例えばドルフィやコルトレーン。もっと単純、純粋なものだ。人間としての希望、怒り、喜び、
そうしたものが瞬間に解き放たれた、あるいはその葛藤だ。つまり音楽というより、その人自身
の頭の中で彼らと共通するパルスが同調したときに聞くものだ。理解しようとするものじゃなく
、聞き手の心の中にあるものだ。それらは人間、生物そのものの生きる普遍的なものが直感とし
て入り込んだもの。どこかのプロがいう、11thだのコンテンポラリーでもない。前述した巨匠
たちは先進性のためにコンテンポラリーのために演奏したのではない。スピードでも熱狂でもな
い。むしろそこにしかいることができない、その瞬間にしかいない自分をどう捉えるかだ。
たくさん聞いてわかるのでなく、聞き手本人の祈り、謙虚さ、そこを見る、感じるだけだ。