>>478
じゃあ…
第九に限らず
例えば朝比奈隆。1楽章の弦の8分音符のキザミ一つ一つが語りながら迫ってくるような表現は身震いがするほどだった。
言われ尽くしているだろうけど、フルヴェン/バイロイトの終結部。
録音も含めて「流石にこの時代では」という意見も多くなったけど、やはりああいう狂気じみた表現を取る。
普通じゃない音楽には、やはり普通じゃない終わり方だけでも至高にして唯一無二。
イッセルシュテットのような、オーソドックスにして芳醇な味わい。
鈍臭いけど、カール・ベーム。無骨な音楽にはやはり無骨で不器用なぐらいが嘘がなく感じられる。

ああそうか、カラヤンの音楽を語る時には、上にあげたような良さが「ない」という表現になってしまうから、なるほど、ケチをつけてしまう事になるわけね。
何かと「ない」で語られる事が多い指揮者だ。
それがヒトの好みにケチをつける、なるほど、つけられた方は良い気分はしないわな。
そこはすまないけど、やはりクラシックファンの端くれとして言わずにおけなかった。