R.シュトラウスについて語るスレッド4 [無断転載禁止]©2ch.net
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10月23日24時からプレミアムシアターでザルツブルク音楽祭での「ダナエの愛」が放映 >>4
アル乙交響曲
前スレで書き込んだダナエの愛放送まじ実現するとは
ナクソスのアリアドネも見に行きたいが財布と体力マジで死ぬ ばらの騎士、影のない女、アリアドネ,カプリッチョ。
ヴェルディよりもいい作曲家です。 金のために前衛的な音楽を書くのをやめて大衆に魂を売り渡した俗物 オーマンディの米Columbia盤の近々したおとは何時までも改善されないな R.シュトラウス入門曲はツァラトゥストラがいちばんいいね 2001年〜のツァラツストラはサントラに騙されて、約30年間ず〜とベーム/ベルリンフィルと思いこんできた俺!聴く耳持ってねーなぁ!なんかチョット違う気はしてたんだけどねー(笑)
まさかのカラヤン/ウィーンフィル!←これも持ってたのにねー…
カラヤン盤はベルリンフィル1回目の方が好きだなー…後半、さすらい人の〜の頭の所の盛り上がりがスゲーやつ。 メータがツァラトゥストラで颯爽とデビューしたときの衝撃はすごかった
レコ芸でも文句なしの推薦盤、なにより録音評が超優秀のAランクで、LPもベストセラー
メータはのちに再録音したけれどこの初録音盤を上回ることはできなかった >>21
あの冒頭開始の低音が凄まじかったな
スピーカーがガタガタ振動して揺れたほどだ カラヤンの1959年DG盤は木管定位がメチャクチャ >>22
デビューはブレンデルの伴奏の皇帝。
ロスとのデビューはローマの祭 交響詩だけで語ろうとすると凡人。
でもオペラは正に非凡。数ある交響詩はオペラを書くための準備修練だったし。
逆に言うとオペラと歌曲以外は語る価値なし。 歌曲やオペラが真骨頂は同意だけど、例外としてメタモルフォーゼンも入ると思う オリヴェイラ監督「アブラハム峡谷」で月光の音楽のピアノ独奏版が使われていた
CDで聴きたいが検索でHITしないなあ 素人にはとっつきにくいです。管弦楽曲はまだしも、オペラは あさっての
音階を歌手が必死で歌っている感じがする。よって敬遠していましたが、
このたびのウイーン国立歌劇場のナクソス島のアリアドネ 感激しました ティル、ツァラ、ドンキが交響詩Myベスト3
英雄はどこがいいのかさっぱりわからん(冒頭は格好いいが) >>28
キャーー!!!!!!!!!!!!!!!
宇野先生!!!!!!!!!!!!!!!! 食わず嫌いもあるが、昔からドンファン以外の交響詩はどうも聴く気にならない
まあだいぶ以前にドンファンでは幾つもあるおいしいソロを吹けたから満足
協奏曲とオペラが好物で、去年は二重小協奏曲・ホルン1番、
今年はサロメ(新国立)とナクソス島のアリアドネ(ウィーン国立)を
観ることができたんで言うことなし
ばらの騎士はウィーン国立歌劇場で観たことがあるが、演奏もさることながら
やはりウィーンで観るばらの騎士は格別に感動した モーツアルト ベートーベン ブラームスが
突然現代に現れた大作曲家。 交響詩はほとんど面白く聴ける
オペラは退屈、長いしわけわからん 交響詩にも所々良い所はあるけど、高級なケテルビーって感じもある。
オペラだとシュトラウス特有の俗っぽさや芝居っ気が良い意味で活きてくる。それに人声の扱いが飛び抜けて上手いから、良くも悪くもシンプルな旋律線が声をより美しく響かせる Eloquence Australiaから出た
ベームのアリアドネを聞いたけどいまいちだった、
シノーポリの録音はいいのか?ケンペの録音は手に入らない。
いいのがあれば教えて。 アルプス以外あまりピンとこないがワルツというのが意外とよかったな
あとサロメの踊りは洋物のスケベ音楽で俺的にはちょっとセンス古くてイマイチか >>39
シノーポリも良いと思う。緻密な室内楽、て感じで。良くも悪くも上品過ぎて好みは分かれるかも。ツェルビネッタチームですら凄く上品で、ちょっと面白味には欠けるかもだけど。
そのぶん妖精さん達とかアリアドネチームは繊細で美しい。 アリアドネを聴くたびにどうしてもチルツェがどんな女なのか気になって気になって… この人の曲、特に交響詩、
「そんな細かいことにクヨクヨするなよ。
ハッタリかまして行こうぜ」っていう風に聞こえる。
きらいじゃないんだが。 >>48
オペラ聴いてなさそう。交響詩だけで論ずるのって、ベトで言えば4番シンフォニー以前の作品しか聴かないで言うのと同じようなものかと。 そんなことないよ。
15曲まんべんなく聞いてまふ。 塔から送られてくるメルマガで初めて知ったオペラセット物で
>仏ディアパゾン誌の自主製作BOX新譜第7弾『R.シュトラウス:オペラ集』(15枚組)
http://cc.tower.jp/c/tl?i=wwcFdZq47NnXfDBhj
ここ見に来る人は既に所有済だと思うが
ライブのエレクトラやばらのチョイスがなかなかのセンス どなたかDVDで出てるチューリヒのアリアドネ(グート演出)観た方、教えて欲しいのですが最後の最後のシーンの意味がどうしてもわかりません。
あのオペラがここまで陰鬱なドラマになるのはショッキングだけど個人的にはかなり好きな感じなのですが、ラストはお手上げでした…どういう意味なんでしょうね?
しかし作曲家は自殺した上に幻影として血流しながら後半出てきたり、ツェルビネッタ団のシーンすら不穏で恐ろしげな感じだし、もう全然違う作品みたいでしたね。 >>53
見たことないけど作曲家が死ぬのは後味悪そう >>51
評価が定まったありきたりの名盤ばかりで全然センスないね
ミトプーのエレクトラなんて何度も出てるし
安くする為か著作権切れの古い音源ばjかりだしw >>59
ベーム版ってカット有りですか?終幕の乳母、伝令、バラク夫妻の四重唱、ほとんどの版でカットされるのが本当惜しくて。あの四重唱、音楽的にも素晴らしいと思うのに。
まあそう言う自分も最近のティーレマンのノーカット版で初めてこの四重唱聴いて大好きになったんですけどね。 パンアテネの行列(アテネの大祭)が好き
ライブでやったら受けそうなのに日本で聴く機会は無さそうだ 英雄の生涯の最初のテーマって、
雰囲気からウルトラセブンにそっくり メストのダナエの愛よかった。ダナエはCD少ないから出してほしい。 最後の4つの歌ええなあ
若い時は人工的な感じが気になってたけど
生きるとはそんなガラスのようなものもばりばり喰っていくことだと思ったら急に好きになった ネットでアイヒホルンとヤノヴィッツ、サヴァアリッシュとポップの音源があるけど、
オルフェオから出てこないかな ポップのシュトラウスは本当に良いと思う。特にアラベラ。 【村上春樹“騎士団長殺し”にショルティの『ばらの騎士』登場】
http://tower.jp/article/campaign/2017/02/24/04
村上春樹の新刊“騎士団長殺し”が発売され、今回も作品中で
クラシックが取り上げられています。
モーツァルトの“ドン・ジョヴァンニ”とリヒャルト・シュトラウスの
“ばらの騎士”という、2つの名作オペラです。
発売前より、タイトルから推察して“ドン・ジョヴァンニ”が予想されて
いましたが、“騎士団長殺し”の第一部、第二部を通して登場します。
そしてもう一つ、具体的な演奏者名(ショルティ)を出して、
リヒャルト・シュトラウスの歌劇“ばらの騎士”が登場します。
世評高いカラヤンやクライバーではなく、あえてショルティ盤、
1968〜69年録音のアナログLP最盛期のショルティ盤を選んだところに
村上春樹さんらしさが出ていると思います。 タワレコからエーリヒ,クライバーのフィガロの結婚がSACDリマスターで出るけど
ばらの騎士も、やる可能性高いよな? >>78
いいわけないだろw
でも高い金出して買ってくれる鴨がいるんだから
出さない手はないわなw バラの騎士の冒頭部分のオーケストラを聴いていると、
赤面してしまう俺っておかしいのかな? >>80
お若いですな、うらやましいですな、としか。 俺はわからん
しーしーど#ーどーど#ーらーそ#ーしー
のところ大好きだし インテルメッツォや無口な女が好きやついるか?何度聞いても良さがわからん >>86
>インテルメッツォや無口な女が好きやついるか?
はい大好きです
万人に受ける音楽なんて存在しない
自分がいいと思えるものを聴けばいい
時間を無駄にするな人生は無限じゃない 4つの最後の歌の一つ、「春」をフラグシュタート(世界初演ライブ)、シュワルツコプフ、デラ=カーザ、ヤノヴィッツ、
ポップ(最後の録音の方)、バーバラ・ボニー(ピアノ版)で聴き比べたご機嫌な1日でした。 バーバラ・ボニーはいいね。
モーツァルトは、もっといい。 先週、そして来週と知人の葬式立て続けで落ち込んでる。
でもって今、カラヤンで「死と変容」『メタモルフォーゼン』聴いている。 来週25日にオランダ放送NPO4で「インテルメッツォ」を生中継とのこと
4月にはベルリンRBBがメータ指揮で「影のない女」を生中継 メタモルフォーゼンは嘆きと全肯定が一体となってていい メタモルフォーゼン、前にテレビのN響では各パート2人ずつでやってたけど
あの曲ってソロ、2人重なった音、3人4人と微妙な対比が味わいなのに台無しだった。
やっぱり全23パート1人ずつでやるべきだよね 晩年のシュトラウスは本当にいい曲が多いなあ
早熟の天才って普通は早く枯れるけどこの人は死ぬまで傑作を書き続けた 逆に若い頃の作品は、魅力はあるけどまだ試行錯誤というか真骨頂には到達してない感じ。
やっぱりオペラ書き始めて以降晩年までが味わい深い。
薔薇やらのオペラ群ははもちろんメタモル、最後の4つ、オーボエ協、等々 6月にシルマーがシュトラウスの諸オペラをライプチヒで指揮するね 明日NHK-FMロイヤルオペラ今年1月公演
ネルソンスのばらの騎士全曲
もう数年は待たないと駄目かと思っていたので、少し早すぎやしないか感
それとウィーン国立歌劇場来シーズン演目出て
11~12月サロメ、ナクソス、エレクトラばら、ナクソス、アラベラ他
立て続けに上演するそうで(ただし指揮者レギュラー陣)
正直なところウィーンに行きたい 海外のネットラジオチェックしてれば日本にいながら聴けたりする カプリッチョのあそこのホルンソロ油断すると泣きそうになる
しかし月光の音楽の原曲がクソしょうもない歌曲なのがらしくて笑える >>105
むしろ男にしか人気ないだろ
女でR・シュトラウスが好きなやつにあった事がない 職場のオペラ好きお局様はエレクトラやサロメ大好きって言ってた 静岡音楽館AOI「1940リヒャルト・シュトラウスの家」
劇部分が意外と面白かった、つーか最後のどんでん返しは本当なのかw? 晩年のシュトラウスは時代遅れの遺物扱いされてたんだってね
本人も嘆いていたそうだ >>112
後期作品は洗練されて素晴らしいのに、初期の作品は大げさだったり構成も似たりよったり >>112
批評家のウケは悪かったが、聴衆からは一貫として支持されてた
ナチ時代もドイツ最高の作曲家として祭り上げられてた
4つの最後の歌もフラグスタート、フルトヴェングラーというそうそうたる組合わせて初演された イドメネオの魔改造について
ドイツ語版は ・・まぁ、Rシュトラウスだな
フランス語版 ・・・・・・・・・・・・(゜Д゜;)ボカーン・・・なんだこれ >>118
二人ともこの役を歌うのこれで最後だそうです Both Renée Fleming and Elīna Garanča were retiring their roles in this opera and I may well ‘retire’ this opera too and not see it again.
Renée Fleming considers that after 70 performances as the Marschallin it is now time to move on at this stage of her career, and for Elīna Garanča it is a case of her voice changing and there are new challenges ahead.
Intriguingly she revealed how she had been singing the role for seventeen years and two months, which is exactly the age Octavian is supposed to be!
There is a rather sentimental, elegiac, atmosphere to Der Rosenkavalier and when reflecting on the ‘passing of time’ Fleming captured this perfectly without giving the impression that she found it as easy to sing the part as she once did.
Perfectly utilising her darkly-seductive voice Garanča was the undoubted ‘star’ of this performance, and this young mother of two gave an uncanny impersonation of a love-struck teenage boy.
I didn’t see as much dramatic chemistry between Fleming and Garanča as I would have preferred, but perhaps the occasion got to the more senior singer, and this would be understandable. フレミングみたいなスケベそうなオバサンに詩を捧げてお小遣いを貰いたい。 >>121
ふむふむ、要約するとキレ痔が痛いのね
んなもん肛門科いけばいいやん( ・ω・) >>109
これ気になるなぁ〜。
宝塚見に行ってみようかな。 メトのライブビューイングばら騎士、フレミングとガランチャの役卒業、最終日公演。
フレミングは「すべてこれで終わり」と歌うとこ感極まってるみたいだった。ガランチャはオクタヴィアンをちょうど17年と2ヶ月歌ってきたって、凄い偶然だなw フレミングのマルシャリン、最後にああいう退場の仕方はいいね
おー、またやっとるなーみたいな グロイスベックのオックスは本当に良いな
なんかジブリ作品に出てきそう >>114
4つの最後の歌ワルターで聴きたかったな
ゼーフリートかギューデン あたりで シルマーかヴァイグレがダフネを録音してくれたら買う >>128
「愛のソナタ」はDVDにもビデオ化もされてないし
一度だけNHKで放送したけど、もう放送される事はないと思われ… 夏が来ると「アルプス交響曲」を聴きたくなるんですが、みなさんのオススメCDを教えて下さい。 ウィーン・フィルのアルペンって、どれがいいですかね 4つの最後の歌はベーム、デラカーザが好きだ。
ワルターで聴きたかったな
ゼーフリートかギューデン あたりで >>142
ティーレマンは世評は高いが、俺にはよくわからん。
小澤がいいかな。 久しぶりにルイジ/SKDのCDを聞いた。
「イタリアから」ってつまらない曲ですね。取り留めのない断片をつなぎ合わせた
ような曲w
しかし、陶芸家が同じような形の物を数多作るその過程の中から、奇跡みたいな作品が生まれるのと同様、
作曲家の名作も、膨大な駄作の中から生まれてきたのかもしれない メゾかアルトが歌ってる歌曲集でおすすめ教えてください 今日からのばらの騎士4連戦感想待っています
(諸所事情等により行くのが不可能なため) 薔薇の古いライヴ録音をまとめて買ったので、少しずつ聞いてみる
古い順にセルのザルツブルクライヴ1949、カラヤンのザルツブルクライヴ1960、
ベームのザルツブルクライヴ1969、ラインスドルフのブエノ
スアイレス1969
ボダンツキーとクナのも含め
比較してみたい クライバー父のは薔薇好きなら外せない録音でしょうね
さてクラウスの録音を見つけて即購入!
古い旧い薔薇のCD少しずつ聞き比べてます、
今回はあくまでオックス登場あたりまで
速めのセル、もっと速いカラヤン
クラウス、ベーム、ラインスドルフはゆっくり目
マルシャリンとカンカンはあとの楽しみ取り敢えず保留でオックス
クラウス盤のウェバーとカラヤン盤のエーデルマンが本当に素晴らしい
セル盤のプロハスカも良い
ベーム盤のアダムとラインスドルフ盤のベリーには名演が多いだけに不満が残る
そもそもベリーってオックス役適役なの? アイネム「老婦人の帰郷」
Rシュトラウスっぽい官能的にうねる音楽 帰郷 = Homecoming
ってオナニーの隠語でもあるよね シュテファン・アントン・レック・ダフネ
結構よかった シノーポリとサヴァリッシュの影の無い女の評価を知りたい、音質,歌手,オケ、
ベーム旧盤しか聞いたことない、オケ〇,歌手〇,音質△ 近代作曲家で多くのオペラを書いたRシュトラウスは偉大だ >>161
【シノーポリ盤】
残念だけど、
あの心理ドラマで
カットあり
ライブ録音
は問題あり。
映像もあれば違った評価かもしれないけど、
シノーポリの得意とする心理ドラマだけに残念。
【サヴァリッシュ盤・完全全曲版】
素晴らしい録音
和声処理の難しい部分はもう一つの完全版ショルティ盤よりもいい。
歌手はバラクの妻以外は個性もあり、素晴らしい。
皇后のセリフの処理も一番ドラマティック
インタビューで、サヴァリッシュがシュトラウスが意図した影のない女の46の和音の処理の解説だけで一冊の本が書けるといった具合にあの録音当時、この作品を一番理解していた指揮者だと思う。 >>164
サヴァリッシュにします
詳しく教えてくれてりありがとう >>161
サヴァリッシュは皇帝のコロも不調だし歌手がイマイチだね
指揮もメリハリなくて退屈
猿之助演出のDVDの方がずっといい
シノポリは歌手も揃ってるしオケも高揚感があって素晴らしい
カットがあるのは確かだけど「ばら」とか「影のない女」でノーカットの上演の方が少ないから文句言うほどでもない >46の和音の処理の解説だけで一冊の本が書ける
こういうのあああのことなってかんじにわかるようになりたい 影のない女、ショルティ版良いと思うけどな。ノーカットだし歌手も乳母がダメダメな以外は良いし。特にドミンゴの異質な甘い感じが皇帝に凄く合ってるような気がする >>169
ショルティ盤も悪いとは思わない。
ただ、「主役」である皇后の歌やセリフが少し荒すぎる。
あと、和声の切り替えでゾクゾクってくる部分で、サヴァリッシュの洗練さと丁寧さに惹かれる自分がいる。 >>128
自分が昔観たヅカ版はオックスが主役だったw シュトラウスはオペラのみで評価されるべき
シュトラウスを交響詩で評価する馬鹿が出て来ないように交響詩の楽譜は全て焼却処分すべき >>175
言い方は乱暴だけど概ね正しいと思う。キャリアの前半で交響詩書きまくったのはオペラを書くための修練だった訳だし。最も優れたものが注ぎ込まれた真髄はオペラ。
ティルが〜とかツァラが〜とか言って、オペラろくに聴かないアマオケ崩れみたいなのがシュトラウス馬鹿にしてたりするのはアホかと いや、リートは残してくれ。
オペラと交響詩の争いには巻き込まないで欲しい。 若いころの室内楽もいいよ。
ヴァイオリン・ソナタ、超おすすめ。 >>179
シュトラウスの集大成と言っていいと思う影のない女。先鋭的で巨大な激しさとリートのような繊細な美しさの振れ幅が広くて、シュトラウスの全てが詰まってる感じ。
特にバラクパートの素朴でストレートな美しさは、シュトラウスが自分をバラクに重ねて、心から共感して書いたからこその美しさ。 シュトラウスの交響詩を甘く考えたらいかんよ
このジャンルの頂点にある作曲家だぜ
ただシュトラウス自身は文学に造詣が深かったとは思えない
全く文学的でないから中身のない音楽だと思われている節もあるが、劇的表現の管弦楽法をワーグナーから近・現代に繋げた功労者であることに変わりはない
オペラはホフマンスタールのおかげだよ
交響詩と作曲手法や語法が変わっているわけではない シュトラウスは声楽と管弦楽のブレンド感が最高なんだよ
だから管弦楽だけで聞いたら何か肝心なものが欠けてるの >>184
ホフマンスタールは掛け値なしの天才だよ
"Vorfrühling(早春)"なんて18歳のときの作品 ランボーと並ぶ早熟の天才だった
そんなホフマンスタールの書いた台本に引き摺られるように、交響詩のときの大言壮語気味の作風から繊細なニュアンスを表現するようになっていった
元々天才的な管弦楽法を若くして身につけていたシュトラウスをさらに成長させたのはホフマンスタールとの共作の経験と言ってもいいんじゃないかな
もっとも、ホフマンスタール自身は自分の意図やニュアンスを汲み取って曲を書いてくれないと不満を常にもっていたという話だけど シュトラウスは楽才ということでは同時代の作曲家では群を抜いた天才だ
あのプライドが高く、同業者に辛らつなマーラーがどう見ても異質な音楽を書くシュトラウスを認めているくらいだし
実際に楽才という点ではマーラーなんて問題にならない
プロコフィエフみたいな存在だね
ショスタコに比べれば軽くて中身の薄い音楽だと見られているが、楽才では比較するまでもなく優れている
それが交響詩から感じ取れないようではまだまだだな
ティルもドンファンもツァラトゥストラもとんでもない才能に満ち満ちている
「中身がない」けどね(笑) 俺はシュトラウスのオペラはもうお腹いっぱいだわ
4つの最後の歌やメタモルフォーゼンなんかもケバくてダメ
ティルだけあればいい 管弦楽だけの曲にシュトラウスの才能は宿ってない
声楽を伴わない曲をシュトラウスの曲とは認めない >>188
「中身がない」
たしかに、わざわざ「中身が無い」題材にして、
それを理由に、中身なんて無くてもいいから好き勝手に作曲させろというような感じがしますね。
だが、それがいい。 フェチ心を誘うところがある
シュトラウスの中身のない曲聴いても音楽っていいなあって思えるんだよな
プロコにもそういうとこあるけど俺的にシュトラウスの方が強烈 一口にシュトラウスと言ってもオペラと交響詩では天と地ほどの差がある
オペラに比べたら交響詩なんて何の価値もないのにオーケストラで演奏できる手軽さから交響詩のほうが一般人に知られてるという間抜けな状態
これでは一般の評価が低くなるのは当たり前 >>195
全くもってその通り。中身が無いだの何だの言ってる人ってオペラ聴いたこと無いか、聴いたことあってもドイツ語殆ど知らなくて詩と音楽の結び付きを理解できてない人。 >>194
プロコフィエフはこじんまりとした室内楽的な曲も多いからね
シュトラウスのように大編成オケを自由自在に駆使するという書き方をしない分迫力には欠ける
でもどちらにも共通するのは透明感
シュトラウスのオケの使い方は魔術だよ
あれだけ音符が細かく入り乱れ音が錯綜していても透明な響きは失われない
重苦しさと無縁なんだな 音は派手でも軽さを失わない
さすがモーツァルトを崇拝していただけのことはある
モーツァルトをワーグナーの管弦楽法で処理するという無茶を成し遂げれるのは抜群の楽才があるからだ 「美しさ」という点だけでも抜きん出たものがあると思うわシュトラウス。
グレン・グールドは音楽史上最も美しい音楽として「カプリッチョ」の月光の音楽を挙げていた アルプスとかドメスティカは名曲だよな
マーラーも、やや飽きてきた昨今
集中して聴くのにちょうど良い
多分、どっちも5つ以上はCD持ってるけど、
もともとそんなに深みのある曲ではないので、どれも名盤だわ
ていうかシュトラウスのオーケストレーションが見事?で
もともとアラが出にくいのかと感心してる 交響曲でシュトラウスを語るなんてナンセンス
交響曲ファンがマーラーやベートーヴェンと比較してシュトラウスを聴こうとするのが間違い
逆にオペラでマーラーやベートーヴェンを評価しようとするくらい馬鹿馬鹿しい ベートーベンをオペラで評価したり、ショパンをオーケストレーションで評価したりするのはナンセンスだよね。
どの作曲家にも真骨頂を発揮するジャンルやスタイルがある。プッチーニやヴェルディがオペラで評価されるべきなのと同じで、シュトラウスもオペラで評価すべき作曲家でしょう。 「ばらの騎士」以後の大衆に迎合して斬新な音楽を書くのをやめた俗物根性丸出しの古臭いオペラを素晴らしい素晴らしいと言ってる下賤な烏合の衆ども >>203
批判するなら、対抗する具体例を出してからにしてもらいたいな
「ばらの騎士」以後で”大衆に迎合して斬新な音楽のオペラ”とやらを挙げてくれよ
いわゆる”ゲンダイ音楽”のような陰気な曲ではなく「影のない女」のような華麗な曲があれば教えてほしいね >>204
日本語不自由なやつがレスつけてくるなよ
”大衆に迎合して斬新な音楽のオペラ”なんて俺は言ってないぞ >>205
”大衆に迎合しない斬新な音楽のオペラ”
これでいいか
さあ、早く具体例を挙げてくれ
期待して待ってるぞ >>206
おまえも「ばらの騎士」以降のシュトラウスのオペラが大衆に迎合して斬新な音楽を書くのをやめた俗物根性丸出しの古臭いオペラだということは認めるんだな
俺にはそれで充分だ
相手の手の内で踊るような反論はしないよバ〜カ >>207
馬鹿すぎるw
影のない女でも聴いて人生やり直せ >>206
横から失礼。独語圏限定だとたとえば「ヴォツェック」「パレストリーナ」「軍人たち」とか?
俺は「ダントンの死」「カルディヤック」「バッカスの巫女」推しだけど全く定着してないw
それと「華麗」って条件設定はずるいなあw
仮に「モーツァルト+ワーグナー」の成功例なら「ばらの騎士」と「影のない女」になるか。
それを大衆が正しく理解したか、はまた別の問題。題材がプチブル的かどうかなら曲による。
アンチキリストとか、当時の既存の価値観を破壊したいというのも大きなテーマだろ? 連投すまん。一方でこうも考える。例えばヘルマン・ヘッセは四つの最後の歌にダメ出しした。
そういう価値観もありだと思う。他方ヘッセの友人シェックの作品はシュトラウスと並べても
悪くない。それもまたあり。至上主義も毛嫌いも、行き過ぎると取りこぼしが出て勿体ない。
俺シュトラウス好きだけど、昔排他的なシュトラウス至上主義者に絡まれて参ったことがある。
そいつが凄いんじゃなくてシュトラウスが凄いって話なのに。あれは本当に時間損した。
あん時はまるっきり嫌いなふりしてやり過ごしたけどな。人生は短い。みんな楽しく聴こうぜ。 シュトラウス至上主義者uなんてのがいるんだな
ここにはオペラ至上主義者がいるけどな(笑)
俺はシュトラウスの音の感覚、とりわけ調性の感覚(転調の感覚)とオーケストレーションの技術は一流だと思っているが、
じゃあバッハやベートーヴェンに肩を並べられるかと言えば、そこまでの大物ではないと思っているけどな
オペラはと言えば、バックグラウンドミュージックの始祖としてその意義を認めているが、それもホフマンスタールのおかげだという考えだ
題材は反社会的だが「サロメ」こそが「大衆迎合的」で、「薔薇の騎士」もそれに次ぐ
その後のホフマンスタールとの共作は高踏的だよ 台本がそうだから仕方がない
もっとも「大衆迎合」という道具立てがいかにも高校生っぽいが、そこは問わないようにしよう(笑) バッハとベートーヴェン押しこそ器楽史上主義者だろ
バッハよりオペラ作曲家ヘンデルの方がはるかに偉大なんだが ドイツ語の作曲技法でバッハは間違いなく史上5本の指に入るのでベートーヴェンとは一緒にして欲しくない。 >>213
仰る通り転調が凄い。オーケストレーションの巧さの方が強調されがちだが。
ただ悪く言えば「これみよがしなのに回りくどい」ところがなくはない。
それを「何かを伝えたいのにうまく伝わらないもどかしさ」や
「時間を愛おしむような感覚」を感じられるまで昇華できるかどうかは、
演奏に負うところが大きいと思って居る。
中には音楽の知を結集したかのように持ち上げる評論家もいるそうだけど、
そういう異論を差し挟めない、寄らば大樹的な神格化はごめんだな・・・
>>214
確かにヘンデルも偉大だが、誰かと誰かを比べてどちらが偉大かとか、
誰が一番とか、器楽かオペラかってのは、人によって違うことが多いよな。 引っかかったとこ楽しめばいいじゃん
人生は短い、新しい言説は次々生まれる バッハ推しが器楽至上主義ってマタイロミサカンタータ完全無視かいな
ベトはベトで少なくともリヒャルトの下とは誰も考えんわな
リヒャルト本人含めて みんな言いたい放題言って、
各人各様の楽しみ方で楽しんでいて、それで充分だっていうことが、
よく分かった。 だよ、好き好きでいいんだよ
モツからたどりついてオペラ好きになってもいいし
ベルリオーズリムコルラヴェル的にオケ技法に惚れてもいい
バッハベトはどうこうだの言うこともない
好きになってからしか深められない理解ってのがあるんだよ リヒャルト・シュトラウスは、キャッチーで軽そうに見えるけど旋律美が美しい協奏曲集が好きだと書き込みたかったけど
とてもそんな雰囲気じゃねえなw >>216
シュトラウスがモーツァルトの曲の転調部分を指して「こんな転調ができたら」と言ったという話が伝わっていますよね
しかし、シュトラウスの場合は調性を揺るがすというその時代のテーマに乗っかるという別の意味もあった
当時の前衛作曲家としては作為的な転調を実験的にでも盛り込まなければならないという意欲の表れだと思いますね
「こんなこともできるんだぜ」という転調はモーツァルトの転調とは異なるようで、実は芸術家としての技術の誇示ということでは同じ
しかし、その作為的な転調のおかげで独特な浮遊感を音楽に生み出して、しかもそれをただの装飾的技巧にとどまらず劇的表現の手法にまで昇華できたのはもっぱら天性の感覚としか考えられないのだな >>222
いい話!
>>221
俺も大好き。オーボエが一番好きだけど、最近スペイン人の友達に
「デュエットコンチェルティーノってどう思う?」って聞かれて、
ああでもないこうでもないと話しているうち、段々好きになってきた。
何となく固い財布が馴染んできた感じ。
正解のない茶飲み話から突然世界が広がることもある。
>>222
「独特な浮遊感」
そ れ だ 。有難う。 >>223自己レス
一番上、安価ミスです。正しくは>>220ね。 転調か管弦楽法かしらんけどばらとか神経にジンジンくるじゃん
それにホフマンスタールの脚本が絡んでエグいいいい 自分もシュトラウスを交響詩、オペラ、協奏曲などこだわりなく好きで聴いていたけれど
ここのお話のおかげで、影のない女を初めて聴きました。素晴らしいですね。ありがとうございます いわゆる映画音楽の原型だよね
オペラなど多かれ少なかれそういう面があるけど
この人は、ままだと思う >>228
違うと思うよ
オーケストレーションは遥かに複雑だし、旋律も一度聴いて覚えられるようなものじゃないし >>228
シュトラウスの影響を一番受けたのはジョン・ウィリアムズというわけだな
確かに金管使い方はそのまんまだな(笑)
冗談はさておき、その指摘は間違ってはいない
ホフマンスタール台本のオペラはほぼ全篇レシタチーボとも言える
台本と音楽の重要性が、それまでのオペラと逆転しているのだな
あくまで台本が主役で音楽はバックグラウンド・ミュージックになっている
文学的価値のここまで高い台本によるオペラというものがなかったからな >>230
全編レシタティーヴォというのは鋭いな。好みが別れる点でもある。
映画音楽との関係でいうとシュトラウスはコルンゴルトとの共通項もあるし、
スタイナー(風と共に去りぬ)、ロージャ(ベン・ハー)と並べても違和感はない。
では違いは?というと、筆が立つのと表裏一体で。
台本の機微を表現しようとして時間軸が広がっていくので、
単刀直入に事を済ませるのが少ないところかな(異論は認める)。 映画音楽で言えばシュトラウスを始めとする後期ロマン派の直系の子孫、コルンゴルトがそのままハリウッドに行ったんだし、やっぱり映画音楽の始祖は普通にコルンゴルトってことでしょう ハリウッド音楽はチャイコフスキーを源流とするロシア系統も入って来るから
コルンゴルトだけが始祖ではないでしょ >>228はツァラトゥストラが映画に使われたからネタで言っただけだろ
逆にネタにされたのさ(笑)
しかしツァラトゥストラの冒頭は凄い曲だ
これだけで天才の証明になる
五度と音階でできていると考えればマイスタージンガー前奏曲と比較できるが
どちらも和声とオーケストレーションでこれだけのものになるんだからな
一般受けしているからと言って価値が減るわけではない >>235
あれはかっこいいよな。でも俺、そっからあとも大好きだ。
エンディングも好きだ。
「お前とは握手せんよ、この小僧(ボソ」って感じがな。
シュトラウスはハの音に何を感じていたんだろうな?
昔はあの大編成なら最後までもりあげろよと思ってた。
思えばオレもケツが青かったw 本人が、ツカミさえしっかりしていれば
あとはどうにでもなる、と言う趣旨の発言をしたらしいね。 ツァラトゥストラみたいなのを竜頭蛇尾とか羊頭狗肉と言うのさ >>238
冒頭のみが有名で聴き覚えがあるから、そう感じるんでしょ
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の冒頭、ヴェルディのレクイエムの怒りの日等、
自分が知っている部分以外は駄作って真顔で言う人いるからね
有名な曲の部分だけ集めたコンピレーションアルバムだけ聴いてください うるせーな
こちとらニーチェも読んでるぞ
あの映画は実に糞だったな 自分も耳タコになった冒頭よりも、ヴァイオリンソロの部分をはじめ、その後の展開の方が好きだけどな
つーか冒頭の奴は、校内放送の掃除の時間開始のときに使われていたのでどうにも・・・
つーか選曲した奴、バカだろ ハ長調の威力なんだよな
シュトラウスのハ調と言えばドンファンのホルンのテーマの登場する箇所もそうなんだが、どちらもハッタリ大風呂敷臭いなと感じながらも心が沸き立ち躍る
もちろんシュトラウスはそれを計算して書いているんだよ
だから幼稚な音楽だと思うやつはシュトラウスの罠にまんまとひっかかっているわけだ
ブラームスのハ調の三和音で閉じる曲に対して、シュトラウスは「あんな恥知らずなことができれば俺ももっと人気が出る」と揶揄したそうだ
そう言いながらツァラトゥストラの冒頭のオルガンはハ音のオルゲルプンクトと短いファ、そして最後にハ調の三和音だけ!!
半可通な聴衆を嘲笑うかのようにね
http://img135.imagevenue.com/img.php?image=09707_2017y11m25d_221031428.jpg_122_494lo.jpg オーケストラレパートリーでシュトラウスを評価するのは無意味だよな
ワーグナーやヴェルディやプッチーニを管弦楽曲で評価するのと全く同じ 最近シュトラウスはオペラが絶対だと言い張る輩が住み着いてるんだが何者なんだ >>247
多分、音楽より文学が好きなんだよ
あるいは器楽的な主題とか展開とかの仕組みに疎くて、文学的な解釈で補わないと聴けない人かもしれない
ばらの騎士以降のオペラは音もスカスカになっているから、余計に親しみやすいからね
自分が分からないものより、分かるものに肩入れしたくなるんでしょ 何を選り好みしてもいいけど、稚拙な文章は読みたくない >>248
たしかにお好きな方はドイツ語のラジオドラマ風に聴いていらっしゃるかも。
私は全曲を聴く時間がないので、聴く時は抜粋。
ホフマンスタールネタじゃないけど「ダフネ」の最後とかね。
一方、オケ曲にはオケ曲の楽しみがあると思う。
例えばツァラとか家庭交響曲、40分前後でパズルを解く感じで楽しい。
俺はハとロが折り合わない前者の方が、へ調とロ調をニ調がとりなす後者より好き。
もちろん価値観はひとそれぞれ。
ま、色々こまっしゃくれたところが魅力でもある、困った作曲家ですわ。
この人じゃなかったら許されていなかっただろうね。 >>248
見下してるつもりが下の人の言うとおり「稚拙な文章」だよ
オペラ絶対派よりかえってリヒャルト貶めてる >ばらの騎士以降のオペラは音もスカスカになっている
こんなふうに考えてる奴がシュトラウスを理解してるなんてチャンチャラおかしい ばらの騎士がむしろ詰め込み過ぎなのではと思う
シュトラウスは詰め込み過ぎからのシェイプアップが成長過程であってスカスカになる事は一生なかった 交響詩よりオペラの方が、音はスカスカというか単純なのは間違いない
それの良し悪しはまた別の話 正直俺にはどうでもいい言い争いだが、「スカスカ」という概念が分からないんだな
大編成から室内楽編成になれば音は薄くなる
低音を鳴らす楽器が減って打楽器群が縮小すれば音の厚みも迫力も低減する
あるいはオーケストレーションが簡素化すれば音の量が減る
そういうことを言っているのだろうとは思うが、シュトラウスのオペラが室内楽化したのはスタイルの変化
初期のスタイルが好みならあくまで主観的に「初期のスタイルの方が好き」と言うべきであって、
「後期になると必要な音が欠けている」みたいな客観的評価と誤解されるような言い方はまずい
作曲技術が低下したとでも言いたいのでなければね
やっぱり何を言い争っているのかも良く分からんぜ(笑) >>250です。
俺の意見は少し違っていて、>>251みたいな感想もまたありかなと思う。
俺自身は羽二重のように感じることの方が多いが(カプリッチョとか)、
ひとによっちゃそう解釈されるのかもしれんな、という意味でね。
もちろん表現は気をつけるに越したことはないけど、感想が揃う必要もない。
同調圧力が強くなると息苦しくなるし、
好きなら好き、嫌いなら嫌いってなりに、理由があるってことだと思うよ。
ところでカプリッチョって美しいよな。まるでこの世のものとは思えない。 自己レス >>256で安価ミスった
>>251としたけど正しくは >>248 カプリッチョは軽い音だと思うが音の重なりは初期交響詩よりよっぽど複雑じゃね?
柔らかい色彩を要所要所に無駄なく効かしてるから雑味を感じずすっきり聞こえるだけ
交響詩においてはこの雑味がむしろ非常に面白いからどっちがスカスカでどっちが偉いって評価がナンセンス >>258
ご指摘有難う。カプリッチョは「上善如水」とか、ナチュラルメークを思わせる。
(女子に聞くと、見た目にばっちりな化粧をするより難しいらしい)
でもどちらが偉いとか、俺も全く興味がない。つか、作風の変遷には関心がある。
価値観なんて人それぞれ。色んな意見に耳を傾けるのも悪くないというのが俺の信条。
表現の妥当性は各人の胸の内にあると思う。それ以上のことは言わん。
ただ後期の作品を評価なさらない方が、いつかここでのやりとりを思い出して、
「改めて聴いてみると中々いいもんだな」と思ってくれる日が来ることを願っている。 若い頃はワーグナーの影響を受けて派手なオーケストラの使い方をしたが、他の作曲家にも例があるが、
歳をとるとともに熱が冷めるとワーグナー離れを起こして、理想とするモーツァルトへの意識が強くなって作風が変わったということはあり得る話だな
ホフマンスタールとの共作で禁欲的になることが強いられたことがその契機となったのかも知れんな(笑)
もっとも「カプリッチョ」の冒頭はモーツァルトというよりは若い頃のシェーンベルクだな(笑) 前奏曲は実質弦楽六重奏なので、
俺は「浄夜」のオリジナル版と一緒に聴くこともあるな。
あとはコルンゴルトの六重奏曲とか。
実質室内楽でシュトラウスを語ってしまって恐縮だが、
それはそれでお勧めしたい聴き方。 カプリッチョの前奏曲は必要無いな
あの前奏曲のせいでカプリッチョの評価はずいぶん損してる
そもそもオペラに長い前奏曲なんて必要無いわけだが >前奏曲は必要ない
ははは。もちろんそういうご意見もあるでしょうね。
もしシュトラウスがあの世でこのスレを読むようなことがあれば
(ありえないけど)
それこそカプリッチョに出てくる劇場支配人ラ・ロッシュのように
「この流れをオペラにしよう」と言ってくれるかもねw
では。 >そもそもオペラに長い前奏曲なんて必要無いわけだが
いやカプリッチョに限らずオペラの実演見るとそれはないって思うよきっと
例えばマイスタージンガーの前奏曲飛ばしたら掛け湯無しで熱い風呂に入るようなもんだろう
そう考えるとサロメってやっぱり今でも特異なオペラだわ 「サロメ」は好きなオペラだな
純粋に音楽が楽しめてシュトラウスの楽才を堪能できる
あの退廃的な響きはたまらない
始まり方がぶっきらぼうだが終わり方もぶっきらぼう
天才的な発想と言うしかない
サロメか。たしかに凄い。凝ってるし。学生時代にはよく聴いた。
アルマ・マーラーが「七つのヴェールが流れを削ぐ」と言ってるが、
露悪趣味のふりしてモラルとは何かを問うてくる、凄みがある演目だ。
ただ個人的には、四十代になって手を伸ばす機会が減ってきた・・・
ナクソス島なんかに避難することが増えたわ。
歳とるのって悲しいな。でも歳とってこそ魅力の分かる演目もある。
だから人生ってのは楽しいのかもしれんな。 七つのベールの踊りはずっと続いた息詰まる心理戦からのエロ大爆発で
さらに勢いが増したしサロメの異常性を駄目押しする重要要素だと思うんだよな
でも確かに一貫して休む隙のない怒濤の一幕なので通しで聞くのは疲れる >>267
この時期の作品には「天才であるが故に不遇」といった心境だとか
「認めてほしいのに受け入れられない」といった類の承認欲求、
更にそんな自分自身を離れたところから観察するような醒めた目線を
感じることがある。
で、ここで登場するのが「成育歴に問題のある少女」「地位と立場」「生首」。
これ以上ないほどショッキングでインパクトのある題材だ。
だが諸刃の剣でもある。ある種の炎上商法だったのかもしれない。
欲望が成就しないまま膨れ上がっていく様を音楽で表現する手腕は
空恐ろしくもある。でも・・・、疲れるよなw 下世話な話だがサロメはサロメ役が脱いでる舞台映像とか見ちゃうとCDで音だけ聞いてても面白くないんだよなあ・・・ 今は全裸サロメとかもあるしなあ…
だいたいダンサー本職でないし踊りの後で長いモノローグ控えてるしサロメ役は大変だよ でも、1980年のウィーン来日はリザネクのボディスーツヌードで……… はじめて市販された素っ裸の映像って、ユーイングのだったっけ?
今で言うヤンデレ要素が強すぎて、当然のことながら
「ひゅーひゅー、ねーちゃん!」って感じにはならんかったw ケンペの管弦楽曲集はシュトラウスファンとしてはmust-buyなの?
昔から定評があるが一曲も聴いたことがない
これを聴くと良さがさらに分かるというようなものなのかな
管弦楽曲はほとんど持っているが指揮者はバラバラ
ジンマン、マゼール、ドホナーニ、シノーポリなど
誰か色々揃えている人、教えてくださいな
目下自分へのクリスマスプレゼントとして考慮中 >>275
いいぞ
自分へのクリスマスプレゼントなら最高
特にリマスター時に追加になった月光の音楽は現行音源ではベスト演奏と信じている(ペーターダム) >>275
ああいう曲だから、オケを大げさに鳴らす指揮者もいるが
ケンペの指揮は「端正で味わいのある演奏」といえよう。 >>277
追加の顛末、詳しく教えてちゃ( -_・)?プレイリスト作るぐらい好き。 >>266
俺にとってはシュトラウスは一年中聴くような作曲家じゃない
聴かなくなると一年以上も聴かなくなる
聴かなくても別に恋しくもならない
しかし、突然ごちゃごちゃして重い音楽が嫌になる時が来る
人間的な理想とか、憧れとか、苦悩とか哀しみとかから解放されたくなる時期かな
そんな時「中身のない」シュトラウスが光輝いて聴こえるんだな
純粋に音のもつ輝きや力に耳が引き付けられると言うのかな
軽さや透明感に感動するにはその逆の重みやドロドロを知っていなければならないと思うんだな
俺にはシュトラウスは解毒剤みたいな意味をもっている
その点ではモーツァルトに近い気がする
その後また粘っこくてドロドロの音楽三昧になるのだがな(笑) 管弦楽曲は30分くらい聴いたら飽きてくるけど、シュトラウスのオペラは熱量が半端ないから2時間くらい一気に聴ける。 >熱量が半端ない
知恵遅れかこいつw
Kポッポにでも使えそんな頭悪い表現w 文句あるなら適切な表現で言ってみりゃあいいのに
草生やすだけなら無知でもガキでも出来るわな オペラは影のない女.アラベラ.ダフネ.ダナエ.カプリッチョはいい
サロメ.エレクトラ.ばらの騎士.アリアドネはいまいち オペラ15曲中イマイチなのはグントラム・火・間奏・平和の4曲だけ
他11曲は演奏の出来不出来はあっても全て名曲だわ オペラの評価は言うまでもなく、ただの鑑賞ですら難しい
特にシュトラウスは文学作品が台本だからいよいよもって困難を極める
言語に精通していなければならないが、ただ読んで分かるという程度では無理と言っていい
その言葉を母国語にしている人間でも通は台本を読みながら劇場で観る
俺はなぜ台本が必要なのか、と聞いたことがある
答えは、「何を歌っているのか聞き取れないことも多いからだ」ということだった(笑) サロメで5人のユダヤ人が同時にやいのやいの言うところ全部聴き取れてる人いるんだろうか… 普通にアリアみたいにソロで歌っているところでも難しいみたいだよ
言葉を長く伸ばしたりイントネーションが普通の会話と違うからだろうね
しかもシュトラウスの音調ならなおさら(笑)
その上ホフマンスタールなんか完全な文学体だぜ
日本人が能や狂言を鑑賞するみたいなものなんじゃないかな 一語一語全て照合できなくてもキャラクターと流れを把握してれば問題無いよな
特に多重唄のとこなんてヒヤリングだけでもかなり無理目だし
それで聴いていけば大事な箇所からだんだんあてはまるようになる
シュトラウスに限らずロッシーニなんかでもそんな感じ そもそも音楽を聴くのに歌詞の意味を理解する必要があるのかという話
外国語の意味がわからないのは純粋に音楽だけに集中できるという点でむしろ好都合ではないかな >>293
今時珍しいネタ発言ですね。
こんな書き込みをするくらいネタが尽きたのか。 オペラの鑑賞は難しいという話だよ
歌曲もそうだが母国語同然に言葉のニュアンスまで理解していければ部分的な理解にとどまるのは仕方ない
たいていは筋を追うのか゜精一杯で、人声を音としてもっぱら音楽に頼って聴いているのがほとんどじゃないかな
詩(詞)と音楽の融合とか言われるが、それを味わうのはわれわれには無理だろう
ちなみに俺はドイツ語は読めるがそれでも到底無理だと自覚している
オペラは禁断の領域だと言えるかも知れん
ところで、結局ケンペの管弦楽曲集を買って今日届いた
ドンファンと町人貴族、英雄の生涯を聴いたが、力動感に溢れてロマン的な情緒豊かな演奏だね
楽器の音色が快い ダムのホルンはもちろん凄いが木管も弦も温もりがあって実に良い香りがする
シュトラウスは機械的な面があるだけに、こういう演奏だとシュトラウスはドイツロマン派の末裔だということを再認識できる 部分的理解になるのは仕方ないけど、それでも全くわからないで聴くより、重要な単語や言い回しを少しでも多く理解して聴く方が比べ物にならないくらい理解が深まるよね。
少なくとも歌詞を理解する必要が無いなんて有り得ない。それでオペラはつまらん、交響詩等のオケ曲が良いなんて言われた日には そうかたくなにならなくてもいいんじゃないかな
どんなものにも好き嫌い、合う合わないはあるでしょ
オペラはつまらんが管弦楽曲は良いなんて言う奴はいないと思うな
逆に管弦楽曲はつまらんがオペラは良いなんてのもインチキものだぜ
オペラは言葉の壁が現実的に絶壁としてそびえ立っているから手が出しにくいのは事実だよ
劇場で観れば雰囲気に酔えるけど、CDで聴いたら良く分からんというのが普通の感覚じゃないかな
特にホフマンスタールの台本でシュトラウスの音楽というのは文化の壁を感じるのが正しい鑑賞だと思える
ワーグナーもそうだが心底心酔できるとしたらそりゃもう日本人じゃないぜ
違和感を感じながら客観的にアプローチしてみようというくらいがせいぜいで、あとはオペラを聴いている自分に酔うくらいじゃないか(笑) >>297
ちょっと分からないんだけど、何が頑ななの? 朝比奈先生なんかドイツ語ペラペラだもんな
ドイツ語でのインタビューなんて本当カッコいいわ
Standing is my profession!なんつーのも
どっかのヨーロッパ人みたいだ ごく簡単なドイツ語知ってるだけでも聴く楽しさは何倍にもなるよね。そりゃドイツ人の理解には到底及ばないとしても 逆に内容がわかったらイメージを限定されてつまらないわ
ストーリーに縛られるくらいなら映画やドラマを見た方がよっぽどいい
日本語のオペラを聴きたいか? 日本語のオペラなんて気持ち悪いだけだぞ
オペラは外国語で何を言ってるかわからないからこそ音楽として楽しめるんじゃないか >>301
日本語のオペラというと宝塚ミュージカルだからな(笑)
日本語は長く伸ばすには向いている言語だからゆっくりした音楽で歌うにはいい
だから狂言のような「詠む」歌唱が発展した
これは母音が強い言語の特徴だ
早口で喋ったり歌うと母音が邪魔になる
"Ich liebe dich" "Io t'amo" "Je t'aime" と 「aishiteru」とを比べると分かる
日本語は短母音でぶちぶちになって流れるようには発音できないから音楽に乗せるには大変なんだな >>301
勉強出来ないしたくないガキの言い訳にしか見えない オペラの言葉の理解についてだけれど、
外国人も言葉をわからず聞いている人はかなり多いと思う。
英語だけできてドイツ語、フランス語はだめというリスナーはかなりたくさんいるだろう。
ましてやイタリア語(イタリア人でなく)を解してイタリアオペラを聞いている人はどれだけだろう。
だからと言って、言葉を理解しない方が良い、では多くの人の同意は得られないと思う。 例えばバッハのマタイやモツレクの言葉を一言一句理解して聴いたからといって何になるんだ?
音楽として魅力的なら宗教のグチグチやゴタゴタなんかどうでもいいだろ メトなんて前の座席の背もたれの上に英語の字幕出るもんな >>306
むしろ「一言一句も」理解できずに最初から最後まで聞いて意味があるのかと思う。
Requiemの意味から知らずにレクイエム聞いてもどうしようもないと思うんだけど。
でもRequiemの意味誤解してレクイエム聞いてる人はたくさんいるか。 シュトラウススレらしい議論だね。まるでカプリッチョみたいだね。これは永遠の問題。自分は音楽が素晴らしければ必然的に歌詞の内容を知りたくなるほうです 極論に対して極論で反論するようなバカ同士じゃまともな議論にならないさww 言語が後回しで音楽に惹かれて入っていったのは私的には嬉しい体験だった
普段は言語から理解する脳がメインになってるので柔軟に感性的な感動ができたと思う
でももっと知りたいと思えば自然と言語の意味やタイミングだって注意をはらうようになる
どっちからが正しいなんてないから感動したところから攻めていけば大丈夫なのでは >>310
「一語一句理解して聴いたからといって何になるんだ?」は極論だけど、
「「一言一句も理解できずに聞いて意味があるのか」は極論では無いでしょ。
「全ての言葉を理解できなければ聞いても意味が無い」なら極論だけど。
日本語大丈夫? >>313
そうだね。
「一語一句理解して聴いたからといって何になるんだ?」も極論では無いし
「一言一句も理解できずに聞いて意味があるのか」も極論では無いね。 マドレーヌ「ケンカをやめて〜あたしのために〜争わない〜で〜〜」 >>309
ほんとカプリッチョの世界だな。私は調べ物が大好きな方だが、
正解がないと仰るあなたや>>311の言葉に強く共感。同時に、
「何かを売ると言うことは自動的に何か別の物を失うということ」
「だけど未知の領域に足を運び入れるのも悪くない」
という流れにばらの騎士の終幕っぽさを感じたりもする。
ちなみに俺の場合、上から目線でシュトラウス押し付けてくる人が居て、
正直うんざりしつつ、付き合いで色々聴いてみたら惹かれる部分があった。
むしろ同時期に読んでみたホフマンスタールのシャンドス卿に衝撃を受け、
そっちからじわじわはまったクチ。その彼とは卒業後接点がなくなった。
だけど色々な入口があり、皆が各々のやり方で同じ花を愛でるというのは
何と美しいことだろうと今でも強く思う。 >>317自己レス
×「何かを売る」
○「何かを得る」 やっぱり>>293のネタにみんなが飛びついたのがいけない気がw 俺にとってはどうでもいい「議論」だ
何が論点かも分からん(笑)
アリアだけならまだいいが、ワーグナーやシュトラウスを歌詞の内容も分からずに聴くのは三時間の苦行以外の何物でもない(笑)
対訳を読んで筋を追うのに精一杯で音楽から注意がそれるということなら、音楽に集中できるようになるまで何度も聴けばいいだけの話
どちらにしても前にも言ったようにシュトラウスのオペラを聴くのは難行だよ 言葉の壁は高い
ホフマンスタールは詩人でもある 含みのある言葉が至るところで使われている 訳ではそれは出ない
レクイエムはラテン語のお経のようなものだと思っていればいいけどな(笑)
レクイエムは死者の平安を祈る曲ではなく、死者に平安を与えてくださいと神に祈る曲だけど、
鎮魂曲と謎の訳をされたせいか根本的部分で間違えて認識している人は割と多いというお話。 イタリア・オペラとかストーリーが酷すぎるから歌詞なんて解らない方がいいな。 イタオペは比較的歌詞うろ覚えでも音楽のノリでぐいぐいいけるのが多い
トロヴァトーレとかな
でもおおまかにでも把握していないとさすがにいくらノロノリでも楽しくはない
オセロかっけーけどあのサングエって何だ?ってな人はいなかろう リブレットいらない派ってなんでこんなしつこいの?
君等は別にいてもいいけど主張されたところでソースカとしか言えないし
全部わかる人も全く知らずに聴く人もそう数多くは存在しないんじゃね ケンペの管弦楽曲集を着々と聴き進めているが、確かにこれはいいわ
今のオケによる演奏の機能美もいいが、楽しくてわくわくするような演奏ばかり
そんな中でもメタモルフォーゼンだけはどうにもならん
「習作」だから仕方ない、ということにしておこう(笑) メタモルフォーゼンは創作力の衰えだな
若干25歳で死と変容を書いた怪物が80になるとただの人になったということだろ オペラ作曲家は、声を前提に音を発想してるから管弦楽だけだと何かが物足りない曲になるんだよな ソプラノが歌うと凄く効果的なのに、楽器でやられると単純過ぎて間が抜けた感じになったりするよね。
シュトラウスの本領はやっぱり声を活かす音楽だと思う それって声楽曲だからじゃ…
つうか332って331だよね? 332だけど、違うよ。別にキャリア前半の交響詩を否定してる訳じゃ無くて、声楽が加わった方がよりシュトラウスの良さが活かされたってこと。
声楽曲だから…というのは理由になりずらい。ベートーベンを筆頭に声を活かすのが不得手な作曲家は結構いる。
シュトラウスは時々、楽器でやると陳腐スレスレのフレーズを書くけど、それが声の生理にピッタリだったりするから、本質的に声楽との相性がとても良いんだと思う。 オペラの演奏は自分には歌い手に妖精さん(背後霊?)集団が間の手や突っ込み入れてるように聞こえる
アリアドネとか特に
管弦楽の各パートが掛け合いする様に進行していくのは違う語法
つまりは適才適所で流れやテーマに合わせて際立たせたりぼかしたりしてると言う事だと
声楽曲は大概は声楽が主役であるがその扱いがうまいのは同感だしそれが印象深く感じる瞬間は多いけどね 声を活かす最大の才能を持っていたのはヴェルディだな
人間の声が最高の楽器であることを認識させてくれるのがヴェルディのオペラだ
それに比べればワーグナーもシュトラウスもはるかに劣る
しかし、だからと言って楽才とかオペラ音楽の質で劣るということにはならんがな
一方でシュトラウスの管弦楽法の才能は古今東西の作曲家の中でトップクラス
管弦楽曲は傑作揃いだ
家庭交響曲なんか腰を据えて聴いてみたまえよ
きらめく才能に唖然とするぜ
オペラが好きなのは構わんが、勝手な「自分だけのシュトラウス」をしつこく主張するのはどうかと思うぜ ヴェルディのブンチャッチャが疲れた体に受け付けないときがある
ドンカルロだけは例外だけど(こんなこと言うべきじゃないんだろうけど)地味やろ… シュトラウスは自分でも言ってるけど印象に残る強いメロディがわりと少ない
それが弱点かと言うと透明水彩を重ねるようにデリケートに膨らんでいく様はたまらない魅力
そういう所はすごく個性的だし特に女声のアンサンブルなんかは唯一無比に思えるだろうね
一方ヴェルディの魅力は何と言ってもドラマティコとバリトンが凌ぎ合いながら盛り上がっていく所
つまりはみんな違ってみんな良い 完結したメロディを書けない人という印象があるがそれが
アルプス交響曲などでは良い感じのオーバーラップの応酬になってたりしていて
むしろ自然描写の手法としちゃリアリティさえ醸してたりみたいな 印象に残るメロディが少ない
それ、シュトラウスに限らずドイツ系の作曲家全般に言えることじゃね つうかイタオペのメロディに入れる気合いが突出してるんだと
イタオペは発生当時はメジャーな大スターのワンマンライブみたいなスタイルだから
シングルカット出来るヒットナンバーが入らないと客は納得しない
マドンナが今だにセトリにライクアバージン入れるようなもの イタオペのメロディそんなにいいか?
神がかったものを感じない 「管弦楽法の大家」などとよく持て囃されることもあるシュトラウスだが
「声を伴わない管弦楽だけの曲」ではベートーヴェンやマーラーの交響曲には遠く及ばない
メロディラインもそうだが音楽に魂が感じられないんだよな
声楽を伴うオペラだとその不足分が解消されて音楽として完成される気がする 「管弦楽法の大家」などとよく持て囃されることもあるシュトラウスだが
「声楽を伴わない管弦楽だけの曲」ではベートーヴェンやマーラーの交響曲には遠く及ばない
メロディラインもそうだが音楽に魂が感じられないので感動が浅いんだよな
声楽を伴うオペラだとその不足分が補完されて音楽として完成される気がする >>346
それは単に言葉を伴っているから分かり易いだけ
交響詩なども交響曲だと思って聴けばいいと思うよ
実際ソナタ形式に近い構造だから
主題の展開などについてもマーラーに及ばないとは到底思えない >>346
ショルティのインタビュー映像によると、シュトラウス本人もそのこと「息の長い美しいメロディが思いつかない」って理解して悩んでいたみたいだね ブラームスも自分なら彼の捨てた断片的なメロディで一曲書けるのにと
ドヴォルザークのメロディメイカーとしての才能を羨んでたな マーラーとはモノが違うと思うよ
もちろんシュトラウスが上 同時代で言えばシュトラウスはドビュッシーと比べるべきだな
マーラーはジャンルが違う
交響詩においてはシベリウス
オペラ作曲家としてはプッチーニだ
楽才ではドビュッシーといい勝負だろう 双方掛け値なしの天才だよ
「中身の無さ」も互角だけどなw マーラーも
シュトラウスも
・ドイツ語圏で活躍
・オーケストラ付きの指揮者
・声楽付き大曲の作曲家 シュトラウスの管弦楽曲は、透明人間が豪華衣装を着てるみたい印象だな
衣服がいくら立派でもそれを着る人間がみすぼらしかったら意味無いよね
シュトラウスのオペラ曲は、美男美女(声楽)が豪華衣装(管弦楽)を着てるから魅力的なんだろうね >>353
管弦楽のみの作品は中身がないと言っているようで、実は見た目の印象で判断しているわけね
美男美女も見た目なわけだから
少しは音楽の勉強をして、音楽を内容からも判断できるようになるといいですね >>351
もしよければ、シュトラウスやドビュッシーの中身のなさというのは、
何を言わんとしているのか、もう少し説明して欲しい。よく解りません
またシュトラウスとドビュッシーはかなり異質なものに思えるのですが 大学時代の音楽の教授(音大出)は上っ面の飾りこそが芸術だと言ってはばからなかったなw 中身がないって感じる人って要はシュトラウスに対して共感要素が無いってことだと
ちょっと前のロマン派全盛期のは言っちゃなんだがベタな高揚感や哀感をストレートに表現すべしってのが使命みたいなとこある
ロマン派も後期になると文化背景や教養を共有する層にクリエイターのターゲットが絞られてくるからね
マーラーもくどいって人もそこがたまらんって人も両方いるしな >>355
中身の無さに「」が付いていますよね
それがシュトラウスの音楽に対して結構広く通用している俗説だからですよ
352のように音楽には伝えたい内容=中身があってそれを作曲技術を駆使して音楽で表現するという俗説をそのまま信じ込んでいる人もいます
その中身は思想とか観念とか理想とかいうものだと思われていますが、それらを伝えることのできる媒体は言語だけですから明らかな誤解です
むしろもっと原初的な情動であるというのが真実です
音楽がなぜ情動を引き起こすかとというのは置いておくとして、
この情動の種類や強さによって中身がある/ない とか 深い/浅いとか音楽を評価する習慣が根強く残っています
ベートーヴェンを浅い音楽だとする人間が極めて少ないのは、彼の音楽の引き起こす情動の普遍性に関係していると考えられます
>>358さんの言うように共感しやすい要素が多いということになるかも知れません
もちろん、ベートーヴェンの同じ曲の同じ箇所を聴いた際に引き起こされる情動に個人差があることは否定できませんが、
それでも同じか類似した文化圏であればある程度に共通するものであることは、彼に対する評価の相当程度の普遍性によって保証されていると言っても良いでしょう
それはある花を見るときれいだと感じる人間が統計的に多い、という類推から考えるとわかりやすいかも知れません
つづく シュトラウスについて言えば、彼の音楽はこの情動との連関が強くないと考えられます
そのためいかにも聴き栄えする外面があるが肝心な「中身」がないので空疎な音楽だというような評価が生まれてくることになります
しかし、何もそれはシュトラウスに限ったことではありません
大家で言えばモーツァルトもそうですし、ベートーヴェン以前の音楽は多かれ少なかれそういうところがあります
あるいはシュトラウス以降の音楽はたいていそうだと言えるでしょう
その「中身」なるものを否定することから生み出された音楽というものが多くなりますから
ドビュッシーを挙げたのはそういう文脈からです
シュトラウスに中身が無いと言うのなら、それじゃあ、ドビュッシーはどうなんだ あるいはストラヴィンスキーはどうなんだということです
シュトラウスの評価が定まらないのは、ドビュッシーやストラヴィンスキーほと「独自の言葉」を創出したわけではないからだと考えられます
しかし、あれだけの音を紡げる才能が極めて稀有であることは古今東西の歴史に名の残る作曲家との比較から明らかです
.>>357さんの教授の言う通り、シュトラウスのポリフォニックで色彩豊かなオーケストレーションはそれだけで芸術であって優れた音楽なのだとわたしは思っていますよ 後期ロマン派の連中ってのは皆情動に熱狂する虚しさを知った世代だと思うな
熱狂すべき別世界を己の中に創造したり己の心の独白に耳を傾けたりやり方は色々だが
シュトラウスはロマン派の歴史自体を諧謔しているように聞こえる
そりゃあ宇野とかのロマン派信者は不愉快であろうなと思うわ シュトラウスの評価が定まらない、というのは前衛全盛の時代の批評空間においてであって、
現代においては高い評価はとっくに定着していると言えるでしょうね
70年代くらいまでの批評をみると酷い書かれようのものがいくらでもありますが、
今前衛あるいは進歩史観でシュトラウスを批判しても滑稽なだけでしょう シュトラウス=中身がないって言ってる人は餅屋に行って饅頭欲しがっているようだ
「真っ黒くてズーン!と甘いあんこが入ってないと物足りないんだよ」
「うちでは生憎やってませんので」
「餅はうまいんだからあんこ入れてくれよ」
「餅だけでも味わってよく噛めば甘いんですけどね」 「シュトラウスの管弦楽曲は中身がない」と言ってるだけで
「シュトラウスのオペラは中身がある」と言ってるんだろ
なぜ「シュトラウスは中身がない」に飛躍するのか意味不明
曲解するのはやめろ 「シュトラウスの管弦楽曲は中身がない」
「シュトラウスのオペラは中身がある」
はっきり書くと非常にバカみたいな意見だなw
小学生かよww >>361
諧謔的と言えばシュトラウスの交響曲だな
片やマーラーが深刻な面持ちでイデーてんこ盛りの作品を書いているところに家庭にアルプス(笑)
そこまで斜に構えているのかどうかは分からんが、交響曲と銘打つ必要もないのになかなかやってくれるじゃないか
もっともマーラーは「シュトラウスと自分は同じ山を反対側からそれぞれ掘り進んでいる」と言っていたそうだから、
シュトラウスの音楽を認めていたということだ
一方シュトラウスがマーラーをどう見ていたのかは興味深い
素人っぽい音楽だとでも思っていただろうか いやしくも交響曲たるもの、孤高の精神性が認められるのぢや >>366
あの時代の中欧楽壇に不満持って風穴あけようとしてた同士だから素人っぽいはさすがに無いだろ
シュトラウスが馬鹿にしてたのはレハール
「あんな甘ったるい曲は自分は描かねえわ」と彼には珍しく悪口言ってるが糖度についてはどっこいどっこいな気はする 声を使わないシュトラウスは魅力半減
シュトラウスは「管弦楽の魔術師」ではなく、「声と管弦楽をブレンドする魔術師」だからな >>369
ご自身に交響詩を理解する頭がないだけ
題材に興味がなくても、音楽は精緻に作られているから、交響曲を聴くように根気よく聴かないと 「自分にはそっちの感性がありません」宣言しっぱなしで逃げるって何がしたいのやら
分からないならそれはそれで別にかまわんが
それでもここだけは結構好きだけど何故かとかでせめてスレに進展性持たせるとかな?
わたし舌オンチで〜す!とか言われてもはあそーすかお気の毒にとしか >>370
ヴァイオリン協奏曲聴くとびっくりするぜ
メンデルスゾーン風で後年の音楽とはまるで違うが、あれが17-8歳のガキが書く曲かよ
幼少の頃からヴァイオリンを習っていたのでヴァイオリンの音に特別の感覚を持っているんだろうな
オーケストレーションにおいても高弦の使い方には独特のものがある ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ エレクトラのクリテムネストラのシーンの後半ってカットがデフォなの?カットしてない版ってありますか 管弦楽曲とオペラ全曲を両方聴いてみればオペラ全曲の方が優れてるのは一目瞭然だが、
オペラ全曲を聴いたこともない人が「管弦楽曲の方が優れてる」と主張するのは無理がある 無理がある のではなくて
それは非論理的です、キャプテン >>377
こいつのアド調べて請求してやってくれ。 少なくとも管弦楽曲の方が優れてるなんて主張してるやつはいなかったと思うが
そうやって自分に都合のいい勝てる相手を作って俺様が勝ったと言い張るやつとは関わりたくないね 音楽の理論を知らなくても、感性が豊かであれば、チャイコフスキーの音楽で酔えるからね
バッハも協奏曲の緩徐楽章なら、いけるでしょう 管弦楽はフレーズが変容して発展してそれが切り替わり…といった経緯がシュトラウス独特で好きだわ
連続カーブを終えたらぱっと景色が変わる様でうまい指揮者だと本当にわくわくさせてくれる
オペラの胆はやっぱり魅力的なヒロインに共感してこそかな
オペラが優れてる派の人は物語を読むにあたってキャラクター中心主義なのかも
管弦楽はもっと俯瞰的な視点だがそういうのが苦手って人はいるしな どっちも好きだけど、>>381 さんはオペラの方はあまり聴いたこと無さそう。
少なくとも管弦楽について言ってる事は、オペラにそのまま当てはまるかは、キャラクター云々は的外れ。 >>382
ちょっと言葉が足りなかった
オペラでもそういった波はあるんだけどやはりオペラの場合は役柄のキャラクターが主導するのが芯軸にあると思う
マルシャリンなり皇后なりの視点で見ずにはいられない
それが魅力的で共感出来ないと音楽が良くても乗れないだろうな
一方管弦楽は自分は主体の目線はなくただ音の流れに乗るように楽しんでる
オペラが優れてる派がしつこいのでまず管弦楽をどう楽しんでるかを書こうと思ったんだわ 確かに通俗的な曲ばかりの割には一般的に知られている曲は少ないよな 管弦楽曲だとメロディの弱さが気になるけど
オペラだとメロディの弱さは気にならない
声楽が中心にあるからこそ管弦楽が効果を発揮してる >>389
そう、シュトラウスのオペラはポップスみたいなもんだね
だからクラシック音楽好きじゃなくても楽しめる >クラシック音楽好きじゃなくても楽しめる
それはない >>391
いやいや、ばらの騎士なんかだったら楽しめるよ
ストーリーもわかりやすいし、音楽も交響詩のように複雑に書かれていないから リヒャルトの管弦楽曲は頭でっかち尻すぼみの感がぬぐえないんだよな
オペラだと台本の筋に助けられているのか、そういう構成上の弱点から逃れていると思う
ホフマンスタールとのコンビは黄金コンビだね
あと歌曲もドイツリートの最高峰の一人であることは間違いない >>392
いやばらの騎士なんて音符使いはそれまでの交響詩よりよほど複雑でさらにランダムに細かいんだがな
交響詩は調性や楽器ごとのパートで役割分担比較的はっきりしてるし
全体の流れとしてならレシタティ−ヴォに色々被ったりするオペラよかよっぽどわかりやすいぞ
音楽がでなくてドレス着たおねえさんが演技してるから分かりやすく楽しめるんじゃないのか? 「声は楽器」と考えれば、言葉の内容に意味を求める必要は無い
外国語で意味がわからないのは「純音楽として聴ける」という点で幸いかもしれない >>394
パリオペラ座の中の話ではオケにとっては「アラベラ」が一番難しいらしいよ。
どうやって弾いたらいいか分からん位大変なところがいっぱいあるらしい。
聴いてる分には難解な部分は全然なくて「サロメ」とかの方がずっと大変そうだっけどね。 >>395
>「声は楽器」と考えれば、言葉の内容に意味を求める必要は無い
楽器で言葉を表現できるのが声のメリットなので、そのメリットを敢えて無視する理由になってないですよ。 >>396
ウィーン・フィルの人と話したときに、英雄の生涯が難しいって言ってたぞ
いずれにしても作曲内容の複雑さを言うのに、オーケストラのパートごとの演奏の難しさを言ってもしょうがないな >>395
「純音楽として聴く」って意味あるのかな 例えばレクイエムやマタイ受難曲の歌詞を完璧に理解して「宗教の御託」をありがたく拝聴したいの?
何を言ってるか内容がわからない「声の楽器」を「純音楽として聴く」方が音楽を楽しめると思うけど >>400
「純音楽」の定義がようわからないけど、
テクスト前提に作曲されたものをテクスト無視して聞いて何が楽しいのか分からないし、
楽器で言葉を表現できるの声のメリットを無視する理由にはやはりなってない。 100人中100人に理解してもらおうとは思ってないけど
くだらない内容の言葉なら、内容がわからない方がいいってことだよ
これも音楽の楽しみ方の一つとしてありでしょ >くだらない内容の言葉なら、内容がわからない方がいい
この理屈が分からない。
「くだらない内容」が分かるより「分からない方が音楽を楽しめ」る理由を書かないと誰も理解できない。 中島みゆきの「うらみ ます」を言葉が全くわからない人がメロディと歌声だけ聴いても、あの曲の凄みは半分も伝わらないよね >>394>>396
そうなんだ?
おいらか大好きな影のない女とかはどうなの? >>404
声の言葉がない純音楽の交響詩「恨みの物語」という標題曲は、音楽として楽しめないの?
具体的なストーリーがほしいなら映画やドラマを見ればいいだけでしょ テクストがあっても具体的なストーリーが無い曲の方がほとんどなのは言うまでも無いと思う。 >>406
なんで中島みゆきの歌詞がないと楽しめないと、その交響詩が楽しめないって話になるの? 屁理屈過ぎるよ シュトラウスオペラの歌詞が分かるったって全部漏らさず聞き取って分かる人ってそうはいないだろ
大概の日本人は聞き取れる箇所があってあとは知識で補完してるってな具合
その段階でも感動してる人多数だし前知識無しでばらの三重唄をハイライトでたまたま聴いたのがきっかけな人だっている
そう極端に走って違うポジションの人と敵対するよか
ここの歌詞が劇と同時進行でわかるとこんなに臨場感があるとか
ここの運びは歌詞不明でもこんなにぐっと来るとか
そういう話ができないのかね? 普通の理解力があれば極端に走ってるのは「歌詞は分からない方が良い派」なのは分かると思うんだけど。 >>410
だから何?反論している輩も残念ながら似たような次元になってるよ
そんな無駄レスの暇があったら歌詞の楽しさを教えてやるような発展性のあるレスしてやれっつの
たまには歌詞頭からすっとばして聴くのも悪くはない趣向だが
もし最初から全然理解してないとすればばら三幕のヤーヤーがおっさんが話しかけたので返事したとしか認識してない事になる ゼロか100かって話じゃ無いよね。ネイティブじゃ無いんだから歌詞を100%理解することは出来ない。
じゃあゼロと同じってわけじゃなく、ドイツ語の知識や理解の度合いで30わかる人、60わかる人がいるわけで。
やっぱり30より60、70わかる方がより深く作品を味わう事が出来るんだから、勉強はするに越したことないと思う。 チャイコフスキーのマンフレッド交響曲を聴くときは、マンフレッドの物語の知識がなければいけないの? 表題交響詩に関してはシュトラウスによると
曲を構想するにあたってイメージソースとして使ったのは確かだが
仕上げた曲はそれと関係無く鑑賞するようにしているから聴く側が念頭に置く必要はないと言っている
だが曲の解釈で疑問が発生した時はどうしても元にあったイメージを再検証してしまう訳で…
つまり全てを音色から読み取れる鑑賞力があれば交響詩においては成り立ちの知識は必要ないという事だろう 連投
この事はシュトラウスとしては元のイメージに鑑賞者が縛られるのは本意ではないと自分は解釈した
まず前知識無しに音から感じ取ったものを各自に受け止めるのが正しい初見であると思う
しかし疑問点を棚上げしたまま絶賛あるいは全否定するのはどちらも短慮としか言えない
わからない点はそのままキープして自身はたゆまぬ成長を続ければいつか隠しコマンドの様に発見出来るかもな? >>413
音楽の聴き方に「いけない」なんてことはそもそも無い。
「知識があった方が楽しめるかどうか」はやや相対的な話になるけど、
「知識が無い方が楽しめる」と言いたい人はそれなりの説得力が無いと「なにいってんだこいつ?」と思われるのが普通。 ネットもなくレコードも開発黎明期で再現方法が実演であった時代の音楽を現代人が同じ感性で聴いているわけがない
コンサートやオペラ上演が今よりもっと生活に濃密でフロイトもいなかった時代なんだから
歌曲の歌詞の問題だけでなく当時の情熱や優雅をもっと感じたいというのも勉強につながる訳だ
たとえばベートヴェンの革命期における栄光と挫折の感覚なんぞも曲に表現されているのはいわずもがな
マーラーのユダヤ人差別、高い音楽教養、若い嫁なんていう悩みのネタのもある >>417
要するに作者や作品の背景を知れば、より深く観賞できるって話ね
長々とお疲れ 作者や作品の背景と切り離して、真っ白な無の状態から鑑賞した方が純粋に音楽を楽しめると思うけどな 「真っ白な無の状態」とは何かを説明すれば良いんじゃないの?
赤ん坊の状態? 音だけ聞けばいいじゃん
背景とか理屈は必要ないだろ >>421
個人の信条としては良いと思おうよ。
ただ賛同者は少ないだろうね
ただオペラを聞く人も、個人でお家や車内で聞くときに
歌詞を見ながらじっくり聴けるほど時間の余裕のある人はそう沢山いないだろうから、
程度の差こそあれ実質的に貴方と似た聞き方をしてると思う >>421
だからどうやって「音だけ聞く」の?
いままでの記憶忘れるの? >>423
CDをプレイヤーに入れて再生ボタンを押せばいいだろ 人間の認識というものがどういうものであるか学んでくるといいよ
考えたくない学びたくないという愚か者に何を言っても聞く耳持たんか 論争中にすみません、どうしても気になって。
ヨカナーンって何だか聖人扱いみたいになってるけど、人間的に相当ヒドくて全然人格者じゃないですよね?
初対面で相手がどんな人間かもわからないのに、ヘロディアスの娘と自己紹介したとたんボロクソに罵詈雑言を浴びせて。親と子は別人格なのに ゆとりバカを指導する野球監督
監督「無心でバットを振れ!」
選手「どうやって心を無くせばいいんですか?いままでの記憶忘れるんですか?」
監督「・・・・・」 まず独逸語はヒヤリングと変換に集中していないと自分の場合はついていくのはなかなかにハードモード
面倒になってあっさり脱落して唄の断片と演技演出から成り行きを知ろうとする
そうするうちオケ側に寝返り登場人物を煽るように突っ込み入れるように鳴るオケサイドの生理で成り行きを見守る事になる
すると「おやお〜や」「駄目みたいですねえ」みたいなナレーションが脳内に聞こえるようになってくる
以上、あるアリアドネを聴いた感想
どうせ何度も聴いた演目だから流れは知ってて不安はなかったという要素もあるだろう
まったくの初見の人が聴いたらもっとすちゃらかダイナミック解釈するかと思うと是非それを聞いてみたい気持ちにすらなる
ちなみに自分がムラヴィンのチャイ5を初見で聴いた感想は「青空の下ばんざいしたままジェットコースター」(とくに四楽章)であった
>>428 砂漠の聖者から見たら妖怪女とその英才教育された娘なんでまったく同類項ですよ
サロメに「お前は穢れてる」って言ったのは大図星のホームランですし
だが実は娘の方が妖怪変態女として格上に育ってたのが大誤算でしたが 音だけ聞いて歌詞に耳を傾けずに聞ける器用な人間がいるのか。
例えば童謡の「海」を聞いて全く海をイメージせずに音だけに集中できるなら結構凄いと思う。自慢して良いよ。 >>432
童謡の海は母国語の日本語(のですよね?)だからダイレクトに歌詞とシンクロしてしまうのでは?
外国語ではある程度学んだ言語であってもより簡単にシャットアウト出来るのは一般的な感覚です
もちろんより血肉となるべく努力を続けるのが本質でありますが
そう言うあなたはきっとドイツ語を血肉のように身に付けているのでしょうね
それと音のみに集中するのはたとえお稽古レベルでも音楽訓練を受けた人ならば割と簡単だと思いますよ つまり「俺たちは外国語聞いたって分からないんだから無駄に歌詞を聞く努力なんてしない方が良い」という理屈。 「声を楽器と思って聞く」ってことはそういうことでしょ
海の歌詞の歌に海をイメージする必要はどこにもない
管弦楽曲を聞く時に標題のイメージに縛られて聞いてないのと同じ ショスタコーヴィチの交響曲を聞きながら共産主義革命を万歳するの?
そんなことを考える必要どこにもないよね
音楽は「音」として聞けばいいだけだ そういう「純音楽絶対」みたいな思想って音楽の自然の生理に反するような。音楽の成り立ちって歌からの側面が大きいのに、詩の要素を無視するって。
「歌詞が全然わからないからこの作品の良さの6割くらいしかわからん。それでも良い」て言うならわかるけど、「歌詞の理解が不要」てのはただの無知の言い訳にしか聞こえない その論理だと、最初から歌詞がない交響曲は「音楽として6割の力しか発揮できない」と言ってるのと同じだな 「"歌詞がある曲"は"歌詞がない曲"より格上だ」という論理は、"言葉の意味"を持たない純音楽(交響曲や室内楽やピアノソロ曲)を冒涜してる しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲と
高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲と
どっちが音楽的に名曲なのか >つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲
いわゆるオペラと呼ばれてるもの全般
>高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲
いまだかつて聞いたことがない、つまり実例がない >>439
全然違うでしょ、どこが同じなんですか。理解力がないの? >>436
「そういうこと」が何を指しているのか分からないけど、
海をイメージしないで童謡の「海」を聞けるなら凄いね。どうやってやるの?
「純音楽」という言葉の定義も分からないが、言葉を含まない音楽ということ?
なんで「純音楽」に言葉は含まれないのかをまず説明して欲しい。 しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 >>446
有名コピペで何か言った気になれるなんてお手軽な脳ミソしてるな >>445
日本語が理解できない中東やアフリカの人が聞けば海なんてイメージしないだろ
外国語を理解できないことによって言葉の意味が頭に入らずに声を楽器として聞ける
これは外国語音楽を聞く上で幸福なこと
歌詞の内容が頭に勝手に入って来る邦楽は、純粋に音楽として聞けないのが不幸 >>443
外国の言語がわからなければ、そのオペラのつまらない内容が頭に入らずに、純粋に綺麗な音楽だけを聞けるんだから幸福だろ
声を楽器として聞けるのは外国人であることの特権だね
「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
"偉大な指導者を称える歌"を「つまらない曲だ」と言ったら処刑されるんだろうなw >>448
そもそも「言葉の意味が分からないから声を楽器として聞ける」という理屈が分からない。
「声を楽器として聞く」というのは言葉の意味を全く理解してないという意味らしいけど、なんでその前提になるの?
声楽からすると人の声は純然たる楽器なんだけど。
声楽が純粋な音楽では無いという説明をまずして欲しい。 もうこの人には誰も反論とかしなくていいよ
そもそも感覚が違うなら普通の感覚でいくら説明しても無意味 アホ同士納得するまで好きなだけやってくれ
でもお互い納得したら二度とこんなくだらない話題を持ち出すなよ 人の声が楽器というのはこの世界だと普通の認識だと思うけど、言葉が付くと楽器では無いと認識になるのかな? >>449
>「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
誰もそんなことは言ってないだろ
自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けるほうがよっぽど狂信的だろうよ >>454
正論の通じない相手にまともに反論しても虚しいだけだよ 「自分が間違っている事を自分にわかるように証明しろ」ってんだろ?
そんな悪魔の証明頑張ったところで誰得なんだよ
見た事も聞いた事もない物の存在を立証出来ないと勝利宣言すんだってさ
たとえ論破したところでギャラが出るわけでなし しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 オペラの台詞を完璧に理解して得られる感動は、ドラマ的感動であって音楽的感動ではない
歌われる歌詞の内容によって音楽的評価が左右されるのは好ましくない 交響曲や協奏曲やピアノ曲は「歌詞のない音楽」である
オペラや宗教曲などの声楽曲は「歌詞のある音楽」である
歌詞を理解することによって物語や思想など、音楽とは別の感動も同時に得られる音楽である
では、「歌詞のない音楽」は「歌詞のある音楽」に比べて劣ってるのか?
もちろんそんなことはないよね?
そうであるならば、外国語で歌詞の意味がわからないことによって「歌詞のある音楽」を「歌詞のない音楽」として聞いたからといって音楽的感動が劣ることはない 歌を「言葉」ではなく「音」として聞けばいいだけ
意味不明な外国語なら、歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる
声楽曲の言葉の意味がわからないことで、純粋な音として、ヴォカリーズ曲として聞くことで、純粋に音楽的感動を得られる 歌詞ありきで創られた節を旋律だけで理解すると?
ワグナーなんかは音楽家以上の総合芸術家を自任しているわけで だから、歌詞のある音楽を歌詞を理解して聴くよりも
歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」という説明になってないんだけど。
それにはまず「歌詞が不純」というのをまず証明しないと説得力が無い。 >>463
>歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」
そんなことは誰も言ってない
ここでもやはり自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けてるだけ
それとも頭が悪くて言葉の意味をちゃんと理解できないのか >>469
え、これはそういう意味でしょ。
>歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる どういう解釈なのか分からないけど、とりあえずどこが違うのか書いたら?
何も書かずに否定してても何の説得力も無いし、その方が自分だけの勝手な解釈にしか思われない。 別におまえさんを説得して理解してもらおうなんて思ってないしわからないやつはわからないままでいいよ まぁ独特のひん曲がった解釈して喜んでるよく分からない質の人も時々いますね。 もう言葉尻とらえていちゃもんつけるだけの低次元な争いだな
馬鹿につきあってる同レベルな人も含めてスレ荒らしと化してるって自覚してくれないか いや、言葉尻を捉えるんじゃなくて逆に曖昧にしているから議論になってないだけ。 >>472
そういう所だっての
そういうの含めてつまらん議論続けたいのなら別スレでも立ててやってくれ
もうシュトラウス関係ないしスレタイ考えてやるから
そらよ
(東のフラマン)言葉と音楽がノールールで闘うスレ(西のオリヴィィエ) やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 元々交響詩とオペラのどっちが優れてるかの話からこうなったんじゃなかったっけ?
なぜそこからオペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人が出てきたのかよく分からないけど。 >>476
「歌詞を理解しないで聴く」オペラ、と交響詩を比較しだしからでは >>477
うん、そこからの飛躍が別次元すぎて何の論拠も無いからよく分からない。
たとえ歌詞を理解しなくてもオペラの方が交響詩より優れているという主張なら分かるけど、
なんでオペラも歌詞を理解せずに聞くべきという話になるのかが意味不明過ぎて怖い。 >オペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人
だからそんな主張をしてる人なんていないだろ
本当にバカなんだな >>480
くやしそうだなw
知能が低いことがそんなにくやしいかい? いや、なんの根拠も示さない馬鹿に何言われても何とも思わないよ。 オペラの内容を完璧に理解して聴こうとすれば、高度な翻訳が確立した有名曲だけにレパートリーが偏る
また、「台本の出来が悪いことが原因で不人気な曲」は音楽的にも低評価扱いにされてしまう
星の数ほどある「音楽的に充実してるのにメジャーでないオペラ曲」を全く聴かずに人生を終わるのは勿体ない
だからこそ「歌詞を理解せずに声を音としてのみ聴く」聴き方で対象範囲を広げるべきなのだ
シュトラウスのオペラに限れば「エジプトのヘレナ」はそういう部類になるかな シュトラウスに関しては台本に乗れないと作曲もテンション下がる人なんだよなあ
「あんまピンとこないけどとにかく必死で考えてみた」ら傑作になった影のない女もある
これは成功例だからピンとこない台本の何をどう考えて工夫したかってのも見逃せないポイントになってる >>483
「オペラの内容を完璧に理解して聴こうとすれば」というの前提から
「だからこそ『歌詞を理解せずに声を音としてのみ聴く』聴き方で対象範囲を広げるべき」という結論になってるけど、前提が悪いんじゃないの?
なんで0か100しか無いのかが分からない。 だからさっさと別スレ立ててそっち行って下さいよ
反応した奴等も全員同罪な
わざとらしくシュトラウスに絡めてアリバイ作ってんじゃねえよ せめて筋は読んで、この場面はどういうことが歌われているのか、くらいは把握しないとオペラの鑑賞として面白くないですね エレクトラ、シノーポリ盤と小澤盤どっちが良い?とりあえずどっちか買おうと思ってるんだけど 音楽を聴くのに「物語の知識」なんか必要ない
小説からインスピレーションを受けて交響曲を作曲したような場合でも、
元の小説を知らなければ音楽を理解できないなんてことはない
音楽は、音だけを聴いて「音楽そのもの」に身を任せればいいんだから エレクトラの演奏の評価ができるなんて考えられん
エレクトラとヘレナはようわからん
どちらもストーリーは単純だが文化の背景を共有してない人間にはそもそも存在理由すら理解できん
なぜこの話で一級の作家と作曲家がオペラを作るのかすら全くわからんのに、その演奏を云々するなんて俺にはとてもできん そもそもオペラのストーリーをわかる必要はない
音楽は音楽として聞けばいいだけだ
物語や台詞の出来不出来なんて音楽的完成度とは無関係
歌詞の内容で音楽的評価が左右されるなんてナンセンス
音楽の評価は、純粋に音楽のみによって評価されるべき しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 何となくスペーシーなCMに安くツァラトゥストラ冒頭使っちゃうのはこういう発想だよな
最初にやったキューブリックはそのへん百も承知だったと思うが継続者は…
結婚式にローエングリン使っちゃうのも多分同じ発想
ヴィクトリア女王の王女の結婚式が最初らしいけどオペラ本体を知らなかったのか?と不思議になる
知らないで楽しむのもひとつの楽しみ方だが間違った場合知ってる人からは疑問が出る事も覚悟すべし クラ板の人達ってコピペにマジレスしがちで可愛いよね 「コピペにマジレス」という概念自体がもう時代遅れな気はする。
今時有名コピペが新しく出てくることが難しいし、懐かしい有名コピペで使えるくらいなフレーズじゃないの。 >>498
コピペだということを知らずにレスしたのがくやしくてたまらないようだね(^0^) たとえオペラの葬式シーンのために作曲された曲であっても、綺麗なメロディだったら結婚式で流しても何の問題もない
そんなことを気にするほうがおかしい
物語と音楽は切り離して、純粋に音楽として評価されるべき 知ってあえてやるのと知らないでやるのでは雲泥の差がある
もし知らない場合は万人が納得させる音楽性とセンスがあるかだが残念ながら大抵の場合はペケ
そんな実績とプレゼン力がない人の主張なんてまず耳を傾ける人はいない
知識がないからこそセンスで勝負なんだからまずそれを見せてもらわないとね
厨二の机上の理論なんて世間には腐るほど存在するんだから短い人生でいちいち構ってる時間はないんだよ >>499
何がコピペか分からないけど、別に何も悔しくないよ。
有名なコピペでなければ何の感想も無い。
>>500
「純粋な音楽」というのが何かをまず定義したら? >>502
一日半も前のレスにわざわざアンカ付けてレス返してることが何よりもくやしがってる証拠ではないのか?(^0^)(^0^) >>503
どこが一日半前?半日前と間違えてるのかな? しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 >>506
ああ、これがコピペなのか。ググるとN響や日フィルでのレスも出てくるから同じ人が愛用してるのかな。 音楽の背景ってのは音楽を味わう第二の味覚だな
時代の風や作曲者の個人的な思いが素材の味をより豊かに拡げる事は感動的なブレイクだ
例えばばらの騎士において
・初演された時代 ・物語舞台の時代 ・ウインナワルツ全盛の時代
の三つの流れを体感する面白さは音楽の秘密を明かす重要な要素でもある
だが残念だけどそんな感動体験がない人に理解させるすべはないのかも じゃあエレクトラの音楽の背景でも味わうか
シュトラウスの盗作疑惑が囁かれるオペラ「カサンドラ」
盗作騒動によって逆に抹殺された悲劇の作曲家グネッチ
https://www.youtube.com/watch?v=Jz9K4QlKci0
https://www.youtube.com/watch?v=ZjgnwABMqYo
ヴィットリオ・グネッチ Vittorio Gnecchi
彼のオペラ カサンドラ(1903年に完成)と後のリチャード・シュトラウスのオペラ「エレクトラ(Elektra)」の間の類似点に関する論争が、グネッキの初期のキャリアで発展した。
イタリアの音楽学者ジョヴァンニ・タバルディーニは、シュトラウスのオペラがグネチの初期の作品を盗んだと主張し、シュトラウスを悩まさないために、カッサンドラのさらなる演奏計画が廃止されたと主張している。 そんなのは作曲家や作品にまつわる逸話に過ぎん
エレクトラもヘレナも今で言う不倫と復讐/和解がテーマだ
黴臭い古典からのテーマなんだが、現代の日本人であのストーリーに共感とか感動とかあるいは逆の嫌悪とかの感情を持つ奴がいるだろうか
どうでもいい、つまらない、せいぜい奇妙だ、くらいしか感じないのがほとんどじゃないかと思うんだな
それをシュトラウスの時代には芸術作品として成立させているもの、それが文化・時代的な背景なんだよ 2000年以降に作曲されたオペラにも古典を題材にした作品はある
20世紀初頭にしか成立しない芸術作品という論理は妄想にすぎない 19世紀〜20世紀初頭においてですら、どれだけの数の一般人がオペラを聴けてたんだ?って話
オペラなんて今でもマイナーだが当事だってマイナー存在だ
人類の大多数はオペラなんて一度も聴くことなく一生を終えてるわ >>510
椿姫を現代人が見る場合も一緒だな
>>502
人口に比したら実際に鑑賞出来る層は一部だろうが文化の先端・発信であったのが当時のオペラだよ
ヒット作が出るとすぐに楽譜が世間に出て実演を見られない人は自宅・サロンのピアノなどで再現して広く流布していた 要するにここ最近のアレはオペラコンプ拗らせたののしわざって事で?
コンプ拗らせが勉強はすべしとか言われちゃったから追いつめられて爆発全否定宣言しちゃったとな
まさか「勉強した方が楽しめる」だけでこんな追いつめられるとか想像できんし >>511
思慮が足りんにも程がある
なぜ現代の作曲家がエレクトラや薔薇の騎士のようなオペラを書かないのか
それはもはや芸術作品として成立しないからだ
あるいは
ベートーヴェンはそりゃ偉大な天才だ
ただし天才の発生率から考えればベートーヴェン級の楽才を持った人間は現在だって世界の中には複数いるだろう
しかし、誰一人ベートーヴェンのような音楽を発表しないよな
それは現在では芸術作品として成立しないからだ
あくまで「クラシック」なんだよ アルプス最強はネタとしても、ライバルはドビュッシーの海だけだな
まあ海を買う人間の方が多いと思うがそれはイマジネーションの喚起力が上だからで、オーケストレーションはシュトラウスがぶっちぎりだろう ブリッジの「海」も派手さではタメを張れると思うんだけどな 海の情景描写ならRコルサコフ/シェエラザード押しとく ショスタコなんかも音楽で描写するのが上手いな
特にマクベス夫人のズッコンバッコンときたら初めて聞いた時は笑いが止まらなかったわ アリアドネはシノーポリがいい、ケンペの評価高いけどしっくりこなかった 三十路手前になってやうやく四つの最後の歌を味わえるようになってきた
若い頃は人工的な感じがして好きになれなかったけど今はもう頭の中で鳴りっぱなし なんで山が海の話になるんだよw
写実か印象かという話だろ >>525
描写表現の話しだからあながち間違っていない
それと山音楽少な過ぎで 自然描写なんて言ったらドビュッシーに怒られるがまあいいや 写実の側面も大きいからな
日の出は山から見る日の出と海で見る日の出とどちらも見事に描写されているが、シュトラウスは全体的には写実音楽を試した感が強いな >>523
個人的にはレヴァインも捨てがたい。バルツァの熱血作曲家とプライの老練音楽教師 主役格が揃ってるのは多いが脇にシュライヤー、プライ置いたってのも地味にケンペ版の強みだよな 1つに絞るならマズア盤かなあ…主役ノーマン、グルベローヴァのツェルビネッタ、それにフィッシャーディースカウ夫妻の音楽教師と作曲家、わりと最高の布陣かと おら、レヴァインの映像。
バトルのツェルビネッタ。
あのドヤ顔がほほえましい。 >>531
ノーマンの顔どアップの圧が強すぎてw
トロヤノスの作曲家は自分的には1番 おいらも、ノーマンののどちんこなんか
見たくない。 とりあえずツェルビネッタがグルベローヴァならまあいいかなと
ビジュアルありならデセイ推しで NHK BSのサロメを見てたら「予言者」とか出てきた ベームのサロメとエレクトラって舞台をそのまま録画したんじゃなくて映画なのなw ベームのサロメと言えば…
七つのヴェールの踊りでもろ化繊なサロメのヴェールの足下に蝋燭の火があって不安感を煽るんだな… 殆どのオペラは好きなんだけど、アラベラが今ひとつ好きになれないというか楽しめない。あの作品の魅力ってどういうとこ?
ズデンカとの二重唱は綺麗、フィアーカーミリ楽しい、階段降りてコップ割るのは本当に美しいと思うけど。 アラベラはホフマンスタールが途中で亡くなったから仕方ないんだけど
二幕がどうにも要素詰め込んで交通整理が出来ていないゴタゴタ感がある
ばらの騎士二幕なんて同じくらいゴタついた流れなのに配分計算行き届いててゆるみないからね
大詰めまで見ればグラス割っておめでとー!となるけどどうしても途中ダレするわ アラベラは根本的に「財産のある男と結婚して没落した家系を立て直しましょう」っていう財産目当ての結婚を肯定的に描いてるところが気に食わない
ていうかそんな筋立てのオペラ見て楽しいのか? ズデンカ、1幕では姉と対等に聴かせどころがあって良いキャラなのに、2幕3幕では全く聴かせどころ無くてもったいない。せっかくパジャマで駆け込んできて見せ場かと思ったら、ほんのチョビっとしか歌わないし。 ケッ、水槽かよ
それよりはやく合唱曲「オーストリア」をCD発売しろ >>543
シンデレラストーリーと思うから駄目なんだよ
本筋はせちがらい世相にアップアップする泡末貴族と田舎者のブラックドタバタコメディ
その中でこそアラベラの娘時代への決別の決意が輝く訳で
主人公が美男美女でなければそれこそ当時はよくある話だったと思われる
>>543
バカな男だね
自分の価値を高く持ち
寄ってくる男たちの甘いだけの言葉に
盲目になって自分を安売りしないで、
自我の確立に裏打ちされた自分の価値を高くおく
貞節な女性が正しい幸運をつかむという
ジェーン・オースティンの小説や紫式部の源氏物語にも通じる立派な物語 >>549
大好きなアラベラをバカにされてくやしいです、まで読んだ >>549
3人の求婚者達に関してはアラベラは単に「何となく好みじゃないのよね〜」てだけだし、マンドリカは逆に見た目が好みで一目惚れ。
安売りとか自分の価値とかそんな高尚なもんじゃないと思うけど デラカーザの映像見ればこんなハイレベルな美女がありきたりな男には嫁がないだろうって気になってくる
つまりは香水プレゼントするようなお洒落なウィーンの遊び人では不満だったと言う事だろう マッテオからの花だとわかった途端ポイッだもんね。モテモテの美しいこのアタシにあんな無骨な軍人なんて相応しくありません!いつか理想の男が!
んで理想ってのはルックスのことで、どこの誰とも知らない遠目に見かけたイケメンに一目惚れして「理想だわ〜」
自分には相応しくないけど妹がマッテオとくっつくのは「お似合いよ〜」
モテない人(>>551>>553)にはわかりにくい感覚だと思うよ。
好きですって言われたとたんに舞い上がって
「はい、どうぞ」と股を開いたりパンツ脱いだりしてしまう人(>>551>>553)
好きですって言われても舞い上がらずに相手を正しく評価して、自分も同じ位置で対等に愛せるかどうかをまず見極めることができる人(Der Richtige) 一目惚れにいちいち理由求めて分析なんぞしていたら恋愛小説&少女マンガなんて先に進まないだろうが
そういうの読み馴れてないor読む気がしない人には説明できないお約束だからなあ
惚れた理由に理論づける尺取ってると心理ミステリーとかそういうジャンルになる
恋愛小説w
マンガw
退場!
言い寄ってくる人に
ちゃんとお断りした人でないと
わからない感覚なのかなぁ 大体オペラなんて大概はさくっと一目で恋に落ちないと話が始まらない
こいつらヴィオレッタやミミが惚れるの早過ぎぃとかいちいち考えて見てるのか? ヴィオレッタもミミも特に恋愛に理屈並べたりしてないけど、アラベラは「私にふさわしい人じゃなきゃ」て散々言ってるからなあ…
ふさわしいってのが、要するに好み、てだけという 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
TBXLY エーリヒクライバーばらの騎士モノラル録音Decca.Legendsはリマスターはうまくいってるの
音が団子になってたりしない? ばらの騎士やアラベラが好きな人ってやっぱりサロメやエレクトラは好きじゃないの?
影のない女
薔薇の騎士
アリアドネ 日本じゃ、メジャーな薔薇、サロメなどばかりなので、
無口な女、ダフネ、カプリッチョをもっとやって欲しい。 ラインスドルフのアリアドネは名盤なのに再版されない どうしても1つだけ選べと言われたら、やっぱり影のない女かな… 影のない女って検索しようとするといつも影の内閣って先に候補が出て軽くムカつく "影のない女" -内閣
っていうようにキーワードを並べて検索するんだよ 検索欄に打ち込むときの予測変換のことを言ってるんじゃねーの? 美女4000人抱いた「紀州のドンファン」
が55歳下モデルと結婚!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54512
リヒャルト・シュトラウスもびっくり! 紀州のドンファン
難波のオイレンシュピーゲル
水戸のサロメ
阿波のドンキホーテ ティル、オンラインシューティングゲームで愉快な悪戯 こんな毎日リヒャルトシュトラウスのことを考えてしまうとは FM放送ってまだやってんの?
20年くらい前は雑誌まで買ってよく聞いてたな ドンファン、ドンファン、毎日うるさいよな
ドンファン、ドンファン、ドンファン、ドンファン、
これじゃR・シュトラウスの風評被害だよ イタリア人ってこの曲も「ドン・ジョバンニ」て呼ぶの?? 最近ベルクに嵌まってヴォツェックやルルばかり聞いていたので、久しぶりにサロメを聞いたらめっちゃメロディアスに聞こえてワロタ すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
少しでも多くの方の役に立ちたいです
検索してみよう『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
HHG 映画「グッバイ・ゴダール」で“Im Abendrot”が使われていた
そのシーンが歌詞とは真逆のシチュエーションだったので、アイロニカルな意図だったのかな アルプス交響曲で雷鳴を合成している録音はありますか? ケンペの管弦楽曲全集はイマイチ評価が低いまま廃盤になってしまった ケンペのRシュトラウスは整然とよくまとまってはいるが
強く心を打つ演奏ではない
Rシュトラウスにはもう一つ遊び心がほしい
あまりにもまじめすぎたのがマイナスになってしまった
カラヤンのような色っぽさがほしかった シュトラウスは自分にしてみたら基本の音符だけでカロリー高いのであんま汁ダクで演奏されるとゲップが出る
まあこの点は好きずきだろうが ベームはオペラのみに力を入れていた
管弦楽曲はイマイチのできばえ >>606
>ベームはオペラのみに力を入れていた
そこまで言うのはどうかと思うが
アルプス、家庭、ドンキなど、70年代にもっと
録音があれば、とは思うな 力をいれていたっつーよりオペラ時代のシュトラウスの二番弟子張ってたからなあ
そりゃあシュトラウスに関してはオペラ主体になるだろうて
当時シュトラウスの新作初演は一種ステータスになってたそうなんでキープするのも一苦労あったに違いない ばらの騎士はカラヤン(旧盤)よりもベームのほうがずっといい
ちなみにカラヤンの新盤は論外、歌手陣が小粒すぎる カラヤンのベームのR.シュトラウスはDGというだけで価値を落としているな >>609
確かにベームのほうがいいけど
音の配置が悪い片方によりすぎ >>609
ばらの騎士は何気にバーンスタインが1番かと思う
薔薇の芳香は匂わないけど、 サロメ、エレクトラといった斬新なオペラが受けなかったので、旧態依然とした音楽で大衆に媚びを売った作品
それがばらの騎士
>>616
違うよ。
もっと文献とか読んだら?
エレクトラから台本作家として付き合い始めたホフマンスタールはワーグナーが大嫌いで、その延長線上にあったサロメやエレクトラには感心しなかった。
それでもっと軽量のドラマを提案提供した。 でも書いた本人はどうあれ、影のない女なんてもろワーグナーの延長線上だよね。魔笛がとか言うけど魔笛よりワーグナー 当時のオペラ界ではワーグナーの影響が強過ぎて、ワーグナー的な要素をいかに消化して乗り越えるかが業界全体の課題だった
サロメ、エレクトラがワーグナー的と言ったところで無調を取り入れてるしじりじりと現代音楽に近づいている
今から見ればドラマチックにガンガンオケ鳴らせば(馬鹿の一つ覚えに)ワーグナー的でくくりがちだが
ちなみにペレアスとメリザンドにさえもワーグナーの影響を見る論説は多いよ
>>618
でもオーケストレーションは結構すっきりしてワーグナーよりはずっと風通しが良い。
自分は暗譜で指揮できるぐらい大好きな作品!
ヨーロッパに住んでいるから、影のない女はいろいろ見に行ってる
>>619
>>ちなみにペレアスとメリザンドにさえも
>>ワーグナーの影響を見る論説は多いよ
これに関しては
ワーグナー作品とペレアスとメリザンドの相似性は
・無限旋律(開始と終着が明確ではない)
・朗唱(レチタティーヴォ)中心の声部
です。
和声や作曲技法やオーケストレーションが似ているわけではない ワーグナー以降のヨーロッパにて、ワグネリズムから自由でありえた作曲家はエリック・サティくらいでしょう >>620
自分は2回しか実演観たことないんだけど「カアアアアアアアアアアアイコバコバコバコバコバコバコバ!!」の所、必ず失敗してた。あそこ上手く行ってる時ってあった?
>>623
あれはスタジオ録音じゃないと無理でしょ >>624
7人の歌手が正確なテンポで歌えば良いだけのはずなのに、ステージ裏とかだと難しいのかね シュトラウスはオペラだけでいい
管弦楽曲は演奏禁止にして葬り去るべき ブルックナー vs マーラー
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1538341678/2,6
2 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/10/01(月) 06:12:22.72 ID:zNxnUyy8
どちらもただ長いだけで中身がカラッポの退屈な駄作といえよう。
6 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/10/01(月) 09:55:45.96 ID:av8sDmao
ブルックナーとマーラーこそナルシストを大量に生み出したハッタリ屋の三流作曲家
この二人を知り尽くしていればオレは通だという悪いサンプルを世にはき出した
巨星ワーグナーなどこいつらを徹底的に見下し馬鹿にしていた ☆★☆ワーグナー総合スレ 第30チクルス☆★☆
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1518515416/914
914 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/10/01(月) 07:58:45.99 ID:szCO7oLJ
新興宗教の親玉はすべてチョンだぞ
洗脳されるバカには困ったもんだ シュトラウスの管弦楽曲はゴミ
ベートーヴェンやマーラーの交響曲の足元にも及ばない
聴く価値なし いつまでも構ってもらえると思っていたそのバカが板を過疎に追いやった張本人だよ 管弦楽曲vs.オペラは上でゲップが出る程ドロレスやってから見てみ
蒸し返したかったら新スレ立ててやれ かまって!
かまって!
哀れで寂しいぼくをかまってよ!!! 管弦楽曲みたいな三流曲が頻繁に演奏されるなんて、オペラ以外の曲を廃棄処分しなかったのが悔やみきれないだろうな シュトラウスを管弦楽曲で語る奴はバカ
ヴェルディやプッチーニやワーグナーを管弦楽曲で語るようなもの 「私が死んで50年たてば、私の時代がくるだろう。
そのときリヒャルト・シュトラウスの時代が終わる」
グスタフ・マーラー
※この有名な予言は半分当たって、半分外れた プレヴィンVPOの一連の録音
つまんなすぎる
これを好評価している人はどこがいいんだ? オレは好きだな
この頃のウィーンフィルはまだ良かった
録音の古い順にいいかな
>>646
ユダヤ人 >>645
管弦楽曲のシュトラウスの時代は終わったが
オペラのシュトラウスの時代は永遠に輝き続ける
半分当たって半分外れてる 誰にも相手にされないからって同じことを何度も何度も繰り返してしつこいぞwww
本来はタイトルロールに休み与えるために入れられた間奏曲だけど、最近は歌手本人が踊る演出ばかりで余計に大変な殺人的役になってしまった >>660
でももともと主役がそのまま踊るもんだったはず。サロメ役はヨカナーンがキレて地下牢に戻った所からが実質お休みタイム。10分くらいほとんど歌わない
>>661
ないよ
ちょっと本ぐらい読んだら? 最近はベルクとかハルトマンとかの20世紀の音楽ばかり聴いてたから久しぶりにサロメを聴いたら以前はあれほど聴きづらかったのがめちゃめちゃ音楽的に聴こえたわ 年末〜来年に在京オケがアルペンの実演やる予定はないですか? ばらの騎士って基本バスクラリネットよりバセットホルンが第三クラリネット奏者の
パートなんだけど本業であるはずのNの響き楽団の人でも序曲部分(組曲版ね)で実音ハイFISが
要求されて大変だわーなんて書いちゃうくらい実はちゃんと知られていない曲
ま、だから組曲は100ぱーリヒャルトの編曲じゃないんよ >>665
diapasonで出した主要オペラ名盤集がリマスターと言ってないものの
かなり聞きやすいのではないかと
ベームの影というと先日通院で都内に行って余った時間で
某中古レコード店にこれとラインスドルフのナクソスがあって
両方持ち帰るわけにもいかず、影は廉価版ぽかったのでナクソスだけ購入してオペラの方聞いてみて
なぜ余り語られないのか何となくわかった ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2019 ♪ 欧米のオペラハウス関係者
思えば長い70年だった。これからやっと莫大な著作権料払わなくて済む 日本は著作権法が改正される前に没後50年を迎えていたからフリー素材なのか 「リヒャルト・シュトラウス戦時加算特例法適用」事件〜著作権 不当利得返還請求事件判決(知的財産裁判例集)〜
http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50399360.html
ドイツ国民であったリヒャルト・シュトラウスに著作権が帰属していれば、第二次世界大戦中ドイツは日本と同盟国関係にある以上、
連合国民の権利保護を規定した戦時加算特例法の適用はないことになります。 もうちょっと考えて書いたらどうですかて思っちゃう
散文的なんだよな 俺も昔中身ないけどいいよね的なこと書いてたけどわかってないねあの時の俺 管弦楽のバカテク以外聴きどころがない俺には合わない 管弦楽曲は中身ない聴きどころがない
やっぱシュトラウスはオペラ最高だわ 689は、宇野教の被害者であるとともに、自身の価値判断ができない者の典型と
言えよう。 亡くなられたドナルド・キーンさんはたしか『四つの最後の歌』初演を聴かれたはず 「エジプトのヘレナ」「平和の日」「ダフネ」「ダナエの愛」
このあたりって、ほとんど語られないね
俺は聴いたことがないんだが、つまらないの? 平和の日とダナエの愛は好き
ダフネは数年前ちょこちょこっと再演されてた
エジプトのヘレナは全然やらないね
シュトラウスは平和の日とダフネを一緒に上演させたかったみたいね
年末のN響でシュトラウスの望み通りの上演をコンサート形式でやってほしい ダフネはベームとハイティンク盤は良い演奏だが録音がいまいち
ダナエはヴィントヒュールの録音がある、こちらも上と同じ
この二つはいいオペラ パナテナイア祭の行列を語る人を見たことが無い
結構好きなんだが アバドの1989エレクトラDVD買ったんだけど、音質にガッカリ…
これならベームのレコード聴いた方が良い >>700
でもあれ、演出は結構好き。ファスベンダーのクリテムネストラも良いし https://www.prestomusic.com/classical/products/8625179--strauss-salome
https://www.prestomusic.com/classical/products/8625180--strauss-salome
Strauss: Salome
Asmik Grigorian (Salome)
John Daszak (Herod)
Anna Maria Chiuri (Herodias)
Gábor Bretz (Jokanaan)
Julian Prégardien (Narraboth)
Wiener Philharmoniker
Franz Welser-Möst どうしても最高傑作を一つだけ、と言うなら普通に考えると
影のない女
薔薇の騎士
4つの最後の歌
あたりに絞られるんだろうけど >>707
4つの最後の歌みたいな「小品」を一緒にするなよw
そこに並べるならサロメとエレクトラだろ 歌もの好きな人って基本インスト聴けない人だよね
センス無いというか何というかダッセーんだよな歌もの 曲の規模の大小でしかモノの価値を測れない人がいるなw
短小コンプ >>709
器楽ものしか聴かない人こそ語学苦手で教養低めな人多いかと。アマオケとか部活ノリでしか音楽聴かないタイプも多いね >>712
これが語学得意アピールする人物が書く文章なんだもんなw オペラを聞くのに語学は必要ない
声をヴァイオリンと思って聞けばいいだけ
そうすれば物語を無視して交響曲のようにオペラを聞くことができる
そうしたほうが物語の内容に評価を左右されずに純粋に音楽として楽しめる >>715
わざわざオペラ聞かずに交響曲聞けば?
シュトラウスも組曲あるでしょ。 >>716
シュトラウスの曲は声とオケのブレンド具合に才能がいかんなく発揮されてるので、オケ曲を単独で聴いてもつまらんのよ まぁテクストの意味内容を無視して楽しめるのなら、それはそれで個人の楽しみ方なので良いんじゃないかな。
交響詩だって内容関係無く楽しむことはできるだろうし、
当然「語学の知識があればもっと楽しめるという」ことも否定してない。
>>715の最後の1行は「純粋に音楽として楽しんだ方が良い」という言いたいような誤解を招く可能性もあるけれど、
台本がつまらないせいで評価されない舞台作品が多いのは事実なので言いたいことは分かる。
他のスレにも書いたけど
映画見に行っても、本を読んでも、初めての作品は全て筋書きは不明。そういう楽しみもある。
そして、好きになった映画や本なら何回経験しても楽しめる。
オペラも見るたびに深める理解でいいと思うよ。 いろいろ聴いて深めりゃいいよ
どんなにいいこと聞いてもその人のその時の器というものがある
最高傑作、時期によりいろいろ挙げたい 例えば薔薇の騎士
どんなに美しい音楽でも「不倫のセックスの場面を描写してる」という物語知識が頭に入ってくれば気持ちよく聞けなくなる
だったらそんな物語知識は最初から無視して純粋に音楽だけに没頭したほうが気持ちよく聞けるってこと AVの設定が気持ち悪いのでセックスだけに集中したいって事でしょw
アスペ警戒報 オーストリアgramolaの情報
https://www.gramola.at/de/shop/produkte/oper/arthaus/141279/
Ariadne auf Naxos/Wiener Staatsoper 2014
Richard Strauss
Thielemann / Isokoski / Koch / Botha / Fally / Plachetka
ARTHAUS, 2 DVD
いまのところDVDのみの告知だが、いずれBDも・・・ 「ばらの騎士」のまず第一に買うべき名盤(CD・映像それぞれ)を教えてください。 >>729
指環はショルティで満足な人ならカラヤン旧盤じゃないの
俺はハイティンクが好きだけど >>729
俺は、音も映像もカラヤン指揮ウィーンフィルのカラヤン新盤
をすすめる。少なくとも音は申し分ない。 今年の夏はアルプス交響曲と決めて
家庭内在庫に加えてストリーミング、さらに通販で買い漁り
一通りの録音は聴いて、とても面白かった この作品は聴かせどこが多くて名盤揃い
むしろ駄演と言えるような失敗作が少ないのだけれど
世評が高い演奏で、頭をひねらざるを得ないのもあった ブロムシュテット、サンフランシスコのやつ
あまりにも弱音基調で、かそけき音すぎて何やってんのかよくわかんないと
音量を上げてもやっぱわかんない
と思ってると、突然とんでもない大音響になる
ブロムシュテットってN響振ってるときもそういうことがあって
どこが良いのかわからない指揮者だったけど
これは極め付きの変態録音だと思う
聴覚検査受けてるみたいな商品 なんでダイナミックレンジのことだけになるかというと
強弱が極端なだけで、繊細なとこは皆無、音出しが全く無造作なんだわ
これだけ多様な作品で、美しさを感じる瞬間がない
せかせかしてるだけでデリカシーのない演奏です アルプス交響曲ならカラヤンにとどめをさす。
まさに「アンチ・キリスト」の名にふさわしい。
豪華絢爛たる空々しさが逆に人生の意味を考えさせる点で唯一無二。
山に登ることの虚しさと共に、それでも頂点を目指さずにはいられない人間の本質が伝わってくる。 こいつの表向きの代表作人気作は英雄やツゥラやアルプスらしいが
本当の意味での傑作はオペラでもなければ四つの最後の歌でもない
家庭交響曲こそが最高傑作 >>738
こいつってなんだバカ野郎
お前はここに来んなよ >>739
こいつ呼ばわりは駄目だな
俺が悪かった素直にあやまる
ごめんなさい あまり話題にならないけど、
ジンマンの管弦楽曲集の録音はどうですか
聴いた方、いらっしゃいます? だいぶ前に買ってたの思い出したんで、久しぶりに取り出してアルプス聴いてみた。
改めて聴いてみると、派手さはないけど渋くていい演奏。
ただやっぱりあっさり風味なので、濃厚な音づくりがお好みな人には凡庸に聴こえるかも。
自分としてはこういうのも好き。あくまで個人の感想だけど。
マクベスとかパレルゴンとか、普段あまり演奏されない曲も入ってるんで、買っといて損はないと思う ケンペ持ってりゃなくても良いような演奏
正直、あまりたいしたことない
むしろマゼルとかメータを勧める
メタモルフォーゼンとクラリネット協奏曲の一枚はまあまあかな
もろ同じ組み合わせのカラヤンがあるけど、ジンマンのはそれなりに オペラに関わる曲をあえて一曲も入れてないところがミソやね。
何かこだわりでもあるんだろうけど、艶っぽい曲は確かに苦手そう。
あと、最初ボックス開けた時、堅い紙を袋状に貼り合わせたものに直接CDがぶっ込んであってびびった思い出。
目が点になったわ。 ジンマンここでは前から評判いいよ
へんな所もなくテンポも申し分ないけど確かにもっと表現力豊かなのがあるしなあとも思う
>>747
最近のはBOX買うとボール紙ジャケに中袋なしが多くて最初「うへえ」と思ったわ
出し入れだけで傷になりそうで取り込んだ後からは出してない フリッツ・ライナーのボックスを買ったので
昨日「ツァラトゥストラはかく語りき」を
聴いたんだが、あることに気が付いた
1954年と1962年の2種類の録音があって、
録音が前者のほうが良いんだよ そのせいもあってか、
演奏も良く聴こえる 興味深かった ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2020 ♪2 昨年末に亡くなったマリス・ヤンソンスのリヒャルト・シュトラウスの演奏、良いね ヤンソンスが他のポスト全部断って
ウィーンオペラの芸術監督やってくれていたら
サバがバイエルンでやったオペラ全作品一指揮者公演全部やったのけて
誰とは言わない例の人よりはるかに足跡残せたろうにと思う
ああエレクトラとか影、アラベラ… アリアドネDGのベーム盤ええな
orfeoのはジェームズキング歌ってるから苦手 ベーム/RIAS響のアルペンが大変な名演。
音質含めればDresden盤より上かも
ナクソスで聞ける ・・・といっても当スレ住人には旧聞だろうけど・・・
https://www.hmv.co.jp/news/article/2002181031/
【映像】
ティーレマン&ウィーン国立歌劇場
R.シュトラウス:『ナクソス島のアリアドネ』 オペラ作曲家の管弦楽曲集は百害あって一利なし
オペラ本編を聞こうとしない人々に壁を作るだけ
ヴェルディの序曲集やワーグナーの序曲集が無意味なのと同じ 素晴らしい卓見です!
ぼくはすっかり感銘を受けました!
文化勲章は確実ですね! アルプスで、ケンペのドレスデン国立歌劇場盤とロイヤルフィルハーモニー盤があるんだが、ジャケットのデザインは
ドレスデンのがかっこいいが、ロイヤルはダサい。
音楽はロイヤルの方が気に入った。
家庭交響曲で良い演奏盤を教えてください。
コロナが収まったら買いに行く。 マゼール/ウィーン
カラヤン
クラウス/バイエルン(モノラル) >759
有難うございます。調べてみます。
もし特徴で差があれば、更にお教えを・・?
お気に入りは?独断で結構です。 お気に入りはクラウスですね。まるでピアノを弾いているかのように自在で生き生きしてます。
そして何よりラストの大爆発が強烈。モノラルですが音もそんなに悪くないです。
クラウスにはウィーンフィル盤もありますが、バイエルンに比べかなりおっとりしています。
マゼールはウィーン・フィルの生々しい音(特にホルンとティンパニ)が魅力ですね。解釈も癖がなく意外にもマトモな名演です。
カラヤンは音質が少し粗いがライヴのような熱演で最後の追い込みは興奮します。
他にメータ/ベルリンフィル(どっしり重厚でオケもよく鳴る)やサヴァリッシュ/フィラデルフィア(全てがバランス良く正統派)も良いです。
長文失礼しました。 素早いご返事ありがとうございました。
クラウスのバイエルンが一押しですね。
オルフェオのがありますね。ナクソスで試聴できました。
第4楽章あたり非常に良かったです。
自分には少しおっとりのウイーンフィル盤が良いかも 家庭交響曲はカラヤンベルリンが圧倒的すぎて
他全部売っちゃったな
(転載です)
行ってきたよ!
“Die Frau ohne Schatten” at Rotterdam
Conductor Yannick Nézet-Séguin | Stephen Gould - Der Kaiser | Elza van den Heever - Die Kaiserin | Michaela Schuster - Die Amme | Michael Volle - Barak der Färber | Lise Lindstrom - Die Färberin |
https://i.imgur.com/GwHXOvT.jpg
全曲演奏のはずだったけど
Schusterさんだけ
ほんのちょっとづつ飛ばしてた
体調悪かったのか?
運営に聞いたら
Dear sir, madam,
Last week you completed our survey about the performance of Die Frau ohne Schatten.
I’ve sent your question about the cuts in the score to our artistic department.
They responded that we also have been on tour with this opera to Paris and Dortmund and without the cuts it would have become just a bit too heavy for everyone involved.
I hope this answered your question.
Kind regards,
Richard T 恐慌をまさに目の当たりにすることになりそうで
メタモルフォーゼン、4つの最後の歌、オーボエ協奏曲
これらが身に染みる
カラヤンのよりもジンマンの方が精密で良いかな 370 自分:Kleiber[sage] 投稿日:2020/02/29(土) 01:49:07.11 ID:yUlH8JqD [2/3]
>>361
http://whitecats.dip.jp/up/download/1582908448/attach/1582908448.zip
kousya オペラしか認めない人はそれのみのスレ立てた方がいいんじゃないか?
ここで喧嘩売ってももう構ってもらえないし同好の志と語り合った方が楽しくね? 英国PrestoClassicalの情報 昨年にプレミエ上演されて話題になった演目のライブCDらしい
https://www.prestomusic.com/classical/products/8768294--strauss-die-frau-ohne-schatten
Strauss: Die Frau ohne Schatten
Stephen Gould (Der Kaiser), Camilla Nylund (Die Kaiserin), Wolfgang Koch (Barak, der Farber), Nina Stemme (Die Farberin), Evelyn Herlitzius (Die Amme), Sebastian Holecek (Geisterbote)
Wiener Staatsoper, Christian Thielemann フジコへミングの7つのヴェールの踊り
宇野功芳はフジコへミングに舞を所望する。
フジコへミングはそれに応じようとしないが、宇野功芳が褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、
フジコへミングは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。
官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくフジコへミング。
宇野功芳は激しく興奮し、やがて舞を終えたフジコへミングに何が欲しいかと尋ねる。
フジコへミングの答えは、銀の大皿に載せたハルくんの生首。
さすがに狼狽した宇野功芳は代わりのものとして宝石等ではどうか、と提案するものの、フジコへミングは頑として合意しない。
騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せたハルくんの生首を持って現れる。
フジコへミングは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が・・・
と歌った後、恍惚としてハルくんの生首にくちづけする。
そのさまに慄然とした宇野功芳はフジコへミングを殺せと兵士たちに命じ、フジコへミングはその場で死ぬ。 ●中国地方の不思議なフジコへミング
中国地方の、とある街にあるアパートの一室に、悪党の宇野功芳と少女フジコへミングがいた。金がないため、宇野功芳は
フジコへミングに金を奪うため窓辺に立ち、通行人を誘惑するよう命じる。すると、フジコへミングは気味悪い役人風の 辻井伸行と目が合う。
フジコへミングは辻井伸行を部屋に手招き、誘いを受けた辻井伸行は入る。辻井伸行は片時も目を離さずフジコへミングを見つめ続けるので、
ためらいながら踊り始める。 踊りは徐々に高揚し、ついには野性的でエロティックなものになる。辻井伸行の目はずっとフジコへミングに注がれ、
欲望を高めてゆく。辻井伸行は手を伸ばし、彼女を捕まえようとする。 フジコへミングと辻井伸行の追い掛けっこが始まる・・・
辻井伸行はつまずき転ぶが、すぐ起きあがり、より激しくフジコへミングを追い回す。 ついに辻井伸行はフジコへミングを捕まえ、2人は床に倒れる。
ここで宇野功芳が飛び出してきて辻井伸行を押さえつけ、宝石と金を奪い、 全裸にする。さらに辻井伸行を殺そうと引きずってベッドに投げ出し、
宇野功芳が長いナイフで辻井伸行の腹を3回突く。死んだだろうと頷くが、辻井伸行はギョロついた目を凝らしてフジコへミングを見ている。
宇野功芳は驚く。今度はベッドから引きずり出し、再びナイフで辻井伸行の腹を3回突く。やはり死なない。フジコへミングに飛びかかる辻井伸行に
宇野功芳は驚きつつも押さえつける。しかしなおも辻井伸行はフジコへミングを恍惚と見つめているのだった。恐怖に駆られた宇野功芳は、
もがく辻井伸行の首に縄を巻き付け、シャンデリアのフックに吊す。暗い部屋の中で吊された辻井伸行の裸体は、青白く輝き始める。
宇野功芳とフジコへミングは、恐れながら辻井伸行を見つめる。フジコへミングは宇野功芳に辻井伸行を降ろしてくれと頼み、しかたなく
宇野功芳は縄をナイフで切る。辻井伸行は床に崩れ落ちるが、すぐに飛び起き、再びフジコへミングに向う。もうフジコへミングは逆らわず
辻井伸行を自分の胸で受け止める。フジコへミングと抱き合った辻井伸行は至福の表情で満足した呻き声を上げる。
願いを満たした辻井伸行の傷口から血が溢れ始め、だんだん弱ってゆく。そして苦しみ、のたうちまわった後、遂に息絶えたのであった・・・ なまじ管弦楽曲を残したせいで世間の評価が中途半端になってしまった不幸な作曲家だな
オペラだけだったらワーグナーヴェルディプッチーニと共に四天王扱いされてただろうに
>>772
それは日本での印象
ヨーロッパのオペラハウスでは
かなり頻繁にやってる
サロメ、薔薇の騎士、アリアドネ ダフネ.ダナエ.カプリッチョは上演が少ない
初期のオペラより好き >>772
交響詩のせいで、交響曲ファンからは「精神性の無い空虚な作曲家」扱いをされてるし
ほんと交響詩は百害あって一利なしだわ
オペラ限定なら人類史上最強の作曲家なのに
>>775
そんなことないよ。
日本でじゃ、来日プログラム固定されてるけど
ヨーロッパではコンサートの隙間を埋めるちょうどいい作品 コンサートの隙間を埋める程度の脇役扱いじゃつまらんだろう
所詮ベートーヴェンやマーラーやブルックナーの交響曲のような主役にはなれんのよ
オペラだったら主役だぜ 交響詩はコンサートピースとして必ずしも脇役ではないと思うが
英雄の生涯やアルプス(交響曲だけど)が前菜とか団員ハード過ぎるだろ
オペラ至上派の言う事はいつもながら筋が通らない
自分の好みに過ぎないのにさも一般論へのすり替えは見苦しいよ ベートーヴェンやマーラーやブルックナーの交響曲至上派はその英雄の生涯やアルプスを「精神性がない」と言ってバカにしてるわけだが
楽団員にとって重労働かどうかなんてことは問題の本質ではない だいたいが「精神性がない」という評価そのものが個人的な経験値によるもので絶対評価ではないと言うのが最近の見解なのだが
要はその人が求めて理想としている精神性と違うだけ
声のでかくてしつこい評論家が言ったから広まったに過ぎないと言えよう
ハイスペックな車でトップでスピンする精神性というのもあるんだよ今は >>778
「シュトラウスオペラ派」からよりもそれ以上に「他の作曲家の交響曲派」からバカにされてるって自覚しろよ ウィーン最強の切り札ソフトばら'94HD配信されていて
今後高画質で見られる保証無いのにメアド登録が嫌で見る気ならず
DVDに熱狂的カーテンコール入っていないのになあ
ちなみに国内3日目と千秋楽並んで見に行きました 普段はテレビではあまりかからない、四つの最後の歌が
今週のらららクラシックと5月3日のクラシック音楽館で2回もあるな
NHKはこの時期に「死」をテーマにしたにしたこの曲をどういった意図でするのだろう >>783
そもそも時期を考えて無いからするんじゃないの。 あまり動き回らず老妻と静かに夕日でも見てろと言う老人へのメッセージとか 4つの最後の歌なんてものはシュトラウスオペラのごくごく一部をつまみ食いした程度の曲
オペラの搾りカスみたいなもの >>
眠りにつくときは何度聴いても泣けてくる。特にヴァイオリンの間奏が素晴らしい。 こんな時こそツァラトゥストラの「病より癒え行く者」をお願いします それ系ならパレルゴンもええな。プレヴィン/WPh盤おすすめ シュトラウスの「4つの最後の歌」をワーグナーの曲に例えるなら「ヴェーゼンドンクの5つの詩」と同じ位置付け
つまり、オペラ大山脈の谷間に咲いた一輪の花くらいの位置付け 音楽史上、最大のパレットを持って
自由自在に、なんでも音に表現できた天才が
あえてシンプルで古典的なフォーマットで表現した晩年作こそは
ドイツ、オーストリアのクラシック音楽の到達点 >>793
その2人だと歌曲の作曲量が全然比較にならないんですけど・・・ 4つとかメタモルとかオーボエって、大仕事をやり終えて体力が衰えた老人が最後に趣味で気楽に書いた曲って感じ
ワーグナーのジークフリート牧歌もそんな感じの曲だよね Straussの歌曲全体を見た時にVier letzte Liederだけ「大仕事をやり終えて体力が衰えた老人が最後に趣味で気楽に書いた曲って感じ」がするの? だから「感じがするの?」って聞いたんだけど・・・ なんで通じないんだろw >>799
ほっとけ
4つの歌を”・・・感じがする”程度にしかわからんやつだから たかが歌曲4曲程度をオペラより上と思ってるようなバカはほっとけ 今晩のNHK・Eテレの「クラシック音楽館」で、ルイージの指揮でやるね。 >>801
> たかが
”たかが”お前風情に・・・・ >>801
どのレスが「たかが歌曲4曲程度をオペラより上と思ってるようなバカ」のなのか、遡ったけど分からなかったわw 788の「うまみが凝縮」とか800の「程度にしかわからん」だろう >>804
サロメとかエレクトラは番号オペラじゃないので1曲100分だね >>807
論理的にものを考えるのが苦手そうだと思いました。 人類史上最高最強の究極音楽であるシュトラウスオペラと、4つの歌みたいな雑魚カス曲を同列に比べるのはナンセンスだわ >>809
どのレスが「同列に比べてる」のか、遡ったけど分からなかったわw >>811
ほっとけ
ねえ聞いて聞いてと言ってるのに
誰にもかまってくれない君だよ 今時精神性とかw昔の音楽誌のバックナンバーしか見てないのかw
多様性に長けた今単に個人的に共感出来るかの問題をもっともらしく言われても 交響曲には精神性が!とか言ってる人って、標題音楽を否定して絶対音楽が絶対!みたいな昭和の団塊世代クラヲタ爺さんみたい 勉強したらわかるとは別な次元でその音楽が気に入るってのはあるんだよな
わからない物を否定するってのはどうしたものか ベートーヴェンの交響曲には骨があるから精神性を感じる。
シュトラウスの管弦楽曲がつまらない理由は骨がなくて皮だけの曲だから。
それに対してオペラは歌手の声が骨の役割をするから皮が生きる。 音楽に骨という物はない
それが骨だという感性や思い込みはいいけど万人に共感を求めても無駄だろう
その理論で言えば骨の存在を感じさせない中に一貫した体幹を感じるという感性もあるという事になるが
その曲がつまらない理由は曲に対する感性がないだけ 精神性を感じるってよく考えると不思議な日本語だ
昔の日本人が精神性という言葉に特別な付加価値を置いてたのがうかがえる 風とともに去りぬが配信中止だって。シュトラウスもナチとの関係で演奏禁止されたりする? >>824
ナチとの関係があった音楽家は山ほどいるね
ドイツ敗戦後は、演奏会暫く出られなかった人結構いたけど
現在はあまりそう言う事は聞かないな。
配信中止は今だけで、背景の説明を記載して後から試聴できるようになるらしいよ
最近知ったんだが、風とともに去りぬの作曲者の名付け親はシュトラウスだったのか >>824
そんなことより、今日は誕生日(1864年6月11日) 「パンアテナ祭の行進」で祝うか
一度実演でも聴いてみたい 誕生日忘れてた
命日の方が覚えてたりするんだよな・・・
ナチとの関係で最近も演奏問題になるのはワーグナーだね
スレチかもしれないけど一応書いとく >>825
パウリーネは恐妻、悪妻ぶりがよく語られているけど、
そのことによって傑作ができたとか。それらの点では悪妻ではなかったみたい。
シュトラウスも怖い妻が嫌ではなかったらしい。ややMっぽいのか?
パウリーネの父親が将軍だったから、怖いのは軍人の親の教育や家庭環境が影響したのかな 昨日が誕生日だったのか。一日遅れでドンファンでも聞くか。 >>830
パウリーネとの関係や愛情は、バラク夫妻に直接表れてると言われるよね。バラクに自身を投影していたからこそバラクのパートはあの作品の中でも最も愛情あふれる美しい音楽になった。妻のエキセントリックな音楽も。
>>825
元プリマドンナだから仕方ないでしょ
ローエングリン練習中に怒らせて、なだめてる間に結婚の約束させられたのだから、まあ「割れ鍋に綴じ蓋」 クラシック作曲家の享年 (長生き編)
R・シュトラウス・・・・・89歳、
コープランド・・・・・・・90歳、
G・シャルパンティエ・・・95歳、
ヴェルディ・・・・・88歳、
キュイ・・・・・・・83歳、
ラモー・・・・・・・81歳、
オーリック・・・・・84歳、
ミヨー・・・・・・・81歳、
トマ・・・・・・・・85歳、
サン=サーンス・・・・84歳、
デュパルク・・・・・・85歳、
ラモー・・・・・・・・81歳、
コダーイ・・・・・・・84歳、
ストラヴィンスキー・・89歳、 なんか誰もツッコむ人いないみたいだから一応書いとくけど、シュトラウスは85歳じゃなかったっけ。
死んだのが49年だから紛らわしいっちゃあ紛らわしいけど >>838
長生きしたという認識だけで、詳しい享年はハッキリ覚えてなかった。
短命の人は、あまりの短さに驚いて記憶に残ったりするんだよな・・・
情報有難う。 コロナで引きこもっている間にすっかり好きになった
若い頃は綺麗なだけでつまらないと馬鹿にしていたのがどれほど浅はかだったか…
激動の時代にひたすら美しい音楽を作り続けた職人だね >>840
自分も若い頃は特に好きじゃなかったな
どの曲で好きになったの? 好きな場面は人それぞれだと思うけど、
三重唱は一度聴いたら、忘れられない美しい世界だと感じた
時の移ろいや儚さは、年を重ねると共感するようになったな 次の日曜、NHKプレミアムで影のない女やるね。
ヘルリツィウスが出てるからバラクの妻かと思ったら乳母。この二役両方レパートリーにしてるのって珍しいね 管弦楽曲には、興味が薄れてしまった。
そのかわり、ブリリアントから出ている室内楽全集は、結構よかった記憶がある。
久しぶりに聴いてみるか。 オペラ作曲家は全才能をオペラに投入してる
オペラ以外のジャンルの曲は箸休めのオマケ シュトラウスといえば、近所のラーメン屋にベニヤ板に手書きで書いただけのボロっちい看板があって、その「らーめん」を「らーぬん」にしてやった
後日「ラーメン」に直されてたからやっぱり「ラーヌン」にしてやった 今更だけどMorgenっていい曲だね
YouTubeでいくつか聴いた中ではアーリーン・オジェーがひときわ良かった
フェリシティ・ロットの東日本大震災直後の来日公演アンコールは
歌唱そのものよりグレアム・ジョンソンの挨拶に胸打たれた >>852
同じ。Morgenは新婚の作品だが、幸福感だけでなく、
この幸せもいつかは儚く消えていく感じがあって好き。
自分はYouTubeのディアナダムラウのコンサートのが好きだな
東日本大震災直後の話は、今のご時世にも良いと思った。 あれって正確には感嘆符ありで"Morgen!"でいいんだよね
昔「朝」か「明日」かで迷ったことがある。「明日の朝」という訳を見た時は驚いたw オペラ作曲家にとって管弦楽曲は百害あって一利なし
例えばリムスキーコルサコフはシェエラザードの一発屋ではなく、偉大なオペラ作曲家だからな
ところが世間はそう思ってない。管弦楽曲でオペラ作曲家を語ることがいかに愚かなことかわかるだろう
シュトラウスもまた然り
中途半端に管弦楽曲を残したせいで、世間から中途半端な評価をされてる >>855
オペラはあまり聴かないが、ヤナーチェクなんかも同じ感じなのかな。 ウルトラセブンの主題歌の元はアルプス交響曲でFA? >>857
無理矢理シュトラウスとこじつけるならサロメの方だと思う。
スタッフの中にサロメファンがいた形跡もうかがえるし。 シュトラウスのピアノソナタだと誰の演奏がお勧めですか >>859
グールドがお勧め
シュトラウスの作品に深く傾倒していたので
愛着を感じます。個人的には2楽章を聴くことが多いです
良かったらYouTube聴いてみて アレクサンダー・リープライヒがガルミッシュ・パルテンキルヒェンのシュトラウス音楽祭監督を辞任 >>860さん
ありがとうございます。
自分も初めてシュトラウスいいと思ったのグールドの演奏です。
元からバッハの演奏のファンだったので…
つべにあがっているこれも面白いですね
https://youtu.be/i25iDu1bWGw
イノック・アーデンや歌曲も好きです >>863
グールドは好き嫌いが分かれやすいから、どうしようかと思ったけど良かったです
自分もバッハから先に好きになって、シュトラウスにたどり着きました。
この映像は初めて観ました。「夕映えの中で」 美しいですね
後でゆっくり最後まで観ますね。 グールドってバッハのイメージ強いけど、最も美しい音楽はカプリッチョの「月光の音楽」と言ってるくらいシュトラウス好きなんだよね >855
一ヶ月まえの書き込みへの返信になるけど、
多分、管弦楽曲書かなかったら、
ロシア以外では誰もリムスキーコルサコフを知らなかったと思われるわけだが…。 お盆時期は、万霊節聴きたくなる
ヘルマン・プライ、マーガレット・プライス聴くとするか >>867
知らなくて結構なのよ
一発屋とバカにされるよりはオペラマニアにだけ知られる偉大な作曲家である方がいい アバド&クプファーのエレクトラをやっと観た
視覚的には物足りないが、歌手は良かった
アバドへのブーイングに驚いた 「イタリアから(Aus Italien)」という、愛すべき佳作は、
残念ながら、あまり演奏・録音されません
この曲はある意味、交響曲で「イタリア交響曲」とでも称して
「アルプス」「イタリア」でペアにすれば、もっと
演奏頻度は上がった気もするんですが、みなさん、
この曲はどうとらえています? 深い安堵がある
エレクトラ、インテルメッツォを愛しています 今のご時勢、そういえば安堵感のある曲をよく聴いている事に気付いた
オペラも良いし、歌曲もよく聴いています。子守歌、万霊節、Morgen、四つの最後の歌
とかしみじみするな >>876
Morgenと4つの最後の歌、繰り返し繰り返し聴いています。何度聴いてもいいです。 >>877
Morgenは「明日は良くなる」のテーマがいまのご時世にいいんだよね
好きで色々と聴き比べしているんだけど、普段あまり聴かないキャスリーンバトルの
日本公演をYoutubeでたまたま観て、曲のデリケートな雰囲気が出ていて良かったな。 >>878
バトルのモルゲン、探して聞いてみます。有難うございますー。 >>879
日本公演1987年のものが出てきた。これでしょう。
バトルはとても軽い声なので聴いていなかった。もともとマリアカラスなど重いものが好きだったが、歳をとった今、むしろ心地いい。 >>880
そうそう、それです、URL貼っとけば良かった。ゴメンね
自分も重厚な声の歌手が好きな方だから、バトルはMorgenだけ聴いている
この曲はオケも良いがピアノ伴奏も合ってるなと思う 聴く度にシューベルト シューマンの時代の人が
現代に間違えて生まれて来ちゃったと思う天才だ。 R.シュトラウスの系譜を継ぐような作曲家がいないのは本当に残念なこと 20世紀最高のオペラ作曲家
オペラに限れば人類史上最高の作曲家であり神
だがオペラ以外の管弦楽曲は無価値のゴミ
初心者に紹介されるのが管弦楽曲ばかりだからバカにされ続ける不幸な作曲家 天才グールドと石丸幹二の時を超えた共演!R.シュトラウス‟イノック・アーデン”
SONYが開発した新しいテクノロジー「AI Sound Separation」を駆使し、
3チャンネルのオリジナル・マスター・テープからグールドのピアノ演奏部分だけを分離、
石丸幹二の朗読を重ね合わせた、まさしく時を超えたコラボレーションがここに完成しました。
グレン・グールド&石丸幹二
R.シュトラウス:イノック・アーデン
発売日:2021年6月2日(水)
定価/品番:2,750円(税抜価格2,500円)/SICC-30573〜4(2CD)/Blu-spec CD2仕様
https://tower.jp/article/feature_item/2021/03/30/1114 昨日と今日の深夜にハンガリーのMupaで「平和の日」と「ダフネ」の配信あったのかよ、全然知らんかった プレミアムシアターでばらの騎士あったけど
エラーでて書込み出来なかったな Rシュトラウスのオペラ名曲集みたいなのでオススメない? >>896
ルネ・フレミングがソプラノを歌って、エッシェンバッハ・ウィーンフィル
が伴奏したシュトラウスのオペラ女声名曲集はよく聞いた
メインはやはりバラの騎士であるが、他にも
アラベラから1曲と、カプリッチョの最終場面と”月光の音楽”
なかなか良い組み合わせだった
あとはカラヤン・ウィーンフィルのバラの騎士の新しい方の録音のハイライト盤 arte.tvでティーレマン指揮SKDの「カプリッチョ」が放送されるみたいだが日本は視聴対象外
串刺したくらいじゃ見られないんだがどうにかして見る方法はないか
ttps://www.arte.tv/de/videos/103827-000-A/capriccio-von-richard-strauss/ シュトラウスに限らずオペラなんて基本的にストーリーは下らないし
大半の部分はセリフをちょっとリズミカルに喋ってるだけで日本人には意味わかんないし
抜粋じゃないと聞いてらんないよな >>899
声をただの楽器と思って、何喋ってるか内容なんか気にせずにただの音と思って聞けばいいんだよ
坊主のお経なんかも何言ってるかわからずに聞いてるだろ
ミサ曲やレクイエムなんかも内容どうでもよくてただの音楽として聴いてるだろ
いちいち神様仏様キリスト様などと考えながら音楽聞くのかよ
オペラだってそれと同じで内容なんか無視してただの音として聴けばいいのよ >>899
自分もオペラは、セリフの美しい旋律>ストーリー
の場合が多いが、作品によっては宗教や時代を超えて
変わらない人の心に共感する時もある
例えば、ばらの騎士は老いと死は人の定めで聴いていて
どうしようもない辛さを感じた。話がつまらないとは思わなかったな BS読響プレミア
2021年5月29日(土) 第5回
R.シュトラウス作曲 交響詩「死と変容」作品24
リスト作曲 交響詩「前奏曲」
2021年3月9日サントリーホールにて収録
【出演者】
指 揮 山田和樹
管弦楽 読売日本交響楽団
司 会 安村直樹(日本テレビアナウンサー)
5月ナビゲーター トラウデン直美 >>900
音として聞いてツマンネーパートがオペラは多すぎんだよ
ハイライトの合唱やアリアだけで十分 ハイライトの合唱やアリアだけで十分の方達は
生のオペラ聴きに行きたいとか思ってないのかな? >>904
聞きに行きたいとか思ってないのかもなにも
コヴェント・ガーデンに何度も聞きに行ったけどコンサート形式のハイライトで十分だなとしか思わん >ハイライトの合唱やアリアだけで十分
映画もハイライトの場面だけ観て満足できるタイプか >>906
ハイライトの派手なアクションしか見る価値ない映画ってごまんとあるでしょwww >>903
音として聞いてもツマンネーパートは全くないと思うけどね
そこは好みの違いなんでこれ以上言っても仕方ないけど 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来
「言外の意味」が汲み取れなくなる…?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647
映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由
観客が“幼稚”になったのか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83647 >>912
オペラの内容が「読み取れない」「わからない」じゃなくて「通しで全部聞く価値がなくてつまらない」と言ってるんだよ
お前は典型的な日本語が読めない日本人だな
『AI vs.教科書が読めない子どもたち』に書かれてる低能そのまんま 思い込みが激しい人の特徴と原因|思い込みが激しい性格を治す方法とは
https://smartlog.jp/145887
>>912
読書しない人が増えてきたね
文と文の間を想像力で埋める能力がなく、『そのせいで「つまらない」としか感じられない人』
これもゆとり教育の弊害
音楽でも
このフレーズの和声から次の重要なフレーズの和声にいくにはこういうパッセージを入れてあげないと音楽として成立できないということがわかってない人 娯楽として聴く人と生業(それに準じる)として聴く人とでは
姿勢が違うのは当たり前。 シュトラウスのオペラに1音も無駄な音は無い
それをハイライトでいいと思ってる時点で音楽を聴けてないだけ
といっても無理に強制するものでもないからしょうもない管弦楽曲でも聴いとけ ツマラナイと言っているのであって無駄とも分からないとも一言も言ってないんだけどホントに日本語通じねーなー
低学歴なんだろうなぁ 四つの最後の歌、好きだな(ノーマン)
ヘッセの詩もいい、歌は心で聞く物、
学歴は関係ない、 どのオペラのどの辺がつまらないのか具体的に指摘しないから伝わらないんだよ サヴァリッシュが指揮した影のない女は退屈で2幕で見るのやめてしまった
昔NHKBSで放送されたものの録画だったが
多分サヴァリッシュ以外の指揮者でも退屈だろうと思うのでCDは所有していない 嫌いと言うのは簡単だからね
その反対の好きな方も併記してくれないと価値観がわからない
どうせ失笑するほどつまらない曲が好きなんだろうけどw >>923
うーん
例えばアラベラとか
のっけから女が二人ペラペラしゃべり倒してBGMが殆ど申し訳程度についてるだけじゃん
音楽として楽しいか? 影のない女は昔は短縮版でしか知らなかったから、初めてショルティの全曲版を聴いた時は感動したな。
今までこんなスゴイ部分を削除してたのかと。
ただベームのライブ版も好き、シュトラウスにありがちなリズムが不明瞭になりやすい部分もきっちりと決めててブレがない アラベラ良いと思うけどなあ
https://youtu.be/WM-Gnx8YaVY
久しぶりに聴いたけど
音量大きくして管弦楽にピントを合わせて聴いたら
とろけるような官能に陶酔してしまった
>>924
猿之助演出の影のない女をミュンヘンで見たものだが
アレをミュンヘンの大舞台で映像化しなかったのがかえすがえすも残念 https://numabe.exblog.jp/241205407/
平林直哉
クラシックの深淵
青弓社
2021年9月24日刊
>【目次】
>No.1 驚愕! 半音低いシュヴァルツコップの『4つの最後の歌』(リヒャルト・シュトラウス) >>928
本当にそうだよね。慣例カット版でカットされるのって皇后や乳母の見せ場パートが多いから、妙にバラク妻に偏っておかしなバランスになっちゃってるよね。
特に第3幕の乳母と伝令と舞台裏からのバラク夫妻の4重唱は今だにカットされる事が多くてガッカリする。
ここはティーレマンなんかは管弦楽版ハイライトにわざわざ組み込むくらい音楽的に素晴らしい箇所なのに。
来年二期会がコンヴィチュニー演出で影のない女やるけど、ノーカット版である事を祈ってる。カット有り無しって聞くと教えてくれるのかな メタモルフォーゼンが一番好き
バルビローリ、マリナー、レヴァイン、スイトナー、オーマンディ盤が特に気に入っている 最近タワレコ復刻SACDでケンペのナクソス島のアリアドネ聴いた
ナクソス島のアリアドネ自体初めて聴いたんだが曲めちゃくちゃいいな
シュトラウスらしい精緻で複雑なオーケストレーション全開で凄い
しかも録音も演奏もアナログ録音最高峰
シュトラウスの曲の中ではあまり演奏、録音で取り上げられてないんだろうがもったいないなそれは ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート 2022 ♪1 >>931
それ、ちょっと気になる
でも本は買いたくない アンドリス・ネルソンスのDGG新譜、
R・シュトラウス:管弦楽作品集、
すこしは話題にしてあげてくさい >>937
管弦楽はアルプス交響曲たまに聴く位だな
ここのスレの人は楽劇と歌曲好きが多そうだから
もう少し待ってみたら?
最近、過疎ってるね 日本時間の10月19日午前2時半からORFでシュトラウスの秘曲「オーストリア」の演奏会音源が放送されるぞ
ttps://oe1.orf.at/programm/20221018#694905/Krieg-und-Frieden 1年で5レスだけど、900超えてんだから大したもんだわ。
「英雄の生涯」はソロ・ヴァイオリンが活躍する曲だから、
1976年のベーム、ヘッツェル盤を聴いてるわ。 BSプレミアムシアターで放送されてたアルプスに不意にハマってしまって繰り返し聞いてる CDで聴けるものとしては、
『サロメ』(カラヤン)
『エレクトラ』(ショルティ)
が最高だと思う。 ああ、そうか。
私はドラマチックなオペラが好きなので、薔薇の騎士はあまり聴かないが、一般にはそれだろうな。
しかし、聴くときは、どうしてもカラヤン新盤を聴いちゃうな。薔薇の騎士というオペラの性格を考えれば音質は無視できない。 村上春樹の騎士団長殺しでも薔薇の騎士が出て来るが、
カラヤンでもクライバーでもなく、
出て来来るのはショルティ盤の物 ぼくも交響詩はつまらない物が多いと思うが
オペラと晩年の作品群は素晴らしいといえよう ここの人はとっくにご存知だろうけど、ケンペのシュトラウス9枚組BOXが安いのに録音がそこそこ良い
アマゾンレビューは300を超えている!
ケンペがこんなにいい指揮者とは知らなかった 無調に近い近代作曲家なのに
薔薇の騎士だけはメチャクチャロマンチック
シェーンベルクも一部ではロマン的な曲も書いてた ヨハシュトをはるかに超えたワルツは
薔薇の騎士ワルツとチャイコ花のワルツ 花のワルツは物語の中の音楽=フィクション
ヨハンのは成熟した市民社会の雅な人々の音楽=リアル >>958
なるほど、まさにその通り
だからこそ薔薇の騎士ワルツと花のワルツは
この世とは思えないほどの幻想的ロマン かーーーーーいこばーと(こばーと(こばーと(こばーと(こばーと(こばーと R.シュトラウスの薔薇の騎士ワルツを
ニューイヤーコンサートに取り上げてほしい ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。
神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。
食事前にナイアシン療法を行うと、効く人には大変有効と思います。
自然な形でセロトニンが増えれば、ほとんどの精神疾患は良くなっていきます。
薬も確実に減っていきます。それと同時に高タンパクな食事が大変大事です。
そして適度な運動で最強です。
試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。