モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1486010094/
どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 天才論議をしようという方々は手はじめに天才の定義から宜しく 宮城音弥 は著書で天才は不適応者で社会的適応性を犠牲にして創造作用を行なう人間で、
そのような破綻者ではなく通常の社会生活を送りながら業績を上げた者を「能才」として
区別し天才よりも能力的に下位に置いている。いずれにせよ世間一般での天才とは
有名人であり、人より秀でていれば天才という称号が与えられられているのも事実。
ゲームの天才、そろばんの天才、遊びの天才。 天才とは、
「比較的多くの人が、比較的長期間にわたって感動するものを
独創的に発見した人」・・・・・・・・・・糞つまんない定義だな!!
本当の定義は明日書くからな 三大交響曲って将来も不変なのかな
未完成ってそれほど…
そろそろジュピターにしたほうが… >>269
「語り」がそのまま「歌」になってゆく。「ため息」さえ歌になる。
あれは一種の天才ですよ。玉置浩二をおいて、誰一人としてあんな人を知りませんな。
モーツァルトが、ちょいとソプラノの声かなんか聞いて、忽ち夜の女王のアリアが出来上がって了うのと似たところがありますね。何とも言えない天才ですよ。私が惚れるのは。そこはベートーヴェンの偉さとは違いますわ。
その玉置浩二を他のスピーカーで聞きますでしょ?そりゃあ駄目ですわ。これは語り、これは歌ってなっちゃう。
そう言う事ですからねえ、ついこないだ出来たスピーカーとは訳が違いますよ。 >>283
ジュピターシンフォニーは
一般的にはそこまで人気ないと思う 知名度で言ったら、未完成よりも田園や第九の方が
天才については、
才能ある人とは誰にも当てられない的に当てる人
天才とは誰にも見えない的に当てる人
ショーペンハウアー
だそうだ
こう考えると、モーツァルトもベートーヴェンも天才だけど、
モーツァルトは一度聴いた曲を忘れない(サヴァン症候群?)とか早書きとか、生まれつきの能力的にも天才だから、モーツァルトの方が天才のイメージがあるんだろう あれは、99%努力しても1%の閃きがなければ、いくら努力しても無駄になる、という意味た 閃きはあるよなどちらにも
両者の努力によって我々は作品を享受できるわけでして >>290
289が正しい
それを言ったのはエジソンだが、
「私は1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言ったのだ
なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、
努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」
と言っている 天才とはひらめきによるものだ、という議論がエジソンの前で起こった時、彼はこう言い放ったという。
「天才とはインスピレーションではない。インスピレーションは、まず汗をかき努力することで生まれるのだから。」 エジソンは様々なインタビューにおいて努力こそがひらめきに必要なものであり
努力が最も重要であるという趣旨の発言を多くしている
またこの発言とされるものはエジソンの死後1932年に発表されたものであり全く同じ発言をしたという明確な証拠はない
現代アメリカでも「天才には努力が必要」の意味で用いられている モーツァルトは頭の中で曲が完成していて後はそれを譜面に書くだけだったのでベートーヴェンと違って書き直した跡がなかったと聞いたことがある
それでジュピターの第4楽章みたいな複雑な曲を作ったんだから天才に違いない
ベートーヴェンは苦悩した分だけいい曲が作れたと思う
人間の限界に挑戦したイメージ 実際、ジュピターはモーツァルトには珍しく書き直した跡があるそうだが書き直したところでああいう曲は作れないよな 多分集中力が極端に強い人でしょ。凡人はほどほどの努力で生きてるけど、
天才は他の事に全く関心もなく努力という自覚もなしに集中している。
努力と言うと苦痛を伴うイメージだけど、天才は快感を感じながら作業に集中してる。 >>297
そう思うわ
俺は、ゴルフの天才と言われているけど
いくら練習しても、楽しくてしょうがないし
ゴルフの神髄が、練習すればするほど見えてくる 天才とは、「真理を発見した人」のこと
ガリレオは捕まったのに「それでも地球は回っている」と言ったとか
だから、芸術には「天才」という言葉は馴染まないのかな? それで地球が回ってなくて宇宙全体が回ってたとなった場合
天才剥奪だとかw 実は宇宙にも座標なんてないからどっちでも成り立つ。 っていうか、質と量を合わせるとハイドンの方が凄いだろ。 ベートーヴェンの6つのバガテルはいい曲だね。
後期の作品の中でも、自我が脱落して自由な精神の発露を
感じさせる傑作だ。 >>301
物理よくわからないけど回転が絡むと面倒そう
遠心力の説明が難しくなると思う 例がよくなかったかな
じゃあ、「地球は丸い」と言い張ったことにする
これは、ガリレオ以前は非常識だったけど、ガリレオが真実を発見した
だから、天才
でも、芸術には真実というか真理はないよね、個人個人の好みだから
ベートーベンだって好きな人が大半だと思うけど、嫌いな人もいるだろ
嫌いな人に、あんたは間違っているとは言えない かっき天才(てんさい)とは、天から与えられた才能を持っていること。 天才モーツァルト
天才ベートーヴェン
やっぱり天才モーツァルトのほうがしっくりくる
楽聖ベートーヴェンのほうがかっこいい 一流指揮者は、ほぼほぼ天才だと思うけど
マゼールの天才ぶりは尋常ではないぞ
ベトのチクルスを日本で聞いてびっくりした マゼールの実演は大みそかのベト全一晩で振るやつが唯一聴けた
遠征して、会場で年を越せるかと思ったら越す前に終わってしまったので
上野のホテルで(´・ω・`)ショボーンと新年を迎えた モーツァルトのヴァイオリンソナタを
初めて買った。
いいですねー。
グリュミオとハスキルの古い録音。
28番のすすり泣くような演奏(曲)には
笑顔の奥の哀しみに泣けてしまう。 ヴァイオリンは主旋律作りには役に立ったんだろうね。
ただ本人も、途中で投げ出した。単音だけの表現じゃなく
平行する和音と別の旋律との絡みに興味が向かって行った印象がある。
やっぱりカナリアの鳴き合いにヒントがあるな。 オペラで実際カナリア?登場させてるし、オペラ風に二人の掛け合い調のメロディもあるな。
名曲と言われてる曲の場合、どう聴いても2つの旋律が絡んでる。
第40番 ト短調第1楽なんかも、問いかけ「?」と返答「!」というメロディ感がある。
ピアノ協奏曲 第21番第2あたりのメロディも、男女の問いかけ「?」と返答「!」という感じがする。
そこに人間の日常的な感情を感じて惹かれるんだろうね。 モーツァルトの40番2楽章
別のスレで暗い仏間の部屋の空気
と表現していた人がいたが、神秘的ではあるが
それこそ、問いかけと返答がありそんな暗い印象うけないなぁ モーツァルトからすれば
当たり前のことだったと思うな
絶対音感が功を奏したパターン マーラーの場合は、作曲中に外で鳥の鳴き声がすると、集中力が削がれると銃を撃って追い払ったそうだ ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407
いい ホント いい ホルンってあれ、鳴ってるんじゃなく
口で作った音を管に響かせてるんだよな。
オレ持ってたけど音出せなくて諦めた。 モーツァルトの音楽は別格とまでは…
当時の他の音楽聴けばわかるが似たようなの多いよ
ヨハン・シュターミッツ (1717-1757)
管弦楽のための6つのトリオ集 Op. 1
http://www.youtube.com/watch?v=mWbp92iLQgc ロックだろうがジャズだろうが時代の共通部分はあるよ。演歌だってな。
好きな奴はそれを聴き分けて好き嫌い言ってるわけで、
似てるだろうと言われても、だから何としか言いようがない。 フランツ・イグナーツ・ベックの交響曲はYouTubeからは多くが消えてるが
NMLにはあるので聴ける人はこちらも参考に
http://ml.naxos.jp/album/8.570799
Op.3は1760年前後の作 >>331 時代の共通部分はあるよ。
Mは時代の共通部分があって、誰かの曲とよく似ている、かつ、自作品同士も似ている。
Bは時代に先駆けている、かつ、作品がバラエティに富んでいる。
とは言い過ぎか。 モーツァルトの曲全てが良いとは思わない、退屈だったり凡庸だったり手抜きだったり
はあるけど、クラリネット協奏曲K622なんかを始めて聴いたって、良い曲だと思わせる
魅力は感じられるはずだよ。他の作曲家の同じフレーズがあっても組み立てで完璧だと
感じさせる構成力がある。日本でクラシック音楽はレコードとラジオの時代になって
普及したからベートーヴェンの運命や第九あたりがきっと分かりやすかっただろうと思う。
特徴的で繰り返しが多くメロディを覚えやすかった。音楽教室のあの肖像画も良かった。
ただ聴き手の接し方がベトとモツでは少し違う気がする、モツはプライベートでの音楽。 >>336
モツが飽きられた原因がそこにあると思う
ベトソナを聞くと、よくここまで変化にとんだ曲を32も作れたなと思う ピアノ弾いていたらベートーヴェンのほうが確かに面白さがある。モーツァルト弾いていたらうっとりしてきて、弾きながらウトウトするときがある。でも、ホ短調バイオリンソナタ、あれが好きでバイオリンなしで弾いている。 どんだけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーツ モーツァルトのヴァイオリンソナタ第35番
アダージョで始まる。
これ初めて聴いたけど癒されるわ
グリュミオー&クリーン
これは、演奏者にも感謝 しかしいつまで寒いんだろう
仕方ないので「春」を聴く ウィリアム・シールド (1748-1829)
歌劇「ロジーナ」(抜粋)
http://www.youtube.com/watch?v=D8CbOhRTYp4
J.C.バッハの影響が濃厚 モーツァルトに通じるものがある J.C.バッハやシューベルトのような
生涯に書いた曲数が膨大で、かつ多くが名作であるような
いくら聴いても飽きない作曲家が好きです モツの美メロ+ベトの迫力+うじうじ感=シューベルト
モツベト−それぞれの個性=バッハ モーツァルトやベートーヴェンのよさがわかる人は、現代の作曲家の中では誰が歴史に名が残るとかもわかるのかな? モーツァルトやベートーヴェンが名を残したのは、ただ単に、偶然のたまものだと言ってるんだと思う モーツァルトは、同じ編成の曲なら何を聞いても同じに聞こえる。 ベートーヴェンに関してはおれはそこは否定したい
ベートーヴェンが名を残したのは、少なくとも後半生においては、
世間一般に知れ渡った有名人であり、音楽そのものより人間ドラマが数多く介在していると思う >>356
日常を退屈と思うか奇跡と思うか
そんな違い モーツァルトは作品番号順に聴いていくとある一時期を境にして途端につまらなく感じる
型をつくってしまって、ほとんどそれでくり貫く作業になってしまっている。
年代順ではなく晩年のほうから聴いていけばそんなこと気付かず済むのだが・・・
他にもそういう傾向のある作曲家はいるけど、それでも構成力はどんどん熟れていくから完成度は上がっていく
しかしモツの場合、初期作品から神童型で構成力も完成されてるぶん、そういう傾向が目立ってしまう モーツァルトには一般で言うOp.なんたらという作品番号が大部分の曲に付けられていない
その理由は、作品番号は楽譜出版を前提に楽譜出版社が付けるのが当時の通例だったが
モーツァルトは楽譜出版社に頼らずに作品を発表していったから
KV番号はモーツァルトの死後にOp.とは別にケッヘルが作曲順に並べた番号だがその作曲順には間違いが多いので後の人も苦労した そうそう、運命を聞くと元気が出る
「和義さん・・・・・・・・・・・」
「奈美子さん・・・・・・・・・」
すいたらしい気持が、和義の心をよぎる
「運命」の出会いであった グリュミオーのモーツァルトに魅了され、
ベートーヴェンのコンチェルトも買った。
一緒に入っていたロマンス1番にうっとり。 ドメネク・テラデーリャス (1713-1751)
「ジュゼッペ・リコノスチート」 序曲
ジョセップ・デュラン (1730-1802)
序曲 ヘ長調
http://www.youtube.com/watch?v=zt9gihjJork
18世紀カタルーニャの作曲家2人の音楽
テラデーリャスの音楽は、J.C.バッハやモーツァルトの音楽に通ずるものがある >>369
もちろんそれは分かってるよ だからこそ違いを聞き分ける手助けをしてるだけの話 IDだけ変えたつもりがワッチョイも変わってるね ワッチョイって一体何なの >>370
そうなのか
なら通ずる通ずる
影響大ばかり言ってないで
どう違うのか解説して差し上げたら
楽譜上の相違がどう聞こえているかは別の問題だが 聞こえ方の違いが譜面上でどう現れているのかもね
よろしく頼むわ >>372-373
おれは残念ながら詳細な違いを聞き分けてる人じゃない
詳細な違いを聞き分けてる好きな人にきいたらいいんじゃないの なんだこいつキモチワリィナ
オタクってこういうやつ多いよね >>374
ならば津辺を貼りまくるレスの意図が不明
ひたすらスレチなんだよ >>376
意図は>>370だよ まあ手助けしてあげてもできないという人にはできないんだろうという予想もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています