R.シュトラウスについて語るスレッド4 [無断転載禁止]©2ch.net
>>421
だからどうやって「音だけ聞く」の?
いままでの記憶忘れるの? >>423
CDをプレイヤーに入れて再生ボタンを押せばいいだろ 人間の認識というものがどういうものであるか学んでくるといいよ
考えたくない学びたくないという愚か者に何を言っても聞く耳持たんか 論争中にすみません、どうしても気になって。
ヨカナーンって何だか聖人扱いみたいになってるけど、人間的に相当ヒドくて全然人格者じゃないですよね?
初対面で相手がどんな人間かもわからないのに、ヘロディアスの娘と自己紹介したとたんボロクソに罵詈雑言を浴びせて。親と子は別人格なのに ゆとりバカを指導する野球監督
監督「無心でバットを振れ!」
選手「どうやって心を無くせばいいんですか?いままでの記憶忘れるんですか?」
監督「・・・・・」 まず独逸語はヒヤリングと変換に集中していないと自分の場合はついていくのはなかなかにハードモード
面倒になってあっさり脱落して唄の断片と演技演出から成り行きを知ろうとする
そうするうちオケ側に寝返り登場人物を煽るように突っ込み入れるように鳴るオケサイドの生理で成り行きを見守る事になる
すると「おやお〜や」「駄目みたいですねえ」みたいなナレーションが脳内に聞こえるようになってくる
以上、あるアリアドネを聴いた感想
どうせ何度も聴いた演目だから流れは知ってて不安はなかったという要素もあるだろう
まったくの初見の人が聴いたらもっとすちゃらかダイナミック解釈するかと思うと是非それを聞いてみたい気持ちにすらなる
ちなみに自分がムラヴィンのチャイ5を初見で聴いた感想は「青空の下ばんざいしたままジェットコースター」(とくに四楽章)であった
>>428 砂漠の聖者から見たら妖怪女とその英才教育された娘なんでまったく同類項ですよ
サロメに「お前は穢れてる」って言ったのは大図星のホームランですし
だが実は娘の方が妖怪変態女として格上に育ってたのが大誤算でしたが 音だけ聞いて歌詞に耳を傾けずに聞ける器用な人間がいるのか。
例えば童謡の「海」を聞いて全く海をイメージせずに音だけに集中できるなら結構凄いと思う。自慢して良いよ。 >>432
童謡の海は母国語の日本語(のですよね?)だからダイレクトに歌詞とシンクロしてしまうのでは?
外国語ではある程度学んだ言語であってもより簡単にシャットアウト出来るのは一般的な感覚です
もちろんより血肉となるべく努力を続けるのが本質でありますが
そう言うあなたはきっとドイツ語を血肉のように身に付けているのでしょうね
それと音のみに集中するのはたとえお稽古レベルでも音楽訓練を受けた人ならば割と簡単だと思いますよ つまり「俺たちは外国語聞いたって分からないんだから無駄に歌詞を聞く努力なんてしない方が良い」という理屈。 「声を楽器と思って聞く」ってことはそういうことでしょ
海の歌詞の歌に海をイメージする必要はどこにもない
管弦楽曲を聞く時に標題のイメージに縛られて聞いてないのと同じ ショスタコーヴィチの交響曲を聞きながら共産主義革命を万歳するの?
そんなことを考える必要どこにもないよね
音楽は「音」として聞けばいいだけだ そういう「純音楽絶対」みたいな思想って音楽の自然の生理に反するような。音楽の成り立ちって歌からの側面が大きいのに、詩の要素を無視するって。
「歌詞が全然わからないからこの作品の良さの6割くらいしかわからん。それでも良い」て言うならわかるけど、「歌詞の理解が不要」てのはただの無知の言い訳にしか聞こえない その論理だと、最初から歌詞がない交響曲は「音楽として6割の力しか発揮できない」と言ってるのと同じだな 「"歌詞がある曲"は"歌詞がない曲"より格上だ」という論理は、"言葉の意味"を持たない純音楽(交響曲や室内楽やピアノソロ曲)を冒涜してる しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲と
高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲と
どっちが音楽的に名曲なのか >つまらない内容の歌詞に綺麗なメロディが付いてる曲
いわゆるオペラと呼ばれてるもの全般
>高尚な内容の歌詞につまらないメロディが付いてる曲
いまだかつて聞いたことがない、つまり実例がない >>439
全然違うでしょ、どこが同じなんですか。理解力がないの? >>436
「そういうこと」が何を指しているのか分からないけど、
海をイメージしないで童謡の「海」を聞けるなら凄いね。どうやってやるの?
「純音楽」という言葉の定義も分からないが、言葉を含まない音楽ということ?
なんで「純音楽」に言葉は含まれないのかをまず説明して欲しい。 しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 >>446
有名コピペで何か言った気になれるなんてお手軽な脳ミソしてるな >>445
日本語が理解できない中東やアフリカの人が聞けば海なんてイメージしないだろ
外国語を理解できないことによって言葉の意味が頭に入らずに声を楽器として聞ける
これは外国語音楽を聞く上で幸福なこと
歌詞の内容が頭に勝手に入って来る邦楽は、純粋に音楽として聞けないのが不幸 >>443
外国の言語がわからなければ、そのオペラのつまらない内容が頭に入らずに、純粋に綺麗な音楽だけを聞けるんだから幸福だろ
声を楽器として聞けるのは外国人であることの特権だね
「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
"偉大な指導者を称える歌"を「つまらない曲だ」と言ったら処刑されるんだろうなw >>448
そもそも「言葉の意味が分からないから声を楽器として聞ける」という理屈が分からない。
「声を楽器として聞く」というのは言葉の意味を全く理解してないという意味らしいけど、なんでその前提になるの?
声楽からすると人の声は純然たる楽器なんだけど。
声楽が純粋な音楽では無いという説明をまずして欲しい。 もうこの人には誰も反論とかしなくていいよ
そもそも感覚が違うなら普通の感覚でいくら説明しても無意味 アホ同士納得するまで好きなだけやってくれ
でもお互い納得したら二度とこんなくだらない話題を持ち出すなよ 人の声が楽器というのはこの世界だと普通の認識だと思うけど、言葉が付くと楽器では無いと認識になるのかな? >>449
>「偉大な言葉に、つまらない音楽が付くわけがない」という考え方は、狂信的で怖いなw
誰もそんなことは言ってないだろ
自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けるほうがよっぽど狂信的だろうよ >>454
正論の通じない相手にまともに反論しても虚しいだけだよ 「自分が間違っている事を自分にわかるように証明しろ」ってんだろ?
そんな悪魔の証明頑張ったところで誰得なんだよ
見た事も聞いた事もない物の存在を立証出来ないと勝利宣言すんだってさ
たとえ論破したところでギャラが出るわけでなし しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 オペラの台詞を完璧に理解して得られる感動は、ドラマ的感動であって音楽的感動ではない
歌われる歌詞の内容によって音楽的評価が左右されるのは好ましくない 交響曲や協奏曲やピアノ曲は「歌詞のない音楽」である
オペラや宗教曲などの声楽曲は「歌詞のある音楽」である
歌詞を理解することによって物語や思想など、音楽とは別の感動も同時に得られる音楽である
では、「歌詞のない音楽」は「歌詞のある音楽」に比べて劣ってるのか?
もちろんそんなことはないよね?
そうであるならば、外国語で歌詞の意味がわからないことによって「歌詞のある音楽」を「歌詞のない音楽」として聞いたからといって音楽的感動が劣ることはない 歌を「言葉」ではなく「音」として聞けばいいだけ
意味不明な外国語なら、歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる
声楽曲の言葉の意味がわからないことで、純粋な音として、ヴォカリーズ曲として聞くことで、純粋に音楽的感動を得られる 歌詞ありきで創られた節を旋律だけで理解すると?
ワグナーなんかは音楽家以上の総合芸術家を自任しているわけで だから、歌詞のある音楽を歌詞を理解して聴くよりも
歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」という説明になってないんだけど。
それにはまず「歌詞が不純」というのをまず証明しないと説得力が無い。 >>463
>歌詞を理解しないでそれ以外の要素だけで聞くことの方が「純粋」
そんなことは誰も言ってない
ここでもやはり自分の勝手な思い込みで相手はこう言ってると決め付けてるだけ
それとも頭が悪くて言葉の意味をちゃんと理解できないのか >>469
え、これはそういう意味でしょ。
>歌詞の内容が頭に入って来ないことによって、純粋に音楽だけの曲として聞くことができる どういう解釈なのか分からないけど、とりあえずどこが違うのか書いたら?
何も書かずに否定してても何の説得力も無いし、その方が自分だけの勝手な解釈にしか思われない。 別におまえさんを説得して理解してもらおうなんて思ってないしわからないやつはわからないままでいいよ まぁ独特のひん曲がった解釈して喜んでるよく分からない質の人も時々いますね。 もう言葉尻とらえていちゃもんつけるだけの低次元な争いだな
馬鹿につきあってる同レベルな人も含めてスレ荒らしと化してるって自覚してくれないか いや、言葉尻を捉えるんじゃなくて逆に曖昧にしているから議論になってないだけ。 >>472
そういう所だっての
そういうの含めてつまらん議論続けたいのなら別スレでも立ててやってくれ
もうシュトラウス関係ないしスレタイ考えてやるから
そらよ
(東のフラマン)言葉と音楽がノールールで闘うスレ(西のオリヴィィエ) やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 元々交響詩とオペラのどっちが優れてるかの話からこうなったんじゃなかったっけ?
なぜそこからオペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人が出てきたのかよく分からないけど。 >>476
「歌詞を理解しないで聴く」オペラ、と交響詩を比較しだしからでは >>477
うん、そこからの飛躍が別次元すぎて何の論拠も無いからよく分からない。
たとえ歌詞を理解しなくてもオペラの方が交響詩より優れているという主張なら分かるけど、
なんでオペラも歌詞を理解せずに聞くべきという話になるのかが意味不明過ぎて怖い。 >オペラも歌詞を理解しないで聞くべきと主張する人
だからそんな主張をしてる人なんていないだろ
本当にバカなんだな >>480
くやしそうだなw
知能が低いことがそんなにくやしいかい? いや、なんの根拠も示さない馬鹿に何言われても何とも思わないよ。 オペラの内容を完璧に理解して聴こうとすれば、高度な翻訳が確立した有名曲だけにレパートリーが偏る
また、「台本の出来が悪いことが原因で不人気な曲」は音楽的にも低評価扱いにされてしまう
星の数ほどある「音楽的に充実してるのにメジャーでないオペラ曲」を全く聴かずに人生を終わるのは勿体ない
だからこそ「歌詞を理解せずに声を音としてのみ聴く」聴き方で対象範囲を広げるべきなのだ
シュトラウスのオペラに限れば「エジプトのヘレナ」はそういう部類になるかな シュトラウスに関しては台本に乗れないと作曲もテンション下がる人なんだよなあ
「あんまピンとこないけどとにかく必死で考えてみた」ら傑作になった影のない女もある
これは成功例だからピンとこない台本の何をどう考えて工夫したかってのも見逃せないポイントになってる >>483
「オペラの内容を完璧に理解して聴こうとすれば」というの前提から
「だからこそ『歌詞を理解せずに声を音としてのみ聴く』聴き方で対象範囲を広げるべき」という結論になってるけど、前提が悪いんじゃないの?
なんで0か100しか無いのかが分からない。 だからさっさと別スレ立ててそっち行って下さいよ
反応した奴等も全員同罪な
わざとらしくシュトラウスに絡めてアリバイ作ってんじゃねえよ せめて筋は読んで、この場面はどういうことが歌われているのか、くらいは把握しないとオペラの鑑賞として面白くないですね エレクトラ、シノーポリ盤と小澤盤どっちが良い?とりあえずどっちか買おうと思ってるんだけど 音楽を聴くのに「物語の知識」なんか必要ない
小説からインスピレーションを受けて交響曲を作曲したような場合でも、
元の小説を知らなければ音楽を理解できないなんてことはない
音楽は、音だけを聴いて「音楽そのもの」に身を任せればいいんだから エレクトラの演奏の評価ができるなんて考えられん
エレクトラとヘレナはようわからん
どちらもストーリーは単純だが文化の背景を共有してない人間にはそもそも存在理由すら理解できん
なぜこの話で一級の作家と作曲家がオペラを作るのかすら全くわからんのに、その演奏を云々するなんて俺にはとてもできん そもそもオペラのストーリーをわかる必要はない
音楽は音楽として聞けばいいだけだ
物語や台詞の出来不出来なんて音楽的完成度とは無関係
歌詞の内容で音楽的評価が左右されるなんてナンセンス
音楽の評価は、純粋に音楽のみによって評価されるべき しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 何となくスペーシーなCMに安くツァラトゥストラ冒頭使っちゃうのはこういう発想だよな
最初にやったキューブリックはそのへん百も承知だったと思うが継続者は…
結婚式にローエングリン使っちゃうのも多分同じ発想
ヴィクトリア女王の王女の結婚式が最初らしいけどオペラ本体を知らなかったのか?と不思議になる
知らないで楽しむのもひとつの楽しみ方だが間違った場合知ってる人からは疑問が出る事も覚悟すべし クラ板の人達ってコピペにマジレスしがちで可愛いよね 「コピペにマジレス」という概念自体がもう時代遅れな気はする。
今時有名コピペが新しく出てくることが難しいし、懐かしい有名コピペで使えるくらいなフレーズじゃないの。 >>498
コピペだということを知らずにレスしたのがくやしくてたまらないようだね(^0^) たとえオペラの葬式シーンのために作曲された曲であっても、綺麗なメロディだったら結婚式で流しても何の問題もない
そんなことを気にするほうがおかしい
物語と音楽は切り離して、純粋に音楽として評価されるべき 知ってあえてやるのと知らないでやるのでは雲泥の差がある
もし知らない場合は万人が納得させる音楽性とセンスがあるかだが残念ながら大抵の場合はペケ
そんな実績とプレゼン力がない人の主張なんてまず耳を傾ける人はいない
知識がないからこそセンスで勝負なんだからまずそれを見せてもらわないとね
厨二の机上の理論なんて世間には腐るほど存在するんだから短い人生でいちいち構ってる時間はないんだよ >>499
何がコピペか分からないけど、別に何も悔しくないよ。
有名なコピペでなければ何の感想も無い。
>>500
「純粋な音楽」というのが何かをまず定義したら? >>502
一日半も前のレスにわざわざアンカ付けてレス返してることが何よりもくやしがってる証拠ではないのか?(^0^)(^0^) >>503
どこが一日半前?半日前と間違えてるのかな? しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 >>506
ああ、これがコピペなのか。ググるとN響や日フィルでのレスも出てくるから同じ人が愛用してるのかな。 音楽の背景ってのは音楽を味わう第二の味覚だな
時代の風や作曲者の個人的な思いが素材の味をより豊かに拡げる事は感動的なブレイクだ
例えばばらの騎士において
・初演された時代 ・物語舞台の時代 ・ウインナワルツ全盛の時代
の三つの流れを体感する面白さは音楽の秘密を明かす重要な要素でもある
だが残念だけどそんな感動体験がない人に理解させるすべはないのかも じゃあエレクトラの音楽の背景でも味わうか
シュトラウスの盗作疑惑が囁かれるオペラ「カサンドラ」
盗作騒動によって逆に抹殺された悲劇の作曲家グネッチ
https://www.youtube.com/watch?v=Jz9K4QlKci0
https://www.youtube.com/watch?v=ZjgnwABMqYo
ヴィットリオ・グネッチ Vittorio Gnecchi
彼のオペラ カサンドラ(1903年に完成)と後のリチャード・シュトラウスのオペラ「エレクトラ(Elektra)」の間の類似点に関する論争が、グネッキの初期のキャリアで発展した。
イタリアの音楽学者ジョヴァンニ・タバルディーニは、シュトラウスのオペラがグネチの初期の作品を盗んだと主張し、シュトラウスを悩まさないために、カッサンドラのさらなる演奏計画が廃止されたと主張している。 そんなのは作曲家や作品にまつわる逸話に過ぎん
エレクトラもヘレナも今で言う不倫と復讐/和解がテーマだ
黴臭い古典からのテーマなんだが、現代の日本人であのストーリーに共感とか感動とかあるいは逆の嫌悪とかの感情を持つ奴がいるだろうか
どうでもいい、つまらない、せいぜい奇妙だ、くらいしか感じないのがほとんどじゃないかと思うんだな
それをシュトラウスの時代には芸術作品として成立させているもの、それが文化・時代的な背景なんだよ 2000年以降に作曲されたオペラにも古典を題材にした作品はある
20世紀初頭にしか成立しない芸術作品という論理は妄想にすぎない 19世紀〜20世紀初頭においてですら、どれだけの数の一般人がオペラを聴けてたんだ?って話
オペラなんて今でもマイナーだが当事だってマイナー存在だ
人類の大多数はオペラなんて一度も聴くことなく一生を終えてるわ >>510
椿姫を現代人が見る場合も一緒だな
>>502
人口に比したら実際に鑑賞出来る層は一部だろうが文化の先端・発信であったのが当時のオペラだよ
ヒット作が出るとすぐに楽譜が世間に出て実演を見られない人は自宅・サロンのピアノなどで再現して広く流布していた 要するにここ最近のアレはオペラコンプ拗らせたののしわざって事で?
コンプ拗らせが勉強はすべしとか言われちゃったから追いつめられて爆発全否定宣言しちゃったとな
まさか「勉強した方が楽しめる」だけでこんな追いつめられるとか想像できんし >>511
思慮が足りんにも程がある
なぜ現代の作曲家がエレクトラや薔薇の騎士のようなオペラを書かないのか
それはもはや芸術作品として成立しないからだ
あるいは
ベートーヴェンはそりゃ偉大な天才だ
ただし天才の発生率から考えればベートーヴェン級の楽才を持った人間は現在だって世界の中には複数いるだろう
しかし、誰一人ベートーヴェンのような音楽を発表しないよな
それは現在では芸術作品として成立しないからだ
あくまで「クラシック」なんだよ アルプス最強はネタとしても、ライバルはドビュッシーの海だけだな
まあ海を買う人間の方が多いと思うがそれはイマジネーションの喚起力が上だからで、オーケストレーションはシュトラウスがぶっちぎりだろう ブリッジの「海」も派手さではタメを張れると思うんだけどな 海の情景描写ならRコルサコフ/シェエラザード押しとく ショスタコなんかも音楽で描写するのが上手いな
特にマクベス夫人のズッコンバッコンときたら初めて聞いた時は笑いが止まらなかったわ アリアドネはシノーポリがいい、ケンペの評価高いけどしっくりこなかった