R.シュトラウスについて語るスレッド4 [無断転載禁止]©2ch.net
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確かに通俗的な曲ばかりの割には一般的に知られている曲は少ないよな 管弦楽曲だとメロディの弱さが気になるけど
オペラだとメロディの弱さは気にならない
声楽が中心にあるからこそ管弦楽が効果を発揮してる >>389
そう、シュトラウスのオペラはポップスみたいなもんだね
だからクラシック音楽好きじゃなくても楽しめる >クラシック音楽好きじゃなくても楽しめる
それはない >>391
いやいや、ばらの騎士なんかだったら楽しめるよ
ストーリーもわかりやすいし、音楽も交響詩のように複雑に書かれていないから リヒャルトの管弦楽曲は頭でっかち尻すぼみの感がぬぐえないんだよな
オペラだと台本の筋に助けられているのか、そういう構成上の弱点から逃れていると思う
ホフマンスタールとのコンビは黄金コンビだね
あと歌曲もドイツリートの最高峰の一人であることは間違いない >>392
いやばらの騎士なんて音符使いはそれまでの交響詩よりよほど複雑でさらにランダムに細かいんだがな
交響詩は調性や楽器ごとのパートで役割分担比較的はっきりしてるし
全体の流れとしてならレシタティ−ヴォに色々被ったりするオペラよかよっぽどわかりやすいぞ
音楽がでなくてドレス着たおねえさんが演技してるから分かりやすく楽しめるんじゃないのか? 「声は楽器」と考えれば、言葉の内容に意味を求める必要は無い
外国語で意味がわからないのは「純音楽として聴ける」という点で幸いかもしれない >>394
パリオペラ座の中の話ではオケにとっては「アラベラ」が一番難しいらしいよ。
どうやって弾いたらいいか分からん位大変なところがいっぱいあるらしい。
聴いてる分には難解な部分は全然なくて「サロメ」とかの方がずっと大変そうだっけどね。 >>395
>「声は楽器」と考えれば、言葉の内容に意味を求める必要は無い
楽器で言葉を表現できるのが声のメリットなので、そのメリットを敢えて無視する理由になってないですよ。 >>396
ウィーン・フィルの人と話したときに、英雄の生涯が難しいって言ってたぞ
いずれにしても作曲内容の複雑さを言うのに、オーケストラのパートごとの演奏の難しさを言ってもしょうがないな >>395
「純音楽として聴く」って意味あるのかな 例えばレクイエムやマタイ受難曲の歌詞を完璧に理解して「宗教の御託」をありがたく拝聴したいの?
何を言ってるか内容がわからない「声の楽器」を「純音楽として聴く」方が音楽を楽しめると思うけど >>400
「純音楽」の定義がようわからないけど、
テクスト前提に作曲されたものをテクスト無視して聞いて何が楽しいのか分からないし、
楽器で言葉を表現できるの声のメリットを無視する理由にはやはりなってない。 100人中100人に理解してもらおうとは思ってないけど
くだらない内容の言葉なら、内容がわからない方がいいってことだよ
これも音楽の楽しみ方の一つとしてありでしょ >くだらない内容の言葉なら、内容がわからない方がいい
この理屈が分からない。
「くだらない内容」が分かるより「分からない方が音楽を楽しめ」る理由を書かないと誰も理解できない。 中島みゆきの「うらみ ます」を言葉が全くわからない人がメロディと歌声だけ聴いても、あの曲の凄みは半分も伝わらないよね >>394>>396
そうなんだ?
おいらか大好きな影のない女とかはどうなの? >>404
声の言葉がない純音楽の交響詩「恨みの物語」という標題曲は、音楽として楽しめないの?
具体的なストーリーがほしいなら映画やドラマを見ればいいだけでしょ テクストがあっても具体的なストーリーが無い曲の方がほとんどなのは言うまでも無いと思う。 >>406
なんで中島みゆきの歌詞がないと楽しめないと、その交響詩が楽しめないって話になるの? 屁理屈過ぎるよ シュトラウスオペラの歌詞が分かるったって全部漏らさず聞き取って分かる人ってそうはいないだろ
大概の日本人は聞き取れる箇所があってあとは知識で補完してるってな具合
その段階でも感動してる人多数だし前知識無しでばらの三重唄をハイライトでたまたま聴いたのがきっかけな人だっている
そう極端に走って違うポジションの人と敵対するよか
ここの歌詞が劇と同時進行でわかるとこんなに臨場感があるとか
ここの運びは歌詞不明でもこんなにぐっと来るとか
そういう話ができないのかね? 普通の理解力があれば極端に走ってるのは「歌詞は分からない方が良い派」なのは分かると思うんだけど。 >>410
だから何?反論している輩も残念ながら似たような次元になってるよ
そんな無駄レスの暇があったら歌詞の楽しさを教えてやるような発展性のあるレスしてやれっつの
たまには歌詞頭からすっとばして聴くのも悪くはない趣向だが
もし最初から全然理解してないとすればばら三幕のヤーヤーがおっさんが話しかけたので返事したとしか認識してない事になる ゼロか100かって話じゃ無いよね。ネイティブじゃ無いんだから歌詞を100%理解することは出来ない。
じゃあゼロと同じってわけじゃなく、ドイツ語の知識や理解の度合いで30わかる人、60わかる人がいるわけで。
やっぱり30より60、70わかる方がより深く作品を味わう事が出来るんだから、勉強はするに越したことないと思う。 チャイコフスキーのマンフレッド交響曲を聴くときは、マンフレッドの物語の知識がなければいけないの? 表題交響詩に関してはシュトラウスによると
曲を構想するにあたってイメージソースとして使ったのは確かだが
仕上げた曲はそれと関係無く鑑賞するようにしているから聴く側が念頭に置く必要はないと言っている
だが曲の解釈で疑問が発生した時はどうしても元にあったイメージを再検証してしまう訳で…
つまり全てを音色から読み取れる鑑賞力があれば交響詩においては成り立ちの知識は必要ないという事だろう 連投
この事はシュトラウスとしては元のイメージに鑑賞者が縛られるのは本意ではないと自分は解釈した
まず前知識無しに音から感じ取ったものを各自に受け止めるのが正しい初見であると思う
しかし疑問点を棚上げしたまま絶賛あるいは全否定するのはどちらも短慮としか言えない
わからない点はそのままキープして自身はたゆまぬ成長を続ければいつか隠しコマンドの様に発見出来るかもな? >>413
音楽の聴き方に「いけない」なんてことはそもそも無い。
「知識があった方が楽しめるかどうか」はやや相対的な話になるけど、
「知識が無い方が楽しめる」と言いたい人はそれなりの説得力が無いと「なにいってんだこいつ?」と思われるのが普通。 ネットもなくレコードも開発黎明期で再現方法が実演であった時代の音楽を現代人が同じ感性で聴いているわけがない
コンサートやオペラ上演が今よりもっと生活に濃密でフロイトもいなかった時代なんだから
歌曲の歌詞の問題だけでなく当時の情熱や優雅をもっと感じたいというのも勉強につながる訳だ
たとえばベートヴェンの革命期における栄光と挫折の感覚なんぞも曲に表現されているのはいわずもがな
マーラーのユダヤ人差別、高い音楽教養、若い嫁なんていう悩みのネタのもある >>417
要するに作者や作品の背景を知れば、より深く観賞できるって話ね
長々とお疲れ 作者や作品の背景と切り離して、真っ白な無の状態から鑑賞した方が純粋に音楽を楽しめると思うけどな 「真っ白な無の状態」とは何かを説明すれば良いんじゃないの?
赤ん坊の状態? 音だけ聞けばいいじゃん
背景とか理屈は必要ないだろ >>421
個人の信条としては良いと思おうよ。
ただ賛同者は少ないだろうね
ただオペラを聞く人も、個人でお家や車内で聞くときに
歌詞を見ながらじっくり聴けるほど時間の余裕のある人はそう沢山いないだろうから、
程度の差こそあれ実質的に貴方と似た聞き方をしてると思う >>421
だからどうやって「音だけ聞く」の?
いままでの記憶忘れるの? >>423
CDをプレイヤーに入れて再生ボタンを押せばいいだろ 人間の認識というものがどういうものであるか学んでくるといいよ
考えたくない学びたくないという愚か者に何を言っても聞く耳持たんか 論争中にすみません、どうしても気になって。
ヨカナーンって何だか聖人扱いみたいになってるけど、人間的に相当ヒドくて全然人格者じゃないですよね?
初対面で相手がどんな人間かもわからないのに、ヘロディアスの娘と自己紹介したとたんボロクソに罵詈雑言を浴びせて。親と子は別人格なのに ゆとりバカを指導する野球監督
監督「無心でバットを振れ!」
選手「どうやって心を無くせばいいんですか?いままでの記憶忘れるんですか?」
監督「・・・・・」 まず独逸語はヒヤリングと変換に集中していないと自分の場合はついていくのはなかなかにハードモード
面倒になってあっさり脱落して唄の断片と演技演出から成り行きを知ろうとする
そうするうちオケ側に寝返り登場人物を煽るように突っ込み入れるように鳴るオケサイドの生理で成り行きを見守る事になる
すると「おやお〜や」「駄目みたいですねえ」みたいなナレーションが脳内に聞こえるようになってくる
以上、あるアリアドネを聴いた感想
どうせ何度も聴いた演目だから流れは知ってて不安はなかったという要素もあるだろう
まったくの初見の人が聴いたらもっとすちゃらかダイナミック解釈するかと思うと是非それを聞いてみたい気持ちにすらなる
ちなみに自分がムラヴィンのチャイ5を初見で聴いた感想は「青空の下ばんざいしたままジェットコースター」(とくに四楽章)であった
>>428 砂漠の聖者から見たら妖怪女とその英才教育された娘なんでまったく同類項ですよ
サロメに「お前は穢れてる」って言ったのは大図星のホームランですし
だが実は娘の方が妖怪変態女として格上に育ってたのが大誤算でしたが 音だけ聞いて歌詞に耳を傾けずに聞ける器用な人間がいるのか。
例えば童謡の「海」を聞いて全く海をイメージせずに音だけに集中できるなら結構凄いと思う。自慢して良いよ。 >>432
童謡の海は母国語の日本語(のですよね?)だからダイレクトに歌詞とシンクロしてしまうのでは?
外国語ではある程度学んだ言語であってもより簡単にシャットアウト出来るのは一般的な感覚です
もちろんより血肉となるべく努力を続けるのが本質でありますが
そう言うあなたはきっとドイツ語を血肉のように身に付けているのでしょうね
それと音のみに集中するのはたとえお稽古レベルでも音楽訓練を受けた人ならば割と簡単だと思いますよ つまり「俺たちは外国語聞いたって分からないんだから無駄に歌詞を聞く努力なんてしない方が良い」という理屈。 「声を楽器と思って聞く」ってことはそういうことでしょ
海の歌詞の歌に海をイメージする必要はどこにもない
管弦楽曲を聞く時に標題のイメージに縛られて聞いてないのと同じ ショスタコーヴィチの交響曲を聞きながら共産主義革命を万歳するの?
そんなことを考える必要どこにもないよね
音楽は「音」として聞けばいいだけだ そういう「純音楽絶対」みたいな思想って音楽の自然の生理に反するような。音楽の成り立ちって歌からの側面が大きいのに、詩の要素を無視するって。
「歌詞が全然わからないからこの作品の良さの6割くらいしかわからん。それでも良い」て言うならわかるけど、「歌詞の理解が不要」てのはただの無知の言い訳にしか聞こえない その論理だと、最初から歌詞がない交響曲は「音楽として6割の力しか発揮できない」と言ってるのと同じだな 「"歌詞がある曲"は"歌詞がない曲"より格上だ」という論理は、"言葉の意味"を持たない純音楽(交響曲や室内楽やピアノソロ曲)を冒涜してる しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲と
高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲と
どっちが音楽的に名曲なのか >つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲
いわゆるオペラと呼ばれてるもの全般
>高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲
いまだかつて聞いたことがない、つまり実例がない >>439
全然違うでしょ、どこが同じなんですか。理解力がないの? >>436
「そういうこと」が何を指しているのか分からないけど、
海をイメージしないで童謡の「海」を聞けるなら凄いね。どうやってやるの?
「純音楽」という言葉の定義も分からないが、言葉を含まない音楽ということ?
なんで「純音楽」に言葉は含まれないのかをまず説明して欲しい。 しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 >>446
有名コピペで何か言った気になれるなんてお手軽な脳ミソしてるな >>445
日本語が理解できない中東やアフリカの人が聞けば海なんてイメージしないだろ
外国語を理解できないことによって言葉の意味が頭に入らずに声を楽器として聞ける
これは外国語音楽を聞く上で幸福なこと
歌詞の内容が頭に勝手に入って来る邦楽は、純粋に音楽として聞けないのが不幸 >>443
外国の言語がわからなければ、そのオペラのつまらない内容が頭に入らずに、純粋に綺麗な音楽だけを聞けるんだから幸福だろ
声を楽器として聞けるのは外国人であることの特権だね
「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
"偉大な指導者を称える歌"を「つまらない曲だ」と言ったら処刑されるんだろうなw >>448
そもそも「言葉の意味が分からないから声を楽器として聞ける」という理屈が分からない。
「声を楽器として聞く」というのは言葉の意味を全く理解してないという意味らしいけど、なんでその前提になるの?
声楽からすると人の声は純然たる楽器なんだけど。
声楽が純粋な音楽では無いという説明をまずして欲しい。 もうこの人には誰も反論とかしなくていいよ
そもそも感覚が違うなら普通の感覚でいくら説明しても無意味 アホ同士納得するまで好きなだけやってくれ
でもお互い納得したら二度とこんなくだらない話題を持ち出すなよ 人の声が楽器というのはこの世界だと普通の認識だと思うけど、言葉が付くと楽器では無いと認識になるのかな? >>449
>「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
誰もそんなことは言ってないだろ
自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けるほうがよっぽど狂信的だろうよ >>454
正論の通じない相手にまともに反論しても虚しいだけだよ 「自分が間違っている事を自分にわかるように証明しろ」ってんだろ?
そんな悪魔の証明頑張ったところで誰得なんだよ
見た事も聞いた事もない物の存在を立証出来ないと勝利宣言すんだってさ
たとえ論破したところでギャラが出るわけでなし しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 オペラの台詞を完璧に理解して得られる感動は、ドラマ的感動であって音楽的感動ではない
歌われる歌詞の内容によって音楽的評価が左右されるのは好ましくない 交響曲や協奏曲やピアノ曲は「歌詞のない音楽」である
オペラや宗教曲などの声楽曲は「歌詞のある音楽」である
歌詞を理解することによって物語や思想など、音楽とは別の感動も同時に得られる音楽である
では、「歌詞のない音楽」は「歌詞のある音楽」に比べて劣ってるのか?
もちろんそんなことはないよね?
そうであるならば、外国語で歌詞の意味がわからないことによって「歌詞のある音楽」を「歌詞のない音楽」として聞いたからといって音楽的感動が劣ることはない 歌を「言葉」ではなく「音」として聞けばいいだけ
意味不明な外国語なら、歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる
声楽曲の言葉の意味がわからないことで、純粋な音として、ヴォカリーズ曲として聞くことで、純粋に音楽的感動を得られる 歌詞ありきで創られた節を旋律だけで理解すると?
ワグナーなんかは音楽家以上の総合芸術家を自任しているわけで だから、歌詞のある音楽を歌詞を理解して聴くよりも
歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」という説明になってないんだけど。
それにはまず「歌詞が不純」というのをまず証明しないと説得力が無い。 >>463
>歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」
そんなことは誰も言ってない
ここでもやはり自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けてるだけ
それとも頭が悪くて言葉の意味をちゃんと理解できないのか >>469
え、これはそういう意味でしょ。
>歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる どういう解釈なのか分からないけど、とりあえずどこが違うのか書いたら?
何も書かずに否定してても何の説得力も無いし、その方が自分だけの勝手な解釈にしか思われない。 別におまえさんを説得して理解してもらおうなんて思ってないしわからないやつはわからないままでいいよ まぁ独特のひん曲がった解釈して喜んでるよく分からない質の人も時々いますね。 もう言葉尻とらえていちゃもんつけるだけの低次元な争いだな
馬鹿につきあってる同レベルな人も含めてスレ荒らしと化してるって自覚してくれないか いや、言葉尻を捉えるんじゃなくて逆に曖昧にしているから議論になってないだけ。 >>472
そういう所だっての
そういうの含めてつまらん議論続けたいのなら別スレでも立ててやってくれ
もうシュトラウス関係ないしスレタイ考えてやるから
そらよ
(東のフラマン)言葉と音楽がノールールで闘うスレ(西のオリヴィィエ) やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 元々交響詩とオペラのどっちが優れてるかの話からこうなったんじゃなかったっけ?
なぜそこからオペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人が出てきたのかよく分からないけど。 >>476
「歌詞を理解しないで聴く」オペラ、と交響詩を比較しだしからでは >>477
うん、そこからの飛躍が別次元すぎて何の論拠も無いからよく分からない。
たとえ歌詞を理解しなくてもオペラの方が交響詩より優れているという主張なら分かるけど、
なんでオペラも歌詞を理解せずに聞くべきという話になるのかが意味不明過ぎて怖い。 >オペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人
だからそんな主張をしてる人なんていないだろ
本当にバカなんだな >>480
くやしそうだなw
知能が低いことがそんなにくやしいかい? いや、なんの根拠も示さない馬鹿に何言われても何とも思わないよ。 オペラの内容を完璧に理解して聴こうとすれば、高度な翻訳が確立した有名曲だけにレパートリーが偏る
また、「台本の出来が悪いことが原因で不人気な曲」は音楽的にも低評価扱いにされてしまう
星の数ほどある「音楽的に充実してるのにメジャーでないオペラ曲」を全く聴かずに人生を終わるのは勿体ない
だからこそ「歌詞を理解せずに声を音としてのみ聴く」聴き方で対象範囲を広げるべきなのだ
シュトラウスのオペラに限れば「エジプトのヘレナ」はそういう部類になるかな シュトラウスに関しては台本に乗れないと作曲もテンション下がる人なんだよなあ
「あんまピンとこないけどとにかく必死で考えてみた」ら傑作になった影のない女もある
これは成功例だからピンとこない台本の何をどう考えて工夫したかってのも見逃せないポイントになってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています