【93】ザロモン交響曲は魅力の宝庫【104】
ザロモン交響曲の名盤・珍盤・思い出の演奏など語りません?
レコードがこれまでザロモン交響曲一辺倒だったいう事態と
またそれ限定のスレに異議なしの人には
>ソロモンズ盤ってそこまで絶賛されるほどか?と思われて当然です モーツアルトの若い番号の交響曲は子供の頃の習作で、いかに神童といえど
つまりはクリスチャン・バッハの模倣にすぎない曲が連なっているだけなので
後期交響曲に集中して演奏・録音されるのは然るべきことと言っていい。
それに倣ってハイドンも後期の交響曲ばかりをピックアップすることは
ベートーヴェンの先達としてのみの評価であり、大きな誤りなのである。
ハイドンは作曲を始めた時から創意工夫・斬新さを迫られる環境下にあり
どの時期の曲にも新鮮な息吹がある。
フィッシャーの交響曲録音より先に着手されたソロモンス盤の登場というのは
レコード史上どれほどエポックメーキングな録音であったかは
後世の人々にはちょっと計り知れないことなのかもしれない。 ハイドンの交響曲とモーツァルトの交響曲を同じように扱うのは馬鹿げている
たとえば緩徐楽章はモーツァルトがアンダンテ一択なのに対しハイドンはラルゴからアレグレットまで幅広い 63番「ラ・ロクスラーヌ」
ソロモンズは第1版を、フィッシャーは第2版を録音、ホグウッドは両方録音といいとこ取りしてる
両版の違いは、第1楽章のオーケストレーションが大分違う(第1版の木管が第2版では弦に置き換えられている)のと、第3・4楽章が全く別の音楽 後期より中期の曲の方が好きだけど堂々と開き直ってスレタイ無視する気にはならんなあ… 開き直って無視というよりは
毎月のように新譜がリリースされる作曲家と違って
ザロモンセットの旧録音の話題のみではスレが成り立たんのです
上にも書いたけど、モツ後期交響曲と違って
ハイドン交響曲の真髄がザロモンセット12曲のみではない
という事が一番の難点ですかね。
ザロモンセットのみでハイドン交響曲を一様に評価してしまおう、
されてしまうという事態が
前世紀までのハイドン不人気にもつながる原因ではないかと
小説のようにはじめの方から聴き進むことでハイドンのうまみが出る
わかってくるみたいな
おいしいとこだけつまみ食いでOKなキャッチーな作曲家とは
楽しみ方も違うというもの。
ということなので、遠慮なくザロモンセットの話題をしてくだせえな 「事実は小説よりも・・・」ではないが
例えば、閉鎖的な私的空間のために作曲されたはずの「告別」が
作曲家も知らないうちにパリで演奏されていて
それに気を良くした作曲家はパリ交響曲の1曲に
「告別」のワンフレーズを入れたというその茶目っ気というか
サービス精神というか感性。
あぁ友よ、ザロモンセットだけがすべてではないのだ!
( ^ω^)・・・いいから気にせずザロモンセットも語ってね。 ハイドンの交響曲の普及にはフランソワ=ジョセフ・ゴセック(1734-1829)が大いに貢献している
詳しくはWikipediaを参照 疾風怒濤期の交響曲はハイドンもいいけどヴァンハルもいいよね
ハ短調(c2)の交響曲の緊迫感が好きだ
ナクソスでハイドンを何曲か録音してるケヴィン・マロンがヴァンハルも録音しててこれがまた素晴らしい モーツァルトやハイドンばかり録音してないでもっとヴァンハルも録音していくべきだ
そう思わんかね ハイドン以外はさすがにスレ違いじゃね?
と一瞬思ったがよく見たらスレタイのどこにもハイドンの名前無かったわ
同時代の作曲家ならOKかもな >>512
ヴァンハルも好きだけど今は北欧のモーツァルトことクラウスにハマってる
昔マイナー古典派作曲家スレがあったっけ 知られざる古典派をメインに語ろう
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1218533064/
1 :名無しの笛の踊り:2008/08/12(火) 18:24:24 ID:rDiyJpuw
【本スレのルール】
1.一般には余り知られていない作曲家を取上げ、彼らの音楽
作品をメインに語るスレです。関連する他の話題、例えば
有名作曲家の話題や同時期の他分野芸術の話題もOKですが
バランスを考え、そちらがメインにはならないよう
配慮をお願いします。有名作曲家をメインに語りたい方は
本板の他スレへどうぞ。 モーツァルトの三大交響曲やベートーヴェンやシューベルトの初期交響曲よりザロモンセットの方が魅力的だなあ。
モーツァルトやベートーヴェンは曲を覚えたらあまり繰り返し聞く気にならないが、ザロモンセットは何度でも聞ける。
特にピリオド演奏でいろいろな演奏が可能になったので、違いを楽しめる。
ザロモンセットはいまだに過小評価されている。 ザロモンセットってベスト盤がこれといってないのも
過小評価に繋がってる気がするんだけど気のせい?
いや、ご贔屓の指揮者の演奏にケチつけるつもりはなく
お気入りの演奏を各々楽しんでほしいものだが…
自分としては往年のモダン楽器ザロモン交響曲録音の減点は
全体的にブレンドされたいわゆるロマン派向きの
マイルドなオケ・サウンドに仕立てられているもの。
(指揮者なのかプロデューサー&エンジニアの責任か知らないが)
その点で曲を理解してるかしてないかが露呈されることになる。
いるのかいないのか判らないようなパートがあっては曲の魅力も半減するというもの。
コリン・デーヴィス=ヘボーの「くま」・「めんどり」の(特にティンパニの)録り方が理想。
バイオリンは両翼配置でなくてはステレオ効果に欠けてしまうのだが
これが少なくてピリオドのクイケンですら両翼配置でない…
テンポはそんながつがつと急がなくていい、むしろ「ロンドン」の第一楽章などはテートECOくらいが好み。
「軍隊」は打楽器が元気なアーノンクール=コンセルトヘボー。
「驚愕」「奇跡」はホグウッドAAM盤かな。
うわみんな鬼籍の指揮者やん。新録音はよ。
ライブのワンテイクその場しのぎ録音はやっぱダメですな。 最近奇跡の素晴らしさが分かった。
玲瓏たる宝石のような交響曲です。 太鼓連打の冒頭を自由に叩きまくる録音って現在何種類ぐらい?
最初に録音したのはアーノンクール? どうだろう。
そういうのまず興味のある>>523本人がデータ収集するもんだよ。
自由に叩きまくってる録音はそんなにはないと思うけどね。
ただ出版譜によってドラムロールの指示が
ありがち?なpからfにクレッシェンドしてpにディミヌエンドするものだけでなく
強弱記号なしのものとか、数種あるようなので
どうやるかは指揮者に委ねられてる部分ではある。
アーノンクールは「イントラ―ダ(=イントロ=導入部)」という指示を
ルネサンス〜バロック期の曲「イントラ―ダ」とかけて誇大解釈したわけですが…
さて、今夜はファイ盤を聴きながら寝るとするか… >>523
そんな駄曲のこと聞いたって誰も知らんから答えられんよw 俺が聴いた範囲内では
アーノンクール/コンセルトヘボウ
アーノンクール/ウィーンフィル
D.R.デイヴィス/シュトゥットガルト室内管
ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊
が変な叩き方しとったな〜 アーノンクールに影響を受けたファイもロールの途中でアドリブをかましているが
終盤(201)はアドリブを入れず。
因みにオートグラフはダイナミクスの指示なしだが
ザロモン編クインテットにff 、 トリオ編(音盤ある?)に<>の指定があることから
ロビンズ・ランドン校訂譜(ウニヴェルザール出版/音友)はカッコ付で ff> の指示を与えている。
クイケンもノリントン(旧盤)もランドン版に従っているが
ノリントンは終盤部では<fff>でやらせている。
(ティンパニはいつものロバート・ハウズでなくベネディクト・ホフナング) そういえばファイ盤をまだ聴いてなかった
情報ありがとう トーマス・ファイ
彼はマンハイム音楽大学で指揮とピアノを学ぶ。
その後、ザルツブルク・モーツァルテウム大学にてアーノンクールにバロック音楽、
シュレシュヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭 にてバーンスタインの指揮のクラスを受講。
ファイはアーノンクールチルドレンの一人だよね ライブ演奏とはいえチルドレンではないであろうラッセルデーヴィスにも影響を与えてるのだから
アーノンクールは目がとび出てるだけじゃなかった。 Q.
ファイさんは、もう指揮できないのでしょうか?
日本では情報があまりに届かないのでお尋ねした次第です。
お分かりになる範囲でお教えいただければ幸いです。
A.
トーマス・ファイは、2年半ほど前の階段での大怪我の後遺症で現在もまだ療養中でして、我々も彼が今後復帰できるの残念ながらわからない状態です。
ハイドン交響曲全集の残りが約3分の1程ありますが、小編成の曲ばかりなので現在のところ指揮者無しでの録音が少しづつ進行中です。 一番新しいのがこれだったな
http://img.hmv.co.jp/image/jacket/800/75/2/1/730.jpg
Disc1
● 交響曲第6番ニ長調 Hob.I:6『朝』
● 交響曲第7番ハ長調 Hob.I:7『昼』
● 交響曲第8番ト長調 Hob.I:8『晩』
ハイデルベルク交響楽団
トーマス・ファイ(指揮)
録音時期:2014年3月
Disc2
● 交響曲第35番変ロ長調 Hob.I:35
● 交響曲第46番ロ長調 Hob.I:46
● 交響曲第51番変ロ長調 Hob.I:51
ハイデルベルク交響楽団
ベンジャミン・シュピルナー(コンサート・マスター)
録音時期:2016年6月 ザロモンセットの録音は残すところ101「時計」のみだっただけに
全集録音が終わる頃には復帰して〆に101だけでも録音できたらいいのに
このシリーズ録音は今となっては珍しく
残響の少ないハイドン交響曲にふさわしい音づくりなのです。 家の中で転倒したんでしょ
声優の故塩沢兼人みたいだな 家の中だって何処だって
打ちどころ悪けりゃ死ぬる
赤ちゃんや幼児はすぐ泣けば平気だけど。 プラハ室内管弦楽団の指揮者なしのザロモン交響曲集が意外によかった https://www.youtube.com/watch?v=DzxM3Je93IQ
これTVの録画だと思うけど
えらくティンパニがよく録れていて小気味よい。
Vnが両翼じゃないのが残念だけど、
下手なセッション録音よりいい音のハイドンだ。 失礼
Sinfonica deGalicia の自主チャンネルだった ティンパニはじめ各楽器がここまでクリヤーに録音できている例は
セッション録音とてそうそうない。
比較的分離が良いファイ盤でもここまで満足いく音ではない。
まさに「奇跡」の録音である。
95点。マイナス5点はホルンと木管がやや弱い。
今後このくらい明るい音のハイドン録音が続々出るならばハイドンも
もっと人気が出るに違いない・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=DzxM3Je93IQ マイナス5点はホルンの音がやや弱く、Vnが両翼配置でない に訂正… 聴く曲がほとんどハイドンになって20年近く、それぞれ、聴く演奏が好みの二三種類に限定されて来たので、この辺りで、少し多様な演奏を聴き直してみようと、去年辺りから、持っているCDを中心に聴き比べを始めてみた。
ハイドンを聴く時間はカルテットが一番多いが、やはり交響曲の魅力は強く、交響曲は、疾風怒濤期もパリ交響曲の前後にも好きな曲は多くあるが、ザロモンセット(なかでも後期)にさらに強力に引かれてしまい、他の曲になかなか行かない。
聴き比べも、第二次ザロモンから始めて第一次にと進んだが、この間、第一次の方は、どうしても、94番を含めて、第二次よりなんとなく軽く見て、あまり聴かずに来た。。
ところが、94番をいろいろな指揮者で聴いてみて、こんな多彩な表情をもつ面白い曲だったのかと驚き、その面白さにとりつかれてしまった。ハイドンを聴いてきたと言いながら、今更ながらですが(笑)。 その本筋ではないが、ブリュッヘンの94番も初めて聴いて驚いた。これをかけたとき、「あれっ、ベト5をかけたっけ」と思うほどの「驚愕」。
たしかに、94番は、穏和な面とともに打楽器が多く入っている不思議なところがあるが、それを一方に押し進めると、こうした演奏になるという好例を示してくれたと言えるかも知れない。
この演奏自体は、味わいがあるかどうかはともかく、しかし、これを聴いて、こうしたブリュッヘン演奏の「本家」のようにも思えるベト5そのものを聴きたくなった。確か、はるか昔、
ブリュッヘンのベト交響曲演奏が話題になったと耳にしたような記憶がある。ハイドンでこれだけだから、ベト5はどんなに凄まじいのか、それとも、意外にも……なのか。
それで、ブリュッヘンのベト5をとりよせて、何十年ぶりかにこの曲を聴いてみた。 聴いてみると、「それとも」の方だった。ベト5の他の演奏を聴いていないので比較できないが、抑制も利いた良い演奏なのではないかとは思った。
それはともかく、久々にベトの交響曲を聴いて、ハイドン交響曲との比較に興味が引かれた。
響きはずいぶん似たものに感じる。ベトの名作の一つ、5番が聴いていて心地よくないはずもない。
しかし、特に感じたのは、ハイドンは主題を展開しながら表現するが、ベトは主題で表現してしまうというところだった。5番は特に、それが強く出ているのだろうが、ベト交響曲は、全体に、
こうした傾向があったように思う(長らく聴いていないので、他は昔の印象だが)。
ハイドンは、多くは、一見単純で短い主題が、経過や展開部で次第に巧みに展開され、曲が構成されて行く。こうした曲は、何度聴いても飽きず、わくわく感がある。
それに対して、ベトは、第5では、第一、第四楽章が顕著だが、主題で表現しきっているため、後が続かない。これでもか、これでもか、という感じになってしまい、聴いているのが少々つらくさえなる。
ハイドン交響曲が、ベトの一歩手前まで来た、などと評論家が言うことが定番になっていたようにも思うが、その内容からすると、到底、そのようには感じられない。 芸術には、抑制や省略が、なんらかの本質的な一要素のように感じるのだが、ハイドンの方が、こうした面も含めて上を言っていると感じられる。
ザロモンセットは、一見、同じような外見の中で、その内容を多彩に展開していることで、かえって、その多彩さに感動させられる。それに比べると、ベトは、その外見(絵で言えば「額縁」?)まで含めて、
必死に多様化を図り、背伸びしてハイドンを超えようとしていたように見える。第九など、とにかく名曲を書かなければ、という必死さがびりびり伝わってくる(それ自体、悪いことではないが)。
それに比べて、ハイドンの作曲も、神経を張りめぐらせていることを感じるが、しかし、また深い余裕も感じられる。
交響曲ではこのように感じるが、ベトは、ピアノ曲ではハイドンよりもより進んだものを残しているとは思う(交響曲は似ているが、それでも、ハイドンは弦、ベトは打楽器的なピアニズムが背後にあるように感じる)。
ブリュッヘンのおかげで、久々に面白い体験をした。
長文失礼。
ハイドンとベートーベン、みなさんは、どのように聴いていますか。 545〜548です。
かなり久々の投稿でなれずに上げてしまった。
もうしわけないm(..)m ベト第九は最後ストレートに声に出して問いの答えを出しちゃうじゃない
だんだん耳が聞こえなくなっていくというハンディを抜きにしても
白黒はっきりさせたい命を賭して作曲していたように感じる。
ハイドンの場合、中には執務的な作曲家でね…という答えが
聞こえてくるような演奏も少なくないわけだが、さにあらず
彼は浮浪児同然の作曲家生活を始めることになり
ヨーロッパの冬は寒く凍死しなかったそのバイタリティが
彼の曲には秘められている。 ウィーン・フィルのザロモンセットが聴きたい
誰か録音する勇者いないかね >>551
セットにはほど遠いが
プレヴィン96,102,104(Philips)、バーンスタイン94(DG)
がウィーンフィルによるデジタル録音のザロモンナンバー。
メジャーレーベルによるクラシックのセッション録音が縮小されて以来
オーケストラが自主レーベルでも企画しなければ
新しい録音にはお目にかかれないのではないか? 自主制作の三枚組が出てるよ
ロンドンセットはベームがないし、
クリップス、モントゥー、フルベンの単発、あとカラヤンもあるよね ウィーンフィルのハイドンというと、自分にとっては、モントゥーの94、101と
クリップスの99、94がなにより強烈に思い浮かぶ。
551さんは、だれに指揮してもらいたいと思っているのだろう。 ロンドンフィルではなくウィーンフィルでやってほしかった
ということか >>553
自主制作の三枚組っていうとこれか
http://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/37/5/8/918.jpg
アーノンクールが93番と103番「太鼓連打」
ブーレーズが104番「ロンドン」
ヴェルザー=メストが98番と26番「ラメンタチオーネ」
メータが22番「哲学者」、ドホナーニが12番
という内容だったね
あとミュンヒンガーに96、100、104があったね
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/518lTLUHXkL._SY400_.jpg フェイのザロモン交が4枚組CDで出たけど
買った人いるかな デュトワがN響で85番振ってるけど、
ザロモン交響曲はレパートリーじゃないのかな そういやモントリオールシンフォニエッタとのパリ交響曲全曲録音はあるけどザロモン交響曲の録音は無いな デッカには先にショルティ・ロンドンフィルのデジタル録音があったし
指揮者を変えてまで再録音されないてのが20世紀における
ハイドンのシンフォニー集でしたから。 DGにはヨッフムの後にカラヤンあったけどカラヤンは特別扱いだからな〜 フェイの「ザロモン」交4枚組セット
やはり「時計」のみコンマスの指揮による録音だ
復帰は絶望的なのか
これとノリントン&チューリヒの「パリ」交集で
旧世代の演奏解釈録音からなんとか脱却できる
昔気質の指揮者はどうしても第二楽章やメヌエット楽章を
のどかにまったりやりたがるが
ちゃきチャキっとしたハイドン音楽には相応しくないんだな 俺もビーチャムのハイドンは好きだよ。パパハイドンというかムーミンパパというか大らかさがいい。(^O^) 大らかなんていうと聞こえがいいけど
デブをふくよかと呼ぶようなものか
物は言いようだよな(^O^)
ハイドンの場合、第二楽章がいつも緩徐楽章とは限らない
どちらかというと、なんかネタというかバラエティに富む ネタというかバラエティ、つまりは機知に富むということだよな。物は言いようだろ。
93番の第二楽章コーダのファゴット一発。思わず吹いた。当時の貴婦人なんか、嫌ねぇ、なんて言いながら聴いたんだろうか?(^O^) おまいいつもそのファゴット一発ネタばかりだな(^O^)
ザロモンスレだから仕方ないっちゃ仕方ないけど
「くま」あたりからやり出す
華々しくフィナーレ!と思ったら
また弱音ではじまるというイタズラ終止形は聴衆の拍手喝さいを
煽るものだけど、実際FMで放送されたホグウッドのライブで
聴衆は見事に騙されて拍手喝采していた。 あとV字だっけ の
静かな第二楽章でとつぜんラッパとティンパニが
大音量で鳴らしかますとか
非常識だよな(^O^) いっぽう悪ふざけた手紙が残されてるモツなどは
血統のいい、それこそ常識的な曲を書き
「音楽の冗談」を書けばただ村の楽士を馬鹿にするだけの曲で
音楽的なユーモアはそこにない(^O^) >>568
いやぁ、あれで笑わない奴はいるんだろうか?初めて93番をカンテッリのライブ(CD)で聴いた時はしばらく笑いが収まらなかった。ハイドンの交響曲にのめりこんだはそれがきっかけ。(^O^) >>570
ハイドンの60番はモーツァルトの音楽の冗談と非常に似ていると思うよ
あれはちょっと素人作曲家を馬鹿にしてる面を否定できない
初演以来大受けだったがハイドン自身は再演を嫌がったと言う 60番は「うつけもん」というジャン=フランソワ・ルニャールの戯曲による
劇付随音楽を交響曲に編んだもののようで
当時の劇付随音楽はこんにちのサウンドトラックみたいなもので
使い捨てとされ、そのほとんどは消失している。
「火事」なども交響曲に編まれてその存在をうかがい知る 成立経緯を考慮するとマイナスイメージにしかならないがこれを外しても交響曲「うかつ者」「火事」は傑作だと思うな 眉間に皺寄せて指揮したり
眉間に皺寄せて聴き入る音楽ではない
コープマンのようにニコニコしながら指揮したり
面白おかしく聴こうよ そこ総合スレといいながら交響曲の話題や
特に「アントニーニの「ハイドン2032」シリーズ」などは
ものすごい勢いでスルーされるスレ 2014年自宅での事故で脳挫傷を負い活動停止ってとこまでは知ってる 悲惨すぎる
恐らくモダン楽器でのハイ交全では
録音・演奏ともに一番優れたものになる予定だったのに… ファイの演奏はすごく良い演奏もあれば、いくらなんでもやり過ぎてて聴いてて怒りさえ湧く酷い演奏もあったから、一番優れた全集とは言い難いものになったと思うが… >やり過ぎてて聴いてて怒りさえ湧く酷い演奏
これってアーノンクールとか、次元は異なるがカラヤンなどが
まさにそういった演奏をしてくれたわけだが
こういった一癖ある演奏って
慣れてしまえば、もっと言って好きになってしまうと
所謂、可もなく不可もない安全運転の演奏CDを
売り払っている自分に気づくだろう。 アーノンクールは太鼓連打冒頭以外は意外と普通の演奏だなとしか思わんかった アーノンクールで酷い演奏と思ったのはブルックナーだけだな… HAYDN, J.: Symphonies Nos. 82-87, "Paris Symphonies" (Concentus Musicus Wien, Harnoncourt)
http://ml.naxos.jp/album/886444649681
85番の第1楽章前半のリピートは、冒頭アダージョからリピートするんだな これは新鮮だった アーノンクールが過激だと噂に聞いて、とりあえず俺の大好きな53番帝国と69番ラウドンを聴いてみたら古楽スタンダード寄りでスッキリしていてなんというか爽やかさを感じる演奏でちょっと肩透かしをくらった思い出。
これはこれでとても良い演奏だったけど過激では無かったね。 82番「熊」はすべてリピートするとかなりしつこいフィナーレがいい感じ。
後世のベトのしつこさを先にやってしまった感じ。
パリ交の場合、通常1CDだと2曲しか入らない
パリ6曲で2CDに収まってるのは最後の繰り返しはしてないはず。
パリで3枚組はいまのところハルノンとノリントンだけだと思う。
で82番「熊」に戻すと、ノリントンは全体的にものすごいスピードでやってる
それでも長いのに対して
ハルノンは溜めたりこれでもかというほど好きにやってる。
自分なりにその曲をつかんでいるのとそうでない曲の場合
刷り込み具合による感じ方は多分に個人差がある。 >>581
ファイの演奏はすごく良い演奏もあれば、いくらなんでもやり過ぎてて聴いてて
怒りさえ湧く酷い演奏もあったから、一番優れた全集とは言い難いものになったと思うが…
581さんにかなり似た感想を持った。
ファイの102番が入ったCDを聴いて、なかなか実力があり、演奏ごとに型にはまらず
意欲的な表現を行える指揮者だと感じ、他の演奏も楽しみになった。
そのようなときに、ファイが倒れたと知り衝撃を受けたが、なんと、ファイのCDが三分の一くらいに
値下げされて売り出された。こんな時になんで値下げを、と思ったものの、
不謹慎ながら安くなったことを喜んで買いあさり、(このとき年末だったので)、この年末年始は、
ファイの回復を念願しながらファイ三昧ですごそうと期待も膨らませた。
そう思って聴いていったところ………期待が大きかっただけに落胆もすごかった。
(581さんのように怒りが湧いたかどうか……、それに近かったかも知れない^^)
あまりに不自然な、それも、こなれていない不自然さが多い(自分は変わった演奏一般が嫌いなわけではない。
極端な表情付けでも、クナの94番などは、番外として聴き応えがあり楽しんでいる)。
表面上制限された形式の中で、かえって、多彩・多様で、深い、時に激しい、
あるいはロマン派にも負けないような内容を表現するハイドンの格調を
まったく壊しているとしか思えないものが多くあった。
演奏にひたれない、味わいのないものに多く行き当たった。
覚えているところでは、44番の不自然な緩急など、この曲をまったく味わえなくしている。
その他も含めて、ほとんど、鑑賞のローテーションに入れられなかった。
現時点では、一番優れた全集になるにはほど遠いと思える。
とはいえ、ファイは実力や、様々な演奏を行なえる巾なり柔軟さや意欲があり、
ハイドンへの熱意がある。復帰すれば、20年後、30年後にすばらしい円熟を聴かせてくれるに違いない。
なんとしても再起して欲しいと念願している。 アーノンクールのハイドンの魅力は、極端な「溜め」と、時折出てくるびっくりするほど遅いテンポ 不自然な緩急や溜めなんて聴く側の慣れもあると思う
確かにファイは発展途上な指揮者だったとは思うが
アルノン、ブリュッヘン、ホグウッド、ソロモンス
どれも全集が叶わなかった今
現行のハイドン交全のなかでは
もっとも聴きごたえがあり問題提起している。
往年のドラティや保守的な演奏群のナクソス、
そしてフィッシャーのなかのどれかを優れた全集として
選ぶことのほうが俺には抵抗があるなあ。 >なんというか爽やかさを感じる演奏で
俺には他のピリオドよりは大仰に感じる。
メンバークレジットがなく弦の人数が何人か不明だが
おそらく大勢で録音の音作りも関係していると思うが
30「アレルヤ」を含めて良い演奏ではあると思う。 >>591
名前を挙げてもらえないD.R.デイヴィスw
まあ全く存在価値の無い糞みたいな全集だったしなw D.R.デイヴィスが晩年のバーンスタインとかブリュッヘンのように
ライヴでないと調子が乗らないタイプの指揮者かといえば
そういった次元ではなくて
単にソニークラシカルが全曲チクルスに便乗したか
スポンサーであったかの他力本願盤だからね。
コンサートをしてさらにスタジオ録音する徹底ぶりの
Haydn2032とは雲泥の差だよ。いや泥以下。 それにしても
ソロモンスやグッドマン&ハノーヴァーバンド
そしてホグウッドのザロモン編室内楽版の軍隊・ロンドンを
プロデュースしたマーティン・コンプトン氏は何処に… ピリオドオケでの完成しなかった全集録音はグッドマン/ハノーヴァーバンドが一番好きだったよ俺は トニーフォークナーによる録音がまたいいんだよね。
ハイドンの公共曲はこうでないと。
ブル・マラ同様の音作りでは良さが伝わらん
とても良い演奏でも録音でだいなしになってるものが多すぎる。 D.R.デイヴィス全集の演奏の「遅さ」について
オケが慣れていないため、第一楽章は遅くせざるをえないが、
慣れてきた後のほうの楽章では普通の速さに近づいてくる、
といったような意味の解説を読んだことがある。
これが事実なのか、単なる憶測なのか覚えていないが、
聞いた印象からすると納得がいく。
あの遅さは、何らかの表現意図からのものとは到底思えず、
もたついているとしか見えない(後期の曲では際立っている)。
事実とすれば、こんなものを全集として売り出すのはひどい話だ。
ハイドンの交響曲に、これから少し資金や時間をかけてじっくり取り組みたいと
全集を求める人はいると思うが、
そうした人が、D.R.デイヴィスの全集を買う可能性を考えると憂鬱になる。
ハイドン交響曲に途中からうんざりして離れてしまう余地が充分ありそうだ。
にもかかわらず、かつて、この全集を礼賛しているコメントをいくつか見た。
そのひとつは、たしかベームのチャイコを取り上げて(違っていたらごめん)、
あの遅い演奏も慣れれば聞ける、同じように遅い演奏と批判されている
D.R.デイヴィスの演奏も慣れていけば聞ける、などと書いていた。
何で無理やり慣れなければならないのか、と、
なりふり構わない屁理屈の擁護にあきれたのだが。
いずれにしても、初心者が買わないよう願うほかはない。 ベームのチャイコは名演だよ。
逆にマーラーやチャイコのような曲は遅くやる方がたいへんな
緊張と持久力・スタミナを要する。
ウイーンとハンガリーの奏者を集めたフィッシャー盤なんかも
一部の曲でバイオリンの縦線がズレているね。
ハイドンの弦は腕利きの奏者を極力少人数でやったほうがいい。
というかハイドンは当時のクライアント(オケ)に向けて
作曲してたわけで
20世紀タイプの管弦楽団に対して作曲したわけではない。
ハイドンは作曲対象がない作曲をすごく嫌ったという記述を
ウェブスター(ホグウッド盤)は強調している。 モツやベトが現在もクラシック曲として人気あるのは
前者の旋律美、後者の革新性にあると思うのだが
ハイドンのメカニカルな発明(ハイドンは発明家であるとはブリュッヘンの弁)を
リアライズしていくのはこれからなんだと思う。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
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