モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured ベートーヴェン交響曲5番2楽章(カルロス・クライバー&V.P.O盤)、ボリュームをやや絞りrepeatをかけて聞いるのだが………
モーツァルトもベートーヴェンも「緩徐楽章」がいいですねえ。
「ベートーヴェンの音楽の本質は緩徐楽章にある」とは若い頃から感じていたが、いやいやどうしてモーツァルトの緩徐楽章もなんともかんとも良いですねえ。
こうして二人の緩徐楽章を聴き較べてみると、言葉には出来ない発見があり、二人の偉さってえものが迫ってくるんですね。
二人の音楽は有名だけど有名になってもいいですねえ。 >>184
気にいったら、是非CDも買ってみてくれ
1枚1000円(デッカの回し者より) モツもベトもいいじゃない、どっちも良いよって気持ちが第九で崩れる。
こんな奴らとは絶対相容れないっつう気持ちになるねw
なーんの感動も感じない。
https://www.youtube.com/watch?v=yUb1M49iVyA さて、仕事もおわり、
明日は第9だ。彼女と食事して
聴いてこよっ >>191
このレスは私ですが、昨夜はサントリーホール「1−3−23」で秋山さん(+都響)の第九シンフォニーを堪能出来ました。
第二ヴァイオリン群/ヴィオラ群の「あの当たりの音」だけはAutographでも出ません。
が、低弦の床を這う軽く深い音などAutographの音そのもの。
トゥッティに至ってはソフトによってはAutographのほうが優っておりました。
しかし、4楽章以降は「最後に蛍の光を会場の人々と合唱したりして、音楽会を楽しめました(これは音を聴きにゆく私には珍しい事です)ね。
次回はモーツァルトのレクイエム。
こちらは最前列ど真ん中。 今年も第九を無事に歌い終えて満足
やっぱり聞くよりステージに昇ったほうが気持ちいいですよ
大して難しくないし皆さん第九は歌いましょう >>204
四季と組み合わせて魅力的プロなんですが、
四季も良かったですか? >>205
合唱団の最後のひとりがステージから去るまで拍手が続き良い音楽会だったと思いました。
前座?の四季(春と冬)で独奏を担当した服部百音さん、まだまだ「ヴァイオリンが上手なお嬢さん」の域を出ておりませんが(冬は才能の片鱗は覗けましたが)、今後に期待ですかね?
帰宅時南北線で同じ車両に乗られてました。いつも思うのですが、こういう姿はあまり見たくないものです。 >>207
四季の春は、まだ緊張されていたのか、間違わないように間違わないようにと弾いている感じでしたが、冬は弱音から即座に強音に変わる刹那のG線の音に才能を感じました。
水色のドレス姿が素敵だったせいか、帰宅時の姿を見てしまい現実に引き戻された思いでした。 どっちかってえと宗教だね、相容れない理由が分かってきたw いやー第九今年も聴き納めましたわ。
何度も聴いてる曲ですが、涙涙の感動でした。
これからは、ベートーヴェンの弦楽四重、
ピアノソナタ、バッハ
そしてモーツァルトを聴きながら新年を迎えますわ。よいお年を! ベトはモツやロッシーニみたいに面白い曲はかけなかったな モツはプライベート感があって独りでしんみり聴き入るタイプが多いな。
ベトは全体主義感が強いね、同じ旋律を繰り返して皆と共有みたいな。
まあどっちが良いとかじゃないんだろうけど、オレは孤独を楽しむタイプだからモツだな。
ガキの頃騙されて新興宗教の集会に連れて行かれた時の異様さをベトの合唱に感じる。 214
鋭い指摘ですネ
でもモツはプライベート感というのは雇い主の私的空間演出のためのいわばBGMでありブルジョアの云々...(以下ry >>214
そうかな?
信仰とか全体主義的な感じは受けないけど
宗教と音楽を結び付けて考えるのは疑問
宗教音楽と銘打ってるのは仕方ないけど 喜びの歌ってモロ宗教だよね。
歓びよ、美しい神々の火花よ、
エリジオン(楽園)の娘よ、
われらは熱き感動に酔いしれて
天上の、御身の聖殿に踏み入ろう!
だもんね。 当時の人々(今も?)は宗教観が背景にあるんだよ
シラーの原詩はフリーメイソンの儀式のために書かれている
当然、(第九の歌詞にとどまらず)宗教が表現に反映する
新興宗教を毛嫌いするがごとく「宗教ガー」と話を持っていくのはいかがなものかな
カラヤンがバッハの宗教作品を録音するのも異例なことだったというのに
呑気なこと言ってんじゃねーよ >>221
検索とコピペも知らないなら5ちゃんなんかに入り浸ってないで100年間だまってROMりましょうね爺さん >>222
くやしかったようだね。
コピペだろうて、わさわざには違いない
暇なじいさんwww そうこのグダグダ感がベトに通じてるんだよな。
次に「ばーーんっ」と来そうな脳みそ感。
いちいち絡む話題じゃないだろ。
宗教臭さが嫌いだと言ってるだけ。 客観的にみて
≫224 さん自身がいちばんグタグタ感を醸し出していますよね。 12/28のサントリーホールでのベートーヴェン交響曲9番に続き……
大晦日は「クレンペラーのフィガロ」と決めていましたが、いよいよクレンペラーのフィガロ開演です。
序曲はこのテンポが良いんです。細部まで各楽器の音が明瞭に聴き取れウットリします。
録音もすこぶる良好。エーリッヒ・クライバー盤も所有しておりますが、私は断然クレンペラー盤を採ります。 明日元旦は「魔笛」で決まり。
モーツァルトは「魔笛」「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」「レクイエム(ラクリモーサまでしか聴かない)」に尽きますね。
私にはあと数曲大切にしている曲がありますが、モーツァルトの音楽の本質はオペラにある。それが私の結論です。 同じ宗教に絡んだ曲で合唱ならアヴェヴェルムコルプスや大ミサ曲のほうが神秘的で心が救われる感があっていい
歓喜の歌はベートーヴェン特有の盛大さで何回も聴いてると疲れてくる
この時期は至るところでBGMとして流れてるけどかなり聴き飽きた クレンペラーのフィガロ、「風によせて」に来てリピートを押す。
フィガロでは「コンテッサ・ペルドーノ」についで好きなんです。
いつまでもいつまでも聴いていたい音楽、出て来る言葉はひとつ、「あーモーツァルト!」 >>231
大ミサ いいねぇ。
確か、カラヤンのがあったはず。
家族は、バラエティや紅白観るから
ワイは一人、大ミサを聴いて年越しそば食べて
東急ジルベスタでも観るか。
ところで今年のマエストロは誰なんだろ >>233
昨夜は、このあと
CD3は「落としてしまった………どうしよう」
で始まる。ここで再びリピートとなる。上記の2曲と並びフィガロでは私の大切な曲。
「K.320アンダンティーノ」「K.488 2楽章」「魔笛 パミーナのアリア」に共通する「美に昇華した哀しみ」、モーツァルトのかけがえのない魅力のひとつです。
今日元旦は3月並の温かさ、あれこれ用事を済ませ、いよいよ「魔笛」と相成りました。
スィトナー&ドレスデン響盤とショルティ&ウィーンフィルハーモニー盤とひと悩み、ウィーンフィルハーモニー盤に決める。
ショルティ盤がスィトナー盤に優る点は何と言っても「ドイテコムの🌃の女王の二つのアリア」。これ以上の「🌃の女王のアリア」は:望めないほど素晴らしい。
ここでも出る言葉はただ一つ。
「あーモーツァルト!」 >あーあーあー
って滴らしたヨダレちゃんと拭いて始末しておけよ 「一体お前はなんなんだ?}
ムムムム・・・ハハ八ハハハハ・・・・・・・・バーーーーーーーン!!!!!
あ!プレデターか・・・ >>235
用事も午前中で片付き、モーツァルトタイムである。
今日は『クラリネット協奏曲(K.622)』、これしかあるまい。私のベスト盤は……
「デイヴィッド・シフリン盤(DE-3020)」
これをおいて他に無い。
次点は……
「アルフレート・プリンツ&ミュンヒンガー/ウィーンフィルハーモニー盤(FOOL-23107)
カップリングされている「フルートとハープの為の協奏曲(トリップ&イェリネク)」はこれが私のベスト盤。
この2枚があれば、私は他は要らない。
陽射しがたっぷり注ぎ揺れる公園の木々を眺めながらこの曲(特に2楽章)を聴いていると、まさに天国の調べそのもの。
19歳の時に「私の人生の終着点にしよう」と夕映えを見ながら思った音楽。余りに大切な曲なので1年に数回しか聴かない。
K.622とカップリングされている曲は「K.581」。K581は3楽章「弦のみにて奏される第一トリオ」を私は殊更愛する。
モーツァルトが書いた旋律の中でもベスト5に入る美しさなのだ。
天国の調べの後は……夕刻より「ドンジョバンニ(カラヤン&レイミー/ベルリンフィルハーモニー盤)」を聴く予定だ。
ドンジョバンニは「序曲」と「晩餐に招かれたので参った」の2曲は絶対に外せないが……
私は「今こそおわかりでしょう だれが」を愛する。
この曲は若かった頃、ヴァイオリン協奏曲にしたら素敵なのに、そう思っていたのだが、NHKスペシャル アインシュタインロマンのテーマ曲としてヴァイオリン協奏曲版として登場したではないか!
本日の最期は「そのサウンドトラック盤(APCE-5175)」で締めくくろう。
テーマ曲についで、私はトラック16「ソフィア」を好む。 >>244
お言葉に甘えて……
某スレッドで、「仕事始めに部下をいたぶるのが楽しみにで楽しみで仕方がない」とか宣っていた男がいたので…
俺がお前の部下だったら
まず両眼こすりあげ、両手で顔を押さえた刹那、金的を入れ、うずくまり倒れる途中に首の背後に肘を叩き込む。
お前さんの部下かもよ。
とレスしてやった。
良くも悪くも返礼は倍返し(もう古いが)が私の流儀。
パワハラは弱いモノいじめである。 「黒い、黒いゆうて、わしのどこが黒いんの」
「村岡の跡目問題知っててよ、わしに内緒で山守のケツかいたんじゃろ」
「村岡さんの跡目は村岡さんが決めたことで、わしゃ知らんわい
だいいち、もう口出すなってゆうたのは誰よ」
「いいわい、そのうち山守つぶしちゃるけん、そしたら真っ先におどれを的にかけちゃる」
「とるんなら、今ここで取りないや、能書きは要らんよ、取りたいんならいつでもコイヤ、待っちょるけん」 >>243
ベートーヴェンは前頭葉が活性化している時に聴く音楽。
モーツァルトはヨガやストレッチをしている際、及び静かな夕映えを前にし無我の心が訪れた時に聴く音楽。
その他の音楽は喜怒哀楽に支配されている際に聴いております。 >>248
2017.12.28〜2018.1.2までは、「ベートーヴェン交響曲9番→フィガロ→魔笛→ドンジョバンニ→クラリネット協奏曲」
と来ました。
明日(1/4)から仕事。今日はまず「クナッパーツブッシュ/ワグナー タンホイザー序曲(実演のオーケストラの音よりもAutographの再生音が、その圧倒的なスケール感で優っていたソフトのひとつ)
からゆきますか。 放置が浸透しつつかるようで何よりですが念のため
Sdea-
でNGName登録推奨 >>249
2018年正月🎍の締めくくりは……
「ベートーヴェン交響曲6番 田園(ベーム&ウィーンフィルハーモニー盤)」
ですね。
昨日(1/2)今日(1/3)と、東京は北風が強く寒いですが、元旦はまるで春🌸を思わせる穏やかさでした。
まさに田園日和だったかと。
オーディオルームから見える公園の木々は北風に揺れてますが、ウィーンフィルハーモニーが奏でるモニターGoldの音は春🌸そのものです。
年末の第9に始まり年始(明日から仕事)は田園で終わる。
ベートーヴェンってえのは、こう言う時にも似合いますねえ。大したもんです。 >>250
有り難いことです。
ここはクラシック板における私の日記帳みてえなもんですからねえ、助かりますよ。 >>213
今年最初に聴いたのは、モーツァルト フルートとハープのための協奏曲
2番目に聴いたのは、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 >>251
やはりシメは……
モーツァルト「ジュピター」ですね。
「カザルス&マルボロ響盤」が私のベスト盤だが、今夜は「アバド&ロンドン響盤」。
モニターGoldとロンドン響は同じ英国の音なのか頗る相性が良い。
明日からの鋭気がみなぎってくる。 俺はドヴォルザークの五重奏だな
単に車のプレーヤーに入れっぱなしなだけだが べームの40,41持ってるけど、最近聞いてない
ライナーノーツでは激賞してたけど、そんなに大したもんなのか? >>259
ベートーヴェンとシューベルトの師匠だからね なんとも穏やかな日曜日だこと。
今年最初の日曜日だということで、午後2時位までたっぷりトレーニングに汗を流し、用事を二つ済ませ、さてとと聴きたくなったのが……
「ポストホルンセレナーデ(K.320)」
モーツァルトのK.300番台(K.299もこの際含めましょう)というのはチャーミングな曲の宝庫ですねえ。
ピアノソナタの傑作はすべてK.300番台だし、中でもこのポストホルンセレナーデは絶対に外せない。
日頃4楽章以降しか聴かないが今日は1楽章から聴いている。悪くない、今日はそんな気分。
演奏は「SACD チェコ・フィルハーモニー室内管弦楽団(OVCL-00241)盤」
あと、マリナー盤があれば私は十分。
現行TANNOYのスピーカーは、まずこの曲のアンダンティーノをかけてみてその素性を見極めていた。
これにパスすれば次は「K.488 2楽章(内田光子&テイト盤)」となる。この2曲をパスした現行TANNOYスピーカーは「カンタベリ15」のみ。
残念な事である。しかし、カンタベリー#15も、K.320 7楽章プレストで破綻した。低域の明晰さに欠け、浮き浮き感が感じられないのだ。
モニターGoldはもう「浮き浮き感満載」である。 モーツァルトを天才という人がいるが、真の天才はベートーベン
モーツァルトが佐々木小次郎なら、ベートーベンは宮本武蔵 ガチガチのベト音楽教師もモツは天才、
ベトは努力の人って言ってたぜ。
モツは習ってたバイオリンが単純過ぎて
鍵盤に傾倒するほどの音楽好き。
ベトは親に言われて嫌々音楽をやってた人。 ステレオタイプなイメージだな。音楽を嫌々やっていた奴が、あそこまでピアノの可能性を発展させる曲を書けたか?って考えてみれば、ベートーヴェンは音楽が嫌いなわけではなく、父親のスパルタ教育が嫌だったと考えるのが自然だと思うが。 >>271
モーツァルトよりベートーヴェンのほうが天才だという根拠は? >>276
30歳の頃の作品を比べないとな。
ピアノに関してはこうもいえる。
モーツアルトの時代はピアノはかなりプリミティブな状態にあり
表現手段としては見切りをつけていた。
モーツアルトがあと20年生きればかなり高度なピアノ曲を作っただろう。 天才論議をしようという方々は手はじめに天才の定義から宜しく 宮城音弥 は著書で天才は不適応者で社会的適応性を犠牲にして創造作用を行なう人間で、
そのような破綻者ではなく通常の社会生活を送りながら業績を上げた者を「能才」として
区別し天才よりも能力的に下位に置いている。いずれにせよ世間一般での天才とは
有名人であり、人より秀でていれば天才という称号が与えられられているのも事実。
ゲームの天才、そろばんの天才、遊びの天才。 天才とは、
「比較的多くの人が、比較的長期間にわたって感動するものを
独創的に発見した人」・・・・・・・・・・糞つまんない定義だな!!
本当の定義は明日書くからな 三大交響曲って将来も不変なのかな
未完成ってそれほど…
そろそろジュピターにしたほうが… >>269
「語り」がそのまま「歌」になってゆく。「ため息」さえ歌になる。
あれは一種の天才ですよ。玉置浩二をおいて、誰一人としてあんな人を知りませんな。
モーツァルトが、ちょいとソプラノの声かなんか聞いて、忽ち夜の女王のアリアが出来上がって了うのと似たところがありますね。何とも言えない天才ですよ。私が惚れるのは。そこはベートーヴェンの偉さとは違いますわ。
その玉置浩二を他のスピーカーで聞きますでしょ?そりゃあ駄目ですわ。これは語り、これは歌ってなっちゃう。
そう言う事ですからねえ、ついこないだ出来たスピーカーとは訳が違いますよ。 >>283
ジュピターシンフォニーは
一般的にはそこまで人気ないと思う 知名度で言ったら、未完成よりも田園や第九の方が
天才については、
才能ある人とは誰にも当てられない的に当てる人
天才とは誰にも見えない的に当てる人
ショーペンハウアー
だそうだ
こう考えると、モーツァルトもベートーヴェンも天才だけど、
モーツァルトは一度聴いた曲を忘れない(サヴァン症候群?)とか早書きとか、生まれつきの能力的にも天才だから、モーツァルトの方が天才のイメージがあるんだろう あれは、99%努力しても1%の閃きがなければ、いくら努力しても無駄になる、という意味た ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています