【デンマーク】カール・ニールセン【デンマーク】
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62J ホーレンシュタインのサガの夢、Youtubeに上がってた
何度聴いてもいい演奏だ 10月に埼玉フィルが、ニールセンのヘリオス序曲をやるらしい。
なかなか聴けない曲だと思うので、ニールセン好きな人は行くといいかも。 >>784
「ヘリオス」は割と演奏されている
>>785
あります ヘリオスは何回か聴いたことあるしあまりレア感は無いな >>784 埼玉フィルwebサイト
http://saiphil.net
2018年10月21日(日)14時開演
会場 埼玉会館 大ホール
※入場無料(チケット不要)
曲目 ニールセン 序曲「ヘリオス」 Op.17
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調「運命」 Op.67
指揮 大浦 智弘 >>790
ヘリオスって、演奏難易度が相当高いらしいね Rondoから出てたlesser known Nielsen、5枚の歌曲集、あれで全集ですか? パパヤルヴィの交響曲全集(ヨーテボリ響、BIS盤)の評価ってこのスレ的にはどんなもんですかね? ネーメの全集はDG、BIS盤で出ていたのは4.6番
他のBISの1〜3.5番はチョン 指摘を受けて改めてジャケット確認してみたら確かに鄭明勲との振り分けガカーリでした……
DG盤はまだ入手可能なんですかねぇ評価も気になります おいらはロジェストヴェンスキーの全集を愛聴しとります。 ダグラス箱を買って聴いてみたけれど思っていたより悪くなかったね
ニールセン入門者にはうってつけかも
ただロイヤル・リヴァプール・フィルとの演奏は録音が酷いね
ということで交響曲はブロム新盤ばかり聴いている ブロムのは音が少し硬いような気がする
も少し柔らかい音出して ショスタコーヴィチってよくマーラーと比肩されたりするけれど彼自身はニールセンを意識していたんじゃないかという希ガス
ショパンコンクール等で外遊した折にニールセンのスコアを目にする機会があったんジャマイカ? >>807
五番の小太鼓レベルなんて誰でも思い付く程度だろw >>806
5番2楽章とか6番フィナーレを聴いていると似たような感想を抱くことはある よくよく聴きかえしてみると、サラステやオラモの全集が良かった件。 >>816
明日ニールセンの演奏会中継ありますよ
NHKFM
2021年 6月16日(水)
午後7:00〜午後9:10(130分)
番組情報
ベストオブクラシック
サントリーホール公演▽N響演奏会 指揮パーヴォ・ヤルヴィ
金子奈緒,【解説】舩木篤也,【出演】管弦楽団…NHK交響楽団,指揮者…パーヴォ・ヤルヴィ,バイオリニスト…青木尚佳
「スンマ」
ペルト:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ
「バイオリン協奏曲 ニ短調 作品47」
シベリウス:作曲
(バイオリン)青木尚佳、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ
「交響曲 第4番「不滅」 作品29」
ニルセン:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ ニールセンの曲は常識的な作曲法を逸脱していますな。
前衛と保守、とはまた違う方向で。
上手く言語化できないが、唐突だとか混乱しているとかは言える。
そういう変わったところと、ずば抜けた才能が表裏一体になっている。 そんなニールセンの曲は発表当時から批評家や聴衆たちを困惑させてきたのだが
第二次世界大戦後までゆっくり時間をかけて、英語圏(特に英国)や北欧圏ではその才能が認めれ高い評価が確立した。
ニールセンの曲が少しずつ日本でも演奏されるようになって、
批評家たちがどれくらい困惑するだろうか、実はこいつめっちゃ才能あると気が付く人がどれくらい出てきて、それを言語化できるだろうかと興味深く見てきたが、
なんかそもそも全然コンテキストを分かってないのばっかだな。ニールセンはロマン派じゃないぞ。 たとえば、アイヴスの曲は新しい表現の可能性を狙ったもので、計算された意図的な混乱なのだが
ニールセンの場合は真性ですな。狙ってない。自然にこうなってますな。そう感じますた。。 何気に小澤征爾は米国で交響曲のほとんどを振ってる。
3番は日本初演してる。
バンスタの影響? >>820
ヤルヴィ「10小節聴けばニールセンの曲だと分かる」
確かに特徴的とか変わってるとかは言われるけど、どこがどう変わってるのか具体的にはあまり言語化されていない?
海外の文献読めば研究されてるのかもしれないが日本には持ち込まれていない? >海外の文献
俺は買ってないが、ロバート・シンプソンの本なら触れていると思う ブロムシュテットのニールセンが聴けるのはこれが最後?かも
(94歳なんで年齢的にもかなりギリギリ)
https://www.nhkso.or.jp/concert/index_2021_22_subscriptionconcerts.html#21OctA
第1939回 定期公演 池袋Aプログラム
2021年10月16日(土)開演 6:00pm
第1939回 定期公演 池袋Aプログラム
2021年10月17日(日)開演 2:00pm
東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ニルセン/交響曲 第5番 作品50 >>820
>ニールセンはロマン派ではない
同時代の北欧の作曲家では、
たとえばスウェーデンでは良作曲家がひしめいていて佳曲をたくさん遺している。
ある意味彼らの曲のほうが親しみやすくはあるのだけれど、
しかしやっぱりみんなドイツ後期ロマン派に北欧風味を折衷した域を超えてない。
その点、独自領域に達したシベリウスとニールセンは自分の声を持っている点でも別格なんだなぁと シンプソンみたいな良き紹介者がいたからこそ、「変な音楽」でも良さが理解されて英語圏での受容につながったのでしょうね シンプソンの交響曲自体、ニールセン臭がプンプンする 特に初期 Dai Fujikura / 藤倉大 @daifujikura
ニールセン勉強中。な、なに?これ?って感じのかなり狂った感じの曲じゃん!とってもいい感じ。ティンパニとか暴走してるとことか、すごく変で不思議な響きと構成の交響曲だね。これも、トラディショナリスト(古い音楽だけ好きな人達)は気分良く聞けるわけ?初演当時はびっくりだっただろうなあ ニールセンの音楽を楽しめるかどうか以前に、ニールセンの曲が「すごく変で不思議な響き」であるということすら分からない耳の持ち主が多い。
残念ながら、聴衆だけでなくプロを名乗る批評家にも。 クラオタでも専門家でも分からない人にはなかなか分からない
しかしクラシック初心者でも適性ある人にはスッと入ってくるのがニールセン。 それでも私はピンとこない人でも慣れて魅力が分かるようになると信じてるけどね
たとえば、フルート専攻の人が変な曲と思いながらも、最終的にはフルート協奏曲の魅力にハマるとか。
アマオケで最初は不満たれながら交響曲弾いてた人が本番のころにはハマってるとか。
そういう事例を目にするから ニールセンで最も個性的で変な曲は後期作品...ではなくて実はヴァイオリンソナタ第2番、弦楽四重奏曲第4番あたり。
ヴァイオリンソナタ第2番の終楽章は楽譜見るとウケる ニールセンはハンサムで女性にモテモテだったから、クラオタの敵だといえよう ハンサムかな?むしろ田舎の頑固な親方って感じ。社交的で人が良いイメージはあるけど
都会人で育ちが良く、神経質なシベリウスとは対照的。 >>840
奥さんと別居していたのは浮気していたからではないかな 変顔の名人
h ttps://www.carlnielsen.org/en/man-myth-and-music ニールセンの変顔みると、モテ男だったのが推察できるだろ? 上のサイトより
控えめで素朴、おどけたところがあり、誰も長く恨むことのできない魅力的な若者だった。
「彼の言動に腹を立てても、彼に出くわしたとたん、何もかも忘れてしまった。彼の人柄の魔力に屈するしかなかった」と、同僚の音楽家は言った。 カール・ニルセン
父の名はニルス・ヨアンセン
ニルセンは「ニルスの息子」の意味
ってことは、カールには元は名字がなくて父称で「ニルセン」を名乗っていたのが名字化した? ニールセンの歌曲を聞いていたらある曲の詞が「マン毛」を連呼するものだった 高関さん6番好きだなぁ
藝大フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会〈藝大定期第421回〉
高関健(指揮) 藝大フィルハーモニア管弦楽団
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番イ長調 op.141/ニールセン:交響曲第6番「素朴な交響曲」 高関さんは2010年代にときどきシティフィルで後期作品を振ってたな。フルートやクラリネットの協奏曲、6番も。
1989年にはユースオーケストラに難曲6番を弾かせるという鬼畜プログラムを見た。
今後は今年4月に藝フィルで6番、7月にシティフィルでアラジン組曲(カルミナがメインなので合唱付きかも)、2025年3月に仙台フィルで6番。 chandosのガードナー&ベルゲンフィル、新たな全集になるんだろうか で、この10年くらいで出た全集の中でどれが一番だったの?
やはりルイージ? >>861
ここ10年の録音で、だよ
ギルバート、パーヴォ・ヤルヴィ、ストルゴールズ、ルイージ、コリン・デイヴィス、ダウスゴー(未完結)とか ブロムシュテットが定番の名盤であることは常識として、
2010年代から全集の新譜ラッシュが続いたから、それらは結局どうだったのよという意図できいたんだけどなあ