グスタフ・マーラーPart22
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小学生の甥にマタイを聴かせたら
なんだオペラかと言われちゃったよ 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
XBLGV 3番の良さがまだ分からない
ここが聴きどころというポイントを教えてください それじゃステーキのソースだけ舐めるみたいなもんだw 五楽章だけ繰り返し聴いて慣れてから
前半を聞き始めればよろし 5楽章なんてかかったっけ。
てか6楽章がソースなら1楽章は肉だ。 皆さまありがとう
歌唱部分はもともと好きなのです
そこに至る部分がたいk(略
パーヴォとN響の7番の録画今見てますがなかなか良いですね マーラーはどの国のオケ楽団員もいやがる
長すぎてつまらない作品ばかりだからな ウィーンフィルみたいなヌルいオケにはマーラーは荷が重すぎる ウィーンフィルはマーラー大帝にしごきまくられた歴史があるからな
当時なんかはユダヤの若造がデカイつらしやがって、って反感もあったんだろう マーラーを好むオケはイスラエルフィルとアメリカのオケだけ オケが好んでやってるか嫌々やってるかなんで、どうして分かるんだ? ワルター、クレンペラー、ショルティ、バーンステイン、バレンボイム
マーラーを好んで取り上げたのがユダヤ人指揮者 >>336
今第一線で活躍してる指揮者全然知らなそう マーラーはずっとバーンスタイン一筋だったが
ハーディングを聴いて考えを改めた。 マーラーをアメリカに浸透させた指揮者がストコであった ↑
ストコが千人の交響曲をアメリカ初演したのを知らぬバカ野郎 ユダヤといってもクレソだけが異質で情緒纏綿系ではない
グノーシス主義→スピノザ→マルクス→レヴィストロースへと続く
ユダヤのもう一つの流れに位置づけられるのだそうだ。 アメリカはユダヤ人が多いからマーラーが好まれる
それに対してブルックナーは敬遠される >>343
コード進行がダサいからでしょ
聞かれないのは サロネン+LAの第4はどうかね?
まったく話題にならんが 4番は超絶不人気だからな
特に水槽厨の支持が望めないのが痛い 超絶不人気は言い過ぎだろ。日本のオケもしばしば取り上げてるし、来日オケもたまにやる。
曲の出来が悪いとか魅力に乏しいというわけでおない。
水槽向けでないとはいえ、一番の決め手になるのは第3楽章クライマックスのトランペットだろうし。 マーラー臭さが苦手な俺にとっては
10番アダージョと4番が一番好きな作品だ そも、マーラーの音楽で一番重要なのは弦楽器なのでござるが マーラーの交響曲で新しい録音が出るとまずスコアを見ながら聴くんだがこれが最高に楽しいのよな
必ず新しい発見がある
下手な小説なんかより遥かに面白い 細部がクッキリな演奏はそういう面白さあるよね
ブーレーズとかジンマンとかシャイーとか CDなんてたくさん買って
テキトーに聴いてれば
それぞれにいいとこが見つかるさ。
買えそうな値段のものなら買っとけ、
聴かずに悶々するよかいい。 >>296
>日本の商業主義でCDや演奏会の案内で「交響曲」と表記してることはよくあるが、集客や販売のためなのだ。
これ、どこから思いついた与太話かと思ったら、前島良雄が書いてるんだね
分厚い本も出してるマーラーの研究家がそう書いてたら、>>296が信じちゃうのも無理はないな
しかし前島さんもどこでどう勘違いしたんだか 亀レスだわ
そこに続くレスに言及しないわ
ダメなレスの見本か >>366
勘違いの元凶が前島だってこと、どこかに書いてある? ごめん、何がダメなのか意味がわからない
亀レスがダメなのは、話題が古くなりすぎている場合だけれど、この場合はあてはまらないし
続くレスに言及していなければダメなのは、一度終わった話題をもう一度蒸し返しているとき。
でも、「大地の歌は交響曲だというのは日本の商業主義」と思い込むようになったのがなぜかという話題は
一度も出ていないからそれもあてはまらない
えーと、後学のためになぜダメなのか教えていただけますか? >>369
そんなことはどうでもいいわ。
「大地の歌は歌曲集」に反論してみて。 >>371
それは興味ない
あなたがそう思うならそれでいいんじゃない? 別に俺も興味ないんだけど、わざわざ蒸し返すんだから何か思うところがあるのかと思って。 >>373
蒸し返したのは「日本の商業主義でCDや演奏会の案内で「交響曲」と表記してることはよくあるが、集客や販売のためなのだ。」
という部分についてだよ
「交響曲か歌曲集か」ということは、そもそも交響曲である条件、歌曲集である条件をはっきりさせてからでないとまったく意味がない
そうは思わない? じゃあその定義からやってみて。
読むの面倒だから手短にね。 >>375
交響曲や歌曲を定義することはできない
だから大地の歌が交響曲か歌曲かという議論には意味がないし興味がない
長すぎるかな? >本来つけるべき9というタイトルをつけなかったのは第9のジンクスを避けたということよりも歌曲集的なスタイルの作品であることが大きかった
>…これは半分正解だとおもう。半分は…そもそも大地の歌は交響曲じゃないというところ。本来つけるべきでもなんでもない。歌曲なんだもん。
twitterにこういうこと書いてる人がいた
書くのは自由だけど、よく自信たっぷりにこんなこと書けるなとは思う んなこと言ったら8番も交響曲というよりカンタータだしな そもそもマーラーの歌曲を聴いてれば大地の歌がいろんな意味で異質なのも普通に分かると思う。
だから「交響曲っぽい」とか「歌曲集っぽい」とかいう話なら、そのどちらでも無いと言った方がずっと適切。 大地の歌が交響曲か歌曲かなんて問題、答えが出るわけないし、意味もない
ところがなぜか、ときどき「これは交響曲じゃなくて歌曲だ」とか自信満々で言っちゃう人がいる
交響曲か歌曲かには興味がないけど「交響曲じゃなくて歌曲だ」とか言いたがる気持ちが
どこから来るのかにはちょっと興味がある
「世間はこう思ってるけど本当はこうなんだ!」みたいなことを言いたいだけ?
今は承認欲求っていうのか、あれかな? >>380
お前ら仲良いなぁって言ったら、声揃えて
「「仲良くなんかないっ!!」」
って言われそうなツンデレカップル展開を楽しんでるんだから
ちゃちゃ入れるなや 1番も5番も何度も聴いたからもう飽きた。もうええわ!
10番は聴く気は全くなし!
上記以外ならまた聴いてみようって気になる >>376
定義不可能なら、本人がどう呼んだかで判断、でいいわな
マーラーは結局何て言ってるの? >>384
「作曲者がこう呼んでいたからこうだ」と言えるほど確定的なことは言ってないよね
そういう意味でも交響曲か歌曲集か論争には意味がない >>387
そのようだな
でも決め手に欠くからといって、議論が完全に無意味とは思わんわ
論争は論争としてあっていいんじゃないの >>390
もしも議論を意味あるものとするなら、ちゃんとピントを合わせたほうがいい
>>310 のどのレベルの話をしてるかということを明確にしてから話をしないと、
一方は「形式が交響曲っぽいから交響曲だ」と言ってるのに、
もう一方は「作曲者が交響曲と言ってないから交響曲じゃない」みたいな、
いつまでもかみ合わない話をしつづけることになる
それならやっぱり意味がない 指揮者はどう考えてるんだろ。
交響曲と捉えた演奏と、歌曲集と捉えた演奏と、それぞれ代表的な演奏ってある? >>392
どちらとも取れる複雑な作品
ととらえてる指揮者が多いんじゃないかな >>392
交響曲と捉えた演奏と歌曲集と捉えた演奏で何が変わるかなんて、それ自体指揮者本人の考え方次第なような。 演奏に全然影響しないとはいえないけど、そうはっきり変わるものでもないだろうね
演奏を聴いて、この指揮者は交響曲と考えてるか歌曲と考えてるか当てられるかというとたぶん無理 交響曲の大パフォーマンスをしてみせた千人の交響曲はうわべだけの駄作 8番は、交響曲というより、オラトリオとか、カンタータといったほうがいい >>396
マーラーの交響曲の中で飛び抜けて製作費がかかるわりには
人気があるとはとてもいえない、制作者泣かせな曲 マーラーははったり屋だったのだ
オケ、合唱ばかり増やしたって中身は安っぽい曲ばかり
心に訴える作品が一つもない 定期的にアンチが湧くが、全部同一人物なので相手にしないように >>403
死んだ友人の作品の続編作る優しい人だぞ マーラーの交響曲には心に訴えかけるものがない
1時間20分も内容のないものを聞かされる身にもなってくれ
ただ長いだけの駄作交響曲ばかり
モーツァルトの25分足らずの交響曲のほうがよっぽど心に残る名曲だ 加齢の人には耐えられないんだろうなあ
まあ云十年も社畜やって精神の髄までもが仕事で構成されてるような人には、
人生の喜びも悲しみも謳歌しきったマーラーは訴えなくて当然 マーラーのようなつまらない交響曲聞いてる間に一仕事できるよ
スピーカーの前に座っていなくても済むんだからな パソコンの前に座ってくだらん書き込みしてる奴に言われたくないわw 別に無理して聴かなくてもいいんだよ
おまえさんがマーラー聴かなくても誰も困らない スラットキン/セントルイス響の「巨人」良かったぞ
米Telarc >>408
その通り、あなたの言うことは核心を突いてる
マーラーをヨイショしてクラ通を通してるナルシストたちにとっては悔しさ満面だろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています