モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
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1976年、89年どちら聴いたのかな。
両方いいんだけど今年は76年の方に惹かれる。
今はこういうの聴けないけど3楽章の祈りは
格別 「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」
「小林秀雄のモオツァルト」の中でも、私が特に惹かれる箇所であるが、「若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」の文章に接した時、私の考えを一言で言い当てられた驚きを今でも鮮明に憶えている。もう40年も前のことである。
「音を語るのは音以外に無い」、このボードレールの述懐はモーツァルトに於いてその頂点に達する。言葉はついて行けぬ。観念なり感情なりは言葉と親しいからである。
モーツァルトが何故この様な音楽を書けたかと言えば、彼の鋭敏な耳が其れを求めた、そう言う他はない。同じ道を行く限り、「精神で音を聴いている」ベートーヴェンは敵わぬ、彼はそう覚っている。
主題と特定の観念なり感情なりとの融合、ベートーヴェン ピアノソナタ悲愴2楽章/月光1楽章を弾けば、これはもうモーツァルトとは異質な音楽であると誰でも感じるはずだ。
どんなに激しい曲であろうと、ベートーヴェンの音楽は人の心に寄り添う優しさがある。
そして遂には、彼の音楽は後期弦楽四重奏曲に行き着く。鋭敏な耳が行き着いた音楽が「魔笛」「クラリネット協奏曲2楽章」であった様に、精神で音を聴いている耳が行き着いた、其れは音楽だと言ってよい。 自宅のグランドピアノで自分で弾ける数少ない曲のひとつが「ベートーヴェン/ムーンライトソナタ1楽章」。理想の演奏はホロヴィッツ。耳コピが出来ている程聴いているので、楽譜がろくに読めない私でも音符は追える。
昨夜も1時間、今も1時間程ホロヴィッツの演奏(SACD)を聴き続けている。
主旋律の殆どが小指のみで奏でられていたことは自分で弾いてみて初めて知ったのだが、其処にはベートーヴェンの意図があるはずで、聴き専の時は気付かなかった発見でもある。
ベートーヴェンがこの曲を作曲したのは耳の不調に悩まされ、自殺も考えていた頃に当たる。その後有名な遺書を書くのだか、人間は遺書を書く時は苦しみの峠を越している場合が多い。遺書を書く事で自分の運命を客観視出来ているからである。
そして、交響曲の革命とも私は確信している「エロイカ」の完成を迎える。この曲の交響曲史上に於ける意味は、まさに革命的である。
既に、「ピアノソナタ悲愴」に於いて、「音を語るのは音以外に無い」というボードレールの慧眼は根底から覆されるのであるが、「エロイカ」の完成は、交響曲のジャンルに於ける同等の大事件だった、私はそう思う。
職人作曲家の終焉をそれは意味する。 モーツァルトはカナリア飼ってたんだよな。
オレの家でも昔飼ってたけど、2羽で鳴き合う時に
モーツァルトの40番ト短調のメロディのような鳴き方するんだよな。 >>158
東京DENON
ちょっとラッパうるさい
微妙にドボルザーク臭
ベートーヴェンもいいね >>160
僕もその通りだと思う
英雄は、それ以前の音楽とは全く異質
心の問題を強く打ち出している
命とは「心がある」ということだから
だからと言って、モーツァルトが心の問題を扱っていないとまでは言えないと思います
その辺のところは、よく分かっていません 俯瞰視線も大切だよね
でも四〜五歳頃に作曲能力があったという時点で
聴く価値ありだと思うんだよね
努力を積み重ねるのも才能だけど バッハやモーツァルトは、生命にとって始原的な音なのかもしれない
鳥や魚でも、モーツァルトを聞いたら喜ぶんじゃないかな
でも、ベートーベンの音は、あくまで人間的、人間の持つ強い精神力や意志力
そういったものを表現しているのかもしれない 不協和音みたいな不快をあえて楽しめるのは人間だけということかな 淡々とした客観演奏と思われる
朝比奈さんの第9を探してみる 不協和音を不快と感じるなら音楽なんてほぼ不快感の連続だろうがw 不況和音を積極的に取入れ出したのは現代音楽の時代で、
人間の不安や苦しみみたいなものを表現してるね。
実存主義哲学や精神分析などの20世紀的な学問の影響もあるのかな。
映画などに使われてると効果的だけど、あまり鑑賞したいと思わない。 例えば和声進行中普通に現れる属七は普通に不協和音だが… 近所の歯医者では、いつもモーツアルトの室内楽が流れている。 フリッチャイの第九を聴いております
第九の季節も終わっちゃうな 長調は明るく、短調は悲しいっていうのは
刷り込みなのかな、本能なのかな >>178
なんか、さびしいね。
そして、また一年始まるのか。
ワイはブロムシュテットの新しい方で第9を聴いている アマゾンプライムミュージックに、バックハウスのベートーヴェンピアノソナタ全集があったから聴き始めた 第九祭り終了 ハ(^▽^*) パチパチ♪
なかなかよかった
ちょっと見直したよ ベートーヴェン交響曲5番2楽章(カルロス・クライバー&V.P.O盤)、ボリュームをやや絞りrepeatをかけて聞いるのだが………
モーツァルトもベートーヴェンも「緩徐楽章」がいいですねえ。
「ベートーヴェンの音楽の本質は緩徐楽章にある」とは若い頃から感じていたが、いやいやどうしてモーツァルトの緩徐楽章もなんともかんとも良いですねえ。
こうして二人の緩徐楽章を聴き較べてみると、言葉には出来ない発見があり、二人の偉さってえものが迫ってくるんですね。
二人の音楽は有名だけど有名になってもいいですねえ。 >>184
気にいったら、是非CDも買ってみてくれ
1枚1000円(デッカの回し者より) モツもベトもいいじゃない、どっちも良いよって気持ちが第九で崩れる。
こんな奴らとは絶対相容れないっつう気持ちになるねw
なーんの感動も感じない。
https://www.youtube.com/watch?v=yUb1M49iVyA さて、仕事もおわり、
明日は第9だ。彼女と食事して
聴いてこよっ >>191
このレスは私ですが、昨夜はサントリーホール「1−3−23」で秋山さん(+都響)の第九シンフォニーを堪能出来ました。
第二ヴァイオリン群/ヴィオラ群の「あの当たりの音」だけはAutographでも出ません。
が、低弦の床を這う軽く深い音などAutographの音そのもの。
トゥッティに至ってはソフトによってはAutographのほうが優っておりました。
しかし、4楽章以降は「最後に蛍の光を会場の人々と合唱したりして、音楽会を楽しめました(これは音を聴きにゆく私には珍しい事です)ね。
次回はモーツァルトのレクイエム。
こちらは最前列ど真ん中。 今年も第九を無事に歌い終えて満足
やっぱり聞くよりステージに昇ったほうが気持ちいいですよ
大して難しくないし皆さん第九は歌いましょう >>204
四季と組み合わせて魅力的プロなんですが、
四季も良かったですか? >>205
合唱団の最後のひとりがステージから去るまで拍手が続き良い音楽会だったと思いました。
前座?の四季(春と冬)で独奏を担当した服部百音さん、まだまだ「ヴァイオリンが上手なお嬢さん」の域を出ておりませんが(冬は才能の片鱗は覗けましたが)、今後に期待ですかね?
帰宅時南北線で同じ車両に乗られてました。いつも思うのですが、こういう姿はあまり見たくないものです。 >>207
四季の春は、まだ緊張されていたのか、間違わないように間違わないようにと弾いている感じでしたが、冬は弱音から即座に強音に変わる刹那のG線の音に才能を感じました。
水色のドレス姿が素敵だったせいか、帰宅時の姿を見てしまい現実に引き戻された思いでした。 どっちかってえと宗教だね、相容れない理由が分かってきたw いやー第九今年も聴き納めましたわ。
何度も聴いてる曲ですが、涙涙の感動でした。
これからは、ベートーヴェンの弦楽四重、
ピアノソナタ、バッハ
そしてモーツァルトを聴きながら新年を迎えますわ。よいお年を! ベトはモツやロッシーニみたいに面白い曲はかけなかったな モツはプライベート感があって独りでしんみり聴き入るタイプが多いな。
ベトは全体主義感が強いね、同じ旋律を繰り返して皆と共有みたいな。
まあどっちが良いとかじゃないんだろうけど、オレは孤独を楽しむタイプだからモツだな。
ガキの頃騙されて新興宗教の集会に連れて行かれた時の異様さをベトの合唱に感じる。 214
鋭い指摘ですネ
でもモツはプライベート感というのは雇い主の私的空間演出のためのいわばBGMでありブルジョアの云々...(以下ry >>214
そうかな?
信仰とか全体主義的な感じは受けないけど
宗教と音楽を結び付けて考えるのは疑問
宗教音楽と銘打ってるのは仕方ないけど 喜びの歌ってモロ宗教だよね。
歓びよ、美しい神々の火花よ、
エリジオン(楽園)の娘よ、
われらは熱き感動に酔いしれて
天上の、御身の聖殿に踏み入ろう!
だもんね。 当時の人々(今も?)は宗教観が背景にあるんだよ
シラーの原詩はフリーメイソンの儀式のために書かれている
当然、(第九の歌詞にとどまらず)宗教が表現に反映する
新興宗教を毛嫌いするがごとく「宗教ガー」と話を持っていくのはいかがなものかな
カラヤンがバッハの宗教作品を録音するのも異例なことだったというのに
呑気なこと言ってんじゃねーよ >>221
検索とコピペも知らないなら5ちゃんなんかに入り浸ってないで100年間だまってROMりましょうね爺さん >>222
くやしかったようだね。
コピペだろうて、わさわざには違いない
暇なじいさんwww そうこのグダグダ感がベトに通じてるんだよな。
次に「ばーーんっ」と来そうな脳みそ感。
いちいち絡む話題じゃないだろ。
宗教臭さが嫌いだと言ってるだけ。 客観的にみて
≫224 さん自身がいちばんグタグタ感を醸し出していますよね。 12/28のサントリーホールでのベートーヴェン交響曲9番に続き……
大晦日は「クレンペラーのフィガロ」と決めていましたが、いよいよクレンペラーのフィガロ開演です。
序曲はこのテンポが良いんです。細部まで各楽器の音が明瞭に聴き取れウットリします。
録音もすこぶる良好。エーリッヒ・クライバー盤も所有しておりますが、私は断然クレンペラー盤を採ります。 明日元旦は「魔笛」で決まり。
モーツァルトは「魔笛」「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」「レクイエム(ラクリモーサまでしか聴かない)」に尽きますね。
私にはあと数曲大切にしている曲がありますが、モーツァルトの音楽の本質はオペラにある。それが私の結論です。 同じ宗教に絡んだ曲で合唱ならアヴェヴェルムコルプスや大ミサ曲のほうが神秘的で心が救われる感があっていい
歓喜の歌はベートーヴェン特有の盛大さで何回も聴いてると疲れてくる
この時期は至るところでBGMとして流れてるけどかなり聴き飽きた クレンペラーのフィガロ、「風によせて」に来てリピートを押す。
フィガロでは「コンテッサ・ペルドーノ」についで好きなんです。
いつまでもいつまでも聴いていたい音楽、出て来る言葉はひとつ、「あーモーツァルト!」 >>231
大ミサ いいねぇ。
確か、カラヤンのがあったはず。
家族は、バラエティや紅白観るから
ワイは一人、大ミサを聴いて年越しそば食べて
東急ジルベスタでも観るか。
ところで今年のマエストロは誰なんだろ >>233
昨夜は、このあと
CD3は「落としてしまった………どうしよう」
で始まる。ここで再びリピートとなる。上記の2曲と並びフィガロでは私の大切な曲。
「K.320アンダンティーノ」「K.488 2楽章」「魔笛 パミーナのアリア」に共通する「美に昇華した哀しみ」、モーツァルトのかけがえのない魅力のひとつです。
今日元旦は3月並の温かさ、あれこれ用事を済ませ、いよいよ「魔笛」と相成りました。
スィトナー&ドレスデン響盤とショルティ&ウィーンフィルハーモニー盤とひと悩み、ウィーンフィルハーモニー盤に決める。
ショルティ盤がスィトナー盤に優る点は何と言っても「ドイテコムの🌃の女王の二つのアリア」。これ以上の「🌃の女王のアリア」は:望めないほど素晴らしい。
ここでも出る言葉はただ一つ。
「あーモーツァルト!」 >あーあーあー
って滴らしたヨダレちゃんと拭いて始末しておけよ 「一体お前はなんなんだ?}
ムムムム・・・ハハ八ハハハハ・・・・・・・・バーーーーーーーン!!!!!
あ!プレデターか・・・ >>235
用事も午前中で片付き、モーツァルトタイムである。
今日は『クラリネット協奏曲(K.622)』、これしかあるまい。私のベスト盤は……
「デイヴィッド・シフリン盤(DE-3020)」
これをおいて他に無い。
次点は……
「アルフレート・プリンツ&ミュンヒンガー/ウィーンフィルハーモニー盤(FOOL-23107)
カップリングされている「フルートとハープの為の協奏曲(トリップ&イェリネク)」はこれが私のベスト盤。
この2枚があれば、私は他は要らない。
陽射しがたっぷり注ぎ揺れる公園の木々を眺めながらこの曲(特に2楽章)を聴いていると、まさに天国の調べそのもの。
19歳の時に「私の人生の終着点にしよう」と夕映えを見ながら思った音楽。余りに大切な曲なので1年に数回しか聴かない。
K.622とカップリングされている曲は「K.581」。K581は3楽章「弦のみにて奏される第一トリオ」を私は殊更愛する。
モーツァルトが書いた旋律の中でもベスト5に入る美しさなのだ。
天国の調べの後は……夕刻より「ドンジョバンニ(カラヤン&レイミー/ベルリンフィルハーモニー盤)」を聴く予定だ。
ドンジョバンニは「序曲」と「晩餐に招かれたので参った」の2曲は絶対に外せないが……
私は「今こそおわかりでしょう だれが」を愛する。
この曲は若かった頃、ヴァイオリン協奏曲にしたら素敵なのに、そう思っていたのだが、NHKスペシャル アインシュタインロマンのテーマ曲としてヴァイオリン協奏曲版として登場したではないか!
本日の最期は「そのサウンドトラック盤(APCE-5175)」で締めくくろう。
テーマ曲についで、私はトラック16「ソフィア」を好む。 >>244
お言葉に甘えて……
某スレッドで、「仕事始めに部下をいたぶるのが楽しみにで楽しみで仕方がない」とか宣っていた男がいたので…
俺がお前の部下だったら
まず両眼こすりあげ、両手で顔を押さえた刹那、金的を入れ、うずくまり倒れる途中に首の背後に肘を叩き込む。
お前さんの部下かもよ。
とレスしてやった。
良くも悪くも返礼は倍返し(もう古いが)が私の流儀。
パワハラは弱いモノいじめである。 「黒い、黒いゆうて、わしのどこが黒いんの」
「村岡の跡目問題知っててよ、わしに内緒で山守のケツかいたんじゃろ」
「村岡さんの跡目は村岡さんが決めたことで、わしゃ知らんわい
だいいち、もう口出すなってゆうたのは誰よ」
「いいわい、そのうち山守つぶしちゃるけん、そしたら真っ先におどれを的にかけちゃる」
「とるんなら、今ここで取りないや、能書きは要らんよ、取りたいんならいつでもコイヤ、待っちょるけん」 >>243
ベートーヴェンは前頭葉が活性化している時に聴く音楽。
モーツァルトはヨガやストレッチをしている際、及び静かな夕映えを前にし無我の心が訪れた時に聴く音楽。
その他の音楽は喜怒哀楽に支配されている際に聴いております。 >>248
2017.12.28〜2018.1.2までは、「ベートーヴェン交響曲9番→フィガロ→魔笛→ドンジョバンニ→クラリネット協奏曲」
と来ました。
明日(1/4)から仕事。今日はまず「クナッパーツブッシュ/ワグナー タンホイザー序曲(実演のオーケストラの音よりもAutographの再生音が、その圧倒的なスケール感で優っていたソフトのひとつ)
からゆきますか。 放置が浸透しつつかるようで何よりですが念のため
Sdea-
でNGName登録推奨 >>249
2018年正月🎍の締めくくりは……
「ベートーヴェン交響曲6番 田園(ベーム&ウィーンフィルハーモニー盤)」
ですね。
昨日(1/2)今日(1/3)と、東京は北風が強く寒いですが、元旦はまるで春🌸を思わせる穏やかさでした。
まさに田園日和だったかと。
オーディオルームから見える公園の木々は北風に揺れてますが、ウィーンフィルハーモニーが奏でるモニターGoldの音は春🌸そのものです。
年末の第9に始まり年始(明日から仕事)は田園で終わる。
ベートーヴェンってえのは、こう言う時にも似合いますねえ。大したもんです。 >>250
有り難いことです。
ここはクラシック板における私の日記帳みてえなもんですからねえ、助かりますよ。 >>213
今年最初に聴いたのは、モーツァルト フルートとハープのための協奏曲
2番目に聴いたのは、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 >>251
やはりシメは……
モーツァルト「ジュピター」ですね。
「カザルス&マルボロ響盤」が私のベスト盤だが、今夜は「アバド&ロンドン響盤」。
モニターGoldとロンドン響は同じ英国の音なのか頗る相性が良い。
明日からの鋭気がみなぎってくる。 俺はドヴォルザークの五重奏だな
単に車のプレーヤーに入れっぱなしなだけだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています