかくめでたくジャズスポット出演するがスムーズ過ぎて共感できない。 台湾でも好感触とかジャズ普及とか考えが小学生。評判は操作して客を入れるため。普及なんてしないよ。 ラストでも顕著なのですが、サックスの主人公は自分が与えられている立場を理解していない。ドラムとはフィフティ・フィフティです。情熱を傾ける場所を作ってもらったという点では。
しかしピアノは格下のサックスを引き上げた功績があります。ピアノは無理をしてライプに駆けつけるほど恩義はないし、バンドは内部事情で感傷的にならずいいものを聞いてもらうことが役目です。それがお金を払う客という立場の人に対する役目です。
ここではお客を無視しています。バンド内とお客のエネルギーが不均衡になるわけです。それはジャズではありません。物語内では常にサックスが得をする形になります。バンドメンバーとは縁の下のちから持ちではありません。
伴奏そのものが自分を輝かせるものなのです。サックスは逆に自分が目立つだけではいけないことを理解しなくてはなりません。そうしたことを理解することがバンドなのです。
感傷が感動だと思わせる場面を作ることには感心できません。 確かにブルデューのいうデイスタンクシオンとしてのバンド活動があった。そこから贈与論などにみられるようにサックスは何を他のメンバーに返したのか、というところ。
他の二人はサックスに利用されたようにも見える。ハリウッド映画のようにわかりやすく、考えなくてもいいように作られた成功譚なのか。実際自分がドラム、ピアノの立場だったらどう思うのか。
他人を踏み台にすることを推奨しているかのような。首をひねる造りだ。 大は周囲の人間を気にせず自分の信じた、世界一を目指しひたすら進む。それは非常に囚われた狭い考えだ。そしてみじめだ。
アメリカを頂点とした階層を登っていくことが成功であると。金メダルをとれば世界が変わるはずだと。誰かに認められること、それが成功。成功であれば幸せなのか。
その単純な問いかけすらもない。その姿は多くの日本人と重なる。既成概念を信じて疑わない羊たち。自分から柵のなかに入り込むことが最善であると。
生き物は自由であるはずだ。それを音楽で示そうとすること、それがジャズだ。 大は常に誰かの承認を求める。しまいには妹や周囲の人間がダメ押しのように称賛する。
メンバーに気持ちを寄せることすらなく、むしろ承認を要求する。怪我を無理してまでもライブに駆けつける優秀なピアニストがいる、そのバンドの俺。
まわりは自分を飾るためのもの。友情ではない。皆俺のために集まる、そんな見栄。
誰も見ていなくてもコツコツ作業する職人。たった一人のために演奏すること。それらこそ唯一無二の世界一というべき行為だ。大勢の観客の拍手、有名ライブハウス。
それらとは無縁なひとたちのなかに世界一はある。もっと自信を持ってくれ。自信の無さがアメリカ追従を肯定させている。
この漫画の否定という意味でなくここをたたき台として考えてほしい。 是枝監督の映画は結末を観客が創造することができるし、いいよね。これは強制感動だからちょっとなあ。 ひろみはこの映画で名実ともに日本ジャズ界の
頂点に
映画もアカデミー賞が有力視されている アマチュアのライブでファーストノートとかニューが演奏されるのを聴くとピアノがダメダメなのが多いな アカデミーやノーベルとか。そこが君たちのよりどころなんだろう。得にアカデミーなんかは言ってみればあの業界のお祭り、視聴率かせぎ、権威づけ。なんだけど。
世界的なプラットフォームに乗ること。それが君たちの価値観を乗っ取り、自分らが支配されていることに気が付かない。
その権威、いわゆるロミヒーに集まるロミ信者たちだ。演奏も支配的サウンドだ。権威を現すかのように。
音楽が好きではなく、権威だけを求める行動はやめろ。 世界一と呼ばれるようになったらジャズとしてミュージシャンとしては終わりを意味する。
そう呼びたい人たち、コミュニティの中にとどまらざるを得ないからだ。そしてそのコミュニティは聴衆として評価を与えることに権威を感じ、またそのことによって自らも権威化するのである。
年月とともに形骸化してしまうが、それがさらに拠り所とする人たちに強化され砂上の楼閣となる。
気づいたときには自分の感情ではなく組織体としての評価を下すようになってしまう。 小泉政権時代にワンイッシュー政治が流行した。郵政民営化、それを実行することが正義であるということ。そのものを前提として肯定されているもの。
この劇画はそれと同じものを感じる。頑張る、熱い、がむしゃら、激しい。それらは肯定されるものであり絶対に否定すべきものでないこと。
を、前提とする。そしてそのことにより白人社会(黒人を含んだ)の中で認められること。それが成功であり正義でもあること。
なるべく簡略化、明確化、中性化、無毒化、無派閥化をすることにより多くの人を呼び込むこと。それは多くの人が何かに保証されたい、何かの権威を信じたい、という弱さを持っているからだ。
その劣等感にも似た部分を刺激することがブームを起こす要因であることを制作者側は理解しているということだろう。 ていうか。世界で勝つんならマネージメントも含めすでに世界一の状態で世界に出ていくしかない。
成長しながら世界旅行ってのは甘いというか昔の話し。ネットの情報などで国内にいる時点で世界一の自信がないやつは成功しない。 パナ研やそのほか色々かじったけどキリスト教がやばいんじゃないかって気がする。
はっきりキリスト以外はだめだって切り捨ててるからな。キリストだけに。 互いにに踏み台にしてのしあがるそうですね。私はのし上がった演奏は好きではありません。
あのドヤ顔が嫌いなんですよね。 僕はジャズに詳しくありませんが。ジャズって「今日もいいのし上がりだったよ。」とかって評価するものなんですか。
ロックはノリがいいとか言いますけど。のし上がるとかのし上がってないとかジャズの人って変わってますよね。 確かにジャズの人はおかしな人が多いですよね。
今日のライブはいいのし上がりだったよ。などと使います。サッカーでいえば相手の10番をけずり、長所を出させないようにすることです。
そうやってのし上がりをすることができます。 自分がのし上がるためだったら、共演者の長所を消す必要がある。わざとコンピングをずらしたり。変なコードを使ったり。
それが勝つ音楽のやり方だ。ブレイキーとやりすぎてモブレーは満吹きばかりするようになったんじゃないのかな。
自分のペースにどう持ち込むかだろう。 音楽を好きっていう気持ちにノーって言うの?
これはいけません。相手の意見の内容を問うべきであって、意見することそのものを否定するのは子供じみています。
豆腐屋を見て、こんな人が聞きに来てくれてる
これはいけません。職業差別です。こんな人ってどういう意味でしょうか。 豆腐屋に謝ることは、豆腐屋を下に見ていたことを告白するようなもので、ダメ押し的です。
ここまで職業をバカにする、下に見る、謝ることで自分の気が済めばよい。これはちょっと例がないです。
「こんな人」とそうでない人の境界はどこなのでしょうか。 大はゆきのりの上手さを利用するためバンドに誘ったわけですが、ドラムの玉田に対しては下手でも感動できればいい、などと友情と見せかけた言い訳をします。
ピアノには上手さを求め、ドラムは下手でもいいという矛盾した言動。それこそが大のやり口です。玉田に恩を売って、ゆきのりを丸め込む。バンド内で自分がリーダーであろうとするずる賢さ。
完全に大のペースです。しかしここは物語中最も人間らしい場面ともいえます。結局は音楽ではなくマウントを取ることが大事だという教訓です。 ゆきのりが玉田をバンドに入れないとすることは音楽の間口を狭めていると例えます。しかしこれも言葉の解釈が間違っています。
間口を狭めるとは、意図的に物事をコントロールし優位性を作り出すことです。しかし玉田をバンドに入れないようにしたいのは、上手い人同士が集まるという自然な流れです。普通の感覚です。
ここに大の詭弁ともいえる詐欺師的話術が見て取れます。そして、「だからだめなんだよ。」とダメ押しします。
ゆきのりのピアノの上手さを大は認めていたはずです。何がだめなんでしょうか。それは暗にゆきのりのメンタルの弱さを指摘しているのだと思います。ここで完全にゆきのりをつぶし、玉田にも恩を売った大。
私は気分が悪くなりましたが、これを参考にする読者もいるかもしれませんね。 最初に世界一っつった時点で終わりだね。過去の世界一基準を想定して、そこから抜け出せなくなってる。
それは何かというと、過去を生きてることなんだよ。 ゆきはピアノのうまさでバンドに誘い、玉は下手でも入れようとする。
矛盾してね? 大は自分だけ中心だからな。音楽は性格だということを言っておきたい。 師匠が、もう一度ジャズが好きになることができたっていうのは甘ったれてるよ。
生活の一部になってないからそんなこと言えるんだな。やるしかないのがジャズ。
好きも嫌いもないんだよ。 ゆきのりをバンドに誘うときは頭を下げて、玉田問題ではだからだめなんじゃねえの、とかダメ出しをする。
そしてビビってたら何もできねえ、と、完全にマウントを取る。そうしたプレッシャーがゆきのりの事故につながったと思う。
ゆきのりを踏み台にしてメンタルも崩壊させた大の腹ぐろさ。大はきついね。 師匠は音楽やれる環境なのにやる気を無くしそうになっているし。大の妹は兄がちょっと成功したような感じ程度で誇らしげになる。兄弟といえどもそこを自慢している暇はない。
東京での暮らしを立てるべきだ。いざとなれば実家に帰ればいいくらいのものか。登場人物がみんな甘いんだよな。環境に恵まれ過ぎている。これが令和のメンタルなのかもしれない。 酔ってて勝てる世界じゃない。それは違う。音楽はある意味熱狂のなかにあるのだし、そこで勝敗はない。
勝つことは誰かの上になるということだが、そうじゃない。高い所から低いところへ与えるものじゃない。それはクラシックだ。
勝とうとする心、自分は人より優れたい。そのとき音楽は聴衆からも離れる。モチベーションとしても弱い。誰かより優れたいことより、誰かの力になりたい。寄り添いたい。そう思ったときのほうが強い気持ちが生まれる。
折しもサッカーに関係するが、個人技を見せたい気持ちよりもフォアザチームのほうがより強い気持ちになれる。
世界一という言葉に酔ってはいけない。 テクニックについて問題にするゆきのりに対し大は玉田に関しては友情ややる気といった点を問題にする。
音楽をやる気持ちにノーって言えるの。これは感情論であってゆきのりに対しての答えになっていない。市役所の縁故採用のように友達だから加入させるという荒業だ。
どういうことかというと友情を大事にするふりをして利用する。これはサイコパスの特徴といえる。友情や共感をあてこんだ音楽はセンチメンタリズムであり芸術ではないが、そこを冷静に見つめる力も必要だ。
偉大な芸術家には多少サイコパスの要素があるもそこに埋没しない強さもある。逆に友情や共感があるとできない仕事もある。それは強力な指導者だ。
大はどちらかというと指導者向きサイコパス系だろう。悪い意味ではなく。 全力でやれば必ず伝わる。ってのが間違いやろな。日常生活でわかっとるだろそんなん。
自分が全力だと気が済んだってだけだろ。それじゃオナニーだよ。 妹が兄の世界一を疑わないとは何を意味するのか。他人が規定した他人のなかの世界一を信じるということだ。
デジタル化したAI社会を彷彿とさせる言葉だ。自分の存在はどこにあるのか。すべてがデジタルの中にあるといって過言ではない。
紙や画像のなかに世界があるのだろうか。視覚からの情報を自分で歪曲し肯定し無理に感動にすりかえていないか。
最低でも見た人だけの解釈があっていいはずだ。 スポ根ともいえないな。苦労らしい苦労がない。1年でトップクラスになるのって順調そのものだろ。 だいたい20歳前後でジャズが好きになったやつはちょっとあれだな。
カッコよさで好きになるパターンのやつ。一生その路線でいく。音楽的成長はないな。 お前の音は圧倒できるとか。もはや音楽でもない状態。
音は会話と同じだから圧倒する会話なんてない。俺は音に圧倒されたことはない。その人間の存在の意味を考える手がかりにはなる。
圧倒したり説き伏せたりすることできたらそれは宗教的ななにかといえる。 圧倒する音楽。それは敵に飲み込まれ体制化してしまうことに他ならない。
そうではなく演奏家と自己との位相をみつめ、考え、反論し、逡巡しそこに闘いの地平があり絶え間なく他者との肉と血を擬似的に体験するも同一化はしないということ。
他者とのすき間、距離をとることでよりその位相は明確化し、闘いのありかを教えるのだ。それはたどり着くことがない蟻地獄をもがき続けることだ。
そこに圧倒されているひまはない。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。