自宅のグランドピアノで自分で弾ける数少ない曲のひとつが「ベートーヴェン/ムーンライトソナタ1楽章」。理想の演奏はホロヴィッツ。耳コピが出来ている程聴いているので、楽譜がろくに読めない私でも音符は追える。
昨夜も1時間、今も1時間程ホロヴィッツの演奏(SACD)を聴き続けている。
主旋律の殆どが小指のみで奏でられていたことは自分で弾いてみて初めて知ったのだが、其処にはベートーヴェンの意図があるはずで、聴き専の時は気付かなかった発見でもある。

ベートーヴェンがこの曲を作曲したのは耳の不調に悩まされ、自殺も考えていた頃に当たる。その後有名な遺書を書くのだか、人間は遺書を書く時は苦しみの峠を越している場合が多い。遺書を書く事で自分の運命を客観視出来ているからである。
そして、交響曲の革命とも私は確信している「エロイカ」の完成を迎える。この曲の交響曲史上に於ける意味は、まさに革命的である。
既に、「ピアノソナタ悲愴」に於いて、「音を語るのは音以外に無い」というボードレールの慧眼は根底から覆されるのであるが、「エロイカ」の完成は、交響曲のジャンルに於ける同等の大事件だった、私はそう思う。
職人作曲家の終焉をそれは意味する。