なんでマーラーの交響曲全集に
大地の歌が入ってないことが多いの? 大地の歌も一応交響曲でしょ? お前が何も書かずにふんぞり返って唾を飛ばしてるのでメーワクがられているんだが… こっちがフツーにしててもふんぞり返ってるように見えるとは どれだけ下から目線なんだろw まあそう卑屈になりなさんな .>>420 の文意と背景が一度で理解できないようだから>>423 で丁寧に書いてあげたら、 なんか良く分からんがやっと気づいて今ごろ勝ち誇ったような>>429 のID:JMTz/Hqu 核心をついて逃げ道なくしてごめんな 火病らせたあげく連投させてしまってごめんな 交響曲派からの論拠や証左はいくつも出てくるけど 歌曲厨と呼ばれている側からはまともな論拠が出てこないからフツーに聞いてみたいだけだから まあそう手足ばたばたさせなさんな で、誰が歌曲厨なんだ?おい。 今日歌曲なんて文字>>430 が初登場なんだが いやいやw 歌曲厨と呼ばれている側からの、茶化してないまともな論拠をフツーに聞いてみたいだけだから 次はそれ頼むよ いやいやw 歌曲厨と呼ばれている側からの、茶化してないまともな論拠をフツーに聞いてみたいだけだから 次はそれ頼むよ 交響曲で「ない」という明確な証拠が何一つないからなあ いやいやw 歌曲厨と呼ばれている側からの、茶化してないまともな論拠をフツーに聞いてみたいだけだから 次はそれ頼むよ 歌曲である論拠?はぁ?アホ? まずおまえの歌曲の定義と Das Lied von der Erdeが歌曲ではないという理由を示せよ どうせ無理だろうけどな 茶化してるのはいつもおまえだし このスレを最初から読んでも理解できるけど 交響曲と主張している数人と歌曲ではないと主張する一人が何も言っていないだろ まぁどうでもいいわ 「大地の歌」のことを「交響曲大地の歌」ってこれからも勝手に言ってりゃいいじゃん ピアノ伴奏のを聴いたこともないぐらいマーラーの曲について無知なんだろうけど つまり、貴方が歌曲だと思う根拠は、 タイトルに「歌」とついているから「歌曲」だと。 なるほど。 ありがとうございました。 「大地の歌」が「交響曲またはその範疇」として扱うべし、とは繰り返し主張されているが、 曲名自体を「交響曲大地の歌」と呼ぶべし、とは誰も主張していない件 このスレを最初から真面目にきちんと読めば誰でも理解できることだが それが分からないやつあるいはわざと論点を捻じ曲げようとしているやつがいるらしい >>441 いやいやw 歌曲厨と呼ばれている側からの、茶化してないまともな論拠をフツーに聞いてみたいだけだから 次はそれ頼むよ あ、ごめんごめん、こういうことか 442 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2012/08/07(火) 22:56:06.19 ID:yzLdKQpC つまり、貴方が歌曲だと思う根拠は、 タイトルに「歌」とついているから「歌曲」だと。 なるほど。 ありがとうございました。 タイトルに「歌」とついているから「歌曲」だと誰が言ってる?どんだけ文盲なんだよ だったら夜の歌も歌曲だと主張してたか? タイトルに交響曲と入ってるから交響曲だと主張してたのは大地の歌が交響曲だと主張している馬鹿側だろ だれがどう聴いても歌曲であることは間違いなんだがなぁ もちろん第2番や第8番は斉唱だったり合唱するよ 大地の歌は交響曲であって歌曲ではない?w 馬鹿は生きてて大変だろうな ドイツ語は人間の歌には聞こえません><ってか?www もしかして第4番の第4楽章も交響曲なので歌曲じゃないとか主張するとか? 大地の歌は歌曲じゃないwwwwwwwwwwwww 馬鹿杉 で、交響曲で「ない」という根拠は? 長文いらないから、箇条書きしてみて。 >>448 >タイトルに「歌」とついているから「歌曲」だと誰が言ってる? あんたがここでずっとそう言ってる >タイトルに交響曲と入ってるから交響曲だと主張 誰もそんなこと言ってない >だれがどう聴いても歌曲であることは間違いなんだがなぁ そうだよ、間違いなんだよw >>450 亡き子を偲ぶ歌が交響曲じゃないと考える根拠は? ねぇねぇ根拠は?w 根拠がなければ交響曲ですか?www 交響曲である根拠は全く無いというのに?馬鹿はとことん勝手だなぁ どう聴いても歌曲なのに何で交響曲でない根拠なんているんだよ マーラーは第8番と第9番の間に交響曲なんて書いてないんだから仕方が無いだろ 最初からこのスレ読めよゴミムシ 歌曲だからピアノ伴奏で作曲してんだろうにそこはいつもスルーするんだよなこのゴミムシは 都合の悪いことは聞こえない老人かよ マーラーが千人の交響曲を合唱曲として発表してたらあれは合唱曲なんだよ 交響曲として発表してるから交響曲なんだよ マーラーが大地の歌を交響曲としてたら交響曲だろうよ? そうでないからそのまま歌曲なんだよ 分類なんてその程度のことでしかないのに「構成の仕方」とやらで交響曲認定できると考えてるからアホw そんなことで歌曲とは言えないなんて言えるのならとっくに偉い学者様がそう主張してますから 実演に接したら理解できるけどまんま歌曲なんだけどな オケの前で二人が交互に歌ってる曲 >>450 で、歌曲で「ない」という根拠は? 煽りとか短文はいらないから、きっちり説明してみて 相手のレスを揚げ足とりにしか使えない者に何を訊いても無駄でしょう 読めないのか敢えて読まないのか わざとループさせている だね 歌曲ではない理由なんて言えるわけないから 荒らすことだけに終始してる 哀れ 歌曲にこだわる人からはマーラーと同じ死に対する恐怖心が見える 確かに死を真面目に考えるのは誰だって怖いさ でもその恐怖心は結局今を精一杯生きていないからだ いつ死んでも悔いはない、「死ぬことと見つけたり」の境地に至ることが大事 そうすれば歌曲だ交響曲だとどうでもいいことにこだわらなくなる どっちもどっち 交響曲扱いしてる人がいるのはここぐらいだけどな (ヨーロッパの指揮者はマーラー協会がどうであろうが交響曲とは一線を引いているだろ) あと,営業の人 HMVも作曲家別索引は 交響曲“大地の歌”になってた まあ、どっちでもいいが俺はw ここの交響曲派のレスを見てると好感を持てない 柴田の新書も「なぜ交響曲と呼べるのか」という問いはあるが 結論ははっきり書いていない ヨーロッパの指揮者は国際マーラー協会に良く問い合わせてるよ。 あそこが楽譜の校訂元なんだからそこの意見は無視できない。 そして国際マーラー協会のホームページでははっきりと Das Lied von der Erde Eine Symphonie in Gesängen, in sechs Sätzen für großes Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. Textautor: Hans Bethge (1876-1946), Die chinesiche Flöte, Nachdichtungen chinesischer Lyrik, 1907. Entstehung: 1908-9 と記載されている。 クラオタの意見より百倍も重要だなw みんなでマーラー協会のHPを確かめるスレ でいいんではないかな? それが屁の突っ張りにもならんのだがな 俺はどっちでもいいが、ループ作戦はさすがにもう通じないだろ >>457 それ以上のことを主張すると大抵破綻しますな というかこの曲が出来てから100年以上この話題はえんえんループだろw >>448 >だれがどう聴いても歌曲であることは間違いなんだがなぁ その通り!劇笑!これは最近では最大のヒットですなwww >>459 >交響曲扱いしてる人がいるのはここぐらいだけどな (ヨーロッパの指揮者はマーラー協会がどうであろうが交響曲とは一線を引いているだろ) うそこけ!そうは見えない ここぐらいだったら、なぜHMVとか営業の人とか下で自ら書いてるのか、矛盾 ネットでいろいろ検索してみればここだけではないと分かるだろ ヨーロッパの指揮者どうのこうのも証明できない決めつけ >あと,営業の人 あわてて付け足してアリバイ作り、ばかじゃねーの! 交響曲「大地の歌」と書いてあるから買うなんて初心者はそもそも手を出さないのでは 中間派を装う戦略に転じたもようですwww ま、どっちでもいいというふうに気づいただけでも進歩かもしれないが ご苦労さん ちょっと話が戻りますが 9番の迷信のことについて。 9番目の交響曲に「9番」という数字をつけなかったっていうのではなくて 9番目の交響曲を書くと死ぬと思ったから交響曲とは違う曲を書いて、 あえて交響曲とつけて迷信から逃れようとした、ということですよね。 >>466 >交響曲とは違う曲を書いて、あえて交響曲とつけて この部分がまったく違うな >9番目の交響曲に「9番」という数字をつけなかった こっちが一般に昔から流布されてる説だ(真偽はまた別の話で) 手を替え品を替え的な、新手の手法といった感じだ いろいろ考えたんだろうがw アルマは交響曲と思ってたんでしょうか? それとも一般的にそう解釈されたんでしょうか? >>468 アルマは作曲過程をずっと見てきて 交響曲になっていると証言している 一般的には、内容的には単なる連作歌曲集とは言いづらく かといって表面上の形式的には純粋に交響曲だとも言い難い、といった感じ ピアノ伴奏版が連作歌曲集で オーケストラ版が交響曲の範疇に入る、といった視点もある 前のほうのレスにもあったが 交響曲と歌曲が高次元で渾然一体となって融合した音楽、 といった見方が妥当かも 連作歌曲とは言いづらいってのは何でなのですか??曲が大規模だから? マーラーは交響曲も大規模なんだから最後に作った歌曲も歌曲の割に大規模でも何の不思議もないよね それともマラ8は交響曲とは言いづらいからって交響合唱曲とかに分類するの? Das Lied von der Erdeを交響曲と認定して勝手に第9番目の交響曲と認定するの? 交響曲第9番は10番目の交響曲なんて言ったらマーラーは残念がりそう・・ ジンクス説が本当か嘘かどちらであろうとマーラーは大地の歌を交響曲第9番としていないという事実があるのに >>180 >曲全体の構成と楽章のなかの展開の形式、構築の仕方、全曲通じての各種モティーフの扱い方、 こういう何も説明できていないのに分かった風に言ってる人がいるからどうしようもない こんなことで決まるならピアノ伴奏のDas Lied von der Erdeも交響曲になってしまう 一応交響曲くくりだけど歌曲と思うならそれでもOK そんなことより、 作曲家の死後1世紀を経てもまだなおマーラー協会が 「Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo.」 という表記をなくせないでいるのはなぜなの? >>474 例え但し書きであろうともマーラーが書いた以上残る 作曲家の意志が絶対なのがクラシックの世界 お前は大地の歌を交響曲全集に含めなかった指揮者や企画担当に猛抗議すべき その 「意志(遺志)」 や 「証言」 を証拠立ててな たとえこのスレで大地が交響曲と確定したところで、交響曲全集に大地が含まれるようになるなどまるで期待できないこの現実… 作曲者の意志は絶対なのがクラシックのはずだが? 但し>>477 情報 >>474 >表記をなくせないでいるのはなぜなの? ピアノ伴奏版があるから クレルヴォはそもそも交響曲とすら書かれていない 作曲者の意志が踏みにじられた好例として、この件も猛抗議したらいい 大地の歌が歌曲と主張する人はベートーヴェンの第九も歌曲と主張するんだろうな でも確かにそう言いたくなるような酷い演奏も多いからそれはわからないでもないw 誰一人としてそんな主張はしていない マラ4は歌曲!なんて主張をしている者もいない マラ8は作曲者が交響曲と言ってるから交響曲という主張は見られる 何でベト9は歌曲と主張する人がいると考えたの?文盲は大変そうだな ベト9の第4楽章には合唱パートがあるのは事実だけどね 大地の歌が歌曲であるのと同様に ハ _ ___ ‖ヾ ハ / ヽ ‖::::|l ‖:||. / 聞 え | ||:::::::|| ||:::|| | こ ? | |{:::::‖. . .||:::|| | え | _」ゝ/'--―- 、|{::ノ! | な 何 | / __ `'〈 | い ? ! /´ /´ ● __ ヽ ヽ / / ゝ....ノ /´● i ` ー―< { ゝ- ′ | 厶-― r l> | ∠ヽ ゝ-― `r-ト、_,) | レ^ヾ ヽ>' ̄ LL/ 、 / .l ヾ:ヽ ` 、_ \\ ' l ヾ:ヽ ト`ー-r-;;y‐T^ | ヾ `ニニ「〈〉フ /‖. j 全集に入っていないから交響曲ではない、では根拠に乏しいなあ 全集に入れるかどうかなんて、後世の指揮者やレーベル会社の意志でしかないからなあ ボケてる?釣り? 私は交響曲“全集”を作った。 私の「意志」で3番は含めなかった。 なんて事があるかよw 諸井三郎「楽式の研究」第IV巻でも「マーラーのソナタ形式」の章で交響曲として挙がっているのは 番号付きの9つの交響曲だけで、大地の歌は歌曲扱いだし。また早い時期のマーラー全集である バーンスタイン、クーベリックなどの全集でもいずれも大地の歌は含められてない(バーンスタインは 全集完結後数年して大地も単独で録音したが)。これらのことからして、少なくとも一定層の専門家ですら 大地の歌は交響曲でないという認識があったことは事実だろう。それが正しいかどうかは別として。 6曲共に題名が付いてるよね アレグロモデラートみたいな音楽用語じゃなくて 交響曲と主張する人がドイツ語を言葉と認識していないのは既知のことですがw これを交響曲とするならするでどうでもいいですけど、かなり特殊で例外的な交響曲になりますよね 誰がどう聞いても交響曲だし歌曲じゃない、なんてことはまず言えない >>493 狭い範囲での事例を淡々と述べられているんだと思うけれど それは諸井三郎氏によるソナタ形式の捉え方の個人的見解による楽曲分析力の浅さを語っているだけかもしれないし 彼の中での結論ありきによる研究とも取れる=想定した結論に一定の論理を与えるための分析というのかな ここで急に諸井三郎氏だけを持ち出してくるなら、柴田南雄氏や諸井誠氏や他の評論家も出してこないとだめだよね 全集の話は既にかなり話が出ているし、逆に全集を入手しようとして大地の歌が入っているものも結構あるので 番号付き交響曲とは別に捉えたいという意思は感じられても、交響曲とみなしていないかどうかはまた別の話だよね 交響曲の範疇か、単なる連作歌曲集か、を論じるためのはネタとしてはちょっと違うかもしれないね >>494 ドイツ語云々と無駄に挑発するなよ、書いてる内容がただの揶揄に見えてくるよ そういえば第三番にも各曲ごとに標題(タイトル)付いてたね 結局先入観をなくしたいという理由で後からなくしたけども、マーラーの作品にはそういう事例は早くからあるようだよ 他にもあったよね、第二番四楽章に「原光」、第八番も標題付いてるんだよね、違ったっけ かなり特殊で例外的な交響曲、という表現は適切だと思うよ 交響曲の範疇で捉えてる人もそのことは認めた上で発言していると思うしね 誰がどう聞いても交響曲だし歌曲じゃない、なんてことはまず言えない、というあなたの主張の存在も理解できる つまりマーラーがそれだけ大きく拡大発展させた形式を創り出して、作品として成立させたということだよね ツェムリンスキーもこの流れの後に続くことができたし 誤った情報は良くないからと思うんでいちおう参考に書いておくけど バーンスタインのグラモフォンへの録音には ・Eine Symphonie fur eine Tenor- und eine Alt-(oder Bariton) Stimme und Orchester ・Symphony for tenor, contralto (or bariton) and orchestra クーベリックのAuditeへの録音には、 ・Eine Symphonie fur eine Tenor- und eine Alt-Stimme und Orchester ・A Symphony for Tenor and Alto Voices and Orchestra と明記されているよ 自分に不利な情報に対して目をつぶるのは子供のやることw 「ソナタ形式楽章を含む多楽章の管弦楽曲」という交響曲の定義を前提にした場合、 中期の純器楽3曲(5・6・7番)は典型的な交響曲であるし、8番の第1楽章もソナタ形式の 構造を持っているが、大地の歌に関しては第1楽章もソナタ形式というのは無理がある。 提示・展開・再現の構造、そして副主題が内部調で提示され原調で再現するといった 構造を大地の歌の第1楽章に見いだすことは出来ない。 大地の歌形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの) 第1楽章(ソナタ形式) 呈示部(第1節) オーケストラ導入部「アレグロ・ペザンテ」 1 15 a 主部(1〜2行)(力いっぱいに) 16 32 経過部(3行)「テンポI」 33 52 d-g 副次部(4〜5行)「同じテンポで」 53 80 リフレイン(6行)「とても落ち着いて」 81 88 呈示部展開反復(第2節) オーケストラ導入「テンポI スビト」 89 111 主部(1〜2行) 112 125 経過部(3〜4行) 125 152 a-B-Ces 副次部(5〜7行) 153 182 es リフレイン(8行)「ア・テンポ とても落ち着いて」 183 202 as/As 展開部(第3節) オーケストラ導入(主部・副次部展開)「ア・テンポ」 203 260 f 第1部分(1〜2行) 261 284 第2部分(3〜5行) 285 325 再現部(第4節) 主部(1〜3行) 326 352 a 経過部(3〜5行) 353 368 リフレイン(5〜7行) 369 392 A/a 後奏 393 405 実際にはループしてるんじゃなくて まともな根拠を示せない歌曲厨が涙目で粘着してるだけ だから終わるはずもない 実際にはループしてるんじゃなくて まともな根拠を示せない交響曲厨が涙目で粘着してるだけ だから終わるはずもない とも言える >>503 それは絶対ないなw だめだよ、そういう嘘を書くのは。 交響曲派からはさまざまな根拠が示されているんだからそこはきちんと受け止めないとさ。 まともな人が最初から読めば分かる話だから別にいいけどさ。 但し書き以外大したもんはねーだろw 伝聞、憶測 但し書きがあるだけ有力だけどな 歌曲派のほうの発言には浅い知識や思い込みからくるねつ造もあるし 相手を揶揄したり罵倒したり言い返したりといったものがほとんどを占めてて そもそも自ら根拠らしきものを示そうという意思が感じられないんで そりゃいつまでも議論は発展しないし、終わらないよ。 まあ、ここでの言い合いについては正直心の中では白旗なんだが、 自分としては歌曲だという信念があるから、今さらあげた拳はおろせない状態で 結局ずーっとわざと煽り続けているんだと思うけどさ。 第9の第1主題が告別の引用から始まってるあたり 続編として意識している という指摘は完璧に的を射ているしな このスレはあなたにとって役に立ちましたか? ○ 非常に役にたった ○ 役にたった ○ どちらともいえない ○ 役に立たなかった ○ 全く役にたたなかった ● チンコすらたたなかった なんでgdgdにしてスレ伸ばそうとするのかね?>>>509 ラロのスペイン交響曲を交響曲とみなさないのと同じように 大地の歌を交響曲とみなさない見解があって当然。 ただ交響曲全集に入ってないと残念に思う。 そこで問題です。 ブリテンのチェロ交響曲は、交響曲でしょうか協奏曲でしょうか? じゃあこうしようぜ。 交響曲でもいいから全集には含めない。 歌曲じゃないとかいうアホな主張の根拠は全く示さないくせに勝利宣言w 歌曲である根拠も何も大地の歌はどう聴いても歌曲だろうがよw 子供の不思議な角笛が歌曲である根拠だって示せないんだからって交響曲なのかよw ピアノ伴奏版はいつまで経ってもスルーするんだよな 次のレスではちゃんとスルーせずに触れろよ(←重要) >>142 にあるように但し書きについては歌曲派が書いたものなのに いつの間にか国際マーラー協会のことを知らなかった交響曲派が根拠に使ってるしもううんざりw 曲の展開が云々はどうしたんだよw さっさと判るように説明せーよ 第4番の第4楽章も取り出して聴いたら歌曲だろ? 曲の展開云々があるからあれは歌曲とは言えなくて交響曲か?w 大地の歌が交響曲だろうとどうでもいいがあれは間違いなく歌曲だっつーのw S2tkMbTdが暴れてるときいてSACDスレから飛んできました! それはともかくとして、 ソナタとアナライズできる楽章があるから交響曲風の歌曲ってのはダメですかねぇ? 糞をこね回して・・・その臭いを嗅いでエクスタシーに浸る・・・ ここでグダグダなレスして喜んでいる連中はそんな程度だな・・・ ・・・おまえら・・・スカトロとかわらんな・・・ これのCD買いたいんだけど何かオススメある? 今ワルターかバーンスタインかで迷ってんだけど >>519 ワルター、ニューヨークフィルのステレオ盤をお薦めします。神演奏です。 >>520 ステレオもあったのね ウィーンフィルのやつよりいいんだ? 俺もワルター&NYPのステレオに一票。 皆DECCA盤が良いって言うけど、良さが解らんよ。 >S2tkMbTdが暴れてるときいてSACDスレから飛んできました! 頭悪そう・・ read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる