【和声法】クラシックの書法18【対位法】 [無断転載禁止]©2ch.net
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西洋音楽は少なくともベト出現以前は、
技術的側面が大きかった芸術だから、複雑=すごいでも
間違ってない。バロック音楽は構造の複雑化の歴史だし、
そのことはある程度まで19世紀音楽にも言える。
J.S.バッハのすごさは、フーガの技法や捧げ物で
とんでもない職人芸を披露しつつ、なおかつ音楽として
聞けるという点。
ベトの場合は音楽としてどうなんよ?と思うので
やっぱ上手くない、という評価は全く正当だと思うね。 >>131
参考までにどのあたりの部分のことか教えてほしい。
ポリフォニックな書法はあるけど、
あえて対位法が上手いって言えるような部分があるのか
ようわからんかった。
https://m.youtube.com/watch?v=0mnrHf7p0jM ベートーヴェンは基本的には対位法上手くないんだけど、ハマるとめっちゃいい。
フーガでいうと、第九の alla marcia のとこが最高。あとはピアノソナタ28, 31, 献堂式序曲、弦楽四重奏14番のはじめ、英雄の2楽章もいい。
中途半端にメロディアスにしようとしてなんか微妙になってるのも多い。戦争交響曲のラストとか、英雄の4楽章とか。
大フーガとハンマークラヴィーアは異次元。自分はどっちも素晴らしいと思うね。 使い所を模索してるけど
https://youtu.be/BM7EQz-vl4s?t=26m18s
みたいに推移に使って、しかも前後が超ホモフォニックなのと変化を付けるのは上手いと思いますね。ピストンが言ってるとおり、ピークが交互に来るよな旋律になってるし。
あと、おそらく独立な声部の数は整数じゃなくて、最初からポリフォニックな曲でもポリフォニック度を各点で調節しながら曲を展開してると思う。
バッハ VS ベトだったらバッハのほうがだいぶ上手いと個人的には思う。 >>136
この曲素敵だよね
チャイコの対位法も実践で参考になる
「黙って聞いてろ」っていう、うんざりする対位法じゃなくて、
聴き手を引き込むような音の使い方というか
組曲第1番のフーガもいい けどそもそも何をもって対位法っていうのか、
わからないところがあるよね
対位法の本に出てるのが対位法、っていうのなら、
作曲家のほとんどの作品が対位法じゃなくなるだろうし
だって教則本のルール破ってる曲だらけだろうし
Rシュトラウスなんてその典型 >>140
>対位法の本に出てるのが対位法、っていうのなら、
>作曲家のほとんどの作品が対位法じゃなくなる
全然違うw 実際に対位法学んだ経験もなく言ってるだろ?
対位法の規則は、あくまで対位法的感覚を体得する為の方便だよ
だから人によって規則が違うし、厳しくも緩くもできる >>141
それだったら作品から学べばいいじゃん
教則では学ばなかったけど、
対位法をとりわけ意識したのは、
バッハの作品、とくに「フーガの技法」
似たような作品作って勉強した
けどこれやったところで、
シューベルトやRシュトラウスの対位法が理解できるわけじゃないから、
結局個々の作品あたって、真似するしか勉強する方法がない テキストは「抽出」しているんだよ。
結局人は自分の受けた教育から逃れることはできない、という前提で、
音楽をある程度専門的に学び、テキストで勉強した人の多くは
実作品からも学んでいるだろうし、
過去と現代を行き来できるような時代にあって実作品だけで学ぶのは
あまり合理的でないように思えるけれどね。
ま、いっつも「人それぞれ」で終わるような内容の話しだけれど。 >>143
>テキストは「抽出」しているんだよ。
そんなことは誰でも知ってる
教則本至上主義みたいな人見てると、
ベートーベンやモーツァルトの作品より、
島岡譲の教則本のほうが偉大であるかのような印象を受ける
作品抜きにして教則本のルールがどうだこうだと話し始める
作品の話し始めても、教則本に載ってる範囲のことだけだし
作品を合理的に学ぶために教則本があるのに、
教則本を理解したら、個々の作品は勉強しなくても理解できている、
と思い込んでるらしい
どこからこんな自信が湧いてくるんだか モーツアルトの対位法は胎教に良い
バッハのフーガは上級な吸血鬼が好みそう そもそも対位法とか和声法とかは音楽家としての基礎訓練みたいなもんなんだけどね。
できて当たり前。 G大和声が終わってるのなら、体位法は数日やるくらいでも相当得るものがあるはず。というか、GH最終章はかなり体位法度が高くて同時進行か既習を前提にしてるとしか思えない。 >>147
だね。
作曲家が作るべきもは、もっとry >>147
表面しか理解して無いくせに
対位法も和声も奥が深いぞ 基礎訓練でよい、と考える人と、例えば、J.Gallonらのある種の曲芸というか
あまりにもテクニカルな課題を含めてこそ和声の技能の習得と考える人と、
今はどのようにとらえる人が多いのだろうか。
数の多い少ないの問題ではないけれど。
一度それらを知ってしまうと、いわゆる芸大和声(古い方)の「そんな程度でいいのかよ」と
いう思いといやいや他にやんなきゃいけないことたくさんあるしなあ、という思いとで分裂するな。 和声法に関しては、例えばシャランみたいなのは、それ単体ではある程度面白いが、実際上どうでもいい。
ああいうのは基礎技能でもなければ、よい作曲の示唆として役立つものでもない。自己完結したパズルゲームで、音楽的にはバッハのコラールなんかと比べて取るに足らない。
対位法に関しては、周知の通りバッハによる超テクニカルな作品群があって、あれは音楽の素晴らしく面白い一面でもあるし、その技術は作曲家にとってぜひ抑えておきたい教養でもある。
「和声の時代はとうに終わった(ストラヴィンスキー)」が、対位法はいつまでも重要なままだ。 和声の時代は終わってないどころか
無調の方が内輪オナニーになってる件
ポストモダンで機能和声が一部復活したとき、
間宮センセだったかがこういう方向性が続くとは
思えないっていってたけど、見事に外れたw いや全く当たってるけど
和声の時代は完全に終わってる 機能和声の補集合を無調音楽だと考えてる時点でおまぬけ 機能和声と無調って、無調の種類にもよるだろうけど、延長線上だよね
シェーンベルクの無調期の作品見てて、なんとなくそう思った
この人、複調に、さらに和声や和声進行の拡大施して、無調作品作ってるように見える
個人的な感想だけど バッハって、和音のことどこまで考えてたのかいつも不思議に思う
フーガの技法の数曲しかちゃんと見てないけど、
終止とか半終止あたりは気にかけてただろうけど、
けそれ以外の和声(和音?)や和声進行に関しては、
それほど関心なかったように見える
響きに問題なきゃそれでいいや、みたいな感じに見える
あくまで個人的な感想だけど 機能和声の拡張云々がいえるのは、
ドデカフォニー以前の無調じゃん。
逆にヴェーベルンとその信奉者は
調性的なものを徹底的に破壊してる。 ゴルトベルクは和声進行の変奏曲やね。
あおコードパクると、誰でもいい曲つくれるよw >>159
例えば機能(T, S, D)っていう考えは、当時は存在しなかった。キルンベルガーの著書を見ると、当時の考え方がよくわかる。現代の和音の捉え方とはやや違っているのは確か。
バッハにおける和音の扱い方は曲のスタイルによって全然違ってる。
対位法が全面に出た楽曲では、対位法的な目的のために非機能的な連結が大いにつかわれる。>>159が言うような感じの部分も多い。
一方で通奏低音の入る合奏曲ではかなりかっちりした進行が多いし、鍵盤の独奏曲には和音連結だけで出来てるようなものもよくある。
バッハは非和声音を最も多用する部類の作家で、偶成和音がしばしば非常に高度になることに注意。
バッハの魅力の一つが転調の豊かさで、しかもそれは専らカデンツによって実現されるので、バッハは非常に和声的な作家でもある。属七の権化みたいなもん。
ゴルトベルクはベースラインが定旋律なんであって、コード進行の変奏曲ではない。 >>162
カークパトリック校訂版だと、解説に figured bass (とその実現)が載ってる
実際に楽譜を見てみればわかるように、ベースラインに従わないというか
そもそもベースラインが見えない箇所も相当あって
正確に言えばベースラインとコード進行の変奏曲と考えた方がいい ついでにいうと、古典派を核とする今日の機能和声体系と理解が違うだけで
機能和声自体の発想はラモーの理論書 Traite de l'harmonie (1722)にすでにでてる ラモーにあるのは根音の進行の概念であって、リーマン的な機能、つまり、ある主音上のカデンツの特定の位置に起きうる和音の類、の概念ではない。前者は五度圏上の、後者は旋法上の構築物だ。
ラモーは C maj. における CM-G7 の CM をサブドミナントと呼んでいる。 リーマン的な機能なんつったら、リーマンがそもそも19世紀末の人なんだから、
ヘンデルにもハイドンにもモーツァルトの時代にも「リーマン的機能」なんてないじゃん うん。
ベートーヴェンまでは「ソナタ形式」はなかったのと同じ。
後にそう呼ばれたものは使われていたし、それを説明しようとする試みもあっただろうが、そのような理解の仕方はされていなかった。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ Beth Denisch の Contemporary Counterpoint って読んだ人居る?
良ければ感想聞きたいんだが 「まだ読んでません」
(自筆エッセイの内容について聞かれた時の松本伊代の返答) すみません、質問させてください。
ベートーヴェンのロンド ハ長調 op.51 no.1 (全音ソナチネアルバム1)で
ハ短調に転調してすぐ、
53小節め 3拍めから構成音が
C、♭D、E、F、G、♭A、♭B となっていますが、これは
ハーモニックマイナーパーフェクト5thビロウ ですか?
同じように
63小節めジプシー・スケール C、♭D、E、F、G、♭A、B
64小節めハンガリー・スケール C、D、♭E、F#、G、A、B
と言えるのでしょうか?
ベートーヴェンが意図的に民族調のスケールを使おうとしたのか、ということ
に興味があります ついでにベートーヴェン熱情ソナタの8分の12拍子もフラメンコのコンパスや何かと
関連があるようなことをご存知でしたらぜひ教えてください。 >>176-177
53小節後半, 63小節は f harmonic minor(Bナチュラル は C に対するアプローチノート).
64小節は g harmonic minor(C# は D に対するアプローチノート; Bナチュラル なんかどこにもないよ?).
非調性音楽(すなわち、長調・短調以外)の音組織は全く使われていない(もちろん、半音階は除く)。
フラメンコも熱情ソナタ第1楽章も、マタイ受難曲の序曲と同じく12拍子というだけ。それ以上の関係はない。 176>>179
さっそくのご回答感謝します
狙っていた方向ではないようでちょっと残念ですが、
モヤモヤが早く解消されてスッキリしました、有難うございました! 追記
64小節 Bナチュラルは ハンガリースケールと仮定したらあるとみなせるか、つまり
スケール上の音でも実際にすべて使ってあるとは限らないなら、という前提で勝手にくっつけて考えた
ものです。楽譜上にはありません。<(_ _)> マルチ
270 名前:ギコ踏んじゃった Mail:sage 投稿日:2018/02/19(月) 00:03:35.74 ID:+wvyOhLn
ベートーヴェンのロンド ハ長調 op.51 no.1
転調し(ハ短調になって3小節め)たところ
53小節め 3拍めから構成音が
C、♭D、E、F、G、♭A、♭B となっていますが、これは
ハーモニックマイナーパーフェクト5thビロウ ですか?
ミソシ♭レ♭だとEdimのようですが
それと
63小節めがジプシー・スケール C、♭D、E、F、G、♭A、B
64小節めがハンガリー・スケール C、D、♭E、F#、G、A、B
でしょうか? >>170
バカが来ないように理論をスレタイからなくしてよかったな
効果あった 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
DGSPB どなたかモーツァルトソナタk.545ハ長調で冒頭の2小節めの右手の旋律、ドーミソ、シードレドーの
ドレドーについて和声的な説明をしていただけませんか?
先行音+刺繍音→ドに解決でプラルトリラーのように装飾的な音
と考えていたのですがそうではなく経過音+Vの和声音レで順次進行ですか?
この曲中に付点4分音符+この音型のパターンは何度も出てきますが同じ考え方で
和声というのは縦で真っ直ぐ割り切って左の和音とペアでしか考えないものでしょうか?
左はアルベルティバスでVとIになっています
素人の質問で分かりにくいとは思いますが、よろしくお願いします >>188回答ありがとうございます
演奏がどう変わるか、Allegroなので軽快に弾くと
ホーーー・ホケキョッとうぐいすが鳴くように元気いっぱいにするところでしたが
微妙に丁寧なシーードレドーにしようと思います バッハの対位法に比べるとモーツァルトの対位法はどうもゴリ押し感がする
頑張ってんなぁって感じ >>190
そう?むしろ自然すぎて対位法感がないように思うけど。対位法特有の抵抗がないというか。
ベートーベンは無理してるなあって箇所がたくさんある。エロイカ4楽章とか。
変な同音連打を使い始めたり。あっさりヘンデルみたいにそういう声部は対位書法から外せばいいのに、どうにもぎりぎり旋律的にしたかったんだなあと変な感慨を覚える。第九4楽章みたいにバッチリはまるともう最高なんだが。
ハイドンは無理してなくて、しかも魅力的。 すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
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J5G モーツァルトの対位法は同じ楽器で演奏すると旋律がつながり変な事に 曲名は忘れたけど、わざとつながるように演奏してただけ
独立性が無いと、とんでも無い事になると言う実験 通奏低音での即興だと対位法が楽ですね
即興でのハーモニーは苦手 超高等教育受けた現音作曲家連中は日本の下等教育法でダメになったみたいね? 何が高等で何をもって下等とするか分からんがどっちもどっちじゃん? 移動ドはガラパゴスな下等教育
今は固定ドの高等教育 移動ドは「調性音楽」の枠組みからしっかり教育できれば
機能を知ることにつながるし移調読みの際にも役立つんやで >>206
そう言う考えがガラパゴスな移動ド教育を生み出したと思われる 今は、小中学生でも移調楽器であっても実音で言うのが常識になったけど
階名で学んだ世代は、実音で即座に浮かばない輩も多い 移動ドにしないとフレーズ中にあるルート音とか各音のインターバルとかがイメージ出来なくなってしまう人っているのかな。 >>211
移動ドに依存してるやつって理論に弱いイメージ 長調と短調しか音楽と認めない(もちろん、それらを使った複調も音楽と認めない)人間なら、移動ドをよしとするだろう。 >>214
そう言う人間が日本のガラパゴス音楽教育を良しとしてきた >>206
使う意味ないよ。移動ドなんて。
機能や理論は和声やればいいだけ。 むしろ絶対音感を重視した教育がガラパゴスなんだが。
長調・短調が成立する前からドレミは存在した。 全部ト長調とかならまだしも、そもそも調判定という「高度な」作業をする前にも音符を読まなければならないわけだが・・・ アナリーゼも演奏もろくな曲やったことないんだろうな
移動ド君 とはいうものの、借用和音があっても主調からみた第何音みたいな数え方やディグリーは当然本質的なので、和声をやると勝手に出てくる 即興演奏(Classical&Jazz)では、どちらも重宝する
> Solamization, PerfectPitch(do di re ri(me)
簡略化や置き換えもOK > Minorでdo re mi(me) fa...
ただ、混じることがあるので注意 > Key = B, Dbなど ハ長調のメロディーと嬰ヘ長調のメロディーが擬似対位法によってひとつの声部に収まっている箇所を歌うとき、移動ド派はどうするんだろう ドレミの歌だけは移調してもドレミで歌う
名前の無い音楽会では移動ドでも歌ったけど
これもまた良かった そもそも固定ドって旋法時代の名残でしょ
イオニア音階に当てはまらない旋律は歌いようがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています